大管区 (ナチ党)
大管区(だいかんく、ドイツ語:Gau、複数形:Gaue)は、ナチ党の地方組織であり、ナチス・ドイツの事実上の行政区分である。
大管区はそもそもは1925年に設置されたものであるが[1]、1934年に、ドイツ国再建に関する法の成立に基づき、それまでの行政区分である州(ラント、独:Land、複数形: Länder)の機能を、ナチス・ドイツ政府が一時停止したことに伴って、国家の行政区画としての機能を始めた。
ナチス・ドイツが滅びる1945年までに、合計で43の大管区が設置された[2]。その中には、オーストリア・チェコスロヴァキア・ポーランド・フランスなどの占領地域に設置された10個の帝国大管区と、大管区扱いとされたナチス国外大管区(NSDAP/AO、en・de)が含まれる。大管区と帝国大管区に実際の機能の差はほとんど無く、都道府県の名称の違いと同様に考えればよい。
大管区の長は大管区指導者(ガウライター、独:Gauleiter)という。ガウライターはナチス・ドイツが設置した州の首長である州総督(独:Reichsstatthalter)の役職を兼ねることもあった[1]。
ナチ党組織としての大管区[編集]
大管区はナチ党の地方組織の最大単位であり、ドイツ国内・国外(ザールラントやオーストリア等)を国会議員の選挙区に対応する30数個に分け、その下には、管区(Kreis)、支部(Ortsgruppe)、細胞(Zelle)、班(Block)と呼ばれる単位が設置されていた。最少単位の班は約50の世帯から構成されていた。
大管区と州の関係[編集]
ワイマール共和国から引き継いだ旧来の州(ラント)も、ドイツ国再建に関する法によって州議会は解散され、国家代理官が送り込まれたものの、ナチス・ドイツ時代を通じて廃止されたわけではなく、大管区と並存し続けた。州を廃止する計画は存在したが、アドルフ・ヒトラーは、地域政党の指導者たちに混乱を引き起こすことを避けたため、帝国改革(ライヒスレフォルム、独:Reichsreform)と呼ばれたその構造改革を実行しなかった。
同様の理由から、大管区の境界も同様に変更されることは無かった。大管区はナチス・ドイツが巨大化していくに従って大きくなっていった[3]。一方で州もまた存続したが、実際の権力はガウライターに属するようになり、州首相(独:Ministerpräsident)はお飾りとなった。
ガウライターはヒトラーによって直接任命され、ヒトラーにのみ責任を負った。実務面ではヒトラーからの干渉は無いに等しく、彼らは絶対的な権力者として大管区に君臨した[1]>。
大管区の一覧[編集]
大管区[編集]
- バーデン大管区(独:Baden)
- 管区都:カールスルーエ。バーデン共和国の領域から構成される大管区である。フランスの地方行政区画におけるアルザス地域圏(オー=ラン県・バ=ラン県)も後に統合された。この大管区は、帝国大管区へと改称する計画があった。詳しくは帝国大管区#フランスを参照。
- 歴代ガウライター
- バイロイト大管区(独:Bayreuth、en)
- 管区都:バイロイト。バイエルン自由州の東部から構成される大管区である。1942年に改名されるまではバイエルン=オストマルク大管区といい、1933年にオーバーフランケン大管区・オーバープファルツ大管区・ニーダーバイエルン大管区が合併して作られた。また、1929年までは、後2者はオーバープファルツ=ニーダーバイエルン大管区として統合されていた。
- 1938年のズデーテン地方要求によって、隣接するチェコスロヴァキア領(プルゼニ州クラトヴィ郡・南ボヘミア州プラハチツェ郡)が編入された。
- 歴代ガウライター
- オーバープファルツ=ニーダーバイエルン大管区ガウライター
- オーバーフランケン大管区ガウライター
- オーバープファルツ大管区ガウライター
- ニーダーバイエルン大管区ガウライター
- ハンス・シェム(de:Hans Schemm)(1928年 - 1935年)
- フリッツ・ヴェヒトラー(de:Fritz Wächtler)(1935年 - 1945年)
- ルートヴィヒ・ルックデシェル(Ludwig Ruckdeschel)(1945年)
- ベルリン大管区(独:Berlin)
- 管区都:ベルリン。プロイセン自由州のベルリン県から構成される。1929年に、マルク=ブランデンブルク大管区と合わせた領域を管轄していたベルリン=ブランデンブルク大管区から分割された。
- 歴代ガウライター
- ベルリン=ブランデンブルク大管区ガウライター
- ヨーゼフ・ゲッベルス(1929年 - 1945年)
- ケルン=アーヘン大管区(独:Köln-Aachen)
- 管区都:ケルン。1931年に、南ラインラント大管区を分割した結果作られた。プロイセン自由州のライン県の北部中央から構成される。
- 歴代ガウライター
- 南ラインラント大管区ガウライター
- 東プロイセン大管区(独:Ostpreußen、en)
- 管区都:ケーニヒスベルク。プロイセン自由州の東プロイセン県から構成される。1939年には、占領した隣接する旧ポーランド領が併合された。
- 歴代ガウライター
- クールヘッセン大管区(独:Kurhessen)
- 管区都:カッセル。プロイセン自由州のヘッセン=ナッサウ県の北半分から構成される。1934年までは、ヘッセン・北ナッサウ大管区と言った。
- 歴代ガウライター
- ヴァルター・シュルツ(de:Walter Schultz)(1926年 - 1927年)
- カール・ヴァインリッヒ(de:Karl Weinrich)(1927年 - 1943年)
- カール・ゲルラント(de:Karl Gerland)(1944年 - 1945年、事実上のガウライター)
- エッセン大管区(独:Essen)
- 管区都:エッセン。プロイセン自由州のライン県の北端から構成される。
- 歴代ガウライター
- ヨーゼフ・テアボーフェン(1928年 - 1945年)
- フリッツ・シュレスマン(de:Fritz Schleßmann)が1940年以降は事実上のガウライターとして実権を握った。
- フランケン大管区(独:Franken、en)
- 管区都:ニュルンベルク。バイエルン自由州の領域から構成される。1929年に設立された。
- 歴代ガウライター
- ユリウス・シュトライヒャー(1929年 - 1940年)
- 空位(1940年 - 1944年)
- ハンス・ツィンマーマン(de:Hans Zimmermann)が1940年から1942年まで事実上の実権を握った。
- カール・ホルツ(de:Karl Holz)が1942年から1944年まで事実上の実権を握った。
- カール・ホルツ(1944年 - 1945年)
- ハンブルク大管区(独:Hamburg)
- 管区都:ハンブルク。ハンブルク自由市から構成される。
- 歴代ガウライター
- ヨーゼフ・クラント(de:Josef Klant)(1925年 - 1926年)
- アルベルト・クレープス(de:Albert Krebs)(1927年 - 1928年)
- ヒンリヒ・ローゼ(1928年 - 1929年)
- カール・カウフマン(1929年 - 1945年)
- ヘッセン=ナッサウ大管区(独:Hessen-Nassau)
- 管区都:フランクフルト・アム・マイン。ヘッセン人民州)とプロイセン自由州のヘッセン・ナッサウ県の南半分から構成される。この大管区は、1933年にヘッセン・南ナッサウ大管区とヘッセン・ダルムシュタット大管区が合併して生まれた。
- 歴代ガウライター
- ヘッセン・南ナッサウ大管区ガウライター
- フリードリヒ・リンクスハウゼン(Friedrich Ringshausen)、(1927年 - 1931年)
- ペーター・ゲマインダー(Peter Gemeinder)、(1931年)
- カール・レンツ(Karl Lenz)、(1932年 - 1933年)
- ヘッセン・ダルムシュタット大管区ガウライター
- ヤーコプ・シュプレンガー(1933年 - 1945年)
- コブレンツ=トーリア大管区(独:Koblenz-Trier)
- 管区都:コブレンツ。1931年に、南ラインラント大管区を分割した結果作られた。プロイセン自由州のライン県の南半分から構成され、占領された旧ルクセンブルク領が編入された。それに伴い1942年にモーゼルラント帝国大管区と改名された。
- 歴代ガウライター
- 南ラインラント大管区ガウライター
- ニーダーシュレジエン大管区(独:Niederschlesien)
- 管区都:ブレスラウ。プロイセン自由州のニーダーシュレジエン県から構成される。ポーランド降伏後の1940年にシュレジエン大管区を分割して作られた。
- 歴代ガウライター
- マインフランケン大管区(独:Mainfranken、en)
- 管区都:ヴュルツブルク。バイエルン自由州の一部である、ウンターフランケン地方とマイン川流域から構成された。1935年までは、ウンターフランケン大管区という名称であった。
- 歴代ガウライター
- マルク・ブランデンブルク大管区(独:Mark Brandenburg、en)
- 管区都:ベルリン。プロイセン自由州のブランデンブルク県のベルリン周縁部を除いた部分から構成される。1929年に、ベルリン大管区と合わせた領域を管轄していたベルリン・ブランデンブルク大管区から分割された。また、1940年までは、クーアマルク大管区という名称であった。
- 歴代ガウライター
- ベルリン・ブランデンブルク大管区ガウライター
- エルンスト・シュランゲ(Ernst Schlange、1925年 - 1926年)
- ヨーゼフ・ゲッベルス(1926年 - 1929年)
- エミール・ホルツ(de:Emil Holtz)(1929年 - 1930年)
- エルンスト・シュランゲ(Ernst Schlange、1930年 - 1933年)
- ヴィルヘルム・クーベ(en:Wilhelm Kube)(1933年 - 1939年)
- エミール・シュトゥルツ(de:Emil Stürtz)、(1939年 - 1945年)
- メクレンブルク大管区(独:Mecklenburg)
- 管区都:シュヴェリーン。メクレンブルク=シュトレーリッツ自由州と、メクレンブルク=シュヴェリーン自由州から構成される。
- 歴代ガウライター
- シュレースヴィヒ=ホルシュタイン大管区(独:Schleswig-Holstein)
- 管区都:キール。プロイセン自由州のシュレスヴィヒ=ホルシュタイン県とリューベック自由市に加え、オルデンブルク自由市の外縁部から構成される。
- 歴代ガウライター
- ヒンリヒ・ローゼ (1925 - 1945)
- 南ハノーファー=ブラウンシュヴァイク大管区(独:Südhannover-Braunschweig)
- 管区都:ハノーファー。ブラウンシュヴァイク自由州とプロイセン自由州のハノーファー県の西部・南部から構成される。1928年に、北ハノーファー・南ハノーファー両大管区が合併して生まれた。
- 歴代ガウライター
- 北ハノーファー大管区ガウライター
- ベルンハルト・ルスト(1925年 - 1928年)
- 南ハノーファー大管区ガウライター
- ベルンハルト・ルスト(1928年 - 1940年)
- ハルトマン・ラウターバッハー(en:Hartmann Lauterbacher)(1940年 - 1945年)
- オーバーシュレジエン大管区(独:Oberschlesien)
- 管区都:カトヴィッツ(1939年から)。プロイセン自由州のオーバーシュレジエン県と、占領した旧ポーランド領から構成される。ポーランド降伏後の1940年にシュレジエン大管区を分割して作られた。
- 歴代ガウライター
- シュレジエン大管区ガウライター
- フリッツ・ブラハト(en:Fritz Bracht)(1940年 - 1945年)
- ヴェーザー=エムス大管区(独:Weser-Ems)
- 管区都:オルデンブルク。オルデンブルク自由市の内縁部とブレーメン州、プロイセン自由州のハノーファー県の最西部から構成される。
- 歴代ガウライター
- カール・レーファー(Carl Röver)、(1929年 - 1942年)
- パウル・ヴェーゲナー(Paul Wegener)、(1942年 - 1945年)
- 北ヴェストファーレン大管区(独:Westfalen-Nord)
- 管区都:ミュンスター。ヴェストファーレン大管区が1926年にルール大管区と名称変更し、1932年に南北ヴェストファーレン大管区に分割された。リッペ自由州とプロイセン自由州のヴェストファーレン県の北半分から構成される。
- 歴代ガウライター
- ヴェストファーレン大管区ガウライター
- ルール大管区ガウライター
- アルフレート・マイアー(en:Alfred Meyer)(1932年 - 1945年)
- 南ヴェストファーレン大管区(独:Westfalen-Süd)
- 管区都:ドルトムント。ヴェストファーレン大管区が1926年にルール大管区と名称変更し、1932年に南北ヴェストファーレン大管区に分割された。プロイセン自由州のヴェストファーレン県の南半分から構成される。
- 歴代ガウライター
- ヴェストファーレン大管区ガウライター
- ルール大管区ガウライター
- カール・カウフマン(1926年 - 1929年)
- ヨーゼフ・ワーグナー(Josef Wagner)(1929年 - 1931年)
- ヨーゼフ・ワーグナー(Josef Wagner)(1932年 - 1941年)
- パウル・ギースラー(1941年 - 1943年)
- アルベルト・ホフマン(en:Albert Hoffmann)(1943年 - 1945年)
- ヴェストマルク大管区(独:Westmark)
- 管区都:ノイシュタット・アン・デア・ヴァインシュトラーセ。バイエルン州のプファルツ地方とザールラントから構成される。1935年にザールラントのドイツ復帰が決定すると、ザールラント大管区[4]とライン=プファルツ大管区を統合してザール=プファルツ大管区(独:Saarpfalz、en)が設置された。1940年にロートリンゲン地方が併合されると、ヴェストマルク大管区へ改称された。この大管区は帝国大管区へと改編する計画があった。詳しくは帝国大管区#フランスを参照。
- 歴代ガウライター
- ライン=プファルツ大管区
- ヨーゼフ・ビュルケル(1926年 - 1935年)
- ザールラント大管区
- ヨーゼフ・ビュルケル(1933年 - 1935年)
- ヨーゼフ・ビュルケル(1935年 - 1944年)
- ヴィリ・シュテーア(en:Willi Stöhr)(1944年 - 1945年)
- ヴュルテンベルク=ホーエンツォレルン大管区(独:Württemberg-Hohenzollern)
- 管区都:シュトゥットガルト。ヴュルテンベルク自由人民州とプロイセン自由州のホーエンツォレルン県から構成される。
- 歴代ガウライター
帝国大管区[編集]
- ケルンテン帝国大管区
- 下ドナウ帝国大管区
- 上ドナウ帝国大管区
- ザルツブルク帝国大管区
- シュタイアーマルク帝国大管区
- チロル=フォアアールベルク帝国大管区(de)
- 大ウィーン帝国大管区(de)
- ズデーテンラント帝国大管区(de)
- ヴァルテラント帝国大管区(de・en)
- ダンツィヒ=西プロイセン帝国大管区(de・en)
ナチス国外大管区[編集]
外国の国家社会主義ドイツ労働者党党員のために、ナチス国外大管区(NSDAP/AO)がおかれ、ベルリンに本部が置かれた。この国外大管区は43番目の大管区とみなされている。
- 歴代ガウライター
関連項目[編集]
脚注[編集]
- ↑ 1.0 1.1 1.2 Die NS-Gaue (in German) Deutsches Historisches Museum website, accessed: 25 June 2008
- ↑ The Organization of the Nazi Party & State The Nizkor Project, accessed: 25 June 2008
- ↑ Gau (NSDAP) - Kontinuität der Gaugliederung nach 1933 (in German) Historisches Lexikon Bayerns, accessed: 25 June 2008
- ↑ 大管区は元々はナチ党の組織であったため、ドイツ国内に限らず設置されていた。
出典[編集]
- Der große Atlas der Weltgeschichte (in German), Historical map book, published: 1990, publisher: Orbis Verlag - Munich, ISBN 3-572-04755-2
- 山口定:『ヒトラーの抬頭;ワイマール・デモクラシーの悲劇』、朝日新聞社、1991年、ISBN 4-02-260652-5
外部リンク[編集]
- Shoa.de - List of Gaue and Gauleiter (独語) (2008年4月10日時点のアーカイブ)