法務大臣
この項目では、日本の法務大臣について説明しています。各国の法務大臣については「法務大臣 (曖昧さ回避)」をご覧ください。 |
法務大臣 | |
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法務省が設置される中央合同庁舎第6号館A棟 | |
法務省が設置される 中央合同庁舎第6号館A棟 | |
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現職者 千葉景子 | |
副官 | |
呼称 | |
官邸 | |
任命者 | 内閣総理大臣 () |
任期 | |
初代 | 木村篤太郎 |
創設 | 1952年8月1日 |
継承順位 | |
公式サイト | 法務省 |
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法務大臣(ほうむだいじん)は、法務省の長である国務大臣。略称は法相。
目次
概要[編集]
閣僚の中でも、人数比からして参議院議員が就任することが多い。後述の死刑執行命令を出す国務大臣であるため、他の閣僚に比べて、人気がない閣僚ポストということもできる。戦後、法務大臣経験者で総理大臣に就任した人物は皆無である(臨時代理を除く)。政治家のキャリアとしては他の閣僚ポストより格下と見られている軽量ポストであるが、総理に反対する勢力からは任命されにくい。
大日本帝国憲法下(司法省)では司法大臣、戦後の一時期(法務庁、法務府時代)は法務総裁。
死刑執行は法務大臣が命令する。また、個々の事件の取調べ又は処分について検事総長に対する指揮権を持つが、発動されることはまれである。
法務大臣の権限[編集]
- 国を当事者又は参加人とする訴訟については、法務大臣が、国を代表する。(国の利害に関係のある訴訟についての法務大臣の権限等に関する法律(昭和22年法律第194号)第1条)
- 外国人の在留許可、永住許可、帰化
- 死刑執行命令を発する権限と義務
- 刑事訴訟法によれば、死刑執行の命令は判決が確定してから6か月以内に行わなければならないが、再審請求などの期間はこれに含まれない。また、大臣によって決裁の頻度は異なり、賀屋興宣や左藤恵等、在任中に発令の署名をしなかった大臣の例もある。第3次小泉改造内閣の法相杉浦正健が就任直後の会見で「私の心や宗教観や哲学の問題として死刑執行書にはサインしない(杉浦は弁護士出身、真宗大谷派を信仰)」と発言したところ各所から批判を浴び、わずか1時間で撤回するという騒動が起きた(ただし、在任中は死刑執行命令を発しないで、結果的に最初の信念を貫き通した形となった)。判決確定から6ヶ月という規定は、日本国憲法制定後に、「今までのように死刑執行まで時間がかかりすぎるのは、死刑執行を待つ恐怖が長く続くことになって残酷であり、新憲法の趣旨にも反する」という理由で作られたもので[1]、「犯罪者に対する厳正な処罰のために、6ヶ月で執行しなければならない」とする解釈は、本来の趣旨ではない。判決確定から6ヶ月以内に執行されない事例がほとんどであり、実効性のない規定になっている。
検察官に対する指揮権[編集]
検察官はそれぞれが検察権を行使する独任官庁であるが、現行憲法上、検察権は行政権に属し、全体として統一されたものでなければならないことから、検察官は検事総長を頂点とした指揮命令系統となっている(検察官同一体の原則)。
検察官は、例外を除き起訴権限を独占する(起訴独占主義)という極めて強大な権限を有し、刑事司法に大きな影響を及ぼしているため、政治的な圧力を不当に受けないように、ある程度の独立性が認められている。端的なものが法務大臣による指揮権の制限である。検察庁は行政機関であり、その最高の長は法務大臣であるため、当然に法務大臣が各検察官に対して指揮命令が出来るのであるが、この指揮権については検察庁法により「検察官の事務に関し、検察官を一般に指揮監督することができる。但し、個々の事件の取調又は処分については、検事総長のみを指揮することができる」として、具体的事案については検事総長を通じてのみ指揮が出来るとした。法務大臣と検事総長の意見が対立した場合に、かつては法務大臣の指揮に従わないこともありうる旨を述べた検事総長もいて国会で問題とされたものの、法的には「法務大臣の職務命令に重大かつ明白な瑕疵がない限り違法なものでも服従する義務がある」とされ、選挙を通じて民主主義的に組閣された内閣の一員である法務大臣の指揮権が優先されるのは当然である。もっとも、その結果是非については、指揮権を発動した際の国民世論が決定することとなり、政治責任の問題である(参考・秦野章『角を矯めて牛を殺すことなかれ』光文社)。
警察法71条のように、大規模な災害又は騒乱その他の緊急事態に際しての特別の規定は検察庁法にはないため、有事における検察の統制もこの法務大臣の指揮権に基づき行われることとなる(国家公務員法及び検察庁法)。
法務大臣の指揮権は、検察が、独善的な行動をとらないよう掣肘する目的も有しており、法務大臣の人事権と併せて、民主主義的な行政機関のコントロールを意味している。
主な諮問機関(法律上は審議会等)[編集]
- 司法試験委員会
- 法制審議会
歴代の司法卿、司法大臣、法務総裁、法務大臣の一覧[編集]
司法卿[編集]
代 | 氏名 | 在任期間 | 出身など | |
---|---|---|---|---|
1 | 60px | 江藤新平 | 1872年(明治5年)5月31日(旧暦4月25日) - 1873年(和暦??年)4月19日 | 佐賀藩 |
2 | 60px | 大木喬任 | 1873年(和暦??年)10月25日 - 1880年(和暦??年)2月28日 | 佐賀藩 |
3 | 田中不二麿 | 1880年(和暦??年)3月15日 - 1881年(和暦??年)10月21日 | 尾張藩 | |
4 | 60px | 大木喬任 | 1881年(和暦??年)10月21日 - 1883年(和暦??年)12月12日 | 佐賀藩 |
5 | 山田顕義 | 1883年(和暦??年)12月12日 - 1885年(和暦??年)12月22日 | 長州藩 |
司法大臣[編集]
- 日本国憲法施行前
代 | 氏名 | 内閣 | 在任期間 | 備考 | |
---|---|---|---|---|---|
1 | 山田顕義 | 第1次伊藤内閣 黒田内閣 第1次山縣内閣 第1次松方内閣 |
1885年(和暦??年)12月22日 - 1891年(和暦??年)6月1日 | ||
2 | 田中不二麿 | 第1次松方内閣 | 1891年(和暦??年)6月1日 - 1892年(和暦??年)6月23日 | ||
3 | 河野敏鎌 | 第1次松方内閣 | 1892年(和暦??年)6月23日 - 1892年(和暦??年)8月8日 | 1892年(和暦??年)6月23日 - 同年7月14日、農商務大臣を兼任 1892年(和暦??年)7月14日 - 同年8月8日、内務大臣を兼任 | |
4 | 60px | 山縣有朋 | 第2次伊藤内閣 | 1892年(和暦??年)8月8日 - 1893年(和暦??年)3月11日 | |
- | 伊藤博文 | 第2次伊藤内閣 | 1893年(和暦??年)3月11日 - 1893年(和暦??年)3月16日 | 内閣総理大臣との臨時兼任 | |
5 | 芳川顯正 | 第2次伊藤内閣 第2次松方内閣 |
1893年(和暦??年)3月16日 - 1896年(和暦??年)9月26日 | 1894年(和暦??年)8月29日 - 同年10月3日、文部大臣を臨時兼任 1896年(和暦??年)2月3日 - 同年4月14日、内務大臣を兼任 | |
6 | 60px | 清浦奎吾 | 第2次松方内閣 | 1896年(和暦??年)9月26日 - 1898年(和暦??年)1月12日 | |
7 | 60px | 曾禰荒助 | 第3次伊藤内閣 | 1898年(和暦??年)1月12日 - 1898年(和暦??年)6月30日 | |
8 | 大東義徹 | 第1次大隈内閣 | 1898年(和暦??年)6月30日 - 1898年(和暦??年)11月8日 | ||
9 | 60px | 清浦奎吾 | 第2次山縣内閣 | 1898年(和暦??年)11月8日 - 1900年(和暦??年)10月19日 | |
10 | 60px | 金子堅太郎 | 第4次伊藤内閣 | 1900年(和暦??年)10月19日 - 1901年(和暦??年)6月2日 | |
11 | 60px | 清浦奎吾 | 第1次桂内閣 | 1901年(和暦??年)6月2日 - 1903年(和暦??年)9月22日 | 1903年(和暦??年)7月17日 - 同年9月22日、農商務大臣を兼任 |
12 | 波多野敬直 | 第1次桂内閣 | 1903年(和暦??年)9月22日 - 1906年(和暦??年)1月7日 | ||
13 | 松田正久 | 第1次西園寺内閣 | 1906年(和暦??年)1月7日 - 1908年(和暦??年)3月25日 | 1908年(和暦??年)1月14日 - 同年3月25日、大蔵大臣を兼任 | |
14 | 千家尊福 | 第1次西園寺内閣 | 1908年(和暦??年)3月25日 - 1908年(和暦??年)7月14日 | ||
15 | 岡部長職 | 第2次桂内閣 | 1908年(和暦??年)7月14日 - 1911年(和暦??年)8月30日 | ||
16 | 松田正久 | 第2次西園寺内閣 | 1911年(和暦??年)8月30日 - 1912年(和暦??年)12月21日 | ||
17 | 松室致 | 第3次桂内閣 | 1912年(和暦??年)12月21日 - 1913年(和暦??年)2月20日 | ||
18 | 松田正久 | 第1次山本内閣 | 1913年(和暦??年)2月20日 - 1913年(和暦??年)11月11日 | ||
19 | 奥田義人 | 第1次山本内閣 | 1913年(和暦??年)11月11日 - 1914年(和暦??年)4月16日 | ||
20 | 60px | 尾崎行雄 | 第2次大隈内閣 | 1914年(和暦??年)4月16日 - 1916年(和暦??年)10月9日 | |
21 | 松室致 | 寺内内閣 | 1916年(和暦??年)10月9日 - 1918年(和暦??年)9月29日 | ||
22 | 原敬 | 原内閣 | 1918年(和暦??年)9月29日 - 1920年(和暦??年)5月15日 | 内閣総理大臣との兼任 | |
23 | 大木遠吉 | 原内閣 高橋内閣 |
1920年(和暦??年)5月15日 - 1922年(和暦??年)6月12日 | ||
24 | 岡野敬次郎 | 加藤友三郎内閣 | 1922年(和暦??年)6月12日 - 1923年(和暦??年)9月2日 | ||
25 | 田健治郎 | 第2次山本内閣 | 1923年(和暦??年)9月2日 - 1923年(和暦??年)9月6日 | ||
26 | 60px | 平沼騏一郎 | 第2次山本内閣 | 1923年(和暦??年)9月6日 - 1924年(和暦??年)1月7日 | |
27 | 鈴木喜三郎 | 清浦内閣 | 1924年(和暦??年)1月7日 - 1924年(和暦??年)6月11日 | ||
28 | 横田千之助 | 加藤高明内閣 | 1924年(和暦??年)6月11日 - 1925年(和暦??年)2月5日 | ||
- | 高橋是清 | 加藤高明内閣 | 1925年(和暦??年)2月5日 - 1925年(和暦??年)2月9日 | 農商務大臣との臨時兼任 | |
29 | 小川平吉 | 加藤高明内閣 | 1925年(和暦??年)2月9日 - 1925年(和暦??年)8月2日 | ||
30 | 江木翼 | 加藤高明内閣 第1次若槻内閣 |
1925年(和暦??年)8月2日 - 1927年(和暦??年)4月20日 | ||
31 | 原嘉道 | 田中義一内閣 | 1927年(和暦??年)4月20日 - 1929年(和暦??年)7月2日 | ||
32 | 渡辺千冬 | 濱口内閣 第2次若槻内閣 |
1929年(和暦??年)7月2日 - 1931年(和暦??年)12月13日 | ||
33 | 鈴木喜三郎 | 犬養内閣 | 1931年(和暦??年)12月13日 - 1932年(和暦??年)3月25日 | ||
34 | 川村竹治 | 犬養内閣 | 1932年(和暦??年)3月25日 - 1932年(和暦??年)5月26日 | ||
35 | 小山松吉 | 齋藤内閣 | 1932年(和暦??年)5月26日 - 1934年(和暦??年)7月8日 | ||
36 | 小原直 | 岡田内閣 | 1934年(和暦??年)7月8日 - 1936年(和暦??年)3月9日 | ||
37 | 林頼三郎 | 廣田内閣 | 1936年(和暦??年)3月9日 - 1937年(和暦??年)2月2日 | ||
38 | 塩野季彦 | 林内閣 第1次近衛内閣 平沼内閣 |
1937年(和暦??年)2月2日 - 1939年(和暦??年)8月30日 | ||
39 | 宮城長五郎 | 阿部内閣 | 1939年(和暦??年)8月30日 - 1940年(和暦??年)1月16日 | ||
40 | 木村尚達 | 米内内閣 | 1940年(和暦??年)1月16日 - 1940年(和暦??年)7月22日 | ||
41 | 60px | 風見章 | 第2次近衛内閣 | 1940年(和暦??年)7月22日 - 1940年(和暦??年)12月21日 | |
42 | 60px | 柳川平助 | 第2次近衛内閣 | 1940年(和暦??年)12月21日 - 1941年(和暦??年)7月18日 | |
43 | 近衛文麿 | 第3次近衛内閣 | 1941年(和暦??年)7月18日 - 1941年(和暦??年)7月25日 | 内閣総理大臣との兼任 | |
44 | 岩村通世 | 第3次近衛内閣 東條内閣 |
1941年(和暦??年)7月25日 - 1944年(和暦??年)7月22日 | ||
45 | 松阪広政 | 小磯内閣 鈴木貫太郎内閣 |
1944年(和暦??年)7月22日 - 1945年(和暦??年)8月17日 | ||
46 | 岩田宙造 | 東久邇宮内閣 幣原内閣 |
1945年(和暦??年)8月17日 - 1946年(和暦??年)5月22日 |
- 日本国憲法施行後
代 | 氏名 | 内閣 | 就任年月日 | 所属政党など | 備考 | |
---|---|---|---|---|---|---|
47 | 木村篤太郎 | 第1次吉田内閣 | 1946年(和暦??年)5月22日 | 民間人 | ||
- | 片山哲 | 片山内閣 | 1947年(和暦??年)5月24日 | 日本社会党 | 司法大臣臨時代理(内閣総理大臣) | |
48 | 鈴木義男 | 片山内閣 | 1947年(和暦??年)6月1日 | 日本社会党 |
法務総裁[編集]
代 | 氏名 | 内閣 | 就任年月日 | 所属政党など | 備考 | |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | 鈴木義男 | 片山内閣 | 1948年(和暦??年)2月15日 | 日本社会党 | ||
2 | 芦田内閣 | 1948年(和暦??年)3月10日 | ||||
- | 吉田茂 | 第2次吉田内閣 | 1948年(和暦??年)10月15日 | 自由党 | 法務総裁臨時代理(内閣総理大臣) | |
3 | 殖田俊吉 | 第2次吉田内閣 | 1948年(和暦??年)11月7日 | 自由党 | 行政管理庁長官兼任(同年11月10日まで) | |
4 | 第3次吉田内閣 | 1949年(和暦??年)2月16日 | 任期途中に法務庁から法務府へ改称(同年6月1日) | |||
5 | 大橋武夫 | 第3次吉田第1次改造内閣 第3次吉田第2次改造内閣 |
1950年(和暦??年)6月28日 | 自由党 | ||
6 | 木村篤太郎 | 第3次吉田第3次改造内閣 | 1951年(和暦??年)12月26日 | 民間人 |
法務大臣[編集]
代 | 氏名 | 内閣 | 就任年月日 | 所属政党など | 備考 | |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | 木村篤太郎 | 第3次吉田第3次改造内閣 | 1952年(和暦??年)8月1日 | 民間人 | ||
2 | 犬養健 | 第4次吉田内閣 | 1952年(和暦??年)10月30日 | 自由党 | ||
3 | 第5次吉田内閣 | 1953年(和暦??年)5月21日 | ||||
4 | 加藤鐐五郎 | 第5次吉田内閣 | 1954年(和暦??年)4月22日 | 自由党 | ||
5 | 小原直 | 第5次吉田内閣 | 1954年(和暦??年)6月19日 | 自由党 | ||
6 | 花村四郎 | 第1次鳩山一郎内閣 | 1954年(和暦??年)12月10日 | 日本民主党 | ||
7 | 第2次鳩山一郎内閣 | 1955年(和暦??年)3月19日 | ||||
8 | 牧野良三 | 第3次鳩山一郎内閣 | 1955年(和暦??年)11月22日 | 自由民主党 | ||
- | 石橋湛山 | 石橋内閣 | 1956年(和暦??年)12月23日 | 自由民主党 | 法務大臣臨時代理(内閣総理大臣) | |
9 | 中村梅吉 | 石橋内閣 | 1956年(和暦??年)12月23日 | 自由民主党 | ||
10 | 第1次岸内閣 | 1957年(和暦??年)2月25日 | ||||
11 | 唐澤俊樹 | 第1次岸改造内閣 | 1957年(和暦??年)7月10日 | 自由民主党 | ||
12 | 愛知揆一 | 第2次岸内閣 | 1958年(和暦??年)6月12日 | 自由民主党 | ||
13 | 井野碩哉 | 第2次岸改造内閣 | 1959年(和暦??年)6月18日 | 自由民主党 (参議院) |
||
14 | 小島徹三 | 第1次池田内閣 | 1960年(和暦??年)7月19日 | 自由民主党 | ||
15 | 植木庚子郎 | 第2次池田内閣 第2次池田第1次改造内閣 |
1960年(和暦??年)12月8日 | 自由民主党 | ||
16 | 中垣國男 | 第2次池田第2次改造内閣 | 1962年(和暦??年)7月18日 | 自由民主党 | ||
17 | 賀屋興宣 | 第2次池田第3次改造内閣 | 1963年(和暦??年)7月18日 | 自由民主党 | ||
18 | 第3次池田内閣 | 1963年(和暦??年)12月9日 | ||||
19 | 高橋等 | 第3次池田改造内閣 | 1964年(和暦??年)7月18日 | 自由民主党 | ||
20 | 第1次佐藤内閣 | 1964年(和暦??年)11月9日 | ||||
21 | 石井光次郎 | 第1次佐藤第1次改造内閣 第1次佐藤第2次改造内閣 |
1965年(和暦??年)6月3日 | 自由民主党 | ||
22 | 田中伊三次 | 第1次佐藤第3次改造内閣 | 1966年(和暦??年)12月3日 | 自由民主党 | ||
23 | 第2次佐藤内閣 | 1967年(和暦??年)2月17日 | ||||
24 | 赤間文三 | 第2次佐藤第1次改造内閣 | 1967年(和暦??年)11月25日 | 自由民主党 (参議院) |
||
25 | 西郷吉之助 | 第2次佐藤第2次改造内閣 | 1968年(和暦??年)11月30日 | 自由民主党 (参議院) |
||
26 | 小林武治 | 第3次佐藤内閣 | 1970年(和暦??年)1月14日 | 自由民主党 (参議院) |
||
27 | 秋田大助 | 第3次佐藤内閣 | 1971年(和暦??年)2月9日 | 自由民主党 | 自治大臣兼任 | |
28 | 植木庚子郎 | 第3次佐藤内閣 | 1971年(和暦??年)2月17日 | 自由民主党 | ||
29 | 前尾繁三郎 | 第3次佐藤内閣 第3次佐藤改造内閣 |
1971年(和暦??年)7月5日 | 自由民主党 | ||
30 | 郡祐一 | 第1次田中角榮内閣 | 1972年(和暦??年)7月7日 | 自由民主党 (参議院) |
||
31 | 田中伊三次 | 第2次田中角榮内閣 | 1972年(和暦??年)12月22日 | 自由民主党 | ||
32 | 中村梅吉 | 第2次田中角榮第1次改造内閣 | 1973年(和暦??年)11月25日 | 自由民主党 | ||
33 | 濱野清吾 | 第2次田中角榮第2次改造内閣 | 1974年(和暦??年)11月11日 | 自由民主党 | ||
34 | 稻葉修 | 三木内閣 三木改造内閣 |
1974年(和暦??年)12月9日 | 自由民主党 | ||
35 | 福田一 | 福田赳夫内閣 | 1976年(和暦??年)12月24日 | 自由民主党 | ||
36 | 瀬戸山三男 | 福田赳夫内閣 福田赳夫改造内閣 |
1977年(和暦??年)10月5日 | 自由民主党 | ||
37 | 古井喜實 | 第1次大平内閣 | 1978年(和暦??年)12月7日 | 自由民主党 | ||
38 | 倉石忠雄 | 第2次大平内閣 | 1979年(和暦??年)11月9日 | 自由民主党 | ||
39 | 奥野誠亮 | 鈴木善幸内閣 | 1980年(和暦??年)7月17日 | 自由民主党 | ||
40 | 坂田道太 | 鈴木善幸改造内閣 | 1981年(和暦??年)11月30日 | 自由民主党 | ||
41 | 秦野章 | 第1次中曽根内閣 | 1982年(和暦??年)11月27日 | 自由民主党 (参議院) |
||
42 | 住栄作 | 第2次中曽根内閣 | 1983年(和暦??年)12月27日 | 自由民主党 | ||
43 | 嶋崎均 | 第2次中曽根第1次改造内閣 | 1984年(和暦??年)11月1日 | 自由民主党 (参議院) |
||
44 | 鈴木省吾 | 第2次中曽根第2次改造内閣 | 1985年(和暦??年)12月28日 | 自由民主党 (参議院) |
||
45 | 遠藤要 | 第3次中曽根内閣 | 1986年(和暦??年)7月22日 | 自由民主党 (参議院) |
||
46 | 林田悠紀夫 | 竹下内閣 | 1987年(和暦??年)11月6日 | 自由民主党 (参議院) |
||
47 | 長谷川峻 | 竹下改造内閣 | 1988年(和暦??年)12月27日 | 自由民主党 | ||
48 | 高辻正己 | 竹下改造内閣 | 1988年(和暦??年)12月30日 | 民間人 | ||
49 | 谷川和穗 | 宇野内閣 | 1989年(和暦??年)6月3日 | 自由民主党 | ||
50 | 後藤正夫 | 第1次海部内閣 | 1989年(和暦??年)8月10日 | 自由民主党 (参議院) |
||
51 | 長谷川信 | 第2次海部内閣 | 1990年(和暦??年)2月28日 | 自由民主党 (参議院) |
||
52 | 梶山静六 | 第2次海部内閣 | 1990年(和暦??年)9月13日 | 自由民主党 | ||
53 | 左藤恵 | 第2次海部改造内閣 | 1990年(和暦??年)12月29日 | 自由民主党 | ||
54 | 田原隆 | 宮澤内閣 | 1991年(和暦??年)11月5日 | 自由民主党 | ||
55 | 後藤田正晴 | 宮澤改造内閣 | 1992年(和暦??年)12月12日 | 自由民主党 | 1993年(和暦??年)4月8日以降、副総理兼任 | |
56 | 三ヶ月章 | 細川内閣 | 1993年(和暦??年)8月9日 | 民間人 | ||
- | 羽田孜 | 羽田内閣 | 1994年(和暦??年)4月28日 | 新生党 | 法務大臣臨時代理(内閣総理大臣) | |
57 | 永野茂門 | 羽田内閣 | 1994年(和暦??年)4月28日 | 新生党 (参議院) |
||
58 | 中井洽 | 羽田内閣 | 1994年(和暦??年)5月8日 | 民社党 | ||
59 | 前田勲男 | 村山内閣 | 1994年(和暦??年)6月30日 | 自由民主党 (参議院) |
||
60 | 田沢智治 | 村山改造内閣 | 1995年(和暦??年)8月8日 | 自由民主党 (参議院) |
||
61 | 宮澤弘 | 村山改造内閣 | 1995年(和暦??年)10月9日 | 自由民主党 (参議院) |
||
62 | 長尾立子 | 第1次橋本内閣 | 1996年(和暦??年)1月11日 | 民間人 | ||
63 | 松浦功 | 第2次橋本内閣 | 1996年(和暦??年)11月7日 | 自由民主党 (参議院) |
||
64 | 下稲葉耕吉 | 第2次橋本改造内閣 | 1997年(和暦??年)9月11日 | 自由民主党 (参議院) |
||
65 | 中村正三郎 | 小渕内閣 小渕第1次改造内閣 |
1998年(和暦??年)7月30日 | 自由民主党 | ||
66 | 陣内孝雄 | 小渕第1次改造内閣 | 1999年(和暦??年)3月8日 | 自由民主党 (参議院) |
||
67 | 臼井日出男 | 小渕第2次改造内閣 | 1999年(和暦??年)10月5日 | 自由民主党 | ||
68 | 第1次森内閣 | 2000年(和暦??年)4月5日 | ||||
69 | 保岡興治 | 第2次森内閣 | 2000年(和暦??年)7月4日 | 自由民主党 | ||
70 | 高村正彦 | 第2次森改造内閣 | 2000年(和暦??年)12月5日 | 自由民主党 |
- 中央省庁再編後
代 | 氏名 | 内閣 | 就任年月日 | 所属政党など | |
---|---|---|---|---|---|
71 | 高村正彦 | 第2次森改造内閣 | 2001年(和暦??年)1月6日 | 自由民主党 | |
72 | 森山眞弓 | 第1次小泉内閣 第1次小泉第1次改造内閣 |
2001年(和暦??年)4月26日 | 自由民主党 | |
73 | 野沢太三 | 第1次小泉第2次改造内閣 | 2003年(和暦??年)9月22日 | 自由民主党 (参議院) | |
74 | 第2次小泉内閣 | 2003年(和暦??年)11月19日 | |||
75 | 南野知惠子 | 第2次小泉改造内閣 | 2004年(和暦??年)9月27日 | 自由民主党 (参議院) | |
76 | 第3次小泉内閣 | 2005年(和暦??年)9月21日 | |||
77 | 杉浦正健 | 第3次小泉改造内閣 | 2005年(和暦??年)10月31日 | 自由民主党 | |
78 | 長勢甚遠 | 安倍内閣 | 2006年(和暦??年)9月26日 | 自由民主党 | |
79 | 60px | 鳩山邦夫 | 安倍改造内閣 | 2007年(和暦??年)8月27日 | 自由民主党 |
80 | 福田康夫内閣 | 2007年(和暦??年)9月26日 | |||
81 | 保岡興治 | 福田康夫改造内閣 | 2008年(和暦??年)8月2日 | 自由民主党 | |
82 | 森英介 | 麻生内閣 | 2008年(和暦??年)9月24日 | 自由民主党 | |
83 | 千葉景子 | 鳩山由紀夫内閣 | 2009年(和暦??年)9月16日 | 民主党 (参議院) |
法務大臣の法曹資格[編集]
司法大臣・法務総裁・法務大臣には、法曹資格や法曹経歴を有する者が任命されることも多く、以下の者がいる。なお、下表に挙げた者以外にも、初期の司法大臣の内、第3代の河野敏鎌、第6・9・11代の清浦奎吾、第8代の大東義徹、第12代の波多野敬直も司法官としての経歴を有している。
特に、大日本帝国憲法下では、各大臣にはその省の官僚出身者が就任することも多く、司法省もその例外ではなく、判検事出身者が司法大臣に就任することが多かった。
また、法曹有資格者以外にも、第34代法務大臣の稲葉修は法学博士であった。
代 | 氏名 | 出身校 | 学位など |
---|---|---|---|
司法大臣 | |||
17 | 松室致 | 司法省法学校 | 法律学士 |
21 | 松室致 | 司法省法学校 | 法律学士 |
26 | 平沼騏一郎 | 帝国大学法科大学 | 法学博士 |
27 | 鈴木喜三郎 | 帝国大学法科大学 | |
28 | 横田千之助 | 東京法学院 | |
29 | 小川平吉 | 帝国大学法科大学 | |
31 | 原嘉道 | 帝国大学法科大学英法学部 | 法学博士 |
33 | 鈴木喜三郎 | 帝国大学法科大学 | |
35 | 小山松吉 | 獨逸学協会学校専修科 | 法学博士 |
36 | 小原直 | 東京帝国大学法科大学法律学科 | |
37 | 林頼三郎 | 東京法学院 | 法学博士 |
38 | 塩野季彦 | 東京帝国大学法科大学独法科 | |
39 | 宮城長五郎 | ||
40 | 木村尚達 | 京都帝国大学 | |
44 | 岩村通世 | 東京帝国大学法科大学独法科 | |
45 | 松阪広政 | 東京帝国大学法科大学 | |
46 | 岩田宙造 | 東京帝国大学法科大学英法科 | 法学博士 |
法務総裁 | |||
1 | 鈴木義男 | 東京帝国大学 | |
6 | 木村篤太郎 | 東京帝国大学 | |
法務大臣 | |||
1 | 木村篤太郎 | 東京帝国大学 | |
5 | 小原直 | 東京帝国大学法科大学 | |
6 | 花村四郎 | 日本大学法律科 | |
8 | 牧野良三 | 東京帝国大学法科大学 | 法学博士 |
9 | 中村梅吉 | 法政大学 | |
14 | 小島徹三 | 東京帝国大学法学部 | |
32 | 中村梅吉 | 法政大学 | |
36 | 瀬戸山三男 | 明治大学法学部 | |
56 | 三ヶ月章 | 東京帝国大学法学部法律学科 | 法学博士 |
代 | 氏名 | 出身校 | 司法修習期 | 学位など |
---|---|---|---|---|
69 | 保岡興治 | 中央大学法学部法律学科 | 19期 | 法学士 |
70 | 高村正彦 | 中央大学法学部法律学科 | 20期 | 法学士 |
71 | 高村正彦 | 中央大学法学部法律学科 | 20期 | 法学士 |
77 | 杉浦正健 | 東京大学経済学部 | 経済学士 | |
81 | 保岡興治 | 中央大学法学部法律学科 | 19期 | 法学士 |
83 | 千葉景子 | 中央大学法学部法律学科 |
脚注[編集]
- ↑ 第2回国会 参議院司法委員会議事録 1948年6月28日
- ↑ 司法卿は、法務大臣の前身であり、太政官制の下で置かれた官職。
- ↑ 司法大臣は法務大臣の前身であり、明治18年太政官達第69号、各省官制(明治19年勅令第号)、司法省官制(明治23年勅令第100号)に基づいて設置された。
- ↑ 法務総裁は法務大臣の前身であり、法務庁設置法(昭和22年法律第193号)、法務府設置法(同)に基づいて設置された。
- ↑ 中央省庁再編の法務大臣は、再編後の法務大臣の前身であり、法務省設置法(旧法、昭和22年法律第193号)に基づいて設置された。
- ↑ 中央省庁再編後の法務大臣は、法務省設置法(新法、平成11年法律第93号)に基づいて設置される。
- ↑ 辞令のある再任(新内閣発足時等)は記載し、辞令のない留任(内閣改造時等)は記載しない。
- ↑ 臨時代理は、大臣空位の場合のみ記載し、海外出張等の一時不在代理は記載しない。
- ↑ 「代数」は、官職名ごと。司法大臣は連続する在任期間ごとに改め、法務総裁・法務大臣は再任ごとに改めた。なお、臨時兼任・臨時代理は、いずれも代数に含めない。
関連項目[編集]
歴代の法務大臣 |
---|
法務大臣(中央省庁再編前) |
木村篤太郎 - 犬養健 - 加藤鐐五郎 - 小原直 - 花村四郎 - 牧野良三 - (石橋湛山) - 中村梅吉 - 唐沢俊樹 - 愛知揆一 - 井野碩哉 - 小島徹三 - 植木庚子郎 - 中垣國男 - 賀屋興宣 - 高橋等 - 石井光次郎 - 田中伊三次 - 赤間文三 - 西郷吉之助 - 小林武治 - 秋田大助 - 植木庚子郎 - 前尾繁三郎 - 郡祐一 - 田中伊三次 - 中村梅吉 - 浜野清吾 - 稲葉修 - 福田一 - 瀬戸山三男 - 古井喜実 - 倉石忠雄 - 奥野誠亮 - 坂田道太 - 秦野章 - 住栄作 - 嶋崎均 - 鈴木省吾 - 遠藤要 - 林田悠紀夫 - 長谷川峻 - 高辻正己 - 谷川和穂 - 後藤正夫 - 長谷川信 - 梶山静六 - 左藤恵 - 田原隆 - 後藤田正晴 - 三ヶ月章 - (羽田孜) - 永野茂門 - 中井洽 - 前田勲男 - 田沢智治 - 宮澤弘 - 長尾立子 - 松浦功 - 下稲葉耕吉 - 中村正三郎 - 陣内孝雄 - 臼井日出男 - 保岡興治 - 高村正彦 |
法務大臣(中央省庁再編後) |
高村正彦 - 森山眞弓 - 野沢太三 - 南野知惠子 - 杉浦正健 - 長勢甚遠 - 鳩山邦夫 |