日野市
目次
概要[編集]
かつては「日野宿」が設置されており、甲州街道の農業を中心とした宿場町として繁栄していた。新選組の副長として活躍した土方歳三や六番組隊長の井上源三郎の出身地として知られる。また市内最大の大企業である日野自動車の企業城下町としても名高い。
昭和に入ってからは大規模企業や大規模団地が進出しているものの、河川や丘陵地が多く、国土交通省より「水の郷百選」に認定されるなど自然も多い。また、多摩地区としては水田や野菜畑などの農地が占める割合が高く、都市農業の代表的な都市として紹介されることが多い(中央線電車広告「日野のレタス」など)。
地理[編集]
日野市は大きく分けて稲作の多い低地、畑や工場の多い台地、森林の多い丘陵地に分けられるが、いずれも近年は宅地化が進んでいる。
地勢[編集]
東京都の島嶼部を除く地域のほぼ中央に位置し、市域の西側に広がる日野台地は関東ローム層の堆積した土地で、西隣の八王子市へと続いている。北から東にかけては 隣接する昭島、立川、国立、府中の各市との境界を多摩川が流れ、市域の南部に広がる多摩丘陵(七生丘陵)の北側を西から流れてきた浅川と南東部で合流している。市域はイヌの横顔の形をしており、西を向いている犬の耳から後頭部そして首にあたる部分を多摩川が流れ、南部に広がる多摩丘陵の北側を西から流れてきた浅川と南東部で合流している。この事からも分かるように水に恵まれており、以前は「多摩の穀倉」と言われるほど稲作が盛んであった。現在でも川辺堀之内や新井地区などに田が、そして新町の台地部や西平山地区に畑が多く残っているが、土地区画整理事業の進展などにより、このような光景は徐々に減りつつある。
低地部[編集]
低地部は多摩川と浅川に挟まれていることで用水路や田が多く、そして礫層を基盤とする台地や丘陵を抱えていることで、湧水が多い。これらの特徴を極力生かした街づくりを進めていることが評価されて、国土交通省選定の水の郷百選にも選ばれている。代表的な水路は多摩川から取水している日野用水、浅川の滝合橋「左岸」(実際には平山橋下にある堰)付近から取水している豊田用水、同滝合橋の「右岸」付近から取水している平山用水、万願寺歩道橋(ふれあい橋)の手前から取水している向島用水等である。これら用水の役割は宅地化・市街化の進行により水田が減ったため、最近では以前の農業用水としての存在意義は薄れつつあるが、水環境の保全や防火用水、ヒートアイランド現象の抑制ということで都市に潤いを与えるものとしての価値は高まってきている。そのため、親水公園やビオトープとして、黒川清流公園や向島用水親水路を皮切りに再整備が進められている。
台地部[編集]
北西部にある台地は関東ローム層で覆われており、日野台地と称される。西隣の八王子市に続いていて、かつては桑畑が広がっていたが、昭和10年ごろからいわゆる「日野五社」を始めとする大企業の工場の進出が相次ぎ、大手トラックメーカー日野自動車の本社および工場もここにある。さらに昭和30年代からは宅地としての開発が進んだ。特に昭和33年(1958年)から入居の始まった多摩平団地は団地の先駆け的存在である。
ちなみに、豊田駅の東側から黒川清流公園、神明、新町・東光寺地区にかけて逆「く」の字状に存在する河岸段丘は日野緑地と呼ばれ、市が土地を買い取るなどして開発を抑制している。
丘陵地[編集]
市域南部は多摩丘陵が広がっていて、昭和30年代まではハイキング客などで賑わっていたが、その後は宅地化が進み、後述の地区以外は基本的に緑が失われた。
このように丘陵地帯も基本的には宅地となったが、関東三大不動のひとつとして知られる高幡山金剛寺(通称:高幡不動)の寺域である高幡山の周辺や程久保・南平地区にある都立の多摩動物公園と七生公園、市立南平丘陵公園付近は公園として緑が残されていて、都立七生公園では草を完全に刈らないといったことも実施されている。
百草・倉沢地区の周辺では環境意識の増加などにより、小沢緑地と京王線、多摩市境の内側を中心に「倉沢里山を愛する会」や市民らの協力によって森林を保全しており、一部では緑地内に遊歩道も存在する。この区画内は一部に田畑があり、農業が行われている、他には市内で唯一の酪農なども行われている。
気候[編集]
関東平野の内陸に位置するため都心よりも冬は2〜3℃気温が低く、積雪は20~30cmほど。宅地化の進展などによる反射熱により、夏の最高気温は反対に高い場合もある。
主な河川[編集]
主な用水路[編集]
ただし、これ以外にも多数の水路が存在し、これら水路の総延長は全て合わせると約180km近くに及ぶ。
住宅団地[編集]
- 西武建設西武百草園団地 - 昭和46年 : 日野都市計画事業(一団地の住宅施設)
- 都市再生機構高幡台団地 - 昭和46年 : 日野都市計画事業(一団地の住宅施設)
- 都市再生機構百草団地 : 日野都市計画事業(一団地の住宅施設)
- 都営新井団地 - 昭和44年 : 日野都市計画事業(一団地の住宅施設)
- 東京都住宅供給公社平山団地 - 昭和43年 : 日野都市計画事業(一団地の住宅施設)
- 川原付団地
- 豊田駅前第一団地(多摩平 市街地住宅 1962年 現存 譲渡返還)
- 豊田駅前第二団地(多摩平 市街地住宅 1962年 現存 譲渡返還)
- 多摩平団地(多摩平他、店 1958年 一部建替済。 全面建替)
地名一覧[編集]
隣接している自治体[編集]
歴史[編集]
- 1605年(慶長10年) 甲州街道が整備され、日野宿定まる。
- 1871年(明治4年) 廃藩置県に伴い日野宿、神奈川県に編入。
- 1878年(明治11年) 多摩郡が分割され日野宿は南多摩郡に属す。初代郡長に日野宿の佐藤俊正(佐藤彦五郎が改名)が任命される。
- 1889年(明治22年) 町村制施行に伴い、日野宿の全域と粟巣村、西長沼村の一部(それぞれ残部は桑田村、由井村に編入)が合併し、日野宿が名称をそのままに自治体として発足。
- 1893年(明治26年) 三多摩が神奈川県から東京府に編入。日野宿を日野町(初代)と改称。
- 1901年(明治34年) 桑田村と合併し、改めて日野町(2代目)を新設。
- 1943年(昭和18年) 東京都制施行。
- 1958年(昭和33年) 七生村と合併し、改めて日野町(3代目)を新設。現在の市域となる。
- 1963年(昭和38年) 市制施行(11月3日/全国559番目)
日野宿 も参照
市名の由来[編集]
市名の由来は諸説あるがはっきりしていない。『武蔵名勝図会』によれば、府中にあった国府の烽火台が置かれたことによるという「飛火野説」をとっている。和銅6年火野を日野に改めたという。また、『新編武蔵風土記稿』によれば、武蔵七党のうち西党の祖日奉宗頼が、遠祖天御中主神を勧請して日野宮権現を祀ったという伝説に基づくという。他の説として、応永32年ころ、日野中納言資朝の玄孫、宮内資忠なるものが、当所に移住して土淵ノ庄をはじめて日野と号したという説も載せている。
人口[編集]
600px | |
日野市と全国の年齢別人口分布(2005年) | 日野市の年齢・男女別人口分布(2005年) |
■紫色 ― 日野市
■緑色 ― 日本全国 |
■青色 ― 男性
■赤色 ― 女性 }} |
日野市(に相当する地域)の人口の推移 テンプレート:人口統計/13 | |
総務省統計局 国勢調査より |
昼夜間人口[編集]
2005年に夜間人口(居住者)は176,527人であるが、市外からの通勤者と通学生および居住者のうちの市内に昼間残留する人口の合計である昼間人口は154,114人で昼は夜の0.873倍の人口になる。夜間に比べて昼の人口は2万2千人ほど減ることになる。通勤者・通学者で見ると市内から市外へ出る通勤者52,683人、市外から市内へ入る通勤者は32,366人と通勤者では市外へ出る通勤者のほうが多く、学生でも市内から市外に出る通学生は10,107人市外から市内へ入る通学生は8,011人と学生でも昼は市外へ流出する人数のほうが多い。東京都編集『東京都の昼間人口2005』平成20年発行152,153ページ 国勢調査では年齢不詳のものが東京都だけで16万人いる。上のグラフには年齢不詳のものを含め、この項の昼夜間人口に関しては年齢不詳の人物は数字に入っていないので数字の間に若干の誤差は生じる)
行政[編集]
市議会[編集]
- 議長:秋山 薫(あきやま かおる 2012年2月29日就任)
- 議員定数:24人
会派名 | 議席数 | 代表者 |
---|---|---|
自由民主党日野市議団 | 7 | 西野正人 |
民主市民クラブ | 5 | 江口和雄 |
公明党 | 5 | 田原茂 |
日本共産党日野市議団 | 5 | 清水登志子 |
無会派 | 2 |
組織[編集]
- 企画部
- 総務部
- 市民部
- 環境共生部
- まちづくり部
- 健康福祉部
- 子ども部
- 教育部
課題[編集]
平成17年第1回市議会での市長の施政方針によれば、現在の行政課題は以下の4つである。
このほか、ゴミ問題、区画整理事業の遂行、国道20号日野バイパスの全通などが挙げられる。
広域行政[編集]
- 東京都十一市競輪事業組合 - 八王子、武蔵野、青梅、昭島、調布、町田、小金井、小平、東村山、国分寺および本市の11市で京王閣競輪を開催している。
- 東京都四市競艇事業組合 - 小平、東村山、国分寺、および本市の4市で多摩川競艇を開催している。
国政・都政[編集]
国政[編集]
衆議院小選挙区選挙では、立川市・昭島市とともに東京21区に属する。近年選出の議員は以下のとおり。
東京都議会[編集]
本市でひとつ選挙区を形成する。定数は2人。近年選出の議員は以下のとおり。
公共機関[編集]
警察[編集]
消防(東京消防庁)[編集]
管轄地域は市域に等しい。同署は第9方面本部の監督下にある。消防は市町村の責任業務であるが、多摩地域のほとんどの市町村は東京消防庁へ消防業務を委託しており、本市もそれに倣っている。
郵便[編集]
電話[編集]
市外局番は042(立川MA、かつては0425)である。ただし、市外局番に同じ042を使用する地域のうち、かつて0423、0424、0426、0427の各市外局番を使用していた地域とは現在も番号区画が異なるため、これらの地域に電話を掛ける際は市外局番から入力する必要がある。
上水道[編集]
下水道[編集]
- 東京都多摩地域の下水は、各市町村で整備した下水道を経由し東京都下水道局が運営する水再生センターで下水処理を行う。
- 本市の下水は、浅川水再生センター(日野市石田)、南多摩水再生センター(稲城市大丸)、八王子水再生センター(八王子市小宮町)で処理されている。
- 下水道普及率は88%(平成15年度末現在)で、多摩地域全体の普及率 (95%) よりも低い。
ゴミ処理[編集]
- 日野市クリーンセンター(石田)
ごみ改革[編集]
1973 年から1997 年まで市長の座にあった森田喜美男は、ごみ・し尿の中間処理施設の整備、ボックス収集による合理化などを心がけていた。しかし、減量化とリサイクルに最重点を移すべきことを認識した森田市長は、多摩地域としては最初にリサイクルに取り組んだ。ゴミをいかに効率良く処理するかという方向から、再利用によってゴミそのものを作らないという方向に転換させた。
森田市長引退後市長に就いた馬場弘融は市長就任以来ゴミ改革を重点政策に掲げている。ゴミ減量の切り札としてダストボックスから戸別収集、有料指定袋方式へのごみ改革を2002年10月に実行した。当初は有料化に反対の声もあったが、ゴミの減量に大きな効果があり、市民の意識も大きく変わった。周辺市にも有料指定袋化が波及しつつある。
諸機関・施設[編集]
経済[編集]
産業[編集]
主な産業[編集]
- 農業 - 宅地化の進行により戸数は減少したが、現在も野菜等を栽培する農家が見受けられる。東京都内では、「多摩川梨」の商標で知られている梨が有名である。また、地元のブルーベリーを使った発泡酒やケーキなども売られている。ブルーベリーが新たな特産品といえるだろう。トマトやレタスの栽培が比較的盛んである。日野市は現在でも農業が主力産業のひとつである。
- 商業 - 各駅周辺や国道沿いに小売店舗が集積しているが、立川・八王子市街、聖蹟桜ヶ丘等の商業集積地に近く、また都心への交通の便が良いため、百貨店、ショッピングモール等はない。
- 工業 - 1930年からの昭和恐慌対策として日野町がとった施策が工場誘致である。1936 - 1943年に5社=日野台地上に六桜社(コニカミノルタ)、吉田時計店(オリエント時計)、東京自動車工業(日野自動車)、神鋼電機(神鋼電機は撤退、跡地は現在都立日野台高校と市立大坂上中学校となっている)、富士電機が誘致され、これら(日野5社という)を皮切りに日野は内陸工業都市として発展していった。2020年までに日野自動車日野工場の移転が予定されており影響が心配されている。
主な企業[編集]
- 日野自動車(本社・日野工場)
- セイコーエプソン(日野事業所)
- 旧オリエント時計の事業所を同社の親会社となったセイコーエプソンが引き取った。孫会社であるエプソンダイレクトのサポートセンターも近隣にある。
- コニカミノルタ(東京サイト日野)
- 所在地の町名はかつてのブランド「さくら」を採って「さくら町(さくらまち)」。
- 富士電機(東京事業所)
- 所在地の町名は「富士町(ふじまち)」と、こちらも企業名が付いている。
- 帝人(東京研究センター)
- GEヘルスケア・ジャパン(本社)
- ファナック
- トッパンフォームズ
- 雪印メグミルク(日野工場)
- ロッテアイス(日野工場・メグミルク内)
- 雪印メグミルクは2013年度末をめどに日野工場を閉鎖することを発表している。
- NBCメッシュテック(本社)
- 東芝テリー(本社)
- 東芝(日野工場)も立地していたが、2010年度末に閉鎖された。
地域[編集]
学校教育[編集]
- 2001年4月より小中学校に学校選択制導入。(東京都内では品川区に続き2番目、中学校は都内初。)
- 各校調理、食材の地産地消を推進するなど、学校給食が充実。
- 昭和40年代に入居を開始した百草団地・高幡台団地では児童数の減少により小学校が統合された。
小学校[編集]
- 市立
中学校[編集]
- 市立
- 第一中学校
- 第二中学校
- 第三中学校
- 第四中学校
- 七生中学校
- 三沢中学校
- 大坂上中学校
- 平山中学校
高等学校[編集]
特別支援学校[編集]
短期大学[編集]
専修学校[編集]
大学[編集]
職業訓練[編集]
社会教育[編集]
図書館[編集]
1965年9月、1台の移動図書館からスタートした日野市立図書館は、公共図書館の中心が地域の図書館にあることを具現化してみせ、日本の図書のあり方に大きな影響を与えた。
- 日野市立図書館
- 中央図書館
- 高幡図書館
- 日野図書館
- 多摩平図書館
- 平山図書館
- 百草図書館
- 百草台児童図書館
- 市政図書室
- 移動図書館ひまわり号
博物館[編集]
- 日野市郷土資料館 (旧・日野市立ふるさと博物館)
- 新選組のふるさと歴史館
- 日野宿交流館
公民館[編集]
- 日野市中央公民館
公会堂[編集]
体育施設[編集]
- 市立南平体育館
- 市民の森ふれあいホール
- 市民陸上競技場
- 市民プール
- 多摩川グラウンド
- 万願寺グラウンド
- 浅川スポーツグラウンド
- 東光寺グラウンド
集合住宅[編集]
- 高幡台団地
- 都営新井団地
- 川原付団地
- UR 豊田駅前第一団地(多摩平 市街地住宅 1962年 現存 譲渡返還)
- UR 豊田駅前第二団地(多摩平 市街地住宅 1962年 現存 譲渡返還)
- UR 多摩平団地(多摩平他、店 1958年 一部建替済。全面建替)
- UR 館ヶ丘団地
交通[編集]
鉄道は、JR中央本線が北から西へ円弧を描くように走り、京王線が市の南部、浅川の右岸と多摩丘陵の間を東西に走り抜け、高幡不動駅から多摩動物公園駅まで支線が延びている。また、多摩都市モノレール線が南北に走り、甲州街道駅付近で中央自動車道と、高幡不動駅で京王線と交差している。
主な道路は、中央自動車道、国道20号が東西に通っている。南北方向には都道の整備が進められている。
- JR中央線、京王線、多摩都市モノレールが市外との主な交通手段となっている。新宿から日野駅・高幡不動駅までは約30分(中央特快または京王線特急利用)程度であり、南多摩地域の中では比較的都心へのアクセスが良好な部類である。
- 中央自動車道の日野バス停から高速バスを利用することもできる。
- 隣接する市とは路線バスで連絡しているが、昭島市への路線はない。(運行は京王電鉄バスと西東京バス)
- 市内の主要駅間は路線バスで結ばれている。(運行はすべて京王電鉄バス)
- 市立病院など公共機関への足としてコミュニティバスを運行している。(京王電鉄バスへの委託運行)
- 市内のバス路線網が充実しており、町名レベルで市内全ての地域に京王電鉄バス・西東京バスの停留所が置かれている。
鉄道路線[編集]
市内を通る路線と駅
- JR東日本
- 京王電鉄
- 多摩都市モノレール
- 市内を八高線がわずかに掠めて走っているが、駅はない。
道路[編集]
市内を通る道路および橋梁は以下の通り。
- 高速道路
- 中央自動車道(日野バス停)
- 一般国道
- 都道府県道
- 主要地方道
- 東京都道20号府中相模原線
- 東京都道41号稲城日野線(川崎街道)
- 一般都道
- 主要地方道
- 橋梁(上流から順)
- 多摩川
- 立日橋(東京都道149号立川日野線/多摩都市モノレール)
- 日野橋(東京都道256号八王子国立線)
- 中央道多摩川橋
- 石田大橋(国道20号日野バイパス)
- 府中四谷橋(東京都道20号府中相模原線)
- 浅川
- 長沼橋
- 滝合橋
- 平山橋(東京都道155号町田平山八王子線)
- 一番橋
- 高幡橋(東京都道41号稲城日野線)
- 万願寺歩道橋(通称「ふれあい橋」)
- 新井橋(東京都道503号相模原立川線/多摩都市モノレール)
- 多摩川
1996年、当時の森田喜美男市長は、市内の中央自動車道について、固定資産税の支払いを日本道路公団に求める方針を表明した。市長の交代によって固定資産税請求を断念した。
路線バス[編集]
隣接市町村への連絡[編集]
- 八王子市:
- 多摩市:
- 豊田駅北口 - 中央大学 - 多摩センター駅(京王電鉄バス)
- 高幡不動駅 - 聖蹟桜ヶ丘駅(京王電鉄バス)
- 府中市:
- 日野駅 - エプソン前 - 分倍河原駅(京王電鉄バス)
- 国立市:
- 日野駅 - エプソン前 - 分倍河原駅(京王電鉄バス)
- 立川市:
- 日野駅 - 立川駅北口(京王電鉄バス)
- 高幡不動駅 - 日野駅 - 立川駅北口(京王電鉄バス)
市内での運行[編集]
- 日野駅発:
- 日野駅 - 泉塚 - 豊田駅北口(京王電鉄バス)
- 日野駅 - 日野市役所 - 高幡不動駅(京王電鉄バス)
- 日野駅 - 日野本町 - 高幡不動駅(京王電鉄バス)
- 日野駅 - 日野市役所入口 - モノレール北(京王電鉄バス)
- 豊田駅北口発:
- 豊田駅北口 - 平山工業団地循環 - 豊田駅北口(京王電鉄バス)
- 高幡不動駅発:
- 高幡不動駅 - 百草団地(京王電鉄バス)
- 高幡不動駅 - 多摩動物公園駅(京王電鉄バス)
- 高幡不動駅 - 百草団地 - 三沢台下(京王電鉄バス、深夜バス)
- ミニバス(全て京王電鉄バスが運行)
- 三沢台路線(高幡不動駅 - 三沢台 - 聖蹟桜ヶ丘駅)
- 南平路線(高幡不動駅 - 北野街道口 - 豊田駅北口)
- 平山循環路線(豊田駅北口 - 都営平山四丁目- 豊田駅北口)
- 市内路線(高幡不動駅 - 日野駅 - 豊田駅北口)
- 旭ヶ丘循環路線(豊田駅北口 - 豊田住宅 - 豊田駅北口)
- 落川路線(高幡不動駅 - 落川 - 聖蹟桜ヶ丘駅)
- 川辺堀之内路線(高幡不動駅 - 川辺堀之内 - 日野市民プール - 一番橋西 - 豊田駅南口)
- 丘陵地ワゴンタクシー(かわせみ号GO(ゴー))(南観光交通株式会社が運行)
- 明星ルート(明星大学 - 第二武蔵野台 - 中程久保 - 三井台 - 稲荷沢公園 - モノレール高幡 - 川辺堀之内 - 日野市役所 - 市立病院)
- 平山ルート(平山苑上 - 平山城址公園駅 - 豊田駅南口 - 中央図書館 - 日野市役所 - 市立病院)
地域放送[編集]
観光[編集]
高幡不動、多摩動物公園に加え、「新選組のふるさと」として新選組関連の観光客が多い。
名所・旧跡等[編集]
- 土方歳三資料館
- 日野宿本陣(佐藤彦五郎邱)
- 井上源三郎資料館
- 八坂神社
- 百草八幡神社
- 大宮神社
- 神明神社
- 石田寺(せきでんじ/土方歳三墓)
- 宝泉寺(井上源三郎墓)
- 高幡不動
- 真照寺
- 平山城址
- 京王百草園
- 梅ヶ丘特殊地下壕
レジャー施設[編集]
祭事・イベント[編集]
著名な出身者[編集]
歴史上の人物[編集]
芸能[編集]
- 忌野清志郎 - RCサクセション
- 井浦新 -俳優、ファッションモデル
- 森口瑤子 - 女優
- 松尾久美子 - 元歌手で後に女優に転身
- 大原かおり - グラビアアイドル、タレント
- 佐藤健太 - 俳優
- 山本百合子 - 声優
- 谷中敦 - ミュージシャン(東京スカパラダイスオーケストラ バリトンサックス)
- ねづっち - 本名根津俊弘 (Wコロン)
- 辻仁成 - ミュージシャン・小説家。
放送[編集]
- 岡田洋子 - テレビ朝日アナウンサー
- 鮫島大史 - 青森放送アナウンサー
- 熊本恭子 - フリーアナウンサー、元・東日本放送アナウンサー
- 石井麻由子 - NHKアナウンサー
- 岩崎夏海 - 放送作家、小説家
スポーツ[編集]
- 佐伯秀喜 - 元プロ野球選手、西武ライオンズ
- 福本誠 - 元プロ野球選手、横浜ベイスターズ
- 横川雄介 - 元プロ野球選手、読売ジャイアンツ
- 廣井友信 - Jリーガー、清水エスパルス
- 須藤右介 - 元Jリーガー、サルゲイロAC (ブラジル)
- 火の竜清徳 - 元力士
- 加藤直樹 - レーシングライダー、MFJ 全日本ロードレース選手権シリーズ ST600クラス チーム名、HONDA DREAM 北九州
- 伊藤佑介ープロけん玉師
諸分野[編集]
日野市を舞台にした作品[編集]
- 日本沈没 - 2006年版映画の劇中に一時避難所として登場する。
- 図書館戦争 - 同市立図書館を導入部の舞台(日野の悪夢)とした近未来小説。
- 夕闇通り探検隊 - 本ゲームの舞台である陽見(ひるみ)市は同市をモデルとしている。
- もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら - 架空の高校名として「程久保」高校が舞台となっている。
関連項目[編集]
外部リンク[編集]
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