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京都市(きょうとし)は、京都府南部の市で、京都府庁所在地である。政令指定都市に指定されており、11の区を置いている。古代の令制国の範囲では、山城国と丹波国の一部を占める。
目次
概要[編集]
日本全国の市で第7位の人口を有している(昼間人口では神戸市を抜き第6位となる)ほか、京都府の人口の半分以上を占める。都道府県全体の人口の過半数を占める都市は、東京23区を一つの自治体として考えない場合は京都市のみである。また、日本の内陸部で、政令指定都市かつ人口100万以上の市は、京都市と、さいたま市、札幌市の3市のみ。
都市雇用圏の基準では、京都市を中心点として京都府南部・滋賀県南西部に広がる京都都市圏(「京滋」とも言う)が形成されている。また、1.5%都市圏の基準では、京阪神大都市圏の一角を担う。
平安時代に平安京が置かれた都市で、室町時代にも足利幕府が置かれた。鎌倉幕府や江戸幕府、安土桃山時代の政権も、ここを都として厳重に警備した。また、平安京成立後から明治天皇が東京に行幸するまでの約1080年、ほぼ全ての天皇が居住していた都である。※首都に関する議論は「日本の首都」を参照。
平安時代以降、平安京の都市生活者向けの商工業が発達し、特に国内流通が活発化した江戸時代には、全国に製品を出荷する工業都市となる一方、数々の技術者を各地の藩の要請に従って派遣した。その伝統は現在も伝統工芸として残るのみならず、京セラや島津製作所など先端技術を持つ企業を初め、任天堂やワコールなど業界トップクラスの本社が集まるなど、現代産業を支えている地域の一つである。
日本の主要な都市の中では奈良市や金沢市などとともに、第二次世界大戦の戦災被害を免れた数少ない都市でもある。このため、古い史跡や町並み、文化などが数多く存在することから、日本で有数の観光都市・国際観光文化都市であり、国内外から旅行客が多い。
2008年(平成20年)7月28日、門川大作市長は同市の都市経営戦略会議で、2011年度の実質赤字比率が推計で27%に達する見通しを発表し、財政再建団体への転落を示唆している。
地理[編集]
京都府の南部に位置し、市内を賀茂川(途中で高野川と合流し、鴨川と名前を変える)、桂川、宇治川などが流れる。
四条河原町(四条通と河原町通の交差点付近)は京都の繁華街である。
市内の通りや、住所の表し方について、以下に記述する。
中心市街(旧城市)[編集]
市街地は、平安京の名残で、東西・南北に通じる道路によって碁盤の目状に区切られており、市内の通りには名前がつけられている。ただし、これは中心部に限られる上に、途中で途切れる・通りが合流する(多くの場合は新しい通り名になる)・カーブが存在するなど、画一的にそうなっているわけではない。また、ごく一部に東西あるいは南北の方向ではない、斜め方向の通りも存在する(たとえば河原町通の四条以南・後院通など)。
通り・街区の表し方 中心市街地(主に上京区、中京区、下京区)では、所在地を町名だけ(町名+番地)で表現することは極めて稀で、町名と併記する形でこの通り名を用いて表す。郵便番号7桁化以前は、郵便物の受取人住所に町名を書かず通り名だけで表すことも多かった。また、現在も日常的には、町名を言わず、通り名のみでおおまかに表すことが多い。この地域では別の場所に同一町名が複数存在し、町名だけでは場所を特定できない例も多い。例えば、中京区内には32組の同一町名があり、「中京区亀屋町」に至っては5箇所もある(さらに下京区、上京区にも「亀屋町」がある)。番地と7桁の郵便番号は重複しないように振ってあるので、「郵便番号+区名+町名+番地」を正確に記載すれば通り名を併記しなくても郵便物は届く。
建物が面している通り名を先に言い、近くの交差する通りから、北に行くことを上る(あがる)、南に行くことを下る(さがる)、東に行くことを東入(ひがしいる)、西に行くことを西入(にしいる)と表現する[1]。例えば、京都市役所の所在地である「京都市中京区寺町通御池上る上本能寺前町488番地」の場合は、寺町通に面し御池通から北に行った場所を表す「寺町通御池上る」を、町名である「上本能寺前町」に冠して示している。この表現は1889年(明治22年)の市制施行時から市域であった場所において、住民基本台帳、不動産登記など公的な表記として用いられるものである[2]。
交差点は交差する2つの通りの名前で呼ばれることが多い。どちらの通りを先に呼ぶのかということについて定説はないが、多くの場合、南北の通りを先に、東西の通りを後にする(東西の通りが主要な通りの場合など、例外も多い)。
一方で、通り名をもつ2つの道路の交差点であっても、例えば、四条通と東大路通の交差点は「祇園」、西大路通と丸太町通の交差点は「円町」、今出川通と東大路通の交差点は「百万遍」であるなど、通り名の合成で表さない場合がある。元から固有の地名があったところに、新たに通りが建設されて交差点ができたケースなどに多い。また、1本の通りの一部分だけを違う名前で呼ぶ場合もある(例:大和大路通の縄手通)。
なお、「通り」の「り」を送り仮名としてつけないのが正式な通りの名前である。
編入された地域[編集]
京都市でも伏見区、右京区、山科区など、市の発足以降に市域拡大のため編入された地域や、中心市街地と接している地区(壬生、西ノ京、聚楽廻など)では、通に名称があっても、住民基本台帳における住所、不動産登記上の場所は町名+番地だけで表す。(中心市街地と接している地区に住む人々は、宅配・郵便などの日常的なやりとりでは「三条通大宮西入る三筋目上る」など、登記上の町名を使わず、「東西南北の通り名+西入るor東入る+何筋目を上るor下る」での表記をよく使う。)
主な山・河川[編集]
気候[編集]
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|京都市 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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気候表(説明) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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京都市 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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気候表(説明) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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京都盆地(山城盆地)の中に位置しているので、瀬戸内海式気候と内陸性気候を併せ持ち、夏と冬、昼と夜とで温度差が大きい。「京の底冷え」と言われるように冬の寒さは厳しい印象があるが、関西の中でも取り立てて低温ではなく、京都地方気象台(中京区西ノ京笠殿町)のある中心街はヒートアイランド現象が顕著になり、かつてのような底冷えにはならない。最寒月(1月)の平均気温は4.6℃、最低気温は1.1℃と氷点下にさえならず、付近の京田辺市、枚方市や奈良市よりも温暖である。特に90年代以降、最低気温は急激に上昇している。しかし、郊外は今でも寒さは厳しく、特に同じ盆地内でも北の方ほど寒く市内中心部では降雪がなくても左京区の岩倉や北区の原谷では積雪や氷点下になっている事がある。北部の山間部(左京区、右京区、北区)などは日本海側気候の影響もあり、雪の日も多くて寒さが厳しく、北側の南丹市(旧美山町地区)に入ると豪雪地帯となる。一方、夏は暑さが厳しく、熱帯夜になることも多い。大阪市などに比べれば多少はしのぎやすくなっているものの、フェーン現象で39℃を超える高温になることもある。
このように、同じ京都市内といえども、気候は多種多様である。
歴史[編集]
※ここでは明治維新以後の京都市について述べる。以前の京都市の歴史については、京都を参照。
幕末に政治の中心地となった京都は人口が膨れ上がりかつてない活況を見せたものの、禁門の変で街の多くが焼けたのに加え、明治維新後に皇室・公家の大半が東京へ移り住んだため、一転急速な衰退を見せた。そのため、京都府知事(市制施行当初は、京都市長も兼任)などから産業の振興を呼びかける声が上がり、琵琶湖疏水といった疏水の建設と、疏水を用いた日本初の水力発電、更にその電力を用いた日本初の電車運転(京都電気鉄道、後の京都市電)などの先進的な施策が実行された。これらが功を奏し、人口は明治時代中期以降しばらく、毎年1万の増加を見せるようになった。
人口の増加と市街地の拡大に対応し、明治末期から道路拡築および市営電車敷設、第二疏水開削、上水道整備からなる「三大事業」が行われた。それに続く形で市区改正道路(都市計画道路)事業と市電の敷設が進められ、昭和初期には伏見市(現在の伏見区中心部)など周辺の市町村を編入し、ほどなく人口も100万人を超えた。
第二次世界大戦中、六大都市(東京・大阪・京都・名古屋・神戸・横浜)の中では、空襲の大きな被害を受けなかったこともあり、日本の都市としては珍しく戦前からの建造物が比較的多く残されている。なお、これは歴史遺産保護のために大規模空爆を受けなかったという説がある一方で、原爆攻撃の候補地となっており、その成果を知るために米軍が最後まで街を温存したという説もある。(京都も、空襲被害がまったくなかったわけではない。)
京都は歴史が古く、第二次世界大戦で大きな戦災に見舞われなかったこともあって、京都人が「この間の戦争」などと言う場合、500年以上前の1467年に起こった応仁の乱を指す場合がある[3]。
沿革[編集]
明治以前[編集]
明治[編集]
- 1868年(明治元年) - 第1次町組改正。
- 1869年(明治2年) - 第2次町組改正が行われて、上京33番組、下京32番組(同年1番組が分離し33番組となる)に再編成。同年内に、日本初の学区制小学校である番組小学校が開設される。
- 1871年(明治4年) - 日本初の博覧会を西本願寺で開催(京都博覧会。ただし翌年開催のものを第1回とする)。
- 1872年(明治5年) - 第1回京都博覧会開催(この後、1896年(明治29年)まで毎年開催される)。日本で最初の女学校として、新英学校女紅場が九条家丸太町邸内に設立される。番組を区とする市区改正が行われる。葛野郡中堂寺村の一部(現・来迎堂町)を下京に編入。
- 1875年(明治8年) - 新島襄が同志社英学校創立。
- 1877年(明治10年)2月5日 - 神戸から大阪までの鉄道を延伸する形で、京都駅が開業。
- 1879年(明治12年) - 郡区町村編制法で上京区、下京区が置かれる。従来の区は「組」と改められる。葛野郡中堂寺村・八条村・西九条村・東塩小路村の一部を下京区に編入。
- 1888年(明治21年) - 愛宕郡7村を上京区に、同郡2村を下京区に編入。(現在の左京区と東山区の一部に相当する区域。)
- 1889年(明治22年)4月1日 - 市制施行。「京都市」発足(上京・下京の二区)。市長は京都府知事が兼務。市制施行時の面積は29.77平方キロメートルであった。山崎恵純らが京都法学校創立。
- 1890年(明治23年) - 琵琶湖疏水の第一期工事が完成。
- 1891年(明治24年)11月 - 琵琶湖疏水の水を用いて、日本初の水力発電所となる蹴上発電所が稼動開始。
- 1895年(明治28年) - 平安神宮創建。第4回内国勧業博覧会開催。平安遷都千百年紀年祭開催。時代行列が行われる(第1回時代祭)。
- 1897年(明治30年) - 京都帝国大学(現京都大学)創立。京都国立博物館開館。
- 1898年(明治31年)10月15日 - 市役所開庁。京都府知事による市長兼務が終了。この日が「自治記念日」となる。
- 1900年(明治33年)5月19日 - 京都法政学校創立。
- 1902年(明治35年) - 葛野郡の一部(大内村のうち大字東塩小路町、西九条)を下京区に編入。
- 1908年(明治41年) - 京都市三大事業起工式(道路拡張及び市電、第二琵琶湖疏水建設、上水道整備)。深草に陸軍第16師団が置かれる。
- 1910年(明治43年) - 仁丹が京都市内に町名表示板を設置開始。
- 1912年(明治45年) - 3月、蹴上浄水場竣工。6月11日、市電運転開始。
大正[編集]
- 1915年(大正4年) - 大正天皇即位礼が行われる。
- 1918年(大正7年) - 愛宕郡5村および2村の一部ならびに葛野郡1村を上京区に、葛野郡3村および1村の一部ならびに紀伊郡1町および3村の一部を下京区に編入。京都市、京都電気鉄道を買収。
昭和(終戦まで)[編集]
- 1927年(昭和2年) - 市役所本庁舎竣工。日本初の中央卸売市場となる京都市中央卸売市場が開業。
- 1928年(昭和3年) - 昭和天皇即位礼が行われる。
- 1929年(昭和4年) - 上京区から分離して左京区成立。下京区から分離して東山区成立。上京区と下京区から分離して中京区成立。紀伊郡伏見町が市制施行して伏見市成立。
- 1931年(昭和6年)
- 1932年(昭和7年) - 人口が100万人を超える。同年4月1日、日本初の都市トロリーバス(京都市営トロリーバス)が開業。
- 1945年(昭和20年) - 堀川通・御池通・五条通で建物疎開。
昭和(戦後)[編集]
- 1946年(昭和21年) - 第1回国民体育大会が京都で開催される。
- 1948年(昭和23年) - 葛野郡2村を上京区に編入。
- 1949年(昭和24年) - 愛宕郡1村を上京区に、愛宕郡7村を左京区に編入。
- 1950年(昭和25年) - 乙訓郡1村を右京区に、乙訓郡2村を伏見区に編入。
- 1951年(昭和26年) - 京都市歌が制定される。
- 1955年(昭和30年) - 下京区から分離して南区成立。上京区から分離して北区成立。
- 1956年(昭和31年) - 政令指定都市に指定。
- 1957年(昭和32年) - 北桑田郡の一部を左京区に、久世郡1村を伏見区に編入。
- 1960年(昭和35年) - 乙訓郡1村を南区に、同郡1村を右京区に編入。
- 1964年(昭和39年)10月1日 - 東海道新幹線京都駅開業(なおこの際、市民運動が起こった。※ 詳細は、鉄道と政治#京都駅(東海道新幹線)を参照。
- 1966年(昭和41年) - 国立京都国際会館が開館。
- 1969年(昭和44年)10月1日 - トロリーバス廃止。
- 1976年(昭和51年)10月1日 - 東山区から分離して山科区成立。右京区から分離して西京区成立。
- 1978年(昭和53年)10月1日 - 市電全廃。
- 1981年(昭和56年)5月29日 - 市営地下鉄初の路線として、烏丸線が部分開業。
平成[編集]
- 1994年(平成6年) - 「古都京都の文化財」がユネスコの世界文化遺産に登録される。
- 1997年(平成9年) - 第3回気候変動枠組条約締約国会議(地球温暖化防止京都会議、COP3)開催。
- 2005年(平成17年)4月1日 - 北桑田郡京北町を右京区に編入。
人口[編集]
平成22年国勢調査より前回調査からの人口増減をみると、0.02%減の1,474,473人であり、増減率は府下26市町村中7位。区別では最高が5.22%増の下京区、最低が4.56%減の東山区。
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京都市と全国の年齢別人口分布(2005年) | 京都市の年齢・男女別人口分布(2005年) |
■紫色 ― 京都市
■緑色 ― 日本全国 |
■青色 ― 男性
■赤色 ― 女性 }} |
京都市(に相当する地域)の人口の推移 テンプレート:人口統計/26 | |
総務省統計局 国勢調査より |
行政[編集]
歴代市長[編集]
代 | 氏名 | 就任年月日 | 退任年月日 |
---|---|---|---|
初代 | 内貴甚三郎 | 1898年10月12日 | 1904年10月11日 |
2 | 西郷菊次郎 | 1904年10月12日 | 1911年7月13日 |
3 | 川上親晴 | 1912年1月6日 | 1912年12月20日 |
4 | 井上密 | 1913年3月31日 | 1916年7月19日 |
5 | 大野盛郁 | 1917年1月10日 | 1918年5月7日 |
6 | 安藤謙介 | 1918年11月29日 | 1920年12月3日 |
7 | 馬淵鋭太郎 | 1921年7月22日 | 1924年9月19日 |
8 | 安田耕之助 | 1925年2月21日 | 1927年8月9日 |
9 | 市村光恵 | 1927年8月20日 | 1927年11月13日 |
10 | 土岐嘉平 | 1927年12月13日 | 1931年12月12日 |
11 | 森田茂 | 1931年12月21日 | 1932年11月30日 |
12 | 大森吉五郎 | 1932年12月18日 | 1935年1月15日 |
13 | 浅山富之助 | 1935年2月19日 | 1936年6月4日 |
14 | 市村慶三 | 1936年6月4日 | 1940年6月3日 |
15 | 加賀谷朝蔵 | 1940年6月8日 | 1942年6月22日 |
16 | 篠原英太郎 | 1942年7月6日 | 1946年2月16日 |
17 | 和辻春樹 | 1946年3月13日 | 1946年11月27日 |
18 | 神戸正雄 | 1947年4月7日 | 1950年1月6日 |
19 | 高山義三 | 1950年2月10日 | 1966年2月4日 |
20 | 井上清一 | 1966年2月5日 | 1967年1月8日 |
21 | 富井清 | 1967年2月28日 | 1971年2月25日 |
22 | 舩橋求己 | 1971年2月26日 | 1981年7月26日 |
23 | 今川正彦 | 1981年9月1日 | 1989年8月29日 |
24 | 田邊朋之 | 1989年8月30日 | 1996年1月29日 |
25 | 桝本頼兼 | 1996年2月26日 | 2008年2月24日 |
26 | 門川大作 | 2008年2月25日 |
議会[編集]
京都市では慣例により市議会を市会と呼称する。これは横浜、名古屋、大阪、神戸の各市でも同様である。
市会[編集]
議員定数は69人である。
- 議長(第77代):小林正明(所属会派:自由民主党京都市会議員団、2011年(平成23年)5月18日就任)
- 副議長(第86代):安井勉(所属会派:民主・都みらい京都市会議員団、2011年(平成23年)5月18日就任)
会派構成[編集]
会派名 | 議員数 | 所属党派 |
---|---|---|
自由民主党京都市会議員団 | 23 | 自由民主党 |
日本共産党京都市会議員団 | 15 | 日本共産党 |
民主・都みらい京都市会議員団 | 13 | 民主党 |
公明党京都市会議員団 | 12 | 公明党 |
地域政党京都党京都市会議員団 | 4 | 地域政党 |
無所属 | 2 | みんなの党・無所属 |
※ 2011年(平成23年)5月現在。
経済[編集]
全般[編集]
2008年(平成20年)度の市内総生産は5兆9268億円である[7]。ドルで換算すると、600億ドルを超えており、ほぼドバイのGDPに匹敵している。市民所得は4兆3685億円であり、一人当たりだと297.7万円である。
伝統産業[編集]
本社を置く主要企業[編集]
- アイフル
- イシダ
- 一澤信三郎帆布(しんざぶ)
- 一澤帆布
- 上原成商事
- ウライ
- エコナック
- エスケーエレクトロニクス
- エムケイ
- 王将フードサービス
- オープン工業
- オプテックス・エフエー
- オムロン
- オンリー
- 川島織物セルコン
- 黄桜
- 京進
- 京セラ
- 京都銀行
- 京都信用金庫
- 京都中央信用金庫
- 京都ホテル
- クラウディア
- 京福電気鉄道
- 月桂冠
- 佐川急便
- サムコ
- サン・クロレラ
- サンコール
- ジェムケリー
- 三洋化成工業
- 三洋ジーエスソフトエナジー
- ジーエス・ユアサコーポレーション
- シーシーエス
- シード
- システム ディ
- 島津製作所
- JEUGIA
- 松風
- スイートガーデン
- 第一工業製薬
- 第一精工
- 大日本スクリーン製造
- 宝酒造
- たけびし
- 天下一品
- タキイ種苗
- 中央倉庫
- デグナー
- トーセ
- TOWA
- ニチコン
- 日新電機
- ニッセンホールディングス
- 日本エル・シー・エー
- 日本写真印刷
- 日本新薬
- 日本電産
- 日本電産リード
- 任天堂
- 野崎印刷紙業
- はてな
- ビデオ近畿
- ファーマフーズ
- ファイテン
- ファルコバイオシステムズ
- 福田金属箔粉工業
- フジックス
- 不二電機工業
- フューチャーベンチャーキャピタル
- 堀金箔粉
- 堀場製作所
- 松原興産
- マルハン
- ムーンバット
- 村田機械
- モリタ製作所
- ヤサカグループ(彌榮自動車他)
- ヤマシナ
- 吉忠
- ルシアン
- ローム
- ロプロ
- わかさ生活
- ワコール
- ワタベウェディング
- よーじや
- ボークス
商業の特徴[編集]
以前より緩和されてはいるが大規模店舗の出店が旧市街地においては厳しく制限されている。その影響もあって、コンビニの人口比あたりの出店数が日本一と言われる(スーパーも中小の店舗が市内各所に点在する形となっている)要出典。
姉妹都市・提携都市[編集]
国内[編集]
京都市では国内の姉妹都市提携はこれまで行っていない。ただ、全国の「小京都」と称される街の集まりである全国京都会議には参加している。
国外[編集]
- パリ(フランス):1958年(昭和33年)6月15日友情盟約都市提携
- ボストン(米国):1959年(昭和34年)6月24日姉妹都市提携
- ケルン(ドイツ):1963年(昭和38年)5月29日姉妹都市提携
- フィレンツェ(イタリア):1965年(昭和40年)9月22日姉妹都市提携
- キエフ(ウクライナ):1971年(昭和46年)9月7日姉妹都市提携
- 西安(中国):1974年(昭和49年)5月10日友好都市提携
- メキシコ グアダラハラ(メキシコ):1980年(昭和55年)10月20日姉妹都市提携
- クロアチア ザグレブ(クロアチア):1981年(昭和56年)10月22日姉妹都市提携
- プラハ(チェコ):1996年(平成8年)4月15日姉妹都市提携
日本国外のパートナーシティ
国際機関[編集]
領事館[編集]
総領事館[編集]
名誉総領事館[編集]
- テンプレート:ICE在京都アイスランド共和国名誉総領事館
名誉領事館[編集]
- 在京都パラグアイ共和国名誉領事館
- 在京都ブラジル連邦共和国名誉領事館
- ペルー在京都ペルー共和国名誉領事館
- 在京都ベルギー王国名誉領事館
- 在京都ポルトガル名誉領事館
- メキシコ在京都メキシコ合衆国名誉領事館
国の行政機関[編集]
地域[編集]
区[編集]
京都市は以下の11の区より構成される(地理的位置順)。
右京区 | 北区 | 左京区 | |
上京区 | |||
中京区 | |||
東 山 区 |
山 科 区 | ||
下京区 | |||
西京区 | 南区 | ||
伏見区 |
区名の読みと、設置年は以下のとおり(自治体コード順)。京都市設置当初は上京区・下京区の2区だったが、数度の分区や合併を経て1976年(昭和51年)に現在の11区がそろった。
名 | 読み | 設立 |
---|---|---|
北区 | きたく | 1955年上京区から |
上京区 | かみぎょうく | 1879年区制による |
左京区 | さきょうく | 1929年上京区から |
中京区 | なかぎょうく | 1929年上京区と下京区から |
東山区 | ひがしやまく | 1929年下京区から |
下京区 | しもぎょうく | 1879年区制による |
南区 | みなみく | 1955年下京区から |
右京区 | うきょうく | 1931年葛野郡から |
伏見区 | ふしみく | 1931年伏見市などから |
山科区 | やましなく | 1976年東山区から |
西京区 | にしきょうく | 1976年右京区から |
地域名[編集]
平安京では、唐が西の長安を首都、東の洛陽を副都としたのを意識し、朱雀大路の西を長安(右京)、東(左京)を洛陽と称した。その後、低湿地であった右京が寂れ、人口も御所などの重要施設も左京に集中するに伴い、洛陽が平安京の代名詞となっていった。
例えば、近世に多く描かれた屏風絵に京都の中心部と郊外を表した「洛中洛外図」というものがある。現在でも京都市内の地域名として以下のようなものがある。行政や観光ガイドでもよく使われるが厳密な区分はない。
なお、「洛」は現在でも「都」を表す語として用いられるが、これは京都にのみ用いられる特称である。
- 洛中(らくちゅう) - 上京、中京、下京の各区のあたりの呼び方
- 洛外(らくがい) - 洛中の周縁の地域
上記が大まかであるのに対して、もっと生活に密着した地域単位として、明治時代に導入された小学校区による地域名もよく使われる。京都の元学区を参照されたい。
また、政令指定都市では唯一住居表示を採用しておらず、洛中と言った都心部や近年になって開発された地域など一部を除いて、市内の地名の多くは京都市への合併前の旧町村名や大字・小字をそのまま町名にしている(例:旧松ヶ崎村字海尻→左京区松ヶ崎海尻町)。
詳細は
を参照されたい。
健康[編集]
- 平均年齢:41.3歳(2001年(平成13年))
インフラ整備の状況[編集]
- 下水道普及率:99.1%(平成17年度末)
市外局番[編集]
市外局番は、大部分の地域は「075」(京都MA)。ただし、右京区嵯峨樒原、嵯峨越畑、旧京北町域では「0771」(亀岡MA)。
シンボルカラー[編集]
京都市の公式サイト「京都市情報館」の外郭色は紫だが、これは「山紫水明」に因んだ色要出典である。
教育[編集]
京都市は、市内に39校の大学・短期大学を抱える。大学相互の結びつきを深め、また、経済界との連携を強めるための財団法人大学コンソーシアム京都(通称、コンソーシアム)があるのも特徴的である。2003年(平成15年)以降、毎年10月上旬に京都学生祭典を開催している。
(※ 小学校、中学校、高等学校、特別支援学校などは、各区のページを参照)
国公立大学[編集]
私立大学[編集]
公立短期大学[編集]
私立短期大学[編集]
その他[編集]
この他、アメリカの大学も積極的に京都で活動を行っている。Kyoto Consortium for Japanese Studies は、アメリカの14大学からなる組織であり、毎年50名程度の学生を日本に送っている[8]。また、スタンフォード大学は、京都市内に日本センターを設置している。
学会[編集]
- 日本内分泌学会 - 中京区に事務局を置いている。
- 日本遺伝子診療学会 - 中京区に事務局を置いている。
- 日本アレルギー学会 - 下京区に事務局を置いている。
- 日本生態学会 - 北区に事務局を置いている。
- 日本臨床分子形態学会 - 左京区に事務局を置いている。
- 日本ビタミン学会 - 左京区に事務局を置いている。
- 日本血液学会 - 左京区に事務局を置いている。
- 日本耳鼻咽喉科免疫アレルギー学会 - 中京区に事務局を置いている。
交通[編集]
市内中心部まで[編集]
近畿圏各地からは出発地によってJR・私鉄各線を使い分けるが、京都駅周辺はJR・近鉄、四条河原町周辺は阪急・京阪のターミナルと、主に二箇所に分散している。また京都市内を発着地とする中長距離バス路線は、多くが京都駅をターミナルとしている。
東海道新幹線・山陽新幹線沿線からは、大阪市内や神戸市内と比べて近畿三空港との距離が離れている(最も近い伊丹空港から京都駅まで約50分)一方、京都駅にはのぞみをはじめ全ての列車が停車することから、新幹線が航空機に対して圧倒的に優位に立っている。また、京都府内のみならず、大阪府北東部や滋賀県南部および奈良県北部への新幹線の玄関口としての機能も持つ。
バス[編集]
市内路線バス[編集]
市内の移動は路線バスがメインとなる。観光シーズンになると積み残しが続出する状況も珍しくなく、慢性化している渋滞が更に悪化して所要時間が全く読めなくなる事から、鉄道各社線との乗り継ぎ利用でそれらのリスクを最小限に抑える利用方法を取る乗客もいる。
京都市交通局(市バス)・京阪京都交通・京都バス・京阪バス・阪急バス・西日本JRバスとの間では、従来より回数券の共通化を行っており、地下鉄割引券込みの物も販売されていた。京都市バス・京都バス(それぞれ一部路線除く)および地下鉄全線が乗り放題の「京都観光一日・二日乗車券」が発売されている(他にも市バス均一区間専用の一日乗車券、市外発の市内各線フリーきっぷ込みの割引きっぷ類などもあり)。
運行地域は、市バスが旧市街地中心で、京阪京都交通は西京区並びに亀岡方面からの乗り入れ、京都バスが右京区嵯峨地区と左京区岩倉・鞍馬・大原地区、京阪バスが山科区と伏見区醍醐および比叡山方面、阪急バスが西京区(洛西ニュータウン)、西日本JRバスが旧京北町からの乗り入れとなっているが、一部競合区間が存在する。
乗車方法は後乗り前降り後払いで、運賃は旧市街地周辺は均一制(220円)。均一区間外は整理券による区間制となっている。下に示すとおりスルッとKANSAI対応カードが使用できる事業者は多いが、非接触型ICカードのPiTaPa、ICOCAについては市街地の大部分を走る京都市バスや京都バスでは使用できない(導入計画はあるものの、具体的な導入時期は未定)。
※はスルッとKANSAI対応カード(乗り放題カード類含む)が使用可能な事業者
#は京都市域バス共通回数券が使用可能な事業者
高速バス[編集]
京都駅と名古屋駅を結ぶ名神ハイウェイバスや、首都圏などと京都を含む京阪神地区を結ぶ多くの高速路線バス、ツアー形式の貸切バス(ツアーバス)が運行されている。上記したとおり、京都市内を発着地とする高速バス路線の多くは京都駅をターミナルとしている。詳しくは京都駅の高速バス欄を参照。
また大阪市内を発着地として名神高速道路を通るバス路線のうち、京都駅に発着しない路線では、伏見区の深草バスストップ(京都深草)を京都の玄関口と位置づけているものがある。詳しくは当該項目を参照のこと。
鉄道路線[編集]
京都駅が事実上の中央駅として機能している。なお、京阪および阪急の路線は京都駅を通っていないが、両者とも市内のターミナル機能は複数の駅に分散しており(京阪は出町柳駅・三条駅・祇園四条駅、阪急は河原町駅・烏丸駅)、中心駅と呼べる存在の駅はない。
市域には、事実上の同一駅や近隣に接する駅の場合でも運営社局によって駅名が相違している事例がいくつかある。
JR西日本各線および近鉄線ではJスルーカード(現在は自動券売機でのみ対応)、嵯峨野観光鉄道を除く私鉄・地下鉄各線ではスルッとKANSAIカードに対応している。また、ICカード乗車券はJR西日本ではICOCAおよび相互利用カード(ICOCAの項を参照。電子マネー機能はPiTaPaは利用不可)、近鉄・京阪・阪急・市営地下鉄ではPiTaPa・ICOCAが利用可能(順次各社拡大予定)。
- 18px京都市営地下鉄(京都市交通局)- 宇治市にある六地蔵駅を除き全線市内
- 東海旅客鉄道
- 西日本旅客鉄道 - 保津峡駅は現在は亀岡市に立地しているが、旧駅が西京区との境界にあった名残から京都市内扱い。
- 近畿日本鉄道
- ■京阪電気鉄道
- ■阪急電鉄 - 洛西口駅は西京区と向日市の境にある。
- 京福電気鉄道(嵐電)- 全線が市内にある。
- 叡山電鉄 - 全線が市内にある。
- 嵯峨野観光鉄道
道路[編集]
自家用車利用は高速道路・一般道路ともに市内とその周辺を含めて渋滞が慢性化しており、特に観光シーズンとなると更に悪化する。市内の駐車場も不足状態とされる要出典。
近年、地球温暖化防止の観点から見直されたこともあってレンタサイクルが急増しており、宿泊客に対してこれらの便宜をはかる宿泊施設も増加している。また、ベロタクシーの日本発祥の地でもある。
高速自動車国道[編集]
都市高速道路[編集]
その他の有料道路[編集]
- 第二京阪道路(国道1号バイパス)
- 京都縦貫自動車道(国道478号)
- 嵐山高雄パークウェイ(民営)
- 比叡山ドライブウェイ(民営) ※一部区間で当市に近接・越境している。
- かつて有料だった道路
一般国道[編集]
主要地方道[編集]
(越境路線のみ記載)
通り[編集]
この節を書こうとした人は途中で寝てしまいました。後は適当に頑張って下さい。 |
航空[編集]
空港はないが、IATA都市コードUKYを持つ。
メディア[編集]
マスメディア・コミュニティ放送[編集]
主な出版社[編集]
観光[編集]
Category:京都府の建築物 も参照
京都市では、現在中期的な観光客数として、年間5000万人を目標としている。2007年(平成19年)は約4,945万人となっており近年は増加傾向である要出典。
「古都京都の文化財」[編集]
古くは京都が日本の政治・文化の中心となっていて、第二次世界大戦の戦災から免れたことから、国宝の約20%、重要文化財の約14%が京都市内に存在する。1994年(平成6年)に、近隣の宇治市内と大津市内に所在するものを含め、17件の文化財が世界遺産に登録された。
代表的な観光名所[編集]
社寺[編集]
その他[編集]
博物館等施設[編集]
- 池大雅美術館
- 梅小路蒸気機関車館
- 大西清右衛門美術館
- 霞中庵 竹内栖鳳記念館
- 何必館京都現代美術館
- 河井寛次郎記念館
- 川島織物文化館
- 北村美術館
- 京都嵐山オルゴール美術館
- 京都工芸館
- 京都市平安京創生館
- 京都市美術館
- 京都市考古資料館
- 京都芸術センター
- 京都国際マンガミュージアム
- 京都国立近代美術館
- 京都国立博物館
- 京都水族館
- 京都大学総合博物館
- 京都伝統産業ふれあい館
- 京都府京都文化博物館
- 京都府立植物園
- 京都府立陶板名画の庭
- 京都府立堂本印象美術館
- ギルドハウス京菓子資料館
- 高麗美術館
- 広隆寺霊宝殿
- 金比羅絵馬館
- 茶道資料館
- 思文閣美術館
- 島津創業記念資料館
- 承天閣美術館
- 泉屋博古館
- 大覚寺収蔵庫
- 醍醐寺霊宝館宝聚院
- 智積院
- 東映太秦映画村
- 東寺宝物館
- 堂本美術館
- 仁和寺霊宝館
- 野村美術館
- 並河靖之七宝記念館
- 風俗博物館
- 藤井斉成会有鄰館
- ブリキのおもちゃと人形博物館
- 細見美術館
- 橋本関雪記念館
- 楽美術館
- 立命館大学国際平和ミュージアム
祭事・催事[編集]
街並み[編集]
京都市は、明治維新以降は発展と保全をバランスよく保っていた。しかし、第二次世界大戦後になると社会の変化や経済優先の政策により徐々に景観が破壊され、これに対して景観論争がたびたび起こっている。
1964年(昭和39年)に建造された京都タワーは、京都の「第1次景観論争」を引き起こした。また1970年代の経済成長期には、風致地区や美観地区など戦前から継続的になされている景観保護の施策があるにもかかわらず、1950年(昭和25年)に制定された建築基準法により伝統工法が違法となったほか、バブル期には多くの建替えにより京町家による街並みが徐々に壊されていった。これは「第2次景観論争」といわれている。
山並みも京都の都市景観の重要な要素である。山間地での開発は概ね抑制されているが、1990年代には市内の高層建築によって山への眺望景観が阻害されることになった。市街地では、都市景観を乱す恐れのある派手な広告看板を景観条例などで禁止している。
具体的には賀茂別雷神社、賀茂御祖神社、東寺、清水寺などからの「境内の眺め」や、御池通、四条通などからの「通りの眺め」、琵琶湖疏水などからの「水辺の眺め」、円通寺などからの「庭園の眺め」、東山・北山などに対する「山並みへの眺め」、大文字などに対する「しるしへの眺め」、鴨川にかかる橋からの「見晴らしの眺め」、大文字からの「見下ろしの眺め」の8種である。
眺望景観保全地域として下記の3種が定められる。
- 眺望空間保全区域
- 近景デザイン保全区域
- 遠景デザイン保全区域
その地域ごとに、屋根の形状が「切妻、寄棟、入母屋であること。」、屋根の葺き方が「日本瓦又は銅板で」あること、屋根の勾配の比率が一定以上一定以下であること、かなり具体的な規制に服することになる。建築物を建築等(増改築を含む)する際には、こうした具体的な基準に適合しているかどうか、市長の認定を受けなければならない。
景観条例の趣旨に準拠するため、日本全国に展開するチェーン店鋪の看板も、鮮やかなコーポレートカラーの使用を控え、他の地域とは異なる比較的地味な配色を採用する事例が多い。一例として、飲食チェーンではマクドナルドやすき家は他地域で紅系統を使用しているが、市内では赤褐色を使用している。小売店では、市内のローソンの一部では看板の青地を明るいものから濃い藍色に変更しているほか、ガソリンスタンドのENEOSは赤系統が採用された店舗用ロゴタイプを使用していない。金融機関では、メガバンクの三菱東京UFJ銀行やみずほ銀行では本来の地色を使用せず、白地にそれぞれのコーポレートカラーの文字色を配したものを使用している。
京都市を拠点とする団体[編集]
スポーツチーム[編集]
- 京都サンガF.C.(Jリーグ) - 同リーグへの準加盟登録以来、当市のみを本拠地(ホームタウン)としていたが、のちに当市ほか5市に拡大している[9]。
- バニーズ京都SC(日本女子サッカーリーグ )
- 京都ハンナリーズ(bjリーグ)
- 京都アストドリームス(女子プロ野球)
音楽[編集]
出身有名人[編集]
京都市/出身有名人を参照。
京都市を舞台とした作品[編集]
京都市/京都市を舞台とした作品を参照。
脚注[編集]
- ↑ 「上る」「下る」については、古くは送り仮名をカタカナで「上ル」「下ル」と表記したが、現在、住民基本台帳における住所、不動産登記上の場所については、送り仮名はひらがなで表記されている。ただ、市民の日常生活においては根強くカタカナ表記も使われ続けている。なお、いずれの場合も「上がる」「下がる」「上ガル」「下ガル」とは表記されない。
- ↑ 1889年(明治22年)の市制施行時から市域であった場所でも、例外として「祇園町北側」や「本町○○丁目」など、通り名による表記を付さず表記する町もある。
- ↑ 渡邉尚「〈定年退官記念最終講義〉未来への逃避, 歴史への投企(1) ―社会科学的時間認識の諸問題―」『經濟論叢』第167巻第5・6号(京都大學經濟學會、2001年)5頁(pdfの7頁)
- ↑ 『戦争のなかの京都』(中西宏次著、岩波ジュニア新書、2009年、p141)による
- ↑ 中西前掲書p143
- ↑ 中西前掲書、p144
- ↑ [1]平成20年度市民経済計算
- ↑ http://www.ce.columbia.edu/overseas/about.cfm?PID=32&Content=Activity
- ↑ 京都サンガF.C.ホームタウン拡大化のお知らせ - 京都サンガF.C.(2010年8月17日付、2011年1月3日閲覧)