大管区指導者
大管区指導者(ガウライター、独: Gauleiter)とは国家社会主義ドイツ労働者党(ナチ党)の役職・身分。ナチ党の地区区分である大管区の指導者を指す。ナチズム下のドイツにおいては地方の最高権力者として扱われ、後に設置される帝国大管区においても大管区指導者が設置された。
語源[編集]
ドイツ語においてLeiterは指導者を意味している。また、ガウ(Gau)は古フランク語Gaugraf(ガウグラーフ)に由来しており、これはイギリスのシャイア(州)が近い翻訳語である。ガウはナチス党が彼らの目的のために中世ドイツから復活させた古語の一つであった。
歴史[編集]
ミュンヘン一揆の失敗とヒトラーの収監を経て、ナチ党は再編成を行っていた。1925年、大管区指導者の称号が作られた。1928年までに大管区指導者はナチス党内の階級にもなり、最終的に全国指導者の次席となった。ナチ党の権力掌握後は大管区指導者の多くが国家代理官に任命され、ナチ党による全国支配を実行することとなった。第二次世界大戦勃発後の1939年9月には国防管理官を兼任し、地域防衛の責任者となったことでさらに権力は大きくなった。
政治的位置[編集]
理論上、大管区指導者は単純にナチ党地方組織の調整のための役職であり、その上で地方自治へのアドバイスを送るナチ党地方組織代表であったが、実際には地域における統治者であった。法的政府の存在は、大管区指導者の単なるゴム印(はんこを押すだけの存在)と化していた。
大管区指導者はドイツにおけるガウの最上級政治指導者であり、ライヒの下にはガウ(州、県、行政区)、その下にクライス(Kreis、地区、郡)、さらにその下にオルト(Ort、市)が存在していた。さらにその下部に2つの地方組織(班、Block 細胞、Zelle)が存在していた。Ort以上の政治指導者は制服を着用、制服によりその地位を表した。
党内序列においては、全国指導部を構成する全国指導者の下位にあたるが、ヨーゼフ・ゲッベルスは宣伝全国指導者となってからもベルリンの大管区指導者を兼任していた。次席には大管区指導者代理(副大管区指導者、Stellvertretender Gauleiter)が設置されている。
記章[編集]
大管区指導者のための記章は茶色の襟に2枚の柏葉から構成されており、大管区指導者代理は柏葉一枚のものを着用した。
関連項目[編集]
文献[編集]
- Westermann, Großer Atlas zur Weltgeschichte
- 「Historisches Lexikon Bayerns, histlexbay」(ドイツ語) - バイエルン歴史事典大管区指導者の項