橋下徹
橋下 徹(はしもと(本来の読み方は「はしした」だった。橋下の母によれば、「徹が生まれた時点で父方の実家との因縁(いんねん)を断ち切る意図のもとに「はしもと」と改めた」という)とおる、1969年6月29日 - )は、日本の政治家。弁護士(大阪弁護士会所属、橋下綜合法律事務所代表)。大阪維新の会代表。大阪市長(第19代)。前大阪府知事(民選第17代)。
目次
経歴[編集]
生い立ち[編集]
東京都渋谷区幡ヶ谷の六号坂通り商店街近くのアパートで幼少期を過ごした。物心ついた頃には両親が離婚しており、母子家庭の長男として、四つ下の妹を含めた三人家族で育った。
暴力団組員の父親が橋下が小学2年生の時に死亡、母親が苦労して家計を支えた。小学5年の頃大阪府吹田市に引っ越し、1年後に大阪市東淀川区に移り住んだ。いずれも、手狭な府営住宅から地元の公立学校に通った。
実父については後述。
学生時代[編集]
大阪市立中島中学校、大阪府立北野高等学校卒業。高校時代の同級生には自民党前衆議院議員の川条志嘉、NHKアナウンサーの藤井彩子がいる。
中学・高校時代はラグビー部に所属(ラグビー部に入部したのは当時放送されていた人気テレビドラマ『スクール☆ウォーズ』に影響されたからである。もう一つの理由は転校した中学校が札付きの不良が特に多い地域の学校であったため、どうしたら自分を守れるかと考えた末、校内で一番強いグループであったラグビー部の番長の下につけば安心と考えたからだという)。3年時には、第67回全国高等学校ラグビーフットボール大会大阪予選を勝ち抜き全国大会に出場。3回戦で伏見工と激闘を演じたものの終了間際にトライを許し、トータルスコア12-16で敗れベスト16で敗退した。(この試合は、近畿勢同士の対戦、かつ関西屈指の名門進学校VS関西屈指の名門ラグビー強豪校の対戦ということで大きな話題を呼んだ。しかもこの試合が1988年(昭和63年)の元旦だったため、会場の近鉄花園ラグビー場が満員札止めになってしまい、同会場の客席改装に至ったとのことである)。後に高校日本代表候補に選ばれ東西対抗にも出場する。
高校卒業後、一年間の浪人生活を経て、早稲田大学政治経済学部経済学科に入学。東京の六畳一間、風呂無し、トイレ共同のアパートで、後に妻となる高校の同級生の女性と同棲を始める(「女性セブン」2011年12月15号に記述)。学生でありながら革ジャンの卸売などアパレル事業をはじめ、騙されて失敗したと伝えられる。この経験が元で弁護士を志す。
弁護士・タレントとして[編集]
1994年に司法試験に合格。1995年春に大学を卒業、2年間の司法修習で法曹資格を得、1997年に大阪弁護士会に弁護士登録。大阪市内にある樺島法律事務所に10ヵ月在籍。
弁護士2年目の1998年、大阪市内に「橋下綜合法律事務所」を設立し、示談交渉による解決を看板にする。飛び込み営業なども行い顧客を集め、年間400~500もの案件を手がける。弁護士としての主な担当業務は企業コンプライアンス、M&A、エンターテイメント法、スポーツビジネスなど。2008年2月6日の大阪府知事に就任後は、事務所を法人化し別の弁護士が運営する。
芸能事務所タイタンと業務提携し、自身のタレントとしてのマネージメントを委託していた。また、同社の顧問弁護士も務めていた。
政治家として[編集]
2007年12月12日、大阪府知事選挙に出馬することを表明。2008年1月府知事選に出馬した橋下は、八尾市の街頭で、「私は(八尾市の)安中地区に住んでいました。」と同和地区に住んでいたと演説した。
2008年1月27日投開票の大阪府知事選挙で183万2857票を獲得し当選。同年2月6日に大阪府知事に就任。
2009年に、世界経済フォーラム(ダボス会議)のYoung Global Leadersの1人に選出された。
2011年11月、自らが掲げる大阪都構想などの政策実現を目的として、任期を3ヶ月余り残して大阪府知事を辞職、任期満了に伴う大阪市長選挙に立候補。
40年ぶりとなる府知事選とのダブル選挙、現職の平松邦夫(12月19日任期満了)との一騎打ち等が注目されたが、結果は750,813票と平松に20万票以上の差をつけて初当選。
同年12月19日、第19代(公選制では9代目)大阪市長に就任した。知事経験者が政令市長に就任するのは史上初である。
私立高校を無料にしろという女子高生工作員を軽々と論破[編集]
橋下市長「朝日や毎日のような主張を言えば政治的中立害さない、というのはおかしい」[編集]
--NHK会長の慰安婦発言で、民主党が追及の構えだが、市長の見解は
「民主党はもうちょっと歴史を勉強したほうがいいんじゃないですか。籾井さんが言っていることはまさに正論ですよ。その通りですよ。あの主張に反論なんかできる人なんていないと思いますよ。僕が言い続けてきたことと全く一緒です。あの意見について、まぁ朝日は毎日、メディアは大誤報やってくれて、主語とかすっとばして、正当化したとギャーギャー言っていたが、籾井さんの言っていることは僕がずっと言い続けてきたことで、あの点についてきちっと反論できる人はいないと思いますよ。もっとね、皆さんも含めてね、歴史を勉強しないといけないし、今この時期、この状況になってね、中国や韓国のこの状況をみて、歴史というものが外交戦争に使われているということもある。日本は今までそういうことやってこなかった。日本の外交官もそういうこと言わずに、とにかく相手の気を害さないようにとやってきたが、中国もね、それなりの力を持ってきて、今までのアメリカ一極の世界秩序の中で我慢するような状況でなくなったときには、歴史については主張してきますよ」
「安重根の問題だって、韓国の主張だって中国の主張だって、彼らの主張でそういう主張あると思うが、日本であんな主張認められませんよ。歴史は当事者によって主張や認識が違うのはあたりまえ。だから自衛戦争だと言っても相手方から見たら侵略だし、相手が侵略と言ってもこっちからしたら自衛だということもある。でも僕はサンフランシスコ講和条約を結んだ以上は、世界から侵略戦争と評価されること、言われることについては日本の政治家として受け入れざるを得ないが、その他の歴史問題については、今までのように黙っていたらいいなんてそんなことやってたら、外交戦争に敗北しますよ」
「どれだけ中国や韓国が今、世界でプロパガンダやっているんですか。今まで日本人は相手の気持ちを害してはいけないということで「言うな」「言うな」となりましたが、慰安婦問題は最たるもの。きちっと言わないといけない。日本人として。認めるところは認め、反省するところ反省する。世界から不当な評価受けるようなことについてはしっかり言わないと」
「アメリカ人もヨーロッパも、完全に勘違いしている。僕が言っているのは、世界の、国際社会においては価値観は多様化している。一定の価値観を押しつけたって理解はしてくれない。でも世界共通の物差しは、フェアかアンフェアか。慰安婦問題はアンフェアです。日本だけを袋だたきするような世界の態度はアンフェだと言えばいい。戦争は悲惨だし、二度とやってはいけないが、そういう状況の中で、似たり寄ったりのことはどの国だってやっていたし、戦争と性の問題は、どの国だって抱えてきた不幸な歴史なんですよ。そういうことは二度と繰り返さない、今の価値観においてはそんなことあってはならない。だけど、日本だけが不当に袋だたきされているのは何故かというと、日本人が主張してこなかったからだ」
「慰安婦問題について、どういう問題なのか。河野談話の問題点とかきちっと言わなかったから。籾井さんの言っていることは至極正当で、民主党はもっと歴史を勉強すべきだし、自民党の方から批判が出るのは非常に残念です。こういう問題になって必ず出てくる政治的中立性ですよ。出ましたよ、またこれ」
「政治的中立性ってね、だいたい何か発言したら政治的な価値観は必ず含まれるものでね。メディアからしたら、毎日、朝日にしたら、籾井さんとは慰安婦問題で反対意見だから、ああいう発言をしたら政治的中立性を害するというが、朝日や毎日のような考えだったらあれも政治的な見解ですよ。ひとつのね。籾井さんの考え方も政治的な考え方。僕の考え方も政治的な考え方。もっと言えば、慰安婦問題について、世界から袋だたきにあっても良いという主張も政治的な考え方」
「だから朝日とか毎日とか、ああいう主張をNHKの会長が仮に言えば、それはまた政治的中立性を害することになる。政治的中立性というのは、権力を使って番組の編集権に介入してくるのが中立性を害するということ。トップが発言すれば、政治的な意味は入ってきます。たまたまそれが、政権側の考え方なのか、朝日新聞や毎日新聞の考え方なのか、どっちかは知りませんが、たまたま今回のような主張を言えば政治的な中立性を害すると言って、朝日や毎日が言っているような主張を言えば政治的な中立性を害さない。そんなのはおかしいです」
「僕は籾井さんが言っていることは極めて正論。日本人が、特に僕らの世代が籾井さんの考え方を勉強して、反論できるなら反論を考えた方が良い。学校現場で。どこが問題なのか。今まではそういうことを考えることなく、発言すること自体がダメという風潮だったが、非常にね、僕が言ったところで世間はわーっと「橋下が言った」ということでこうなったが、NHK会長で、それなりの経歴のある人がああいうことを言われたということで、日本国民はしっかりここで考えなきゃいけないと思う。発言が悪いというなら、どの部分が悪いのか論理的に言わないといけない。論理的に論破できる人はいないと思いますよ」
--政治家や新聞社と違い、NHKは放送法で中立が定められている。受信料で成り立っている。NHK会長が発言したことについては政治的に意味ない発言…なんてのはあり得ないのでは?
「問題ないんじゃないですか。だから、政治的中立性と言うが、政治的に意味のない発言なんてのはあり得ない。何か発言すれば、必ずそこには何か政治的な意味が含まれていて、今まではメディア、特に朝日や毎日がすぐ騒ぐから、彼らが反対するようなことを言わなければ、たまたま何も騒がれなかっただけ。でもそこに政治的な意図は入っていると思いますよ。NHKの番組自体だって、政治的な意図は入っているじゃないですか。慰安婦問題とか、戦争責任を追及した裁判の番組にしたって、番組には必ず政治的な意味っていうのは入っている。でもそれは仕方ない。中立性というものは、現場が何か作るときに政治権力で編集権や番組作るところに介入してくることが問題だが、トップが発言することというのは何ら問題ないと思う。発言したうえで、そのような見解で現場に介入したら問題だと思うが。政治的中立性という言葉も、もうそろそろ、日本人は考えないといけないと思います。何かやろうと思えば、政治的な意味は含まれてくる。政治的中立性というのはどういうことなのかをしっかりしっかり考えないといけない」
--維新としては国会では問題にする必要ないと?
「いやどこが問題なんですか籾井さんの発言の。誰もたぶん、論理的に反論できないと思う。僕が言っていることと同じだから、僕だって論理的に批判受けたら論破する自信はあるが、そういう議論の場が与えられなかったから一方的に悪いと言われたが。籾井さんや僕の発言に問題があるならどこかということ。モラル上は悪い、現在は悪い。当時だって、やっていいことかといったらだめなことでしょう。二度とやってはいけない。でも世界各国、当時、戦争時は似たり寄ったりのことはみんな戦場と性の問題は、現代の紛争においてすらずっとある。古代の戦争からずっとあったわけです。そいうことをどうやって止めるかをこれから考えないといけないが、そういうことはあったのは歴史的な事実。日本も反省するが、日本だけが袋だたきに遭っている状況は『違う』ということを言わないといけない。米国だって、こういうことはやってはいけない、やめていこうと、ヨーロッパや米国の価値観だったらそういう。でも現実問題として、第二次世界大戦とかそれ以降、米国も英国もフランスだって、戦場で女性を性の対象としてみんな利用していた。なぜ日本だけが袋だたきに遭うのか。それは、国家が組織的に女性を拉致した。人身売買した。世界の戦場の性の問題とは特殊なことをやっていたという風に、世界に広まってしまっているから」
「日本だけが特殊だと批判を受けている。日本だけが本当に特殊なんですか。反省はするし、二度とやってはいけないが、日本がやっていたことだけが世界から袋だたきに遭うような特殊性があったなら、どこが特殊なのかしっかり検証しないといけない」
「韓国だって、朝鮮戦争の時には慰安婦制度をしっかり設けてやっていた。なぜ設けるかと言ったら、強姦が多発するとか、性病が蔓延するといろんな理由でね、慰安婦制度を朝鮮戦争の時に持っていたというのは、韓国の軍事史の中でもはっきり位置づけられている。そういうことを検証せずに日本だけ言われっぱなしで、朝日や毎日などのメディアがずっと日本が悪い、一切発言できないような雰囲気を作ってきたからこういう状況になったけれど、ちゃんと歴史を勉強して、戦場と性の問題、どういう事実が歴史的にあったのか、二度とやってはいけないが、日本だけが袋だたきに遭うというのはどういうことか、日本人は考えないといけないと思いますよ」
橋下氏「しつこく言ってやろうと思っている」「慰安婦誤報のケツをふけ」因縁の朝日に激しく“追撃態勢”[編集]
慰安婦問題での誤報を認めた朝日新聞に対して、日本維新の会代表の橋下徹氏(大阪市長)が“追撃態勢”に入った。
記者会見などで朝日批判を展開し、市政担当の朝日記者にも「ケツをふいてくれ」と迫る執拗さだ。朝日の誤報により国際社会で日本への不当な評価が広まったという強い憤りが原動力となっているが、自身の慰安婦発言で朝日が批判の急先鋒だったことなど過去の因縁も少なからず影響を与えていそうだ。「しつこくいってやろうと思う」。橋下氏の怒りはしばらく収まりそうにない。
「朝日には自分たちが日韓関係をこじらせた最大の責任者という認識がまったくない」
橋下氏は、2014年8月8日の定例会見で朝日の検証記事に対する批判を展開していた。次の市長公務の予定が迫る中で「本当はこれをずっとやりたい」と残念がり、しゃべり足りない様子で「どうなんですか、これ」と朝日記者に逆質問した。朝日記者の「言う立場にない」という趣旨の返答に失望した表情をみせ、こう要求した。
「朝日に所属して仕事をやっていくなら、しっかりケツをふいてもらいたい」
朝日は5日、6日付の朝刊で慰安婦報道に関する検証記事を掲載。その中で、昭和57年からたびたび報じてきた「韓国・済州島で女性を強制連行した」という吉田清治氏の証言を「虚偽」だったとし、初報から32年後にようやく関連記事を取り消していた。
橋下氏は朝日の大々的な報道で世界的に「慰安婦=性奴隷」が定着し、国際社会ではドイツ・ナチスのホロコースト(ユダヤ人大虐殺)と同じ土俵で論じられるようになったと指摘。さらに、慰安婦問題は本来、日韓基本条約に合わせた日韓請求権協定で解決していたという認識を示した上で、「朝日の大誤報で韓国の人も踊らされ、日韓基本条約では解決できない問題とたきつけられた」と批判した。
橋下氏が誤報に加えて問題視しているのは検証記事で産経新聞など他紙も同様に吉田証言を取り上げたと言及している点だ。産経は過去に吉田証言を報じたが、その後の取材で証言は「虚構」「作り話」と繰り返し報道している。
にもかかわらず、他紙の報道を取り上げた朝日の検証記事を橋下氏は容赦なくぶった切る。
「言い訳に満ち、検証記事が台無し。読んでいて不快」
橋下氏の憤りの根底には、かつて朝日に煮え湯をのまされた経験がある。
昨年5月13日、慰安婦について「当時は世界各国の軍が必要としていた」と発言した際、批判の急先鋒は朝日だった。
「言語道断で侮辱的だ」。発言からわずか3日後の16日、米国務省の報道官が記者会見で橋下氏の慰安婦発言を非難したが、これは朝日の男性記者が質問して引き出していた。さらに、この記者は慰安婦の表現の仕方について「性奴隷ですか、慰安婦ですか」と見解を迫り、報道官に「われわれは過去に慰安婦と表現した」とかわされていた。
とはいえ、米政府高官が橋下氏の発言に対して強い言葉で公然と不快感を示したのは初めてだったため、ニュースは世界をかけめぐった。
5月22日には橋下氏が視察予定だった米サンフランシスコから受け入れを拒絶する文書が届き、橋下氏は視察を断念。その後もサンフランシスコ市議会で橋下氏に対する非難決議が採択され、発言撤回と元慰安婦への取材を求める決議文が届けられた。
「米国務省の声を引き出し、『アメリカ政府が騒いでいる』『アメリカで大問題』とやった」
「朝日記者が国務省の会見で性奴隷という言葉を使った」
当時、対米で苦境が続いていた橋下氏は朝日に怒っていた。こうした経緯もあってか、朝日が今回、海外に向けて大々的に誤報を伝えようとしない姿勢には我慢できないようだ。
「朝日が本気なら、赤字覚悟で(検証記事の)国際版を毎日刷り、『強制連行はなかった』『性奴隷はやめて』と世界各国に配信するしかない」
橋下氏は近年、常に朝日と対立を繰り返してきたといっても過言ではない。大阪維新の会の候補が出馬し、敗北を喫した昨年9月の堺市長選をめぐり、橋下氏は投開票日直前に政党広告の掲載を拒否されたとして、朝日に対して維新関連の取材を拒否。その方針は今も続いている。
平成24年10月に朝日の子会社である朝日新聞出版が発行する週刊朝日に橋下氏の出自に関する連載記事「ハシシタ 奴の本性」が掲載されたことも火種になった。
橋下氏の反発や社会的な批判の中で連載は打ち切られ、同出版幹部が橋下氏に謝罪。橋下氏もいったんは矛をおさめていたが、昨年4月、週刊朝日に「賞味期限切れで焦る橋下市長」などとする記事が掲載された。
「週刊朝日、朝日新聞が人権侵害報道機関であることを明らかにする」。
橋下氏は激怒し、出自に関する連載記事をめぐり同出版を提訴。怒りの矛先は親会社の朝日にも向かい、ツイッターで朝日の論調を逆手にとりながら謝罪を要求していた。
「日本国は謝り続けろ、アジア諸国に配慮しろ、傷つけた相手には配慮しろ、いつも言っているじゃないか。自分たちの事でも実践しろよ」
「しかし同胞である日本人には冷たいね」
朝日との因縁の戦いでフラストレーションをため続けてきた橋下氏は今、慰安婦報道の誤報というタイミングを逃さずに一気に攻め立てる。8月9日に大阪市内で開かれた「維新政治塾」の修了式ではこう宣言していた。
「やっと朝日が30年以上にわたる誤報を認めたが、しつこく言ってやろうと思っている。ここで終わらせたらいけない」
人物像[編集]
思想[編集]
- 2008年10月23日、私立助成減額をめぐる高校生との懇談の場で、「今の世の中は、自己責任がまず原則ですよ。誰も救ってくれない」と強調している。この対談では、私立高校に通い補助を依頼する高校生に「どうして公立に行かないの?公立で一生懸命勉強すればいい」等と述べている。また『行列の出来る法律相談所』では、母子家庭で貧しく進学できそうにないという学生の相談に「厳しいだろうけど、頑張って欲しい」とエールを送っている。
- 合法でさえあれば道徳にしばられず競争すべきだとしている。例えば、著書の中では「ルールをかいくぐるアイディアを絞り出すことこそ、いまの日本にとって一番必要なんじゃないか!」「明確なルールのみが行動の基準であって、明確なルールによる規制がない限りは何をやっても構わない」「ルールの隙を突いた者が賞賛されるような日本にならないと、これからの国際社会は乗り切れない」などと述べている。そのため、ニートに対しても厳しい姿勢を見せており、『たかじんのそこまで言って委員会』において、ニート対策については「拘留の上、労役を課す」と発言した。「国家予算から単純計算すると、日本に生きるだけで一人あたま47万円の金がかかる。税金を払わない奴は生きる資格がない」というのが理由(「生きるに値しない命」)。なお、旧東ドイツでは一定期間無職であると職種ミスマッチお構いなしの強制就労が待っていた。三清教育隊も参照。
- 「競争の土俵に上がれる者」に対しては徹底的に競争を促す一方で、競争の土俵に上がれない者に対しては特に手厚い支援を推進するという一面も持つ。「障害者雇用日本一を目指したい」と述べて、障害者の法定雇用率1.8%に満たない企業に対して雇い入れ計画の提出を義務づける障害者雇用促進条例を全国で初めて制定したり、障害者支援学校の増設やスクールバスの拡充をするなど、障害者支援政策に積極的に取り組んでいる。
- 山口二郎・北海道大学大学院教授からはその政治手法をファシズムとの洒落(かばん語)で「ハシズム」、精神科医師の香山リカからは「バトルを描いて二者択一を迫るのが得意。世の中には白か黒かでは割り切れないものもあるのに」、薬師院仁志・帝塚山学院大学教授からは「両立し得ない軍隊式官僚主義と市場原理主義を、時と場所に応じて使い分けてしゃべる。住民をどこに連れて行こうとしているのか」と批判されている。しかしこれらの批判者は元々憲法問題などさまざまな点で橋下とは異なる立場であり、橋下も「これらのハシズムとか言っている大学教授や有識者の話を聴いても、『なるほど』という意見は何一つない」と答えている。
交渉術、処世術[編集]
民主旋風が吹いた2009年の総選挙などでは民主党を支持する立場を取っていたが、現在は距離を置き批判などをしている。
大阪市役所に批判電話鳴りやまず。在特会との「罵り合い」で橋下市長イメージダウン(2014年10月)[編集]
大阪市の橋下徹市長と「在日特権を許さない市民の会」(在特会)桜井誠会長との「面談」後、大阪市役所市民局の電話が鳴りっぱなしだ。
面談中の言葉づかいや態度が「市長にふさわしくない」などとして、批判的な意見が相次ぎ寄せられているという。
面談はヘイトスピーチが問題となっている「在特会」が申し入れたことで2014年10月20日に実現した。その前日、橋下市長は「大阪で差別表現をやるのは許しません。『在特会』にはきちっと言おうと思っています」と記者団に意気込みを語っていたが、当日は「意見交換会」とは名ばかりの怒号の応酬に終始した。
冒頭から「あんたが言い出したことだろう」「あんたじゃねえだろ」と互いにけんか腰で、その後も「お前な」「お前って言うなよ!」「うるせえ、お前、お前だよ」と子供の口げんかのような言い争いが続いた。結局、議論自体もほぼかみ合わないまま、橋下市長の「帰れ」との一言で終了。予定時間の3分の1にも満たなかった。
橋下市長は21日の当庁会見で、口げんかのようにしか見えないと言われていることに「マイナスだと感じる人は感じたらいいんじゃないですか。『大人の、市長のふるまいを』というのは簡単ですけど、じゃあやってみろと」とコメント。問題があったとは考えていないようだ。
しかしその裏で「尻拭い」に追われているのが市役所だ。市民局の担当者によると、市民局だけで21日夕方までに約170件の電話が寄せられた。橋下市長を応援するような内容の電話もあったが、およそ6割が「言葉づかいや態度が市長にふさわしくない」といった市長への批判的な電話だったという。
ほかに、代表番号だけで受けた電話や他部署にかかってきた電話などもあるため、市役所への問い合わせ総数はそれ以上になるそうだ。市民局では9台の電話で対応しているが、21日夕以降も電話は鳴り続け、22日夕でも相変わらずパンク状態となっている。
面談中の言葉づかいについては舛添要一東京都知事も苦言を呈している。偶然テレビで映像を見たという舛添知事は21日の記者会見で「あまり見たくない映像でしたね」とした上で、
「カメラも回っている、皆さんも見ている。で、片一方は公人ですから。やっぱり品格があった方がいいんじゃないでしょうか。『お前』とか『あんた』とかいう言葉づかいは、あんまり愉快な感じがしませんでした」と感想を漏らした。
「意見交換会はどちらの言い分に納得しましたか?」と質問したところ、22日17時30分までに約1500票が集まった。そのうち「論評に値しない」(485票)が約3割を占めているものの、桜井誠会長の得票率が51%(804票)であるのに対し、市長は14%(216票)にとどまっている。
趣味・嗜好[編集]
- 好きな音楽はORANGE RANGEの「花」(小説『いま、会いにゆきます』に感動したといい、この曲がこの小説の世界観と大変マッチしていて、聞くと号泣してしまうほどだという。)。
- 巨人ファンである。
その他[編集]
- 身長174cm、血液型はB型。
- 以前は喫煙者だったが、今はタバコをやめて大の嫌煙家である。
- かつては視力が悪く眼鏡をかけていた。レーシック手術を受けて視力が回復した後も伊達眼鏡をかけ続けていたが、知事になって以降はかけていない。
学生の頃[編集]
少年時代[編集]
小学校2年生の頃、父親が自殺。その後、母子は、橋下が小学校5年生の時に大阪の吹田市に転居。1年後に東淀川区にある府営住宅に入った。この地は被差別部落がある一帯だった。
ノンフィクション作家の上原善広によると「府営住宅に申し込んだら、偶然、その地区に当たったようです。母親は息子に、父親が部落出身者だということは教えていなかったと思う。彼は自分のルーツを知らぬまま東京で育ち、その後、たまたま別の部落のある街に引っ越して生活するという、非常にねじれた境遇で育ったのです。」という。また、橋下の母親は府営住宅の家賃に関して同和減免措置を受けるよう誘われたが断り続けたという。
中学・高校時代[編集]
中学一年生の時点ですでに身長は170cm程度あり、落ち着いていて正論を言うので、あだ名が『おっさん』だった。中学二年生の夏、自転車の窃盗で補導された。
ノンフィクション作家の上原善広によると「彼が進んだ中学では、同和教育が行われていましたが、彼はこれに反発しています。卒業文集で、『納得できないのもたくさんある』とあからさまに批判している。中でも彼が最も嫌悪したのは“地元集中”というもの。これは学力の高い子も低い子もまとめて地元の高校に進学させるというもので、学力格差を防ぐための措置でした。橋下はこれに猛烈に反発し、府内屈指の進学校北野高校に進学したのです。しかしそこで彼は浮いた存在になる。中学で同和地区の理不尽さを学び、高校では坊ちゃんが集まるエスタブリッシュメントの世界を見たのです。この過程で彼の中に猛烈な上昇志向が生まれたのだと思います。」という。
橋下本人はtwitter(2011年10月29日)で「僕は学生時代真面目な学生でなかったことは認める。」とコメントしている。
弁護士として[編集]
新米弁護士時代[編集]
早稲田大学政経学部をへて弁護士になった橋下は大阪の樺島法律事務所に入る。
樺島正法弁護士によれば「平成9年、橋下は勤務弁護士として私の事務所に入ってきた。第一印象は元気のいい青年。人当たりのよさそうな雰囲気だった。私の前では常に下手に出て、“先生、先生”と言ってくる。まさか独裁者になるなんて思いませんでした。面倒をみるうち、橋下が異常なほど金に拘る人間であることがわかってきた。飲みに連れて行くと、話題はカネ、カネ、カネ。どこの管財人が何億儲けた、だの、あの弁護士は幾ら稼いだだの、そんなことばかり。橋下は強きに弱く、弱きに強い。金を持っている依頼人への媚びへつらいは酷いものだった。電話でも猫撫で声を出してね。弁護士として品性がないと思いましたね。それで“こいつ早く辞めさせた方がいいな”と感じはじめたのです。独立後の橋下は一件あたり15万円ぐらいの安い案件を保険会社などから取ってきて稼いでいると聞いた。集めた案件を事務所のイソ弁に回してこき使っていた。3日とか1週間で辞めたイソ弁もいるという話だ。ブラック企業ならぬ“ブラック事務所”だね。」という。
樺島法律事務所に入った後、橋下は「同和地区に住んでいたけど私は同和じゃなかった。だから補助金ももらえなかったし、深く恨んでいる。私は同和問題はやりません」と言い、部落解放同盟の朝田善之助派が起こした京都市営住宅の家賃値上げ反対訴訟に参加することを拒否した。
商工ローンの弁護士として[編集]
法律事務所を設立した2年目の1999年から2004年まで、消費者金融大手「アイフル」の子会社である商工ローン企業「シティズ」の顧問弁護士であった。シティズは「利息制限法による引き直し計算とそれを前提にした特定調停・個人民事再生に応じない」「みなし弁済の主張に固執し、多重債務救済手続の支障になる」「連帯保証人を要求し、連帯保証人から債権回収を図る」など、多重債務問題に取り組む弁護士、司法書士、被害者の会などからは対応に極めて問題のある企業として知られていた。橋下はこの時代を含め、「(担当した裁判は)8年間負け知らずだった」と語っている。
マスメディアへの進出[編集]
大阪で弁護士活動をしている中、高校時代の先輩からMBSラジオのラジオ番組に代理出演を依頼され出演。偶然その時の放送を聞いていた朝日放送のプロデューサーから出演依頼を受け、朝日放送『ワイドABCDE~す』にジャーナリストの大谷昭宏と共に出演するようになる。大谷とはその後『スーパーモーニング』や『ムーブ!』でも共演している。同番組の火曜日に出演していたデーブ・スペクターが橋下の存在を知り、橋下が出演した放送のテープを東京に送ったことから在京キー局各社に名前が知られるようになった。
2003年4月から、久保田紀昭の後任として日本テレビ系全国ネットの『行列のできる法律相談所』にレギュラー出演するようになる。同年7月には関西ローカルの『たかじんのそこまで言って委員会』(読売テレビ)でもレギュラーとなり、これらの番組におけるユニークな言動で全国的に知名度が上がっていった。大阪に事務所があり、番組出演の前後に公判を入れることがあるため、出演するのは関西ローカルの番組が多かった。
しばしばタレント・文化人批判や下ネタ発言をする一方、ワイドショーなどでは事故・事件・時事問題について自分の意見を強く述べていた。また、司法問題や法曹界全般、弁護士・裁判官の資質に至るまで幅広く批判していた。このため自身の発言で物議を醸すことも多かった。
大阪府知事選出馬[編集]
出馬表明[編集]
2007年12月に2008年大阪府知事選挙への立候補が報道されたが、当初は「2万%あり得ない」と否定した。後の出馬会見で、実際には自民党の古賀誠・選挙対策委員長、堺屋太一らと東京で会い、立候補を了承していたこと、報道された場合は会談自体なかったことにすることで合意していたことを明らかにした。2007年12月11日、再び大阪府知事選挙への立候補の意思があると報じられ、マスメディアの報道が出馬と否定に割れたが、本人は12月11日午後に再度否定した。翌12日、大阪府庁で行われた記者会見において正式に出馬表明。普段のラフなスタイルと打って変わって髪は黒く、サングラス(色付き眼鏡)も掛けず、スーツにネクタイ姿で現れた。
二転三転した理由については、仕事の調整の手続き上であるとしたが、番組で共演する評論家で友人の宮崎哲弥は、「橋下がウソを付いた理由」もウソであるとし、「自公推薦だけでなく、財界の支援取り付けの確認ができるまで待っていたため」であると述べている。
また、以前から自民党大阪府議会議員から打診があり、12月3日に立候補の正式要請を受けたこと、島田紳助ややしきたかじん、辛坊治郎からの後押しが出馬を決意するきっかけとなったとしたが、たかじんはその後「(知事選出馬への)GOサインを出したかどうかは、微妙だと思う」と語った。
なお、知事選への出馬により、出演しているテレビ・ラジオのレギュラー番組を全て降板することとなり、収録済みの『ムハハnoたかじん』は別番組に差し替えられることとなった。
支持勢力[編集]
2008年1月7日、自民党、公明党共に党本部としての推薦・支持を見送ることを表明し、自民党は「府連推薦」、公明党は「府本部支持」とし、共に府連レベルでの支援を決定した。公明党大阪府議団は、「核武装論など、今までの発言に支持者から反発があった」と過去の言動から「推薦」を見送り「支持」に留め、公明党本部もこれを尊重することを表明した。公明党は同年1月16日新春年賀会に橋下を招き、支持母体である創価学会を初めとする支持者らに橋下への支援を訴えた。また、ネット上では絶大な人気を誇り、ネット社会の寵児であるともいわれる。そのため、安易なネット規制は通信の秘密を侵害するものとして否定的である。親が暴力団関係者であるといった一連のマスコミによる批判が起こった際も、ネットユーザーから橋本氏を擁護するためのマスコミ批判が沸き起こった。
維新政党・新風が「同和対策予算はゼロにします」という橋下の姿勢を評価し、勝手連として支援することを表明した他、2008年1月7日には南部靖之や堺屋太一、井手正敬らが橋下の政策に賛意を示し、勝手連を立ち上げた。
政策[編集]
記者会見では、認証保育施設の増設、公立中学での米食給食の実施、大阪市中心部を石畳とガス灯で整備する、歩行者天国を設置するなどを主張。しかし、それらは大阪市など大阪府以外の自治体が実施権限を持つ政策であったため、自民党府議団と会談した際に、公約となる政策を再度考えてくるよう資料を渡され出直しを命じられた。
府庁改革については、告示前に「府庁解体」を行うとして「ちゃぶ台をひっくり返す」「汗をかかない方は去って下さってかまいません」と発言するなど府庁職員に対して敵対姿勢を見せていたが、その後一転して府庁職員の前で話す際には「皆さん(府庁職員)の盾、サンドバッグになります。一緒にスクラムを組んでください。 」と対応を180度変えた。
知事選挙公約[編集]
- 4つのトライ
- 1.子どもが笑う、大人も笑う大阪に「安心して子どもを産み育てられる大阪に」
「公立小学校に緑があふれる大阪に」 「食育教育の充実で、子どもが伸びやかに育つ大阪に」 「明るく豊かな学校生活がおくれる大阪に」 「多様な府立高校が選べる大阪に」 「ボランティア団体・NPOに活気がある大阪に」 「専門的な公立病院のある大阪に」
- 2.人が集い、交わるにぎわいの大阪に
「メリハリの利いた補助制度がある大阪に」 「商業地域・市街地に人が集まる仕組みづくりのある大阪に」
- 3.中小企業が活き活きし、商いの栄える大阪に
「府庁全体が中小企業振興のサポーターとして働く大阪に」 「大企業の要望を取り入れられる大阪に」 「大阪府立大学という『シンクタンク』がある大阪に」
- 4.府民に見える府庁で、府民のために働く職員と、主役の府民が育てる大阪に
「むだな出費を抑えた大阪に」 「道州制をめざした投資会社大阪府庁に」 「住民への直接サービスは市町村にどんどん権限を委譲」 「府庁は、各市町村にまたがる事業や各市町村の調整、また大阪府の方向性 を決定する司令塔の役割に徹する組織を再編」 「現在の大阪府の事業は、効果が見えにくいプロジェクトや単なるお金貸しの事業ばかり。今後は、効果がはっきり見える事業にしか投資しない」 「府議会からのチェック機能が働く大阪に」 「情報公開の徹底した大阪に」 「大阪の笑顔のために、国とたたかう大阪に」 「府職員の士気が満ちあふれる大阪に」
- 17の重点事業
- 「(仮称)出産・子育てアドバイザー制度」を創設
- 小児科・産科の救急受け入れを促進
- 妊婦一般健康診査の受診回数を拡大
- 乳幼児医療費助成を拡充
- 不妊治療費補助を拡充
- 駅前・駅中に保育施設の整備を促進
- 子どものいる若い夫婦への家賃補助制度を創設
- 障がい者や高齢者への公共公益活動を支援
- 大阪府内の公立小学校などの運動場を芝生化
- 大阪府内の全公立中学校に給食の導入を促進
- 安全な地域づくりをめざして防犯カメラの設置を支援
- 大阪府内で冬季イルミネーション・イベントを実施
- 「石畳と淡い街灯」の街をつくる
- 中小企業活性化のため大規模コンベンションを開催
- 大阪の活力アップのため知事による積極的なセールスを展開
- セーフティネットを除き大阪府が出資する法人を抜本的に改革
- 府立施設や府の事業で必要性のないものは民営化・売却を促進
選挙戦[編集]
推薦・支持している自民党と公明党は表立った支援をせず、選挙対策本部は所属事務所タイタンと高校時代のラグビー部OBを中心とし、政党色を薄めた選挙戦を展開。自民、公明の大阪選出国会議員、地方議員がいっさい応援演説をせず、著名人の応援は選挙戦終盤に来た参議院議員・丸山和也と宮崎県知事・東国原英夫程度であった。7人の子持ちであることを前面に押し出し、「子供が笑う」をキャッチフレーズに「4つのトライ」と17点の重点事業をマニフェストとして掲げた。
選挙戦中盤の1月20日には、橋下のテレビなどでの言動を問題視した300万枚もの選挙法定ビラ(対立候補の熊谷貞俊事務所と同所在地にある団体が作成)が新聞折込広告として府内に配布された。
最終的には対立候補に80万票以上の大差を付けて当選。当選当時の都道府県知事の中で最も若い知事となった。いわゆる「タレント知事」の誕生は大阪府では横山ノック(2期を務め、途中で辞職)以来13年ぶり。弁護士出身の現職知事は愛知県知事神田真秋に次いで2人目である。公選の大阪府知事としては初の東京都出身である。38歳の公選知事は歴代3番目の若さである。
当選直後から各種メディアに出演。1月29日には内閣総理大臣・福田康夫を表敬訪問。また、知事就任前に大阪府庁に登庁し事実上大阪府知事としての職務を始める。自民党大阪府議団の一室を借り、事実上の仮知事室として府職員と就任後の2008年当初予算の作成、政策協議を行う。
大阪府知事として[編集]
財政非常事態宣言[編集]
2008年2月6日に大阪府知事として大阪府庁に初登庁。就任の記者会見で財政非常事態宣言を出し、2008年度当初予算では前年度比で1000億円削減することを明言。現行4176万円の知事退職金を半減させるとした。6月5日には府の財政再建に道筋をつける為の「財政再建プログラム案」を提示。「収入の範囲内で予算を組む」という選挙公約に則り、事務事業・出資法人・公の施設について多岐にわたる見直しを行なった。その結果、3年間で計2441億円(一般施策経費919億円、建設事業費239億円、人件費1283億円)の歳出を削減したほか、613億円の歳入を確保した。
2008年から2010年にかけての「財政再建プログラム案」の主な取り組みは以下のとおりである。
- ハコモノ集客施設を中心に公の28施設を廃止、見直し
- 大阪府指定出資法人44法人に対する廃止・見直しを行い、28法人に削減
- 知事給料月額30%カット・ボーナス30%カット・退職手当50%減額、一般職員給料月額カット(16%~3.5%)、ボーナスのカット(10%~4%)、退職手当の減額(10%~5%)、住居・通勤・管理職手当のカット、旅費制度の見直し、職員互助会等補助金の廃止。一般職員退職手当の減額は都道府県で初めて
- 非常勤職員の雇用単価の見直し。休職制度の見直し。警察専門嘱託員の人員削減と報酬月額カット
- 義務教育等教員特別手当の見直し。教育関係非常勤職員費の見直し(単価カットと新規任用停止)。時間講師・府立学校教務事務補助員雇用費の縮減
- 私学助成と府立大学運営費交付金の見直し
- 府営住宅の管理費縮減、修繕・建て替え整備費用削減
- 市町村施設整備資金貸付金制度の再構築
- 文化関連事業の見直し(センチュリー交響楽団への補助金削減、文化情報センター・現代美術センターの廃止、ワッハ上方の運営費縮減、芸術文化振興補助金の重点化、大阪文化賞の再構築、大阪21世紀計画事業推進費の廃止)
- その他各種事業(大阪府人権協会補助金、人権相談推進事業費補助金、男女共同参画関連事業、観光振興事業、子育て支援関連事業、救命救急センター運営関係事業、高齢者の生きがい・地域生活支援事業、地域見守り・コーディネーター関係事業、障がい者就労支援関係事業、病院事業費負担金・病院事業貸付金、地域就労支援事業、小規模事業経営支援事業費補助金、企業立地促進補助金)の見直し
- 歳入の確保(府有財産の売却、市町村施設整備貸付金の繰上償還、基金の活用、出資法人からの歳入確保、自動販売機設置業者の公募、退職手当債の発行、行政財産使用料・普通財産貸付料減免の見直し、義務教育費国庫負担金の受入増)
情報公開[編集]
2008年2月6日の知事就任記者会見で、「情報公開の徹底」を選挙公約に掲げたことを踏まえた「情報公開室」の設置を表明。「どんな情報を出すのか」という記者の問いに、「基本的には、あらゆる情報」と答えた。4月23日の記者会見では、「知事職という独裁者的な職を民主的にコントロールしてもらうために、情報公開が必要不可欠」との認識を示し、「透明度日本一の府政を目指す」と語った。
2011年9月1日、全国市民オンブズマン連絡会議が発表した「2010年度全国情報公開度ランキング」において大阪府は満点となる70点を獲得、2007年のランキングでは都道府県で28位だった順位も1位タイへと上昇した。
知事任期中に実施した「オープン府庁(究極の情報公開)」と呼ばれる取り組みは以下のとおりである。
- 「予算編成過程の公表」…全国で初めて、各会計(一般会計、特別会計、企業会計)ごとに、予算編成過程における各段階(財政課長要求・査定、総務部長要求・査定、知事要求・査定)の内容を府のウェブサイトで公開
- 「公金支出情報の公表」…全国で初めて、約3000ある府の全事業について、公金を支出した翌日に府のウェブサイトで担当課名、支払日時、事業内容を公開
- 「施策プロセスの見える化」…府のウェブサイトに「府民チェックボード」と「オープン府庁ポータルサイト」を設置。所属ごとに業務・施策の「概要」や「発端」情報、上司との打ち合わせや会議などの進捗状況を時系列で掲載
- 「府民の声の見える化」…府の全部署に寄せられる府民の声を、各部署で「府民の声システム」へ登録。府民課が内容に応じて赤フラグ(申出者へ連絡するもの)・青フラグ(業務・施策反映を検討するもの)・フラグなし(トレンド分析に活用するもの)の仕分けを実施。各部署で検討を行い進捗状況をウェブで公表
方針撤回[編集]
選挙戦で公約した「原則として府債を発行しない方針」を当選後の2008年2月に撤回。2008年度の暫定予算案において、「発行しないと府民生活に影響が出る」との説明のもと、建設事業費として160億円の府債を発行する方針を発表した。さらに、「ギリギリまで発行を抑えたが、後半にどんとついてくる」と発言しており、府債発行を増額させる可能性を示唆している。
学力別クラス編成導入について、選挙中に「塾でもやっていることが、なぜ公立の学校でもできないのか」として熱心に導入を呼びかけていたが、文部科学省の銭谷真美事務次官などの反発もあり、2008年2月13日にこれを撤回。「基本となるクラスまで学力によって分けるのは反対」と正反対の見解を述べた。また、約600億円(生徒児童一人あたり約37万円)に上る私立学校助成金の削減を検討していたが、これも撤回。次年度以降も当面続けることを明らかにした。
府議会、組合との対決[編集]
4月11日、総額1100億円の予算削減を行う財政再建プロジェクトチーム案を発表。この案を元に議論を進めるとし、「賽は投げられた」述べた。この案は、職員人件費の大幅削減、警察官の定数削減、私学助成金のカットや助成団体への補助金見直しを含む大胆な案で、賛否入り乱れた大きな反響があった。4月17日には、市町村への補助金カット反対を訴える市町村長との交流会で、感極まって涙を見せる一幕を見せた。
6月5日には、試案を若干見直した「大阪維新プログラム」と称した案を発表。人件費や私学助成金など固定費を375億円削減し、全体で1100億円の歳出削減を図る骨子は変わらなかった。6月20日には、職員労働組合との徹夜の団体交渉に挑んだが、組合員から時節罵声が飛ぶなど荒れた雰囲気の中、両者の主張は平行線をたどり結局決裂したまま予算提出となった。
7月1日からの臨時大阪府議会では、府側が提出した2008年度本予算が審議され、知事与党からも厳しい批判がなされたことから予算の見直しを表明した。しかし、府議会各会派の足並みの乱れもあり、私学助成金や人件費のカットについて18億円の小幅修正を行った案が、共産を除いた主要3会派(土壇場で賛成に回った野党民主を含む)で可決された。
治安・暴力団対策[編集]
「安全な地域づくり」を選挙戦で公約していた橋下は、2008年9月26日の定例府議会において、「大阪の犯罪情勢は依然として厳しい」との認識を述べた上で、「街頭犯罪ワーストワンを返上する」と明言。翌2009年4月、警察・知事部局・教育委員会などが連携して行なう総合的な治安対策の司令塔として、府庁内に「青少年・地域安全室」を新設した。翌2010年に大阪府は、11年間続いていた街頭犯罪件数全国ワーストワンと、35年間続いていたひったくり件数全国ワーストワンを返上。大阪府の犯罪認知件数は、知事就任前である2007年の216,303件から、2010年には164,096件へと24%減少し、同時期に全国の犯罪認知件数が17%減少したことを上回った。
知事任期中に実施された主な治安対策は以下の通りである。
- 防犯カメラ1700台(府内104駅の周辺に1250台・街頭犯罪多発地域に450台)の設置(府の全額補助)
- LED防犯灯を街頭犯罪多発地域に1940台設置(府の50%補助)
- 大阪府警第2枚方警察署(仮称)の新設、第2科学捜査研究所・証拠品管理センターの設置
- パトカーや捜査用車両への車載カメラシステムの導入
- DNA型鑑定器材、捜査用撮影資器材など第一線警察活動の資器材強化
- 悪質重要事件捜査支援システムの整備
- 小学校の空き教室を利用して地域の防犯活動拠点とする「地域安全センター」を府内126校区に設置
- 府内各土木事務所に警察官を配置し、地域住民による自主防犯活動を支援
- 地域住民では実施困難な深夜の青色防犯パトロールを府内24市で委託事業により実施
- 巡回指導や声かけ活動などを実施する「少年補導センター」を府内17市町で設置推進
警察官定数について、2008年4月に策定された「財政再建プログラム試案」では520人の削減が盛り込まれていたが、大阪府警や府議会の強い反発を受け撤回。その後は一転して、2009年12月17日に橋下自ら警察庁に赴き安藤隆晴警察庁長官に警察官定数増を要望。2010年度当初予算で102人、2011年度には86人と、警視庁に次ぐ規模の警察官増員を計上した。
2008年3月24日、橋下は大阪府議会警察常任委員会に出席。大阪府知事が警察常任委員会に出席するのは30年ぶりであった。委員会で橋下は、暴力団について「暴力を背景とする脅しを武器に、国民や企業、近年では行政機関等から不当な利益を得ている集団であり、暴力団こそまさに府民の敵、社会の敵である」と述べた上で、「公共調達における暴力団の関与については、府民の貴重な税金が暴力団の資金源となる可能性もあり、非常に憂慮すべきこと」、公共事業の下請け業者からの暴力団排除を「府警本部とも協議しながら進めていく」と語った。
2010年9月の定例府議会において、暴力団の「下請けを含めた公共工事からの排除」という独自の規定が盛り込まれた。
2010年8月12日の記者会見で橋下は、暴力団の資金源とも指摘される貧困ビジネスを規制する条例を検討していると表明した。橋下は府の担当部局から、貧困ビジネスは「民間対民間の取引なので(規制は)できない」と言われたため、「自分で(条例案の)ドラフトを書いた」と明かし、「福祉担当者や弁護士がこの条例を元に、悪い業者と戦うことができる」と説明した。その後、10月27日の定例府議会において、貧困ビジネスを規制する全国で初めての条例「大阪府被保護者等に対する住居・生活サービス等提供事業の規制に関する条例」が可決・成立、2011年2月1日から施行された。
教育非常事態宣言と教育改革[編集]
- 知事就任後、2008年9月5日の記者会見で、全国学力テストの成績が2年連続で低迷したことを受け、「府の現状について『教育非常事態宣言』を発する」と述べ、教育力向上への取り組みを徹底する考えを示した。橋下知事は「府教育委員会が前回の(学力)テスト後に『方策を取る』と言ったのに、全く改善されなかった」と理由を説明。「教員が逃げているだけ」として、正答率も含めた学力テストの市町村別結果を公表する必要性を強調した。また、9月末で2人が任期切れを迎える教育委員について「僕の考えに共鳴する人に多数を取ってもらいたい」と述べ、その後「百ます計算」で知られる陰山英男と「小河式プリント」の小河勝を任命した。
- 翌6日には、枚方市で開かれた日本青年会議所大阪ブロック協議会主催のフォーラムで、「PTAが機能していない故の現状であり形式主義に陥っている」として「PTAを解体する」、全国学力テストの市町村別結果を公表するよう府教育委員会が市町村委員会に要請する事について「指導助言が無視されるようなら府教育委員会も解散する、小中学校課の予算は付けない」と発言。
- 同年12月には、「子供の安全」と「学力向上」のため、小中学校への携帯電話持ち込み禁止を行うよう府教委に要請した。
- 前知事が府内の全公立小学校に導入した「35人学級」について、「負担に見合う効果があるか疑問」として見直しを検討する意向を示した。また、「画一的に少人数にすればいいというものでもない。基礎ができている子の場合は、200人くらいでも授業は成立する。」との見解を示した。
- 2011年度から大阪府内の公立高校10校を「進学指導特色校」に指定し、これまで府立高校から約1000人だった難関国立大と難関私立大への合格者の6割増を目指すことを発表。また体育科を設置する高校と教育センター付属研究学校も同時に設置予定で、「学力に加え多様な進路希望に対応する」という主張に沿った内容となる予定。
- 大阪府立大学について、「存在意義が十分理解されていない」として、廃止や大阪市立大学との統合を含めて検討する方針を示した。
- 府立高校の入試制度について、学業成績以外にスポーツなどでの評価を重視する、多様な入試制度プランを提唱している。
- 教育バウチャー制度への意欲を示している。
府庁移転問題[編集]
大阪府庁を大阪ワールドトレードセンタービルディングへ移転する提案を出したが、条例は2009年3月議会で否決された(入居を見込んでいたビル側はこれにより会社更生法適用が確実となる)。直後の記者会見で「やっぱり日本は北朝鮮じゃないってことですよ。何でも思い通りに物事を進めたら独裁者になってしまう」と発言。引き合いに出されたことを抗議しながら生徒保護を求める文書を朝鮮学校保護者会「大阪府オモニ会」から手交された。 これを受けて、北朝鮮によるミサイル発射の際、「大阪にも多くの北朝鮮籍の人が住んでいる。言論の自由が保障されている日本に住む北朝鮮籍の人は、北朝鮮の今の体制について厳しく批判しないといけない。国民に変える気概がなければ、国は変わらない」と述べた。
同和問題[編集]
2008年3月の府議会で、橋下は「私はいわゆる同和地区で育ったが、同和問題は全く解決されていない。ただ、差別意識があるからといって、特別な優遇措置を与えていいのかは別問題。一から総点検していただく」、「この問題に真っ正面から取り組まないと人権問題、同和問題は解決しない。逃げてはいけない」と述べた。
2008年8月7日、府連との政策懇談会を大阪府庁内の会議室で開き、 部落問題解決に向けた施策のあり方などについて意見交換した。橋下は「いわゆる同和地区で育ってきた。都道府県の知事のなかで同和問題について一番知り尽くしていると自負している。みなさんの協力をいただきながら、できる限り解決していきたい」と述べ、戸籍謄抄本などの不正取得防止へ本人通知の制度を考えたいとの意向も示した。また、差別意識をなくすために何が必要かのやり取りの中で、「部落差別の根本は「血」への差別だが、それはなくなってきている」と述べ、「経済的困窮者が集まってきているところという外形的な差別に切り替わってきていると思う」と持論を展開した。
関西三空港問題[編集]
関西国際空港活性化の要望をするために出向いた際、関西三空港のあり方について記者団に対し「伊丹空港の廃止も含めて検討し、きちんと方向を出さないといけない」と述べた。一時は撤回したが、2009年に再び伊丹空港の廃港を主張し、兵庫県の井戸敏三知事と対立する。
肖像権問題[編集]
府知事選出馬前、雑誌「フライデー」に無断撮影されたことで光文社を肖像権侵害で訴えたが敗訴。控訴しない旨を明らかにし、判決が確定した。また、7月25日、橋下の肖像画を無断使用したお菓子を池田市の第3セクターが販売しようとしたのに対し「法的措置も辞さない」とした。しかし翌日になって「盛り上がるなら使ってもらってもよいが、品質保証はできない」と述べ、肖像画使用を黙認。この騒動について、本人は池田市長との出来レースだったと述べている。
会計制度改革[編集]
自治体の公会計制度について、「民間の収入と公会計の収入が全然違うことに非常に戸惑いを感じる」と、その判り難さを指摘していた橋下は、新しい会計制度の導入を検討。大阪府は当初、総務省が2006年に公表した新地方公会計「基準モデル」を採用する方針だったが、橋下は「財務マネジメントに生かせる会計制度にすべきだ」として、出納整理期間などの問題点が指摘されていた総務省基準モデルの採用を見送り、東京都が2006年から採用している新公会計制度を参考に新システムを構築することを目指した。
2009年4月17日、東京都の石原慎太郎知事は記者会見で、「大阪の橋下知事から(東京都と同じ会計制度を)導入したいと言われた」と明かした上で、「先進国で複式簿記・発生主義をやってない国は日本だけ」「会計制度そのものを変えないと国民の不安・不満は解消できない」と、かねてからの持論を展開。さらに石原知事は、会計制度改革について「特に大阪が熱心」と述べ、都の関係者を大阪府に派遣してサポートする意向を示した。一方の橋下も同月28日の記者会見で、府の会計制度改革について「共同で、連携で東京都とやっていく」と明言。同年6月1日には「大阪府新公会計制度プロジェクトチーム」を府庁内に発足させ、大阪府と東京都の間で関係職員の相互派遣を開始。 同年12月25日、新公会計制度導入に向けた中間報告を取りまとめ、翌2010年8月16日には「大阪府の新公会計制度案」を公表した。
大阪府の新公会計制度案では府の事業を251に分類し、事業ごとに人件費も含めた収支を計上。借金も府の収入に組み込まれるこれまでの単式簿記・現金主義から、複式簿記・発生主義へと転換。固定資産についても、サービス能力の低下に応じて帳簿価格を減額する減損会計を導入し、府債の残高や利払いの状況も実態に即して解り易く表記するように改めるとした。新制度について、大阪府は2011年度にシステムの試験運用と職員研修を行なった上で、2012年度からの本格導入を予定している。
橋下はこの新公会計制度を「全国に波及させていきたい」と述べており、国に対しては、2009年10月30日に行なわれた総務大臣とのテレビ会議の中で、「公会計制度を、きちんと組織マネジメントができるような、企業会計原則に近い正確な情報を出す制度にしないといけない」と発言、原口一博総務大臣(当時)は「公会計制度の抜本改革については、バランスシート経営、それからキャッシュマネジメントという考え方を入れていかないといけない」と応じている。また、全国知事会に対しては、同年11月12日に行なわれた全国知事会の行政改革プロジェクトチーム会議において、「複式仕訳に基づく新会計制度の早期導入を、先進県の協力の下、全都道府県で検討」すべきと提案している。翌2010年11月11日には、大阪府と東京都との共催により都庁で行なわれた「公会計制度改革シンポジウム」で、全国の自治体関係者など約500名を前に講演。「現金主義の官庁会計では財務情報が見えず、単年度の資金繰りの帳尻合わせに終始してしまう」「民間企業では当たり前の複式簿記・発生主義による財務諸表を作成し、正確な財務情報を明らかにすることで、将来を見通した地域経営が可能となる」「財務マネジメントを実践し借金漬けの運営から脱却していくには、会計制度の改革が必要である」と語った。
首長連合[編集]
横浜市の中田宏元市長や松山市の中村時広前市長(現愛媛県知事)らとともに「首長連合」を結成する。「首長連合」は2009年の衆院選で民主党への支持を表明したため、大阪府知事選で橋下を支援した自民公明両党から「裏切りだ」との声が上がった。選挙後、落選した中山太郎自民党大阪府連会長は「考えもしなかった態度」「信用できない」と橋下を非難した。
普天間基地移設問題[編集]
「あくまで個人的な見解」としながらも、普天間飛行場の関西国際空港への移設について「国から正式な話があれば受け入れる方向で考えたい」と述べた。また、同時に神戸空港の活用についても言及したところ、神戸市の空港事業室長から知事あてに抗議電話があったとし、「公務員が政治家に厳重抗議するのはおかしい」と批判した。なお、この件では、神戸市室長は「抗議するとは言っていない」と困惑した。
大阪府再編構想[編集]
2010年1月12日、公明党の年賀会で「競争力のある大阪にするためには、一度大阪府を壊す必要があるし、大阪市も壊す必要がある。来たるべき統一地方選挙において、大阪の形を1回全部解体して、あるべき大阪をつくりあげる」と述べ、府と市の枠組みを取り除き、広域行政によって「ひとつの大阪」を目指す考えを示した。その上で、きめ細かな住民サービスを行うため東京23区のような特別区の導入も検討しているという。橋下は2011年春に行われる大阪府議会および23の市町の選挙(統一地方選挙)に向けて大阪の形を変えていきたいと主張し、政治グループを立ち上げる決意を示し、2010年4月19日、大阪都構想の実現を掲げる地域政党大阪維新の会を結成、自らが代表に就任した。
カジノ及び風俗街構想[編集]
「ギャンブルを遠ざける故、坊ちゃんの国になった。小さい頃からギャンブルをしっかり積み重ね、全国民を勝負師にするためにも、カジノ法案を通してください」「こんな猥雑な街、いやらしい街はない。ここにカジノを持ってきてどんどんバクチ打ちを集めたらいい。風俗街やホテル街、全部引き受ける」等と述べ、賭博の合法化と大阪花博を機に行政指導により撤廃された風俗街の復活を訴えた。
大阪市長として[編集]
- 2014年2月7日、大阪都構想実現のため、出直し市長選挙実施にむけて大阪市長の辞職願を同市会議長に提出した。
- 市長就任後の政策として、現在大阪市交通局が運営している市営地下鉄・ニュートラムと市バスの民営化計画を打ち出している。
生活保護[編集]
2013年3月16日、「大阪市の職員164人の親族が、生活保護を受給していた」ことが判明した。これは、大阪府「東大阪市の職員30人の親族の生活保護受給」が発覚した後、大阪市で調査した結果、明らかになった。
橋下はこれを受けて、大阪市職員に対し「職員には自分の家庭もあるだろうが、節約して親族をサポートしてもらう」と述べ、「生活保護を受給している親族に仕送り」する様に促した。
公募校長制度[編集]
市長選において市立の小中学校の校長公募制度を公約に掲げ、2013年4月より市教委が導入した。
- 公募校長が、市教委に助言を求めたことで、「教務主任や生徒指導主事等への推薦者を、教員同士の投票で選ぶ」という規定の存在が、あらためて注目された。この規定は、30年以上前から存在していたが、人事権は校長にあるため、問題視されていなかった。しかし、今後問題が生じるおそれもあるとして見直されることとなった。
- 教育評論家の小林正は「人事権の掌握は組織の管理運営の最大の武器。教員による偏向教育などの問題が起きても、校長には止められなくなってしまう」と、警鐘を鳴らした。公立学校には、学校教育法37条に「校長は校務をつかさどり、所属職員を監督する」という法律がある。文科省も「校内人事は校長の権限で行われなければならない」としている。
- 市教委は、「規定は不適切。無視して校長が人事を決めればいい」、「教員の理解を得ながら進めた方がいい」とした為、公募校長は、選挙は行わず、全教員から意向を聞き、最終的に人事を決めた。法に無い規定には手をつけなかったが、教員や保護者が「独断的な学校運営」と苦情を出した為、市教委事務局は、一時、校長の更迭を検討する事態となった。
- 橋下は定例会見で、「何の責任もない教員が選挙で人事を決めるのは民主的でもなんでもなく、秩序を乱す。感覚が狂っている」と発言した。その結果、教育委員は「規定について全校の状況を調べる必要がある」とし、全市立学校約460校の調査に乗り出すことを決めた。市教委幹部は「複数の校長から選挙の存在を聞いた」と話している。大阪市の公立学校の事態が、深刻である可能性もある。
- 港区の小学校長が児童の保護者らへのセクハラで懲戒処分を受けて更迭されたほか、市教委に無断でアンケートを実施した西淀川区の小学校長が厳重注意を受けたり、住之江区の小学校長が「スキルを生かせない」「給与が低い」などとして就任からわずか約3か月で自主退職するなど、採用者11人のうち6人が不祥事やトラブルを起こす事態となった。その後も生野区の中学校長が教頭と口論の末に土下座をさせるトラブルが発覚している。
大阪市議会[編集]
これらを受けて、大阪市議会は、2014年度一般会計当初予算案から公募校長の採用経費など計7500万円を削除する修正案を可決した。
- 2014年10月21日、市長の退職金を廃止することを表明した。約4000万円の大阪市の特別職の報酬などを廃止する。政令指定都市では初めてのこと。「実行することが自分の責任。退職手当は全国で廃止すべきだ」と意欲を示した。
時事問題についての見解・発言[編集]
教育について[編集]
- 教育問題に関しては、暴力的で現代では虐待や傷害罪になる程厳しいしつけや体罰を肯定する発言が多く見られる。テレビ朝日の特番『発足!芸能人PTA』では、『いじめ行為に加担していた自分の子供を(体罰として)50分近くも投げ続けた』ことを告白し、「口で言って解らない年齢の子供には、痛み(体罰)をもって反省させることが重要」と主張。体罰に否定的な教育評論家の尾木直樹と論争になった(番組で同席していた梅沢富美男も「自分の子供を投げ続けて反省させるなんて、尋常の考えでは出来ない。理屈じゃねえんだよ。」と橋下の主張に賛同を示した。)。また、「たかじんのそこまで言って委員会」、「ムハハnoたかじん」で、戸塚ヨットスクールの戸塚宏と議論をしたことがある。
- 「日本は他国に比べると、学力テストの結果が低いと言われているが、社会に出ると何の役にも立たない学校の勉強(英・数・国・理・社)は重要なものではなく、学校で詰め込むべきではない。また、これらの勉強は大人になってからでも、本人のやる気次第で十分習得出来る。現在の学校の勉強とは、受験のための手段に過ぎない。真に必要なのは『人の上に立つ学問』ではなく『人の役に立つ学問』である。学校で最低限教えるべきなのは読み書き、そろばんと、目上の人間に対する礼儀だけでいい。子供に無駄な知識を強制的に詰め込み、それで優劣をつけるような教育をすると、人格が歪んでしまう。それよりも子供のうちは、太陽の下で思いっきり遊ばせて、ご飯をいっぱい食べさせて、ぐっすり眠る習慣をとらせるべきであり、また、机の上での勉強だけでなく、ボランティア等に積極的に参加させ、社会体験を身につけさせるべきである。」と、現在の日本の詰め込み教育を批判している。(「たかじんのそこまで言って委員会」での発言。)
- 自分の嫌いな科目を「くだらない」と決め付ける幼さもあり、ニッポン放送のテリー伊藤のってけラジオにゲスト出演した際に「物理なんてあんなくだらない物やる必要が無い」と発言している。
- 「いじめられっ子に対して、『いじめられている現状から逃げるな!』と言う人がいるが、つらい思いをして学校に通い、いじめに耐えられず自殺をするくらいなら、僕は、転校するなり退学するなりして逃げてもいいと思う。逃げることは恥ずかしいことではない。何も学校だけが人生の全てではない。学校以外にも道はあるはずだ。」(2008年3月放送・朝日放送特番「いのちと向きあう春」での発言)
司法について[編集]
- 元ライブドア社長の堀江貴文が有価証券報告書の虚偽記載で実刑判決を受けたことについて、堀江は社長を辞任しており再犯の可能性もないのに、罪を認めないと執行猶予がつかないというのは、政治資金収支報告書の虚偽記載など他の犯罪に対する刑とのバランスがおかしく、(堀江に厳しい)世論になびいてるとしか思えないとして「司法に失望した」と述べた。
- 日本弁護士連合会が憲法・法律・死刑執行に関し度々意見表明をする事について、自らも弁護士でありながらSAPIO2007年6月27日号で『悪徳弁護士を一掃できない! 自浄能力なき「弁護士会」は解散すべし』と題し「問題は、この弁護士会が政治的な意見表明を行っていることである。(中略)こういう組織は政治的な意見表明をしてはいけないという当たり前の事を、理解していない弁護士が多いのだ。」と批判。
- 「附属池田小事件」発生時、「被告人を速やかに死刑にすべき」という寄稿を週刊誌で発表した。その後、死刑判決を望んでいた被告人から弁護人を通じ、早期の死刑実現に対する援助を依頼する手紙が届く。橋下は、被告人が遺族に謝罪するという条件付で了承する旨、返答した。しかし、被告人からの返事の手紙には、人生に対する恨みや苦悩は書かれていたが、遺族への謝罪や反省のコメントは書かれていなかった。2004年、橋下は「たかじんのそこまで言って委員会」において、この手紙の内容を公開・朗読した。また、被告人に対して同情的発言をしていた真宗大谷派の僧侶について、「こんな手紙を送る奴を援護する京都のクソ坊主に腹立つ」と発言した。
政治について[編集]
- 「たかじんのそこまで言って委員会」で、「日本の一番情けないところは、単独で戦争が出来ないことだ。」と発言。徴兵制度の復活を主張している。
- 「歴史的経緯のある特別な永住外国人について、当然これは参政権を与えるべき。」、「その他の永住者については時期早尚」としており、在日韓国・朝鮮人・台湾人の外国人参政権を容認していると見られる。
- 「競争の土俵に上がれる者は、徹底的に競争させるべき。」との立場で、ニートにも厳しい立場。「たかじんのそこまで言って委員会」において、ニート対策については「拘留の上、労役を課す」と述べた。その理由として「国家予算から単純計算すると、日本に生きるだけで一人あたま47万円の金がかかる。 税金を払わない奴は生きる資格がない」ためであるとしている。
- 著書の中では、『別に政治家を志す動機付けが、権利欲や名誉欲でもいいじゃないか』と述べている
- 橋下は上記のように改憲・右派という部類の弁護士であるが、地方での講演依頼の中には「憲法9条改正反対」や「核廃絶」などについての依頼もあって(これは弁護士は人権擁護や護憲・平和維持に熱心であるはずという、社会の先入観に基づく)、「私は改憲派だし、核保有を肯定します。」と断りを入れると先方がビックリしていると、常々関西ローカル番組内で語っている。そのためか、政治的な内容の講演はなるべく関西を中心に『そこまで言って委員会』のネットエリア内に限られ、それ以外の地域では政治的な内容以外の講演なら引き受けている。
その他[編集]
- 著書の中で『明確なルールのみが行動の基準であって、明確なルールによる規制がない限りは何をやってもかまわない』と述べている。
- 事件報道においては被害者・被疑者の氏名を匿名にすべきと主張している。被害者についてはマスメディアによるメディアスクラムによって精神的にさらにダメージを受けるためで、被疑者については推定無罪や冤罪の可能性もあるからとしている。ただ、被疑者については裁判になり判決確定以降なら実名報道もかまわないとしている。この2点において、逆に原則実名報道を主張する辛坊治郎読売テレビ解説委員(レギュラー出演している「たかじんのそこまで言って委員会」の副委員長)とは幾度となくかなり激しい論戦を繰り広げている。
- 関西系の情報番組で、飛鳥会事件が取り上げられた際、「私はこの飛鳥地区で育ち、ど真ん中で差別も利権の構造も見てきた。親の世代はまだまだ差別に苦しんでいた。」と体験談を語った。
- 2007年4月12日の朝日放送の情報番組『ムーブ!』で、尼崎小学生女児暴行事件について「女の子が服を脱がされたのか、自分から脱いだのかによって話が変わってくる」と、レイプは被害者にも責任があるととれるような発言を行った(セカンドレイプ)。被害女児の母が、加害者に引越しを求め、それが出来ない場合は女児側が引越す、その際の費用は出して欲しいと言ったことについて、「引越し費用の請求をするのは、明らかに行き過ぎた行為。」と批判をした。
- テレビで「船場吉兆のパート従業員が嘘を言っているかも知れない」という旨の発言をし、もしも従業員の言ってることが正しいのならばなぜ訴えないのか?という疑問も呈した。
- 耐震偽装問題に関し、マンション住人に自己破産を勧める発言をしたことで批判を受けた。その後、関西テレビ制作のワイドショー番組である『ベリーベリーサタデー!』内において、「(自身の提案は)自己破産によって住人の負担を無くし、特例として再度ローンを組ませるという案があってのものである。」と弁明した。
- 「赤ちゃんポスト」について、「性的な乱れを助長するから」という理由で反対意見を述べた大谷昭宏に対し、「子供の命が最優先」として賛成を表明した(2007年2月23日放送の「スーパーモーニング」にて)。
- 2004年球界再編問題における選手会のストライキについて、「野球選手がストライキをすると単なる労働者に成り下がってしまう。球団から一々指揮命令を受けないためにも労働者になるべきではない。個人の事業主として集団で契約更改を拒否すればいいだけである」と発言した。
- これまでボクシング選手の亀田興毅を応援して来ており、亀田一家は親離れ、子離れできていないとした作家の吉永みち子に対し、「二十歳そこそこで、あれだけの会見ができる。立派に自立した人間でしょう」と反論した。また、亀田興毅のファン・ランダエタとの対戦について「プロボクシングはショー」「(亀田の)ダウンはパフォーマンス」と発言。
問題視された言動[編集]
「たかじんのそこまで言って委員会」などで、日本の核兵器保有を肯定する発言を度々行っていた。その後、2007年12月12日の大阪府知事選出馬時の記者会見では、現実に日本が核武装することはありえないと主張を翻している。同年12月25日には「バラエティー番組での発言で世間ウケしないといけなかった」と弁明した 。米海軍艦艇への給油活動を行うテロ対策特別措置法にも肯定的である。
2002年5月、TBS系列の情報番組『サンデージャポン』で『能や狂言が好きな人は変質者』と述べ、関連する団体や人物から批判を受けた。
『サンデージャポン』で悪質リフォーム会社「幸輝」の社内旅行における広東省珠海市での集団買春問題に関して、「日本人による買春は中国へのODAみたいなもの」と発言し批判を受けた。『行列のできる法律相談所』で共演している北村晴男弁護士はこの発言を聞いた時、「こいつ、頭がおかしいのかと思った」という。翌週の生放送で発言の全面撤回と謝罪を行ったビデオを放送する予定だったが、橋下は突然マイクの前に立ち、涙を浮かべながら「(問題発言は2回目だったため)さらにこれ以上スタッフに迷惑をかけたくないから、番組から去らさせていただきます」と宣言し、スタジオを出て行ってしまうというスタッフも想定外の行動に出た。番組スタッフは『降板をこちらから強いたことはない』と困惑していたとされる。その後、2006年中期から時々ゲスト出演しており、その時には司会の太田光が名付けた八代英輝とのコンビ名、「青空有罪・無罪」の有罪という扱いで出演する(無罪は八代)。先に『たかじんのそこまで言って委員会』で全く同様の発言をしたがこの時は問題に問われなかった。
橋下の「2500万円の税金申告漏れ」をスクープした産経新聞に対して、自身のブログで、「情報の受け手のことを考えて、情報を発信しやがれ、このオナニー新聞が!」と罵倒した。
2006年3月12日放送のフジテレビの情報番組『スタ☆メン』において北斗の拳の話題の中で、足をひきずる人について『びっこ引いてる』という放送禁止用語を連発した。司会者に指摘されすぐさま謝罪したが、番組のエンディングで再度司会者がお詫びを行う事態となった。しかし、びっこ引いているという言葉自体は地域によっては「足を引きずる」という意味で使用されている。
1991年4〜11月、1992年2~3月、1993年4月~1995年3月と弁護士登録した1997年4月以降の数カ月など、合計34か月間以上に渡って国民年金の保険料が未納であったことが発覚している。
2007年に逮捕者を出しているパチンコ関連企業梁山泊の関係者と交友があると報じられたが、橋下も報道陣の取材に対しこの事実を認めている。2007年3月に逮捕された梁山泊関係に連れられて「許永中の愛人である女性がママをしている」とされる大阪・北新地の高級クラブを訪れたという。
TVで懲戒請求呼びかけ[編集]
2007年5月27日放送の『たかじんのそこまで言って委員会』において、「あの弁護団に対してもし許せないと思うんだったら、一斉に弁護士会に対して懲戒請求をかけてもらいたいんですよ」、「何万何十万という形で、あの21人の弁護士の懲戒請求をたててもらいたいんですよ」と山口県の光市母子殺害事件の弁護団に懲戒請求を行うよう視聴者に呼びかけた。これによりテレビを始め、2ちゃんねる等の掲示板のスレッドや一般のブログ記事・まとめサイト(atwiki)などで、「懲戒請求書の記載の仕方」を見た人達(約7558通)の懲戒請求書(2006年度における全弁護士会に来た懲戒請求総数の6倍以上)が弁護士会に殺到することになった。
これに反発した光市母子殺害事件弁護団のうち4人が業務を妨害されたとして、2007年9月に橋下に1人当たり300万円の損害賠償を求めて広島地裁に提訴した。橋下は記者会見や裁判所への答弁書で 「発言に違法性はない」、「懲戒請求は市民の自発的意思」、「自身のテレビでの発言と一般市民の懲戒請求の間には因果関係はない」などと反論した。2008年10月2日、弁護士達の主張を認め、1人当たり200万円の賠償命令判決。
後に橋下自身は懲戒請求していなかったことが明らかになり、そのことを批判されたが、橋下はその理由について「時間と労力を費やすのを避けた」。「自分がべったり張り付いて懲戒請求はできなくはないが、私も家族がいるし、食わしていかねばならないので…」などと釈明した。
この懲戒請求呼びかけについて、ジャーナリストの江川紹子からは「請求の内容によっては、懲戒請求をされた弁護士の側から訴えられる可能性もあるという負担やリスクを説明せず、ただ“誰でも簡単に”できると、気楽なノリでしゃべっている。」、「自分自身が懲戒請求をしてないのは無責任である。」、「本来は世間に対して刑事弁護人の役割を説明し、冷静な対応を求めるべき立場なのに、既にヒートアップしている「世間」を煽っている感じさえする」などと批判されている。
同年8月6日、橋下は弁護団が開いた緊急報告集会に出席していたが、その場では「安田弁護士が最高裁の弁論を欠席したこと、これは究極の弁護方針として、弁護戦術として、これはもうもっともだと思う」などと発言していたが、翌8月7日の自身のブログにおいては、自分たちだけが正義の実現者だと思い上っているとして、「この集会はカルト集団の自慰(オナニー)集会だね。」と酷評した。また、「チンカス弁護士」、「オタク法律家」、「法律オタクのお坊ちゃん弁護士」などと口を極めて非難した。集会参加者の江野尻正明弁護士は「テレビで懲戒請求を呼びかけながら、弁護団の前では方針を理解したように述べ、ブログでは一転して下劣なことを書き連ねる。弁護士として以前に、人間として信用できない」と非難。
また、横浜弁護士会が懲戒請求者に対して住民票の提出を要求したことに対して、自身のブログで、「横浜弁護士会のインチキ野郎」「偽善に満ちた行為」 と罵倒する書き込みを行っている。
懲戒請求自体は弁護団を懲戒するだけの事由及び信憑性が無かったとして各弁護士会で次々と却下されており、懲戒処分された弁護士は1人もいなかった。これに対し2007年12月9日放送の『たかじんのそこまで言って委員会』において、「7000通も(懲戒)請求が出てるのに何にも意味が無いんだ」と懲戒請求制度及び弁護士会の態度に不満を洩らしている。 同年12月17日、今度は反対に、市民約350人が「刑事弁護の正当性をおとしめたことは、弁護士の品位を失うべき非行だ」として、大阪弁護士会に橋下に対する懲戒処分を請求した。
なお、広島弁護士会に請求申し立てされた7弁護士への懲戒は2008年3月18日、「弁護士らの活動は職責を果たすもので、適正な刑事弁護」として為されない事が正式に議決された。
所得申告漏れ事件[編集]
2006年5月23日、大阪国税局から本業である弁護士業務の経費計上等にかかわる約2500万円の申告漏れを指摘され、修正申告に応じたと『産経新聞』に報道された。これについて、橋下は自身のブログで、税務調査によって、過去3年間の実際に支出した経費の一部を税務上の経費からはずした結果、(名目上は)過去3年分の所得が(2500万円)増えたことになるが、実際には支出しているから、手元に残っていない。しかも、飲食ではなく、法律業務に使ったのであって、それを意図的な所得隠しや架空経費の計上で税金をごまかす「申告漏れ」と同一視したと反論した。「申告漏れ」という報道が、一般には脱税と受け取られやすいのに、情報の受け手のことを考えない(自己満足的な)情報を発信したという意味で『産経新聞』を「このオナニー新聞が!」と罵倒し、産経の記者の実名を挙げ批判した。また、記者が情報を得たと思われる税務当局の人物を特定したと書き、その税務署員と産経の記者が国家公務員法に違反すると断じた。しかし、その記事の中では自身は産経新聞を熟読しており、雑誌の『正論も定期購読しており、「だいたい産経新聞に賛成だから、購読を続ける」としている。ブログでは、産経新聞に対して「法的手続きも検討している」と述べていたが、現在まで法的手続は取っていない。橋下の抗議により産経新聞は同年7月8日付け朝刊で、経費請求した名目や内容をそれぞれ「タレント活動に必要などとして」、「飲食代などの」としていた箇所を省くとした訂正記事を掲載した。 また、この件を報じた『週刊文春』(2006年6月15日号)がマスメディアでは公開していなかった橋下の家族のプライバシーを明かしたことについて、取材した記者の実名を挙げ、この問題は脱税事件などの違法性を帯びた社会的な事件ではないのに家族のプライバシーを侵害したとして、『週刊文春』を「三流以下の死に体週刊誌」、「魂の欠けたジャーナリズム」と厳しく非難した。
橋下Twitter[編集]
t_ishin 橋下徹
- 道州制の話になるとすぐにメリット・デメリットを説明しろと、北海道大学の中島とかいう税金で養われている役立たずが言うでしょう。未だに大阪都構想について説明が足らんと言い続けている。師匠が山口とかいうこれまた税金で養われている役立たず。この人達は、単に僕のことが嫌いなだけ。
t_ishin 橋下徹
- 選挙の期間中に論戦の勝負に出て、結果が出たら、ことの真偽・正否・当否はどうであれ民意を尊重するのが政治の世界。学者の世界は気楽なもんだ。自分たちの主張が支持されなくても相変わらず自分の主張が正しいと言い続けられる。ほんと無責任な気楽な世界。
t_ishin 橋下徹
- そしてこういう連中に共通しているのは、自分が国立大学の教員として税金で養われていることを完全に忘れている。僕らの世界は、どれだけ自分が正しいと思っても、民意で支持されなければ、主張どころか身分まではく奪される。こいつら国立大学の文系学者って何なんだろう?
t_ishin 橋下徹
- 反対だけで自分たちで具体案を何も提案しない。何よりも言うだけで何も行動しない。そしてテレビのコメンテーターとしてギャラを稼ぐ。こういう学者を税金で養う意味があるのかね。ばっさりと仕分けする必要があるでしょう。権力チェックするにしても、役に立つ具体的提案が欲しい。
t_ishin 橋下徹
- 竹中平蔵先生や上山信一先生のように、実際に政治や行政に関わり、実際に行動した学者さんが今の日本にはたくさん必要だ。同志社の浜とか言う教員のように政府委員とかをやる学者もダメ。政府委員なんて役所にとって都合の良い御用学者なんだから。役人に用意された範囲で無責任なコメントを言うだけ。
t_ishin 橋下徹
- 僕に反対でも構わない。批判もあり難い。ただ、現場を経験した学者さんの意見を聞きたい。道州制はメリット・デメリット論ではない。一から統治機構を作り直すと言うところに意味がある。白地のキャンバスなんだから一番メリットがでるような統治機構を作れば良いだけ。
t_ishin 橋下徹
- 社会制度には常にメリットとデメリットがある。デメリットがないものなどない。中島、山口、浜とかいう税金で養われている連中はデメリットだけを捉えて批判だけ。そして結局現状維持。何もしない。役立たず。制度の作り直しは、メリットがデメリットを上回る制度を一から作ることに意味がある。
t_ishin 橋下徹
- 現状のままの方が良いという勢力はもちろん存在する。しかし作り直してくれと言う勢力の方が多いであろう。完全一致なんてあり得ない。だから多数の民意に従って、作り直しに挑戦するのが政治の役割。山口、中島、浜とか言う役立たずグループは、今の日本で何をすべきと言うのか。何も言えないだろう。
t_ishin 橋下徹
- 税金で養われている北海道の中島とかいう教員はどうしようもない。「改革は一気にやるものではない。色が徐々に変わるようなグラデーション的にやるものだ」という趣旨のことを長々とABC放送のキャストでしゃべっていた。は~っ??だから??税金で勉強させてもらっていてこの程度のコメントか?
t_ishin 橋下徹
- この中島とか言う一つでも改革をやってもらいたいよ。大阪市の特別参与と言うポジションをを与えるからさ。
学者も税金をもらっているんだから厳しく評価しなければならない。行政の改革をやらせてみたらいいんだ。まあこの中島氏、市役所で会議一つも開けないだろうけど。ほんと税金の無駄。
文献[編集]
著作[編集]
- 『最後に思わずYESと言わせる最強の交渉術―かけひきで絶対負けない実戦テクニック72』(日本文芸社 2003月6日) ISBN 978-4537251500
- 『図説 心理戦で絶対負けない交渉術』(日本文芸社 2005月11月) ISBN 978-4537253290
- 『橋下徹「まっとう勝負」』(小学館 2006月11月8日) ISBN-13 978-4093797436
- 『どうして君は友だちがいないのか (14歳の世渡り術)』(河出書房新社 2007年7月) ISBN 978-4309616445
出演[編集]
府知事就任後(報道・ワイドショー番組を除く)出演のテレビ番組[編集]
- 立候補前まではローテーションで週2回間隔で出演。当選・就任後は2ヶ月に一度のペースで、平松邦夫大阪市長と共にゲスト出演し、トップ会談が行なわれる。
府知事選立候補表明前まで出演していたテレビ番組[編集]
- 水野真紀の魔法のレストラン(毎日放送)- レギュラー
- 六人の悩めるオッサン (関西テレビ)
- ド短期ツメコミ教育!豪腕!コーチング!!(テレビ東京系列)- レギュラー
- 行列のできる法律相談所(日本テレビ系列)- 元レギュラー
- 森田一義アワー 笑っていいとも!(フジテレビ)- 月曜日レギュラー
- スーパーモーニング(テレビ朝日系列)- 月曜日レギュラー
- 情報満載 ひるまで!すっぴん! (読売テレビ)- 火曜日レギュラー
- ムーブ!(朝日放送)- 木曜日レギュラー
- 2時ワクッ!火曜(関西テレビ)- 隔週出演
- 爆笑問題のバク天! (TBS系列)- 隔週出演
- たかじんのそこまで言って委員会(読売テレビ)- 元・準レギュラー
- スタ☆メン(フジテレビ)- 準レギュラー
- あさパラ!(読売テレビ)- 準レギュラー
- なるトモ!火曜日(読売テレビ)- 準レギュラー
- サンデージャポン(TBS系列)- 不定期
- 太田光の私が総理大臣になったら…秘書田中。(日本テレビ) - 不定期
- ワイドABCDE~す(朝日放送)
- 大笑点(日本テレビ)- 2006年に『行列のできる法律相談所』の出演者として出演。
- 2006年こうなる宣言(関西テレビ)
その他多数
府知事選立候補表明前まで出演していたラジオ番組[編集]
その他多数
府知事選立候補表明前まで出演していたCM[編集]
関連項目[編集]
外部リンク[編集]
- 弁護士法人 橋下綜合法律事務所
- 橋下徹後援会
- 2008年1月大阪府知事選結果(『ザ・選挙』
- 橋下徹政治家情報ページ(『ザ・選挙』)