枚方市
枚方市(ひらかたし)は、大阪府北河内地域に位置する市。京都府・奈良県との府県境に位置する。2014年4月1日に中核市に移行した。京街道の宿場町であり、かつて北河内郡役所も置かれた北河内地域の中核的な都市として発展した。
七夕伝説やひらかたパーク、また6つの大学、全国高校ラグビー大会の優勝校、バレーボールVリーグパナソニックパンサーズの本拠地がある。
市西部は京阪電気鉄道京阪本線、市東部はJR東西線で京橋・北新地・尼崎と結び、市中心部は国道1号が走り、市東部には新しく第二京阪道路が開通した。
目次
地理[編集]
枚方市は、大阪市と京都市のほぼ中間にあたる大阪府北東部、大阪市から京都市に向って約20kmの淀川左岸に位置する。東西12.0km、南北8.7kmの三角形を成しており、面積は65.08km²となっている。
東の生駒山地と西に流れる淀川に囲まれており、市の東側は生駒山地に至る山地、市の中心部から西は大阪平野の北東端となっている。
地形[編集]
市の地形は標高によって大きく4つに区分される。市の東端部は標高100m以上の山地地区となっており、山並が生駒山地に連なっている。山地地区の西側は標高50m~100mの山麓地区となっており、長尾丘陵が広がる。山麓地区の西側は標高20m~50mの丘陵地区となっており、天野川を挟んで東の枚方台地と西の香里丘陵が広がっている。市域の大部分がこの丘陵地区となっている。淀川および淀川に流入する河川の付近は標高20m以下の淀川低地地区となっており、河川の氾濫原が広がっている。
丘陵地区の地層は、約200万年前から数万年前の間に繰り返された氷河期と間氷期に堆積した大阪層群と呼ばれる地層の内、第2海成層から第7海成層にあたる地層と数種類の火山灰層から成り、東洋象やムカシニホンシカなどの化石が発掘されている。
市内を流れる河川の多くは東の生駒山地に端を発す。一級河川である船橋川、穂谷川、天野川も同様に、生駒山地から平行して市内を西流し、淀川に合流したあとに大阪湾に流れ込む。
生駒山地と大阪平野の境界付近には生駒断層帯と呼ばれる活断層帯があり、生駒断層帯に含まれる田口断層、交野断層、枚方断層が市内を南北に縦断する。田口断層は市北部の男山山地西縁から南南東に伸びたのち南南西に屈曲している。交野断層は生駒山地の西縁を南北に、また枚方断層は香里丘陵西縁から南方に伸び、交野断層と枚方断層はそれぞれ四條畷市付近で生駒断層に連なる。
気候[編集]
瀬戸内海式気候区に属し、比較的温暖で降水量は少ない。また夏はヒートアイランド現象の影響により大阪市付近で熱せられた空気が、大阪湾沿岸部からの海風に乗って流入し、枚方市付近で生駒山系に阻まれる。そのため大阪市内よりも気温が高くなる傾向があり、国内で最も高い気温を記録する事もある。冬の積雪は殆ど無い。33℃以上の時間は1980年代は40~80時間/年だったが1990年代後半からは150時間/年前後である。
年間降水量1,062mm、日最大降水量172mm、平均気温16.2℃、最高気温38.3℃、最低気温-2.9℃(以上2001年)
- 気温 - 最高39.6℃(1994年(平成6年)8月8日、1994年(平成6年)8月7日)、最低-7.1℃(1981年(昭和56年)2月27日)
- 最大降水量 - 172ミリ(1999年(平成11年)8月11日、2013年(平成25年)9月15日)
- 最大瞬間風速 - 21.5メートル(2009年(平成21年)10月8日)
- 夏日最多日数 - 155日(2013年(平成25年))
- 真夏日最多日数 - 96日(2013年(平成25年))
- 酷暑日最多日数 - 37日(2010年(平成22年))
- 熱帯夜最多日数 - 43日(2010年(平成22年))
- 冬日最多日数 - 86日(1984年(昭和59年))
歴史[編集]
枚方の地名は古く、日本最古級の文献である古事記、日本書紀、風土記などに登場している。
古代~近世[編集]
- 507年(継体天皇元年) 2月4日 (旧暦) 継体天皇が樟葉宮(くずはのみや)で即位。
- 512年(継体天皇6年) 山背国(やましろのくに) 筒城宮(つつきのみや)(現在の京田辺市)に遷都。
- 530年(継体天皇24年) 日本書紀に枚方が比攞哿駄(ひらかた)として初出。
- 750年(天平勝宝2年) 百済寺建立。
- 935年(承平5年) 紀貫之が「土佐日記」にて渚の院を記す。
- 1067年(治暦3年) 交野ヶ原が貴族の遊猟地になるとともに禁猟区を意味する禁野という地名ができる。
- 1475年(文明7年) 蓮如が光善寺を建てる。
- 1490年(延徳2年) 津田正信が津田城を建てる。
- 1594年(文禄3年) 淀川左岸に文禄堤ができる。
- 1601年(慶長6年) 幕府により岡新町、岡、三矢、泥町が枚方宿とされる。
- 1689年(元禄2年) 旗本久貝(くがい)氏により、長尾陣屋が設けられる。
- 1802年(享和2年) 十辺舎一九が「東海道中膝栗毛」にて三十石船、くらわんか舟を描く。
- 1826年(文政9年) シーボルトが紀行文に枚方を記す。
近代~戦前[編集]
- 1869年(明治2年) 河内県に編入。河内県が堺県に合併。
- 1871年(明治4年) 枚方に郵便取扱所ができる。
- 1872年(明治5年) 第八区郷小学校(現蹉跎小学校)開校。
- 1873年(明治6年) 第八区郷小学校出張所(現枚方小学校)開校。
- 1881年(明治14年) 堺県から大阪府に編入。
- 1882年(明治15年) 津田に郵便取扱所が出来る。
- 1889年(明治22年) 町村制の施行に伴う合併により、4月1日、茨田郡枚方町、蹉跎(さだ)村、交野郡津田村、川越村、氷室村、菅原村、山田村、牧野村、招提村、樟葉村が誕生。
- 1890年(明治23年) 電話が開通。
- 1896年(明治29年) 茨田郡、交野郡、讃良郡が統合され北河内郡に。陸軍禁野火薬庫完成。
- 1898年(明治31年) 4月12日 関西鉄道(現JR片町線)開通。津田駅・長尾駅の両駅が営業を開始。
- 1909年(明治42年) 8月20日未明 陸軍禁野火薬庫が爆発。
- 1910年(明治43年) 4月15日 京阪電車京阪本線開通。樟葉駅、牧野駅、枚方東口駅(現枚方市駅)、枚方駅(現枚方公園駅)、光善寺駅の各駅ができる。
- 1912年(大正元年) 菊人形展が寝屋川市から移転。
- 1916年(大正5年) 枚方初の民間近代工業、日本メリヤス株式会社(後の倉敷紡績枚方工場)開業。
- 1921年(大正10年) 株式会社蝶矢シャツ製造所(現CHOYA)枚方工場開業。
- 1928年(昭和3年) 大阪女子高等医学専門学校(現関西医科大学教養部)、大阪歯科医学専門学校(現大阪歯科大学)が移転、開校(京阪電気鉄道が学校用地を寄付)。
- 1929年(昭和4年) 7月10日 信貴生駒電鉄枚方線(現京阪交野線)開通。
- 1930年(昭和5年) 10月10日 (旧)枚方大橋開通。
- 1933年(昭和8年) (旧)国道2号線京阪国道(現府道京都守口線)開通。
- 1935年(昭和10年) 2月11日 牧野村、招提村が合併し殿山町に。
- 1937年(昭和12年) 陸軍造兵廠大阪工廠枚方製造所開設。
- 1938年(昭和13年) 11月3日 枚方町に蹉跎(さだ)村、川越村、山田村、殿山町、樟葉村が合併。
- 1939年(昭和14年) 3月1日 陸軍禁野火薬庫が大爆発。宇治火薬製造所香里工場建設。
- 1940年(昭和15年) 11月15日 津田村、氷室村、菅原村が合併し津田町に。
- 1942年(昭和17年) 宇治火薬製造所香里工場が東京第二陸軍造兵廠香里製造所として開設。
第二次大戦後[編集]
- 1947年(昭和22年) 8月1日 大阪府下12番目に市制施行。枚方町が枚方市に。面積40.62km²、人口41,041人。
- 1950年(昭和25年) 市民病院開院。
- 1952年(昭和27年) 大阪陸軍造兵廠枚方製造所(旧陸軍造兵廠大阪工廠枚方製造所)が小松製作所に払い下げ決定。百済寺跡特別史跡指定。大阪府立図書館枚方ブックステーション開設、国道2号線が国道1号線に改称。枚方事件発生。
- 1955年(昭和30年) 10月15日 津田町合併。人口約5万人。
- 1956年(昭和31年) 中宮第一団地、中宮第二団地完成。東京第二陸軍造兵廠香里製造所跡に香里団地造成開始。
- 1958年(昭和33年) 香里団地入居開始。
- 1962年(昭和37年) 交通安全都市宣言。
- 1963年(昭和38年) 国道170号が制定(4月1日)。枚方高校開校。枚方市教育委員会が枚方テーゼを宣言。人口が10万人を超える。
- 1964年(昭和39年) 国道1号が一部(中振~招提間)開通。
- 1965年(昭和40年) 枚方市民会館開館。枚方ブックステーションが枚方市図書センターとして市民会館3Fに移転。
- 1966年(昭和41年) 国道1号枚方バイパス全面開通。
- 1967年(昭和42年) 市の花「菊」、市の木「柳」、市旗制定。
- 1968年(昭和43年) (新)枚方大橋開通。
- 1970年(昭和45年) 国道307号が制定(4月1日)。野外活動センター開設。枚方中学校開校。人口が20万人を超える。
- 1971年(昭和46年) 枚方市民憲章制定。精神衛生都市宣言。市民会館大ホール完成。
- 1972年(昭和47年) 樟葉駅前にくずはモール街開業。
- 1973年(昭和48年) 枚方市立図書館発足。自動車文庫「ひなぎく号」運行開始。
- 1974年(昭和49年) 中村市(高知県、現・四万十市)友好都市提携。
- 1975年(昭和50年) ひらかたサンプラザビル完成。暴力排除都市宣言。
- 1976年(昭和51年) 人口が30万人を超える。夏、くらわんか花火大会開催(2003年夏まで)。
- 1979年(昭和54年) 国鉄片町線藤阪駅開設。
- 1980年(昭和55年) 2月20日 枚方市立第一中学校(当時)の生徒5人による京阪電車置石脱線事故。
- 1982年(昭和57年) 国道168号が枚方市まで延長(4月1日)。非核平和都市宣言。
- 1983年(昭和58年) 総合体育館開館。
- 1984年(昭和59年) 枚方八景制定。
- 1987年(昭和62年) 別海町(北海道)、塩江町(香川県、現・高松市)、上海市長寧区(中華人民共和国)友好都市提携。
- 1989年(平成元年) 平和の日制定。京阪ケーブルテレビジョン(現ケイ・キャット)放送開始。
- 1990年(平成2年) 岡本町再開発ビル「ビオルネ」完成。陸上競技場開設。
- 1992年(平成4年) 第71回全国高校ラグビー大会で啓光学園高校が初優勝。枚方市高齢社会憲章制定。
- 1993年(平成5年) 人権尊重都市宣言。枚方市駅高架化完成。
- 1994年(平成6年) 健康・福祉推進都市宣言。
- 1995年(平成7年) ローガン市(オーストラリア)友好都市提携。人口が40万人を超える。
- 1996年(平成8年) ひらかたパーク改装完成。倉敷紡績枚方工場が徳島市に移転。
- 1997年(平成9年) 名護市(沖縄県)友好都市提携。エフエムひらかた開局。
- 1999年(平成11年) 第78回全国高校ラグビー大会で啓光学園高校が優勝。大滝村(北海道、現・伊達市)、天川村(奈良県)、波佐見町(長崎県)市民交流都市宣言。少年野球チーム枚方リトルがリトルリーグ世界大会で優勝。
- 2000年(平成12年) 第79回全国高校ラグビー大会で東海大付属仰星高校が初優勝
- 2001年(平成13年) 特例市移行。
- 2002年(平成14年) 第81回全国高校ラグビー大会で啓光学園高校が優勝。市の鳥「カワセミ」制定。
- 2003年(平成15年) 第82回全国高校ラグビー大会で啓光学園高校が2連覇。第二京阪道路部分開通、枚方東IC使用開始。枚方市駅・樟葉駅に特急が終日停車開始(平日昼間時・土休日終日)。
- 2004年(平成16年) 第83回全国高校ラグビー大会で啓光学園高校が3連覇。CHOYA枚方工場が東大阪市に移転。
- 2005年(平成17年) 第84回全国高校ラグビー大会で啓光学園高校が4連覇。くずはモール街がKUZUHA MALLに全面改装。関西外国語大学片鉾学舎跡に生涯学習兼地域交流施設「輝きプラザきらら」「中央図書館」開館。ひらかた大菊人形展閉幕。
- 2006年(平成18年) 倉敷紡績枚方工場跡に関西医科大学付属枚方病院開院。中央図書館市駅前サテライト。第28回全国選抜高校テニス大会で男女共に長尾谷高校が初優勝。
- 2007年(平成19年) 第86回全国高校ラグビー大会で東海大付属仰星高校が7大会ぶり2度目の優勝。2月9日市の花「桜」制定。第29回全国選抜高校テニス大会で長尾谷高校が団体戦女子2連覇。7月31日中司宏市長が談合疑惑で逮捕、9月10日失職。
- 2008年(平成20年) 霊岩郡(大韓民国全羅南道)友好都市提携。
- 2010年(平成22年) 第二京阪道路開通。
- 2014年(平成26年) 4月1日 中核市移行。
区域の変遷[編集]
変遷の歴史[編集]
- 旧国・郡
- 1868年(明治元年)5月2日 天領に大阪府を設置(府藩県三治制)。
- 1868年(明治元年)6月 大阪府から和泉国を分離し堺県を設置。
- 1869年(明治2年)1月20日 河内国に河内県、摂津県を設置。
- 1869年(明治2年)8月2日 河内県が堺県に併合。
- 1871年(明治4年) 市域の藩領が全て堺県に併合(廃藩置県)。
- 1874年(明治7年)8月 磯島村が摂津国嶋上郡から河内国交野郡に所属変更。
- 1881年(明治14年)2月7日 堺県が大阪府に合併。
- 1889年(明治22年)4月1日 茨田郡枚方町、蹉跎(さだ)村、交野郡津田村、川越村、氷室村、菅原村、山田村、牧野村、招提村、樟葉村が誕生(町村制の施行)。
- 大阪府茨田(まった)郡
- 枚方町(← 枚方村、岡新町村、三矢村、泥町村、岡村、伊加賀村)
- 蹉跎(さだ)村(← 中振村、出口村、走谷村)
- 大阪府交野郡
- 津田村(← 津田村、野村、春日村)
- 川越村(← 茄子作村、田宮村、山之上村、村野村)
- 氷室村(← 尊延寺村、杉村、穂谷村)
- 菅原村(← 長尾村、藤阪村)
- 山田村(← 甲斐田村、中宮村、田口村、片鉾村)
- 牧野村(← 渚村、磯島村、坂村、小倉村、下島村、上島村、宇山村、養父村、禁野村)
- 招提村(← 招提村)
- 樟葉村(← 楠葉村、船橋村)
- 大阪府茨田(まった)郡
- 1896年(明治29年) 茨田郡、交野郡、讃良(ささら)郡が統合され北河内郡に。
- 1935年(昭和10年)2月11日 牧野村、招提村が合併し殿山町に。
- 1938年(昭和13年)11月3日 枚方町、蹉跎(さだ)村、川越村、山田村、殿山町、樟葉村が合併し枚方町に。
- 1940年(昭和15年)11月15日 津田村、氷室村、菅原村が合併し津田町に。
- 1947年(昭和22年)8月1日 枚方町が枚方市に(市制施行)。
- 1955年(昭和30年)10月15日 津田町を合併。
合併協議会[編集]
平成の大合併では寝屋川市、交野市との合併が協議されたが実現しなかった。またこれとは別に1980年代に京都府八幡市住民より同市から当市への越境合併の要望があったが自然消滅している。
行政[編集]
- 市長:竹内脩
- 副市長:奥野章、梅崎茂
歴代市長等[編集]
枚方町長
- 寺嶋宗一郎(1947年から)
津田町長
市制施行後
- 初代 寺嶋宗一郎(1947年から)旧枚方町長、市制施行に伴い市長就任
- 第二代 寺嶋宗一郎(1951年から)
- 第三代 畠山晴文 (1955年から)
- 第四代 寺嶋宗一郎(1959年から)
- 第五代 寺嶋宗一郎(1963年から)
- 第六代 山村富造 (1967年から)
- 第七代 山村富造 (1971年から)
- 第八代 山村富造 (1975年から)
- 第九代 北牧一雄 (1975年から)
- 第十代 北牧一雄 (1979年から)
- 第十一代 北牧一雄 (1983年から)
- 第十二代 北牧一雄 (1987年から)
- 第十三代 大塩和男 (1991年から)
- 第十四代 中司宏 (1995年から)
- 第十五代 中司宏 (1999年から)
- 第十六代 中司宏 (2003年から)
- 第十七代 中司宏 (2007年から)
- 第十八代 竹内脩 (2007年9月23日から)
- 第十九代 竹内脩 (2011年から)
財政[編集]
1995年決算から実質収支が赤字になり1999年度には累積赤字が29.8億円と膨らんだ。財政再建準用団体への転落も危惧される中で財政再建を進められ、2002年度決算で黒字化を果たした。市税収入の前年度割れが続く中、2002年度から2004年度まで3年連続して、実質収支の黒字を計上している。
歳入の大半を占める市税収入は、長引く不況の影響により1997年の651億円をピークとして2004年度まで7年連続して減収が続いており、2004年度の市税収入は544億円である。歳入不足を補うために市債が発行されており、その総額は2004年度までに約148億8800万円に上る。
2010年4月現在のラスパイレス指数は100.5(全国自治体平均不明)である。1997年4月時点の107.3(1998年、1999年は不明)、2000年4月時点の105.8、2001年4月時点の103.5、2002年4月時点の103.3、2003年4月時点の102.1、2004年4月時点の99.1、2005年4月時点の98.7(2006年は不明)、2007年4月時点の98.3、2008年4月時点の98.2、2009年4月時点の96.8と、全国的に高水準だったラスパイレス指数の低下が続いていた。しかし中司市長時代から続けていた市役所職員の給与カットを取りやめたことにより、人件費が国家公務員水準以上となる結果となっている。
広域事務[編集]
- 枚方寝屋川消防組合
- 消防
枚方寝屋川消防組合が枚方市と寝屋川市の消防を担当している。
- 枚方消防署
- 枚方東消防署
衝撃「民生委員は暴力団幹部」(2014年)[編集]
住民の安全を守り、地域発展に貢献するはずの民生委員が、実は暴力団幹部だった-。
こんな前代未聞の事実が大阪府枚方市で発覚した。この男性のあまりの熱心な仕事ぶりに市の担当者も1年半にわたり気が付かず、年間約4万8000円の活動費も支給していた。たまたま詐欺事件で逮捕されたことを機に、警察からの連絡で暴力団幹部の身分が判明、担当者に衝撃を与えた。一体、なぜ分からなかったのか-。
「民生委員が暴力団関係者とは全く知らず、非常に遺憾なこと」
市は6月4日、市内の民生委員が暴力団関係者だったという前代未聞の事実を受けて、コメントを発表した。竹内脩市長も翌5日の定例会見で「ショックだった」と表情を曇らせた。
発端は3日にさかのぼる。指定暴力団山口組傘下の組織幹部の男性(46)が詐欺容疑で大阪府警枚方署に逮捕された。逮捕容疑は、組員であることを隠して市内の信用金庫支店に自分名義の口座を開設し、融資名目で300万円をだましとったとしている。この逮捕で、男性が市立小学校区の民生委員を務めていることが最初に発覚した。
さらに調べていくと、地域の自治会長やPTA役員を務めていたことも判明した。男性は平成21年度に、地元小学校のPTAの副会長を務めたほか、平成24年4月からは地元の自治会長も務めていた。また、平成25年5月からは市の青少年育成指導員も担当。青少年相談や地域パトロールのほか、コンビニエンスストアなどで陳列されている有害図書の報告といった「社会環境整備活動」にも積極的に参加していた。
その働きぶりについて、市子ども青少年課の担当者も「(地元では)非常に熱心に活動されていたと聞いている」と証言する。さらに、今回の詐欺事件で逮捕されるまで、男性は地元小学生の野球チームでコーチを務め、指導もしていた。
「丁寧に教えるコーチだった。技術もあり、子供たちにも人気があった」とチームの代表者。男性は小学5、6年生の高学年チームを担当し、試合では「冷静で、じっくりとした試合運びを好むタイプだった」と振り返る。
一方で、暴力団幹部だったことは知らなかったという。チームは男性を退団扱いとし、子供たちには「一身上の都合」で退団したと伝えた。地域活動に非常に熱心だった男性の一面を裏付けるように、市の担当者も男性を民生委員に推薦した理由について、「地域活動に熱心で責任感、指導力も高く、適格性もあると判断していた」と説明する。
男性は逮捕後、処分保留で釈放され、大阪地検は不起訴処分とした。地検は処分理由を明らかにしていない。
民生委員は、都道府県や中核市の推薦を受けて厚労相が委嘱する特別職の地方公務員。生活保護世帯や高齢者の相談をはじめ、住民生活を幅広く支援するのが主な業務だ。任期は3年。男性の場合は前任者の欠員に伴って平成24年12月、市の推薦で民生委員に委嘱された。25年12月には再任もされている。
なぜ長期間、市は暴力団幹部の身分に気付かなかったのか。その背景には、事務的に進められる選任手続きがある。
市は、市立小学校の校区ごとに民生委員を選んでいる。まず、校区の住民組織やPTA、青少年育成団体の関係者らで構成する「民生委員校区推薦会」が、民生委員にふさわしい人物を市に推薦する。続いて市議や社会福祉・教育の関係者などでつくる市の「民生委員推薦会」が、その人物を評価。ふさわしいと判断すれば、今度は知事に推薦する。知事は厚生労働相に推薦。最終的には厚労相が委嘱する、という流れだ。
関係者によると、民生委員を任せるか否かの判断基準として、それまでの地域貢献活動が重視される傾向が強い。一方で、身分調査は形式的にとどまる。民生委員の推薦には、民生委員校区推薦会の作成する推薦書が必要。その推薦書には「職業」を記入する項目もあるが、男性の場合、もちろん暴力団関係者とは書かれていなかった。
市は現在、厚労相に対して、男性の民生委員解嘱を具申する手続きを進めている。ただ、今後の再発防止策となると、抜本的な解決策がないのが実情だ。
市健康総務課の担当者は「市内の民生委員は500人以上いる。各委員の身元を警察などに照会するぐらいしか方法がないが、(民生委員は)ボランティアでやっていただいているので、それも難しい」と頭を抱えている。
今回の事案が起きた背景について、民生委員の実情に詳しい旭合同法律事務所(名古屋市中区)の高橋寛(ゆたか)弁護士(70)は「民生委員のなり手不足」を挙げる。都市化で近所づきあいが希薄になり、若い世代ほど人口の流動も進む中で、しっかりと地域に根付いて民生委員を担う人材が不足しているというのだ。
高橋弁護士は「民生委員が高齢化している地域も多く、若い世代にも民生委員の仕事をアピールしていく必要がある」と指摘。
今回のような事態を防ぐ方法としては、「やはり推薦する自治体などが、きっちりと候補者の身元などを調査することだ。市民の信頼を裏切るようなことがあると、民生委員制度の存在基盤が揺るぎかねない」としている。
立法[編集]
市議会[編集]
会派名 | 議席数 | 議員名(◎は代表) |
---|---|---|
公明党議員団 | 8 | ◎大森由紀子、有山正信、岡林 薫、山口勤、上野尚子、大地正広、藤田幸久、丹生眞人 |
民主クラブ | 8 | ◎鷲見信文、松浦幸夫、三島孝之、野村生代、大塚光央、桝田義則、福留利光、大橋智洋 |
未来に責任・みんなの会 | 4 | ◎岡沢龍一、清水薫、岩本優祐、木村亮太 |
自由民主党議員団 | 3 | ◎榎本正勝、前田富枝、田口敬規 |
日本共産党議員団 | 3 | ◎広瀬ひとみ、石村淳子、堤幸子 |
みんなの党市民会議 | 3 | ◎高橋伸介、池上典子、鍜治谷知宏 |
民主市民議員団 | 3 | ◎堀井勝、西田政充、八尾善之 |
平和・自治・市民 | 1 | 手塚隆寛 |
改革ひらかた21 | 1 | 千葉清司 |
2015年の市議選から、定数は34から32に変更される。
大阪府議会(枚方市選挙区)[編集]
- 定数:5名
- 任期:2011年(平成23年)4月30日 - 2015年(平成27年)4月29日
氏名 | 会派名 | 当選回数 |
---|---|---|
岡沢健二 | 大阪維新の会大阪府議会議員団 | 4 |
大橋章夫 | 公明党大阪府議会議員団 | 1 |
中村哲之助 | 民主党・無所属ネット大阪府議会議員団 | 5 |
出来成元 | 自由民主党大阪府議会議員団 | 3 |
伏見隆 | みんなの党府民会議 | 1 |
2015年の県議選から、定数は5から4に変更される。
府の機関[編集]
行政[編集]
警察[編集]
管轄の境界は国道1号 - 出屋敷南交差点 - 大阪府道18号枚方交野寝屋川線を経て枚方市と交野市の行政境界線である。
郵便局[編集]
無集配郵便局
- 枚方松丘郵便局
- 枚方星丘郵便局
- 枚方宮之阪郵便局
- 枚方公園駅前郵便局
- 枚方山之上郵便局
- 枚方中振郵便局
- 枚方伊加賀西町郵便局
- 枚方高田郵便局
- 枚方香里ヶ丘郵便局
- 枚方香里ヶ丘五郵便局
- 枚方香里南郵便局
- 枚方東中振郵便局
- 枚方長尾家具郵便局
- 枚方長尾台郵便局
- 枚方尊延寺郵便局
- 枚方津田駅前郵便局
- 枚方春日野郵便局
- 枚方藤阪郵便局
- 菅原郵便局
- 枚方楠葉野田郵便局
- 枚方楠葉郵便局
- 枚方東山郵便局
- 枚方船橋郵便局
- 枚方楠葉並木郵便局
- 枚方招提郵便局
- 枚方養父郵便局
- 枚方牧野駅前郵便局
- 枚方招提団地内郵便局
- 枚方北片鉾郵便局
- 枚方甲斐田郵便局
- 枚方三栗郵便局
- 枚方渚郵便局
- 枚方西禁野郵便局
- 枚方中宮郵便局
- 枚方松美ヶ丘簡易郵便局
国の機関[編集]
- 国税庁大阪国税局枚方税務署
- 国土交通省近畿地方整備局浪速国道事務所
- 国土交通省近畿地方整備局淀川河川事務所
- 国土交通省近畿地方整備局淀川ダム統合管理事務所
- 国土交通省近畿地方整備局近畿技術事務所
- 北大阪労働基準監督署
- 枚方公共職業安定所(ハローワーク)
- 枚方簡易裁判所
- 大阪法務局枚方出張所
- 枚方区検察庁
経済[編集]
産業[編集]
枚方の近代産業は、大正時代に開業した日本メリヤス株式会社と蝶矢シャツ製造所に始まった。
また戦前から戦中に掛けて、枚方市は軍需産業が盛んであった。明治時代に開設された陸軍禁野火薬庫に始まり、昭和に入ると陸軍造兵廠大阪工廠枚方製造所、東京第二陸軍造兵廠香里製造所が開設された。 戦後これらの軍事施設は民間に払い下げられ、大阪陸軍造兵廠枚方製造所(旧陸軍造兵廠大阪工廠枚方製造所)は小松製作所大阪工場に、禁野火薬庫と東京第二陸軍造兵廠香里製造所は、住宅団地としてそれぞれ日本住宅公団中宮団地、香里団地へと生まれ変わった。
戦後、枚方中小企業団地(現・枚方企業団地)、枚方既製服団地(現・枚方紳士服団地)、枚方家具団地などの工業団地が枚方の経済成長を支えた。企業誘致に際して立地を一箇所に集約しなかったため、これらの企業団地はある程度のまとまりがあるものの、市内に点在する形となっている。
しかし産業構造の変化や宅地化の進展により、近年これらの事業所が市外へ移転する事が増えている。枚方の近代産業の先駆けである倉敷紡績枚方工場(旧日本メリヤス)が1996年に、CHOYA枚方工場(旧蝶矢シャツ製造所)が2004年に、それぞれ市外へ移転した。 地域産業の活性化を図るべく、人材育成、起業支援に併せて、津田サイエンスヒルズ(関西文化学術研究都市 氷室・津田地区)への企業誘致などが進められているが、十分な成果が上がっているとは言い難い状況である。
そもそも枚方市は「都心に比較的近く鉄道交通が発達している」という特性を持ち、バブル期より地の利を生かした住宅開発を盛んに行ってきた。これら住宅地に住む労働者の多くが都心通勤者であるため、嘗てから昼間人口の都心流出が顕著であった。さらに近年では1997年のJR東西線開業や2003年の枚方市駅、樟葉駅京阪特急停車化、2008年の中之島線開業など、京阪本線、片町線(学研都市線)の高速化や運転系統・本数の充実化といったサービスアップによって通勤ニーズだけでなく商業・観光ニーズにおいても都心志向が高まり、購買客までも都心へ流出させることとなった(ストロー効果)。
- 枚方市駅周辺
ビオルネ・イオン枚方店(旧枚方サティ→枚方ビブレ→枚方サティ)・京阪百貨店ひらかた店・京阪枚方ステーションモール・ひらかたサンプラザ1号 - 3号・TSUTAYAビルなどの商業施設がならぶ。
これら商業施設の発展の経緯は線路を挟み北口側と南口側に大きく分かれた。北口側には旧京街道が通り、街道沿いに岡東町商店街が賑わいを見せていた。前述の商業施設もまず北口側から開発が進められた。1965年(昭和40年)に枚方駅前デパート、1969年(昭和44年)に長崎屋枚方店が開店した。北口側の開発から少し遅れて南口側の開発も進められた。1968年(昭和43年)に三越百貨店枚方店、1970年(昭和45年)にイズミヤ枚方店が開店した。1971年(昭和46年)に可決された市街地再開発事業により、ひらかたサンプラザ1号館から3号館まで相次いで建築され、2号館には1975年(昭和50年)にひらかた丸物百貨店(後の近鉄百貨店枚方店)が開店した。
1960年代から1970年代に掛けて枚方市駅の乗降客数は急増を見せるが、香里団地などの住宅地を多く抱える南口側に対して、線路で分断され淀川に挟まれた北口側は次第に衰退していった。駅前に大型商業施設が開発された事も相まって岡東町商店街の衰退は著しくなったが、1990年(平成2年) 岡本町再開発ビル「ビオルネ」が完成。1993年(平成5年)には枚方市駅が高架化され、翌1994年(平成6年)には高架下に京阪百貨店枚方店と京阪ザ・ストア枚方店が開店した。北口と南口を分断していた線路が高架化により無くなり、再び北口側に活気が戻るようになってきた。
しかしその後の景気の後退と共に縮小が相次いだ。1996年(平成8年)に北口からほど近い倉敷紡績枚方工場が移転閉鎖。2002年(平成14年)に長崎屋枚方店、2005年(平成17年)に三越百貨店枚方店、2012年(平成24年)2月に近鉄百貨店枚方店が閉店した。2010年(平成22年)はビオルネの運営会社が倒産している。
- 樟葉駅周辺
京阪電気鉄道によって開発された沿線最大級のショッピングモール・くずはモールが2005年に全面改装された。それにあわせて京阪本線の特急列車が停車するようになり、一時は沈滞化していた樟葉周辺も再び活気付くようになった。樟葉周辺は樟葉パブリック・ゴルフ・コース、超高層マンション、ローズタウン、その他商業施設など大半が京阪による開発である。
- 国道1号沿い
交通量が多く、多方面から集客できるため、娯楽施設や飲食店が多く立ち並ぶ。高野道周辺にはラウンドワン、フォレオひらかた(核店舗は「シネプレックス枚方」「GOLF5」「スポーツデポ」等)等がある。また、その他商業施設が相次いでオープンする。
主な企業[編集]
本社
- 小倉屋昆布食品(くらこん)
- 恩地食品(おんち)
- 京阪電気鉄道(本社は大阪市にあるが、登記上の本店が枚方市に所在)
- 三井倉庫ロジスティクス(旧・三洋電機ロジスティクス)
- 枚方信用金庫
- 初田製作所
- ホソカワミクロン(東証1・6277)
- 日本電音(ユニペックス)
- 大塚電子
事業所、関連施設
- 京セラドキュメントソリューションズ - 枚方工場
- クボタ - 枚方製造所
- 小松製作所 - 大阪工場
- 三洋電機 - 研究所
- 日本精線 - 枚方工場
- 大阪ミツカン - 大阪工場
- 共英製鋼 - 枚方事業所枚方工場
- サンヨーホームズ - 生産本部
- ミルックス - 大阪機材センター
- ダイコロ - 大阪工場
- アピカ - 枚方工場
- 日世 - 枚方工場
- フジパン - 枚方工場
- パナソニック - パナソニックアリーナ、パナソニックベースボールスタジアム
- イートアンド(大阪王将) - 関西工場
本店、第1号店
伝統産業[編集]
東部地域では伝統産業である河内そうめん業と酒造業が行われていた。
- 河内そうめん
河内そうめんは、奈良の「三輪素麺」や兵庫の「揖保乃糸」などと共に知られる手延べそうめんである。 天和年間(1681~1683)に大和国三輪から伝えられた素麺製造技術が基になっている。 耕地の少ない旧交野郡津田村を中心として農閑期の副業として栄え、最盛期には約80軒で生産されていた。遠く近江や尾張にまで販路を広げていたが、近年は生産農家の高齢化が進み後継者不足が問題となっており、2003年時点では津田地域に三軒、穂谷地域に一軒を残すのみとなっていた。その当時、出荷量が限られているため市販されていなかった。その後も生産者の減少は続き、伝統を受け継いでいた最後の一軒が2012年に廃業したことで、古くから続いた生産者は途絶えた。その後、地元在住者が技術と生産の継承に取り組んでいると報じられている。
津田には河内そうめんの発展に貢献した山下政右衛門(後に政太)の碑「山下翁頌徳碑」が残る。
- 酒造
生駒山系の良質な地下水を生かして酒造も行っており、1970年代は池尻酒造(津田元町、「成功正宗」)、小北酒造場(藤阪元町、「菊人形」「寿賀天杯」)、重村酒造場(穂谷、「富士霞」「穂谷」「淀菊」)、田中酒造場(尊廷寺、「谷川」)、津田酒造(津田元町、「枚方自慢」「みや鶴」)という5つの造り酒屋が存在した。津田酒造のみや鶴は1995年の全国新酒鑑評会において金賞を受賞する実績を残している。
しかし1990年代半ばまでに重村酒造場を残し、その他は全て廃業した。住宅地図において酒造業としての記載が最後に残されているのは、池尻酒造は1979年、田中酒造場は1983年、小北酒造場は1992年、津田酒造は1994年となっている。
最後まで残った重村酒造場も2012年3月で廃業し、枚方市内から酒造業者は消滅した
地域[編集]
人口[編集]
平成22年国勢調査より前回調査からの人口増減をみると、0.97%増の407,978人であり、増減率は府下43市町村中12位、72行政区域中27位。
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枚方市と全国の年齢別人口分布(2005年) | 枚方市の年齢・男女別人口分布(2005年) |
■紫色 ― 枚方市
■緑色 ― 日本全国 |
■青色 ― 男性
■赤色 ― 女性 }} |
枚方市(に相当する地域)の人口の推移 テンプレート:人口統計/27 | |
総務省統計局 国勢調査より |
教育[編集]
枚方市では、ベッドタウン化により1950年代から1970年代に掛けて急激に人口が増加した。そのため小中学校の不足が深刻化し、各地の小中学校には臨時のプレハブ教室が大量に作られる事態となった。児童の増加に対応するため新設校の設立や増築が進められ、1980年代には教室の不足が解消された。
小学校の児童数は1980年代を頂点として一転して減少に転じ、次第に少子化傾向が顕著になるに従い学級数が減少した。空き教室の増加も問題となり、1999年に学校の統廃合が行われた。しかし、少人数による利点・長所を生かし、原則として今後統廃合はされない見通しである。2004年には中学校校区の弾力化が行われ、小学校最終学年で志望中学の希望調査が行われる。
また、市立学校全てにコンピュータールームの導入、ALTによる英語教育、少人数授業などには古くから積極的である。
さらに2008年度より枚方市立の小中学校の全教室に冷暖房が設置し、快適な学習環境の確保が可能となった。また子供たちが思いっきり運動場で遊べるよう、全小学校でみどりのじゅうたん事業と称して、校庭を一部芝生化している。これには、外気温低下の効果も期待されている。
全国学力調査では、枚方市の平均値は全国平均・大阪府平均を上回っており、今後も先進的教育のまちとしての地位を確立し、枚方市の子供たちの学力向上を図るための教育政策として、より充実した授業展開が行えるよう電子黒板の導入や夏季休業日を6日間短縮、冬期休業日を1日ずらすなどの取り組みがなされている。
なお、関西地方の学校は制服・標準服を定めていることが多いが、枚方市の学校は基本的に私服登校が可能。
小学校[編集]
- 市立(45校)
- 私立(1校)
- 閉校した小学校
中学校[編集]
- 市立(19校)
- 私立(2校)
- 常翔啓光学園中学校(※中高併設)
- 東海大学付属仰星高等学校中等部(※中高併設)
- 閉校した中学校
- 村野中学校(1974年 - 2001年閉校)
高等学校[編集]
・公立
・私立
- 常翔啓光学園高等学校(※中高併設)
- 東海大学付属仰星高等学校(※中高併設)
- 長尾谷高等学校
大学[編集]
- 大阪歯科大学
- 関西医科大学
- 関西外国語大学
- 関西外国語大学短期大学部
- 摂南大学枚方キャンパス
- 大阪工業大学情報科学部
- 大阪国際大学ビジネス学部 現代社会学部
- 大阪大学大学院工学研究科 自由電子レーザー研究施設
学校教育以外の施設[編集]
児童福祉施設[編集]
- 保育所(一部)
- 香里敬愛保育所
- 中振敬愛保育所
- 香里ヶ丘愛児園
- 香里ヶ丘保育園
- 天の川保育園
医療・保健・福祉施設[編集]
- 市立枚方市民病院
- 市立保健センター
- 星ヶ丘厚生年金病院
- 関西医科大学附属枚方病院
- 枚方公済病院
- 大阪府立精神医療センター
- 市立老人福祉センター「楽寿荘」
- 市立総合福祉会館「ラポールひらかた」
- 市立総合福祉センター
主な住宅団地[編集]
文化施設[編集]
ホール・集会場[編集]
- 枚方市市民会館
- 枚方公園青少年センター
- サプリ村野
- メセナひらかた会館
- 市民ギャラリー
- くずはアートギャラリー
- 地域活性化支援センター
- 市民ふれあいセンター
- 教育文化センター
- 創価学会京阪文化会館
資料館[編集]
- 旧田中家鋳物民俗資料館
- 枚方宿鍵屋資料館
- 淀川資料館
生涯学習市民センター[編集]
- 蹉跎(さだ)生涯学習市民センター
- 牧野生涯学習市民センター
- 菅原生涯学習市民センター
- 津田生涯学習市民センター
- 生涯学習情報プラザ
- 南部生涯学習市民センター
- 御殿山生涯学習美術センター
- 楠葉生涯学習市民センター
- サンプラザ生涯学習市民センター
図書館[編集]
枚方市立図書館を参照
体育施設[編集]
- 枚方市立渚市民体育館
- 枚方市立総合スポーツセンター(総合体育館、陸上競技場)
- 枚方市野外活動センター
- 王仁公園(テニスコート、運動広場、バレーボールコート、プール)
- 中の池公園(運動広場)
- 香里ヶ丘中央公園(運動広場)
- 春日テニスコート
- 藤阪テニスコート
- 伊加賀スポーツセンター
公園[編集]
- 市民の森(鏡伝池緑地) - 楠葉丘二丁目
- 北山公園 - 北山一丁目
国営公園
広域公園
- 大阪府営 山田池公園 - 山田池公園、山田池南町、藤阪元町一丁目、藤阪元町二丁目、藤阪西町、藤阪南町一丁目
特殊公園
- 国の特別史跡 百済寺跡公園 - 中宮西之町
総合公園
- 枚方公園(計画) - 枚方公園町
- 王仁公園 - 王仁公園
地区公園
- 中の池公園 - 東山二丁目
- 招提今池公園(計画) - 招提中町二丁目
- 中振中央公園(計画) - 北中振二丁目、東中振二丁目、南中振一丁目
- 車塚公園 - 小倉東町、北片鉾町、上野三丁目
近隣公園[編集]
- 牧野公園 - 牧野阪、宇山町
- 香里ヶ丘南公園 - 香里ヶ丘十丁目
- 桑ヶ谷公園 - 香里ヶ丘一丁目
- 香里ヶ丘東公園 - 香里ヶ丘三丁目
- 香里ヶ丘中央公園 - 香里ヶ丘四丁目
- 阪今池公園 - 黄金野一丁目
- 楠葉中央公園 - 楠葉並木二丁目
- 楠葉東公園 - 楠葉朝日三丁目
- 津田公園(計画) - 津田元町四丁目
- 林池公園(計画) - 春日東町一丁目
- 新春日公園(計画) - 春日野一丁目
- 茄子作公園(計画) - 茄子作三丁目、茄子作四丁目
- 堂山公園 - 堂山二丁目
- 星ヶ丘公園 - 星丘二丁目
- 交北公園 - 交北四丁目
- 船橋川公園(計画) - 招提北町三丁目
街区公園[編集]
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交通[編集]
古くから大阪-京都の交通を支える要所であり、市内には主に4つの古い街道がある。
現在の国道168号線は磐船街道と呼ばれ、枚方から交野を経由して奈良県に至る街道であった。古代、交野ヶ原と呼ばれた時代には、王朝貴族が遊猟をする際に使われたという。
東高野街道は、平安時代の官道である南海道を起源とする、中世の京阪間を結ぶ主要な街道であった。京都から高野山への巡礼街道であり、京都から洞ヶ峠を越えて枚方に入り、枚方台地の中央部を縦断した後、生駒山地沿いに南下、河内長野で西高野街道に合流し、高野山に至る。高野山に修行に向かう京の僧侶、参拝に向かう貴族、やがて武士や商人、一般庶民までも高野山に向かって歩いたという。現在は国道1号線(洞ヶ峠~出屋敷)、大阪府道枚方交野寝屋川線(出屋敷~茄子作)、大阪府道枚方富田林泉佐野線(茄子作~中野)に相当する。出屋敷周辺には、かつての面影が残されている。
山根街道は、洞ヶ峠から東高野街道と分岐して津田を経由し、私部に至る街道であり、山麓地区の村々を結ぶ街道として利用された。
1594年に文禄堤が整備され道路としても利用されるようになると、更に江戸時代にはこの道路を用いて京街道が整備された。京街道は東高野街道に代わって京阪間の幹線道路として利用されるようになり、枚方の発展に大きく寄与する事となる。
京街道は1932年に京阪国道として整備され、(旧)国道1号線と称されたのち、1966年に枚方バイパス(国道1号線)開通後は、大阪府道13号京都守口線として現在に到る。 現在は、枚方バイパス(国道1号線)が洞ヶ峠から市内を縦断しているが、主要な交差点が立体交差となっていない事も影響し渋滞が頻発している。2010年に全通した第二京阪道路などによる渋滞緩和が期待されている。
江戸時代には京街道と共に淀川を利用した水運も盛んに利用されており、淀川を往来する舟運の要衝としても栄えた。
京都の伏見港と大阪の八軒家を結ぶ客船である三十石船を初め大小様々な船が行き交い、枚方浜、樟葉浜、樋之上浜、渚浜、磯島浜などの船着場が設けられていた。枚方浜は鶴屋という船宿があった事から鶴屋浜とも呼ばれ、公用にも使われる重要な船着場だったという。 行き交う船に近づき餅や酒を売りつけるくらわんか舟が名物になったのもこの頃である。その様子は、シーボルト「江戸参府紀行」、十返舎一九「東海道中膝栗毛」、歌川広重(安藤広重)「京都名所之内 淀川」「六十余州名所図会 河内 牧方男山」を初め、多くの紀行文などに記されている。
淀川の対岸との交通は、1930年に(旧)枚方大橋が開通するまでは、渡し舟が唯一の交通機関だった。樟葉の渡し(高浜の渡し)、下島の渡し(鵜殿の渡し)、前島の渡し、磯島の渡し、枚方の渡し(大塚の渡し)、出口の渡し(三島江の渡し)で対岸と結ばれていたという。
明治時代には蒸気外輪船が登場し鍵屋浦と鶴屋浜が船着場だったが、鉄道の開通や自動車の発達、道路の整備に伴い、次第に陸上輸送に取って代わられるようになった。
近年、観光や緊急時の輸送手段の確保などのため淀川の舟運を復活させようとする運動が進められている。2000年11月には枚方市の呼びかけにより、大阪府および京都府の淀川沿いにある9市1町が参加する「淀川舟運整備推進協議会」が設立された。
鉄道については、京都と大阪のほぼ中間地点という地理的条件や京阪特急停車駅化により、枚方市駅から京阪京橋駅へ特急で最速15分(準急で23分)、京阪丹波橋駅へ特急で最速18分(準急で26分)という大幅な時間短縮となった。
鉄道路線[編集]
なお、寝屋川市の香里園駅も市境近くに位置し、また香里団地からのバスが香里園駅を始終着とする便も多いため、利用されている。
- 枚方市駅・樟葉駅については特急停車(特急停車駅は、大阪市・京都市と枚方市内のみにある)。枚方公園駅は深夜急行以外の急行が停車する。日中は特急が10分間隔で運行されているほか、急行や準急なども運行されている。
バス路線[編集]
京阪バスが市内だけでなく、空港連絡線や長距離線などを運転している
- 京阪バスによる長距離バス
- 枚方 - 東京(渋谷・新宿)「東京ミッドナイトエクスプレス京都号」
- 枚方 - 徳島「あわひらかた号」
- 樟葉 - 枚方 - 寝屋川 - 関西国際空港
路線バスについては枚方・高槻・香里団地・交野・男山・京田辺の各営業所が管轄している。
道路[編集]
- 1号のみ国土交通省大阪国道事務所高槻維持出張所管理。その他は大阪府枚方土木事務所管理委託
- 大阪府道・京都府道6号枚方亀岡線
- 大阪府道7号枚方大和郡山線
- 大阪府道13号京都守口線
- 大阪府道17号枚方高槻線
- 大阪府道18号枚方交野寝屋川線
- 大阪府道20号枚方富田林泉佐野線
- 大阪府道21号八尾枚方線
- 大阪府道71号枚方山城線
- 全線、大阪府枚方土木事務所管理
- 全線、大阪府枚方土木事務所管理
名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事[編集]
ひらかたパーク[編集]
京阪電鉄系の遊園地。愛称は「ひらパー」。
関西でUSJについで入場者数が多い。 毎年秋に開催されていた菊人形展「ひらかた大菊人形」が有名だったが、2005年12月4日をもって96年の歴史に幕を閉じた。2006年以降は従来の規模ではないが、市と協力して菊人形展を継続している。
市の花が菊である事など、枚方市の象徴的な存在として多くの人に親しまれている。
詳しくはひらかたパークを参照。
七夕伝説[編集]
枚方から隣接する交野市にかけての一帯には、平安の昔「交野ヶ原」(かたのがはら)と呼ばれていた頃から伝わる七夕伝説がいまに残されている。天の川を間に、別れ別れになった織姫と牽牛が、年に一度、七夕の夜に逢って愛し合うという七夕の話にちなんだ地名や旧跡が存在する。 交野市のゆるキャラ「織姫ちゃん」に対して2012年7月枚方市のゆるキャラ「彦星くん」が産業振興キャラクターとして発表され、日本で初となる2市にわたったペアキャラクターが誕生した。
2011年7月より七夕伝説の街として「星の数ほど出逢いのある街ひらかた」をキャッチフレーズに「ひらコン」という街コンが過去7回開催されている。2013年の7月7日(日曜日)には、日本で初の遊園地での街コン「ひらパーひらコン」を開催し1000名の独身男女の出逢いの場を創出した。
2011年秋より枚方市駅周辺にて「京阪 天の川ウォークバル」が2回開催された。2013年には「京阪 天の川グルメバル」と名称変更し、交野市〜枚方市の広域にかけて開催し、バル総選挙による地域ナンバーワンシェフを選ぶグルメの祭典と進化している。
指定文化財[編集]
重要文化財
- 片埜神社本殿(附:棟札)
- 交野天神社本殿(附:棟札)
- 交野天神社末社八幡神社本殿
- 厳島神社末社春日神社本殿
国の特別史跡
- 百済寺跡
史跡
- 5世紀前半頃と考えられている前方後円墳。外堤を含めると北河内最大。
大阪府有形文化財
- 安養寺石造露盤
- 正俊寺石造十三重塔
- 片埜神社東門
- 片埜神社南門
- 田中家住宅鋳物工場
- 田中家住宅主屋
- 釈尊寺木造釈迦如来立像
- 片埜神社石造灯篭
大阪府史跡
- 継体天皇樟葉宮跡伝承地
- 伝王仁墓
- (顕彰規則指定)山田山弥生時代遺跡
大阪府天然記念物
枚方市指定文化財[編集]
- 清泰寺木造普賢菩薩座像
- 清泰寺木造文殊菩薩座像
- 廃渚院観音寺鐘楼
- 廃渚院観音寺梵鐘
- 文徳天皇第一皇子惟喬親王の別荘。平安時代。伊勢物語には交野ヶ原へ狩猟に来た時の話が。
- 意賀美神社の算額
- 村野村高札場
- 鍵屋主屋
- 浄念寺木造不動明王立像
- 和田寺木造薬師如来立像
- 大聖寺薬師堂内厨子
- 銅造誕生釈迦仏立像
- 三之宮神社の湯釜
- 鍵屋全体
- 久修園院地球儀
- 久修園院天球儀
- 釈尊寺大般若経
- 御殿山神社遷宮絵馬
- 尊延寺木造不動明王立像
- 尊延寺木造四大明王立像
- 尊延寺木造地蔵菩薩立像
- 交野天神社末社貴船神社本殿
その他[編集]
枚方八景[編集]
枚方八景とは市制35周年を記念し、市民投票により1984年10月1日に制定された。
愛称道路[編集]
- 鏡伝道
- くずはアベニュー
- とうかえでの道
- 松美ケ丘桜通り
- 日置今池街道
- 出屋敷高野街道
- 王仁公園通り
- 山根の道
- 氷室路
- ほたに小径
- 春日通り
- 御殿山アート坂
- 殿山百済寺道
- 中宮平和ロード
- ふれあい通り
- サンシャインロード
- 万年寺山周道
- グリーンバレー通り
- 淀見通り
- 蹉跎参道
- いちょう通り
- けやき通り
出身有名人[編集]
芸能・文化人[編集]
- 森繁久弥(俳優、枚方市名誉市民、2009年11月没、同年12月に国民栄誉賞)
- 岡田准一 (V6)
- 内藤剛志(俳優)
- もず唱平(作詞家)
- 賀来千香子(女優)
- 五嶋みどり(バイオリニスト)
- ハイヒールリンゴ(漫才師)
- 森脇健児(タレント)
- 坪倉唯子(歌手)
- ミスターちん
- 橘高文彦
- 橋本さとし
- 田中圭一 (漫画家)
- 田丸浩史
- 平井善之(アメリカザリガニ)
- 柳原哲也
- 秋吉英美(タレント・ラジオパーソナリティ)
- 真戸原直人・阿佐亮介・中原一真(アンダーグラフ)
- 松浦雅也
- 畑中フー
- aki (ZEAL)
- Janne Da Arc(youとshujiは神戸市生まれである。)
- Shinya(Dir en greyのドラム)
- SunSet Swish
- COWCOW
- カラスヤサトシ
- 杉永蘭(ファッションモデル)
- デッカチャン(芸人)
- 相ヶ瀬龍史(俳優)
- 井下好井(芸人)
- 竹村延和(作曲家)
- 山像かおり(声優)
- 森公平(新選組リアン)
- 牧野田彩(AV女優)
- おねだり豊 (芸人)
- 中西正男(芸能リポーター)
- 風藤康二(風藤松原)
- 藤田慧(俳優)
- 田中魁秀(将棋棋士)
- なすなかにし(漫才師)
- 笑福亭福笑(落語家)
- 小笠原茉由(AKB48)
- 古川いおり(AV女優)
スポーツ関連人物[編集]
- 厚ヶ瀬美姫(プロ野球選手)
- 新井場徹(プロサッカー選手)
- 安藤麻里(プロボクサー)
- 伊藤雄二(元中央競馬調教師)
- 国吉佑樹(プロ野球選手)
- 小﨑まり(陸上競技・中距離走・長距離走・マラソン選手)
- 高橋成忠(元中央競馬調教師)
- 中谷翼
- 火野裕士(プロレスラー)
- ヒカル・ナカムラ
- 本並健治(サッカー選手)
- 吉永幸一郎(元プロ野球選手)
- 武藤幸司(元プロ野球選手)
- 石田隆司(元プロ野球選手)
- 田中祐樹(プロレスラー)
その他[編集]
ゆかりのある人物[編集]
- 浅田彰(思想家。楠葉地区在住歴あり(『構造と力』初版本著者紹介欄による))
- 上原浩治(プロ野球選手。高校は市内の東海大仰星高校。浪人時代は同じく市内のKEC近畿予備校に通っていた。)
- 岡本茉利(声優。幼少期に枚方に転居し、同地で中学卒業頃まで生活をしていた)
- ダニエル・カール(山形弁研究家。市内の関西外国語大学に4ヶ月間の留学経験がある)
- 亀山努(元プロ野球選手。1999年に枚方リトルを世界一チームにした功績あり。市内在住中)
- 木村政雄(元吉本興業社員)
- キンタロー。(お笑い芸人。関西外国語大学短期大学部卒業)
- 倉木麻衣(歌手。高校・大学ともに京都市内に通っていたが枚方市に在住し通学していた。)
- ジェロ(歌手。市内の関西外国語大学に3ヶ月間の留学経験がある)
- 辛坊治郎(ニュースキャスター。樟葉在住)
- 瀬藤光利(生命科学者。楠葉地区在住歴あり)
- 辰巳琢郎(俳優。結婚後、育児期の約10年間、市内に在住していた)
- 田中和将 (ロックバンド、GRAPEVINEのボーカル、ギター。バンドを結成する以前の少年時代は枚方に住んでおり、楠葉西中学校出身でもある)
- 中西悠子(競泳選手)枚方スイミングスクールコーチ・アテネオリンピック競泳女子200mバタフライ銅メダル
- 細川益男(実業家、馬主。市内の企業、ホソカワミクロンの代表)
- ますだおかだ(お笑い芸人。市内の関西外国語大学短期大学部在学中に知り合う)
- ミサイルマン (お笑いコンビ)の西代洋は枚方スイミングスクール在籍歴があり、中西悠子と練習をしていたこともあった。
- 山路秀則(実業家、馬主。市内の企業、ヤマジの代表)
- リー5世(お笑い芸人。氷室に在住)
- ウソマラ(ユアペディアン。市内に在住)
脚注[編集]
関連項目[編集]
参考文献[編集]
- 枚方市 『郷土枚方の歴史』 枚方市、1997年、322頁
外部リンク[編集]
- 行政
- 観光
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