古舘伊知郎

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ふるたち いちろう
古舘 伊知郎
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プロフィール
本名
愛称いっちゃん
出身地日本の旗 日本 東京都北区
国籍日本
生年月日1954年12月7日(2024-1954)+((11-12)*100+(15-7)>=0)-1歳)
没年月日
血液型AB型
最終学歴立教大学経済学部経営学科
勤務局フリーアナウンサー
所属事務所古舘プロジェクト
部署
職歴テレビ朝日アナウンサー
活動期間1977年 -
ジャンル
配偶者あり
家族 長男:古舘佑太郎
公式サイト
出演/担当番組・活動
現在報道ステーション
過去夜のヒットスタジオ
おしゃれカンケイ
クイズ赤恥青恥
筋肉番付
NHK紅白歌合戦』など
その他プロレスF1などの実況
備考
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古舘 伊知郎(ふるたち いちろう、1954年昭和29年)12月7日 - )[1]は、日本フリーアナウンサータレント司会者ニュースキャスター古舘プロジェクト所属。元テレビ朝日アナウンサー東京都北区出身。北区立滝野川第二小学校、千代田区立今川中学校(現:神田一橋中学校)、立教高等学校(現:立教新座高等学校)、立教大学経済学部経営学科卒業。

経歴

1977年全国朝日放送(現:テレビ朝日、採用試験時は日本教育テレビ(NETテレビ))にアナウンサーとして入社。面接にて広辞苑丸暗記という特技を披露し、採用される。同年7月には『ワールドプロレスリング』担当に配属され、越谷市体育館での長州力VSエル・ゴリアス戦で実況デビュー。入社1年目のアナウンサーが実況デビューするのは極めて異例だが、この理由は3年後に控えたモスクワオリンピックをNETテレビが独占中継することになり、プロレス中継の担当アナウンサーが手薄になったためである。

1980年からは『ワールドプロレスリング』で山本小鉄とコンビを組む。「おーーーーーっと!」「燃える闘魂」「掟破りの逆サソリ」「名勝負数え唄」「人間山脈」「風車の理論」「エリート・雑草逆転劇」などの独特な表現は「過激実況」と呼ばれ、アントニオ猪木全盛期、新日本プロレスの黄金期を支えてきた。また、大発行部数を誇る週刊少年マガジンで連載される「異能戦士」にフルタチのキャラで頻繁に登場し、プロレスファン以外にも知られる存在となった。なお、フリーになるかならないかの頃に、フジテレビオレたちひょうきん族』の1コーナーである「ひょうきんプロレス」に覆面アナウンサー「宮田テル・アビブ」(宮田輝のもじり)として出演したこともある(「奮い立ち伊知郎」と名乗ったこともある)。しかし、NGを出してひょうきん懺悔室に送り込まれ、水を被り、正体を明かした。

1984年6月にテレビ朝日を退社後、大学時代の友人と芸能事務所「古舘プロジェクト」を設立。フリーになってからは、10年以上に渡ったワールドプロレスリングの実況を1987年3月に勇退、その後の1989年から1994年までのフジテレビF1放送や、競輪における特別競輪(現:GI)決勝戦の実況中継、さらには、自らの一人芝居型講演会「トーキング・ブルース」を始め、数々のテレビ番組に出演。そして、NHKと民放キー局5社で全てレギュラー番組を持った。1988年には映画『スウィートホーム』、1991年にはNHK連続テレビ小説君の名は』に出演し、俳優業にも挑戦した。また、テレビ朝日『ニュースフロンティア』(1991年4月 - 1994年3月)という『ニュースステーション』のオンエアが無い土曜日の23時から放送されていた報道番組も一時期担当した。1994年 - 1996年まで、NHK『NHK紅白歌合戦』の白組司会を務めた。ちなみに、史上初の民放のアナウンサー出身の紅白司会者となった。

プロレスファン以外の視聴者にも古舘の名が一躍認知されるようになった端緒は、1985年のフジテレビ『夜のヒットスタジオ』の司会抜擢であった。当時民放各局に乱立していた音楽番組の中でも抜きん出た格上の番組であり、そこにフリー転身から1年しか経たない古舘が抜擢されたことについて、当時の視聴者から危惧の声が上がっていたようだが、その当初の視聴者の反応も、当時の『夜のヒットスタジオ』の看板司会者であった芳村真理の強い後盾もあったためか聞かれなくなり、司会者としてのキャリアを上げる大きな契機となった。1988年に芳村は番組を勇退し、古舘自身も独立早々の苦境の時に最初に使って貰ったという恩義から、『夜のヒットスタジオ』、そして芳村に対しての強い敬意の念を抱いているようである(『SmaSTATION!!』に出演した際にこの点については述べている)。古舘の結婚式の仲人は芳村夫妻が務めており、芳村とは家族ぐるみの親交を続けている。

1989年、アントニオ猪木がスポーツ平和党から参議院選挙に立候補した時には、「国会に卍固め、消費税に延髄斬り」というキャッチコピーで応援した。

世界水泳では2001年の日本・福岡大会と2003年スペインバルセロナ大会を2大会連続で特別実況し、世界陸上では1999年セビリア大会から2003年パリ大会にかけて、女子マラソンの実況を担当した。

2004年4月5日から、テレビ朝日にて『ニュースステーション』の後番組に相当する『報道ステーション』のメインキャスター(アンカーマン)を務めている。そのため、他局のレギュラー番組やコマーシャル出演を相次いで降板した。以後、仕事は基本的に『報道ステーション』に絞っている(ただし稀にではあるが、ゲスト出演を行ったり、テレビ朝日の特別番組に出演することもある)。『報道ステーション』担当後も日本テレビおしゃれカンケイ』のみ2005年3月まで出演を継続した(こちらについても『報道ステーション』専念のために降板を示唆し、番組は打ち切りとなった)。

人物・エピソード

いずれも立教大学の先輩である徳光和夫(元日本テレビアナウンサー)やみのもんた(元文化放送アナウンサー)に憧れてアナウンサーになった。アナウンサー希望で就職活動を始めた頃にNHKの就職試験を受けたことがある。

プロレス実況アナウンサー故に、レスラーに襲われたこともあり、1982年にははぐれ国際軍団アニマル浜口に広島県立体育館において「お前はいつも調子に乗った実況をしやがって」と言われ殴られる。この事件を古舘は患部の治療にサロンパスを使用したことから後に「涙のサロンパス事件」と命名している。時を経て、『報道ステーション』で浜口の娘・浜口京子の活躍が取り上げられた際、「僕お父さんと一緒に仕事していたんですよ」と懐かしそうに語っていたことから、後に和解したか、殴られたこと自体がアングルだったと考えられている。また、試合前の外人サイドの控え室で取材中に「お前はテレビの取材か?」と歩み寄ったデビッド・シュルツに後頭部を殴打され、その日の実況を包帯を頭に巻いて生放送を行う(1985年)。『プロレスジャーナリズム』を『報道ステーション』番組中に宣言、自負している。

1984年2月11日、前年の引退からの復帰を宣言していた初代タイガーマスクが興したタイガージムのジム開きパーティに、「年来の友情」から、アナウンサーの立場を離れた「個人の資格」で参加し、司会を務めた。ザ・タイガーへの改名や、山崎一夫新日本プロレス離脱&インストラクター就任などがその場で発表されたのだが、当時UWFの旗揚げの噂が流れていただけに、古舘の出席は物議を醸すかと思われたが、テレビ朝日でも新日本も問題視しなかった。これは、テレビ朝日退社が既に公然の事実だったのと、「古舘は新日本および猪木に対して不利益なことはしないだろう」という信頼感による部分が大きかった。

1991年、古舘の実姉がで他界する不幸に見舞われた。この時、逸見政孝(元フジテレビアナウンサー)は、フリーアナウンサー同士で身内を癌で亡くしたという同じ経験を持つことから古舘にお悔やみの手紙を送った。ここから2人の間に交流が生まれ、逸見が癌で闘病中、古舘が日本テレビ『クイズ世界はSHOW by ショーバイ!!』の司会を代行している。

2012年5月28日、自身の母親が死去した。実姉と同じく癌によるものだった。古舘は母親の入院先について、実姉の入院時と同じ病院を選んだ。『報道ステーション』で多忙を極める中、実姉の時以上に、献身的に看病したという。同日夜、『報道ステーション』開始の数時間前に母親は息を引き取り、古舘は番組の打ち合わせ中にこれを局内で聞いたという。このため、実姉の時と同様、仕事で母の最期を看取ることはできなかった。その直後、母親が亡くなってから数時間後に始まった『報道ステーション』の生放送では、いつもと変わらぬ様子で、淡々とニュースを伝えた[2]

THE ALFEE高見沢俊彦とは親友で、高見沢は古舘のことを「いっちゃん」と呼んでいる。「古舘伊知郎のトーキングブルース」のステージで使用する楽曲の提供を毎年行っており、それらをまとめたCDアルバムが発売されている。また、テレビ朝日時代の同期の南美希子も古舘のことを「いっちゃん」と呼んでいる。

空気中での音速(毎秒340m前後、気温により変化)とフォーミュラカーの最高速度(およそ時速340km)の単位を混同していた古舘は、「音速の貴公子」という表現をF1中継で使用していた。

叔父は、ラジオ時代の大相撲中継のアナウンサーだった。その叔父に憧れてアナウンサーの道を進んだという[3]

1994年1995年の紅白において、両軍司会コンビを組んだ上沼恵美子とは、この共演が原因で確執が生じたとされる。1996年の紅白における両軍司会もこの2人を起用する方向で話が進み、古舘は続投したが、上沼は古舘との確執を理由に拒否したと伝えられている(紅組司会は松たか子に交代した)[4]

2012年3月11日東北地方太平洋沖地震東日本大震災)発生から1年の節目にあたることから放送された『報道ステーション』特別版のエンディングで、前年末の番組が、福島第一原発が津波で壊れたのではなく地震によってどこかが損壊していたのではないかと追及したことを紹介し、その上で「今回このスペシャル番組でその追及をすることはできませんでした」と語った。さらに、日本には原子力村という村が存在し、産業がない地域が積極的に原発を誘致したと指摘した後、「その根本を徹底的に議論しなくてはいけない。私は日々の『報道ステーション』の中でそれを追及していく。もし圧力がかかって番組を切られてもそれは本望です」などと語った[5]

2012年9月、『週刊文春』で行われたメルマガ読者による「嫌いなキャスター」のアンケートで、2位のみのもんたに大差をつけて1位を獲得するなど、古舘に対する賛否両論は激しい[6]

本人が1番好きなテレビ局は古巣で『報道ステーション』を受け持つテレビ朝日である。なお、テレビ朝日を退社した際、局内から一切引き止めがなく、寂しい思いをしたと語っている[7]

2005年4月以降、古舘が『報道ステーション』以外の番組への出演をほとんど行わない理由について、テレビ局関係者は「報道キャスターというイメージを守らなければならないなど様々あります。売れっ子である古舘を1番組だけに絞られると、当然、事務所側としては収益が少なくなる。その見返りとしてなのか、事務所が丸々『報ステ』の制作を請け負っている。これは、事務所にとっては大きい。所属事務所の「古舘プロジェクト」は、構成作家など制作陣も抱えていますからね。1回の放送で3000万~4000万円、事務所に入っているのではないでしょうか。一説には、6000万円という声もあります。ロケからニュース原稿作りまでほとんど事務所所属スタッフを使っていますからね。だから、古舘は他の番組をやる必要がないわけですよ」と語っている[8]

『報道ステーション』を受け持つようになってからの年収は、同番組以外からの物を含めて5億円程度とされる[9]

出演・作品など

現在の出演番組

過去の出演番組

司会・実況など

テレビドラマ

コマーシャル

舞台

  • 「トーキングブルース」(1988年 - 2003年)

映画

ウルトラマンと怪獣の名勝負を実況中継
ホラー映画。テレビ取材班のカメラマン田口亮 役を担当。山城新伍伊丹十三宮本信子らと共演。

レコード・CD

漫画原作

光文社漫画雑誌ジャストコミックで、以下の連載の原作を手がけた。

スポーツ実況

自らの実況スタイルを「亜流」と称するように、数々のキャッチコピーを編み出した。あらかじめ考え抜いた言葉を幾つも用意し、本番に臨んでいる。特に地方会場からの実況の場合を中心に、その土地にちなむ歴史偉人産業などの紹介をしそれを登場しているプロレスラーや技などにこじつけて実況するのも古舘流。特にCMに入る前に話す「この番組は金太郎足柄山で有名な南足柄市市立体育館より実況生中継でお送りしております」などは恒例。

また、新日本プロレスがメキシコ遠征した際、『ワールドプロレスリング』で何試合も連続して実況を担当した古舘は、高地であるメキシコ特有の暑さと息苦しさも手伝ってハイな状態となり、この時一度だけプロレス実況における「恍惚の極みに達した」と語っている。

プロレスやF1の実況ではレスラーやドライバーのキャッチコピーに『顔面』というフレーズを多用していた。

  • (例)ミハエル・シューマッハを「顔面三浦半島」、デーモン・ヒルを「顔面ジョージ・ハリスン」等

ワールドプロレスリング

レスラー

  • 「現代に甦る三椏の槍」(ハルク・ホーガンの得意技アックスボンバー
  • 「華麗なる盗人」(ハルク・ホーガンが猪木の技を模倣した時)
  • 「掟破りの逆サソリ」(藤波辰巳が長州力の得意技サソリ固めを模倣した時の形容)
  • 「腕による鉄砲水」「水際の長州砲」「現代の下関戦争」「アームストロング砲が火を噴いた」(長州力のリキ・ラリアート
  • 「稲妻レッグラリアート」(木村健悟の得意技を称して)
  • 「人間エグゾセミサイル」「十八文キック」(アンドレ・ザ・ジャイアントの片足を上げるキック。後者はジャイアント馬場の十六文キックと比較して名付けられた)
  • 「寝耳に水のICBM弾」(ブルーザー・ブロディのカウンターキック)
  • 「人間バズーカ砲」(身長2メートルの高野俊二が放つミサイルキック
  • 「大型関節技導入」(前田の関節技を称して。大型間接税(のちの消費税)に引っかける)
  • 太鼓の乱れ打ち」(維新軍団の相手レスラー背中へのパンチ連打)
  • 「うしろの正面誰だ作戦」(背後から不意打ちする様を形容)
  • 「アルバトロス殺法」(キラー・カーンがトップロープより放つニー・ドロップがアホウドリ(英語でアルバトロス)が飛翔している様から)
  • 「恐怖の殺戮メカ、スクランブル発進!コンコルド逆噴射!!」(ストロングマシン2号のノータッチ・トぺ)
  • 「腕ひしぎ逆十字」(腕挫十字固のことを、古舘はこう呼んだ。これがきっかけとなり、プロレス、総合格闘技のみならず、柔道漫画に至るまで、「腕ひしぎ逆十字」と誤称される様になる。なぜ「逆」なのかは不明だが、当時関節技を「逆間接(をとる)」などの表現で呼ぶ場合があったためと考えられる。また、プロレス史家の流智美は、プロレス技の十字架固め(自らの両脚で相手の両肩を固める、脚によるフルネルソンの様な技。仕掛ける側が仰向けになるのがストラングルホールドとの大きな違い)が相手の背中に両脚を通すので、その逆に脚を通すこの技を「『逆』十字」として区別する様になったのではと述べている。(「流智美のこれで分かった!プロレス技・上半身編」)

ちなみに猪木がTVマッチで初めてこの技を使ったときには、「腕しき逆十字」(「しき」は「式」もしくは「敷き」か?)と呼んでいた。また、当時の実況では相手の得意技をやり返すことを「掟破りの『逆』○○」(○○は相手の得意技名)などと実況していて、高視聴率であった「猪木vsルスカ」で猪木が柔道家ルスカに対して腕ひしぎをかけた時の「腕ひしぎ『逆』十字」もこの誤称が定着した一因となっている。

軍団・その他

  • 「プロレス維新軍団」(新日正規軍に対抗する長州力率いる集団の総称を歴史上に例え)
  • 「戦慄のマリオネット」「恐怖の肉体ペアルック」「暗黒増殖集団」「戦う金太郎飴軍団」「悪のゼロックス」「悪のゴーグルファイブ」「芋づる式マスクマン軍団」(マシン軍団
  • 「悪の正太郎君」「戦う番場の忠太郎」「地獄の御茶ノ水博士」「悪の出しゃばり主義」「地獄の羊飼い」「悪の猛犬注意」「歩く不快指数」「歩く騒音公害」「戦う散り紙交換」←拡声器を持ち込み、相手に罵声を浴びせる事から。(将軍KYワカマツマネージャー)
  • 「史上最大のお礼参り」「妥協無きエモーション」「昭和維新を目論む反乱軍UWF」「牙を剥いたカンバック・サーモン」(UWF勢が新日本に出戻ったときに形容)
  • 「戦いの会者定離」(義兄弟でタッグを組むダイナマイト・キッドデイビーボーイ・スミスがリーグ戦で対戦しなければならない時を形容した)
  • 「風車の理論」(相手の良いところを引き出した上で、それ以上の力で勝つ(7の力を引き出して、10の力でしとめる)という猪木が提唱したといわれる理論。実況で多用していたが、発案が古舘なのか、猪木なのか、新間寿なのかは不明。通説では猪木自身の言葉となっている)
  • 「エリート、雑草。逆転劇」(格闘経験無くして入門し、後に王者になった藤波辰巳に、レスリング大学王者で入門しながらも藤波の後塵を拝する形になった長州力がWWFインター戦で勝利した試合の形容)
  • 「ここで猪木コール、猪木コール!ここで猪木コールだ!渇き切った時代に送る、まるで雨乞いの儀式のように、猪木に対する悲しげな、ファンの声援が飛んでいる!」(1983年6月2日、ホーガンのアックスボンバーを受け昏倒したまま起き上がらない猪木に対しファンのコールが起きた瞬間)
  • 「藤波、猪木を愛で殺すかバックドロップ!」(1988年8月8日、猪木対藤波戦において。事前に猪木が藤波戦で引退するという噂が立ち、既にレギュラー実況を降板していた古舘がこの試合のみ実況席についた)
  • 「今人々の脳内にある、それぞれの記憶の星座が点灯しました。猪木が小走りだ!ご覧ください猪木のガウン、38年に及ぶ猪木の格闘人生、その重みが猪木の肉体に、雪のように降り積もって見えます純白のガウン、そして猪木の心の中にも粉雪は舞っているか!そしてトリミングは赤、帯も赤であります、これはメラメラと闘魂が、燃えているんでありましょうか!猪木は小走りだ!人によっては20代の猪木を、世代によっては、熟年の猪木を今、思い起こしているんでありましょうか、今日ばかりはこのテーマソングが、ブルースに聴こえてならない!」(1998年4月4日、猪木の引退試合の入場時。レギュラー降板後2度目の復帰となった)
  • 「娯楽大衆紙の総本山」(”東京スポーツ”の形容)
  • 「言語操縦者の解放区」「過激なアソコにフル・タッチ」(古舘自身の形容)
  • 「戦いの学び舎」(ワールドプロレスリング)

フジテレビF1中継

プロレス中継を離れてから、何かの実況をしたい、と考えていた中でオファーを受けたという。この欲求は、競輪、世界陸上(マラソン)、世界水泳の実況オファーにも等しく応えることになる。

1989年から1994年にかけて担当していたが、古舘の実況スタイルには今なお賛否両論がある。初登場時にはフジテレビの批判電話件数最高記録を樹立してしまった(この記録は同年、加賀まりこに破られている)。

プロレスの実況と同じく、比喩表現・誇大表現・ニックネーム付け・叫び・矢継ぎ早のコメント等の実況スタイルが主に否定される要因である。逆に、その言葉を複雑に組み合わせ組み立てられた言い回しの妙や、フレーズに取材で得た知識や情報を織り交ぜ、実況の情報量が濃いこと等が賞賛される要因である。比喩表現やニックネーム付けに関しては、当時『プロ野球ニュース』月曜日にて放送されていたF1コーナー内で視聴者から募集を受け付ける企画も行われ、秀逸なものについては本人考案のものと平行して実況で使用された。

実況を始めてからは、解説の今宮純、ピットリポーターの川井一仁等と私的に集まり、過去のF1レースビデオを観ながら実況練習を行ったリ、ドライバーの過去・バイオグラフィ・チームの歴史などを綿密に取材し実況に活かすなど、勉強熱心であったという(川井の著書にそれらの点を指摘した記述がある)。また、共に実況担当をしていた三宅正治塩原恒夫なども古舘の言い回しを借用していた。

この後の実況担当が、安易に古舘や三宅達の実況スタイルを真似をしたため、現在の中継で過剰な誇大表現や的外れなニックネーム、クドい言い回し、タイミングを問わない絶叫等がしばしば見られた。そして、その影響は古舘の実況の礎を築いたプロレス・格闘技・モータースポーツのみならず、他の競技の実況アナウンス(特に民放)にまで及び、古舘言うところの「亜流」の更に亜流がスタイルとして広く浸透してしまった結果、視聴者からの強い不満・不快感を喚起することになった。現時点で批判の対象とされる実況スタイルの大多数は、古舘スタイルの有形・無形の影響を直接・間接的に受けていると思われ、その意味では功罪相半ばと言えよう。

古舘は1994年のシーズンを最後にF1の実況を退くが、その理由として、古舘は齋藤孝との対談書「日本語「息」「活」「粋」」の中で、「実況する際に必要な項目…マシンカラーとチーム名称、ドライバーの名前とそのヘルメットカラー等など…が目まぐるしく変わり、毎年毎年それをリセットして記憶し直し、それぞれを結びつける作業(例:マシンカラー+ヘルメットカラー=ドライバー名・チーム名)ができなくなったため」と説明している(当時F1には15チーム強参戦しており、本戦に出てこない予備予選落ちグループも記憶すると大変な量になる)。

2008年12月5日の『報道ステーション』では、同日に発表されたホンダF1のF1撤退のニュースを伝える際に「青山一丁目の伝説」「音速の貴公子と言われたアイルトン・セナ」等 後述のかつて実況時に自らが使用したフレーズを織り交ぜて伝えた。

F1中継の発言

ドライバー
  • 「地獄からの帰還兵」「第二のニキ・ラウダ」(ゲルハルト・ベルガー。1989年サンマリノGPでの大クラッシュによる車両火災からほとんど無傷で生還したため)
  • 「自由人」「華麗なる住所不定男」「スピードと女の漂流者」「世界一のホームレス」(結婚はしないが複数の愛人との間に子供を作ったり、自分が所有するヨットやクルーザーで生活するネルソン・ピケを指して)
  • 「F1・ランバダ・ブラザーズ」(1990年から1991年にかけて、ベネトンでチームメイトにして師弟関係にあったブラジル人ドライバーネルソン・ピケロベルト・モレノを指して、加えて当時日本でも流行した音楽ダンスであるランバダブラジル発祥であると言われていたため)
  • 「私生活のワールドチャンピオン」「女好きのチロリアン」「スピードと快楽のシンドバット」「F1界のエロティカ・セブン」(ゲルハルト・ベルガーが頻繁に女性を入れ替える様を指して)
  • 「妖怪通せんぼじじぃ」(ルネ・アルヌー。道幅の狭いモナコGPにおいて、周回遅れ状態のアルヌーが、2位以下を執拗にブロックして1位を独走させてしまい、当時「モナコGPを凡レースにした張本人」といわれたことを指して)
  • 暴れん坊将軍」「荒法師」「オレを誰だと思ってるんだ走法」「人間ドーベルマン」「パッシングの帝王」「チェッカーの狩人」「マンセル風と共にぶっちぎりで去りぬ」「雄叫びヒットマン」「UFOに乗った原始人」「走るアドレナリン」「命知らずの切り込み隊長」「逆噴射男」(荒っぽいドライビングをするナイジェル・マンセルを指す)
  • 「ライオン」「ライオン丸」(マンセルがイタリアで呼ばれていたニックネーム「il leone」を日本語に訳して)
  • 「ライオン・ハート」(マンセルの走りの勇猛さを、出身地、イングランドの英雄リチャード1世にダブらせたもの)
  • 「錆びない鉄人」「サーキットの皆勤賞男」「ミスター・セカンドドライバー」「二百戦練磨」「史上最強の脇役」「F1勤労感謝の日」「走る局アナ」「F1界の村田兆治」(リカルド・パトレーゼ。表彰台に立つことは少ないが完走率が高く、着実にポイントを稼ぎ、キャリアの長いパトレーゼを指して)
  • 「運転手はセナ、車掌はベルガー」(アイルトン・セナを猛追するベルガーに対して)
  • 「目を閉じれば瞼の跳ね馬」「F1現役博物館」(かつて、フェラーリでチャンピオン争いまで経験したにもかかわらず、ドライビングが好きでオファーがある限り下位チームでもF1に参戦し続けたミケーレ・アルボレートに対して)
  • 「走るロマンスグレー」「F1若年寄」(ミケーレ・アルボレートが晩年白髪が多かったことから)
  • 「振り向けばブーツェン」「忘れたころのブーツェン」(同様にセナを追うブーツェンに対して発言。当然顰蹙を買ったが、後に「堅実な走りでじわじわと上位に浮上する」ブーツェンを称賛する言葉として使用されることに)
  • 「F1パイロットの生徒会長」「優しき大木」「コンクリート走法」(堅実な走りをするブーツェンを評して)
  • プロストのシフトレバーはアイスピックで出来てますから」(プロストが性格的に冷たい面があるという話題の中で)
  • 「微笑み黒魔術」(同じくプロストの策士ぶりを評して)
  • 「勝ちゃあいいんだ走法」「F1詰め将棋」「カルタ取り名人」「F1勝利の方程式」「偏差値走法」「起承転結走法」「チャート式F1」「タイヤに優しく、風と仲良し」「チェックメイト理論」「腕前はフランス四星レストラン」「クルマに優しいヌーベル・キュイジーヌ走法」「つかず離れず走法」(アラン・プロストの図ったようなドライビングを指して)
  • 「F1時事放談」「毒舌フルオートマ」(1993年シーズン前にFIAを強烈に批判したアラン・プロストを指して)
  • 「犬も歩けばチェザリスにあたる」「サーキットの通り魔」「走る解体屋」「スピードのセクハラ男」「人間スクラップ工場」「ローマの野良犬」「ファンキーモンキーチェザリス」(クラッシュ・キングとして有名だったアンドレア・デ・チェザリスに対して。同義語多数あり)
  • 「音速の貴公子」「白昼の流れ星」(当時全盛期だったアイルトン・セナを指して)
  • 「風の中の貴公子」(事故死したアイルトン・セナを指して)
  • ポールポジションの狩人」「生まれついてのポール・シッター」(予選で常にポールポジションを獲得するアイルトン・セナを指して)
  • 「コクピット内の千手観音」(アイルトン・セナのドライビングを指して)
  • 「音速の失恋レストラン」(1992年シーズンでウィリアムズルノーの圧勝劇、ホンダがF1活動休止と、厳しい1年を送ったアイルトン・セナを指して)
  • 「セナはセナの持ち腐れ状態」(1993年にマクラーレンが非力のフォードHBエンジンでシーズンを迎えた時のアイルトン・セナを指して)
  • 「パワード・バイ・ホンダ、スピリット・バイ・セナ」(同じく当時全盛期だったホンダ×セナの強力なパッケージングに対して)
  • 「F1一寸法師」「しゃかりき右京」(小柄な体で単身F1参戦した片山右京を指して)
  • 「張り子の虎走法」「赤べこ走法」(片山右京がブレーキング時に縦Gのため頭が振られる様子から)
  • 「サーキットの伊能忠敬」(右京は徒歩でサーキットの下見をすることから)
  • 日大三高が生んだヒーロー」(右京の出身校。右京の他にも多くの著名人を輩出している)
  • 「F1日本大使館、走るJISマーク」「F1ネオジャパネスク」「F1エキゾチック・ジャパン」「日本のスピード・ボーイ」(鈴木亜久里を評して)
  • 「走る有言実行男」「不屈のポジティブシンキング」(鈴木亜久里。前年の全戦予備予選落ちからはい上がり、表彰台に登ったことから)
  • 「ベータ・エンドルフィン走法」「フェラーリをロデオする男」「怒りのタバスコ走法」「紅のミケランジェロ」「フェラーリストレス王」「アビニョンハマコー」「一人ダイ・ハード」「ラテン快楽走法」(クラッシュやコースアウトを恐れないジャン・アレジのドライビングスタイルに対して。ベータ・エンドルフィンとは脳内麻薬と言われるホルモンの一種で、恐怖感を抑えたり恍惚状態にさせると言われていることから。なお、古舘はアレジを「アレジー」やベータ・エンドルフィンを「ベーター・エンドルフィン」と伸ばして読んでいた)
  • 「サテライトクルージング走法」「道は星に聞け」(当時ジャン・アレジが出演していたパイオニアカーナビゲーションシステムのCMから)
  • 「男セーラームーン」「走る一人ウィーン少年合唱団」「サンタクロースの国からやって来たF1優等生」「空飛ぶフィンランド人」「北欧の貴公子」(ミカ・ハッキネンの甘いマスクを評して)
  • 「顔面白夜」(ミカ・ハッキネンの出身国フィンランドから。ハッキネンを実況する際度々白夜という言葉が使われた)
  • 「F1ライト兄弟」(1992年、チームメイト同士で仲の良かったミカ・ハッキネンとジョニー・ハーバートロータスコンビを指して)
  • 「サーキットの大道芸人」「F1ひょうきん男」(性格が非常に明るかったジョニー・ハーバートを指して)
  • 「栄光のたらい回し」(1994年ハーバートが身売り同然でリジェ、ベネトンへ移籍したことから)
  • 「一人IRA」「F1テロリスト」「情緒不安定男」「走るイエローカード」(トラブルメーカーであったエディ・アーバインを評して)
  • F3000魂も怖いものがあります!!」(1993年日本GPでデイモン・ヒルと大バトルを演じたエディ・アーバインを評して)
  • 「スピードの逆輸入」「イギリスの駐日大使」(そのアーバインが全日本F3000選手権星野一義とのチャンピオン争いを繰り広げる活躍を見せたことから)
  • 「パドックに敵なし」「走る新橋のサラリーマン」「F1ダークマン」「F1公務員」「F3時代はセナの影法師」「走る万年副操縦士」(サーキットの内外を問わず、紳士的な態度をとっていたマーティン・ブランドルを評して)
  • 「顔面バッキンガム宮殿」「走るビッグベン」「イギリスのセントバーナード」「サーキットの武道派」(マーク・ブランデルを評して)
  • 「走る英国屋」「年代物のプレミアム走法」(安定した走りを見せたデレック・ワーウィックを指して)
  • 「F1界の二谷英明」「骨太イギリス人」(デレック・ワーウィックの風貌から)
  • 「親はなくとも子は走る」「才能の遺産相続人」「守護霊走法」「上底(あげそこ)の栄光」(幼少に元F1チャンピオンの父・グラハム・ヒルを亡くしたデイモン・ヒルのF1デビューを評して)
  • 「顔面ジョージ・ハリスン」(デイモン・ヒルの顔立ちがよく似ていることと、ギター弾きという共通点から。存在が地味だという意味合いも込めていた模様)
  • 横浜中華街のようだ」(1994年フランスGPでエンジンブローし、テールから大きな炎を吐きながら走ったアレッサンドロ・ザナルディに対して)
  • 「ザナルディ。この男は要注意人物」「走る二重人格」「イタリアの火薬庫」「ロータスのデンジャラス系」(そのザナルディが炎を吹いたり、オイルを撒き散らしたことが多かったから)
  • 「ドイツ自動車王国の申し子」「背後霊はメルセデスベンツ」(メルセデスジュニアチームに所属し、その後押しによってF1デビューを果たしたミハエル・シューマッハを指して)
  • 「ターミネーター」「F1ティラノサウルス。凶暴なまでの走り」「一人恐竜戦隊」「一人電撃部隊」「一人忍者戦隊カクレンジャー」「人間ユンケル、走るリポビタンD」「F1ドラゴン」「史上最強の若僧」「機動戦士シューマッハ」(デビューからあっという間にトップドライバーになったミハエル・シューマッハが、レース中もレース後も元気が有り余っている様子を指して。セナを追い落とす勢いがあったためか、若干批判的に使っていた)
  • 「ワイルドセブン」(1994年頃のミハエル・シューマッハを指して。ベネトン・フォーミュラ日本たばこ産業がスポンサーにつき、マイルドセブンロゴを表記していたことによる語呂合わせ。なおワイルドセブン(WILD SEVEN)表記はルノーF1で実現した)
  • 「出る杭は打たれ強い」(1994年、度重なる失格を受けたミハエル・シューマッハを評して)
  • 「顔面三浦半島」「顔面ケルン大聖堂」「顔面大倉山シャンツェ」「顔面ロマンチック街道」「顔面ザウス」「顔面アウトバーン」(ミハエル・シューマッハの顔の様相を評して)
  • 「横断歩道は気をつけて渡ってもらいたい」(1993年ポルトガルGPでゲルハルト・ベルガーがピットアウト直後にコースを横切るようにしてスピンしてクラッシュしたとき)
  • 「顔面ビッグマック」「顔面オーバルコース」「走るマクドナルド」「一人インディ」(肥満気味のマイケル・アンドレッティを評して)
  • 「F1受験生」(ヨーロッパのレースで修行してきた野田英樹を評して)
  • 「F1駅前留学」(1994年日本GPにスポット参戦した井上隆智穂を評して。所属チームのスーパーノヴァはNOVAの関連会社だった)
  • 「フライング・ドクター」(医師免許を持つジョナサン・パーマーを評して)
  • 「イタリアのトビウオ」「イタリアのバイク少年、あこがれのブランドはモルビデリ!」(父親がバイクの会社を経営し、自身も元バイク少年のジャンニ・モルビデリを評して)
  • 「ライオン・リターン」「インディの鬱憤晴らし」「帰ってきたブルータス」「アメリカからの逆移民」「戦慄のライオンキング」「懐かしの一人ウッドストック」「デジタル世代に唯一のアナログドライバー」(1994年にF1電撃復帰したナイジェル・マンセルを評して)
  • 「F1小町」「セナよりも、マンセルよりも注目のニューカマー」(1992年にF1史上4人目となる女性ドライバーとしてデビューしたジョバンナ・アマティに対して)
  • 「謎のフランス人」(多くの謎に包まれているフランク・ラゴルスを評して)
  • 「実家はイタリアの虎屋と言われるナニーニ製菓」「顔面エスプレッソ」「イタリアの彦星」「走るメンズ・ノンノ」「F1界のフラメンコダンサー」(アレッサンドロ・ナニーニを評して)
  • 「F1界のWink」(1989年から1990年まで、ウィリアムズのチームメイトだったティエリー・ブーツェンとリカルド・パトレーゼを評して。また、1990年日本GPでワンツーフィニッシュしたベネトンのピケとモレノがランデブー走行中にも発言していた)
  • レイトンの天才トム・ソーヤー」(レイトンハウスに在籍していた頃のイヴァン・カペリを評して)
  • 「フェラーリと言う花粉症から脱出」(フェラーリで散々なシーズンを過ごし、ジョーダンに移籍したイヴァン・カペリを指して)
  • 「F1界のトライアスリート」「ブラジルの健康優良児」(マウリシオ・グージェルミンを評して)
  • 「不死身のマッチョマン」(そのグージェルミンが1989年フランスGPで大クラッシュに見舞われるも無傷で済みその後ファステストラップを記録したことから)
  • 「我がままコスモポリタン」「ECヨーロッパ共同体のおぼっちゃま」(御曹司だったベルトラン・ガショーを評して)
  • 「周回遅れの天才ブロッカー」「ミラーを見ない男」「妖怪油すまし」「シャンゼリゼのストリートキング」「走る追い越し禁止男」(オリビエ・グルイヤールに対して)
  • 「究極のソース顔」「プロストと同い年の新人」(プロストと同年代だった鈴木利男を評して)
  • 「前歯がビーバー」「風を切り裂く、笑顔の顔面エナメル質」(前歯がトレードマークだったJ.J.レートを評して)
  • 「かっとびJ.J」「北欧の暴走族」「走るプレッピー野郎」(J.J.レートを指して)
  • マーティン・ブランドルマーク・ブランデル。ブランドルとブランデル。実況アナウンサーを馬鹿にしてるのか」「F1界の峰竜太竜雷太」「F1界の柏原芳恵榊原郁恵」(1991年、1993年にチームメイトであった、名前の似た両ドライバーが走行する様子を見て)
  • 「納豆走法」「刻み納豆走法」(粘り強い走りを展開した中嶋悟を指して)
  • 「今年の納豆は切れ味が違う! さすがブラウンの二枚刃!」(1991年の中嶋の快走を評して。この年のティレルはシェーバーで有名な電機メーカー「ブラウン」がメインスポンサーだった)
  • 大外刈り」(中嶋が、走り慣れた鈴鹿サーキットにおいて行った、熟練者のみできるアウトからのオーバーテイクを指して。柔道の同名の技から由来しており、この発言以降は鈴鹿サーキットでのアウト側からのオーバーテイクを「大外刈り」と呼ばれるようになった。)
詳細は 大外刈 を参照
チーム・マシン
  • 「走る英仏同盟(ドーバー海峡とも)」「最強のアングロ・ラテン同盟」「F1軍事大国」「シャーシはクイーン・エリザベス、エンジンはジャンヌ・ダルク」(イギリス製の車体、フランス製エンジンのウィリアムズルノーを指して)
  • 「世界の一級品」「世界最高のおもちゃ」(当時最強を誇ったウィリアムズ・ルノーを指して)
  • 「潤沢な資金と無駄のない管理体制、まさにF1界の西武球団」(マールボロからのスポンサー料とロン・デニスの完璧主義、ホンダ・エンジンの破壊力と3拍子揃った当時のマクラーレンを指して)
  • 「走るワンレン・ボディコン」「空力最前線」「青い予感」(バブル期、日本のアパレルメーカー、レイトンハウスの所有していたチームのマシンがエイドリアン・ニューウェイの空力重視の設計により特異な流線形していたことを指して)
  • 青山一丁目の伝説」(ホンダF1ホンダ本社が青山一丁目交差点に面していて、地下鉄青山一丁目駅が最寄駅なことから)
  • 「音速のかに道楽」(タイヤを外した状態のアクティブサスペンションの動きをカニの脚に見立てて)
  • 「ハイテク核兵器水鉄砲で挑むが如く」(ハイテク装備を持たないマシンで参戦するチーム)
  • 「F1ミックスベジタブル」「極彩色のスタイリスト」(そのベネトンの派手なカラーリングを指して)
  • 水平対向エンジンで対抗する、スバルコローニ!」(1990年アメリカGPのチーム紹介でスバルエンジンを搭載したコローニを評して)
  • 「未確認走行物体」「F1インディーズレーベル」(1994年に参入し、メインスポンサーがMTVだったシムテックを評して)
  • 「跳ね馬の金看板を背負ったからには、周回遅れは許されない!!」(1992年にフェラーリエンジンを搭載したスクーデリア・イタリアを評して)
  • 「ハイテク・カンツォーネ」(フェラーリV12エンジンの排気音を指して)
  • 「ホンダV10シンフォニー」(ホンダV10エンジンの排気音を指して)
  • 「F1界のピサの斜塔」「人間万事塞翁が跳ね馬」」「ハイテク矢ガモ」「真紅(辛苦)の十字軍」(当時低迷していたフェラーリを指して)
  • 「イタリアンクール・ランニング」「同情するなら金をくれ」「イタリアの助け合い運動」(資金難ながらも参戦し続けたミナルディを指して)
  • 「縁の下の走り屋ラルース」「フランスの少数民族」(地味なラルースを指して)
  • 「彷徨える名門」(低迷期に入っていたチーム・ロータスを評して)
  • ラクダを失った砂漠の旅人」(メインスポンサーだったキャメルを失ったチーム・ロータスを評して)
  • エルフの吟仕込」「シェルの一番搾り」(当時、エンジンとのマッチングを向上させるために化学合成され開発されたスペシャルガソリンのことを称して)
  • 「マクラーレン退屈シンドローム」(1988年から1989年にかけて、マクラーレン・ホンダの圧勝劇が続き、レース進行がつまらなくなったことを指して)
  • 「メゾネット・ウィング」「段違い平行棒」(93年にフットワークが初採用し、爆発的に流行した二階層式リアウィングを指して)
  • 「フランスの無駄遣いチーム」(豊富な資金力を持ちながら、それに見合った結果を残せないリジェを指して)
  • 「F1日本大使館」(日本企業のフットワークがスポンサーのアロウズを指して)
  • 「フェラルディ」(1991年アメリカGPのチーム紹介でフェラーリエンジンを搭載したミナルディを評して)
  • 「大ドイツ鉄の軍団」(メルセデスのサポートを受けていたザウバーを指して)
チームスタッフ
サーキット
  • 「音速の一本道」(鈴鹿サーキットで最もスピードが出る西ストレートを評して)
  • 「感動とストレスの曲がり角」(鈴鹿サーキットの第1コーナーを評して)
  • 「ステアリングとアクセルのジャムセッション」(鈴鹿サーキットのS字コーナーを評して)
  • 「高速の回り舞台」(鈴鹿サーキットのスプーンカーブを評して)
  • 「胸突き八丁」「度胸試しの放物線」(鈴鹿サーキットの130Rを評して)
  • 「トンネルを抜けるとシケインだった」(トンネルを抜けるとすぐシケインがあるモンテカルロ市街地サーキットで述べた言葉。川端康成の小説『雪国』の冒頭の有名な言葉「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった」からとった表現)
  • 「イベリア半島決戦」(日本GPの前哨戦であるスペインGPポルトガルGPの2レースを評して。スペインとポルトガルがイベリア半島に設置することから名づけられた)
  • 「コンクリート・ジャングル」(コンクリート壁で覆われた市街地サーキットを指して)
  • 「動くシケイン」「走るバリケード」(トップ集団のマシンから見て、周回遅れになったマシンを指して)
その他
  • 「母港」「港に帰っていく」(ピットおよびピットインのこと)
  • 「一人旅」(後続車のいないトップ独走状態の車を表現した言葉。この後、マラソン実況でも他のアナウンサーが使うようになった)
  • 「ウォータースクリーンバトル」(雨天レース時に使用。タイヤから発生するスクリーンのような水しぶきに対して。後に塩原恒夫など他のアナウンサーが使うようになった)
  • 「指定席」(ポールポジションを指して)
  • 「一寸先は闇」(F1はいつ何が起こるかわからない事から)
  • 「F1界のおりも政夫」「コメンタリーボックスのリカルド・パトレーゼ」(今宮純を評して)
  • 「セナ殺しの馬場」(馬場鉄志を評して。実際に馬場が実況を担当するとセナが勝てないというジンクスがあったことから)
  • 「クリスマスツリー」(緑と赤が縦並びに配置され、灯数が多いスタートシグナルを指して)
  • 「白いため息」(マシンから発生する白煙を指して)
  • 「電子レンジでチンしているような速さ」(ピット作業が早いことに対して)
  • 「F1界の梨元勝」(川井一仁を評して)
  • 「古伊知郎」と表記される場合もあるが、正しくは「古伊知郎」(より正しくは、冒頭の注意書きの通りでもなく、偏がで旁が)である。ただし、新聞ラ・テ欄などは字体の規制があるため前者の表記をする。また、読みは「ふるた」でも「ふるち」でもない。
  • http://www.news-postseven.com/archives/20120727_132956.html 女性セブン 2012年8月9日号
  • 大相撲おもしろ雑学BOOK(大陸文庫)155ページ
  • 合田道人『紅白歌合戦の舞台裏』
  • http://www.asahi.com/showbiz/nikkan/NIK201203120003.html 朝日新聞(2012年3月12日)
  • (2012-9-29) 問題だらけでもテレビ朝日の“夜の顔”に居座る古舘伊知郎 リアルライブ [ arch. ]
  • http:///www.tv-asahi.co.jp/ss/175/talk/top.html テレビ朝日『SmaSTATION!!』内「スマトーク」
  • 『NEWSポストセブン』2013年4月10日号
  • http://www.news-postseven.com/archives/20140430_254189.html 週刊ポスト 2014年5月9・16日号