麻生太郎
麻生 太郎(あそう たろう、1940年〈昭和15年〉9月20日 - )は、日本の政治家、実業家。衆議院議員(10期)。為公会(麻生派)会長。
経済企画庁長官(第53代)、内閣府特命担当大臣(経済財政政策担当)(第2代)、総務大臣(第3・4・5代)、外務大臣(第137・138代)、内閣総理大臣(第92代)や、自由民主党政務調査会長、自由民主党幹事長、自由民主党総裁(第23代)などを歴任した。
モントリオールオリンピッククレー射撃(クレー・スキート競技)日本代表(41位)。元麻生セメント(現・株式会社麻生。麻生産業から分社した麻生セメントは、麻生と社名変更している。現在の麻生ラファージュセメントは、麻生からさらに分社化した麻生セメント(2代目)が社名変更したもの。)代表取締役社長。妹は寛仁親王妃信子。クリスチャン(カトリック)である。
経歴
政界入りまで
1940年〈昭和15年〉福岡県飯塚市に麻生太賀吉・和子の長男として生まれる(父方の祖父の名前も“麻生太郎”である)。麻生塾小学校(閉校 後の学校法人麻生塾・麻生専門学校)を経て、小学3年生の頃上京し、学習院初等科に編入。
海外留学
1963年に学習院大学政経学部を卒業した。 学習院大学卒業後は、下記のような海外留学生活を送ったとされている。
- 1963年9月 - スタンフォード大学大学院に留学
- 1965年 - スタンフォード大学大学院を中退、ロンドン大学政治経済学院に留学
- 1966年8月 - ロンドン大学を中退
スタンフォード大学・大学院(米国)では政治学、ロンドン大学・大学院(英国)では経営学を学んだと2001年4月の自民党総裁選挙候補者プロフィール中には記載されていたが、現在の本人オフィシャルサイトにこの期間についての一切の記載はない。2007年9月16日 読売新聞には、1963年3月 学習院大政経学部卒業、同年9月 スタンフォード大大学院留学、と紹介されており、上記の総裁選候補者プロフィール中にあるロンドン大学への留学については記述が無い。
尚、米国での留学生活は麻生が過剰にアメリカナイズされる事を恐れた実家の意向で中断され、一旦帰国した後に、再度ロンドン大学に留学したとされている。華やかな留学歴を持つが、肝心の学位は取得できないまま帰国しており、留学中は学業をはおろそかにしていたと自ら語っている。霍見芳浩ニューヨーク市立大学教授によれば、80年代に同氏が麻生太郎を訪ねた際に『「英国留学」ということだったので英文資料も持参していたが、見せようとすると、「私は、英国では遊んでばかりで、何も勉強しなかった」と正直な告白だった。ご謙遜かと疑ったが、そうではないのはすぐに明らかになった』といったやりとりがあったとのことである。
海外での事業
帰国後の1966年に実家の麻生産業(後に清算)に入社し、1960年代後半にブラジルサンパウロ市に1年近く駐在していたことがあると本人は語っている。また、麻生太郎の従兄弟に当る人物がブラジルに移民していたことも近年になって判明した。
その後、1970年から2年間に渡って西アフリカのシエラレオネにて、同国のダイヤモンド産業国有化政策実施後に地元有力者から鉱区の提供を受けた麻生家の現地駐在員として、ダイヤモンド採掘業に従事していた事が知られている。この採掘事業を開始したのは、麻生太郎の父親である麻生太賀吉と実弟で専務の麻生典太だったと言われており、同国のダイヤモンド採掘を長らく支配していたイギリス人とレバノン人以外の人に掘ってもらいたい、という現地の意向から麻生家に鉱区が提供されたと麻生典太は語っていたと言われる。その後、同国での内戦勃発に伴って麻生家は事業から撤収した。
2006年1月19日に日本記者クラブにて行われた外務大臣演説でシエラレオネのダイヤモンド採掘業での経験について発言しているほか、当時製作されたニュース映画にも現地の事業を指揮する麻生太郎本人がインタビューに答えて登場している。
帰国後の経歴
1966年、麻生産業株式会社入社。 1973年にセメント事業の分社化の後にグループ中核企業となった麻生セメント(現:株式会社麻生)の代表取締役社長に就任。炭鉱業からセメント業への転換を成功させた。なお、麻生産業時代にまた、社長業の傍らで、1976年のモントリオールオリンピックにクレー射撃の日本代表選手として出場(結果は41位)している。1978年、社団法人日本青年会議所会頭。
政界入り後の経歴
1979年10月、第35回衆議院議員総選挙に(旧福岡2区、現:福岡県第8区)から出馬。初当選を果たし政界入りする。落選した第37回衆議院議員総選挙を除き、現在まで全ての総選挙で当選している。宏池会に所属。1988年、文部政務次官。
1996年(平成8年)に第2次橋本内閣の経済企画庁長官に就任し、初入閣。
1999年1月、党内で長年所属した宏池会を離脱し、元総裁河野洋平を会長に大勇会(現在の為公会、通称”麻生派”)旗揚げ。
2001年4月、01年自民党総裁選に出馬し、小泉純一郎、橋本龍太郎と戦い31票で3位。1月国務大臣 経済財政政策担当。同年4月に小泉政権では党政務調査会長を務め、2003年(平成15年)9月からは総務大臣として入閣し、郵政民営化を担当した。2005年(平成17年)10月、外務大臣。
2006年9月、06年自民党総裁選に立候補するも内閣官房長官(当時)の安倍晋三に敗れる(安倍:464票 麻生:136票 谷垣禎一:102票)。
2007年3月20日、衆議院議員在職25年を迎え、衆議院より院議をもって表彰された。同年8月、自由民主党幹事長。
2007年9月、07年自民党総裁選に立候補する。党員票では福田康夫を僅差で上回るも133票差で敗れる(福田:330票 麻生:197票)。
2008年9月、08年自民党総裁選に4度目の立候補をし351票を獲得。自民党総裁(第23代)に就任する。
2008年9月24日、第92代内閣総理大臣に就任。麻生内閣を組閣する。就任の際、「日本を明るく強い国にする」と述べた。
2008年10月2日、麻生内閣メールマガジン「太郎ちゃんねる」を配信。創刊号では景気対策の必要性を訴えているほか、「麻生内閣の一員になったつもりで忌憚のない意見を」と呼びかけている。内閣としては初の動画も用意している。
2009年8月30日、第45回衆議院議員総選挙で自由民主党が惨敗、衆議院第1党の座から転落。同日夜に退陣を表明。
2009年9月16日、自由民主党総裁を辞任。同日の臨時閣議にて麻生内閣総辞職を決定。政権を民主党代表:鳩山由紀夫に明け渡した。
政治的主張
経済
道路整備などを主に主張するエコノミストのリチャード・クーが「経済政策の理論的支柱」として麻生の財政出動を中心とする政策作りに協力している。定額減税や公共事業を中心とする財政出動に積極的な意向を示しており、財政健全化よりも景気対策の優先を提唱している。2008年になってからは、財政健全化を目指した小泉政権の構造改革路線の推進を否定し、「基礎的財政収支(プライマリーバランス)の11年度黒字化目標」の延期に言及している。
消費税の増税に関しては、「もはや、広く薄い負担を税制に追加していくとしたら消費税しかない」として消費税増税を示唆したが、2008年9月に世界的な金融危機が発生すると「消費税増税を早期に行えば、著しく景気を冷やす」として、当面の増税を見送ると述べる一方で、2011年以降に10%の消費税を導入する意向を示した。
労働問題に対しては、「企業の生産活動で得られた付加価値の分配は個々の企業が判断する」と述べ、国としては是正する意思の無いことを明らかにした。
首都圏と地方の間の格差問題については、「地方の自立には、きちんと財政出動をやって、道路、交通網を整備しないといけない」として地方経済振興の為に公共事業が必要との考えを示している。また、「(地方の)医療、介護が一番しんどいのではないか。病院をつくるより病院と結ぶ道路を造った方が安い」と述べ、道路建設により地方の医療が向上するとの考えを示している。
2008年10月30日には、世界的な金融危機と景気低迷への対策として事業総額26兆9000億円にも及ぶ追加経済対策を発表。小渕内閣の地域振興券とよく似た、2兆円を超える給付金(「4人家族で6万円程度になる」としている)を全世帯に支給し、過去最大規模の住宅ローン減税などを実施した。
この政策のうち、定額給付金について、毎日新聞は、過去の「地域振興券」が消費ではなく貯蓄に回ったことから、今回も「景気を浮揚させる効果は期待できない」との見方を示し、11月26日に開催された全国町村長大会では定額給付金を巡る不満が噴出していると報道した。麻生のあいさつに「丸投げやめろ」とやじが飛ぶ一方で「地方分権」を理由に事務を市区町村に委ねたことなどについて政府を批判した民主党幹事長の鳩山由紀夫は大きな拍手を浴びた。しかし、経済協力開発機構(OECD)経済局のシニアエコノミスト、ランダル・ジョーンズは「即効性がある最も有効な措置」 だとの見方を示しており、最終的にはジョーンズの見解どおり、定額給付金の支給は、消費拡大に一定の効果を生み、家具や家電などの購買を促進させるなど、新たな消費を生むきっかけになった が、この政策は金融危機を回避するという緊急性から急いで決定された政策であったため、配布方法などできめ細かさに欠けるところがあり、「バラまき」という批判を浴びた。
外交・安全保障
外務大臣時代に、当時のブッシュ政権の中心にいた新保守主義の考え方に近い、自由と民主主義、法の支配、市場経済を重視する「価値の外交」(価値観外交)と、同じ価値観を持った国家と連帯する「自由と繁栄の弧」を唱えた。
- 発展途上国へのODA
- ODAには積極姿勢を取っている。2007年1月26日、「ODAは、我が国外交の重要な手段であります。国際社会の一員としての責務を果たし、かつ、自らの繁栄を確保していくために、ODAを一層戦略的に実施します。「自由と繁栄の弧」形成のためにも、ODAを活用していきます。そのうえで、ODA事業量の100億ドルの積み増し、また対アフリカODAの倍増など、対外公約を達成すべく努めてまいります」と述べた。
- アメリカ合衆国
- 2007年2月3日、京都市内の講演で「ドンパチが終わった後が大変だというのがイラクで分かった。(イラク戦争においてアメリカがイラクを)占領した後のオペレーションは非常に幼稚」とアメリカのイラク政策を批判した。
- 東アジア
- 韓国に対しては、2007年1月26日に「日本と韓国は、互いにとって最も近く、基本的価値を共にする大切な民主主義国同士であります。そのような間柄にふさわしい、未来志向の関係を打ち立てます」と述べている。また、2005年12月25日の韓国の大手メディアである中央日報のインタビューで、「韓国に一年に2度ずつ計40-50回ほど行っているが、私が知っているかぎり今の両国関係が最も良いのではないかと思う。それは韓国の生活水準が良くなり、自信をつけているためと思われる。サムスンだけでなく、韓国製品が非常に良くなった」と発言している。また、韓国人徴用者を強制労働させていた麻生炭鉱の調査については、「戦争前の話はよく知らないが、そういう資料が残っていれば提供する」と話した。
- 中国に対しては、2007年1月26日に「共通の戦略的利益に立脚した、互恵関係を築いてまいります」としている。
- 台湾に対しては、2006年3月9日、参院予算委員会で、「民主主義が成熟し、経済面でも自由主義を信奉する法治国家であり、日本と価値観を共有する国」と発言。台湾のメディアでは「日本の外相が『台湾は国家』と発言」と報道された。
- 北方領土問題
- 2006年12月13日の衆院外務委員会において、北方領土問題を解決するために北方4島(択捉、国後、色丹、歯舞)全体の面積を2等分して、半分をロシアに譲ることにより解決を目指す考えを示した。これは元首相の海部俊樹から「北方領土の返還は党是だ。党の基本問題として守るべきものは守ってきちっとやってほしい」と批判された。
- 核武装論
- 2006年10月、自民党政調会会長(当時)の中川昭一が「核武装論も選択肢として考えておくべき」と発言したことで一部から非難を受ける。麻生は非核三原則の堅持を明言を前提としつつも、「隣の国が持つとなったときに、1つの考え方としていろいろな議論をしておくことは大事だ」「日本は言論統制された国ではない。言論の自由を封殺するということに与しないという以上に明確な答えはない」と中川の擁護とも解釈できる発言を行った。この発言が原因で、12月に民主党、社民党 、共産党など野党4党から外相としての不信任決議案を提出された。
- 憲法改正論議
- 2008年9月の国連総会での演説後、自衛隊の集団的自衛権の行使について「できるようにすべき」と憲法改正もある程度は必要との認識を持っている。
歴史認識
日本統治時代の朝鮮・台湾に対しては肯定的側面もあったとする発言をしている。2003年5月31日、東京大学学園祭において「創氏改名は朝鮮人が望んだ」(満州や日本国内で経済活動をする上で朝鮮名が不利な場合があったという文脈での発言)、「日本はハングル普及に貢献した」と述べた(当該項目も参照)。また、2006年2月4日の福岡市での講演において、日本が植民地台湾の義務教育に力を入れたと指摘した上で「台湾はものすごく教育水準が上がって識字率などが向上したおかげで今極めて教育水準が高い国であるが故に、今の時代に追いつけている」「我々の先輩はやっぱりちゃんとしたことをやっとるなと正直そのとき思った」と述べた。
2007年3月21日、長崎県時津町で講演。日本独自の中東和平外交として、ヨルダン渓谷の開発を進める「平和と繁栄の回廊」構想に触れ、「米国人にできないことを日本がやっている。日本人というのは信用がある。青い目で金髪だったら多分駄目よ」と述べた。「われわれは幸いにして黄色い顔をしている。そこ(中東)で搾取をしてきたとか、ドンパチ、機関銃撃ったとか1回もない」と語った。
2006年5月26日、アジア各国の政府首脳や経済界リーダーを招いた国際交流会議「アジアの未来」において「近代の生んだ毒......。それはすなわち『国民国家』であり、『自民族中心主義』という意味に規定される『ナショナリズム』でした。この2つは、地図に黒々と、太い国境を引く思想でした。また時として、その国境を外へ外へ、無理やりにでも広げていくのをよしとする考えでした。(中略) 他人(ひと)のことは言いますまい。日本人は一度、国民国家とナショナリズムという、強い酒をしたたかにあおった経験があります。皆さんこれからのアジアは、国民国家の枠、ナショナリズムの罠に絡め取られるようではいけません」と述べた。
2008年10月2日には日本の過去のアジア支配に対する反省と謝罪を明確にした「村山談話」について、「いわゆる村山談話と17年8月15日の小泉純一郎首相の談話は、先の大戦をめぐる政府としての認識を示すものであり、私の内閣においても引き継いでいく」として麻生内閣でも、明確に堅持する方針を示した。
2008年10月31日には航空自衛隊幕僚長の田母神俊雄が旧日本軍の侵略行為を否定する論文を執筆していたことが判明したが、麻生は記者団に対して「個人的に出したとしても、立場が立場だから適切ではない」と述べた。
麻生内閣メールマガジン「太郎ちゃんねる(2008年12月4日配信)」において、「1941年12月に第二次世界大戦が真珠湾攻撃で始まるんです」と発言した。
従軍慰安婦問題
- 内閣総理大臣としては河野談話を踏襲することを表明したが、アメリカ合衆国下院に提出された慰安婦問題をめぐる対日非難決議案にある「日本軍による強制的な性奴隷化」といった記述について「客観的な事実にまったく基づいていない」と強い遺憾の意を示している。首相また、国連の自由権規約委員会が従軍慰安婦に対して日本政府に謝罪と補償などを行うよう求める勧告したときも、第171回国会において、内閣総理大臣として『この勧告は、法的拘束力を持つものではなく、市民的及び政治的権利に関する国際規約の締約国に対し、当該勧告に従うことを義務付けているものではないと理解している。』と述べ、慰安婦に対して謝罪や賠償をする意思がないことを表明した。
靖国神社問題
政治家の靖国神社参拝問題については、政教分離が問われるなど一番の問題は靖国神社が宗教法人であることだとしており、2006年の総裁選では総理になった場合に靖国神社を非宗教法人化(国が関与できる特殊法人への移行)し、国立追悼施設にすることを公約に掲げた。2008年10月にも「神社という名前が問題なら、靖国廟でも招魂社でもいろんな形がある」として、非宗教法人化を支持する姿勢を示している。
2006年には、「首相になった際には靖国参拝を自粛する」という考えを示していた。2008年に首相に就任した直後には「行くとも行かないとも答えることはない」として曖昧な姿勢を見せている。外交問題に飛び火した小泉首相の参拝について「中国が(参拝を中断しろと)言えば言うほど行かざるを得ない」とし、「これはタバコを吸うなと言うと吸いたくなるのと同じだ」と述べた。麻生本人は外相在任当時、外務大臣は個人ではないという理由で靖国神社には参拝しなかった。
A級戦犯の分祀については、「靖国神社に戦死者でない人が祭られていることが非常に大きな問題点だ」「(首相の参拝について)他の国々、国内からいろいろ言われないよう、英霊から感謝されるような形で参拝できる制度を考えるべきだ」との見解を示しているが、靖国神社が宗教法人である限り政治の介入による分祀は厳に慎むべきであるとしている。そのため、靖国問題の解決策に関しては、靖国神社の非宗教法人化を行い、国が関与できるようにしてA級戦犯を分祀することを「1つの方法」と発言し、「望ましい」として賛成している。
2006年1月28日、名古屋で行われた公明党議員の会合で、「英霊は天皇陛下のために万歳と言ったのであり、首相万歳と言ったのはゼロだ。天皇陛下が参拝(正確には「親拝」という)なさるのが一番だ」と述べ、「(天皇が)公人か私人かという論議のため参拝できなくなったが、解決の答えはいくつかあるはず」と付け加えたが、批判を浴びると「今の状況で天皇陛下に参拝していただきたいとは一切言ってない」と発言を修正し、釈明した。
日本と韓国の緊張関係について、「両国が靖国問題にあまりにも執着しているのが最も大きな問題だ。 当分はマスコミが靖国問題を書かないのが一番よさそうだ。 問題をあおって増幅させた」との考えを表明している。
2006年5月26日に都内のホテルで開かれた国際交流会議「アジアの未来」で講演し、「23日に自分がカタールで中韓の外相と会談したので関係改善の流れが出て来た」と発言。これに対して韓国産業資源部長官は、「アジア共同体形成に関して各国間合意はできたが、韓中日の共同体構築努力が他地域に比べ足りない、原因は一部政治家の靖国参拝や歴史問題だ、ヨーロッパがいかにしてこれを克服したか考えて欲しい」と講演した。
首相在任中の2009年には「(靖国神社は)最も政治やマスコミの騒ぎから遠くに置かれてしかるべきものだ。もっと静かに祈る場所だ」として、終戦記念日に靖国神社参拝を行わない意向を示した。
2009年10月17日には、首相在任中には参拝しなかった靖国神社に参拝した。
人物
人物像
身長175cm、体重70Kg、血液型A型。名門一家に育ち、麻生財閥の元社長であるが、本人は「首相の家庭なんて幸せなもんじゃねえ」「両親にほったらかしにされて育った」「生まれはいいが、育ちは悪い」と語っている。口が上がり気味なため雑誌などの似顔絵ではへの字に描かれることが多い。べらんめえ調の軽妙な語り口と毒舌も織り交ぜた発言で、街頭演説などで聴衆の人気を博した。一方で過去の失言が指摘されたり、問題視されることがしばしばある。
大学進学に際し、父親に「東大を受験したい」と言ったところ、父親から「官立大学はお金がない人がいくところで、お金持ちのおまえが行くのは税金がムダ。それに東大は役人になるためにいくところだ。おまえ役人になるのか?」と言われたため、東大へ行けないこともなかったがあえて私立の学習院大学へ進学した、と自著で述べている。また、成績はビリから5番目以内であったことも自著で述べている。
夢実現21世紀会議の議長を務め、「国づくりの夢実現検討委員会」を通じて日韓トンネルの実現に向けた政策提言を発表していることが2003年に自民党機関紙で伝えられた。また日韓議員連盟の副会長も務めている。
海外留学などの経験から、英語力が堪能であるため海外などでのスピーチは通訳なしで英語で行っているというふれこみである。しかし、週刊新潮によるとアメリカ合衆国大統領バラク・オバマが「麻生首相の英語はさっぱりわからない」と外務省が言ったとしている。。その一方で、「踏襲」を「ふしゅう」と読んだり、「未曾有」を「みぞうゆう」と読んだり、日本語の能力に関しては疑問符がついている。
総理大臣に就任以後も高級ホテルや高級料亭などを頻繁に行き来していることが報道されている。政治資金収支報告書によると、2006年度には資金管理団体「素淮会」から高級クラブなどに173回、合計で約3500万円を支出している。2007年度にも「ミシュランガイド」東京版で最高の3つ星を獲得した寿司店など高級店を「会合」名目で利用している。しかしこのような店はセキュリティ上有利なことなどから、与野党問わず大物議員が使うことは多いため、一概に麻生が多く使っているとは言えない。
2004年9月に、3年10か月の国民年金保険料未払い期間があったことが判明している。民主党代表(当時)の菅直人が「未納三兄弟」と呼称したうちの1人である。
2008年10月24日の閣僚資産公開で福岡県の実家や都内一等地の邸宅、軽井沢の別荘など併せて4億395万円の個人資産を所持している事が分かった。前首相福田康夫が所持している総資産の6倍に及び、国会議員の中でも有数の「セレブ議員」と報道された。
邸宅
敷地面積2400平方メートル、土地代だけで時価50億円を超えると言われる大邸宅を渋谷区神山町の一等地に所有している。また、弟・泰の土地を併せれば5000平方メートルを優に超える。敷地内には木造3階建ての洋館が屹立し父・麻生太賀吉が存命中の頃は専属コックがおり、フランス料理のフルコースなども調理していた。報道機関では「麻生御殿」とも呼称される。東京の大邸宅の他には約2万坪の実家が福岡県飯塚市に存在する。
信仰
クリスチャン(カトリック)である。靖国神社に参拝することもある(入閣している時はこれまで参拝してない)が、自身が神道ではなくクリスチャンということもあり、靖国神社の非宗教法人化を提唱している。終戦記念日の8月15日ではなく、例大祭に合わせて参拝することが多い(カトリックでは8月15日は聖母の被昇天という祭日であり、この日に祝いのミサがあるという事情もある)。
クールビズスタイルになってからノーネクタイのシャツの襟の下に見える金色の鎖は、10代から50年以上首にかけているカトリック信徒としての十字架の鎖部分である。
漫画
読書が趣味。特に漫画好きであり、一部からは漫画文化のよき理解者として非常に人気が高い。自身のウェブサイトに掲載している『ビッグコミックオリジナル増刊』2003年7月2日号のインタビューによれば、自分の車内には常に最新の週刊コミック誌を置いているという。漫画好きであることは外国の首脳にも知られており、ポーランド外相からは、現地(ポーランド語)版の『犬夜叉』を寄贈されている。
漫画好きであることを自身の政策や政治的主張に利用することも多く、2006年や2007年の自民党総裁選の際には秋葉原で街頭演説し、漫画を始めとした日本のソフトコンテンツ産業の対外競争力・影響力を評価し、日本人であることに自信を持つべきであると述べた。2006年4月にデジタルハリウッド大学で行われた政策スピーチでは、主人公が交渉人として世界を股にかける漫画である勇午について触れ、「『勇午』を読んでない人は外交なんて語っちゃダメ」と論じた。 2007年5月22日には海外の漫画家を対象とした「国際漫画賞」を創立することを発表。「漫画のノーベル賞のようなものを作りたい」と述べている。同年5月30日からウィーンで開催された核拡散防止条約 (NPT) 運用検討会議の第1回準備委員会では、日本政府代表団が広島の被爆体験を描いた漫画『はだしのゲン』の英訳版を加盟国に配布することになったが、これは麻生の肝入りで実現したものである。外務省が英語版30冊を出版社から譲り受け、今後も「漫画外交」を活発に展開させることを予定している。
羽田空港で『ローゼンメイデン』を読んでいたところを見たという2ちゃんねるの書き込みがインターネット上で話題となり、一部のおたく層から『ローゼン麻生』『ローゼン閣下』と呼ばれるようになった。2006年5月に行われたサブカルチャー雑誌『メカビ』Vol.1のインタビューにおいて『ローゼンメイデン』について、「少女コミックの割には、話が重厚にできている」と感心したことを述べているが、「羽田空港で読んでいたかどうかは覚えていない」としている。だが、2008年2月18日のSMAP×SMAPにゲスト出演した際に質問され「空港で噂のローゼンメイデンが置いてあったので読んだ」と語り、さらに『英語でしゃべらナイト』では、「ああ、これが最近噂の…」と思ってパラパラとめくっていたところを週刊誌に激写されたと語った。なお、2008年度版の『現代用語の基礎知識』には「ローゼン麻生」という項目が収録されている。こうしたことから、漫画好きの人々からの支持は高いと言われている。
ただし全ての漫画に理解があるというわけではなく、1989年 - 1991年に掛けての「有害コミック」騒動では、1991年「子供向けポルノコミック等対策議員懇話会」を結成し、会長となった。この会では、業界関係者を招致し、自主規制の現状について説明させた。
2008年8月2日に死去した漫画家の赤塚不二夫について、「あの種のギャグ漫画の草分け的存在で『シェー』をはじめ、よく笑った」とコメントした。
2008年9月25日の英有力紙フィナンシャル・タイムズでは「貴族的家柄で失言と偏愛的な青年向け漫画愛好家である麻生太郎」と表され、国外でも漫画好きの政治家と認知されている。
2008年9月26日東京・秋葉原で遊説を行い、さらに同所で開かれた「秋葉原エンタまつり08」の特別ステージにゲスト出演。『ジャパニメーションは、21世紀日本の資源。正しく国益。』という持論に基づき、漫画家・アニメーターの待遇向上による作品の品質向上、多国間における著作権保護の促進による国際競争力強化、ネット時代の柔軟なコンテンツ流通のあり方等について政策として強力に取り組むと共に、平和日本の文化として世界へのアピールを宣言。多くの聴衆からの熱狂的支持を受けた。
10月26日には再び秋葉原で街頭演説を行った。その際2008年6月8日に起こった秋葉原通り魔事件を取り上げ、「世の中が暗くなっている」と話し、「明るい世の中にしよう」と呼びかけた。また、麻生は中小企業、零細企業、地方銀行について触れ、従業員の最低賃金を上げることや、非正規雇用を正規雇用にし、その際の負担は政府が賄うということを話し、就任当時から語っている景気対策の必要性を訴えた。また、総理大臣になってからの多忙さで、漫画があまり読めなくなったことも話した。
この街頭演説では総裁選時とは異なり「アキバはいつまでもてめーの味方ぢ(じ)ゃねーぞ」と書いた紙を掲げる左翼活動家でエロ漫画家の山本夜羽音の一団や、「アキバを利用している」等と批判的な見解を示す者がおり、「秋葉原ですら麻生離れがすすんでいる」という報道がなされた。
週刊少年ジャンプで人気を博しており、麻生も好きだと公言している漫画「こちら葛飾区亀有公園前派出所」の両津勘吉の銅像が東京・亀有に2008年11月に設立され、アニメで両津の声を務めたラサール石井と原作者や麻生も参加し除幕式が行われたが、その際に麻生は原作者の秋本治には挨拶したにも関わらずラサール石井に対しては知らなかったためか完全に無視し、そのことに憤慨したラサール石井がblogで「握手どころか、1回も目を合わすこともない。漫画好きなんじゃないの?庶民派アピールなんじゃないの?俺、両さんの声やってるんすけど。ははあ。この人、俺のこと知らないな。漫画好きでもアニメはみてないのね。なんで俺をシカト?いやあ、なんかヘンだよこの人。ていうか、馬鹿だなあ」などと麻生批判を展開したことが話題になった。このblogはラサールに対する批判で炎上し、該当記事はその後削除された。
2008年11月20日、アニメ映画監督として知られる宮崎駿(学習院大学では麻生と同期)が、都内の日本外国特派員協会で行われた記者会見の中で、機会のあるごとに麻生が「オタク」文化を理解する人物として自分を積極的に打ち出していることについて、記者が宮崎にどう考えるかと質問したところ、「恥ずかしいと思う。それはこっそりやればいいことです」と述べ、熱心に漫画を読んでいることをわざわざ首相が宣伝する必要はないという考えを示した。これに対して、ネット上の一部で「オタク批判だ!」という宮崎への批判も出たが、スタジオジブリ関係者は、「ネットで言われているような『漫画を読むのは恥ずかしい』などと宮崎監督は言っているわけではない」「麻生首相はマンガ好きであることを、若者に対する自らの政治アピール(政治利用)として使っている。アキバに行って『オタクのみなさん』などと演説したりなど、見るからに、マンガを強引で露骨に全面に出しているのは、行き過ぎではないか、と批判しているのだと思います」との見解を示している。
『後継者の品格—現代に見る帝王学』の著者の新井洋は「麻生さんは、育ちが悪いと自分を卑下することで、逆に家柄の良さをひけらかしています。マンガオタクも秋葉原好きも、自分が庶民的であることのアピールですが、真の帝王学を学ばれた方はそういうひけらかしはしません」と述べている。
衆議院議員の平沼赳夫は、読売新聞の連載記事でのインタビューにて「総理が秋葉原で漫画の話をしてはいけない。総理は歴史、政治、道徳、宗教学などの本を読まなければいけない」と苦言を呈している。中曽根康弘は、麻生が「勉強になる」と公言する漫画『ゴルゴ13』を読み、「バカだね」と発言した。
クレー射撃
大学時代からクレー射撃を始め、22歳の時全日本選手権を当時の日本新記録で優勝。1974年に行われた第2回メキシコ国際射撃大会に優勝。1976年のモントリオールオリンピック代表に選出される。2000年5月には日本クレー射撃協会会長に就任した。
他党、支持団体との関係
公明党との関係
公明党と太いパイプを持つ蜜月関係で知られる。その後、2008年8月11日にまだ自民党総裁が決まってない段階で、公明党幹事長の北側一雄も「日本の未来を考えたときにリーダーは明るさが必要だ」として明確な支持を表明している。連立与党のパートナーとはいえ、党幹部が他党の党首選について特定候補の支持を明言するのは極めて異例なことである。
民主党との関係にかかわる報道
週刊文春は、組閣にあたり漆間巌の起用を真っ先に決めたのは、警察OBであることから、現役警官からの情報が得られることが理由であり、小沢一郎の持病である狭心症の状態や、民主党の議員のマルチ商法スキャンダルを調査させるという目的であると報じた。
統一教会との関係
勝共推進議員の1人であり、国際勝共連合から送り込まれた1人の統一教会(世界基督教統一神霊協会)信者を秘書として受け入れ、1988年の勝共推進議員教育報告書や1988年の統一教会総支部活動報告書にも名前を連ね、統一教会支部結成貢献ランクは「B」と評価されていた、などと一部メディアにおいて報道された。麻生は週刊誌の取材に対して、統一教会との関係を全面否定している。また、麻生家はカトリックであるが、統一教会はカトリックでは異端として扱われているのも事実である。また勝共と対立している日本会議のメンバーでもある。
献金
麻生グループ関連会社「麻生」(福岡県飯塚市)から、2002年4月30日付で麻生が支部長を務める自民党支部が総額650万円の政治献金を受けていた。前年度中に「麻生」は国から補助金1458万円を交付されており政治資金規正法違反の疑いを指摘された。同社は県から間接的に受給していたので問題ないとの認識であった。報道後に同社は返金を求めることを表明した。
道路特定財源を資金源とする道路運送経営研究会(道路特定財源の一般財源化に反対している)から献金を受けていた。
山田洋行から献金を受けていた政治家の実名リストに名前が載っていたと報道されている。これに対して麻生の事務所側は「現在、調査中」とコメントしている。
発言
物議を醸した発言
- 衆議院選挙に初出馬した1979年、地元の飯塚市での街頭演説で登壇して開口一番、支援者に対して「下々の皆さん」と発言した。また、当選後に「将来の総理大臣」というマスコミに対して「年寄り代議士が何人か死ねばね」と応えている。
- 1979年、「日中貿易なんかやっても無駄。中国はお金を持っていない。代金を払ってくれないよ」と発言している。
- 1983年2月9日、高知県議選の応援演説にて「東京で美濃部革新都政が誕生したのは婦人が美濃部スマイルに投票したのであって、婦人に参政権を与えたのが最大の失敗だった」と、国が女性に参政権を与えていることを批判した。
- 2002年7月、田中康夫長野県知事について「醜く太っていて嫌な体型だ。自分で身体の努力していない、年を取ってなりたくない体型だ」と発言した。
- 2003年9月11日の麻生も同席した自民党総務会において、大勇会の会合において被差別部落出身の野中広務に対する差別発言をしたことを会合の出席者から聞いたとして、野中がこの発言を強く批判した。麻生は発言を否定している。
- 2003年10月20日にホームレスについて、「新宿のホームレスも警察が補導して新宿区役所が経営している収容所に入れたら、『ここは飯がまずい』と言って出て行く。豊かな時代なんだって。ホームレスも糖尿病という時代ですから」と発言し、事実に反するうえに差別的であるとして各地の日雇い労働者および野宿者支援組織などから抗議を受けたが、撤回はしていない。
- 総務大臣在任中の2005年10月15日、この日に開館した九州国立博物館の開館記念式典での来賓祝辞の中で「一文化、一文明、一民族、一言語の国は日本のほかにはない」と発言。同博物館は選挙区は異なるものの麻生の地元である福岡県内にあり、展示内容は日本とアジアの交流の歴史から、文化の多様性を示すものである。
- 2006年1月9日、福岡県飯塚市で開いた集会で、シドニーで予定されていた日米豪閣僚級安全保障対話が延期されたことに関連し「(イスラエルの)シャロン首相の容態が極めて悪く、会議途中でそのままお葬式になると意味がないので延期ということになった」と述べ、配慮を欠くとの批判を浴びた。
- 2006年7月4日のアメリカ独立記念日に合わせて、北朝鮮がミサイルを日本海に発射して挑発行為をしたことに対して、当時外相だった麻生は記者会見で「今日(7月5日)は、キムなんとか(=金日成)の記念日だったな(実際は7月8日に死去)」「距離とか方向とか見てみますと、むしろソ連領に近いほうに発射されてますんで」と発言した。
- 2006年7月8日に広島市内で行なった講演で、北朝鮮がミサイルを撃ち、主要国が重大な関心を持ったことについて、「金正日に感謝しないといけないのかもしれませんが」と発言した(ただし、その後に「冗談は抜きにして」と念を押しており、金正日に対する痛烈な皮肉であることを留意すべし)。
- 2006年9月、福井市内で自身が外国人から聞いた日本の印象に触れて「夜、日比谷公園で女が一人で歩いている。考えられない。しかもそこそこの顔をしているやつでも襲われない。この国はやたら治安がいいんだ」と発言したことを立命館大学教授が証言している。
- 2007年7月19日、富山県高岡市内で講演会において、国内外の米価を比較する例えとして「7万8000円と1万6000円はどちらが高いか。アルツハイマーの人でもわかる」と発言。これについては野党からの反発はもちろん、与党からも参院選に悪影響だと懸念され、官房長官(当時)の塩崎恭久からも「適格性を欠く」と批判された。麻生は翌7月20日に謝罪したうえで撤回した。
- 2007年7月20日、アルツハイマー発言の翌日に鳥取県倉吉市での演説で「酒は『きちがい水』だとか何とか皆言うもんだから、勢いとかいろんなことありますよ」と発言した。(『きちがい水』という表現は酒を指す江戸時代からの俗語)
- 2008年2月、中国製冷凍餃子中毒事件に関連し熊本市での講演で、「日本の農産物に付加価値がついた」「(日本の)農産物、高いけど、うまい、きれい、加えて安全、3つきたんじゃないの? 農協は中国に感謝しないといけない。ものすごく付加価値がついた」と発言した。
- 2008年7月に講演の中で、「1930年代、ドイツではナチス党がやたら出てきて、当時のワイマール共和国に対し、度々審議拒否。しょうがない、この際ナチス党にやらしたらどうだといって、ああいうことになった」と、民主党とナチスを同一視するかのような発言をしたと報じられた。
- 2008年8月、首相(当時)の福田康夫は国会審議で民主党の協力が得られず、支持率も低迷し行き詰っていたことで内閣改造を行った。その際、福田政権発足時には入閣・党役員就任を固辞していた麻生も、党の危機であることから幹事長に就任した(福田康夫内閣改造内閣)。8月4日、参議院議長の江田五月を表敬訪問した際、ドイツでヴァイマル共和政末期に政治不信が募り、ナチスが台頭した経緯に触れて危機感を示すことで、国会審議に復帰するよう民主党を牽制した。江田は麻生の悲観的な見通しを否定し、互いにそうならないようにしなければならないと返した。この会談においても「かつてドイツはナチスに1回(政権を)やらせようとなって、ああいうことになった」と、先月の講演とほぼ同じことを述べたことについて、民主党政権がナチス・ドイツのように横暴極まりないという印象を与えかねないとして、鳩山由紀夫が撤回を求めた。麻生は、「民主党をナチスに例えたわけではない」と釈明した。
- 08年自民党総裁選の立会い演説会で「外務大臣として働いた方のうち、私ほど、外交について多くを述べた方は、かつてただの1人もいらっしゃらないと思います」と発言し、外相経験者で内閣官房長官(当時)の町村信孝を驚かせた。
- 2008年9月、首相就任前『(認証式のために)陛下の日程をあけておけ』と宮内庁に指示を出した。
- 2008年9月14日、JR名古屋駅前での自民党総裁選候補としての街頭演説の中で、前月に岡崎市など愛知県内で3人の死者を出した平成20年8月末豪雨に関して、「岡崎の豪雨は1時間に140ミリだった。安城や岡崎だったからいいけど、名古屋で同じことが起きたら、この辺全部洪水よ」と対策の不十分さに言及したが、これに対し被災地域を軽視しているとして岡崎・安城の両市と岡崎市議会は麻生側に抗議文を郵送。同17日、麻生側は「不用意な発言で不快な思いをさせたことをお詫びし、復旧についてできる限りのことをする」との趣旨の謝罪文を、岡崎・安城の両市に送付した。
- 首相就任後、麻生は毎晩のように高級ホテル(帝国ホテル、ホテルオークラ、ニューオータニなど)のバーや、料亭で会食していることを報道された。記者団に「庶民の感覚と懸け離れているのでは」と質問された際に麻生は「高級料亭、毎晩、みたいな話で作り替えている。引っかけるような言い方はやめろ」などと答え、その後も攻撃的な口調で答えた。また、「普通の店に行くとSPやマスコミの影響で営業妨害になる」と主張したうえで、「店の妨害をして平気ですか?いま聞いてんだよ、答えろ!」と、質問した記者に強い口調で反問した。『帝国ホテルの会員バー「ゴールデンライオン」は入会金52万5000円、年会費12万6000円であり麻生のように数人を連れて一夜を過ごすだけで10万円は軽く超える』と報道された。与党の幹部からは「庶民派を気取っていても化けの皮がはがれる」と批判された。この発言に対しノンフィクション作家の保阪正康は「記者が聞いているのは、<普通の庶民と違う感覚について、恐れ、不安があるんですよ>ということだった。これに対し麻生さんは『ホテルは安いんだ』とか、護衛がいて大変だ、とか答えた。質問と答えがあっていない」と指摘し、「自分の恵まれた生活空間の中でしか物事を見ていない。それが、今回の発言につながったと思いますね」と述べている。
- 2008年9月24日、毎日新聞が「とてつもない金持ちに生まれた人間の苦しみなんて普通の人には分からんだろうな」と発言したと報道した。
- 2008年10月26日に行われた自民党の秋葉原街頭演説会の様子がYouTubeに投稿され、九州でのある事例で、非正規社員が正規社員に転換されたことで婚姻率が上昇したことを紹介したうえで「女性がもう、結婚する相手が、なんとなーく、食いっぱぐれそうな顔してるとこりゃちょっと、結婚したらあたしが一人で働かないかんと。そら、なかなか結婚したくないよ。そら、女性のほうも選ぶ権利がある」と演説した。前後の文脈から「食いっぱぐれそうな顔をしている」というのは非正規雇用の男性を指していることは明白であり、非正規雇用の男性を差別する発言だとしてインターネット上で話題になった。また、「結婚したらあたしが一人で働かないかん」と、非正規雇用の男性が失業者と同等だという差別的な発言であることも指摘された。
- 2008年11月20日、全国知事会議で「自分が病院を経営しているから言うわけじゃないけれど、大変ですよ。はっきり言って(医師は)社会的常識がかなり欠落している人が多い」「(医師不足の)責任はおたくら(医師)の話ではないですか」と発言した。会議後、記者団に発言の真意を問われ、「まともなお医者さんが不快な思いしたっていうんであれば、申し訳ありません」と謝罪した。厚生労働大臣の舛添要一や、自民党の国会対策委員長の大島理森、元副総裁の山崎拓、税制調査会会長の津島雄二などに苦言を呈されたほか、内閣官房長官の河村建夫も不適切との認識を示した。中でも山崎は「『社会的に非常識だ』と社会的非常識な人(麻生)に言われたくない」と強い口調で批判した。翌日、日本医師会会長の唐沢祥人が、抗議のために首相官邸を訪れた。これに対して麻生は「誤解を与えているようで、不適切であり、撤回する」と述べた。日本医師会会員からは日本医師会執行部に対して「自民党支持をやめるべきだ」との抗議が続々と寄せられており、日本医師会は、次期衆院選への影響は避けられないとの見方を示した。その他に全国保険医団体連合会も声明を発表し、「麻生総理は行政府の長として失格」と痛烈に批判。茨城県医師会も「政治家として、いや社会人として持つべき常識すら欠如している」との抗議文を首相あてに送付した。民主党代表代行の菅直人からも「常識がないのは発言している総理の方では」と皮肉られた。
- 2008年11月22日、訪問先のペルー・リマで、民主党代表の小沢一郎が、11月17日の党首会談で第2次補正予算案の審議・採決に応じる約束をほごにしたら「辞める」と発言したのに、後に否定したとして「この人の話、危ない。信用できなくなった」と発言、今国会提出を見送る考えを示した。小沢は「(会談後の記者会見で)『議員辞職するか』と聞かれたから『そんなことは言ってません』と言った」と説明。党首会談では「党内を説得できずに結果が違ったとしたら、党首としての責任を取ると言った」と反論した。さらに小沢は、麻生が「信用できない」と第2次補正予算案の今国会提出を見送る考えを示したことに対し、「僕の話で決めるレベルのことではない。厳しくなっている国民生活を政府がどうするかの問題だ」と批判し、「本当に首相として情けないというか、あまりにレベルが低い」と述べている。
- 2008年11月20日の経済財政諮問会議において、「たらたら飲んで、食べて、何もしない人(患者)の分の金 (医療費)を何で私が払うんだ」「私の方が(多額の)税金は払っている」「67、68歳になって同窓会に行くと、よぼよぼしている、医者にやたらかかっている者がいる。学生時代はとても元気だったが、今になるとこちら(首相)の方がはるかに医療費がかかってない」と、発言していたことが、2008年11月26日に公開された議事要旨から判明した。 この発言は保険制度の概念を軽視し「病気になるのは本人の不摂生(自己責任)のため」と受け止められ、批判を浴びた。後に麻生は「病にある人の気分を害したなら、その点はおわびする」と陳謝した。山崎拓、税制調査会長の津島雄二、前幹事長の伊吹文明、中山泰秀、渡辺喜美などが苦言を呈した。公明党代表の太田昭宏は不適切な発言との認識を示した。また、菅直人は「国民が、自国の首相を恥ずかしいと思う状況になっている」、国民新党の亀井静香は「社会保障とは何かということを根底からわかっていない。やっぱり太郎ちゃん、なっちゃいけなかったんだな」と批判した。河村建夫も「首相はああいう性格。いろんな発言はこれからもあるだろう」と発言した。
- 2008年11月23日、訪問先のペルー・リマでの記者会見で「質問に乗ってまた言うと、それをまた挑発のネタにされる。そっち(メディア)の飯の種になるかもしれないが、こっちはそういうことにならないから」と発言したことを同年11月30日放送のTBSのテレビ番組『時事放談』で問題発言として紹介された。
- 2008年11月14日のワシントンでの同行記者団との懇談で、定額給付金について「給付なんておれはいらない、というプライドもある人もいっぱいいる」と、定額給付金を受け取る国民はプライドが無いとも取れる発言をした。また、2008年12月6日長崎県諫早市で自民党長崎県連が主催した首相の演説会で演説し、定額給付金について「私はそんな金をもらいたくないという人はもらわなきゃいい。(年収が)1億円あっても、さもしく1万2000円が欲しいという人もいるかもしれない」と発言した。
- 2008年12月14日、北九州エコタウン(北九州市)を視察し、「民間で銭にしちゃおう、『しのぎ』にしようというのがすごい」と発言し、毎日新聞は暴力団の資金集めなどを指す時に使われることが多く品位に欠けるとの指摘もありうる問題発言として報道した。
- 2008年12月15日、参院決算委員会で健康増進策に関する質問に対して、自身の朝の散歩を挙げ「いい年こいて朝歩いているなんて、徘徊老人と間違われたりする時代があった。呼び止められたことが何回もありますから」と答弁したところ、記者団から「配慮に欠ける発言ではないか」と質問を受けると「どうして?何かよく分からない、言っている意味」と発言した。
- 2008年12月19日、ハローワーク渋谷(東京都渋谷区)を視察。失業し、再就職の相談に来て、「とにかく六本木などで働きたい」と発言していた若者に「今まで何してたんだ?新しい仕事というのは『これがやりたい』と言わないと、相談される方も『何かないですか』と言われても困る。何がやりたいか目的意識をはっきり出すようにしないと、就職というのは難しい」と話しかけたところをTBSのニュース番組で報道された。この発言に対し、鳩山由紀夫は「誠に的はずれだ」「なかなか自分の思い通りの仕事が見つからない状況だからこそハローワークで探そうとしている」と批判した。ほかに同ハローワークを訪れていた相談者は麻生の言葉を受け、「“何でもいいから仕事がほしい”というのが普通のこと。首相がそういうことを言うのはどうかと思う」、「職があれば良いというレベルです、私の場合は」、「今の不況の中では仕事を選べないところもあるから」とインタビューで答えていた。
- 2009年1月6日の会見において、定額給付金に関して「個人に給付されるものにもらえとかもらうなとか言えない。ぜひみなさんに使っていただきたい」と、所得制限を設けず全国民に受け取ってもらいたいという趣旨の発言をした。また、政府・与党としても「国会議員も積極的に受け取るべき」との見解を示した。前年に「12,000円もらう人はさもしい」などと高額所得者は受け取りを辞退するよう呼び掛けていただけに、今回正反対の考えを示したことには「コロコロ意見が変わる」と批判の声が出ている。
その他の発言
- 2003年の総務大臣就任記者会見の場で、ITの発達で役所から書類がなくなり、「地方自治体を含め中央官庁を、IT、いわゆるフロッピーで(コンピュータ同士を)繋ぐ」「フロッピー1枚で(役所の仕事を)全部できるようになる」という趣旨の発言をした。しかし役所の現場では2008年末現在、法務局に提出する電磁的データを格納するメディアにフロッピーを使うよう定めていることからも伺えるように、未だにフロッピーが現役である。
- 外務大臣当時の2006年11月、ニューヨーク・タイムズが太平洋戦争中における麻生鉱業の捕虜強制労働を報じた際に「事実が確認出来ない」と応え、在ニューヨーク総領事館にもウェブサイトでその旨反論させた。この反論はのちに2008年12月18日、裏づけとなる第一復員省まとめの公文書が厚生労働省で発見された事を受け削除されている。
- 2007年10月6日、フジテレビ系列の情報番組であるハッケン!!でのインタビューで「2ちゃんねるに時々書き込みをしている。新聞より核心を突いてくる」と公言。これは2ちゃんねるユーザーの間でも話題になった。
- 財務大臣(当時)の谷垣禎一との「安倍晋三首相に歯向かっても何もできない。だからオレと組め。その代わり、オレに総理を先にやらせろ」という会話があったと谷垣が述べたが、麻生はこれに対し、「こっちはまだ回答をもらっておらず、そういうこと(会話内容)を全然関係ないところでしゃべって、マナーとしていかがなもんか」と述べた。
- 「治安の良さは日本のブランド」としており、日本は世界的に治安が良い国という認識を持っている。街頭演説でも同様の主張をしている。
- 2008年9月16日、自民党総裁選で麻生以下5人の候補は、公開討論会でそれぞれ自己分析を披露した。その際に麻生は「ひと言多いこと」と発言した。
- 2008年9月、「総理大臣公邸に入居するのは解散総選挙を行った後」としており、現在も自宅から通勤している。総理が自宅(東京・渋谷区)から官邸へ通勤するのは、元首相の宮沢喜一以来、15年ぶりのことである。
- 2008年10月19日にはスーパーマーケットを視察しそこで買い物をしたが、その後に高級ホテルのバーで食事を取ったため多くの報道機関からは「庶民派をアピールしている」と冷ややかに受け止められ、民主党からは「スーパーを少し見たあと、超高級ホテルで食事している。単なるパフォーマンスだと批判された。
- 2008年10月28日の参院外交防衛委員会で食品高騰問題を取り上げた民主党の牧山弘恵からカップ麺1個の値段を聞かれると「日清食品が最初(1971年に“カップヌードル”を)出したときはえらく安かった。(カップ麺は)いま400円くらいします?そんなにしない?私、最近自分で買ったことないので」と答えた。なお、2008年10月28日時点でのコンビニでのカップめん1個の小売価格は平均170円程度であり、麻生の答弁の聞いたほかの委員からは「え~?」「知らないの~!?」などと驚きの声が上がった。
- スーパーの視察に続き、2008年11月10日には自民党学生部の者たちと居酒屋で飲むというパフォーマンスを見せた。そして翌日の自民党役員会で「まあ、(メニューは)ホッケの煮付けとかそんなもんでしたよ」と言い、実際庶民的なものを食べたことをアピールしたつもりだった。しかし、ホッケの煮付けは、麻生が飲みに出掛けた居酒屋には置いていないという。これに大島理森から、「ホッケは焼くしかないんですよ」と突っ込まれた。なお、麻生はこの居酒屋パフォーマンスのあとに、いきつけの高級ホテルのバーに移動しており、マスコミからは「つかの間の庶民派アピール」などと皮肉られた。
- 2008年11月10日放映の中国テレビCCTVに出演「私の家は貧しかったので子供の頃は、高校まで弁当では麦を食べていました」と発言。
- 2008年11月19日、都内のホテルで開かれた私立幼稚園PTAの全国大会で挨拶した麻生は「家庭でしつける力がなくなってきた」と指摘した上で、「じいさん、ばあさん、やかましいおやじさんの存在が薄くなってきたせいもあって、幼稚園で何とかしろと負担が掛かってきている。しつけるべきは母親だ」と批判した。しかし、会場には園児の母親たちが大勢出席しており幼稚園の教員を前に演説していたと勘違いした麻生は、終盤ようやくそれに気付き訂正した。
- 2008年12月2日、マスコミを引き連れたパフォーマンスで本屋へ行った際に1ヶ月前に買った本と同じ本(日下公人の「日本はどれほどいい国か」)を再度買ってしまったと報道された。
- 2008年12月25日夜、首相官邸で行われた閣僚との忘年会の席で、「わたしの発言でご迷惑をお掛けした。若干、発言に問題があったなあ」と照れながら陳謝したという。
- 2009年に世界金融危機後の景気刺激策として高速道路のETC大幅割引を決定した。この政策のおかげでその年のゴールデンウィークは高速道路の通行量が大幅に増えた反面、JRなどの鉄道利用者が大幅に減った為、「これからはマイカーの時代。二酸化炭素が大幅に増えた場合はその分原子力発電所をたくさん造ればよい。または男が酒を飲む代わりにエコカー購入の為貢ぐべきだ。車は肉食系女子、鉄道は草食系男子と発言した(5月7日の総裁談話で)。
漢字の読み間違い
国会答弁の中などで、漢字の読みを何度も間違えていることが指摘されている。
踏襲 | 「ふしゅう」 |
詰めて | 「つめめて」 |
怪我 | 「かいが」 |
参画 | 「さんか」 |
などがある。
- 上記の読み間違えリストは英国で発行されているフィナンシャル・タイムズにも、「批判は彼がしばしば起こす読み間違えにまで行き着いて(latch on)いる。…(中略)…知識人からは(彼の誤読は)恥ずかしいものとして見られている一方で、オンライン百科事典であるウィキペディアの麻生総理の項には、誤読のリストが特集されている。」として取り上げられた。
- 芸能評論家の肥留間正明は、内外タイムスでの記事で、自民党総務会長の笹川尭が「総理の原稿にはカナを振ったほうがいい」と述べていると語った。
- データマックスの報道によると、福岡県内の自民党地方議員からも、漢字の読み間違いについて「ここまでバカとは思わなかった」という指摘が出ている。また、麻生の地元である福岡市内の小学校では、漢字の読みが苦手な小学生に対し「(麻生)太郎ちゃん」というあだ名をつけることが流行しているとのことである。
- これら読み間違いについて、週刊朝日は「マンガ脳政権」、サンデー毎日は「阿呆太郎」と揶揄した。
- 2009年1月4日の年頭記者会見において書き初めをした際、落款で「平成廿一年」とすべきところを「平成廿十一年」と書いてしまった(自由民主党ホームページにも掲載していたが、その後、十の字を除いた訂正版に差し替え)。前年も漢字の間違いが多く指摘されただけに、自民党内も「チェック体制はどうなっているのか」と危機感をあらわにしている。
- 著書『バカの壁』でも知られる解剖学者の東大名誉教授の養老孟司は、一連の漢字の読み間違えや麻生氏の経歴から、読み間違えは「読字(どくじ)障害によるものではないか」との見解を示している。
- 2009年1月25日に大相撲初場所の千秋楽で優勝した横綱朝青龍に内閣総理大臣杯を手渡す際、「総理大臣賞」と読むところを「内閣総理大臣 朝青龍明徳殿」と「賞」を飛ばして読み上げ、場内から野次を飛ばされる様子が全国に中継された。
年譜
- 1940年9月 - 福岡県飯塚市に生まれる。麻生塾小学校(現在は閉校)を経て、小学3年生の頃に上京し、学習院初等科に編入する。
- 1959年3月 - 学習院高等科卒業。
- 1963年3月 - 学習院大学政経学部政治学科卒業。
- 1963年4月 - スタンフォード大学に留学。
- 1965年 - ロンドン・スクール・オブ・エコノミクスに留学。
- 1966年8月 - 麻生産業株式会社に入社。
- 1966年11月 - 麻生産業株式会社の取締役に就任。
- 1973年5月 - 麻生セメント株式会社の代表取締役社長(1979年12月まで)。
- 1976年7月 - モントリオールオリンピックに日本代表として出場。
- 1978年1月 - 社団法人日本青年会議所の会頭に就任(1978年12月まで)。
- 1979年10月 - 第35回衆議院議員総選挙に(旧福岡2区、現福岡8区)から出馬し初当選。
- 1983年11月 - 鈴木善幸元首相の三女千賀子と結婚、後に一男一女をもうける。
- 1983年12月 - 第37回衆議院議員総選挙で3期目の当選を目指したが落選。
- 1986年7月 - 第38回衆議院議員総選挙で返り咲き当選(3期目)。以降第44回まで6回連続当選。
- 1988年12月 - 文部政務次官に就任(1989年6月まで)。
- 1990年3月 - 自民党の文教部会長に就任(1990年12月まで)。
- 1991年1月 - 衆議院石炭対策特別委員長に就任(1991年11月まで)。
- 1991年11月 - 衆議院外務委員長に就任(1993年5月まで)。
- 1992年12月 - 党外交部会長(1993年8月まで)。
- 1996年11月 - 経済企画庁長官に就任(1997年9月まで)。
- 1997年9月 - 日本会議国会議員懇談会第2代会長に就任(2003年9月まで)
- 1999年3月 - 党副幹事長に就任(1999年11月まで)。
- 2001年1月 - 経済財政政策担当大臣に就任(2001年4月まで)。
- 2001年4月 - 党政務調査会長(2003年9月まで)。
- 2003年9月 - 総務大臣に就任。
- 2003年11月 - 総務大臣に再任。
- 2004年9月 - 国民スポーツ担当を併任。
- 2005年10月 - 外務大臣に就任。
- 2006年9月 - 外務大臣に再任。
- 2006年12月 - 為公会(麻生派)を設立し、会長に就任。
- 2007年3月20日 - 在職25年となり、衆議院本会議で永年在職議員表彰を受ける。
- 2007年8月27日 - 安倍改造内閣において自民党幹事長に就任。
- 2008年8月1日 - 福田改造内閣において再び自民党幹事長に就任。
- 2008年8月10日 - 日本バスケットボール協会会長に就任。
- 2008年9月2日 - 福田康夫首相の辞任表明に基づく自民党総裁選に立候補。
- 2008年9月22日 - 第23代自民党総裁に就任。
- 2008年9月24日 - 第92代内閣総理大臣に就任。麻生内閣組閣。
- 2009年9月16日 - 第23代自由民主党総裁並びに第92代内閣総理大臣を辞職。
主な役職等
- 社団法人日本クレー射撃協会会長
- 日韓議員連盟副会長
- 日韓トンネル研究会九州支部顧問
- 北京オリンピックを支援する議員の会
- 日本オリンピアンズ協会顧問
- 日本バスケットボール協会会長
家系
麻生家は、宇都宮氏の流れを汲む麻生氏の一族とされている。麻生家の名前の由来をたどると、先祖が遠賀郡麻生郷に花の屋敷を築いた縁からその地名をとり麻生姓を名乗ったという。江戸時代には村の庄屋を務め、1868年大庄屋となった。明治の始め曾祖父・麻生太吉が目尾御用炭山を採掘し石炭産業に着手、九州三大石炭財閥の一つに伸し上がり鉄道、電力、金融等幅広く事業を展開して大富豪となった。戦後麻生炭鉱は、吉田茂の資金源となった。
吉田茂は祖父、加納久朗子爵は祖母・夏子の兄で立花宗茂の弟・立花直次の子孫に当たる。牧野伸顕伯爵、自由民権運動の闘士竹内綱は曽祖父、明治の元勲大久保利通、自由民権運動の弾圧で知られる三島通庸子爵は高祖父にあたる。妻は元首相の鈴木善幸の三女。妻との間に1男1女あり、いずれも2007年3月の時点で大学生。麻生の弟・泰の妻は、日本医師会の元会長である武見太郎の娘。妹・信子は寬仁親王妃。従兄弟にキャプテン・フューチャーの翻訳者として知られるSF作家の野田昌宏がいる。
文芸・野球評論家の大井廣介は本名を麻生賀一郎といい、麻生太賀吉に対しては従兄弟にあたる。また明治天皇の落胤を名乗った日本画家橘天敬は太賀吉のいとこの夫である。
橋本龍太郎は遠縁の親戚(麻生の祖母夏子の兄加納久朗の孫久美子が龍太郎の妻)。安倍晋三は遠縁の親戚(麻生の祖父吉田茂の長女桜子の夫・吉田寛が岸信介元首相のいとことなるため)。宮澤喜一は遠縁の親戚(妻の兄弟の鈴木俊一の妻が宮澤喜一のいとことなるため)。宮澤家はブリヂストンの石橋家と親戚であり、この石橋家を通して鳩山家ともつながる。
なお、外務大臣に関して述べるならば、牧野・吉田はいずれも外務大臣経験者であり、世襲政治家が多い日本の政界でも極めてまれなケースである。
著作
- 『祖父・吉田茂の流儀』 PHP研究所 2000年 ISBN 978-4569611112
- 『麻生太郎の原点 祖父・吉田茂の流儀』 徳間書店 2007年 ISBN 978-4198925819
- 『自由と繁栄の弧』 幻冬舎 2007年 ISBN 978-4344411975
- 『とてつもない日本』 新潮社(新潮新書) 2007年 ISBN 978-4106102172
共著
- 『自民党の智恵』麻生太郎・伊吹文明[他]共著、シンクタンク2005・日本編集 成甲書房 2008年1月 ISBN 978-4880862279
- 『「国力」会議』麻生太郎・石破茂・平沼赳夫・与謝野馨・浜田和幸共著 祥伝社 2008年5月 ISBN 978-4396613075
参考文献
- 早川隆 『日本の上流社会と閨閥』 角川書店 1983年 224-227頁
- 広瀬隆 『私物国家 日本の黒幕の系図』 光文社 2000年 191、333頁
- 佐藤朝泰 『豪閥 地方豪族のネットワーク』 立風書房 2001年 451、500頁
- 神一行 『閨閥 改訂新版 特権階級の盛衰の系譜』 角川書店2002年 31、42-44頁
- 魚住昭 『野中広務 差別と権力』 講談社 2004年06月29日 ISBN 4062123444
- 角岡伸彦 『はじめての部落問題』 文藝春秋 2005年11月20日 ISBN 4166604783
- 『メカビ Vol.01』講談社 2006年06月02日 ISBN 4061795910
- 「野中広務元官房長官『山崎拓衆院議員は『週刊文春』を部落問題で恫喝した』」『週刊現代』49巻1号、講談社、2007年1月13日、46-47頁。
- 麻生太郎 『祖父・吉田茂の流儀』 PHP研究所 2000年 ISBN 978-4569611112
- 麻生太郎 『麻生太郎の原点 祖父・吉田茂の流儀』 徳間書店 2007年 ISBN 978-4198925819
- 麻生太郎 『自由と繁栄の弧』 幻冬舎 2007年 ISBN 978-4344411975
- 麻生太郎 『とてつもない日本』 新潮社(新潮新書) 2007年 ISBN 978-4106102172
- 麻生太郎 『自民党の智恵』麻生太郎・伊吹文明[他]共著 シンクタンク2005・日本編集 成甲書房 2008年1月 ISBN 978-4880862279
- 麻生太郎 『「国力」会議』麻生太郎・石破茂・平沼赳夫・与謝野馨・浜田和幸共著 祥伝社 2008年5月 ISBN 978-4396613075
関連項目
- 麻生内閣
- 麻生氏 - 宇都宮氏 - 筑豊御三家 * 宇都宮氏
- 麻垣康三
- 士志の会(古賀誠、平沼赳夫、高村正彦)
- 為公会
- 麻生包囲網
- 日本国政府専用機(小型の政府専用機導入を提案)
- 福岡県出身の人物一覧
- 学習院大学の人物一覧
- 射撃選手一覧
- 保守
- 白川勝彦、79年初当選同期で96年同時に初入閣。長らく同じ宏池会属し、それ以前からJCの活動通じて面識有った
- 伝統と創造の会(会長稲田朋美、初代幹事長代理薗浦健太郎。同会の麻生の総裁選立候補届出人経験者は稲田、西本勝子、永岡桂子)
- 相沢英之、松本純
歴代内閣総理大臣 | |||||
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