リクルート事件

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リクルート事件(リクルートじけん)は、値上がり確実であったリクルートコスモス(現 コスモスイニシア)社の未公開株賄賂として受け取ったとして、政治家官僚らが次々に逮捕された日本汚職事件である。

事件概要[編集]

経緯[編集]

関係者への判決[編集]

政界ルート
文部省ルート
  • 高石邦男元文部事務次官は一審で懲役2年執行猶予3年、二審で懲役2年6ヶ月執行猶予4年。
労働省ルート
  • 加藤孝元労働事務次官は一審で懲役2年執行猶予3年。
  • 鹿野茂元労働省課長は一審懲役1年執行猶予3年。
NTTルート
  • 真藤恒元NTT会長は一審で懲役2年執行猶予3年。
  • 長谷川寿彦元NTT取締役は一審で懲役2年執行猶予3年。
  • 式場英元NTT取締役は一審で懲役1年6ヶ月執行猶予3年。
  • 元ファーストファイナンス社長は一審で懲役1年執行猶予2年。
リクルート社
  • 江副浩正元リクルート社会長は、2003年3月、東京地裁にて懲役3年執行猶予5年の有罪判決。
  • 元リクルート社長室長は一審で無罪、二審で懲役1年執行猶予3年。
  • 元リクルート秘書室長は一審で懲役2年執行猶予3年。

事件の影響[編集]

  • これまでの疑獄事件と異なり、未公開株の譲渡対象が広範で職務権限との関連性が薄く、検察当局は大物政治家の立件ができなかった。しかし、ニューリーダー及びネオ・ニューリーダーと呼ばれる大物政治家が軒並み関わった事で、“リクルート・パージ”と呼ばれる謹慎を余儀なくされ、政界の世代交代を促した(この事件が無かったら、党内事情からいって、安倍晋太郎が次期首相になった公算が大きいという意見もある)。また、事件以降「政治改革」が1990年代前半の最も重要な政治テーマとなり、小選挙区比例代表並立制を柱とする選挙制度改革・政党助成金制度・閣僚の資産公開の妻子への拡大等が導入されることになった。
  • この事件によって刑法が改正され、賄賂罪で有罪が確定した公職政治家は実刑判決ではなく執行猶予判決が出ても、公職を失職する規定が設けられた。
  • また、1989年7月の第15回参議院議員通常選挙にて、自民党は惨敗・改選議員過半数割れとなった(自民党にとって、リクルート事件、消費税導入、牛肉・オレンジの農産物自由化が“逆風3点セット”と言われ、宇野宗佑首相の女性スキャンダルも支持を減らす大きな要因と言われた)。2008年現在に至るまで、自由民主党は参院選後における参議院単独過半数を回復していない。
  • リクルートとリクルートコスモス(現コスモスイニシア)はこの事件でイメージが悪化、これにバブル崩壊が追い討ちをかけ、リクルートはダイエーに身売りされ、江副浩正はリクルートを追われることとなった。

各党の関係議員とその後[編集]

※各敬称は事件発覚当時のもの

  • 日本社会党
    • 上田卓三代議士
    • 1989年に上田議員が同事件への関与により議員辞職するも、ダメージは少なかった。参院補選・福岡県選挙区では党公認候補が当選。また都議選では社会党が大勝し、参院選で公民連の3党との選挙協力などで40議席台の大台に乗せて圧勝(第2党)した。
  • 公明党
    • 池田克也執行部副書記長
    • 池田副書記長が収賄容疑で在宅起訴され離党。1989年5月には、矢野絢也委員長が明電工事件絡みで委員長を辞任し(その後最高顧問に就任)、後任の委員長に石田幸四郎副委員長が就任するも、参院選で強い筈の公明党も事件の影響や社民連(社会党、民社党、連合)の3党との選挙協力で得票率が過去最低を記録した。
  • 民社党
    • 塚本三郎中央執行委員長、田中慶秋国会対策副委員長
    • 塚本委員長のリクルート関与疑惑が発覚し、佐々木良作顧問から辞任要求され、1989年2月に辞任。後任の委員長に永末英一副委員長が就任する(一部でこの執行部体制は、佐々木顧問が野党共闘路線を視野に入れたと言われている)。しかし、参院選では、事件の影響と社公連の3党の選挙協力などが原因で10議席台割れの惨敗となり、単独での議案提出権を失ったため、アントニオ猪木が当選したスポーツ平和党と統一会派を組んだ。(民社党・スポーツ・国民連合)
  • 日本共産党
    • 事件での影響なく寧ろこれで息を吹き返し参院補選・大阪府選挙区で新人吉井英勝候補が当選、しかし翌年の都議選や参院選では自民批判票が社会党に集中したため、伸び悩んだ。

備考[編集]

  • 本事件の「発祥の地」であるリクルートかわさきテクノピアビルは売却され、川崎テックセンターと改名。複数の外資系投資ファンドを転々とすることになる。
  • 1988年8月10日午後7時20分頃、江副浩正リクルート元会長宅に向けて散弾銃一発が発砲された。その後で赤報隊が「赤い朝日に何度も広告をだして 金をわたした」と犯行声明を出した(赤報隊事件)。ただし、リクルート社が他紙に比べ、朝日に多く広告を出していたわけではなかった。

外部リンク[編集]