多摩地域

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多摩地域(たまちいき)、多摩地区(たまちく)または三多摩(さんたま)とは、東京都のうち、区部(旧東京市)と島嶼部伊豆諸島小笠原諸島)を除いた市町村部を指す。東京都民人口の約三分の一がこの地域に居住している。

おおむね令制国多摩郡に相当し、行政の中心地である武蔵国国府が置かれた地である。

地理[編集]

地理[編集]

関東平野の、おおむね武蔵野台地、多摩川低地および多摩丘陵に位置する。気候太平洋側気候に属するが、やや内陸部に位置するために内陸性気候の特徴も併せ持っている。

八王子市青梅市を代表とする西部は、冬の最低気温に関して23区内とはかなり異なり、氷点下まで下がる地域が多く、緯度の割に寒い地域といえる。中でも奥多摩町の寒さは特に厳しく、1月・2月においては-10℃を下回ることもある。逆に夏は23区よりも暑くなることも多い。西部ほど内陸性気候の特色が強く出る傾向にある。「奥多摩」と呼ばれる山間部は関東山地の東縁に当たり、暖温帯林~冷温帯林の生育環境に当たる。第二次世界大戦後の拡大造林により人工林であるスギ林が多い。また多摩丘陵には落葉広葉樹林を中心としたいわゆる里山が広がる。

範囲[編集]

武蔵国多摩郡であった区域のうち、東多摩郡を除く、西多摩郡南多摩郡北多摩郡の3つの地域の総称。おおむね多摩川秋川の合流地点よりやや東の米軍横田飛行場付近から西が西多摩地域、それより下流の多摩川の南側が南多摩地域、北側が北多摩地域である。

タクシー業界では武蔵野市三鷹市が、路線バス業界ではこれに加えて調布市狛江市が特別区扱いとなる。

電話単位料金区域 (MA) では、狛江市の大半と調布市、三鷹市の各一部が特別区扱いになる(市外局番03)。なお、兵庫県尼崎市に跨る大阪市の06とは異なり東京都外で03は使われていない。それ以外は0428の青梅料金区と0422の武蔵野三鷹料金区を除き現在、市外局番は神奈川県相模原市の大半を含めすべて042に統一されたが、料金区は依然、武蔵野三鷹、国分寺、立川、八王子、相模原、青梅に分かれており、違う料金区にかける時は、頭に市外局番をつける必要がある。なお青梅料金区には、山梨県北都留郡小菅村、および丹波山村が含まれる。

多摩地域内を区分する場合、旧来の郡(下記参照)に合わせた多摩南部多摩北部多摩西部の3区分とする場合が多いが、おおよそ立川市を境に多摩東部という区分をする事もある[1]。それ以外にも、細分化している団体なども存在している。

変遷[編集]

多摩地域は、平安時代中期に延喜式において、武蔵国多摩郡とされたのが始まりである。明治維新後にこの地の旧天領、旧旗本領は武蔵県韮山県などに編成された一方で、各藩の領地はそのまま各県の飛び地となった。多摩郡のうち東部の各村は武蔵県に編入され、品川県を経て1871年(明治4年)に東京府に編入された。北南西部の各村は韮山県に編入され、小田原県神奈川県を経て、1893年(明治26年)に東京府に移管された。1878年(明治11年)の郡区町村編制法施行によりそれぞれ東京府および神奈川県において東多摩郡・西多摩郡・南多摩郡・北多摩郡の4郡が成立した。東多摩郡は1896年(明治29年)に南豊島郡と合併して豊多摩郡1932年(昭和7年)には東京市へ編入)となって消滅し、北多摩郡と南多摩郡は郡内全町村の市制施行に伴って1970年(昭和45年)、1971年(昭和46年)に消滅した。これにより旧多摩郡4郡で郡名を残すのは西多摩郡のみとなっている。

呼称[編集]

三多摩[編集]

本来の多摩地域は、令制国の武蔵国多摩郡に当たる。この定義を用いた場合、旧東多摩郡に属する地域(中野区杉並区の全域)と旧北多摩郡に属する地域(世田谷区の旧砧村・旧千歳村)は多摩地域に含まれ、埼玉県から編入された旧北足立郡(旧新座郡)に属する地域(西東京市のうち旧保谷市の地域)と旧入間郡に属する地域(瑞穂町のうち旧元狭山村の地域)は多摩地域に含まれない。

「東京都の特別区と島嶼を除いた地域」を指す名称としては、「多摩地域のうち東多摩郡を除く、西多摩郡南多摩郡、北多摩郡の多摩3郡域」という意味で三多摩(さんたま)の語を用いる場合もあるが、前述の通り世田谷区の旧砧村・旧千歳村の区域が北多摩郡であった為、これも正確な表現とは言えない。

多摩地域の内、東多摩郡の旧東京市への編入(編入当時は豊多摩郡)から70年以上が経ち、中野区や杉並区域が「多摩」であるという意識は薄れている。要出典

また市制施行等により西多摩郡以外の2郡は消滅した。そのため、「三多摩」の語の使用頻度は減少しつつある。ただし、旧郡名については地域名称として、例えば東京都議会の北多摩第一~第四、西多摩および南多摩の各選挙区分として利用されている(→東京都議会#選挙区)。

三多摩の行政区画の変遷[編集]

北多摩郡
北多摩郡は、現在の武蔵村山・東大和・東村山・清瀬・東久留米・西東京・昭島・立川・国立・小平・国分寺・小金井・府中・三鷹・武蔵野・調布・狛江市及び世田谷区の西部(旧 砧村・千歳村)の区域。1907年に西東京市の旧保谷市区域が埼玉県北足立郡より編入された。北多摩郡は1970年に村山町が武蔵村山市に昇格したのを最後に消滅した。旧郡役所所在地:府中町(同上)
現在の一級河川「多摩川」北側の地域であり「北多摩」と呼ばれる。
南多摩郡
南多摩郡は一級河川「多摩川」の南側であり、現在の八王子・町田・日野・多摩・稲城市の区域だったが、1971年に多摩・稲城の市制施行に伴い消滅。旧郡役所所在地:八王子市(同上)
現在の一級河川「多摩川」南側の地域であり「南多摩」と呼ばれる。
東多摩郡
東多摩郡は1896年に南豊島郡と合併して豊多摩郡の一部となり、1932年に旧東京市に編入された。現在の中野区杉並区に相当する。旧郡役所所在地:中野村(同上 1896年当時)
西多摩郡
西多摩郡は現在の青梅・福生・羽村・あきる野市も含んでいたが、現在は瑞穂町・日の出町・奥多摩町・檜原村の3町1村を残すのみである。1958年に埼玉県入間郡元狭山村の一部が編入された。旧郡役所所在地:青梅町(郡役所廃止1923年

都内・都下[編集]

「東京都内」や「都内」という場合には多摩地域や島嶼も含めた東京都全域を指すが、かつては特別区の対語として多摩地域を「都下」と呼称されることがあった。同義で使用される「県内」「県下」や「府内」「府下」などとは意味が異なり、東京府時代に「東京内」「東京下」として使用された呼称が、1943年7月の東京市・東京府の合併による東京都発足の際にそのまま「特別区内(23区内)」と「東京下」に呼び変えられたことで起こったもので、慣習的な表現である。現在は、俗称の「都下」という表現が使われる機会は減少しているほか、多摩地域を見下した表現という誤解を与える可能性などから、「都下」という名称は公的には極力使用しないようにされている。 また、このような理由から多摩地区は人口が少ないと思われがちだが、実際には多摩地区だけでも400万人以上の人口がおり、多摩地域より人口の多い道府県は(東京都以外では)8つしかない。

  • これらに関しては東京都も参照のこと。

広域多摩地域(TAMA)[編集]

多摩地域に加えて、神奈川県国道246号沿線(川崎市多摩区麻生区宮前区高津区横浜市青葉区緑区都筑区)や相模原市埼玉県のうち旧入間県所沢市狭山市入間市川越市などの南西部)は、電気・電子機械製造業の工場・開発拠点、大学などの教育研究機関が集積しているため、旧通商産業省関東通商産業局は、この一帯を総称して「広域多摩地域」と名付けた。また、TAMA産業活性化協議会は、この広域多摩地域の総称を、「Technology Advanced Metropolitan Area」(技術先進首都圏地域)の頭文字をとって「TAMA」と名付けた。また、これらの地域は多摩地域とのつながりも深い。

業務核都市基本構想[編集]

東京都が多極分散型国土形成促進法により諸機能の立地促進を行うもの。八王子立川青梅町田多摩ニュータウン多摩市)の5箇所がある。

多摩梨[編集]

「多摩梨」という語がある[2]

歴史[編集]

律令制の時代[編集]

現在の多摩地域は、令制国武蔵国多摩郡に相当する。この多摩郡には、武蔵国の中枢機関に当たる国府(現在の府中市)と国分寺国分寺市)、一宮小野神社多摩市)、二宮二宮神社あきる野市)が置かれた。なお、武蔵国は、現在の東京都および埼玉県葛飾郡以外の地域と神奈川県北東部を含む広い版図だった。

この地域には古代から帰化人が移住していたとされ、高句麗人1799人が集められた高麗郡、新羅人74人が集められた新羅郡(新座郡)が置かれた。また亀塚古墳のある狛江郷(狛江市)は高句麗に由来するとする説もある。

延喜式神名帳』には、足立郡氷川神社(名神大社)、多摩郡阿伎留神社小野神社(一宮)、青渭神社穴澤天神社大麻止乃豆乃天神社等が見える。対して、後世に武蔵国総社とされた大國魂神社や、東京都区部の神社として著名な神田明神日枝神社の名は見えない。

中世[編集]

平安時代後期・鎌倉時代には武蔵七党などの武士団が勃興した。鎌倉後期の元弘3年(1333年)5月には上野国新田義貞が挙兵し、義貞勢は南下して5月15日に武蔵府中で鎌倉幕府勢の北条泰家を破り(分倍河原の戦い)、鎌倉へ侵攻した。

戦国時代の多摩郡は、関東管領上杉氏による支配を経て、江戸を本拠地とする太田氏や小田原(神奈川県小田原市)を本拠地とする戦国大名である後北条氏の地盤となった。北条氏政の弟・北条氏照八王子城八王子市)を築き、西方の甲斐国武田氏に備えた。その後北条氏も豊臣秀吉小田原征伐によって没落した。

近世[編集]

江戸時代には、幕府の直轄領(御料)や旗本領となり、八王子宿には関東各地の直轄領を支配する代官18人が駐在することとなり、武田氏旧臣の大久保長安が代官頭を務めて、多摩地域の開発と甲州街道青梅街道の整備に当たった。また、江戸幕府は、国境警備のため、八王子宿周辺の農村に八王子千人同心を配した。このため、多摩地域は江戸幕府への忠誠が厚かった。近藤勇(現調布市)、土方歳三(現日野市)など新選組主要隊士の出身地もこの地域である。

東京府[編集]

多摩郡内の旧幕府・旗本領は韮山県品川県などに編入されたが、川越藩領との移管も含めて、各町村ごとの管轄の変遷は極めて錯綜している。1871年8月29日(旧暦7月14日)の廃藩置県後、同年12月(旧暦11月)に多摩郡は東京府入間県に分割されたが、多摩郡内が横浜に居留する外国人の遊歩区域に含まれるとの神奈川県知事陸奥宗光の上申により全域が神奈川県に移管された。ただし、東部の中野村ほか31村(現在の中野区・杉並区)は1872年9月に再び東京府へ移管された。1878年11月に施行された郡区町村編制法により、神奈川県管下の区域は3分割され西多摩郡、南多摩郡、北多摩郡に、東京府管下の区域は東多摩郡となった。

この後、多摩3郡は1893年東京府へ移管された。この理由は、帝都の水源である多摩川や玉川上水を東京府の管理下に置くためとされた。しかし当時の政府が日清戦争に備えての海軍力増強予算を帝国議会で成立させるためだったという説もある。それは、この時期の多摩地域は自由民権運動の中心でもあり(五日市憲法草案(あきる野市)もこの地で生まれている)、この時期には自由党の地盤でもあった。これは、多摩地域に養蚕業を中心とした製造業者とそれを横浜港から輸出する流通業者が多く、軍事よりも産業振興を求める層だったからであるといわれている。軍事大増強を阻もうとする自由党の地盤を行政区画の変更という手段で解体したのではないか[3]というものである。移管の際に反対運動の中心となったのは自由党の戦闘組織である三多摩壮士団だった[3]大阪事件以降の村野常右衛門や森久保作蔵は東京市政において大正末頃まで大きな影響力を及ぼす。多摩は名望家民権家で同時に多様な集団の受け皿となった人物を多く輩出している。

1895年内務省東京15区を政府の管理下に置くために「東京都制および多摩県設置法案」を出したが、帝国議会や東京市民から自治権を奪うものだとして反発を受け、成立には至らなかった。しかしこの時期、「多摩県」構想や「武蔵県」構想は実際に存在した。

「多摩県」構想は、多摩3郡のみで県を構成する案だった。この構想での県庁所在地は、八王子市である。一方、「武蔵県」構想は、東京市(発足当時の15区)を除く東京府、即ち多摩3郡と豊多摩郡北豊島郡荏原郡南足立郡南葛飾郡を含めて県を構成する案だった。この案では、豊多摩郡内藤新宿町1920年東京市四谷区に編入)あるいは八王子市に県庁を置く案があった[3]

1907年4月1日 、埼玉県北足立郡保谷村が北多摩郡に編入された。

1932年10月1日、東京市が20区制に編成されることにともない、豊多摩郡が東京市に編入された。

1936年10月1日、北多摩郡砧村千歳村が東京市世田谷区に編入された。

東京都[編集]

1943年7月1日、内務省によって東京市と東京府は廃止され、東京都が設置された。東京都発足時、道路・公共施設等の都市基盤の整備状況は特別区と三多摩地域とで大きな差を生じており、「三多摩格差」の語が生まれた。

第二次世界大戦後のこの地域には大規模な住宅団地や工業団地が進出し、多摩丘陵には全国最大規模の多摩ニュータウンが建設された。このニュータウンの完成に合わせて、京王電鉄相模原線小田急電鉄多摩線が開通した。また、特別区のキャンパスが手狭になった大学の移転も相次いだ。

1958年(昭和33年)10月15日には、埼玉県入間郡元狭山村西多摩郡瑞穂町へ編入された。

1964年に開催された東京オリンピックでは、八王子市に仮設された「八王子ロードレースコース」において自転車競技が行われた。また1967年、全国第2の高速道路として中央自動車道が開通した。この道路の初めての開通部分は調布インターチェンジ八王子インターチェンジで、いずれも多摩地域内である。

1970年狛江町、大和町、清瀬町、久留米町、村山町が市制施行によりれぞれ狛江市東大和市清瀬市東久留米市武蔵村山市となり郡より離脱、これにより北多摩郡が消滅した。1971年 稲城町と多摩町が市制施行してそれぞれ稲城市多摩市となり郡より離脱、同日南多摩郡消滅。1991年 羽村町が市制施行して羽村市となり、1995年には五日市町が秋川市と合併しあきる野市が発足、西多摩郡より離脱。

多摩地域に不足している南北間の交通を補完する目的で、1998年多摩都市モノレールが開通した。また2002年にはこの地域内に首都圏中央連絡自動車道(圏央道)の東京都内部分が初めて開通。2007年にはこの地域内にある八王子ジャンクションが供用開始されたことにより中央道と関越道とが圏央道を介して接続された。

2007年12月には、町田市と相模原市の間を流れる境川の改修に伴い、両市の境界線が変更された[4]

2013年には、多摩地域と島嶼部を中心とした国民体育大会「第68回国民体育大会」が開催された。

自治体[編集]

現在、多摩地域には26市3町1村、計30の自治体がある。

市町村コード(自治体コード)
上2桁の13は東京都を、次の桁の2は市を、3は町村を表す。下2桁は成立順に付与される。市への移行・合併時には継承されず、新しく付与される。

[編集]

近年まで存在した3市も掲載してある。

市町村コード 市名 成立 備考 地域(旧郡)
13201 八王子市 1917年9月1日   南多摩地域
13202 立川市 1940年12月1日   北多摩地域
13203 武蔵野市 1947年11月3日  
13204 三鷹市 1950年11月3日  
13205 青梅市 1951年4月1日   西多摩地域
13206 府中市 1954年4月1日   北多摩地域
13207 昭島市 1954年5月1日  
13208 調布市 1955年4月1日  
13209 町田市 1958年2月1日   南多摩地域
13210 小金井市 1958年10月1日   北多摩地域
13211 小平市 1962年10月1日  
13212 日野市 1963年11月3日   南多摩地域
13213 東村山市 1964年4月1日   北多摩地域
13214 国分寺市 1964年11月3日  
13215 国立市 1967年1月1日  
(13216) 田無市 1967年1月1日 現・西東京市
(13217) 保谷市 1967年1月1日 現・西東京市
13218 福生市 1970年7月1日   西多摩地域
13219 狛江市 1970年10月1日   北多摩地域
13220 東大和市 1970年10月1日  
13221 清瀬市 1970年10月1日  
13222 東久留米市 1970年10月1日  
13223 武蔵村山市 1970年11月3日  
13224 多摩市 1971年11月1日   南多摩地域
13225 稲城市 1971年11月1日  
(13226) 秋川市 1972年5月5日 現・あきる野市 西多摩地域
13227 羽村市 1991年11月1日  
13228 あきる野市 1995年9月1日  
13229 西東京市 2001年1月21日   北多摩地域

町・村[編集]

近年まで存在した1町も記してある。

市町村コード 市名 成立 備考
13303 瑞穂町 1940年11月10日   西多摩郡
13305 日の出町 1974年6月1日  
(13306) 五日市町   現・あきる野市
13307 檜原村    
13308 奥多摩町 1955年4月1日  

イベント[編集]

1993年4月25日から11月7日まで、多摩東京移管100周年記念事業として、市民大学企業等が市町村、東京都と提携してTAMAらいふ21が開催された。

広域行政[編集]

多摩地域の自治体は公営競技、ゴミ処理などで一部事務組合を作っている。なお、以下はそのすべてではない。なお、多摩地域の消防については、稲城市消防本部を除いて、東京都区部の消防本部として都知事のもとに設置された東京消防庁へ委託する形となっている(自治体が設置した一部事務組合ではない)。

  • 東京市町村総合事務組合 - 東京都の全市町村(多摩地域および島嶼)で組織し、東京自治会館を運営する。
  • 多摩北部都市広域行政圏協議会 - 小平市、 東村山市、 清瀬市、 東久留米市、 西東京市の5市で施設の相互利用、イベントの共同開催を行っている。
  • 西多摩地域広域行政圏協議会 - かつて西多摩郡に属していた青梅市、福生市、あきる野市、羽村市を含め、奥多摩町、日の出町、瑞穂町、檜原村の4市3町1村で、単独の自治体では処理が困難な行政課題に対応することを目的に組織されている。

公営競技[編集]

ゴミ・し尿処理[編集]

  • 東京たま広域資源循環組合 - あきる野市、奥多摩町、日の出町、檜原村を除く25市1町で、日の出町にある谷戸沢廃棄物広域処分場および二ッ塚廃棄物広域処分場の運営や、「エコセメント事業」を行っている。
  • 多摩川衛生組合 - 稲城市、狛江市、府中市、国立市の4市で、稲城市にあるクリーンセンター多摩川を運営している。
  • 多摩ニュータウン環境組合 - 八王子市、町田市、多摩市の3市で、多摩市にある多摩清掃工場を運営している。
  • 柳泉園組合 - 東久留米市、清瀬市、西東京市の3市で、東久留米市にあるクリーンポート、および野球場等併設の余熱利用浴場施設柳泉園グランドパークを運営している。
  • 小平・村山・大和衛生組合 - 小平市、東大和市、武蔵村山市の3市で、小平市にある清掃工場を運営している。
  • 西多摩衛生組合 - 青梅市、福生市、羽村市、瑞穂町の3市1町で、羽村市にある環境センター、および体育館等併設の余熱利用浴場施設フレッシュランド西多摩を運営している。
  • 西秋川衛生組合 - あきる野市、日の出町、檜原村の1市1町1村で、あきる野市にある高尾清掃センターと、御前石最終処分場および第2御前石最終処分場を運営している。なお、奥多摩町が平成23年10月3日に加入したが、奥多摩町のごみの搬入時期は、現在建設中の新炉(熱回収施設)の試験運転開始日(平成25年12月予定)以降となる予定。
  • ふじみ衛生組合 - 三鷹市、調布市の2市で、調布市にある不燃ゴミ処理施設リサイクルセンターを運営している。
  • 湖南衛生組合 - 武蔵野市、小金井市、小平市、東大和市、武蔵村山市の5市で、武蔵村山市にあるし尿処理場および菖蒲園を運営している。
  • 秋川衛生組合 - あきる野市、日の出町、奥多摩町、檜原村の1市2町1村で、あきる野市にあるし尿処理場玉美園を運営している。

その他[編集]

  • 昭和病院組合 - 小金井市、小平市、東村山市、東久留米市、清瀬市、東大和市、武蔵村山市、西東京市の8市で、小平市内に公立昭和病院を運営している。
  • 福生病院組合 - 福生市、羽村市、瑞穂町の2市1町で、福生市内に公立福生病院を運営している。(2001年、東京都国民健康保険団体連合会から経営移管)
  • 阿伎留病院組合 - あきる野市、日の出町、檜原村の1市1町1村で、あきる野市内に公立阿伎留医療センターを運営している。
  • 多摩六都科学館組合 - 小平市、東村山市、清瀬市、東久留米市、西東京市の5市で、西東京市にある多摩六都科学館を運営している。
  • 羽村・瑞穂地区学校給食組合- 羽村市、瑞穂町の1市1町で、羽村市内にある二つの学校給食センターを運営している。
  • 瑞穂斎場組合 - 福生市、羽村市、武蔵村山市、瑞穂町、埼玉県入間市の4市1町で、瑞穂町内に瑞穂斎場を運営している。
  • 南多摩斎場組合- 八王子市、町田市、多摩市、稲城市、日野市の5市で、町田市内に南多摩斎場を運営している。
  • 秋川流域斎場組合- あきる野市、日の出町、檜原村の1市1町1村で、日の出町内にひので斎場を運営している。
  • 立川・昭島・国立聖苑組合- 立川、昭島、国立の3市で、立川市内に火葬場立川聖苑を運営している。
  • 青梅・羽村地区工業用水道企業団- 青梅市、羽村市の2市で、羽村市内にある配水所を運営している。

交通[編集]

主要幹線鉄道は、明治から昭和初期にかけて完成している。

鉄道[編集]


バス[編集]

(多摩地域内営業所のみ記載)

また多くの自治体で[5]、利用者無限定で有料のコミュニティバス、および利用者限定で無料の福祉バスの運行を行っている。ただし日の出町の福祉バスは町民なら誰でも無料で利用できる。また檜原村では定時便のほかに、予約があった場合のみ運行する予約便を運行している。

道路[編集]

作品[編集]

多摩地域を舞台にした文芸作品には、著名なものとしては国木田独歩の『武蔵野』や大岡昇平の『武蔵野夫人』などがある。近年の作品としては、武蔵村山市を舞台にした『OUT』、国分寺市の『さらば国分寺書店のオババ』、村上龍芥川賞受賞作で福生市が舞台の『限りなく透明に近いブルー』などがある。

また漫画作品では、東久留米市の『めぞん一刻』、吉祥寺の『GTO』『ろくでなしBLUES』、国立市の『姫ちゃんのリボン』、福生市の『河よりも長くゆるやかに』などがある。杉並区練馬区と並ぶアニメスタジオの地盤ともなっており、スタジオジブリ小金井市に、タツノコプロ国分寺市に、シンエイ動画西東京市に、日本アニメーション多摩市に本社を置いているなど大小スタジオが多数ある。

脚注[編集]

  1. 気象庁や一部の不動産関係企業は、多摩東部・多摩西部と区分する事がある
  2. 多摩地区青果まつり2007&国立の梨園国立市観光まちづくり協会
  3. 3.0 3.1 3.2 『多摩百年のあゆみ』多摩百年史研究会編著 けやき出版
  4. 平成18年相模原市議会12月定例会付議事件一覧
  5. 2010年12月現在、東久留米市、青梅市、奥多摩町を除く各市町村。

関連項目[編集]