近親相姦
近親相姦(きんしんそうかん)は、近い親族関係にある者による性的行為である。日本語辞書や文学などの分野ではこの用語が用いられることが多い。ただし、臨床心理学などの分野で児童虐待問題に関連して扱われる場合は近親姦(きんしんかん)と呼ばれることも多い。英語では近い親族関係にある者による性的行為をインセスト(incest、ラテン語のincestusに由来)という。また人類学の一つであるジェンダー論においては兄弟レイプ、夫婦レイプなどレイプの一つとして扱われる。
近親相姦は人類の多くの文化で禁忌扱いされるが、この現象のことをインセスト・タブーと呼ぶ。近親者間の性的行為は異性間、同性間を問わず発生し、また大人と子供、子供同士、大人同士のいずれも起こるが、その親族範囲や何をもって性的行為とみなすかに関しては文化的差異が大きく、法的に近親間の同意の上の性的行為を犯罪として裁くか否かに関しても国家間で対応が分かれる。
なお、近い親族関係にある者による婚姻のことは近親婚と呼び、関連して扱われることはあるが近親相姦とは異なる概念であり、近親相姦を違法化している法域においては近親相姦罪の対象となる近親の範囲が近親婚の定義する近親の範囲と異なっている場合がある。
目次
法律
刑罰規定
人類社会の大部分においてインセスト・タブーというものがあり、法律上で近親相姦に刑罰規定を設けている国もある。しかし、成人の近親者間が合意の上で行っている性行為を犯罪として罰することは被害者なき犯罪であるという指摘があり、身体的もしくは心理的な強要を伴わない場合においては単に道徳的な理由だけで成立している近親相姦法は撤廃されるべきではないかという動きが起こった。
暴行や脅迫を伴わないものに関しては、さまざまな例がある。日本の律令では八虐で、近親相姦の禁止は謳われていない。京都朝廷の格式としては927年に完成された延喜式で述べられている規定で国つ罪として母及び子との近親相姦が禁止された。江戸幕府の規定においては、1742年の「公事方御定書」では養母、養娘、姑と密通した場合は両者ともにさらし首、姉妹、叔母、姪の場合は両者ともに遠国送りにした上で非人扱いとすると定めた(母子・父子は論外であった模様)。なお、規定上は兄弟姉妹間の密通は非人手下であって死刑ではなかったが、19世紀初頭の記録として、仙台城下で許嫁がいる衣服商の娘が兄と通じたとして兄妹もろとも磔で処刑されたという事例も存在している。
近代日本でも1873年6月13日に制定された改定律例においては親族相姦の規定があったが、1881年をもって廃止された。刑法に盛り込まれなかった理由は、ギュスターヴ・エミール・ボアソナードが近親相姦概念は道徳的観念の限りにおいて有効であると反対したためである。現在の日本では、成人の近親者同士の合意に基づく性的関係についての刑罰規定は存在しない。1947年8月11日の第1回国会司法委員会公聴会では小川友三が日本において近親相姦を違法化していないのは問題があると主張したが、牧野英一は外国で近親相姦罪が支持される背景には宗教上の問題がある件を挙げ反論している。
1995年4月27日の第132回国会法務委員会では1973年の判例である尊属殺法定刑違憲事件の話で近親相姦の違法化について議題となったが、法務省刑事局長であった則定衛は強姦罪は親告罪であるため未成年の子供が親権者を訴えにくい環境があるとはいえ、現行法でも他の親族の訴えで告訴は可能だとこれに反論した。なお、保護者と18歳未満の子供の性的関係に関しては児童虐待の防止等に関する法律の対象となりうる。強姦の場合は強姦罪などの法律で対処することになるが、明白な身体的暴力がなくとも心理的強制が認められれば準強姦罪などの法律が適用されることもありうる。一例としては、青森県在住の男性が孫娘2人に対して性的暴行を加えていたとして準強姦罪及び準強制わいせつ罪で訴えられ、2008年9月2日に青森地方裁判所が懲役12年の実刑判決を下した事件が挙げられる。この事件では孫娘に対する心理的強要があったとされるが、判決当時73歳だった祖父は孫娘は拒絶などしていなかったと裁判で主張していた。
中華人民共和国、インド、ロシア、トルコ、スペイン、ポルトガル、オランダ、ベルギー、ルクセンブルク、イスラエル、ブラジル、アルゼンチン、コートジボワールは合意の上の成人近親相姦を合法としている。ただし、イスラエルは保護者に関しては別に法律を制定しており、直系子孫や被後見者等との関係は相手が21歳以上でなければ合法とならない。また近親相姦それ自体が合法であっても、他の犯罪の裁判で情状酌量の理由として扱われる場合もある。中華人民共和国では、1980年以降母親と性関係を持ち続けながら、結婚と離婚を2回繰り返した後、3回目の結婚生活を妻と送っていた最中に、息子が母親のせいでこれ以上離婚したくないことを動機として、2006年5月に母親を殺害したが、死体に精液斑が残っていたため逮捕され、裁判にかけられ、2007年2月に永州市中級人民法院で下された判決では故意殺人罪が適用されたものの、情状酌量が認められ、死緩判決すなわち2年の執行猶予付の死刑判決が宣告されることになった。
フランスでも、成人の近親相姦に関しては特に刑法で定められていない。ただし、右翼政党国民運動連合の党員の支持により、2010年に未成年者に対する近親相姦に限定して刑法上の文面が制定された。
近親相姦罪もしくは乱倫罪においては双方が法律の対象となりうる。シンガポールでは、2008年の父娘相姦の事例で父親に対して逮捕状が請求されたが、父親は逃亡し娘が残ったため、娘が指名手配中の父親との近親相姦の罪を問われ、2010年に法律改定後初となる近親相姦の女性被告となった。娘は事件当時20歳であり、法律上は父親の行為に合意していた場合は乱倫罪を適用できる年齢であったためだが、父親が指名手配中であり事件は未だ捜査中という事情もあり、特に無罪判決が出されたわけではないが、2010年9月に一応は娘は釈放された。アラブ首長国連邦では、他の男性と交際していた姪と2010年2月に関係を持ち妊娠させたオジがおり、姪はナイフで脅されたと主張したが、オジは薬物中毒状態でよく覚えていないがナイフは持っておらず合意の上だったと主張し、裁判では合意があったと判断され、オジに2年の投獄(近親相姦に対しては1年の投獄だが薬物中毒で1年追加)、姪に3ヶ月の投獄が宣告され、首長国ドバイの最高裁判所に上告するも2011年8月に棄却された。
ドイツでは直系血族、兄弟姉妹間の性交を刑法典第173条で処罰すると定めている。1913年~1924年のドイツにおける近親相姦罪の年間違反者数の最大値は862人で最小値は227人であった。父親のアルコール依存症が原因で家庭崩壊に陥り、他の家に養子に出されていたドイツ民主共和国出まれの男性が、2000年の母親の死去をきっかけに孤独さから血縁上の妹と性関係を持ち、子供を4人もうけたが、このことで兄が近親相姦罪を問われ、裁判にかけられ服役することになったため、釈放後に兄が再び妹との近親相姦罪で裁判を行っている最中に、合意に基づく関係であっても犯罪とする当該の規定の撤廃を求める裁判が行われた。なお、妹も近親相姦罪を問われたものの1年の保護観察処分だった。弁護士は被害者が存在するわけではないと主張し、子供の遺伝的リスクに関しても、障害を持つ親や40歳を超えて高齢出産をする女性などが犯罪者扱いされないのにもかかわらず、近親者間で子供をもうける親を犯罪者扱いするのは差別だと主張し、妹は取材に対して「私は家族と一緒に暮らすことと、政府と裁判所が放っておいてくれることを望んでいるだけ」と語った。この事件ではドイツ国民から彼らに同情の目が向けられたが、2008年3月に連邦憲法裁判所は家庭内での権力乱用と近親交配を抑止するために近親相姦法は維持されるべきだとして、この訴えを棄却した。
イギリスでは近親相姦は違法である。スコットランドでは、夫との娘を出産したものの産後うつに陥り不妊にさせられた異父妹と恋愛関係になった異父兄がおり、彼らの母親は息子と娘が裸でいるところを目撃したため警察に通報し、近親相姦で兄妹は有罪判決を受けていたが、これに対し兄妹は2008年5月にアメリカ合衆国のテレビ番組『グッド・モーニング・アメリカ』に出演し、自分たちの関係について理解を求めた。2011年8月4日には、以前にも近親相姦で有罪になっていたバーミンガムの47歳の父親と26歳の娘が再び近親相姦で有罪を宣告された問題で、BBCは離婚が原因で別々に暮らしていた父娘であり、父親の弁護士が個人の自由を阻害している事件ではない旨を語った話を取り上げた。
かつてイギリスの植民地であった中華人民共和国の特別行政区香港では、刑事罪行条例の第200章47条及び48条に乱倫罪についての規定があり、近親相姦は違法となっている。ただし、その範囲は近親婚の定義とは異なり、おじおば甥姪に関しては婚姻条例第181章27条で結婚できないとされているが、乱倫罪の定める処罰対象にはなっていない。
台湾では、中華民国刑法第230条によって、直系血族及び傍系3親等内血族の近親相姦は違法となっている。もっとも、刑法第236条に血族相姦罪は親告罪と明記されており、当事者達が刑罰を望まない場合は不起訴とすることは可能である。
アイルランドでは、現行法は1908年に制定されたものを1995年に少し修正したものであるが、近親相姦は犯罪と定められている。アルコール依存症の母親が1998年から2004年までの期間に子供達を虐待していた事件があり、政府は2000年の段階で子供達の保護を試みていたが、母親に味方したカトリック系右翼団体の抗議で対応が遅れてしまったという経緯があったのだが、結局は裁判沙汰となり母親は13歳の息子に対して近親姦を行ったなどの罪で2009年にロスコモン巡回裁判所で7年の投獄を宣告されたのだが、この事件はアイルランドでは女性が裁判で近親姦で有罪になった史上初のケースであり、裁判官には母親に関する近親姦法の不備が指摘された。この事件で、飲んだくれの当時36歳の母親に13歳の時に犯された息子は、母親の動機が分からないため泣きながらその時のことを「僕は困惑した」とアイルランドの警察に対し語ったという。
アメリカ合衆国では、合意の上の成人の近親相姦である場合は州によって罰すべきか否か異なる。伝統的な近親相姦法を廃止しているミシガン州(1974年廃止)やニュージャージー州(1979年廃止)では近親姦の刑罰規定は客体が児童の場合に限定されており、成人の場合は合法化されているが、成人であっても違法とする州も多い。だが、2003年の合意に基づく性行為は憲法で保障されているとして同性愛に対するソドミー法を違憲としたローレンス対テキサス州事件判決との整合性から、アメリカ合衆国憲法修正第14条に反する違憲立法との主張がある。子供を4人もうけたことで近親相姦罪を問われ親権を剥奪され、1997年に懲役8年を宣告された兄と懲役5年を宣告された妹の事件で、兄が訴訟を起こしたが、ローレンス対テキサス州事件は同性愛を特別に扱ったと判断する形で、2005年に連邦第7巡回区控訴裁判所はこの訴えを棄却している。また、オハイオ州では22歳の義理の娘との近親相姦で2004年に120日の投獄を宣告された義父が訴訟を起こしたが、州の最高裁はこの訴えを退けた。なお、対象が一定年齢以下の児童の場合は、すべての州で違法である。ミシガン州でも、養子に出していた当時14歳の息子の写真を送ることを2008年にされなかった際、ソーシャル・ネットワーキング・サイトを用いて息子を探してセックスしたとして母親が罪を問われ、2010年7月13日に9~30年の投獄を宣告されたという事例もあるが、弁護士は彼らの関係は母と息子間のそれではなく、通常の男女関係に過ぎないと主張していた。また、バージニア州で近親相姦者は性犯罪者としてインターネット上に情報公開しなくてはならないことになった際、かつて18歳の時に当時14歳の妹との近親相姦の罪を問われ1994年に有罪となり、90日の投獄刑に保護観察の場合の執行猶予が付けられる形で処分を宣告されたことがある男性が訴訟を起こし、妹も裁判で兄の訴えを支持したのだが、2006年9月にプリンスウィリアム郡巡回裁判所はこの訴えを棄却した。
オーストラリアでは近親相姦は違法とされている。1996年以降、モデル刑事法典役員会 (MCCOC) は近親相姦を違法とする法律について検討を行ったが、当初は犯罪となる近親相姦は児童への性犯罪法の範疇だろうとしていたが、成年で同意しているように見えても特に若い場合は児童期から虐待が行われていた可能性があり、その場合はどう対処するのかという問題で1999年提出の報告書では結局撤廃を断念した。夫婦の離婚で長いこと離れ離れになっていた父親と娘が再会後に子供をもうけ、父娘が有罪を宣告され裁判所から性交渉を禁止する命令を出された問題で、2008年4月6日にナイン・ネットワークが提供している『60 Minutes』という番組に、39歳の娘が父親との間にもうけた自分の娘とともに出演し、テレビを通じて「今少しの理解と尊重を求めたいだけ」と訴えたことがあった。なお、事件が起こったとされる時から数十年後になってからでも、過去に起こったとされる事件について裁判所が刑罰を宣告する可能性も存在している。1976年から1977年に当時14歳の娘が夫である義理の父親に虐待されるのを見逃していたという妻が、1980年に夫の命令で当時16歳の息子とセックスしていたとして、2011年6月9日に2年3ヶ月の仮釈放なしの5年3ヶ月の投獄を宣告さけたヴィクトリア州の女性の裁判例もある。なお、この父親も義理の子供3人と実の子供1人に対する性犯罪疑惑で近親相姦等の罪に問われ、15年の仮釈放なしの18年の投獄が2011年8月9日に宣告された。
結婚制度
近親婚も参照
日本の民法では直系の血族と、傍系の血族で3親等以内の者との結婚が禁止されている(民法第734条および第740条)。たとえば、自分自身の兄弟姉妹との関係は、直系ではなく傍系ということになる。法律的には、甥・姪の子供やいとこは傍系4親等であり結婚可能である。
日本の近親婚の規定に関しては、実際の血縁関係がない「義理」「養親子」関係であっても近親に分類され、直系親族の場合は婚姻が禁止されている(民法第735条および民法第736条)。ただし、近親婚の禁止について民法第734条のただし書きには養子の異性(傍系のみ)とはこの限りではないとあるため、傍系の養子ならば婚姻は可能である。また、配偶者の両親は血族ではなく姻族と呼ばれるが、法律上は配偶者がいる場合には直系姻族についてだけが禁止の対象になり、傍系姻族ならば結婚が可能となる。そのため、妻の姉妹あるいは夫の兄弟は傍系姻族であるため結婚することは可能である。だが、妻の母親あるいは夫の父親は直系姻族ということになり、結婚は不可能となる。
また、日本においては婚姻が禁止される近親者同士でもうけた子であっても、非嫡出子として認知することは可能である。この場合、戸籍の「父」「母」欄には近親者同士が名を連ねることとなる。あるいは、婚姻が禁止される近親者同士でもうけた子を認知せずに養子縁組を行うことも可能である。この場合、戸籍の「父」欄は不明で、実父が養父として記載されることになる。
1957年に大韓民国で可決された大韓民国民法第809条第1項では、慣習法を明文化し、同姓同本不婚が規定されていた。しかしこれでは、非常に遠い血族であっても近親婚的な扱われ方がされてしまう。例えば慶州金氏の始祖は金閼智であるが、新羅で65年に天から降臨したところを発見されたと伝承される人物である。なお、双方の同意をもって事実婚を選ぶことは阻害されず、生まれた子は非嫡出子として扱われていたが、子供達が社会的侮辱を受けているとの指摘があり社会問題化し、また1980年代には同姓同本で結婚できないカップルは推定約30万組に達したともされていた。韓国政府に対し撤廃を求める声もあったが保守勢力の反対もあり、最終的に1997年に大韓民国憲法の定める幸福追求権に反するとして、同姓同本不婚の項目に対し違憲判決が出され、2005年に改正法の施行によって撤廃された。
1977年2月にソウルで、同姓同本で結婚できない20代のカップルが、ホテルで一夜を過ごした後に別れよりも死を選ぶ旨の遺書を残して、そこから飛び降りを行い心中する事件が発生したことがきっかけで、韓国世論が動くことになり、1977年12月31月には1978年限定で同姓同本婚を許可するとの法律も公布されたが、実際には時限立法のため韓国国民に法律の存在を理解させる時間がなかったとされている。この同姓同本不婚の法律の制定の背景には、日韓併合後の日本統治時代に抑圧された儒教組織による復古運動があったとされ、また国会審議で、4親等同士ですら婚姻が認められている野蛮的国家の模倣をするのか、あるいは日本の行いは禽獣であり韓国人の心情に反する、といった議論になるなど、当時激しいものがあった反日感情も大いに影響したとされており、1957年当時の『韓国日報』の調査では、年配の回答者と女性回答者に規定支持者が多かったが、年配層の中では41~50歳の世代に規定廃止論者が多く、世代を物語るようであり興味深い結果だと評した。
フランス民法典では近親婚の禁止の規定があるが、それに加え子供の認知に関しても制限が存在し、1972年の法改正で直系姻族及びオジオバ甥姪の間にもうけられた子供であれば両親が婚姻中ならば認知は可能ということになったものの、直系血族及び兄弟姉妹の間に生まれた子供に関しては両方の親が同時に子供を認知することはなお認めておらず、異父兄弟姉妹間に生まれ母親に認知された子供が父親と養子縁組することを認めるよう求めた裁判もあったのだが、2004年1月6日に破毀院はそのような養子縁組は認められないとの判断を示した。
スウェーデンでは婚姻法第2部第2章第3条の規定により、直系血族と同父かつ同母の兄弟姉妹の結婚は認められないが、異父または異母の兄弟姉妹ならば政府当局の許可を得た上であれば結婚は認められる。これは異父兄妹が近親相姦罪で犯罪者扱いされながらも別れろという命令を無視し、子供を2人もうけた事件をきっかけにして、1973年に異父または異母ならば特例で兄弟姉妹婚も可能なよう法改正が行われたためである。
クルアーンの第四章「女」には、母、妻の母、乳母、娘、継娘(妻と肉体的交渉がある場合)、姉妹、乳姉妹、息子の妻、父の妻、オバ、姪との婚姻、及び婚姻が解消されないうちの姻族の姉妹との重婚を禁じるという表現がある。イスラームの法体系であるシャリーアでは、血族の兄弟姉妹、直系血族、兄弟姉妹の直系血族、直系血族の兄弟姉妹、及びそれに対応する乳親族、義理の父母及び娘息子、養父母及び養子をマフラムとして、彼らどうしの結婚を禁じている。2007年11月、インドの西ベンガル州で15歳の娘を妊娠させた36歳のムスリムが、アッラーのお告げによって娘と結婚することにしたのであると言いだしたところ、怒れる隣人たちにリンチされそうになったため、警察が父親を救出する事件が発生した。この事件では、インドのイスラーム神学校であるダルル・ウルーム・デオバンドが、父と娘の結婚は無効であると宣言している。
イギリスでは聖公会祈祷書の規定を原型にして、両親と祖父母及び子と孫(姻族含む)及び養子とおじおば甥姪との結婚を認めないことになっている。元々は聖公会祈祷書に基づく教会法は、姻族の兄弟姉妹及びおじおば甥姪との結婚も認めていなかったが、20世紀前半にイギリス議会において配偶者の死亡後の結婚に関しては合法化が次々に決定された。なお、近親者が近親関係を申し出ずに結婚した場合は、近親であると証明されれば法廷で婚姻関係を破棄される。双子が互いに双子と知らずに結婚し、血縁関係が明らかになったため法廷上で婚姻関係を破棄されてしまった事例が存在したことが、2008年1月にイギリス貴族院で言及されている。
いとこ同士の場合
いとこ婚 も参照
イスラーム国家では血縁が濃いことを歓迎する傾向があり、いとことの結婚(いとこ婚)も合法でその割合も多い。有名なケースでは、イスラームの開祖である預言者ムハンマドや、イラクの大統領サッダーム・フセインなどがいとこと結婚している。イラク戦争でアメリカ軍に射殺されたサッダーム・フセインの息子ウダイとクサイは、その結婚で生まれた子供であった。
ヨーロッパでもいとことの結婚は一応は可能であり、進化論を唱えたチャールズ・ダーウィンなどがいとこと結婚しているが、キリスト教の信仰が強い社会や国家テンプレート:どこ範囲においては教会法に反するとして、いとこ婚がタブー視されているため、結婚の許可を得ることは困難を極める可能性はある。アガサ・クリスティ原作のテレビドラマシリーズ『名探偵ポワロ』の一編「葬儀を終えて」では、葬儀のために集まったいとこが性的関係をもってしまい、深刻に悩む描写がある。
日本でもいとことの結婚は合法であり、例えば歴代総理大臣のうち若槻禮次郎、岸信介・佐藤栄作兄弟、菅直人の妻がいとこである。このうち、最初の3人は養家(父方または母方のおじの家)を継ぐため親族間の合意の下に婿養子となっており(岸と佐藤の姓が兄弟で異なるのは共に養家の姓を名乗ったためである)、菅の場合は恋愛結婚である。ただし、イスラーム圏のようにいとこ婚を歓迎する傾向が特にあるわけではない。
中華人民共和国や朝鮮半島などの国家・地域では結婚が認められない場合がある。1981年1月1日施行の中華人民共和国の修正婚姻法第7条1号では、傍系では3代即ち4親等までの血族の婚姻を認めていないため、いとこ婚は不可となっている。ただし、推奨はされないが民族性などを省みた上で、傍系血族婚規定について弾力的運用をすることは可能であるとしている。一方、大韓民国では8親等以内の血族との結婚は認められないため、いとこやはとこはおろか、みいとことも結婚が認められないことになっている。
アメリカ合衆国では、いとこ婚が無条件に可能なのは19の州及びコロンビア特別区のみであり、双方の配偶者が年齢65歳以上または不能に関する証拠を持つ年齢55歳以上の場合に限って許可しているユタ州など、制限付きで可能なのが6州で、残る25の州ではいとことの結婚は禁止されている(2011年現在)。中にはテキサス州などのように、いとこ同士の性関係自体に対し、刑法典で刑罰規定を設け犯罪と定めている場合もある。
傍系三親等血族同士の場合
叔姪婚も参照
イギリスのように、おじおば甥姪との性関係に対して刑罰規定が適用されうるとする法域も存在するが、ロシアでは家族法典第14条で近親婚扱いされておらず、婚姻が許可されている。ドイツでも婚姻法第4条第1項第21条で近親婚扱いされていないため、婚姻が可能である。フランスでは民法典第163条で一応は禁止されているものの、民法典第164条の規定で重大な理由がある場合はフランス大統領は婚姻を許可することができることになっている。日本でも国家としては婚姻の許可はしないものの、性関係に対する罰則は存在しない上、地域社会で結婚が実質的に受け入れられている場合もある。倉本政雄が1942年(昭和17年)の年度に調査し、1943年(昭和18年)に豐田文一と共同で発表した研究報告では、富山県の産婦人科で取り扱った1197人の調査において、叔姪婚が2組(全ての結婚のうちの約0.17%)存在していたという報告がある。だが、たとえ地域社会で受け入れられていても民法で許可された婚姻と同等に扱うことはできないのでは、という論争が日本ではあった。
茨城県で父方の叔父と1958年以降内縁関係にあった姪が、叔父の死亡後に近親婚を理由として社会保険庁から遺族年金の支給を断られたため裁判となった。2004年6月22日、東京地方裁判所は地域社会で公認されている以上は法的な妻と同等の権利はあると判断した。しかし、控訴審の東京高等裁判所では2005年5月31日、近親婚的内縁関係に権利を認めると民法で守られている秩序が破壊されてしまうとして、社会的に保護される権利はないと逆転判決を出した。これを受け最高裁判所への上告が行われ、2007年3月8日、最高裁判所はこの場合は地域社会に受け入れられているため、倫理性や公益性を省みた上で権利は認められる、と原告の訴えを認める判断を示した。
堕胎について
近親相姦で妊娠した場合に出産するか否かについての問題もある。堕胎が完全に違法になるかなど各国の司法権によって対応が異なる。アメリカ合衆国では女性の権利として堕胎が認められており、近親相姦で妊娠した場合も産む産まないの選択が可能である。しかしながら、胎児の人権を重視する立場のプロライフ派はこの対応を批判しており、激しい論争が発生している。
2006年3月6日にサウスダコタ州で、母体に危険がない場合は近親姦や強姦によるものを含む全ての妊娠における堕胎を犯罪とする法律に、州知事が署名した。しかしこの州法に対し、2006年11月7日に住民投票が行われ、反対56%賛成44%の反対多数で廃止が決定された。
社会学と発生率調査
社会学的な観点から人間の性の実情を探ろうとする動きがあり、この一環として近親姦の発生率についても扱った調査が存在する。
1940年の精神科の女性患者142人と比較群の健康女性153人の合計295人の女性を対象とした、カーネイ・ランディスによる調査では、性的に成熟する以前の性的虐待の体験率が調べられたが、その調査では近親者による性的虐待率は12.5%であった。
1953年の女性4441人を対象にしたアルフレッド・キンゼイらによるキンゼイ報告でも、同じく性的に成熟する以前の性的虐待の体験率が調べられ、その調査結果によれば近親者からの性的虐待の体験率は5.5%、父親または義理の父親によるものは1.0%であり、近親姦を含む性的虐待の加害者は男性が100%で女性は0%としている。なお、キンゼイ報告は統計学的に不適切な点があることも指摘されている。
1978年にはアメリカ合衆国のカリフォルニア州でダイアナ・ラッセルにより930人の女性を対象に性的な接触行為まで含めた場合の発生率調査が行われた。それによると近親者による性被害率は女性が18歳までで全体の約16%である。このうち4.5%が父親で残り12%が別の肉親であり、全体16%のうち3分の1近くが父親によるものであることを示す。一時期「実の父親による性虐待が多い」と言われたこともあったが、ラッセルの調査では3分の2以上が父親以外の他の肉親によるものであり、さらにその「父親」とされる人物の多くは義父である。
1978年の、大学生796人(女性530人、男性266人)を対象にしたデイビッド・フィンケラーの報告では、女性は家族による性的虐待率は8.4%でうち父親もしくは義理の父親によるものは1.3%、男性は家族による性的虐待率は1.5%で父親もしくは義理の父親によるものは0%だった。
一方、男性の場合は不適切な性的関わりを「虐待」という言葉で表現することに違和感があり、そういった例が過少申告されうるとの指摘もあり、デイビッド・リザックらは1996年に、大学生の男性を対象にして「虐待」という表現を質問では用いずに行った調査報告を発表した。
一般的には親子の近親姦は父親と娘のパターンが多いと言われているのだが、「虐待」という概念によって感覚的に統計上のバイアスがもたらされている可能性もあり、比率に関しては安易に断定することはできない。また、Ann Banning (1989) は母親による近親姦は、フェミニスト的観点によってまるで存在しないかのように扱われてきたと指摘した。
日本では1972年、五島勉が著書『近親相愛』でアンケート調査の結果を発表した。それによれば、女性1229人から得られた回答を基にした分析で、4.7%が実際に家族と性的行為を行った、もしくはギリギリの状況まで進んだと推定されるとしている。
また、精神科医の斎藤学がラッセルの基準を参考に、1993年に過食症の女性患者52名、比較群の健康女性52人に行った調査がある。その結果、健康女性の2%、過食症の女性患者の21%が18歳までに何らかの近親姦的被害に遭っているという調査結果が得られた。
一方、石川義之は1993年に大学・専門学校生を対象に調査を行ったが、非接触性のものまで含めた場合は女性の12.3%が近親姦的な性虐待被害を報告しており、父親によるものはうち5.7%であったという。
大韓民国では2005年にHyun-Sil KimとHun-Soo Kimが、定義を年長者による暴行もしくは脅迫を伴った何らかの形式での性的挿入を伴った被害に絞った上で近親姦の発生率を調査し発表しているが、それによれば青年1672人中3.7%がそのような近親姦を報告したとされる。
兄弟姉妹間の性関係
兄弟姉妹婚も参照
社会学者デイビッド・フィンケラーは796人の大学生を対象にした調査の兄弟姉妹姦の分析結果を1980年に発表したが、それによれば女性の15%、男性の10%は、性器の愛撫などといった行為が多いものの、何らかの形での兄弟姉妹との近親姦を報告し、その兄弟姉妹の近親姦の4分の1は年齢差などの状況から判断して兄弟姉妹間の虐待とみなされうるものであったと主張している。
兄弟姉妹の近親姦は、両親あるいは片親の欠如など家庭内における両親の機能が存在していないことが、重要なファクターとして機能している可能性がある。久保摂二は1957年の「近親相姦に関する研究」において日本における15例の兄弟姉妹姦の事例を調査したが、両親を喪いしかも兄弟姉妹6人のうち3人が知的障害を持っているという状況で、障害を持たない長男と長女が親代わりとして近親相姦を行っていたため、他人と結婚する権利を放棄してまで家族を養おうとした彼らは世間から同情の目で見られたという事例があったことを報告している。
また、山内昶 (1996) は2世紀のエジプトの話として記録された婚姻の20%(113例中23例)がキョウダイ婚とされる事実を引用する。
Floyd Mansfield Martinsonは1994年の自らの著書『The Sexual Life of Children(訳:子供達の性生活)』で子供の性について扱っている。Floydは、子供時代の男女間の性的行為そのものがかなり普通にあると論じ、互いに近い関係にあることが原因で子供時代の兄弟姉妹の間で性的行為が起こりうるとしている。マルグリット・ユルスナールは文学における近親相姦の歴史を『姉アンナ…』の自作解説で振り返り、父娘や母息子の場合は双方の意志に基づかないものが多く、兄弟姉妹だけには意志的なものが成り立つと主張した。
だが、性的虐待の分析では、兄弟姉妹の場合と父娘の場合に差異はないとMireille Cyr et al. (2002) は指摘する。
H. Smith and E. Israel (1987) は、コロラド州のボルダー性的虐待チームに1982年5月から1985年12月にかけ報告された25例の兄弟姉妹姦の事例の調査で、兄弟姉妹姦を行っている子供の多くは親と疎遠な関係にある傾向があったとしている。一方、原田武 (2001) は、しばしば両親や片親の不在や機能不全が兄弟姉妹の近親相姦を起こりやすくするという見解が唱えられているが、全く逆に家族の厳格さが子供達を密接な関係にしている可能性もまた存在すると指摘している。
Jankova-Ajanovska R. et al. (2010) は、14歳で妊娠してしまった少女が60歳の男性を強姦で訴えたのだが、妊娠中絶後の胎児のDNA鑑定でその男性は無関係で実はキョウダイ同士の関係による妊娠であったことが明らかになった事例を報告している。
兄と妹の場合
徐送迎 (2001) は、兄妹の性関係について父権制社会においては夫を持ちながら兄と通じるということになりかねないので嫌われたものの、母系制社会においては特に嫌う理由がなく残存していたのではないかと考え、春秋時代の斉において長女が嫁に行かず家を守るという風習は母系制社会の影響があるのではないかと指摘し、君主の襄公が異母妹である文姜と通じたという話は、単に古代中国が東夷と呼んでいた民族において兄妹での性関係が垣間見られたため地元に土着した君主がその風習に合わせただけであろうと指摘している。
久保摂二は、自らの調査での高学歴の兄が優秀な成績の妹に言い寄り妹が喜んでそれに応じ関係を持った事例について、母が厳しくしつけ過ぎたことがある程度は影響していたのかもしれないとしている。また、久保摂二は兄との近親相姦関係においては他の男性との関係に比べ恐怖を感じなかったことを証言する妹の話を載せている。
リチャード・ガートナー (1999) は、性的虐待を受けた男性の中には、妹の性器を触る、あるいは舐めるなどの行為を行ったことを自ら証言している人物がいる件について触れており、他にも興味深い例として、5歳の頃に当時8歳の兄に膣を撫でられたり胸の付近を触られたりしたと証言する女性が、兄も性的虐待を受けたことがあるのではないかと心配していたようだったため聞いてみたところ、妹とのことについて兄は覚えておらず、また兄は初め妹が言うようなことをされたことはないと言ったが、兄は続けて7歳前後の時期に当時18歳だったベビーシッターの胸を触ったことがあるのだが、なぜか両親に頼んで解雇してしまったため後で考えると女性と関わる機会だったのに馬鹿なことをしたと証言した事例を報告している。
また、周囲の対応として、近親相姦者を忌み嫌う姿勢に問題があるのかもしれない。カール・グスタフ・ユングは兄に15歳の時に犯され世間から爪弾きにされていた妹を治療したことがあるが、話をさせるだけでも何週間もかかり銃を医者に向けたりなどした後、結局は落ち着き退院したのだが、その際に「あなたが私を見すてていたら、私はあなたを撃ち殺していたでしょう」と持っていた銃をユングに手渡して語ったという。
姉と弟の場合
原田武 (2001) は、キョウダイではどちらかがもう片方に対し母親的な役割を果たせばキョウダイ姦は起こりにくくなるという久保摂二の説を引き合いに出し、姉が母親的な役割を果たせば姉弟相姦が起こりにくくなるであろうという見解を示している。
香港では、両親が離婚し母方の祖父の家に預けられるなどし、学校生活に馴染めず姉のことを最も敬愛する人だと言い、家にこもってインターネットばかりやっていた当時16歳の弟が、2009年4月のある日に一緒に姉と寝ていたところ、寝ている姉を突然抱きしめ性交し、10月にも無理矢理に迫って性交した後、姉がソーシャルワーカーに相談したことから、弟が乱倫罪を問われ有罪となったが、許しており情を求めると姉と母は郵便で伝え、2010年7月発表の処分では年齢からしても弟は更生施設に送致するのが妥当ということになった。
同性の兄弟姉妹の場合
John V. Caffaro and Allison Conn-Caffaro (1998) の研究では兄弟姉妹間の近親相姦について調査したが、同性によるものも報告されており、男の兄弟同士の性関係を6人の男性が報告し、女の姉妹同士の性関係を2人の女性が報告しているとしている。
リチャード・ガートナー (1999) は、兄弟間の性的関係についても触れているが、彼の扱った事例ではアルコール依存症の両親の下で育った男性が、かつて父親や兄から性的虐待を受けていたと証言しており、また10代の時期には3歳年下だった弟と性的関係を持ち、大人になってからも一回他の男を加えた上で弟と性的行為を行ったことがあるとも証言したが、自分は弟に性的に興奮していたものの、弟は自分に対して性的に興奮していたわけではなく険悪な関係だったと述べており、その弟は最終的にはエイズで死んでしまったのだという。
J. Dennis Fortenberry and Robert F. Hill (1986) は、虐待の連鎖によって引き起こされたとみられる姉妹間の性的関係を報告している。実の母親から性的虐待を受けた日本人女性によるノンフィクション小説『無垢、汚れの花 -Mother sexual abused-』(宇佐Psyche,、2012年)では、当時7歳の被害者が母親からされたクンニリングスを4歳の妹に対して行う場面も記述されている。。
親子間の性関係
親子婚も参照
近親者の性行為のことを日本語で「近親相姦」というが、論者によっては「近親姦」という用語を用いる場合がある。近親相姦ではなく「近親姦」の用語が用いる理由として、「相」という文字を含む語句には双方の合意と言う意味合いが社会通念上含まれていることが多いにもかかわらず、親子の「近親相姦」では実際には強引な場合がみられるため、性的虐待を表現するには適切とは言いがたいという問題が指摘されている。なお、1995年の第132回国会法務委員会においては、父と娘の近親姦絡みで起こった事件である尊属殺法定刑違憲事件の話に当て嵌める形で、強姦であり相姦という用語は不適切だとして近親姦の用語が使用されたことがある。
父親と娘の場合
ジュディス・ハーマンは自らの著作『父-娘 近親姦 (Father-Daughter Incest)』 (1981) で、情報提供を行うことができる比較的健康な40人の女性の家庭を対象に、父と娘の近親姦の起こっている家庭について1975年以降4年間の面接データを基に研究を行った。その研究によれば、その家庭は典型的で伝統的で保守的で見かけ上はとても立派な家父長制の家庭であり、父親は社会的には能力が足りないとみなされながらも外部的には家族の責任を果たしていると賞賛される傾向があったのだが、実際には家庭内では男尊女卑の傾向があり、母親は大抵は父親への依存が高い専業主婦で性役割は明瞭化されていて、父親は暴力を振るう可能性をちらつかせ暴君として恐れられており、それはアルコール依存によって悪化する場合が多く、母親は無能で役立たずな人間とみなされ何度も無理矢理妊娠させられることもあり、抑うつ・精神病・アルコール依存の症状をきたしていることが多く、一方で娘は父親の相手をし、機嫌をよく保つ役割を担わされ、さらに兄弟姉妹の養育の責任も担っていることが多かった。
ジュディス・ハーマン (1981) は、生物学的にも心理学的にも社会学的にもインセスト・タブーには男女差が存在することに着目し、父権的な家庭であればあるほど父と娘の間にあるインセスト・タブーは破られやすくなると考え、自らの理論は実際に父娘姦が起こっている家族を観察することによって証明可能であると主張した。だが、実際には父娘姦といってもさまざまな家庭が存在し、S. Kirschner, D.A. Kirschner, R.L. Rappaport (1993) は「父親が優位である家族」「母親が優位である家族」「混沌とした家族」の3つのパターンを記述している。
スーザン・フォワード (1989) は、父親との性行為で生理的にオーガズムに達してしまう娘も存在すると述べており、また、父親と性関係を結んでいる娘は母親に対抗する「女」としての自分を意識している場合があり、自分は父親を母親から奪っているという独特の罪悪感から、母親に秘密を打ち明けることが非常に困難な事態に陥り、母親を裏切っているという意識から余計に罪悪感を深めている場合が多いことを指摘している。
マーガレット・ラインホルドは1990年に出版した自らの著書『親から自分をとり戻すための本―「傷ついた子ども」だったあなたへ』において、父と娘の性的関係をたとえ母親が認識していたり感じ取っていたとしても、母親は夫の行為をやめさせようとしないことが多いとされる件について触れており、その原因として、夫の性欲のはけ口に娘がなってくれて助かっていると母親が思いこんでいる可能性や、母親が娘に敵対心を燃やしている可能性や、夫に恐怖しているため逆らえない可能性などを挙げている。
父と娘の近親姦においてGoodwin, J.M.は「目隠し(Blind)」と名付けられる特徴があることを報告しており、その5つの特徴とは、「Brainwash(洗脳…家族では当たり前のことであるという話や秘密にしなければならないという嘘の情報を与え、子供を洗脳すること)」、「Loss(喪失…秘密にしなければ家族崩壊や友人関係の消失が起こると脅迫し口を封じること)」、「Isolation(分離…人に話せば友人から信用されなくなると言い、子供が真実の情報を得る事を出来なくさせること)、「Not awake(未覚醒時…睡眠時、病気の際や身体的虐待時など意識や判断能力の低下時に虐待をすること)」、「Death fears(死の恐怖…人に話せば殺すというメッセージを送ること)」であるとしているが、吉田タカコ (2001) はこれは父娘姦の特徴というよりは性的虐待一般に当てはまることの多い特徴だと指摘している。
原田武 (2001) は、父娘姦を虐待とみなす論者は性的好奇心につけこんで性行為を行うことも虐待であると主張しているのであろうが、父と娘の近親姦では父親による明白な暴力を伴うことはそれほど多くなく、多くの場合は娘は父親に抵抗せず、娘が自発的に参加しているように見える場合も少なくないため、自分にとって頼れる人を娘が求めているがゆえに父親の行為に応じやすくなっているのではないかと指摘している。
母親と息子の場合
母親と息子の近親姦に関しても様々な研究が行われているが、少なからず発生しているにもかかわらず、西洋、特にキリスト教文化圏においては、母と息子の近親姦に対する嫌悪が強く、議論が進みにくい状況がある。アメリカ合衆国では母息子間の近親姦は近親姦の中でも最大の禁忌であり、理論上の可能性として母息子間の近親姦を取り上げただけで白い目で見られたとリチャード・ガートナー (1999) は述べている。
母親からの性的虐待を受けた男児の心理状態として指摘されていることは「自分は特別な存在であり、特権を与えられるに値する人間なのである」という感覚を持つ一方、実のところその感覚はかりそめでいつ壊れても不思議はないものという感覚があり、それに対して過剰に警戒しながら母親の恋人としてふさわしくあろうとするために、パラノイアに近い広範な不安に苛まれてしまっているということである。
この不安は自分自身が母親に嘲られる可能性を予期し、先々それに応じた反応を取ることで心理的な被害を食い止めようとするために起こる反応である、という理論がArnold Rothstein (1979) により述べられた。この理論はグレン・ギャバード and Stuart W. Twemlow (1994) によってさらに発展され、息子は母親によって母親の自己愛を満たすことが自分の役割だと思い込まされるが、そのために間違ってでも母親を不快にさせた場合、それは自分の存在そのものを否定されることに等しくなり、それゆえに息子はまるで綱渡りをしているような状況に陥るのだという。一方、自分が特別だという感情は行為そのものへの武勇伝的感覚などに由来するとみられ、こうした感情は自分が非常に誘惑的で、多くの女を魅惑する力を持っているのだと思い込む力へとつながるが、虐待時の母親の行動は母親の都合で歪められた認識下で起こっていることが多いため、息子の近親姦に対する認識もまた歪んでしまっている可能性があるとリチャード・ガートナー (1999) は指摘する。
Loretta M. McCarty (1986) は、娘を虐待する母親は娘を自らの拡張のように扱う傾向があるのに対し、息子に近親姦を行う母親の中には父親不在でまるで息子を同世代の仲間であるかのように扱う場合も存在したという報告をしている。
Brooke Hopkins (1993) は、6歳だった頃の話として、自らが夜中にベッドの中で母親との接触行為で激しい性的興奮を覚え、それが良くないことだと自分は感じていたにもかかわらず、自分は自らの欲望を抑えることができず母親は自分はあくまで受動的な立場であるかのような態度をとっていたため、結局父親が無理矢理やめさせるまで母親との性的な行為が続いてしまったことについて触れ、母親が誘惑したかどうかにかかわらず母親に自分が利用されたという意味でそのような行為はたとえ法律上は犯罪扱いはされなくとも不適切な行為であったと主張している。
リチャード・ベレンゼン (1993) は、自らが母親に近親姦を受けた際に、その行為で心理的な憎悪が発生したにもかかわらず、同じことが原因で身体的に快楽を得てしまうために、相反する感情が同時に発生するというパラドックスが発生した体験について触れている。
Robert J. Kelly et al. (2002) は、様々な関係の人物からの性的虐待を報告した67人の男性を扱っているが、うち17人が母親からのものだったと報告しており、またそのうちの約半分は母息子近親姦に対して当初は肯定的感情あるいは混合した感情を示していたにもかかわらず、母親との近親姦を報告した男性は他の性的虐待を報告した男性よりも深刻なトラウマを抱えやすい傾向があった事を報告している。
平山朝治 (2003) は、人間はネオテニー進化を経た存在であるという見解について触れ、ボノボやチンパンジーでは性的に成熟した息子が母親と性交することはまず見られないものの、性的に成熟していなければ母親と性交する現象が確認できることから、ネオテニーの子供の場合では母親が息子のことをまだ子供だと錯覚しているため、より母と息子の近親交配が起こりやすいという仮説を立てている。
同性の親子の場合
同性の親子の近親姦の場合は、インセスト・タブーに加え同性愛のタブーも加わるため非常に見えにくくなっている。
父親と息子の場合の家族モデルは父親と娘の場合とよく似ている場合が多いが、こういった場合は父性的なものすなわち権力的なものに対する反抗が起こることが多い。Katharine N. Dixon et al. (1978) は病院に運ばれた外来患者として6人の父親(実父4人・義父2人)から性的虐待を受けた10人の息子の事例を報告しているが、自己破壊的で他人を殺害したい衝動を持っていた被害者が多かったという。だが、無論のことながら父親に性的虐待をされたからといって息子が殺人者になるというわけではなく、また反社会的態度は周囲の態度にも影響されうる。
母親と娘の近親姦に関しては、社会における女性が加害者とならないという通念や母性の考えが、この性的虐待の形式を非常に見えにくいものとしている。母親から娘に対する性的虐待を扱った書物としては、1997年に出版されたBobbie Rosencransによる著作『The Last Secret: Daughters Sexually Abused by Mothers(訳:最後の秘密—母親に性的に虐待された娘)』という書物がある。Rosencrans (1997) による93人の被害者への調査は、虐待について誰にも告げられないまま平均28年を過ごしていたことを示す。
日本における話としては、母子家庭で被害を受けてしまったという女性の話が『トラウマとジェンダー 臨床からの声』(2004年)に載せられているが、それによれば母親から「侵襲」されたというような感覚を持つのだが、一方で母親から強烈な女性らしさを要求されるにもかかわらずそれを達成できずに苦闘するといい、性的虐待を受けていなかったらレズビアンになったのではないかという疑惑を持ったとも述べている。
また、2012年には実の母親から執拗な性的虐待を受けた被害女性によるノンフィクション小説『無垢、汚れの花 -Mother sexual abused-』(宇佐Psyche)が出版された。4才の時から母親にクンニリングスを強制されるばかりでなく、初めてのオーガズムを至らされてしまった当時の感情や思考が細密かつ徹底的に記述されている。
人類学と婚姻規則
族内婚|同姓不婚も参照
人類学者にして構造主義者であるクロード・レヴィ=ストロースは、交叉いとこ婚は容認されながらも平行いとこ婚は禁忌扱いされている社会があることに着目し、近親相姦の禁止は族外婚の推奨のため、自らの一族の女性を他の一族に贈与するためであるという説を体系化した。この説における族外婚とは結婚制度における規則であり、それに従うことによって家族間で女性の交換が行われ一つの社会を築き上げることができるのだと解釈できる。特に家族という概念を公的分野にまで持ち込もうとする社会では、このような婚姻規則はより複雑化するわけである。しかし、莫大な財産がある場合はこのように族外婚を行ってしまうと外戚によって一族の財産が乗っ取られてしまうため、人民に対して絶対的な地位にある場合は近親婚が行われる例もある。このような理由から、君主の一族に近親婚が見られる例は多く、古代日本の天皇家や古代朝鮮の新羅王家などでは血族結婚はかなり頻繁にあったと記録されている。一方、この理論は貨幣として女性を扱う考えであり、レヴィ=ストロースにとってはこのように女性は高い価値があると主張したつもりなのであるが、女性から見た場合は自分達が交換要員として場合によっては全く馴染みがない一族と結婚させられるため必ずしも女性にとって良い思想ではなく、考え方の根本に男性優位的な側面がある可能性も指摘される。日本で行われてきた族内婚の場合、父系と母系の区別があやふやになるため、女性の継承権が必ずしも否定されないという側面も存在する。
近親相姦のイメージとは、婚姻秩序に基づいた抑圧によるでっち上げに過ぎないという見方も存在し、ドゥルーズ=ガタリは『アンチ・オイディプス』において、母親は出自の秩序を守るため、姉妹は縁組の秩序を守るためそれぞれの近親相姦の禁止は存在すると捉えた上で、白人を主体とする植民者などといった存在と接続した原始社会の体系と革命的な「生産的な無意識」こと「欲望する諸機械」との間の境界線として近親相姦のイメージは出現しているとして、実際には代替イメージとしての近親相姦を行うことなど不可能であると主張している。
比較的緩い形で近親相姦の禁止を設けていた社会も存在し、ギリシアなどでは兄弟姉妹婚には寛容であったのだが、これは近親相姦を容認していたというわけではなく、プラトンは『国家』で娘や娘の子供達や母や母方の祖母などとの性関係は許されないとしている。一方、中国では父系制社会を維持しようとする儒教的観点から、同じ宗族同士の同姓婚が忌み嫌われた時代があり、この同姓不婚の慣習は他国家にも影響を与え、朝鮮の高麗王朝は元のクビライ(世祖)に同姓不婚の制度を守るよう命令を受け、忠宣王も一応はこれに同意した。だが、高麗では巫俗や仏教が盛んで儒教的思想に馴染みがなかったことなどから、異母兄弟姉妹婚などの族内婚が行われていたため、このような命令を発しても現実には効果がなかったとされる。だが、李氏朝鮮時代になるとこの状況に変化が見られ、満州族が中国を征服し清王朝を樹立し後に同姓不婚の制度を廃止した一方で、朝鮮では自分たちこそ正統な中国文明の後継者という自負から小中華思想が発展し、明王朝時代の中国の法律を模範として同姓同本婚を禁じ、この状況は後の大韓民国に引き継がれることとなった。また、日本においても時代の経過とともに天皇家に近親婚が少なくなっていった理由は中国の同姓不婚制の影響ではないかという見方も存在する。
また、婚姻による親族関係は血族ではなく姻族と呼ばれるのだが、姻族同士の婚姻についても禁じる社会もあり、日本においては義理の直系親族と結婚を行うことが不可となっている。イスラームでは乳母を通じた乳関係までが婚姻が禁止される対象として含まれている。
捏造される近親相姦
ローマ帝国の暴君ネロは、母親アグリッピナとの間で近親相姦の関係にあったと言われる。18世紀のルネッサンスの時代、ボルジア家のチェーザレとルクレツィアは兄妹で近親相姦の関係にあったといわれている。18世紀にフランスの王妃マリーアントワネットは息子であるルイ17世との間に近親相姦があり、その罪でギロチンにかけられた。しかし、いずれも根拠に乏しく、政治的な理由で捏造されたものである可能性が高い。
遺伝学と心理的嫌悪
近交弱勢|ウェスターマーク効果|ジェネティック・セクシュアル・アトラクションも参照
近親相姦によって子供が生まれると、遺伝的リスクが高まるという話がある。遺伝学の知識があったかは不明だが、古くはソクラテスが近親相姦によって子供をもうけた場合は子供の成長に悪影響があると論じており、田中克己は「遺伝学からみたインセスト・タブー」において、全身性のアルビノの発生率が、他人交配の場合は1/40,000の発生率になるところが、親子や兄妹の交配では1/780の発生率になると推定した。
Robin L. Bennett et al. (2002) によれば、遺伝的リスクは第一度近親者同士による交配で元々の遺伝的リスクに加え全体比で6.8%から11.2%の増加が推測されている。実際に単純に調査した結果においては近親相姦の遺伝的影響以外からも子供に障害が発生する可能性があることを差し引く必要はあるが、チェコスロバキアにおいて、親子兄弟姉妹間の交配で生まれた161人のうち、13人が1歳未満で死亡し、30人に先天的に身体的な異状が見られ、40人に精神障害が見られ、3人が聾唖者となり、3人がてんかんを患っていたという1971年の調査もある。
人間など生物における雌雄の生殖においては両親から遺伝子を受け継ぐが、近親婚で生まれた子供でない場合は、ある劣性遺伝子がもし有害であったとしても片方の親からそれをもらっただけでは本人に異常が出ることはないのだが、近親婚で生まれた子供の場合は、先祖を共有していることから同一の種類の劣性遺伝子を両親が保有している可能性が高いため、その遺伝子が一対となり異常が発生する可能性が高くなる。
生存に不利な遺伝子はそうでない遺伝子に比べて圧倒的少数であり、劣性遺伝子の中に隠蔽されていることが多い。なぜなら、そのような遺伝子が顕在化した個体は子孫を残すまで生存することは困難で、したがって多くの生存に不利な優性遺伝子は子孫に継承されにくく、結果として淘汰されてきたからである。そのため、近親交配によって子供が生まれた場合は遺伝的リスクが高まるとして、これを近交弱勢と言う。
しかし、劣性遺伝子という言葉を用いてはいるが、劣性であることがすなわち有害というわけではないため、理屈上は有益な劣性遺伝子が近親交配で発現する場合も考えられうる。豐田文一と倉本政雄の1943年(昭和18年)の論文「富山縣下ニ於ケル血族結婚ノ頻度ニ就テ:農村衞生ニ關スル調査報告 第5報」では、自分達とは別の研究で血族結婚を繰り返してきた1786人在住の部落を調査した結果を引用し、この報告では部落の子供達は劣等生だらけではあったのだが、逆に優等生は「全て」血族結婚によって生まれた子供であったとされており、有害な劣性遺伝子が家系に存在しない場合は近親交配によって有害な影響がもたらされるとは考えられないという論も存在しているとはしながらも、有益な遺伝子を特定しこういった側面を利用する技術がない以上は、なお優生学的な意味で血族結婚を避けることの理由となりうるとしている。
自然界でもボトルネック効果が発生した際に、選択的な遺伝的浮動が起こった場合には、有害な劣性遺伝子が除去され近親交配の負の効果が顕在化しない可能性はある。だが、通常は人間以外の動物の場合、近親交配の有害な影響を避けるために人為的な選択管理が必要となる。実際には人間を含む有性生殖を行う動物の多くは近親交配を避けることが多く、人間の場合はウェスターマーク効果といって近親相姦の嫌悪は一般的にありうるという研究結果も示されている。一方で、この親族認識の手段に関してはなお議論があり、ジェネティック・セクシュアル・アトラクションといって、近親者であっても生き別れの親族などでは普通に恋愛感情が湧くことが多いという指摘もある。
また、ハンガリー国立ペーチ大学が行った研究では、男性は母親に似た女性、女性は父親に似た男性に惹かれる傾向があるという研究結果が存在する。
生物学
格家族間の交配を含む近親交配は人以外の動物でも、ウタスズメ、ガラパゴスフィンチ、オグロプレーリードッグ、その他類人猿などでも確認されており、一定数存在するこれらの近親交配がその種にとって有利な選択になる可能性が指摘されている。まず、血縁者同士で儲けた子供の方が非血縁者同士で儲けた子供よりも自分の遺伝子のコピーを多く受け継ぐというものである。その結果、生存する子が両方同じ数である場合、個体が後代に残せる遺伝子が血縁者同士で子供を儲けた場合の方が多く残すことが出来る。また、血縁者同士の交配は、非血縁者同士の交配よりも比較的若い年齢で始まることが指摘されている。その結果、その個体の生涯における繁殖成功度が非血縁者同士の交配よりも、血縁者同士の交配の方が高まる。現代社会における結婚年齢は、夫婦が非血縁者同士である場合よりも、いとこ同士である場合の方が低いという。そのためか、いとこ婚の夫婦の子供の出生率は相対的に高い傾向がある。ローマ期エジプトの兄妹婚においても、若い夫婦が多く、非血縁者同士の男女よりも兄妹の方が早く結婚していた可能性が指摘されている。血縁者同士の交配の方が若くで始まる傾向があるということは人以外の動物でも観察され、ウタスズメは、繁殖開始年齢を下げるために近親交配をしているという。東京大学大学院理学系研究科教授の青木健一は、これらの理論をもとに集団生物学的にその種の集団間に存在する一定数の兄妹交配がその種にとって利益をもたらすものであり、その利益に与るために集団間に一定数兄妹交配の夫婦が存在するように適応進化したかどうかを解析するモデルを構築した結果、兄妹交配を行う性向が進化するための条件が満たされている可能性があると言及している[1]。
民俗学と宗教論
夜這いも参照
日本における話として、赤松啓介が1994年に刊行された『夜這いの民俗学』において、かつて男のフンドシ祝いや女のコシマキ祝い(以前はオハグロ祝いと呼んだ)では儀式的に初体験を行う場合があり、この際に周りの人に阻害された場合などで父娘や母息子といった組み合わせで初体験を済ませてしまう場合は存在したようだが、あまりそういうことについてうるさく話さないという了解があったと述べている。
しかし、赤松は障害者に関して本来は他人が行うべき性教育を身内の人が行わざるを得なくなったために近親同士で妊娠させてしまっている場合もあること、またハンセン病患者や知的障害者は近親性交が原因で地元を離れるはめになる場合があったことなどの例を挙げ、一般の研究者がこういった社会の暗黒面の真実を全く見ようとしないことについても批判的に取り上げている。なお、赤松は近親性交を理由に立ち退いた知的障害者は都市部のスラムなどにおいて夫婦同然の暮らしをしている場合もあるとした。
アメリカ合衆国においては政治家でもあるルイス・リビーが、1996年に『ジ・アプレンティス』という小説を発表した。この小説は1903年の日本を舞台とし、さまざまな性的場面が描写されているが、その中には日本におけるオジ姪相姦についての描写もあった。リビーはその後、副大統領ディック・チェイニーの首席補佐官も務めたが、合衆国政府がイラク戦争において大量破壊兵器をサッダーム・フセイン政権下のイラクが所有しているというプロパガンダを正当化するため、米中央情報局 (CIA) のエージェントの身分の意図的な情報漏洩を行ったとするプレイム事件で、リビーが主導者の隠蔽目的の偽証罪で逮捕・起訴されたことで、この書物がメディアの脚光を浴びることになった。
近親相姦の禁止について明記していた宗教もあり、旧約聖書のレビ記18章6~18節においては姻族も含めた近親相姦の禁止について言及されている。だが、逆に近親相姦によって偉大な力を得られるという考えもあり、アフリカのマラウィにおいては、母や姉妹との交わりは戦いにおける弾よけになるという信仰もあった。チベットの密教の一つのタントラ教は母と娘を愛欲することで、広大なる悟りを得られると主張する。ゾロアスター教においては父と娘、母と息子、兄弟姉妹の結婚はフヴァエトヴァダタと呼ばれる最高の善行であった。現代でも、経済的な都合上から文化的に許容されている場合もあり、シエラマドレ山脈に住むインディアンの父親と娘は、経済的な理由から近親相姦を行うことがよくあるという。
未来において近親相姦が広く許容される時代が来るという宗教もある。ユダヤ教シャブタイ派の預言者アブラハム・ナタン(ガザのナタン)によると、シャブタイ・ツヴィが棄教したこの世界をモーセ律法に対してクルアーンが支配する世界だとしたが、それは間もなく来るメシアの時代の前駆的な形態にすぎず、メシアの時代のもとでは既存の規範が有効性を失う。その時、近親相姦を含む全ての性の禁忌が取り去られ、自由な世界において生命の樹の神秘に与ることができるという。
なお『古事記』には「上通下通婚(おやこたわけ)」という用語が見られ、これが国つ罪の親子相姦禁止規定につながったという見方もある。また、日本が形作られた天地開闢ではイザナギとイザナミは兄妹であり、近親相姦というタブーを犯した結果にヒルコが生まれたとする説がある。タブーの末にこうした不具の子が生まれたり罰を受けたりする事象は神話ではよく見られ、ノアの方舟のような洪水の話は、兄妹だけが生き残ってしまったが故に近親相姦はやむを得なかったとしてタブーを乗り越えるための説話であるとされる。
中国語では倫理を乱す行いのことを「乱倫 (luàn lún)」というが、この用語は近親相姦の意味で使われることがある。ラテン語で近親相姦を意味するincestumは「不敬な」などという意味であり、ドイツ語で近親相姦の意味で用いられるBlutschandeは「血の冒涜」のことを表現している。
朝鮮の新羅の王族において近親婚が繰り返された理由は、骨品制という身分制度において天降種族たる王族の血の純潔性を尊んだことが一因ではあるが、血が混ざると呪力が落ちてしまうという信仰の影響もあるのではという見方も存在する。
日本では男女の双子は心中者の生まれ変わりと考える文化があった。来世で生まれ変わって夫婦になることを誓い合った二人だと考え、片方を養子に出して成人してから他人として結婚させるということが行われた。この場合は双子であっても近親相姦とは考えない傾向があった。
サモアでは、男女の双子は母親の胎内で近親相姦をしていると考えられている。
スコラ哲学者・神学者のトマス・アクィナスは、キリスト教において近親婚がタブーである理由について、人は自然本性的に同じ血縁の者を愛するのであるから、これに性的な愛情が加われば欲望があまりにも激しくなり、貞潔に反するためであるからだと述べている。
心理学
ジークムント・フロイトが自ら初期の誘惑理論を放棄した後、心理学、精神分析学、精神医学の分野では1980年代までほとんどの近親姦の話は子供時代の幻想に過ぎないと主張されていたが、その後は大量の文献が発表されている。
スーザン・フォワード (1989) は、社会には恐らく近親相姦嫌悪を原因とした、近親相姦についてのさまざまな誤解が存在していることを指摘しており、例えば、近親相姦というものはめったに存在しない、あるいは貧困家庭や低教育層や過疎地で起こるものだ、近親相姦を行うものは社会的にも性的にも逸脱した変質者だなどといった誤解を例に挙げており、また性的に満たされない人間が行うと考えられることもあるが、実際は支配欲などが主な動機と考えられており、たとえ最終的に性欲をも満たそうとすることはあっても行為のきっかけにはなりにくいとも述べている。
スーザン・フォワード (1989) は、心理学上は近親相姦とは近親者における接触性の性的行為全てを指し、接触のない近親者による性的行動は近親相姦的行為とされるとし、親子のスキンシップなど必要とされる接触行為も存在すると述べた上で、どのような行為が近親相姦行為か否かに関しての区分は、一般にそれを秘密にしなくてはならないかどうかであるとする。
マーガレット・ラインホルド (1990) は著書『親から自分をとり戻すための本―「傷ついた子ども」だったあなたへ』において、直接的な母息子間の性行為はないものの、夫との離婚後に他の男たちとの性的行為を家庭内で大っぴらに行っていた母親の下で育った息子が、後に勃起不全気味になり、さらに年上の女性たちとの関係に凝り固まってしまったうえ、高齢になり年上の女性を魅惑することができなくなり、また父親に対する見捨てられ感から自らにまともに価値を見いだせず、最終的には自殺してしまった話を取り上げている。
特に近親姦に限ってはいないが、近親姦を含む児童性的虐待を受けた女性全般について斎藤学 (2001) は、自らの調査では、自殺願望が高く対人恐怖の傾向があり、解離性障害や心的外傷後ストレス障害 (PTSD) を抱えている場合が多くみられるとしている。
日本では、因果関係を巡り民事訴訟となった事例がある。両親が離婚し小学生であった1992年以降祖父の家で暮らしていた女性が、祖父が添い寝をして猥褻行為をするようになり2000年まで性的関係が続き、それが原因でPTSDになったとして損害賠償を祖父に求めた裁判で、2005年10月14日に東京地方裁判所は性的虐待との因果関係を認めて祖父に約6000万円の支払いを命じた。
情緒的近親姦
情緒的近親姦も参照
たとえ実際に明らかな近親姦もしくは近親姦的行為がなくても、親子間において似たような破壊的力動が起こることもあると主張する研究者がいる。それは情緒的近親姦(じょうちょてききんしんかん、Emotional Incest)と言われる概念である。子供との関係が養育から近親姦的な愛への境界線を越えるのは、それが子供の欲求を満たすためではなく、親の欲求を満たすためのものになった時であるというが、このような場合は親は意識レベルでは子供を性的に裏切っていることに気づかない場合も多い。この概念を用いる際は、近親姦は「明白な近親姦」と言われる。
しかし、近親者による視姦などのセクハラ行為は一般的にも問題視されうるが、こういったことを一般的に言われる近親姦と同様の扱いとすることに対しては批判も強い。また、息子に対して誘惑的な行動をとる母親の存在はよく指摘されてはいるものの、父親によるものと違い母親による誘惑行為が近親姦的な意図による虐待行為とみなされることは少ない。精神分析家の多くはかつてはそのように母親から誘惑を受ければゲイになるのだろうと言っていたが、現在はゲイだから誘惑されたという認識に変わりつつある。この解釈ではゲイの場合母親が子供から得られると思っていたロマンティックな感じが得られないため、無理矢理に母親が誘惑するのであるという。
精神分析学
精神分析学の創始者であるジークムント・フロイトは子供に近親相姦願望があると考え、自身の主張をギリシア悲劇の一つ『オイディプス王』になぞらえ、エディプスコンプレックスと呼んだ。彼の主張によれば男児の自我は初め最も身近な存在である母親を自己のものにしようとする欲望を抱くが、自我の発達がさらに進展すると男児は母親の所有において父親は競争相手であるという認識をいだき、この際に父親に去勢される可能性から近親相姦的欲望は抑制され、その結果として父親に同一化していた自我の成分が無意識下に導入され「超自我」となり、それが自我の発達に重要な関与をもたらすという。
だが、この理論は父権制社会を前提としたものであるため、ブロニスロウ・マリノフスキーの「母権性社会」の話からすると普遍的な話とは考えにくいとの批判がある。ただ、これに関しては当初から批判があり、だからこそカール・グスタフ・ユングもアルフレッド・アドラーもフロイトから離反したのである。フロイトもユングも近親相姦の話を神話的と捉えたが、フロイトは近親相姦ファンタジーの処理がうまくいっていないことが問題を引き起こすと考えた一方で、ユングは近親相姦の話はより普遍的なものであり現実的問題はそれ以外の個人的なものに由来するとしたように問題の本質についての思想の差異も存在した。また、エドワード・ウェスターマークの身近な相手に性的欲望を持つことは少ないという「ウェスターマーク効果」の話とも衝突している。さらに近親者への性的願望論が正しいとしても、実際の事件での近親相姦の事実そのものが幻想になるわけではないと、アンドリュー・ヴァクスは自らの小説『赤毛のストレーガ』の一エピソードとして挙げている。
現在はその上でフロイトの理論をどのようにみなせるかと考えられることが多く、ポップ・カルチャーでよく用いられる用語である。もっとも人文学でもフロイトの考えは一般的に受け入れられているわけではなく、かつては医師でフロイトと親交があったが小説家に転向したアルトゥル・シュニッツラーは1913年の小説『べアーテ夫人とその息子』において、夫の死後に妻が息子と関係を持つという、母親主導型の近親相姦を描いている。
歴史
古代以前
2010年にロシアのシベリアで出土した5万年前のネアンデルタール人女性の骨から採取したDNAを解析した結果、両親は近親者同士であることが判明した。半血きょうだいまたはおじとめいなどの関係であると見られ、当時の人類は集団が小さいため近親での交配が一般的であったことが指摘された[2]。
古代 - 1000年
古代エジプトの皇位継承権は、第一皇女にあった。しかし、実質的な君主(ファラオ)は第一皇女の夫である。古代エジプトの王家で見られた兄妹・姉弟間の婚姻は、本来女系皇族が継承する皇位を、男系皇族が実質的に継承する機能を果たしていた。例えば、エジプトの女王、クレオパトラが弟のプトレマイオス13世と結婚して殺した後、さらにその下の弟のプトレマイオス14世と結婚している。エジプトにおいては上の階級だけではなく、下の階級もこれに倣ったので、あらゆる階級の人々の間で近親婚が行われていた。全体の内訳としては、ローマ期エジプトの時点で121組の夫婦の内、20組が全血の兄妹婚、4組が半血の兄妹婚、2組がいとこ婚、95組が非血縁者婚だった。ローマ期エジプトには、8人の子が生存している他産な兄妹夫婦もいたことが判明している。
アケメネス朝ペルシアの王カンビュセス2世は、両親を同じくする妹である下の妹ロクサーナと上の妹アトッサと結婚した。最近親婚(フヴァエトヴァダタ)を善行とするゾロアスター教において、この結婚は現在確認できる最初の王家による最近親婚であった。
マーシャル諸島や古代アイルランドでは兄弟姉妹間の結婚、ソロモン諸島では父娘間の結婚が認められている。
アルメニア王国アルタクシアス朝のティグラネス四世は妹のエラトーと結婚した。近親婚はアルメニア人の間で根強く広まっていたようで、単性論派キリスト教が普及した後も変わらなかった。
エフタルの祭司階級がエフタル滅亡後にインド西北部に土着した集団といわれる「ガンダーラ・ブラーフマナ」は兄弟姉妹間で性交する習慣があったという。
ダビデ王の王子アブサロムの妹タマルを異母兄アムノンが犯してしまう(旧約聖書サムエル記下13章)。中国では、春秋時代の斉の襄公とその異母妹文姜の事例がある。
また、イエス・キリストを裏切ったユダには、オイディプスそっくりの伝説が存在していたことをオットー・ランクは指摘する。無論事実ではないが、母と寝たために父殺しの運命を背負ったという考えから生まれた風説である。
歴史上では、古代ローマ帝国の皇帝カリグラが、自身の妹であるドルシラ、小アグリッピナ、ユリア・リウィッラと次々に性的関係を持っていたと言われているが、その物語には脚色が多く、どこまでが本当かは未だに不明である。その妹達の一人とされる小アグリッピナは叔父であるクラウディウスと後に結婚しており、息子ネロとの関係もかなりの噂となった。
日本国初代天皇神武天皇の即位前の時代は神代とされるため神話扱いされているが、ウガヤフキアエズとその母の妹(つまり叔母)であるタマヨリビメとの間に神武天皇は生まれたとされている。欠史八代の実在性には疑問が投げかけられているものの、孝安天皇は姪である押媛との間に孝霊天皇をもうけている。記録上は皇族の義理の母子結婚も存在しており、孝霊天皇の息子孝元天皇の妻伊香色謎命は、孝元天皇の息子である開化天皇に嫁ぎ崇神天皇を産んでいる。伝説性が強い人物ではあるが、ヤマトタケルはオバである両道入姫命との間に仲哀天皇をもうけている。仁徳天皇は異母妹である八田皇女と宇遅之若郎女を妻としている。
また、『古事記』には景行天皇が玄孫である迦具漏比売命(ヤマトタケルの曾孫)を妻とし、子供であり来孫でもある存在の大江王をもうけたという内容があり、記録上の年代を無視して子孫が20歳で結婚し子供をもうけ続けたと仮定した場合、100歳まで生きることができれば理論上は可能なのだが、現実的にこのような関係が成立するとは考えにくく、これについて『古事記伝』は伝記の混乱によるものだとしている。
なお、古代日本では同母兄妹(または姉弟)の間の性関係はタブーであったとされる。有名なものでは木梨軽皇子と軽大娘皇女が挙げられる(詳しくは「衣通姫伝説」の項を参照)。しかし、異母の場合およびおじ=姪・おば=甥の関係はかなり普通にあり、むしろ理想の結婚と考えられていたようである。
また、記紀には、木梨軽皇子、長田大娘皇女、境黒彦皇子、安康天皇、軽大娘皇女、八釣白彦皇子、雄略天皇、橘大娘皇女、酒見娘皇女が同父母兄弟姉妹であるという記載があるのだが、『古事記』によれば、安康天皇が臣下の嘘の証言を信じ、大草香皇子を殺しその妻であった長田大娘皇女を妻としたとされているため、これは姉弟姦なのではという意見もある。ただし『日本書紀』の雄略紀では安康天皇の妻は履中天皇の皇女である中磯皇女とし、亦の名は長田大娘皇女と註を付けるという言い方をしている。この場合はいとこ婚となる。一方で『日本書紀』では木梨軽皇子と軽大娘皇女のロマンティックな絡みは見られず、人間的に木梨軽皇子寄りの記述が『古事記』ほどうかがえないのも特徴的である。この部分は記紀の記述が異なっている有名な事例の一つである。このため、山上伊豆母は記紀に書かれた記述はあくまでも記紀編纂者の観念の反映であり、それよりも200年も前の木梨軽皇子の時代にも同じ倫理観(同母兄妹(または姉弟)の間の性関係に対する禁忌)が存在していたとする確証はないとしている。なお、安康天皇は後に長田大娘皇女の連れ子である眉輪王に暗殺され、弟の雄略天皇が即位する。雄略天皇はオバである草香幡梭姫皇女を妻とするが彼らの間に子供は産まれなかった。
なお、この頃は一般的な日本人にも近親婚がみられたことが、『日本書紀』の第15巻の仁賢天皇6年の、国策で夫が高句麗に送られることを嘆く難波(現在の大阪)での女性の逸話に見られる。その記録によれば、その女性の母と母方の祖父は既に死去してはいるのだが、彼女の夫は彼女の父と彼女の母方の祖母との間に生まれた息子であるため、彼女にとって夫は母方の叔父でありかつ異母兄弟なのだということを伝えている。
さらに、日本の対岸にあった国家である新羅においても、王族同士の婚姻で生まれた子供は聖骨(ソンゴル)として尊ばれたこともあり、親族結婚によって生まれた子供が王位に就くことはざらにあった。傍系三親等血族同士で生まれた子供が王になった例としては、葛文王立宗と姪である只召夫人の間に生まれた第24代国王真興王や、銅輪(真興王の息子)とオバである万呼夫人の間に生まれた第26代国王真平王が挙げられる。
聖徳太子は欽明天皇の息子である用明天皇と娘である穴穂部間人皇女の間から生まれたと「記紀」共に認めているのだが、聖人として認められている。また、『日本書紀』によると用明天皇の母堅塩媛は、穴穂部間人皇女の母小姉君の同母姉にあたり、蘇我稲目の娘であると記す。つまり兄妹であり従兄妹であったということになる。しかしながら、一方で『古事記』は、小姉君を堅塩媛のオバと記している。これについて『捜聖記』においては、堅塩媛が「媛」なのに対し、小姉君が「君」であることから、小姉君は稲目の養女なのではないかと推測しているが、これは推測の域を出ない。なお、聖徳太子の母である穴穂部間人皇女は用明天皇の没後、その皇子である田目皇子と結婚している(『上宮記』による)。これは今で言うところの義理の母子結婚に当たる。さらに、『古事記』によると田目皇子は穴穂部間人皇女の姉の子であり甥に当たるとされる。
欽明天皇は姪の石姫皇女との間に敏達天皇をもうけ、敏達天皇は異母妹である推古天皇との間に竹田皇子をもうけるも、竹田皇子は皇位に就くことなく亡くなってしまう。聖徳太子と推古天皇の死後は、舒明天皇が即位するが、舒明天皇の両親である押坂彦人大兄皇子と糠手姫皇女は敏達天皇の腹違いの息子と娘で異母兄妹とされている。舒明天皇は姪である寶女王(後の皇極天皇)を妻とし中大兄皇子(後の天智天皇)、間人皇女、大海人皇子(後の天武天皇)をもうけたとされる。
大化の改新が起こり、孝徳天皇は姪の間人皇女を妻とするが、『万葉集』に孝徳天皇が間人皇女に宛てた歌の中に、間人と同母兄である中大兄皇子との不倫を示唆しているとも解釈できる歌が収録されている。直接的な証拠はないが、このことで批判されたため中大兄皇子は天皇位になかなか就けなかったのではないかとも言われている。
ほぼ同じころ、大海人皇子は鸕野讃良皇女(後の持統天皇)及び3人の天智天皇の娘、すなわち姪を妻にしているほか、阿閇皇女(後の元明天皇)は甥の草壁皇子の妻となっている。この他にも異母近親婚、おじ・おばとの近親婚の例は多い。また、葛城王(後の橘諸兄)の妻藤原多比能は異父妹とされており、これが事実ならば同母の兄弟姉妹でも場合によってはタブー視されていなかった可能性もある。
平安時代初期にも異母近親婚は行われる。桓武天皇は異母妹酒人内親王を妃にした。ただ、これは当時緊張感が漂っていた朝廷を鎮めるための政略結婚だったと言われる。桓武天皇は父光仁天皇の妾高野新笠(『続日本紀』によると朝鮮半島の亡国百済の王族の子孫)の息子であるのに対し、酒人内親王の母井上内親王は聖武天皇の子であるため、妹とあえて結婚することで天皇としての正当性を高めようとした、という説である。彼らの間には朝原内親王が生まれたが、彼女も異母兄平城天皇の妃となった。
また、桓武天皇の息子である嵯峨天皇も異母妹である高津内親王を妻にはしたのだが、皇后には橘嘉智子が選ばれ後の仁明天皇を産むことになる。橘嘉智子は橘諸兄と藤原多比能の夫婦の息子である橘奈良麻呂の孫娘に当たる存在である。また、同じく桓武天皇の息子である淳和天皇も異母妹である高志内親王を妻としているが、彼らの息子である恒世親王は父親の存命中に亡くなってしまった。
11世紀 - 19世紀
日本では平安時代に藤原氏のように天皇家と近づこうとした貴族が現れたことで、天皇家と藤原氏の二氏族の近親相姦のような状況が作り出されていた。藤原道長の時代に藤原氏による摂関政治は頂点に達し、後一条天皇は叔母の藤原威子を、後朱雀天皇は叔母の藤原嬉子を妻としている。このため、父系を共有する父母から生まれた皇子が天皇位に就くことは非常に困難となっていた。
だが、藤原嬉子は親仁親王(後の後冷泉天皇)を産んだ直後に亡くなってしまい、後朱雀天皇の母方のいとこであると同時に父方のはとこ・亡妻の姪でもある禎子内親王が妻として迎えられた。後冷泉天皇は、父方及び母方の従妹の章子内親王、母方の従姉の藤原歓子、母方の従妹の藤原寛子を妻としているが、結局は没した際に直系の跡継ぎが存在しなかったため、後朱雀天皇と禎子内親王との間に生まれた後三条天皇が即位し、藤原氏の影響力は弱まっていくことになった。
日本では時代が下るにつれて近親相姦の禁忌視は強くなっていく。鎌倉時代には、後深草天皇が義理の姉である西園寺公子(血縁上の叔母)を中宮にしたのだが、父後嵯峨上皇に情緒不安定を理由に廃されたりもした。これにより弟の亀山天皇が即位したが、その後、後深草天皇の系統の持明院統と亀山天皇の系統の大覚寺統との間で皇位継承に関する争いが起き、最終的に南北朝時代に突入することとなった。ちなみに『とはずがたり』には後深草上皇が異母妹の愷子内親王の下に通ったという記載もあり、逢い引きを手伝った後深草院二条は、妹が全く抵抗せず兄を迎え入れたので抵抗する展開を期待していた彼女としては期待外れで全然面白くなかったと感想を書いている。
立川流密教がインセストを容認したという事実は認められないが、過激な性思想が著名となったことで、後世になって大衆小説でまるでインセストを容認しているようなイメージがまとわりついた。
インカ帝国においては、伝説上の始祖であるマンコ・カパックの婚姻形式を模倣し、皇族の純血性を守ろうとする考えから近親婚が行われ続けた。だが、14代に亘り兄弟姉妹婚が繰り返されたにもかかわらず、健康上問題は起こらなかった。
ハワイでは王家にのみ許される特権として近親婚が容認されるだけではなく、奨励されており、カメハメハ3世は実の妹ナヒエナエナ王妃と通じていた。
一方、ヨーロッパの大貴族であったハプスブルク家は血縁が近い者同士でしばしば結婚を行っていたが、病弱な子供が生まれたりもしていた。スペイン王フェリペ2世は姪のアナ・デ・アウストリアを、フェリペ4世は姪のマリアナ・デ・アウストリアを妻にしている。スペイン・ハプスブルク朝は17世紀にカルロス2世で断絶し、スペイン王家は女系でのつながりからスペイン・ブルボン朝に交代したが、19世紀になってもフェルナンド7世は姪のマリア・クリスティーナ・デ・ボルボンを妻にし、後の女王イサベル2世をもうけたりしている。
ローマ法王アレクサンデル6世の娘ルクレツィア・ボルジアは兄チェーザレ・ボルジアや父と近親相姦を行っていたとして訴えられたりした。ルクレツィアのものであるとして流布された肖像画が黒百合の風情によく似ていることからこの話は広まったとも言われている。
中世ヨーロッパではこういったことで訴えられる例が多く、全くの無実とみられる場合も少なくなかった。有名な例として、イングランド王ヘンリー8世がアン・ブーリンと離婚したいがために、彼女が弟(兄の可能性もあり)のジョージ・ブーリンと近親相姦をしたとして訴え、弟もろとも死刑にしたことなどが挙げられる。なお、彼女の娘がエリザベス1世である。中世の暗黒時代において、魔女の宴で息子は母と、兄弟は姉妹と性交するものと信じられていた。
イタリアのベアトリーチェ・チェンチは、家族と謀って従者に父親であるフランチェスコ・チェンチを殺害させた。父親を殺害した理由は父娘姦に耐えかねたためだったという伝承が残っているが、父親を殺害したことで死刑判決を受け1599年9月11日に斬首刑によって処刑された。
フランスのラヴァレ家のジュリアンとマルグリットの兄妹は、兄と妹でありながら姦通したとして1603年12月2日にパリで斬首された。
1662年に、モリエールは20歳年下の一座の女優アルマンド・ベジャールと結婚した。だが、母親は実は彼の恋人であったマドレーヌ・ベジャールであったため、娘と結婚したのではと疑惑になった。モリエール自身はこれに対しアルマンドはマドレーヌの妹であると主張した。現在でも妹なのか娘なのか(非嫡出子の可能性は高いが)、娘であったとして他の男との子供なのか彼自身の子供なのか、はっきり分かっていない。
1779年に後桃園天皇が突如崩御したが、この際に男系の後継者がいなかったことから、親戚の兼仁親王が後桃園天皇の養子に迎えられ光格天皇となった。その後、光格天皇の中宮に後桃園天皇の皇女の欣子内親王が迎えられたが、これは義理の兄妹婚に当たる。なお、血族で見た場合は傍系八親等同士の親族婚である。
フランス革命の際、極左勢力のジャック・ルネ・エベールは王妃マリー・アントワネットを息子ルイ17世と近親相姦をしたとして訴えた。本人は無実を主張したが、最終的に死刑判決を受けギロチンで斬首された。ところが、この革命後の混乱のさなかフランス帝国の皇帝に即位したナポレオン・ボナパルトはフランスで近親相姦を合法化する。
ナポレオン自身も妹ポーリーヌに気に入られていたことが知られている。後に皇帝位を追われた際に一時期ナポレオンはボーリーヌとともにエルバ島で過ごすことがあったのだが、実はこのころのナポレオンとボーリーヌは男女の関係だったのではとの噂がある。
日本における話としては、母子家庭で被害を受けてしまったという女性の話が『トラウマとジェンダー 臨床からの声』(2004年)に載せられているが、それによれば母親から「侵襲」されたというような感覚を持つのだが、一方で母親から強烈な女性らしさを要求されるにもかかわらずそれを達成できずに苦闘するといい、性的虐待を受けていなかったらレズビアンになったのではないかという疑惑を持ったとも述べている。
フランスでは18世紀に入りあらゆる価値が相対化し、自由思想家の主張した精神の開放が体系化され、思想においてもマルキ・ド・サドなど家族間の性愛を称揚する動きも生まれたのだが、この時代のフランスのインセストは「哲学の罪」と言われ、一部の特権階級、すなわち神話やかつての王族に見られるインセストの特権意識を模倣したものであった。
ドイツの作曲家フェリックス・メンデルスゾーンとその姉ファニーの姉弟愛は有名であるが、ファニーがフェリックスの妻レアに対して弟を奪ったことをなじる書簡を送っていることや、フェリックスもファニーの死がもとで精神病にかかり後を追うように死んでいることなど、姉弟愛を超えた恋愛に近い感情を持っていたと考えられる事績が多く伝わる。
今東光『十二階崩壊』(1978年、中央公論社)によると、作家武林無想庵は実妹を犯したことがあるという。その後、無想庵の妹はカトリックの修道女となった。
20世紀以降
1912年頃、島崎藤村は姪のこま子と通じた。姪を妊娠させ藤村は留学という名目で日本国外に逃亡した。藤村は自分の父親も妹と関係を持っていたことなどを知る。彼は『新生』でその体験をつづるが、このため姪は内地にいられなくなった。
1939年、ペルーでリナ・メディナが史上最低年齢の5歳7カ月21日で出産。父親が逮捕されたが証拠不十分で釈放。現在もこれより低年齢での出産は確認されていないが、その息子は40歳で死去した。
1939年、アドルフ・ヒトラー率いるドイツ国防軍はポーランド侵攻を開始し、第二次世界大戦が開始される。アドルフの両親は一家の育ての子と孫娘の関係だが、戸籍上はアドルフの父親はアドルフの母親の母親のいとこということになっている。このため、全く血がつながっていない可能性も含めて、アドルフの両親の関係がいかなるものかに関しては論争が存在する。その彼は異母姉の娘ゲリ・ラウバルを愛人にしていたという噂があるが、その姪が自殺しヒトラーは性格が変化したと歴史学者は語る。
1957年、久保摂二の日本初の実態調査による近親相姦論文「近親相姦に関する研究」が発表される。1960年代より以前は、近親姦とは人里はなれた山奥において、変質的な父と知的に低い娘との間でまれに発生する行為だとみなされていた。だがその後、欧米社会では性の革命が起き、近親姦の悲惨な実態が明らかになり始める。1972年、五島勉は『近親相愛』を出版する。
1968年、日本では父親に子供時代から長期に渡る近親姦をされ続け子供を産まされるなどしていた娘が、父親を殺害する尊属殺法定刑違憲事件が起こる。1973年4月4日に最高裁判所において、刑法第200条(尊属殺重罰規定・法定刑は死刑か無期懲役だったが削除され現行刑法典には存在しない)が日本国憲法第14条で規定された「法の下の平等」に違反し違法であるとの憲法判断が示され減刑され、執行猶予付判決となった。
1980年5月には日本で母子姦を取り扱った『密室の母と子』が発行されるが論争となる。1980年11月には神奈川金属バット両親殺害事件が起こり、一部のワイドショーでは母親と息子の近親姦があったのではという話が流れるが、警察は公式には否定している。
1984年にはゴーラー一族のスキャンダルがカナダで明らかにされ、一族内で近親姦が多く行われていたことが明らかとなった。
アメリカでは1980年代以降、多くの無作為抽出調査により少ないという認識は反転し、多くの人が近親姦を行っていることが明らかとなった。だが、この研究の最中で抑圧された記憶の概念が浮上したために、臨床において曖昧な記憶や治療者の勘が簡単に信用されすぎて「偽りの記憶」が作り出される可能性があるという批判がエリザベス・ロフタスらによってなされた。悪魔的儀式虐待についての証言内容の中には奇妙なものも存在したこともあって、1990年代にかけ虚偽記憶の論争が起こり、それらの批判の結果として催眠療法は用いられなくなっていった。
1991年、アメリカでラトーヤ・ジャクソン(マイケル・ジャクソンの姉)が本『La Toya: Growing Up in the Jackson Family』を出版した。この際、ラトーヤは父ジョセフ・ジャクソンがラトーヤと姉リビー・ジャクソンに対して性的虐待を行ったとも主張したが、リビーはこの疑惑を否定した。
1993年、元アメリカン大学学長のリチャード・ベレンゼンが自らの母親との近親姦の体験について語った本『Come Here: A Man Overcomes the Tragic Aftermath of Childhood Sexual Abuse』を出版した。
1995年1月1日、多くの女性たちを解体し殺害した罪及び娘に対する性的虐待行為の容疑で刑務所に入れられていたイギリスのフレデリック・ウェストが刑務所で首を吊り自殺した。彼に関しては、母親にセックスされたり、父親に獣姦の教育をされたなど、さまざまな話が流れていた。連続殺人者であったと考えられているが、裁判前に自殺したため本人は有罪になっていない。
2000年7月には奈良長女薬殺未遂事件が発生。法廷で加害者とされた彼女は、父親に近親姦を行わされていたこと、複数の男性に性的虐待を受けたことを証言し、判決では被告の責任能力に差し支えることはないとしたが情状酌量は認められた。
2006年、テリー・ハッチャーはかつて叔父から近親姦の被害を受けていたことを語った。その叔父は少女を虐待していたのだが、その少女が自殺し、叔父は実刑判決を受けていた。
2009年9月、マッケンジー・フィリップスは回想録『High on Arrival』を公刊。この中で彼女は、19歳の時に自身の結婚式の直前に実父ジョン・フィリップス(ママス&パパスの元メンバー)に犯されていたと述べた。娘の結婚式の妨害目的としており、無理矢理だったのは最初だけでそれ以後は自らその行為に合意していたという。彼女が父にかつての強姦について尋ねたところ、父は愛し合った時のことかと返答したという。
オーストラリアで「近親相姦農場」が発見され、先天異常の子ら12人が保護される(2013年12月)
オーストラリアの地方部で、数世代にわたって近親相姦を繰り返していた農場から虐待状態にある5~15歳の子ども12人が保護されていた。中には、肢体の不自由な子どもや障害児もおり、同国内に衝撃が広がっている。
警察官と児童福祉当局の職員が訪問した農場には、子どもたちの他に30人ほどの成人の男女が暮らしていた。この家族は4世代にわたって、おじとおば、兄弟と姉妹が近親相姦によって子を産み、さらにその子どもたちにも近親交配で子を出産させていた。
遺伝子検査の結果、12人の子どものうち11人が近親間に生まれており、うち5人の両親は「非常に近い血縁関係」にあった。子どもたちには聴覚や視覚などにさまざまな障害が生じており、さらに、子どもたちは性的虐待にも遭っていた。
子供たちは2012年7月、学校を無断欠席しているとの通報を受けた社会福祉当局によって保護された。学校に現れた際の子供たちは、やせ細って汚れた姿で、ひどい衛生状態だった。
児童裁判所が今週になって初めて公開した同事件に関する文書は、見つかった証拠は「必然的に、一家の中で世代間を超えた近親相姦による性的虐待が行われていた」ことを示していると指摘している。
近親相姦を繰り返した“コルト一族”、実子誘拐未遂で48歳母親に実刑判決(2014年オーストラリア)
性的暴行、虐待という言葉に加え、近親相姦という言葉までもが飛び交う、そんな裁判がオーストラリアで結審した。
「この母親の親権を認めるか、計画のみで未遂に終わった誘拐を実刑判決とするか」が焦点となっていたその裁判。産みの母親にも法は実に厳しい判決を下したようだ。
豪ニューサウスウェールズ州モスベールでしばらく前にベティー・コルトという48歳の女が逮捕され、慎重なヒアリングが続いた末に、このほど懲役12か月の実刑判決が言い渡された。近親相姦、誘拐、レイプ、ネグレクトに盗聴。かつてないほど複雑な要素が絡み合った家庭内トラブルの事案に、モスベール裁判所の判事もかなり頭を悩ませたもようだ。
ベティーが逮捕された理由は、未遂に終わったものの、里親に育てられていたボビー君(16)、ビリー君(15)という実子の誘拐を企てたことにあった。息子たちは携帯電話を持っており、ベティーはこっそりと自分の番号を記したメモを忍ばせて贈り物を届け、ボビー君と極秘に連絡を取り合うようになっていた。
そこでボビー君には、弟のビリー君をうまく説得して2人で里親の家から逃げ出すよう示唆したという。ベティー側は「息子たちと一緒に暮らし、親権を奪還したかっただけです」と主張しているが、検察側の「ベティーが子供たちを住まわせようとしていた場所は、不潔で家具すらない “Farm”と呼ばれる劣悪な環境で、ネグレクトおよび虐待に相当します」という主張に軍配が上がった。
その息子たちに精神遅滞、識字障がいなどが認められたことで、この誘拐未遂事件はさらに複雑なものへと発展した。その“Farm”ではコルト一族の約40名が共同で暮らしており、そこでは近親相姦が蔓延していたことから州の児童保護当局は彼らの通話を盗聴して監視を続けていたという。
たとえばベティーは13人の子を出産したが、そのほとんどがレイプか近親相姦によるもので、特に遺伝子検査で近親相姦が証明された5人の子供には障がいが認められている。それにもかかわらずベティーの長女タミーさんは長男デレクさんと肉体関係を持ち続け、3女をなしている。
実子と一緒に暮らしたいというのが母親の純粋な願いだとすれば、情状酌量の余地はなかったのかと疑問の声もあるようだが、法が裁く以外にこのコルト一族の不潔で良識に欠けた暮らしぶりに活を入れる方法はなかったといえそうだ。
仮釈放なしで最低9か月間は檻の中で過ごすよう言い渡されたベティーは、娘のひとり、レイリーンさんを強く抱きしめると刑務官に支えられながら法廷を後にした。
神話
兄妹相姦
神話においては、兄妹の神々により作られたこととなっている場所もある。男女ペアの神が兄妹として扱われることも多い。「兄妹始祖」と言われる。
- エジプト神話
- ユダヤ民族の創世神話
- カフカス - 兄妹に嫉妬した兄の妻が、自分の赤ん坊を殺して妹に責任を負わせ、家を追い払うというストーリーがある(兄と妹が結ばれるわけではない)。
- ヤマとヤミー(リグ・ヴェーダ)
- イラン神話
- マシュヤグとマシュヤーナグとその子孫
- ゲルマン神話
- イヌイット神話
- 日本の神話
- ヤオ族の兄妹始祖・洪水神話(中国神話)
- 琉球神話と琉球文化(奄美から沖縄にかけて島々の創世神話を「島建て」といい、例えば波照間の創世神話はイザナギ・イザナミに洪水神話を合わせたような形である)(兄妹始祖・洪水/参照:波照間島の聖地・波照間島の兄妹始祖創世神話)
このように、洪水と兄妹始祖神話が合一したものが、中国南部から東南アジアにかけて見られる。琉球諸島には日本神話が成立する以前の神話や信仰が残っている可能性はある(cf.おもろさうし)(しかし中国からの借り物である可能性はある)。琉球王朝の誕生譚ではニライカナイから来た兄シネリキョと妹アマミキョが久高島に降り、その後首里で王朝を開いたことになっている(二人の子供が琉球王朝の祖先)。
また、日本を産んだとされるイザナミの呼称を「妹」と『古事記』は記している。「妹」という文字は「イモ」と読み、上代日本語では愛しい女性への呼称とされる。だが、西郷信綱は「近親相姦と神話—イザナキ・イザナミのこと」(『古事記研究』、1973年)で、これは文字通り解するべきであり、日本は兄妹の近親相姦によって創造されたとする記録なのではないかと論じている。
琉球方言には丁度英語のsister に似た親族名称のカテゴリーとして「ヲナリ」というものがある(異性から見ているというのが英語とは異なる)(参照:をなり神)。
琉球ではかつて、兄・弟が漁などで旅立つ時に姉・妹がティーサージ(布)をお守りとして贈った(日本の漁師町に似た文化があるようだが、姉妹ではない)。舟の外艫に留まった鳥を姉妹の「をなり(生き魂)」として扱う信仰もあったようである。このような異性のキョウダイの間の親密なつながりと信仰を「をなり神」信仰と呼ぶことがある。また「ヲナリ」は日本の「イモ」と同じく愛人の比喩に意味が分化したとされる。
首里では、兄妹のうち兄が王になると、妹を聞得大君(キコエオオギミ)になるという歴史もあった。
ルイス・ヘンリー・モルガンは、北米先住民のイロコイ族やオジブワ族が、父と父の兄弟、母と母の姉妹、兄弟姉妹の子供は全て自分の子供と同じ親族名称で呼んでいることから、本人が兄弟たちの妻や自分の姉妹たちとの間に子をつくっても自分の子供と区別がつかない、として、原始乱婚制、つまり兄妹姉弟間に近親相姦があった、という仮説を立てたが、批判も浴びた。
姉弟相姦
神話においては、姉弟の神々により作られたこととなっている場所もある。
- ギリシャ神話
- 天岩戸(アマテラスとスサノオが「誓約(うけひ)」を交わす場面は近親相姦の象徴、と説明されることもある(ただし、この議論には何事も近親相姦で説明しようとする嫌いがあると指摘される)。契約の詳細については、アマテラスとスサノオの誓約の項を参照されたし)。
父娘相姦
- ユダヤ民族の創世神話
- 日本
母子相姦
- ギリシャ神話
- ガイアと息子ウーラノス - クロノスらティーターン12神をもうけるが、ウーラノスはキュクロープスやヘカトンケイルの醜怪さを嫌い、彼らを地獄タルタロスに幽閉する。ガイアはこれに怒り、末子クロノスに命じウーラノスの男性器を切り落とさせた。この際アプロディーテーが生まれる。ウーラノスは天王星の名前の語源。
- エキドナ - 怪物達の母親とされる。自分の子であるオルトロスとの間にスキュラ・スフィンクス・不死身のライオンなど怪物のほとんどを産んだとされる。もともと他民族の神で、古くは大地母神として崇拝されたというが、ギリシア人と戦争で敗れたため、ギリシャ神話では怪物へと堕とされたという。ギリシアでは好まれない母子相姦の題材であったため怪物とされた、という説もある。
- 印欧系神話
出典
- ↑ 『近親性交とそのタブー 文化人類学と自然人類学のあらたな地平』(青木健一、2001年) 37-45ページ ISBN 978-4894342675
- ↑ (2013-12-19) ロシアで出土のネアンデルタール人、両親は近縁か 日本経済新聞 2013-12-19 [ arch. ] 2013-12-28
参考文献
- 『無垢、汚れの花 -Mother sexual abused- 下』(宇佐Psyche、2012年)ASIN B00CP831H4
- 『トラウマとジェンダー 臨床からの声』(宮地尚子、2004年)ISBN 4-7724-0815-0
- 『親族による性的虐待 近親姦の実態と病理』(石川義之、2004年) ISBN 4-623-03891-2
- 『十二夜――闇と罪の王朝文学史』(高橋睦郎著。集英社。2003年)ISBN 4087746747
- 『インセスト幻想 人類最後のタブー』(原田武、2001年)ISBN 978-4409240656
- 『家族の闇をさぐる 現代の親子関係』(斎藤学、2001年)ISBN 4-09-387247-3
- 『子どもと性被害』(吉田タカコ、2001年)ISBN 4-08-720095-7
- 『近親性交とそのタブー――文化人類学と自然人類学のあらたな地平』(川田順造編。藤原書店。2001年)ISBN 4894342677。
- 『教育相談重要用語300の基礎知識』(鑪幹八郎・一丸藤太郎・鈴木康之編、1999年)ISBN 4-18-026611-3
- 『Betrayed as Boys: Psychodynamic Treatment of Sexually Abused Men』(Richard B. Gartner, 1999) ISBN 1572306440=『少年への性的虐待 男性被害者の心的外傷と精神分析治療』(リチャード・ガートナー、訳2005年)ISBN 4-86182-013-8
- 『夜這いの民俗学』(赤松啓介、1994年)ISBN 4750305677
- 『Toxic Parents』(Susan Forward, 1989) ISBN B000H-UGKN-4=『毒になる親 一生苦しむ子ども』(スーザン・フォワード、訳1999年)ISBN 4620313157
- 『FUGITIVES OF INCEST: A PERSPECTIVE FROM PSYCHOANALYSIS AND GROUPS』 (Ramon C., and Bonnie J. Buchele Ganzarain, 1989)ISBN B000IACV7C=『近親姦に別れを 精神分析的集団精神療法の現場から』(R.C. ガンザレイン, B.J. ビュークリ, 白波瀬 丈一郎訳、2000年) ISBN 4-7533-0003-X
- 『児童虐待』(池田由子、1987年)ISBN 4-12-100829-4
- 『The Secret Trauma: Incest in the Lives of Girls and Women』(Diana Russell,1986) ISBN 0-465-07595-9=『シークレット・トラウマ 少女・女性の人生と近親姦』(ダイアナ・ラッセル、監訳:斎藤学、訳:白根伊登恵・山本美貴子、2002年)ISBN 4-938844-54-0
- 『神話と近親相姦』(吉田敦彦著。青土社。1982年)ISBN B000J7CO3A
- 『Father-daughter Incest』(Judith Lewis Herman, 1981)ISBN 0674295056=『父-娘 近親姦』(ジュディス・ハーマン、訳2000年)ISBN 4-414-42855-6
- 『Das Inzest-Motiv in Dichtung und Sage』(Otto Rank, 2. Aufl., 1926)=『文学作品と伝説における近親相姦モチーフ』(オットー・ランク、前野光弘訳、中央大学出版部、2006年)ISBN 4-8057-5163-0
関連項目
- ソニー・ビーン
- 妹にプチサポ
- いとこ婚
- インセスト・タブー
- インブリード
- ウェスターマーク効果
- 近親愛
- 近親交配
- 近親婚
- 近親相姦被害者の国際組織
- 大衆文化における近親相姦
- 近親相姦ポルノ
- 子供の性
- 性的虐待 - 児童性的虐待 - 少年への性的虐待 - 女性による性的虐待
- 兄弟姉妹間の虐待
- 機能不全家族
- ツインセスト
- ファラオ
- フヴァエトヴァダタ
- 複雑性PTSD
- ジェネティック・セクシュアル・アトラクション
- 洪水型兄妹始祖神話
外部リンク
- 書見台 J.L.ハーマン著 斉藤学訳 『父―娘 近親姦』
- 性的虐待と中絶
- 『母・息子』近親姦に特徴的なパターン
- 6.ツタンカーメン~古代エジプトの歴史
- 「神と人とファラオ」 三重県立美術館
- Sibling Sexual Abuse(英語、兄弟姉妹姦について)
- Consummated Mother-Son Incest(英語、母息子姦について)
- Mother-Doughter Incest(PDFファイル、英語、母娘姦について)