ヒトラー内閣
ヒトラー内閣(ヒトラーないかく)は、ドイツのアドルフ・ヒトラーを首相とする内閣(1933年 - 1945年)。
概要[編集]
ナチ党の権力掌握 も参照 1933年1月30日に大統領ヒンデンブルクはヒトラーを首相に任命した。この発足直後のヒトラー内閣は、以下の通り国家社会主義ドイツ労働者党(ナチ党)と保守派・貴族の連立内閣であった。この頃入閣したナチ党員は首相ヒトラー、内相フリック、無任所相ゲーリングの3人のみであり、副首相フランツ・フォン・パーペンは「われわれは彼を雇ったのさ」「わたしはヒンデンブルクに信頼されている。二ヶ月もしないうちに、ヒトラーは隅っこのほうに追いやられてきいきい泣いているだろう」と語り[1]、内閣の実権を握るつもりでいた。当時の内閣は合議制であり、首相に突出した実権が与えられていたわけではなかった。
しかしヒトラーは国会議事堂放火事件後の緊急令等で独裁権力を次第に掌握し、4月ごろには「内閣の中で指導者の権威が完全に確立されるに至った。もはや表決が行われる事はない。指導者が決定を下すのだ。」とゲッベルスが日記に記すほどになった[2]。以降、非ナチ党員の閣僚は辞職するか実権を失った。ルートヴィヒ・シュヴェリン・フォン・クロージクは1933年から1945年まで蔵相を勤めたが、最後にヒトラーと面会したのは1942年であった。またポストによっては名誉職に過ぎないものもあった。
成立直後のヒトラー内閣[編集]
- 首相 - アドルフ・ヒトラー(ナチ党最高指導者)
- 副首相 - フランツ・フォン・パーペン(元中央党・元首相・男爵)
- 外務大臣 - コンスタンティン・フォン・ノイラート(男爵・職業外交官)
- 内務大臣 - ヴィルヘルム・フリック(ナチ党)
- 大蔵大臣 - ルートヴィヒ・シュヴェリン・フォン・クロージク(伯爵)
- 法務大臣 - フランツ・ギュルトナー(国家人民党)
- 国防大臣 - ヴェルナー・フォン・ブロンベルク(国防軍中将)
- 経済大臣・農業食糧大臣 - アルフレート・フーゲンベルク(国家人民党党首・メディア経営者)
- 労働大臣 - フランツ・ゼルテ(鉄兜団指導者)
- 運輸大臣・郵政大臣 - パウル・フライヘア・フォン・エルツ・リューベナッハ(男爵)
- 無任所大臣 - ヘルマン・ゲーリング(ナチ党・プロイセン州内相)
ヒトラー内閣歴代閣僚[編集]
- 首相
- 副首相
- フランツ・フォン・パーペン(1933年 - 1934年、元首相・男爵)
- 外務大臣
- コンスタンティン・フォン・ノイラート(1933年 - 1938年、男爵、後にナチ党入党)
- ヨアヒム・フォン・リッベントロップ(1938年 - 1945年、ナチ党)
- 内務大臣
- ヴィルヘルム・フリック(1933年 - 1943年、ナチ党)
- ハインリヒ・ヒムラー(1943年 - 1945年、ナチ党)
- 大蔵大臣
- ルートヴィヒ・シュヴェリン・フォン・クロージク(1933年 - 1945年、伯爵、後にナチ党入党)
- 法務大臣
- フランツ・ギュルトナー(1933年 - 1941年、国家人民党)
- フランツ・シュレーゲルベルガー(1941年 - 1942年、代行、ナチ党)
- オットー・ゲオルク・ティーラック(1942年 - 1945年、ナチ党)
- 国防大臣(1935年6月23日-1938年2月5日)
- ヴェルナー・フォン・ブロンベルク(1933年 - 1938年、陸軍元帥)
- ヴィルヘルム・カイテル(1938年 - 1945年、陸軍大将〈後、陸軍元帥〉)
- 経済大臣
- アルフレート・フーゲンベルク(1933年、国家人民党党首・農業食糧大臣兼任)
- クルト・シュミット(1933年 - 1935年、ナチ党)
- ヒャルマル・シャハト(1935年 - 1937年、ライヒスバンク総裁兼任)
- ヘルマン・ゲーリング(1937年 - 1938年)
- ヴァルター・フンク(1938年 - 1945年、ナチ党)
- 労働大臣
- フランツ・ゼルテ(1933-45、鉄兜団→ナチ党)
- 運輸大臣
- パウル・フライヘア・フォン・エルツ・リューベナッハ(1933年 - 1937年、男爵、郵政大臣兼任)
- ユリウス・ドルプミュラー(1937年 - 1945年、ナチ党)
- 郵政大臣
- パウル・フライヘア・フォン・エルツ・リューベナッハ(1933年 - 1937年、交通大臣兼任)
- ヴィルヘルム・オーネゾルゲ(1937年 - 1945年、ナチ党)
- 農業食糧大臣
- 農政大臣(1936年 - 1942年)
- 食糧大臣(1944年 - 1945年)
- アルフレート・フーゲンベルク(1933年、経済大臣兼任)
- リヒャルト・ヴァルター・ダレ(1933年 - 1944年、ナチ党)
- ヘルベルト・バッケ(1944年 - 1945年、ナチ党)
- 国民啓蒙・宣伝大臣 (1933年3月13日新設)
- ヨーゼフ・ゲッベルス(1933年 - 1945年、ナチ党)
- 航空大臣(1933年5月5日新設)
- ヘルマン・ゲーリング(1933年 - 1945年、ナチ党)
- 科学・教育・国民文化大臣(Reichsministerium für Wissenschaft, Erziehung und Volksbildung)(1934年5月1日新設)
- ベルンハルト・ルスト(1934年 - 1945年、ナチ党)
- 宗教大臣(Reichsministerium für die Kirchlichen Angelegenheiten)(1935年7月16日新設)
- フリッツ・トート(1940年 - 1942年、ナチ党)
- アルベルト・シュペーア(1942年 - 1945年、ナチ党・建築家)
- 東部占領地域大臣(Reichsministerium für die besetzten Ostgebiete)(1941年12月17日新設)
- アルフレート・ローゼンベルク(1941年 - 1945年、ナチ党)
- 無任所大臣
- ヘルマン・ゲーリング(1933年、ナチ党、プロイセン州首相)
- ルドルフ・ヘス(1933年 - 1941年、ナチ党指導者代理<副総統>)
- エルンスト・レーム(1933年 - 1934年、ナチ党突撃隊幕僚長)
- ハンス・ケルル(1934年 - 1935年、ナチ党)
- ハンス・フランク(1934年 - 1942年、ナチ党司法全国指導者、ポーランド総督)
- ヒャルマル・シャハト(1937年 - 1943年、前経済大臣)
- コンスタンティン・フォン・ノイラート(1938年 - 1945年、前外務大臣、ナチ党、ベーメン・メーレン保護領初代総督)
- アルトゥール・ザイス=インクヴァルト(1938年 - 1945年、ナチス・元オーストリア首相)
- ヴィルヘルム・フリック(1943年 - 1945年、前内相、ナチ党、ベーメン・メーレン保護領2代総督)
- ロベルト・ライ(1945年、ナチ党・ドイツ労働戦線指導者)
- ハンス・ハインリヒ・ラマース(首相官房長、1937年 - 1945年)
- 大臣待遇国務相
上述の大臣は「Reichsminister」(大臣、国家大臣、帝国大臣、国大臣、ライヒ大臣などと訳される)と呼ばれる上級の大臣職であった。ドイツ政府にはこのほかに、イギリスの閣外相に相当する下位の大臣職が存在し、「Staatsminister」(国務相、国務大臣などと訳される)と呼ばれていた。この地位にあったことが確認されるのは下記の2名である。ただし彼らは「Staatsminister im Rang eines Reichsministers」つまり大臣待遇の国務相と位置づけられていた。
- 大臣待遇国務相、ベーメン・メーレン保護領担当(1943年8月20日新設)
- カール・ヘルマン・フランク(1941年 - 1945年、ナチ党)
- 大臣待遇国務相、指導者兼首相の大統領官房長(Chef der Präsidialkanzlei des Führers und Reichskanzlers)
- オットー・マイスナー(1937年 - 1945年)
参考:ヒトラーの遺書による内閣[編集]
1945年、ヒトラーの自殺に際し、遺書が3通作られて総統地下壕から外部(デーニッツ宛、中央軍集団司令官フェルディナント・シェルナー元帥宛、ミュンヘンのナチ党文書館宛)に送られたが、いずれも隠匿されてしまい、全文が知られるには終戦後の調査を待たなければならなかった。したがって、この遺書の中で当時に公表され、一応は任命が発効したといえるのは、ゲッベルスとナチ党官房長マルティン・ボルマンが新大統領デーニッツに電報で知らせた部分、大統領デーニッツ、首相ゲッベルス、ナチ党担当相ボルマン、外相ザイス=インクヴァルトの4名だけであった。
※( )内は任命当時の職
- 大統領兼国防軍最高司令官兼海軍総司令官 - カール・デーニッツ海軍元帥(海軍総司令官)
- 首相 - ヨーゼフ・ゲッベルス(国民啓蒙宣伝大臣、ベルリン大管区指導者、総力戦全国指導者、ベルリン防衛総監)
- ナチス党担当大臣 - マルティン・ボルマン(ナチ党官房長)
- 外務大臣 - アルトゥル・ザイス=インクヴァルト(無任所大臣・オランダ帝国弁務官)
- 内務大臣 - パウル・ギースラー(バイエルン州首相・ミュンヘン大管区指導者)
- 陸軍総司令官 - フェルディナント・シェルナー陸軍元帥(中央軍団司令官)
- 空軍総司令官 - ローベルト・フォン・グライム空軍元帥
- 親衛隊全国指導者兼ドイツ警察長官 - カール・ハンケ(ニーダーシュレジエン大管区指導者)
- 経済大臣 - ヴァルター・フンク(経済大臣・国立銀行総裁)※留任
- 食糧大臣 - ヘルベルト・バッケ(食糧大臣)※留任
- 法務大臣 - オットー・ゲオルク・ティーラック(法務大臣)※留任
- 科学・教育・国民文化大臣 - グスタフ・アドルフ・シェール(ザルツブルク帝国大管区指導者)
- 国民啓蒙・宣伝大臣 - ヴェルナー・ナウマン(国民啓蒙・宣伝省次官)
- 財務大臣 - ルートヴィヒ・シュヴェリン・フォン・クロージク(財務大臣)※留任
- 労働大臣 - テオドール・フップアウアー(de:Theodor Hupfauer)(軍需省計画局長)
- 軍需大臣 - カール=オットー・ザウル (en:Karl Saur)(軍需省次官)
- 無任所大臣・ドイツ労働戦線指導者 - ロベルト・ライ(無任所大臣・ドイツ労働戦線指導者)※留任
関連項目[編集]
参考文献[編集]
- 南利明
- 『<論説>指導者-国家-憲法体制の構成』
- 『民族共同体と指導者―憲法体制』静岡大学法政研究第7巻2号
- 『NATIONALSOZIALISMUSあるいは「法」なき支配体制-2-』
- 『NATIONALSOZIALISMUSあるいは「法」なき支配体制-3-』
- 『指導者-国家-憲法体制における立法』1、2、3
- ジョン・トーランド著、永井淳訳 『アドルフ・ヒトラー』(集英社文庫)2巻 ISBN 978-4087601817
脚注[編集]