文化放送
この項目では、日本のラジオ局について説明しています。韓国の同名の放送局については「文化放送 (韓国)」をご覧ください。 |
株式会社文化放送(ぶんかほうそう)は関東広域圏を放送対象地域とするラジオ局である。英称はNippon Cultural Broadcasting inc.。略称は英称の頭文字からNCBとなっているが、現在ではほとんど用いられず、専らコールサインよりQRを使用している。局のキャッチコピーは「ダイジナコト」(2007年現在)。
株式会社文化放送 Nippon Cultural Broadcasting inc.
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種類 | 株式会社 |
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市場情報 | |
略称 | NCB(QR) |
本社所在地 | 105-8002 東京都港区浜松町1丁目31番地 文化放送メディアプラス |
電話番号 | 03-5403-1111(代表) |
設立 | 1956年(昭和31年)2月14日 |
業種 | 情報・通信業 |
事業内容 | 一般放送事業など |
代表者 | 代表取締役社長 三木明博 |
資本金 | 1億9,200万円(2004年3月31日現在) |
売上高 | 181億4,000万円(連結売上高、2004年3月期実績) |
総資産 | |
従業員数 | 166人(2004年3月31日現在) |
決算期 | 毎年3月31日 |
主要株主 | 聖パウロ修道会29.5%、集英社16.8%、小学館、講談社、大日本印刷、光文社、集英社、東映、家の光協会など |
主要子会社 | キューアールシー、セントラルミュージック、文化放送キャリアパートナーズ、文化放送キャリアゲート、AG ONE、文化放送メディアブリッジ |
関係する人物 | 渋沢敬三、水野成夫 |
外部リンク | http://www.joqr.co.jp/ |
特記事項:1956年2月13日までは財団法人日本文化放送協会が運営。翌日、同協会から事業継承。 2006年7月19日に東京都港区浜松町に本社移転 |
目次
概説[編集]
元々はカトリック修道院「聖パウロ修道会」が、カトリックの布教を目的に、1951年に設立した財団法人「日本文化放送協会」であった。1956年に、現在の株式会社に改組。
ニッポン放送と長く提携関係にあり、ニッポン放送とともに、ラジオネットワーク「NRN」のキー局を務めている。以前は旺文社が資本参加していたため、夜間を中心に、受験や英会話など教育系の番組が多かったが(その名残か、現在も民間放送教育協会に加盟している)、1995年を境に番組編成を転換し、現在ではアニメ関連の情報番組など、アニメファンに向けた番組(アニラジ)が多くなっている(詳細は文化放送 アニメ&ゲームゾーンを参照)。また、テレビ東京グループのアニメ専門のCS放送局・エー・ティー・エックスにも出資している。
プロ野球中継は在京民放AM局で唯一、埼玉西武ライオンズのナイター中継を平日に放送しているのが、大きな特色である。土日は、読売ジャイアンツ戦を中心に放送している(詳細は文化放送ライオンズナイター、文化放送ホームランナイターの項を参照)。
自社オリジナルソングとして『QRソング』(作詞・野坂昭如 作曲・いずみたく)がある(詳細は『QRソング』の記事を参照ののこと)。
ニッポン放送と共同出資で、フジテレビジョンを設立した経緯から、フジサンケイグループの一員であるが、文化放送本体と関連会社などを含めた文化放送グループは、フジサンケイグループに含めない場合もある。従ってロゴマークは所謂「目玉マーク」を用いず、「文化放送」および「JOQR」を図案化したものを使用している。
その一方で、かつては旺文社が文化放送株式の35%強を保有する大株主であり、同時に日本教育テレビ(NETテレビ、現在のテレビ朝日)の大株主でもあった事から、1978年にテレビ朝日専務の岩本政敏が文化放送の社長に就任し、以降、テレビ朝日との関係が生じる。旺文社との絶縁後は、フジテレビと復縁し、再び協調関係が生まれているが、テレビ朝日との間にも依然として、様々な面での交流が続いている。
また、埼玉西武ライオンズの中継を通して、西武グループとの関わりがあり、2004年秋頃の西武鉄道株問題に係る一件では、堤義明の要請を受け、コクド(2006年プリンスホテルに吸収合併)より西武鉄道株式を購入していた。当初2003年の株式公開を目指していたが、2005年2月のライブドアによるニッポン放送株取得・筆頭株主化という事例等から見送られた。
教会や聖堂を思わせる四谷(東京都新宿区若葉1丁目5番地)の旧社屋は文化放送開局以来の物で、教会を改築して、内部に聖堂や聖歌隊のスペースも有り、キリスト教(カトリック)放送局であった事の名残をうかがわせていたが、老朽化により、2006年7月24日をもって、放送業務が浜松町の新社屋に移転した。
放送局概要[編集]
- 本社演奏所 〒105-8002 東京都港区浜松町1丁目31番地 文化放送メディアプラス
- 周波数 1134kHz(AMステレオ放送)
- 出力 100kW
- 開局 1952年3月31日
- コールサイン JOQR
- 代表取締役社長 三木明博
- 5:00起点の24時間放送
- 日曜深夜1:30(2007年9月までは深夜2:00)~月曜早朝5:00は放送休止。但し、スペシャルウィーク(聴取率調査期間)中は、日曜も24時間放送を行う場合がある。また、どの放送局でもたとえ24時間放送を行う場合であっても、毎日起点の午前5時前には区切りとしてオープニングがあるものだが(コールサインや出力を言う)、同局のオープニングは月曜早朝5時の休止明けの放送開始時のみ。
- 第1週の日曜深夜の放送終了(QRソング)後、緊急警報放送の試験信号放送を実施。ただし、第1週の日曜深夜が24時間放送を行う場合、第2週の日曜深夜に振り替えて実施。
- 送信所 埼玉県川口市赤井3-9-16
- かつてはNHK東京第一(JOAK)、第二放送局(JOAB)の送信所だった。敷地内には桜の木が多数植えられており、春には花見客に開放される。また、社員も、新入社員を中心に利用する。
- 出力がTBSラジオ・ニッポン放送と共に、民放AMラジオ局で最も大きく、関東以外でも、広域関東圏(福島県・山梨県・長野県・新潟県・静岡県)・愛知県などで終日受信可能。
- 夜間は、東京近郊を含む放送エリア内でも、韓国のKBSのKBS韓民族放送(出力500kw)と混信する地域がある。KBS韓民族放送は朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)向けの公然宣伝放送局であり、中華人民共和国東北部やサハリンの韓国系住民も聴取者としているため、高出力の放送を行っている。また、西日本などでは、KBS京都の周波数が隣接しているため、混信の可能性がある。南方諸島では、電波を電離層が反射して届く夜間のみの受信に限られる地域がある。秋田県の大潟村付近などの東北地方の一部では、夕方に比較的良好に受信可能。
- また、浜松町送信所が非常用に設置されており、川口送信所が非常の際には出力1kWで送信される。
- 送信空中線 136.69m支線式円管柱(施工電機資材工業)
- 放送機 1993年更新時RM-2000シリーズ50kW×2(東芝)3kWユニット 3kW変調増幅器(MO)で終段にはMOSFET 2SK1745×13本、3KW電力増幅器(PA)同2SK1745×4本、使用FET総数1320本
- STL 出力100mW、2m鏡面(プレート)パラボラ、LINEはNTTデジタル回線(192kbps、コーデックはAPT)
- 電源 6600V2系統を受配電盤、一部を高圧受電盤にて200Vに変換(200V用は主に冷却用空調機向け)
- 非常用電源 自家発電装置500KVA(クボタ)
- 送信局舎 鉄筋コンクリート2階 1階は送信機、ダミー盤室、自家発電室、受電室、整合器室etc、2階はフィルター室、冷却用送風機etc
- 備考 1993年まで管球式送信機4台[うち送信管9F45(東芝製)1本(150kW)使用を1台]。1993年に完全個体化に更新。3月29日に火入れ式を行い正式運営。この更新に合わせて、送信局舎も1階約212㎡、2階約94㎡戸田建設施工で増築した。アースも240本新たに張り巡らした。
沿革[編集]
- カトリック修道会「聖パウロ女子修道会」は、パウロ・マルセリーノ(パオロ・マルチェリーノ)神父(聖パウロ修道会日本管区長)の発案でマスメディアによるカトリックの布教を目的に放送局の設置を計画。電波法5条に抵触しないようマルセリーノ神父は帰化し「丸瀬利能」に改名。
- 1948年12月 - 逓信省電波局に、「財團法人セントポール放送協會」(「セントポール」は聖パウロの英語読み)の設立許可を申請。1949年には東京都新宿区若葉1丁目5番地の旧社屋の建築を開始。社屋には聖堂も設置された。
- 1951年1月 - 電波監理委員会に「無線局免許申請書」を提出。電波監理委員会が宗教放送に難色を示したため、東京ラジオセンター、ラジオ東都との免許申請一本化が促された。2月13日「財団法人日本文化放送協会」と改称、4月21日予備免許交付。12月には埼玉県川口市の送信所敷地内に修道院が設置された(1952年末閉鎖)。
- 1952年3月31日 - 午前5時30分より全国9番目、東京で2番目の本放送開始。周波数1310kc、出力10kWだったが、1953年8月15日に1130kcに変更。民放には珍しく『大学受験ラジオ講座』などラジオ教育番組の放送が、教育出版で知られる旺文社がスポンサーとなって開始される。
- NHKのレッドパージ組を大量採用した事が原因で放送開始直後から常に労働争議に悩まされ、これがもとで経営状態が悪化。聖パウロ修道会は経営から手を引くこととなった。代わって東京急行電鉄や旺文社等財界・出版界の出資による株式会社文化放送が1956年に設立され、2月14日事業が引き継がれた。時の経団連理事・国策パルプ社長(後の産経新聞社長・フジテレビ初代社長)水野成夫が社長に就任。
- 1956年6月22日 - 日本フィルハーモニー交響楽団を結成。専属とする(1972年6月30日に解団)。
- 1957年 - 東京地区のテレビ免許割り当てで、ニッポン放送と共同でフジテレビジョンを設立した。以来、ニッポン放送やフジテレビとの提携関係が現在まで続いており、1967年にはフジサンケイグループを合同で組織する。
- 1965年 - ニッポン放送などと共同で全国民放ラジオ31社を結ぶ全国ラジオネットワーク(NRN)発足。
- 土曜・日曜でのナイター中継を本格的にスタート(当時は東海ラジオ放送(土日)、毎日放送(土)、朝日放送(日)、中国放送(裏送り)のネットワーク)。
- 『真夜中のリクエストコーナー』スタート(現在の深夜放送の草分け)。
- 1967年4月3日 - 24時間放送開始(東京キー局では、ニッポン放送に続いて、2局目)。
- 1968年 - 『新宿音楽祭』開始(フジテレビ共催。歌手の新人賞の一つ)。
- 1968年11月18日 - 深夜放送『日野ミッドナイトグラフィティ 走れ!歌謡曲』開始。
- 1969年6月2日 - 深夜放送『セイ!ヤング』開始。
- 1973年 - 大相撲中継を復活。『大相撲熱戦十番』を放送(ラジオ大阪との共同制作)。
- 1976年 - 産業経済新聞社と東京急行電鉄の保有株式が旺文社に売却され、旺文社が大株主だった日本教育テレビ(NETテレビ、現在のテレビ朝日)に接近、フジサンケイグループ色が薄まる。
- 1977年 - 『日本大相撲トーナメント』(日本相撲協会・フジテレビ共催)開始。
- 1978年 - 当時のテレビ朝日専務の岩本政敏が文化放送の社長に就任し、文化放送とテレビ朝日との交流が本格的になる。
- 1978年11月23日 - ITU(国際電気通信連合)の取り決めで周波数が9kHzステップへ移行。それに伴い、午前5時をもって、周波数を1134kHzに変更。
- 1980年10月6日 - 夜ワイド『吉田照美の夜はこれから てるてるワイド』開始。
- 1982年4月5日 - 平日のナイター中継『文化放送ライオンズナイター』を開始(当初のタイトルは『ライオンズDJ』)。
- 1987年4月3日 - 『吉田照美のふッかいあな』終了。
- 1987年4月6日 - 昼ワイド『吉田照美のやる気MANMAN!』開始。
- 1992年3月15日 - 午前9時からAMステレオ放送の本放送を開始。
- 1994年1月2日・3日 - 『第70回東京箱根間往復大学駅伝競走(箱根駅伝)』を放送。以後毎年放送される(日本テレビ協力)。
- 1995年4月2日 - 大株主の旺文社が、スポンサーの『大学受験ラジオ講座』が放送終了。
- 1999年6月10日 - 時の記念日に時報の音がピ・ピ・ピ・ポーンから「QRソング」をアレンジした物へと変更される(ただし、現在でも野球中継の時間に流れる時報は従来のものである。また、浜松町移転後は午前5時から夕方6時にかけて時報音の後に鐘楼の音が付け加えられている)。
- 2000年12月1日 - BSフジの超短波放送チャンネルの一つ、同局が制作を担当する「BSQR489」の放送開始。
- 2001年 - 20%強保有していたフジテレビ株式の大部分を外部に売却し、その売却益で旺文社が持つ全ての自社株式を購入。直ちにこれを償却して、旺文社と絶縁。一層独自色が強まる(なお、残余金は浜松町新社屋の建設資金に充当された)。
- 2003年10月10日 - デジタルラジオ推進協会が地上デジタルラジオの実験放送を開始。そのチャンネルの一つ、DigiQ+N 93 をNACK5やテレビ朝日と共同で制作開始(テレビ朝日はその後撤退)。
- 2005年9月16日 - ポッドキャスティングサービス、「Podcast QR」を開始。
- 2006年3月15日 - 秋葉原の「東京アニメセンター」にサテライトスタジオを開設。
- 2006年3月31日 - BSフジの超短波放送チャンネル撤退にともない、「BSQR489」の放送が終了。
- 2006年7月19日 - JR浜松町駅北口近くに新築した新社屋「文化放送メディアプラス」へ移転、2006年7月24日13時の『吉田照美のやる気MANMAN!』から新社屋での放送業務開始。新宿区若葉の旧社屋は解体。
- 2007年1月10日 - 社内の機構改革により、アナウンサーがスポーツ中継の番組制作も担当するという、いわゆるアナデューサー形態を取る体制を発表。男性アナウンサー8人がアナウンス部からスポーツ部へ異動となった。それに伴い、それまでの番組ディレクターなどはスポーツ部を離れ他部へ異動となり、スポーツ部はスポーツアナウンサーだけで運営する部署となった。
- 2007年3月12日 - DigiQ+N 93 にて、アニメ・ゲーム・声優関連の番組枠Voice of A&G Digital 超ラジ!を開始
- 2007年3月30日 - 『吉田照美のやる気MANMAN!』終了。20年の歴史に幕。
- 2007年4月2日 - DigiQ+N 93のステーションネームを、UNIQue the RADIOに変更
- 2007年9月3日 - UNIQue the RADIOを大幅に改編し、アニメ・ゲーム・声優関連番組は専門のチャンネル超!A&G+に独立させる
キャッチコピーの変遷[編集]
- ~1984年頃 - 不明
- 1984年頃~1987年頃 - 楽しさイメージ無限大、文化放送
- 1987年頃~1989年頃 - 1134、イイザンス
- 1989年頃~1990年頃 - アッと言わせる 文化放送
- 1992年3月~1993年3月 - ステレオ文化放送
- 1993年4月~1994年3月 - 不明
- 1994年4月~1997年3月 - しあわせ、いっしょ。福ミミラジオ
- 1997年4月~1999年3月 - 熱愛発覚
- 1999年4月~2001年3月 - 新世紀ステーション 文化放送
- 2001年4月~2002年3月 - 文化おもしろ革命ィ~ッ!
- 2002年4月~2003年3月 - どっきん!? 文化放送
- 2003年4月~2006年3月 - ファミリー! 文化放送
- 2006年4月~2007年3月 - おつきあい 文化放送
- 2007年4月~ - ダイジナコト 文化放送
基本的には、1960年に製作されたテーマソング『QRソング』のイメージが強く、キャッチコピーは定着しないまま、短命に終わったものが多い。
1984年以前は『QRソング』に加え「報道の文化放送」というイメージが強かった。当時の平日の夜間時間帯は、教会側の意向で、ニュースや『大学受験ラジオ講座』『百万人の英語』といった報道や教育系の硬い番組が並び、深夜の『セイ!ヤング』へ繋がっていた。
なお、ステーションキャラクターとして、「チャッタくん」があった(1997年4月より使用。『QRソング』冒頭の一節「聴いちゃった」と「チャット」を掛け合わせたものである。名称は公募で決定。あまり定着せず、現在は使用されていない)。
番組[編集]
- 一般番組は文化放送番組一覧、アニメ系番組は文化放送 アニメ&ゲームゾーンをそれぞれ参照。
在籍中のアナウンサー[編集]
※名前は通常の番組で使われているもの。ニックネームがある場合は「」で掲載。
アナウンス部所属[編集]
- 男性
- 女性
スポーツ部所属[編集]
- 男性
報道制作部所属[編集]
- 女性
在籍していたアナウンサー[編集]
男性[編集]
- 玉置宏
- 細田勝
- 佐藤やすし(佐藤靖)
- 桂竜也
- 土居まさる(平川巌彦)
- 月岡逸弥
- みのもんた(御法川法男)
- 戸谷真人
- 大野勢太郎(大野正)
- 中田秀作
- 小森法孝(→北日本放送へ移籍)
- 坂信一郎
- 梶原茂(現・梶原しげる)
- 吉田照美
- 青柳秀侑(現・映画評論家)
- 矢野吉彦
- 倉林由男(→日本テレビへ報道局記者として移籍。後にNNN事務局長を経て、現在ラジオ日本へ制作部長として出向。)
- 傳井靖 (→NHKへ記者として移籍)
- 北川義隆
- 西山弘道(現・フリージャーナリスト、平河総合戦略研究所理事)
- 鈴木敏(すずきびん、本名 敏夫(としお)現在は報道部デスク・国会キャップ)
- 高橋民夫(現在は報道部、都庁担当記者)
- 白井静雄(現在は報道部)
女性[編集]
- 岡田苑子
- 落合恵子(作家、クレヨンハウス主宰)
- 小俣雅子(フリーアナウンサー、エッセイスト)
- 残間里江子(プロデューサー)
- 玉井美穂子
- 永野景子(報道部記者)
- 成田敦子
- 藤木千穂(営業部)
- 中西啓子
- 丹羽孝子
- 佐原裕子
- 橋本美紀
- 鈴木寛子
- 佐々木なほ子
- 前場美保子
その他[編集]
報道制作部[編集]
「ニュースパレード」を始めとするニュース報道を担当。 スクープも多い。
1970年11月25日午前、三島由紀夫が市ヶ谷の陸上自衛隊駐屯地に立て篭り演説をしたが、これを全部録音したのは文化放送だけだった。
駆けつけた記者が、マイクを木の枝に縛りつけて録音したエピソードは伝説となっている。
記者会見やインタビューの際テレビに映る、明朝体で「文化放送」と白く書かれたマイクはトレードマークである。
現在は報道担当記者らが、ほぼ毎日書き綴るブログが 他の報道機関からも評判となっている。 (文化放送報道部日記) http://www.joqr.co.jp/blog/news/
時報[編集]
- 不明~1977年3月、1978年10月10日~1979年12月31日
- 鐘の音にポーン。鐘の音は「ウエストミンスターの鐘」に似た音階だった。当時は同様な時報をラジオ関東でも行っていた。
- 1977年4月~1978年10月9日
- ポーン音のみに。この頃の時報スポットには色々な鳥の声が流れてた。
- 1980年1月1日~1998年6月9日
- ポッ、ポッ、ポッ、ポーンというノーマルなものに。現在はスポーツ中継や番組中に正時跨ぎする時のみに流れる。
- 1998年6月10日~
- オルゴール風のいわゆるQRソングのメロディにポーン。
CM[編集]
- 月曜5:00から土曜24:00まで(プロ野球などのスポーツ中継中は除く)の時報CMはスジャータのめいらくグループが提供している。それ以外の時間は別のスポンサー(2007年5月現在日曜10:00はコトブキP-マン(ここだけポーン音のみ)11:00は本家ちちや(草津温泉饅頭)12:00~14:00は新進食品工業)やスポンサーなしの時報が流れている。このスジャータの時報は他にHBCラジオ・TBCラジオ・CBCラジオ・MBSラジオ・RKBラジオでも放送されている。
- 埼玉県の企業・自治体のCMが在京ラジオ局ではTBSラジオに次いで多く放送されている。
- 2005年10月以降は以前同局の平日夜ワイド番組内でスポットCMを流していた牛乳石鹸共進社(~1994年秋頃)のラジオCMが土曜日を除き毎日朝~夕方までの時間で流れている。(スポットCM,PT扱い)なお放送時間はおおむね、日曜日のみ10:00前後の1回。月曜日から金曜日は3~4回。
- かつては日曜午後~夕方にマルキン自転車、平日朝にオリコなど数多くのスポンサーがCMを流していたが、次々と撤退している。(原因や理由は不明。)
「文化放送」を冠した放送局[編集]
いずれもテレビ単営局であり、それぞれの局とは資本や人事面で直接の関係はない。
過去には「北陸文化放送」(現・北陸放送 - テレビはJNN、ラジオはJRN・NRN系列)もあった。また、大阪放送(ラジオ大阪 - NRN系列の準キー局)も開局前に「大阪文化放送」を名乗っていた。国外では韓国に同名の文化放送(MBC)(テレビ・ラジオ兼営)が存在する。
関連項目[編集]
グループ・フジサンケイグループ・系列放送局[編集]
詳細については以下の項目を参照のこと。
- グループ各社に関して・・・「文化放送グループ」
- フジサンケイグループ各社に関して・・・「フジサンケイグループ」
- 系列放送局各社に関して・・・NRN
関係している放送事業者[編集]
この項では、文化放送と資本的関係はないものの業務的に関係のある放送事業者を挙げる。
埼玉西武ライオンズ戦に関係する放送事業者[編集]
- NACK5
- テレビ埼玉(テレ玉/独立局&首都圏トライアングル)
その他[編集]
- ラジオ
- テレビ
- テレビ朝日(元の名称は、日本教育テレビ(NET)。旺文社資本や教育局として開局した経緯など、共通点が多い)
- テレビ東京(AT-Xの出資や一部アニラジとアップフロントグループのハロー!プロジェクトなどを通じて関係があるが、直接の資本関係はない)
- 日本テレビ(箱根駅伝中継や各種イベントなどで、協力体制にある)
外部リンク[編集]
※文化放送の公式サイトは、http://joqr.net/ でもアクセスが可能。なお、joqr.netは主にメール用ドメインとして使用されている(例:○○@joqr.net)