川崎市

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川崎市(かわさきし)は、神奈川県の北東部に位置する政令指定都市で、7区の行政区を持つ。政令指定都市の中では最も面積が小さいが、人口は非都道府県庁所在地の市の中では最大である。

市内全域が旧武蔵国で、内部に旧相模国に属した地域を持たないのは神奈川県内の市町村で唯一。

目次

概要[編集]

政令指定都市20市の中で面積が最も小さい。人口は全国第8位(2010年3月現在)で、非都道府県庁所在地の市では最大で、唯一100万人を超えている。財政状況は良く、財政力指数は1.101(平成21年度)で政令指定都市では最も財政に余裕がある。

地理[編集]

神奈川県の北東部、県の最東端に位置し、東京都横浜市にはさまれた細長い市域を持つ。県内では横浜市以外の市町村とは隣接していない。市の北端には多摩川が流れ東京都との境となっており、東部には東京湾が広がっている。江戸時代から栄えていた歴史ある街で武家も多く、古くからの閑静な住宅地が多いが、ここ数十年で東京との近さから一気に近代化し、若者の街と言われるようになり、特に川崎駅前周辺は昼夜を問わず人が多い。駅から離れた多摩川沿いの低地や多摩丘陵にはのどかな田園風景が広がるが、丘陵部には新興住宅地が多く、東京湾岸に広がる埋立地は大規模な重工業地帯となっているなど、多様な面を見せる。

河川[編集]

運河[編集]

歴史[編集]

詳細は 川崎市の歴史 を参照

中世以前[編集]

北西部の丘陵地帯に人が定住したのは古く、黒川などでは旧石器時代縄文時代の遺跡が確認できる。しかし、多摩川沿いや臨海部の低地はかつて海底だった場所が多く、多摩川の堆積作用や海面の低下により徐々に陸地化が進んだ。

7世紀に律令体制の整備により武蔵国橘樹郡(たちばなぐん)の一部となり、奈良時代には現在の高津区に郡衙が置かれ、地域行政の中心になったと推定される。平安時代からは荘園が発達し、稲毛氏が広い地域を支配した。稲毛三郎重成源頼朝の御家人の1人となって活躍した。また1128年(大治3年)には川崎大師(平間寺)が建立され、門前町の形成が始まる。その後鎌倉時代から戦国時代にかけては小規模領主による分治が進み、やがて北条氏の支配下に入った。

近世[編集]

1611年(慶長16年)には小泉次大夫の指揮により二ヶ領用水が完成、中野島から大師・大島に至る多摩川流域平野のほぼ全域を流れ、農業生産力の向上をもたらした。二ヶ領用水で潤った水田で生産された米は稲毛米と呼ばれ、江戸で寿司飯として人気となる。また江戸幕府が成立したことで東海道中原街道の重要性が高まり、川崎宿(現川崎駅周辺)の整備が進んだ。ただし、川崎宿が正式な宿場に指定されたのは東海道五十三次の中で最後となる1623年(元和9年)のことである。このとき多摩川の橋は流され、以後川崎宿は六郷の渡しの渡河点、及び川崎大師への玄関口として繁栄する。この他にも中原街道の丸子の渡し、大山街道の二子の渡し、津久井街道の登戸の渡しが整備され、いずれも後に東京都内への鉄道が建設される宿場町が形成された。

近代[編集]

明治・大正期は川崎駅周辺で都市化が急速に進行する一方、丘陵地帯では従来の農山村も維持されていた。その後昭和前期になると鉄道路線の開業が相次ぎ、私鉄沿線には住宅地が、多摩川沿いの南武線沿線には主に工業地が展開した。

  • 1872年(明治5年) - 日本最初の鉄道開業(現東海道線)に伴い川崎駅が設置される。その後、郵便・電気などの公共サービスが整備される。
  • 1883年(明治16年) - 多摩川に六郷橋がかかる。
  • 1889年(明治22年) - 町村制施行により、後の市域を形成する橘樹郡川崎町、及び12か村(うち2村は都筑郡)が成立。
  • 1893年(明治26年) - 大師河原村(現川崎区)の当麻辰二郎がの新種「長十郎」を発見(ただし発見年には諸説あり)。
  • 1899年(明治31年) - 大師電気鉄道(現在の京浜急行電鉄)が大師線の一部を開業する。以後、品川横浜に向けて路線を延長していく。
  • 1912年(明治45年) - 神奈川県と東京府(現東京都)との境界が多摩川を境に整理される。
  • 1912年(明治45年) - 日本鋼管(後にNKK、現在はJFEスチール)川崎製鉄所が設立。臨海部の工業化が開始される。
  • 1914年(大正3年) - 川崎〜溝口(当時は高津村)間での乗合馬車運行が始まる。
  • 1921年(大正10年) - 川崎町で上水道整備が始まる。
  • 1924年(大正13年)7月1日 - 2町1村が合併して市制施行。市域は現在の川崎区西部と幸区東部。人口4万8394人。
  • 1926年(大正15年)2月14日 - 東京横浜電鉄(現在の東急)東横線が小杉町内で開業。
  • 1927年(昭和2年)3月9日 - 南武鉄道(現在のJR南武線)川崎駅 - 登戸駅が開業。
  • 1927年(昭和2年)4月1日 - 小田急小田原線が全線開通、稲田登戸駅(現向ヶ丘遊園駅)が開業。
  • 1927年(昭和2年)7月15日 - 玉川電気鉄道溝ノ口線(現東急田園都市線)開業。
  • 1930年(昭和5年) - 富士瓦斯紡績(現在の富士紡ホールディングス)川崎工場での労働争議で煙突男が出現。
  • 1934年(昭和9年) - 「川崎市歌」を制作・発表。
  • 1937年(昭和12年) - 陸軍の研究所が現多摩区の生田村(1938年に川崎市へ編入)へ移転。
  • 1939年(昭和14年)4月1日 - 都筑郡の分割併合により埋立地を除き現在の市域が確定。
  • 1944年(昭和19年)10月14日 - 川崎市電が開業。
  • 1945年(昭和20年)4月15日 - 川崎大空襲。川崎駅周辺や臨海部の工業地帯、川崎大師などに大きな被害が出る。

現代[編集]

  • 1946年(昭和21年) - 初の民選市長として金刺不二太郎が当選。
  • 1947年(昭和22年) - 戦後第1回市議会招集。
  • 1948年(昭和23年) - 現多摩区に日本女子大付属中学・高校が開設(現在の日本女子大学西生田キャンパス)。
  • 1951年(昭和26年) - 現多摩区に明治大学生田校舎が開設。
  • 1952年(昭和27年) - 現川崎区の富士見公園内に川崎球場(当時は川崎スタヂアム)が開場。
  • 1952年(昭和27年) - 向ヶ丘遊園が遊具施設を充実し有料化。
  • 1957年(昭和32年) - 現多摩区に専修大学生田校舎開設。
  • 1957年(昭和32年) - 人口が50万人を突破。この頃から市北西部が首都圏住民の良好な住宅地として人気を博すようになり、政令市に指定されるまでに人口が急増する主因となった。このため、東京都心部へ向かう通勤・通学電車のラッシュは、全国有数の混雑となる。
  • 1960年(昭和35年) - プロ野球大洋ホエールズ日本シリーズで優勝し、市内でパレードを行う。
  • 1964年(昭和39年) - 多摩区によみうりランドが開業する。西生田駅が読売ランド前駅に、東生田駅が生田駅に改称。
  • 1966年(昭和41年) - 東急田園都市線溝の口駅 - 長津田駅が開業。
  • 1967年(昭和42年) - 現多摩区に日本民家園が開園。公営施設としては北部地域初の大規模文化施設。
  • 1967年(昭和42年) - 多摩区(現在の麻生区)東百合丘に調布学園女子短期大学が開設。
  • 1968年(昭和43年)4月25日 - 東名高速道路が開通し、東名川崎IC(現宮前区)開設。
  • 1968年(昭和43年) - 市営鷺沼プールがオープン。
  • 1969年(昭和44年)4月1日 - 市電が全廃。
  • 1971年(昭和46年) - 第2代の民選市長に伊藤三郎が当選し、革新自治体の一員となる。
  • 1971年(昭和46年) - かわさきおやこ劇場設立
  • 1971年(昭和46年) - 生田緑地に川崎市青少年科学館開設。
  • 1971年(昭和46年) - 現宮前区菅生に聖マリアンナ医科大学開設。
  • 1972年(昭和47年)4月1日 - 非道府県庁所在地では北九州市に次ぐ政令指定都市に指定され、5つの区が設けられる(川崎区、幸区、中原区、高津区、多摩区)。川崎市公害防止条例を施行する。夢見ヶ崎動物公園が開園。
  • 1974年(昭和49年) - 人口が100万人を突破。
  • 1974年(昭和49年) - 小田急多摩線が開通、新百合ヶ丘駅五月台駅栗平駅黒川駅が開設。
  • 1974年(昭和49年) - 多摩区(現麻生区)に京王相模原線若葉台駅が開設。
  • 1976年(昭和51年) - 全国に先駆けて「川崎市環境影響評価に関する条例」を制定し環境アセスメントを開始した。
  • 1978年(昭和53年) - 大洋ホエールズの横浜移転により、ロッテオリオンズが川崎球場をフランチャイズとする。第1回かわさき市民祭りを開催。
  • 1979年(昭和54年) - 政令指定都市移行を記念して高津区に川崎市民プラザ開設。
  • 1980年(昭和55年) - 国鉄横須賀線の新川崎駅が開業、川崎駅を経由しなくなる。自動車の川崎ナンバーが誕生。
  • 1982年(昭和57年) - 人口増加に伴い、高津区から宮前区を、多摩区から麻生区を分区し、7区制になる。
  • 1982年(昭和57年) - 第1次川崎公害訴訟が提訴され、大気汚染について国や首都高速道路公団、各企業の責任が追及される。
  • 1984年(昭和59年) - 「川崎市民の歌」を制作・発表。
  • 1985年(昭和60年) - 川崎市男女共同社会をめざす計画を発表。
  • 1986年(昭和61年) - 川崎駅東口に地下街川崎アゼリアが開業。
  • 1986年(昭和61年) - 新百合ヶ丘駅前に日本映画学校が開校。
  • 1987年(昭和62年) - 日本初のシネマコンプレックスと称するチネチッタが開業。
  • 1988年(昭和63年) - 川崎駅西口の再開発を巡ってリクルート事件が発覚。当時の川崎市助役へのリクルート社からのリクルートコスモス株譲渡による利益供与が明らかになり、やがて中央政界に影響が波及する。川崎市市民ミュージアム・ふれあい館・産業振興会館を開館。
  • 1989年(平成元年) - かながわサイエンスパーク(KSP)が高津区に設置される。
  • 1989年(平成元年) - 4月11日高津区のある竹林で1億円の札束が発見される(竹やぶ騒動)。
  • 1990年(平成2年) - 市民オンブズマン制度が発足。
  • 1991年(平成3年) - ロッテオリオンズが千葉に移転し、川崎球場を本拠とするプロ野球チームが消滅する。毎月1日を「ノーカーデー」と定める。
  • 1992年(平成4年) - 新百合ヶ丘駅南口にエルミロードがオープンする。テナントのイトーヨーカドー新百合ヶ丘店は全国売り上げナンバーワンを記録。
  • 1993年(平成5年) - Jリーグが開幕し、読売サッカークラブとして創立されたヴェルディ川崎(現:東京ヴェルディ1969)が等々力陸上競技場を本拠地にする。ヴェルディ川崎は後期優勝。鹿島を下し、Jリーグ初代年間王者となる。
  • 1994年(平成6年) - 市のシンボルマークが決まる。
  • 1995年(平成7年) - とどろきアリーナがオープン。ポイ捨て禁止条例がスタート。
  • 1996年(平成8年) - 市職員採用試験の国籍条項を撤廃。かわさき市民放送開局。外国人市民代表者会議を設置。
  • 1997年(平成9年) - 富士通川崎サッカー部がプロ化し「川崎フロンターレ」誕生。
  • 1997年(平成9年) - 東京湾アクアラインが開通。これにより千葉県とも隣接するようになった。
  • 1998年(平成10年) - 麻生区の新百合ヶ丘駅周辺地区が、建設省の都市景観対象を受賞する。
  • 1999年(平成11年) - 川崎公害訴訟が和解により決着する。岡本太郎美術館がオープン。
  • 2000年(平成12年) - 慶應義塾大学新鶴見信号場跡地に新川崎タウンキャンパスを開設。
  • 2000年(平成12年) - 川崎球場スタンド撤去工事。翌年改修工事終了。
  • 2001年(平成13年) - 川崎市子どもの権利に関する条例を施行。
  • 2002年(平成14年) - 川崎市行財政改革プランを発表。
  • 2002年(平成14年) - シネマコンプレックスチネチッタラ チッタデッラとしてリニューアル。この頃から川崎駅周辺再開発が加速。
  • 2002年(平成14年) - 向ヶ丘遊園閉園。
  • 2003年(平成15年) - 高津区に「川崎市 子ども夢パーク」がオープン。
  • 2004年(平成16年) - 麻生区に小田急多摩線はるひ野駅が開設。
  • 2004年(平成16年) - 川崎市ホームタウンスポーツ推進パートナー制度制定。
  • 2004年(平成16年) - 川崎駅西口にミューザ川崎シンフォニーホールが開設される。
  • 2005年(平成17年) - 川崎市路上喫煙の防止に関する条例を制定。路上喫煙重点禁止区域内での路上喫煙に過料2000円を課す事になった。
  • 2006年(平成18年) - 多摩区に市立多摩病院が開院。
  • 2006年(平成18年) - 川崎駅西口にラゾーナ川崎プラザが開業。
  • 2007年(平成19年) - 麻生区に昭和音楽大学が厚木市から移転。
  • 2007年(平成19年) - 麻生区に川崎市アートセンターオープン。
  • 2007年(平成19年) - 第3回アメリカンフットボール・ワールドカップが開催される。
  • 2007年(平成19年) - 成人ぜんそく患者医療費助成制度が開始される。
  • 2008年(平成20年) - 東京急行電鉄が同市から購入した宮前区内の土地の土壌汚染に関して、同市が搬入した焼却に原因があると東急から訴えられ、公害等調整委員会は、同市に損害賠償の支払いを命じる。
  • 2011年(平成23年) - 多摩区に藤子・F・不二雄ミュージアム開館。
  • 2012年(平成24年) - ドラえもん誕生100年前を記念し、ドラえもんに「特別住民票」を交付。
  • 2014年(平成26年) - 川崎球場が川崎富士見球技場に改称。

人口[編集]

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川崎市と全国の年齢別人口分布(2005年) 川崎市の年齢・男女別人口分布(2005年)
紫色 ― 川崎市
緑色 ― 日本全国
青色 ― 男性
赤色 ― 女性

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川崎市(に相当する地域)の人口の推移
テンプレート:人口統計/14
総務省統計局 国勢調査より

行政[編集]

  • 市長 : 福田紀彦(ふくだ のりひこ) (2013年11月19日就任、1期)
  • 市職員数 : 13,647人 (2008年7月1日)
  • 当初予算規模(2009年度)
    • 一般会計 5,816.77億円
    • 特別会計 5,209.80億円
    • 公営企業会計 2,147.06億円
  • 市制記念日 : 7月1日

行政区域の変遷[編集]

この他、明治以降の埋め立ての進行で市域は海に向かって拡大している。

歴代首長[編集]

  • 地方自治制度が確立して市長公選制が導入された1946年以降の市長は以下の5人である。
  • 1946年 - 1971年:金刺不二太郎
  • 1971年 - 1989年:伊藤三郎
  • 1989年 - 2001年:高橋清
  • 2001年 - 2013年:阿部孝夫
  • 2013年 - 現在 :福田紀彦

県・市の行政機関[編集]

警察[編集]

司法[編集]

裁判所
検察庁

立法[編集]

市議会[編集]

  • 定数:60名
  • 任期:2011年(平成23年)5月3日~2015年(平成27年)5月2日
  • 議長:浅野文直(自由民主党、4期)
  • 副議長:飯塚正良(民主党、6期)
会派名 議席数 議員名(◎は団長)
自由民主党川崎市議会議員団 16 ◎石田康博(宮前区)、橋本勝(多摩区)、青木功雄(高津区)、浅野文直(宮前区)、大島明(高津区)、尾作均(麻生区)、鏑木茂哉(幸区)、坂本茂(川崎区)、嶋崎嘉夫(川崎区)、林浩美(川崎区)、原典之(中原区)、廣田健一(多摩区)、松原成文(中原区)、矢澤博孝(宮前区)、山崎直史(麻生区)、吉沢章子(多摩区)
公明党川崎市議会議員団 13 ◎後藤晶一(高津区)、花輪孝一(麻生区)、山田晴彦(宮前区)、岩崎善幸(川崎区)、岡村テル子(高津区)、川島雅裕(中原区)、かわの忠正(幸区)、河野ゆかり(多摩区)、菅原進(多摩区)、田村伸一郎(宮前区)、沼沢和明(幸区)、浜田昌利(川崎区)、吉岡俊祐(中原区)
民主党川崎市議会議員団 11 ◎東正則(中原区)、織田勝久(宮前区)、山田益男(幸区)、雨笠裕治(麻生区)、飯塚正良(川崎区)、岩隈千尋(高津区)、潮田智信(中原区)、押本吉司(中原区)、木庭理香子(麻生区)、露木明美(多摩区)、吉田史子(幸区)
日本共産党川崎市議会議員団 10 ◎市古映美(中原区)、石川建二(宮前区)、勝又光江(麻生区)、井口真美(多摩区)、石田和子(高津区)、大庭裕子(中原区)、斉藤隆司(多摩区)、佐野仁昭(川崎区)、竹間幸一(幸区)、宮原春夫(川崎区)
みんなの党無所属川崎市議会議員団 3 ◎小川顕正(高津区)、添田勝(宮前区)、松川正二郎(中原区)
無所属 7 猪股美恵(高津区)、小田理恵子(幸区)、粕谷葉子(高津区)、竹田宣廣(宮前区)、為谷義隆(川崎区)、月本琢也(麻生区)、三宅隆介(多摩区)

神奈川県議会(川崎市選出)[編集]

  • 定数:17名
  • 任期:2011年(平成23年)4月30日~2015年(平成27年)4月29日
選挙区 氏名 会派名
川崎区 杉山信雄 自由民主党神奈川県議会議員団
西村くにこ 公明党神奈川県議会議員団
栄居学 民主党・かながわクラブ神奈川県議会議員団
幸区 市川よし子 改革・かながわ民主クラブ
田中徳一郎 自由民主党神奈川県議会議員団
中原区 たきた孝徳 民主党・かながわクラブ神奈川県議会議員団
日浦和明 みんなの党神奈川県議会議員団
(欠員)
高津区 小川久仁子 自由民主党神奈川県議会議員団
斉藤たかみ みんなの党神奈川県議会議員団
宮前区 持田文男 自由民主党神奈川県議会議員団
飯田満 日本維新の会
土居昌司 みんなの党神奈川県議会議員団
多摩区 土井りゅうすけ 自由民主党神奈川県議会議員団
青山圭一 民主党・かながわクラブ神奈川県議会議員団
麻生区 相原高広 県政会神奈川県議会議員団
吉田大成 新生・神奈川クラブ

2012年1月7日、議員の田島信二が死去したことにより、中原区は欠員1となった。

2014年3月20日の県議会本会議で、川崎区選挙区の定数が「3」から「2」に減ることが決まった。

衆議院[編集]

  • 任期:2012年(平成24年)12月16日~2016年(平成28年)12月15日
選挙区 議員名 所属政党
神奈川9区(多摩区・麻生区) 笠浩史 民主党(前原グループ)
同区(比例復活) 中山展宏 自由民主党
同区(比例復活) 椎名毅 結いの党
神奈川10区(川崎区・幸区・中原区) 田中和徳 自由民主党(石原派)
神奈川18区(宮前区・高津区) 山際大志郎 自由民主党(石原派)

経済[編集]

第一次産業[編集]

江戸時代初期の二ヶ領用水の整備で、多摩川流域での水田開発が拡大し、農業生産力が向上した。また江戸時代以降、大消費地江戸に近い立地を利用して果樹栽培が営まれ、宿河原の桃や王禅寺の柿が知られた。中でも梨は明治20年代に新品種として長十郎が発見され、その栽培は全国に普及していった。しかし、その発見地である臨海部での果樹栽培は大正以降の工業開発によって失われた。内陸部でも、戦後は都市化の進行により急速に農地が減少した。現在は市の施策などで伝統的な名産品の復興などに力が注がれている。

第二次産業[編集]

京浜工業地帯の中にあり、明治時代の産業革命以降は重工業が発展した。特に昭和前期に臨海部での大規模な埋め立てが行われ、製鉄所や化学工場、機械・電機工業などの建設が進んだ。日本鋼管(現JFEスチール)、富士通日本電気東芝などの大規模工場と、それに関連する中小工場が多数建設され、現在に至っている。

近年では、先端技術の研究所なども多く立地する。かわさきマイコンシティかながわサイエンスパークの建設などもこれを促進している。一方臨海部の工業地帯では重化学工業不振からの再生が企画される一方、産業遺産としての保護も進められている。また、市では羽田空港の神奈川口整備を見越して、臨空型の工業整備を意図している。

第三次産業[編集]

川崎駅東口には地下街「アゼリア」、西口には「ラゾーナ川崎」が立地し、川崎駅周辺商業地の中核となっている。その他、特殊な例として近世からの歴史を持つ関東No.2の風俗街である堀之内と南町がある。川崎市の副都心として、溝の口駅には「丸井」、新百合ヶ丘駅には、「イオン」、「エルミロード」、「オーパ」などの商業施設が建設されている。また第三都心として、武蔵小杉駅も横須賀線の駅が出来たことで都市化が進んでいる。他、住宅地が多いため、中小規模の商店街やスーパーマーケットなどは市内全域で見られる。

近年は芸術関係での産業振興に力を入れており、川崎駅周辺でのチネチッタプロジェクトやミューザ川崎の建設、麻生区では、新百合ヶ丘駅付近への昭和音楽大学日本映画大学の誘致や、川崎市アートセンターの建設、KAWASAKIしんゆり映画祭の開催などが進められている。なかでも2004年ミューザ川崎オープン後「音楽のまち・かわさき」を推進している。

市内の主な企業[編集]

本社・本店が所在する企業
生産等の拠点がある企業

姉妹都市・提携都市[編集]

国内[編集]

行政区・地域[編集]

  • 世帯数 : 587,929世帯(2005年1月1日)
  • 外国人登録者数 : 27,329人(2004年6月30日)
神奈川県川崎市の各区

川崎市は現在7区で構成される。

  1. 川崎区 - 区役所の最寄り駅は川崎駅(京急川崎駅)。
  2. 幸区 - 区役所の最寄り駅は矢向駅(徒歩15 - 20分)。川崎駅や武蔵小杉駅などからバス利用が便利。
  3. 中原区 - 区役所の最寄り駅は武蔵小杉駅。
  4. 高津区 - 区役所の最寄り駅は溝の口駅(武蔵溝ノ口駅)。
  5. 多摩区 - 区役所の最寄り駅は向ヶ丘遊園駅。
  6. 宮前区 - 区役所の最寄り駅は宮前平駅。
  7. 麻生区 - 区役所の最寄り駅は新百合ヶ丘駅。

主な街・ターミナル[編集]

インフラ整備の状況[編集]

  • 下水道普及率:99.4%(平成24年度末)

隣接している自治体・行政区[編集]

※括弧内は行政区を示す

神奈川県
東京都
千葉県(海上で隣接)

教育[編集]

学校教育[編集]

大学[編集]

短期大学[編集]

高等学校[編集]

県立高校
市立高校
私立高等学校

高等学校を併設する中学校[編集]

市立高等学校を併設する市立中学校
私立高等学校を併設する私立中学校

専修学校[編集]

公立・準公立
  • 川崎看護専門学校
  • 川崎市医師会附属准看護婦学校
  • 日本溶接構造専門学校
私立
  • 聖マリアンナ医科大学看護専門学校
  • 高津看護専門学校

各種学校[編集]

  • 南武朝鮮初級学校(朝鮮学校)
  • ヤマハ音楽院

学校教育以外の教育施設[編集]

自動車教習所
  • KANTOモータースクール溝ノ口校
  • KANTOモータースクール川崎校
  • 飛鳥ドライビングカレッジ川崎
  • 向ヶ丘自動車学校

社会教育[編集]

図書館[編集]

  • 川崎市立図書館
    • 川崎図書館 - 最寄り駅は川崎駅。
      • 田島分館 - 川崎駅などからバス利用。
      • 大師分館 - 最寄り駅は川崎大師駅。
    • 幸図書館 - 最寄り駅は矢向駅(徒歩15 - 20分)。川崎駅や武蔵小杉駅などからバス利用が便利。
      • 日吉分館 - 最寄り駅は新川崎駅。
    • 中原図書館 - 最寄り駅は武蔵小杉駅。
    • 高津図書館 - 最寄り駅は高津駅。
      • 橘分館 - 武蔵新城駅や溝の口駅(武蔵溝ノ口駅)などからバス利用。
    • 宮前図書館 - 最寄り駅は宮前平駅。
    • 多摩図書館 - 最寄り駅は向ヶ丘遊園駅。
      • 菅閲覧所 - 最寄り駅は稲田堤駅。
    • 麻生図書館 - 最寄り駅は新百合ヶ丘駅。
      • 柿生分館 - 最寄り駅は柿生駅。
  • 神奈川県立図書館
    • 川崎図書館 - 「科学と産業の情報ライブラリー」。最寄り駅は川崎駅。

職業訓練[編集]

  • 公共職業能力開発施設
    • 神奈川県立川崎高等職業技術校(平成20年3月に閉校)
    • 神奈川県立川崎高等職業技術校 京浜分校(平成20年3月に閉校)
  • 認定職業訓練施設

スポーツ[編集]

主な施設[編集]

野球場
球技場
  • 川崎富士見球技場 - 川崎区富士見公園内。川崎球場(開場当初は川崎スタヂアム)として1952年に開場し、長年の間、野球場であった。1954年-1991年はプロ野球球団(1977年まで大洋ホエールズ(現在の横浜DeNAベイスターズ1978年以降ロッテオリオンズ(現在の千葉ロッテマリーンズ))の本拠地として使用(後述)。2001年に既設スタンドを取り壊し、球技場となり、現在は軟式野球のほかアメリカンフットボールや各種イベントに使用。2014年4月1日に現名称となる。
陸上競技場・サッカー場
  • 等々力陸上競技場 - 中原区等々力緑地内。収容人員2万5000人。1964年に開場し、1993年からは数度の改修を経ながらJリーグクラブの本拠地として使用。日本陸連の1種公認競技場としても各種競技会で使用。
  • 古市場陸上競技場 - 幸区古市場。1周400mのアンツーカートラック。多摩川の河川敷にある。
ゴルフ場
  • 川崎国際生田緑地ゴルフ場 - 多摩区の丘陵地帯。1952年に川崎国際カントリークラブとして開設、1992年に川崎市公園緑地協会の管理に移りパブリックコースに。
屋内施設
  • 川崎市体育館 - 川崎区の市街地内。1956年開設。プロレスの興行(試合)等が開催される。川崎駅東口から徒歩20分ほど。
  • 川崎市とどろきアリーナ - 中原区等々力緑地内。バレーボールの国際試合を含む各種屋内競技やコンサート等が開催される。
  • ヨネッティー王禅寺 - ごみ焼却場の余熱を利用した麻生区にある温水プール。
  • スタジオ246

公営競技[編集]

川崎市として川崎競輪場、神奈川県と川崎市で共に神奈川県川崎競馬組合として川崎競馬場を主催している。

スポーツ団体・クラブ[編集]

プロ野球[編集]

1952年川崎球場が開設された当初は毎日オリオンズが準本拠として公式戦を使用していたが、川崎市を本拠地とするプロスポーツチームの公式な第1号は1954年結成の高橋ユニオンズだった。しかし、翌1955年大洋ホエールズが本拠地を川崎に移転すると、セ・リーグ、とりわけスター選手の宝庫といわれた巨人軍との対戦を中心に観客動員が上昇。高橋球団は経営的な危機に立たされ、1957年のシーズン開幕前に大映スターズへの吸収合体が発表され、わずか3年で消滅した。

一方、大洋は人気の面では観客動員が飛躍的な伸びを見せるが、戦力は今ひとつで常に最下位争いが指定席だった。しかし、1960年に巨人の5連覇を阻止して見事リーグ初優勝。日本シリーズでも全試合とも1点差という僅差で4連勝して日本一を決めた。その後は1964年阪神との大接戦を演じ惜しくも優勝を逃したが、その後は再び最下位争いに定着してしまった。しかし、ライバル・巨人、特に世界のホームラン王・王貞治が一本足打法第1号(1962年)、日本プロ野球初の700号(1976年)など多くのホームランを打ち込んだのも一つの人気だった。

だが、大洋球団は1978年のシーズン開幕時に横浜市に新設される横浜スタジアムへの本拠地移転を示唆。川崎市民は本拠地の移転に反対したが、横浜移転は強行された。その後当時東京都近郊にメインスタジアムがなく、事実上仙台市を本拠としていたロッテ(前出の毎日オリオンズの後身)にアプローチをかけ、1978年から本拠地として使用することになった。川崎時代のロッテは観客動員に苦しむが、1980年張本勲の3000本安打達成、19828586年落合博満三冠王獲得、また1988年近鉄のリーグ優勝をかけた10.19決戦など、注目の好カードが展開された。しかし、そのロッテも福岡市千葉市など各地からの移転のラブコールがあり、川崎市が球場改修しないため、1992年のシーズンから千葉市に建設された市営の新球場「千葉マリンスタジアム」に移転。これが川崎市を本拠とする最後のプロ野球チームとなった。

また、川崎球場自体も阪神・淡路大震災を契機に開かれた耐震調査で、震度5以上の大地震でスタンドが倒壊する恐れがあるということからスタンドの取り壊しが決定。2000年3月、横浜vs千葉ロッテのオープン戦を最後にプロ野球の開催球場から身を引くこととなる。現在、川崎市には等々力球場もあるが、設備の都合上1軍の試合は開催できず、プロ野球公式戦の開催予定は立っていない。

このほか、読売ジャイアンツが2軍の本拠地である読売ジャイアンツ球場を多摩区に設けている。 かつては、2軍の本拠地として中原区の多摩川河川敷内に、日本ハムファイターズが前身の東映時代より日本ハム球団多摩川グランド(1961年-2011年)を、大洋ホエールズが大洋多摩川球場(1955年-1980年)を設置していた。

Jリーグ[編集]

Jリーグ発足以前、川崎市には、東京都稲城市多摩区にホームタウンを有する旧JSL1部に読売サッカークラブ東芝堀川町サッカー部(東芝)、日本鋼管サッカー部(NKK)、同2部には富士通サッカー部がそれぞれ川崎市で多くの公式戦を開いていた。1993年のJリーグ開幕に当たって、東芝、NKK、富士通ともプロサッカークラブを川崎市で結成することに難色を示し、読売SCが川崎市を本拠地とするプロサッカークラブとなった。

読売は東京都を本拠としたい意向だったが、当時は都内にJリーグ開催規格のスタジアムが国立駒沢しかなかった。しかし、国立はJリーグの方針により特定チームの本拠地とせず、各チームが試合開催できる中立的なスタジアムにすること、駒沢は国立病院機構東京医療センターが近接しており、騒音や夜間照明による光害のためナイトゲーム開催が不可能なため本拠地には出来なかった。そのため、やむなく等々力をホームに「ヴェルディ川崎」として活動することにした。

三浦知良ラモス瑠偉北澤豪など、当時の人気選手を多く抱えていたヴェルディ川崎は、Jリーグ初代年間王者に輝き、翌年度も年間王者を達成し、人気だけでなく実力も兼ね備えたチームだった。しかし、当時の川崎市は等々力競技場を市民利用のための公園施設であるとして、川崎球場同様に大規模な改修には殆ど手を付けず、マダラ模様で痛んだピッチの芝生の上(砂の部分)に塗料を塗るなど対応だったため、当時の人気チームらしからぬスタジアムとしてファンからの悪評を買うことになってしまった。その後、ようやく2年をかけて25000人収容のスタンドやピッチの拡張など、Jリーグ基準に適合したスタジアムへのリニューアルを実施したが、一方で、市幹部からは「川崎には代わりのチームがある」と発言したりもしていた。当時、Jリーグにあっても企業スポーツであり続けようとしたヴェルディと、革新政権であった川崎市との乖離は著しく、この時点で「地域密着」の理念が実現されることはなかった。

この頃、NKKサッカー部は企業合理化のため、1993年旧JFLを最後に廃部が発表。東芝は川崎市でプロ化するとヴェルディのような人気が見込めず、またチームを維持することも難しくなっていたこと、札幌市でプロサッカークラブの誘致が活発化したことにより意見が一致し、1996年に「コンサドーレ札幌」として移転した。富士通サッカー部は当初はプロ化には参加せず、アマチュアイズム重視を目指したが、等々力スタジアムのある中原区の商店街や青年会議所が中心となって実業団から市民クラブとして育てる事とし、チームもこれに応じる形で1996年(旧JFL)にまず名称を「富士通川崎サッカー部」と川崎市の名前を被せて、1997年にJリーグ準会員(JFL2位以内でJリーグ昇格の権利獲得)となるのを機に、富士通サッカー部を法人組織「富士通川崎スポーツマネジメント」、クラブ名も「川崎フロンターレ」として再スタートすることが決まった。

市対応の拙さから、プロ野球同様に2000年のシーズンを最後にヴェルディが東京都東京(味の素)スタジアム)へ「東京ヴェルディ」として移転し、この時点で川崎市から1部リーグのチームは一旦消滅した。

一方、川崎フロンターレは、2001年にはJ2に降格していたが、2004年、元鹿島アントラーズ関塚隆を監督として迎え、J2・2回目の優勝、J1復帰を決めた。フロンターレは、地域のコミュニティを重視し、試合だけに限らず様々なイベントに参加することをチーム運営の方針としている。2004年9月には川崎市ホームタウンスポーツ推進パートナー制定による認定を受け、さらに2006年4月にはフットサル施設「フロンタウン・さぎぬま」の指定管理者になっている。

アマチュアスポーツ[編集]

工業都市として発展した地域のため、社員・職員の福利厚生と健康増進を目的とした、市内の企業(製造業)によるスポーツチームは数多く作られてきた。とくに野球は盛んであり、そのシンボル的存在として川崎球場(開設時は川崎スタヂアム)が誕生すると都市対抗野球で数多くのチームが活躍し、また他のスポーツでも全国リーグの展開やマスメディアの発達などにより社名の宣伝効果も期待されるようになった。

だが、企業内の「非生産的部門」ということから不況による企業の経営悪化などの影響を強く受け、休廃部や市外への転出・統合も数多く発生した。しかし2004年9月に川崎市ホームタウンスポーツ推進パートナーが制定されると、プロサッカークラブの川崎フロンターレと同様に「市内のスポーツ資源」という立場を得ることになり、市の広報などでも多く扱われるようになった。

川崎市ホームタウンスポーツ推進パートナー[編集]

川崎市ホームタウンスポーツ推進パートナーは、川崎市内を本拠地としてスポーツで活躍するチームや選手を対象に川崎市が認定する制度である。

2004年認定
2005年認定
2006年認定

その他のチーム[編集]

以下は「川崎市ホームタウンスポーツ推進パートナー」には参加していないが、当市を本拠地とするスポーツクラブである。

交通[編集]

空港[編集]

市内に空港はないが、多摩川を隔てて隣接している東京都大田区に東京国際空港(羽田空港、IATAコード:HND)がある。 現在、東京国際空港の再拡張工事にともない、神奈川口として川崎区殿町地区への架橋、及び殿町地区を空港周辺区域として整備する等の検討が進められている。

東京国際空港へのアクセス[編集]

  • 鉄道
    • 京急本線(京急空港線へ直通運転あり)
  • バス
    • 新百合ヶ丘駅(直行)
    • 武蔵小杉駅横須賀線口(直行)
    • 川崎駅東口(一般路線バス)

成田国際空港へのアクセス[編集]

  • 鉄道
    • 京急本線(都営浅草線・京成線へ直通運転あり)
    • JR東日本横須賀線(直通運転あり)
  • バス
    • 新百合ヶ丘駅(直行)

鉄道線[編集]

東日本旅客鉄道(JR東日本)
東海道線
京浜東北線
  • - 川崎駅 -
南武線
南武線支線
鶴見線
鶴見線大川支線
横須賀線湘南新宿ライン
武蔵野線(市域内の部分は主に貨物線として利用され、旅客駅はない。旅客営業は臨時列車のみ)
斜体で示した駅は、JR特定都区市内制度の「横浜市内」駅として扱われる。
京王電鉄(京王)
相模原線
小田急電鉄(小田急)
小田原線
多摩線
京浜急行電鉄(京急)
本線
大師線(全線)
一部ルート変更の上で地下化される予定で、2005年に一部着工。
東京急行電鉄(東急)
東横線
目黒線
  • - 新丸子駅 - 武蔵小杉駅 - 元住吉駅 -
田園都市線
大井町線
  • - 二子新地駅 - 高津駅 - 溝の口駅

索道線[編集]

よみうりランドゴンドラリフト (スカイシャトル)
(京王口ステイションは稲城市) - 山頂ステイション

廃止路線[編集]

川崎市交通局
  • 川崎市電(廃止) : 現在の京急川崎駅前から臨海部の工場地帯にかけて路線があった。1944年開業、1969年全廃。現在でも市電通りという通りがある。
  • トロリーバス(廃止) : 川崎駅前から臨海部の水江町まで運行。1951年開業、1967年廃止。
小田急電鉄(小田急)

計画中の路線[編集]

  • 川崎縦貫高速鉄道 : 1960年代より都市交通の骨格として政府の答申で必要性が謳われ、2000年の運輸政策審議会答申第18号では「目標年次(2015年)までに開業することが適当である路線」 (A1) に位置づけられた。2001年には川崎市が鉄道事業許可を取得し環境アセスメント調査まで実施していたが、当時の厳しい経済環境を反映して着工が延期された。しかし、川崎市の大型公共施設が集積する等々力緑地、及び横須賀線新駅の建設が決まり交通結節点として重要度が増した武蔵小杉駅を経由するルートに変更する事にし、既に取得した鉄道事業認可を一旦返上。目下、新ルールでの事業認可に向けた調整が行われている。

構想中の路線[編集]

バス路線[編集]

川崎市バスがほぼ全域で運行されているほか、概ね臨港バスが臨海部から東横線周辺まで、東急バスが川崎駅から小田急線まで、小田急バスが小田急沿線でそれぞれ運行している。また、横浜市営バスが川崎駅西口に、神奈川中央交通が登戸に週1日(1往復)・柿生周辺に週1日(2往復)乗り入れてくる。

乗車方法はは前乗り後降り先払い方式、運賃は均一制であり、2010年4月現在200円であるが、横浜市営バスは210円である。また、民営バスで東京都区内、東京多摩地区または横浜市内にまたがって運行する路線は、乗車時に事前に降車停留所を申告して運賃を支払う多区間制を採っている。なお神奈川中央交通の淵24系統は乗車方法が中乗り前降り後払い方式で、運賃は整理券を用いた区間制である。すべての路線においてPASMOSuica(非接触型ICカード)が利用できる。

※は路線乗り入れのみで、川崎市内に所在しない営業所。

道路[編集]

高速道路
一般国道
主要地方道
一般県道

名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事[編集]

寺社[編集]

参道は日本の音風景100選に選ばれている。
金山神社
  • 女躰大神、幸区幸町
  • 女體神社、幸区紺屋町
  • 日枝大神社
  • 大師稲荷神社
  • 天満天神社
  • 鹿島大神
  • 身代わり不動
  • 信行寺(春秋苑)
  • 琴平神社
  • 高石神社
  • 常楽寺(まんが寺、日本まんが博物館)
  • 天照皇大神幸区南加瀬
  • 天照皇大神宮、中原区井田中ノ町

博物館[編集]

美術館[編集]

音楽[編集]

レジャー[編集]

名所[編集]

公園[編集]

イベント[編集]

  • かわさきロボット競技大会
  • 下麻生不動院だるま市
  • 多摩川花火大会
  • 稲毛神社山王祭
  • KAWASAKIしんゆり映画祭
  • しんゆり芸術フェスティバル
  • かわさき市民祭り
  • ファンタジーかわさきインナイト
  • かわさきロボット大会
  • In Unity
  • フェスタ サマーミューザ
  • 交流の響き
  • アジア交流音楽祭
  • Kawasaki Street Music Battle
  • 全国手づくり楽器アイデアコンテスト
  • かなまら祭り
  • 川崎国際環境技術展

関連番組[編集]

テレビ[編集]

ラジオ[編集]

  • KAWASAKI CROSSING(FMヨコハマ
  • 土井里美のかわさき・みつけた(ラジオ日本
  • 音楽のまち・かわさき(ラジオ日本)

舞台にした作品[編集]

映画[編集]

御意見無用・爆走一番星・望郷一番星・天下御免・男一匹桃次郎・一番星北へ帰る・熱風5000キロ・故郷特急便

ネットシネマ[編集]

テレビドラマ[編集]

漫画[編集]

テレビアニメ[編集]

有限会社アカマツ工業の所在地であることが『勇者王ガオガイガーFINAL』小説版で明らかになっている。

[編集]

東芝硬式野球部川崎フロンターレの応援でそれをアレンジしたものが演奏される。

ゲーム[編集]

出身人物[編集]

ゆかりのある人物[編集]

関連項目[編集]

その他[編集]

二輪車などで著名な機械メーカー、川崎重工業とは縁もゆかりもない。

また、川崎病とも無関係である。

外部リンク[編集]

テンプレート:日本の政令指定都市