真鶴町
目次
地理[編集]
箱根火山の南東に位置し、相模湾の西を画す小さな真鶴半島と、その北の海岸部、後背の山地からなり、南東から北西に伸びた細長い形をしている。北の小田原市と南の湯河原町に挟まれる。
真鶴半島は、切り立った海岸を持つ溶岩台地である。先端は真鶴岬で、岬の先の海上に三ツ石(三つ岩)を望む。県立真鶴半島自然公園に指定されている。町域は全般に起伏が多く平地が少ない。緩い傾斜面を持つ半島の付け根に市街があり、その北西に真鶴駅、南東に真鶴港がある。市街の北の山には採石場が多い。北部海岸沿いの丘陵はミカンの栽培が盛んである。町の北西部は、箱根火山の外輪まで続く山地の一部である。
- 岬: 真鶴岬
- 島: 三ツ石(三つ岩)、大根
隣接する自治体[編集]
人口[編集]
600px | |
真鶴町と全国の年齢別人口分布(2005年) | 真鶴町の年齢・男女別人口分布(2005年) |
■紫色 ― 真鶴町
■緑色 ― 日本全国 |
■青色 ― 男性
■赤色 ― 女性 }} |
真鶴町(に相当する地域)の人口の推移 テンプレート:人口統計/14 | |
総務省統計局 国勢調査より |
行政[編集]
市町村合併について[編集]
真鶴町は湯河原町と、2005年1月を目処に合併を目指していたが、真鶴町で行われた合併の賛否を問う住民投票で僅差で反対が上回り、合併は中止になった。真鶴町民の十分な理解が得られなかった背景には、「新市名が湯河原市となる」「これまでなかった都市計画税が新たに徴収される」等の要因が挙げられる。詳細は湯河原市参照。
「真鶴」の読み方について[編集]
「真鶴」(自治体名)は、現在は「まなづる」と読むのが正しい。自治体名の読み方は、岩村と合併した際の昭和31年9月30日官報で「まなづる」として告示されている。しかし、その後発行されている『全国市町村要覧』等の各種文献では「まなつる」と記載されている。真鶴町ではこの経緯を調査したが、合併告示の処理の際に誤記があった、昭和37年に自治体名の読み方を「まなつる」に変更した、などいくつかはっきりしない情報があるのみで、確かな事実は判明しなかった。いずれにしても、地元で「まなつる」と澄んで読む人はいないとのことであり、2005年(平成17年)に一般的な発音である「まなづる」に自治体名を変更し、総務省に届け出た。[1][2]
字名については、昭和31年11月9日神奈川県公報にて「まなつる」と告示され、今に至っている。これについても、湯河原町との合併協議[3]や自治体名変更の際に、「まなづる」に統一することも検討されたが、湯河原町との合併が破談に終わったこと、上記の通り告示の経緯が不明であったことなどから、「まなつる」のままである。[4]よって、「真鶴町真鶴」は「まなづるまちまなつる」と読むのが、地名としては正確である。
なお、東海道本線の真鶴駅、および真鶴道路(真鶴ブルーライン)の「真鶴」の読み方は「まなづる」である。
財政[編集]
平成18年度[編集]
- 財政力指数 0.64 神奈川県市町村平均 1.05
- 経常収支比率 89.5%
- 標準財政規模 17億6000万円
- 人口一人当たり人件費物件費等決算額 15万3592円 神奈川県市町村平均 10万3215円
- 人口一人当たり地方債現在高 32万6879円 普通会計分のみ 神奈川県市町村平均 47万6542円
- 実質公債費比率 9.9% 神奈川県市町村平均 19.5%
- 人口1000人当たり職員数 9.94人 神奈川県市町村平均 6.59人
- 内訳 一般職員85人(うち技能労務職 6人) 教育公務員3人 合計88人
- 町職員一人当たり平均給料月額 31万1200円 すべての職員手当を含まない数字
- 町職員一人当たり人件費概算値(年額)880万6477円
- ラスパイレス指数 89.7 全国町村平均 93.9
地方債等の残高
- 1普通会計分の地方債 28億9300万円
- 2特別会計分の地方債 29億1300万円
- 3関係する一部事務組合分の債務 2億9000万円 (債務x負担割合 湯河原町真鶴町衛生組合分)
- 湯河原町真鶴町衛生組合、神奈川県市町村職員退職手当組合、神奈川県後期高齢者医療広域連合
- 4第三セクター等の債務保証等に係る債務 0円
- (財)かながわ海岸美化財団
地方債等の残高合計 60億9600万円 (連結会計)
- 真鶴町民一人当たりの地方債等残高 68万8969円
歴史[編集]
- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制の施行により、真鶴村が岩村飛地を加えて単独村制。ただし本村の飛地は岩村、福浦村に編入。岩村・福浦村との町村組合が発足し、真鶴村外2ヶ村役場を本村に設置。
- 1927年(昭和2年)10月1日 - 町制施行。真鶴村外2ヶ村役場が真鶴町外2ヶ村役場となる。
- 1946年(昭和21年)7月27日 - 真鶴町外2ヶ村組合が解散。
- 1956年(昭和31年)9月30日 - 岩村と合併し、改めて真鶴町が発足。
教育[編集]
小学校[編集]
- 真鶴町立まなづる小学校
- 2005(平成17)年4月1日に真鶴小学校と岩小学校を統合し、新設された。
- 校舎などは、真鶴小学校のものを使用し、校歌は新たに作られた。
中学校[編集]
- 真鶴町立真鶴中学校
経済[編集]
産業[編集]
水田がなく、北部海岸近くの丘陵にミカンの果樹園が広がる。2000年の販売農家数は44戸で、経済的にも就業構造から見ても農業は微々たるものである。かつては真鶴港からの漁業が盛んだったが、これも衰えを見せている。真鶴を特徴づける産業は、中世までさかのぼる小松石の採掘である。加えて観光業が振興されている。
- 産業別就業者数 (2000年)
第1次産業 | 98人 | |
第2次産業 | 1,259人 | |
第3次産業 | 3,224人 |
- 漁業
交通[編集]
鉄道路線[編集]
また、東海道新幹線が小田原駅 - 熱海駅間で約 1.1km にわたって真鶴町を通過しているが、すべてトンネル区間となっている。
東海道本線の開通以前は、人車鉄道・軽便鉄道の豆相人車鉄道→熱海鉄道も1896年~1923年にかけて存在していた。
路線バス[編集]
道路[編集]
名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事[編集]
- 名所・旧跡・観光スポット
- 真鶴半島自然公園
- 真鶴半島沿岸に生息するウメボシイソギンチャクとサンゴイソギンチャクは神奈川県指定天然記念物である。岩場に生え繁茂した松などが海面に影を作り程よい漁礁を作っている。魚つき林であり関東一円の小中学校から社会科見学・自然観察として訪れることが多い。
- 三ツ石(三つ岩、真鶴岬)
- JR真鶴駅からケープ真鶴行きバスで終着下車20分もしくはタクシー10分、または徒歩60分。初日の出を見る絶景地点。満潮時は海岸より先に三つの岩が突き出ている島だが干潮になると地続きとなり三ツ石まで歩く事ができる。陸から向かって左の大岩には頂上付近に小さな社があり、左右の大岩はしめなわで結ばれている。陸上生物はアリが生息している。また、遊歩道口には、幕末小田原藩の砲台跡がある。
- 付近にかつて、真鶴水族館が存在した。
- 琴ヶ浜
- 貴船神社
- 真鶴魚座
- 真鶴半島遊覧船
- 鵐窟(しとどのいわや)(石橋山の戦いの挙兵に失敗した源頼朝が隠れ、後、房総へ退避した。)
- 荒井城址公園
- 岩海水浴場
- 真鶴町立遠藤貝類博物館
- 小松石(小松山、本小松石)先代石工の碑(黒田長政顕彰碑)
- 日産マリーナ真鶴
- 祭事・催事
- 貴船神社の例大祭で、国の重要無形民俗文化財に指定。日本三船祭の一つである。例年7月27・28日の二日間にわたって行われる。
著名な出身者[編集]
まちづくり条例[編集]
リゾートマンション計画をきっかけに制定された「真鶴町まちづくり条例」(1993年制定、翌年施行)は、まちづくり計画として「美の原則」「美の基準」、開発や建築を行うときのルール、議会の役割や住民参加などを定めている。まちづくりを条例で規定した例として、全国的に先駆的な事例で、「美」を法令上規定することも異例であった。「美の原則」のデザインコードはチャールズ皇太子の『英国の未来像 建築に関する考察』やクリストファー・アレグザンダーのパタン・ランゲージの発想を参照している。
なお、真鶴町は2005年、市町村で初めて景観法に基づく景観団体になり、2006年に景観計画を告示した。
脚注[編集]
- ↑ 真鶴町企画調整課、2005年聞き取り
- ↑ 『全国市町村要覧』では、平成17年度版より「まなづるまち」と表記されている。
- ↑ 湯河原町真鶴町合併協議会 合併協定項目「町名・字名の取扱い」
- ↑ 真鶴町企画調整課『第4次真鶴町行政改革大綱(行財政改革と集中改革プラン)平成19年度実施計画取組結果及び平成20年度実施計画』、2009年