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[[1923年]](大正12年)[[9月1日]]の[[関東大震災]]では、直下が震源地だったために激しい被害を受けた。 [[1934年]](昭和9年)の[[丹那トンネル]]開通で、東海道本線はやっと小田原市街地を通るようになった。 この辺は[[吉村昭]]の小説『闇を裂く道』(文春文庫)に詳しい。 [[1945年]](昭和20年)[[8月15日]]、[[熊谷市]]と並び、[[太平洋戦争]]最後の[[空襲]]を受ける。 戦後、[[1951年]][[11月28日]]に「小田原大火」が発生し市街地300戸あまりを全焼。 [[1964年]](昭和39年)には[[東海道新幹線]]も開通し、[[東京都|東京]]・[[横浜市|横浜]]への所要時間も大きく縮んだ。
  
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=== 行政区域の変遷(市制施行以後) ===
 
=== 行政区域の変遷(市制施行以後) ===

2024年9月15日 (日) 14:25時点における最新版

小田原市(おだわらし)は、神奈川県西部のである。国から特例市に指定されている。

目次

概要[編集]

戦国時代には後北条氏城下町として栄えた。また、北条早雲から北条氏直まで北条五代の隆盛を影で支えたという風魔忍者の里。江戸時代には小田原藩の城下町、東海道小田原宿宿場町として盛えた。箱根峠より東側の宿場町として、現在も箱根観光の拠点都市である。1876年(明治9年)4月17日までは、現在の神奈川県西部と静岡県伊豆半島を範囲とする足柄県の県庁所在地でもあった。西湘地域の中心的な都市である。

小田原ちょうちんかまぼこの特産地として全国的に有名である。最近では小田原バーガー小田原どんを売り出している。

一時期は東京ベッドタウン化したとも言われたが、長期不況で人口動態が減少に転じた。一時は20万人を超えた人口も20万を割り込み、新幹線通勤定期代に対する補助制度を設けるなど人口確保のための政策を実施している(ただし、2008年(平成20年)3月31日までに転入した対象者をもって新規受付は終了)。また駅周辺の再開発、および郊外での住宅、都市開発も少しずつ進んでいる。

地理[編集]

神奈川県のほぼ南西端に位置し、酒匂川の流れる足柄平野を中心に、東は大磯丘陵の南西端である曽我丘陵と呼ばれる丘陵に、西は箱根に連なる火山の外輪山の跡である山地となっている。南は相模湾に面し、遠浅の海に小漁港が点在している。

沖合いには、関東大震災の震源地となった相模トラフが伸びている為、地震対策に力が入れられている。

気候は太平洋側気候の地域で、四季を通じて温暖ではあるが、冬場は海側から風が吹き込む。

歴史[編集]

古代[編集]

先史時代の小田原の中里遺跡は、縄文人渡来人が共存共栄した数少ない遺跡(地域)として知られ、人口比率は縄文人が多かったと考えられているが、他の地域と違い、点々と存在した渡来人のみの小規模の集落ではなく、縄文人と共存した大集落であった。また、縄文文化渡来文化の境界の東端であったとも考えられ、日本の文化人類学考古学において貴重な資料を提供している。

古代の相模国足下郡(あしがらのしものこおり)の地である。古名を「こゆるぎ」といい、「小由留木」「淘陵」などの字が宛てられた。「小田原」という地名は、「小由留木」の草書体を読み間違えたものという説がある。市内千代にあった千代廃寺は相模国国府とも足柄下郡郡衙の所在地といわれる。

中世[編集]

平安時代末期から鎌倉時代にかけて、平将門を討伐したことで有名な藤原秀郷の子孫・佐伯経範が1030年(長元3年)頃に秦野に移り住んで波多野氏を名乗った。後に支流として、松田氏・渋沢氏・河村氏・栢山氏・大友氏沼田氏などが出て、相模西北部にその一族の勢力を伸ばす。現在の秦野市内、足柄上郡松田町山北町南足柄市、小田原市の一部。波多野城は一族の居館である。波多野城のあった田原の、その支城として「小田原」が設置されたと言う説もある。

平安時代の末期1180年(治承4年)に、蛭ヶ小島伊豆国)で挙兵した源頼朝と平家方の大庭景親らとの、石橋山の戦いが行われた。

戦国時代[編集]

戦国時代には伊勢平氏流を称する北条早雲小田原城を奪取し、その子孫である後北条氏は小田原城を中心に関東一円に台頭し、鎌倉府足利氏関東管領上杉氏常陸国守護佐竹氏下野国国司宇都宮氏、その他関東八屋形に列せられた諸氏による当時の関東の統治体制を転覆した。なお、下野国守護小山氏は後北条氏により滅亡に追い込まれた。

近世[編集]

1590年(天正18年)、豊臣秀吉小田原征伐による後北条氏の滅亡と徳川家康江戸入府によって、小田原は歴史の表舞台から姿を消す。家康が関東を治めるようになった後は、部下の大久保氏が小田原に入った。

また後北条氏が滅亡するまで、皮革業に独占的な権益を持ち、関東一円のある一定の人々を支配し勢力を誇った小田原太郎左衛門の本拠地があった。後北条氏が発給した判物が現存している。

江戸時代[編集]

江戸時代には東国の要衝として、譜代大名を領主とする小田原藩が置かれ、小田原はその城下町となった。1686年(貞享3年)以降は代々大久保氏の城下町となった。城下町・小田原は東海道の沿線であり、小田原宿箱根の山越えを控えた宿場として東海道五十三次中最大の規模を誇った。又、小田原郊外の栢山(かやま)は、農政家・二宮尊徳の生地として有名である。

近代[編集]

1871年(明治4年)8月29日廃藩置県によって、小田原藩は小田原県となった。同年末の県合併により、相模川以西の旧相模国と旧伊豆国全域を管轄区域とする足柄県が設置され、県庁が小田原に置かれた。しかし1876年(明治9年)に足柄県は分割され、小田原を含む相模国部分は神奈川県に、伊豆国部分は静岡県となり、小田原は県庁所在地ではなくなった。神奈川県となった後に設置された支庁も、間もなく廃止されたが、1878年(明治11年)の郡区町村編制法によって足柄下郡が編制されると、足柄下郡の郡役所が小田原に置かれた。

東海道本線は当初、小田原~熱海~沼津間の急鋭地帯を避けるために現在の御殿場線経路で敷設された。その後、小田原経由の路線として、小田原馬車鉄道という馬車鉄道1888年(明治21年)に開通したのを皮切りに、熱海線(現在の東海道本線)・小田原急行鉄道(現在の小田急電鉄)なども開通した。

1923年(大正12年)9月1日関東大震災では、直下が震源地だったために激しい被害を受けた。 1934年(昭和9年)の丹那トンネル開通で、東海道本線はやっと小田原市街地を通るようになった。 この辺は吉村昭の小説『闇を裂く道』(文春文庫)に詳しい。 1945年(昭和20年)8月15日熊谷市と並び、太平洋戦争最後の空襲を受ける。 戦後、1951年11月28日に「小田原大火」が発生し市街地300戸あまりを全焼。 1964年(昭和39年)には東海道新幹線も開通し、東京横浜への所要時間も大きく縮んだ。

行政[編集]

行政区域の変遷(市制施行以後)[編集]

子育て世帯架空登録、児童手当だまし取った主事(2014年4月)[編集]

神奈川県小田原市は7日、架空の子育て世帯を市のシステムに登録し、児童手当約1360万円をだまし取ったとして、子育て政策課の男性主事(30)を同日付で懲戒免職にしたと発表した。

市の調査に対し、主事は不正行為を認め、全額返済する意思を示しているという。

市は近く、電子計算機使用詐欺で小田原署に刑事告発する。また、監督責任を怠ったとして、担当部課長ら6人を減給10分の1(1~2か月)の処分とし、加藤憲一市長と加部裕彦副市長も減給10分の1(4か月)とする方針。

児童手当の認定システムの担当者だった主事は2011年6月以降、実在しない3世帯分の受給者をシステムに登録。自分の口座を振込先に指定し、2014年3月までに計50回にわたり児童手当をだまし取っていた。でっち上げた3世帯の中には、6人の子供がいると設定していたものもあった。

主事は受給者向けの支払い通知書を発送前に抜き取り、ほかの職員が関与する現況届のチェック時には「架空名義はテストに用いるダミーデータ」などとウソの説明をして不正を隠していた。2014年3月31日、同じ担当の後輩職員が不審なデータに気づき、上司に報告して発覚した。

主事は2010年4月採用で同課に配属。翌年から同システムの主担当になり、その2か月後から不正を繰り返していた。だまし取った児童手当は親族から借りた自宅新築費の返済や生活費などに使っていたと説明している。

歴代首長[編集]

行政機構[編集]

財政[編集]

当初予算規模(2004年度)

  • 602.50億円(一般会計)
  • 696.19億円(特別会計)

市議会[編集]

  • 市議会議長:加藤仁司(かとう ひとし)
  • 市議会議員数:27人 欠員1(2011年(平成23年)4月 - )

会派の構成[編集]

会派名 議席数 代表者
誠和 5 大村学(おおむら まなぶ)
光政会 5 木村正彦(きむら まさひこ)
公明党 4 今村洋一(いまむら よういち)
新生クラブ 3 井原義雄(いはら よしお)
未来・おだわら 3 横田八郎(よこた はちろう)
日本共産党 3 関野隆司(せきの たかし)
志民の会 3 細田常夫(ほそだ つねお)
無会派 1 木村信市(きむら しんいち)

都道府県議会議員[編集]

2007年(平成19年)4月実施の県議会議員選挙から小田原市の議員定数は-1の2議席となった。

指定金融機関[編集]

市以外の行政機関[編集]

国家機関[編集]

  • 小田原税務署
  • 小田原拘置支所
  • 小田原少年院
  • 関東農政局神奈川統計情報事務所小田原出張所
  • 関東地方整備局横浜国道事務所小田原出張所
  • 横浜地方検察庁小田原支部
  • 小田原区検察庁
  • 横浜地方法務局小田原支局
  • 横浜保護観察所小田原駐在官事務所
  • 小田原労働基準監督署
  • 小田原公共職業安定所

神奈川県の機関[編集]

  • 西湘地区行政センター
  • 小田原警察署
  • 小田原県税事務所
  • 小田原児童相談所
  • 小田原保健福祉事務所
  • 温泉地学研究所
  • 酒匂川下水道整備事務所
  • 神奈川県産業技術総合研究所工芸技術センター
  • 神奈川県広域水道企業団
  • 神奈川県広域水道企業団曽我ポンプ場
  • 酒匂川流域下水道扇町管理センター
  • 酒匂川流域下水道酒匂管理センター
  • 水産総合研究所相模湾試験場
  • 農業総合研究所根府川試験場
  • 西部漁港事務所

裁判所[編集]

土木[編集]

公庫[編集]

  • 国民生活金融公庫小田原支店

経済[編集]

年間商品販売額(万円)(2004年)

45,899,952 (神奈川県全体の2.36%=県内第9位)

小売業売場面積(m²)(2004年)

255,513 (神奈川県全体の3.63%=県内第7位)

製造品出荷額(百万円)(2004年)

834,130 (神奈川県全体の4.49%=県内第7位)

農業産出額(千万円)(2004年)

427 (神奈川県全体の5.61%=県内第5位)

耕地面積(ha)(2004年)

1,980 (神奈川県全体の9.34%=県内第2位)

産業[編集]

市内の主な企業[編集]

本社

拠点

  • 温暖な気候により、山地の斜面を利用したミカン栽培も盛んであったが、近年は減反政策がとられ、その代替産業として、橘地区に西湘テクノパークが造成された。

漁業[編集]

農業[編集]

商業[編集]

小田原駅周辺

鴨宮駅周辺

かつてあった商業施設

地元に本店を置く百貨店、志澤が県内、藤沢、本厚木、平塚などに店を構えていたが、西武百貨店の傘下になり、その後、低迷を続け、現在では全面的に撤退をしている。小田原駅近くの志澤ビルのあった場所には万葉の湯(万葉倶楽部)が建てられている。なお、西武百貨店自体は、2013年3月1日に旧ロビンソン百貨店の業態転換により久々に小田原市に存在することになった。

また、小田原駅前には丸井が出店し、小田原駅東口ロータリーの地下に地下街「小田原地下街(後年、「アミーおだちか」に名称変更)」が設けられていたが、前者は2000年代前半に撤退し、後者は2007年(平成19年)に閉鎖されている。

姉妹都市・友好都市[編集]

学校[編集]

小学校[編集]

  • 小田原市立下府中小学校
  • 小田原市立桜井小学校
  • 小田原市立千代小学校
  • 小田原市立下曽我小学校
  • 小田原市立国府津小学校
  • 小田原市立酒匂小学校
  • 小田原市立片浦小学校
  • 小田原市立曽我小学校
  • 小田原市立東富水小学校
  • 小田原市立矢作小学校

中学校[編集]

公立
  • 小田原市立城山中学校
  • 小田原市立白鴎中学校
  • 小田原市立白山中学校
  • 小田原市立城南中学校

私立

高等学校[編集]

公立
私立

特別支援学校[編集]

  • 神奈川県立小田原養護学校

短期大学[編集]

大学[編集]

  • 関東学院大学(小田原キャンパス)
    • 法学部
  • 国際医療福祉大学(小田原キャンパス)
    • 小田原保健医療学部
      • 看護学科、理学療法学科、作業療法学科
  • 小田原市では、「小田原市奨学生制度(高等学校奨学生)」という奨学金制度がある。

施設[編集]

ホール・集会場[編集]

  • 小田原市民会館大ホール/小ホール
  • 小田原城下町ホール(仮)建設予定
  • 小田原市立川東タウンセンターマロニエ
  • 中央公民館
  • 小田原市梅の里センター
  • 小田原市梅の里センター分館曽我みのり館

図書館[編集]

  • 小田原市立図書館
  • 小田原市立かもめ図書館
  • 小田原市立マロニエ図書館

博物館[編集]

美術館[編集]

公民館[編集]

  • 中央公民館
  • 国府津公民館

医療施設[編集]

  • 小田原循環器病院
  • 間中病院
  • 小澤病院
  • 西湘病院
  • 小林病院
  • 丹羽病院
  • 曽我病院
  • 国府津病院

休日診療所
  • 小田原市立保健センター

メディア[編集]

新聞[編集]

テレビ[編集]

ラジオ[編集]

小田原市内ではラジオ日本(小田原中継局 1485Khz)とFm yokohama(小田原中継局 80.4Mhz)が中継局を置いている。また関東広域圏のTBSラジオ(954Khz)・文化放送(1134Khz)・ニッポン放送(1242Khz)の他、千葉県bay fm(千葉本局 78.0Mhz)、静岡県SBS静岡放送熱海中継局 1557Khz)とK-MIX(熱海中継局 83.0Mhz)も市街地では良好に受信出来る。

交通[編集]

古くより、交通の要衝として栄え、現在でも小田原駅は数多くの路線が乗り入れるターミナル駅である。80km離れた東京へは、新幹線・在来線・私鉄路線で結ばれている。なお、小田原市鴨宮は東海道新幹線の開業前に実験線(鴨宮モデル線区、現在は新幹線の路線の一部となっている)が建設された、新幹線発祥の地である。一方道路は近年整備が進んだものの、地理的に箱根や伊豆方面から、東京や横浜に向かう交通が市内で輻輳するため、行楽シーズンの休日は市内の各道路で大渋滞が発生することがある。

鉄道路線[編集]

東日本旅客鉄道(JR東日本)
東海旅客鉄道(JR東海)
小田急電鉄
箱根登山鉄道
伊豆箱根鉄道

1956年(昭和31年)までは、路面電車として箱根登山鉄道の小田原市内線も存在した。また1896年(明治29年) - 1922年(大正11年)には、人車鉄道軽便鉄道豆相人車鉄道→熱海鉄道も熱海へ向かう路線を小田原を起点にして保有していた。

隣接・近隣都市への連絡[編集]

バス路線[編集]

道路[編集]

高速道路・有料道路[編集]

一般国道[編集]

主要地方道[編集]

一般県道[編集]

娯楽[編集]

スポーツ[編集]

スポーツ施設[編集]

  • マロニエホール(体育館)
  • 小田原テニスガーデン
  • 小田原市城山陸上競技場
  • 小田原城山庭球場
  • 小田原城内弓道場
  • 御幸の浜プール

遊園地など[編集]

観光[編集]

名所・旧跡[編集]

行事・催事・祭典[編集]

民俗芸能・伝統行事[編集]

名産品[編集]


小田原城と城址公園[編集]

  • 1990年(平成2年)頃(バブル経済崩壊前後)までは小田原城には毎年多くの観光客が訪れていたがその後は減少し、一時期の年間来場者数は29万人を下回った。しかし、2009年(平成21年)頃からの歴史・城ブームや不景気による国内旅行の増加などもあり、2010年(平成22年)4月には15年ぶりに来場者数が40万人台まで復活した。
  • 小田原城址公園には2005年(平成17年)ほどまで動物園(無料)があったが、城址は国の史跡に指定されており、歴史的な観点から不適当であると判断されたことに加え、動物園の環境調査で全国最下位の劣悪な環境と格付けされたこともあり、動物たちは順次新設のわんぱくランド等に移された。2009年(平成21年)9月にゾウウメ子が死んだのを最後に城址公園から動物たちはいなくなった(サルは一時的に引越しという形になっている)。
  • 過去に、蓮池化の断念という苦い経験を持つ。
  • 現在の旭丘高等学校の地に、元々蓮池があり、その蓮池再建計画の為に移転を要求した。しかし、移転の為の補助金を一切出さなかったことが仇となり、学校側は全校あげて同地の建て直しの署名活動を起こした。そのことから、当時の文部省(現在の文部科学省)の外局文化庁との3者協議を数回に亘り行った結果、同地の蓮池化計画を断念せざるを得なくなってしまった。

関連有名人[編集]

小田原出身者[編集]

歴史上の人物[編集]

政治家・軍人・官僚[編集]

財界人[編集]

文化人[編集]

スポーツ[編集]

小田原ゆかりの有名人[編集]

皇族[編集]

政治家・軍人・官僚[編集]

財界人[編集]

文化人[編集]

スポーツ[編集]

  • 谷津田陽一、福島県出身の競輪選手小田原競輪場を本拠地とし、当市に在住していた。
  • 小門洋一、埼玉県出身の競輪選手。小田原競輪場を本拠地としていたことがある。
  • 高木隆弘、東京都出身の競輪選手。小田原競輪場を本拠地としていたことがある。

作品[編集]

小田原市はテレビ・劇場用映画やテレビCMなどの撮影ロケーションの誘致活動を行っている。フィルム・コミッションと呼ばれるこの活動の一環として、市民の希望者をエキストラに登録し、随時出演を要請している。小田原映画祭が開催され、ショートフィルムコンテストが行われる。フィルム・コミッション事業(西さがみ連邦共和国フィルム・コミッション)の実績は年々増加している。

また、農業・漁業・工業・商業といった産業が多岐にわたっているため、社会科教育番組の舞台となったり教科書で取り上げられたりすることが多い。

小田原を舞台とする映像作品[編集]

ロケ地[編集]

マンガ・アニメ[編集]

小説[編集]

ゲーム[編集]

桃太郎電鉄。オダワラーが登場する

関連項目[編集]


外部リンク[編集]

行政
観光