文化防衛論
『文化防衛論』(ぶんかぼうえいろん)は三島由紀夫の評論。
1968年(昭和43年)、雑誌「中央公論」7月号に掲載され、翌年1969年(昭和44年)4月25日に新潮社より評論集『文化防衛論』として単行本刊行された。同書には他の評論や講演も収録されている。現行版はちくま文庫より刊行されている。
高度経済成長が実現し、昭和元禄と呼ばれた昭和40年代前半、学生運動が最高潮に達した時代に発表され、各界の論義を呼んだ三島由紀夫の論理と行動の書。世間では3C(クーラー・カー・カラーテレビ)の耐久消費財が新・三種の神器として喧伝され、戦後文化が爛熟していた時期に、あえて「文化天皇」を打ち出した三島の代表的評論である。戦後日本の文化の特質と危機を、「菊と刀」の論理を敷衍して説き、「最後に守られねばならぬ日本」を求めて論旨が展開される。死への動機(三島事件)を考えるにあたり重要な評論である。
内容・あらすじ[編集]
- 文化主義と逆文化主義
昭和元禄とは言うものの、近松も西鶴も芭蕉もいない昭和元禄にはこれまでの日本人にあった何かが欠けている。しかし、華美な風俗や体制に無害な上っ面の美しい部分だけを掬い上げている「文化主義」は世に蔓延している。今や「文化を守る」というときには、博物館的な死んだ文化と、天下泰平の死んだ生活である。
「文化主義」とは、文化をその血みどろの母胎の生命や生殖行為から切り離して、何か喜ばしい人間主義的成果によって判断しようとする一傾向である。これは、日本文化における「菊」の部分だけが尊重され、「刀」が廃棄されたのである。そもそも日本文化に於ける菊と刀は、別々の文化ではなく、一体のものであった。アメリカの占領政策は、「菊と刀」の永遠の連環を絶つことだった。平和愛好国民の、華道や茶道の心やさしい文化は、威嚇的でない、しかし大胆な模様化を敢えてする建築文化は、日本文化を代表するものになった。
文化は「もの」として、安全に管理され,「人類共有の文化財」となるべき方向へ平和的に推進された。新生・日本にとって有効とされるものだけが文化として残され、あとは法律や政策で規制された。しばらくして歌舞伎の復讐劇やチャンバラ映画は復活したが、もはや菊の方面だけを愛でた日本人は過去に退行することがなかった。権力(占領軍)はそれを見越したから許可を与えたのだ。今も「文化主義」であることに変りはない。文化財に対する尊敬の念は否定できないが、いわゆる「博物館的の死んだ文化」のみが日本文化ではないのである。
「もの」としての、文化財としての文化は民主主義国、社会主義国を問わず尊敬される。例えば、日本社会党が政権獲得後の文化政策では、「国民文化の創造」と題し、「(イ)働くものが文化をつくる、(ロ)民族文化の発展」と掲げている。文化を(イ)と(ロ)に分け、(イ)は、いじることのできる文化はいじり、(ロ)は、いじる必要のないものはそっとしておく、という意図である。(イ)は、社会主義に貢献する文化は育成し、好ましくないものは弾圧するということである。ソヴィエト革命政権はドストエフスキーをなかなか容認せず、弾圧された作家もいた。(ロ)は、革命前からある旧・ソヴィエトのレニングラード・バレエを例にとると、体制にとって安全無害であったのは言うまでもなく、それどころか国家の観光資源でさえある。日本では能、狂言、歌舞伎がこれにあたり、すでにイデオロギーが喪失しているか、あるいはイデオロギーがあっても時代遅れのもので安全無害になったものである。そして、このような「文化主義」は、時として革命精神養成のため、これまでの文化を破壊する行為にも通じるのである。中共の文化大革命がそうである。これは、裏返しの「文化主義」であり、この「逆文化主義」と「文化主義」は銅貨の裏表である。
- 日本文化の国民的特色
第一に、文化は、ものとしての帰結を持つにしても、その生きた態様においては、ものではなく、又、発現以前の無形の国民精神でもなく、一つの形(フォルム)であり、国民精神が透かし見られる一種透明な結晶体であり、いわゆる芸術作品のみでなく、行動及び行動様式をも包含する。文化とは、能の一つの型から、月明の夜ニューギニアの海上に浮上した人間魚雷から日本刀をふりかざして躍り出て戦死した一海軍士官の行動をも包括し、又、特攻隊の幾多の遺書をも包含する。源氏物語から現代小説まで、万葉集から前衛短歌まで、あるいは、歌舞伎からヤクザのチャンバラ映画まで、禅から軍隊の作法まで、すべて「菊と刀」の双方を包摂する、日本的なものの透かし見られるフォルムをさす。文学は、日本語の使用において、フォルムとしての日本文化を形成する重要な部分である。
第二に、日本文化は、本来オリジナルとコピーの弁別を持たぬことである。西欧ではものとしての文化は主として石で作られているが、日本のそれは木で作られている。オリジナルの破壊は二度とよみがえらぬ最終的破壊であり、ものとしての文化はここに廃絶するから、パリはそのようにして敵に明け渡された。これは、木の文化と、石の文化の対比ともいえる。日本の場合は戦乱や災害などで容易に、ものとしての現存は徹底的に破棄されてしまう。そのような日本文化の特色はオリジナルとコピーの間に決定的な価値の落差が生じない。持統帝以来59回に亙る20年毎の式年造営は、いつも新たに建てられた伊勢神宮がオリジナルなのであって、オリジナルはその時点においてコピーにオリジナルの生命を託して滅びてゆき、コピー自体がオリジナルになるのである。このような日本の文化概念は、各代の天皇が、天照大神とオリジナルとコピーの関係にはないところの特質と見合っている。
第三に、こうして創り出される日本文化は、創り出す主体の側からいえば、自由な創造的主体であって、型の伝承自体、この源泉的な創造主体の活動を振起するものである。この国民的な自由な創造的主体という源泉との間が絶たれれば文化的枯渇が起こる。
- 国民文化の三特質
以上から、国民文化には、再帰性・全体性・主体性の特質を有している。再帰性とは、文化がただ「見られる」ものではなくて、「見る」者として見返してくる認識である。全体性とは、倫理的に美を判断するのではなく、倫理を美的に判断して、文化をまるごと容認することである。
文化は、ぎりぎりの形態においては、創造し保持し破壊するブラフマン・ヴィシュヌ・シヴァのヒンズー三神の三位一体のような主体性においてのみ発現するものである。主体性とは、単なる主体なき精巧なカメラになるのではなく、文化的創造の自由の延長上に、あるいは作品、あるいは行動様式による、その時、その時の、最上の成果へ身を挺することである。
- 何に対して文化を守るか
文化の創造的主体の自由と、その生命の連続性を守るには政体を選ばなくてはならない。守るとは何か?文化が文化を守ることはできず、言論で言論を守ろうという企図は必ず失敗するか、単に目こぼしをしてもらうかにすぎない。「守る」とはつねに剣の原理である。守るという行為には、かくて必ず危険がつきまとい、自己を守るのにすら自己放棄が必須になる。平和を守るにはつねに暴力の用意が必要であり、守る対象と守る行為との間には、永遠のパラドックスが存在するのである。文化主義はこのパラドックスを回避して、自らの目をおおう者だといえる。
- 創造することと守ることの一致
文化における生命の自覚は、生命の法則に従って、生命の連続性を守るための自己放棄という衝動へ人を促す。 献身的契機を含まぬ文化の、不毛の自己完結性が、「近代性」と呼ばれたところのものである。そして自我滅却の栄光の根拠が、守られるものの死んだ光輝にあるのではなくて、活きた根源的な力(見返す力)に存しなければならぬ、ということが、文化の生命の連続性のうちに求められるのであれば、われわれの守るべきものはおのずから明らかである。このように、 創造することが守ることだという、主体と客体の合一が目賭されることは自然であろう。文武両道とはそのような思想である。現状肯定と現状維持ではなくて、守ること自体が革新することであり、同時に、「生み」「成る」 ことなのである。
- 戦後民族主義の四段階
「菊と刀」を連続させ、もっとも崇高なものから卑近なものにまで及び、文化主義者のいわゆる「危険性」を避けないところの文化概念の母胎は、何らかの共同体でなければならないが、日本の共同体原理は戦後バラバラにされてしまった。血族共同体と国家の類縁関係はむざんに絶たれた。敗戦によって国家が解体されたことにより、国家と国民の絆が断たれたのである。しかしなお共同体原理は、そこかしこで、 エモーショナルな政治反応をひきおこす最大の情動的要素になっている。それが今日、民族主義と呼ばれるところのものであるが、よかれあしかれ、新しい共同体原理がこれを通して呼び求められていることは明らかである。戦後左翼の民族主義は、「ナショナリズムの糖衣をかぶったインターナショナリズム」であって、民族主義を巧妙に操作し、実は民族主義の崩壊を企んでいる。民族主義を手段として政治的に利用し、実は日本の共同体の崩壊を目指しているのである。共産主義にとってもファシズムにとっても、利用されやすい民族主義のみに依拠するのは危険でもある。
ところで、民族主義の定義は、「一民族一国家、一個の文化伝統・言語伝統による政治的統一の熱情」である。そこで、日本に民族主義という思考があるのかが問題である。アメリカのように一国家で国民と民族が別の国では自分の所属する民族を否応でも意識せざるを得ないが、日本は古代より一民族の国家であるから改めて民族を意識する必要がなく、又、「一民族一国家、一個の文化伝統・言語伝統による政治的統一」は普通のことであった。よって、ことさらに現在の日本において、左翼が異民族問題と強調するのは、この強調自体が最終的に国を否定して民族を肯定しようとする戦術的意図である。あえて日本に於ける民族主義を言うなら、菊と刀の連続性を復活させる運動である。刀が国家により強制的に捨てられたことは、本来の日本文化の否定であり、それは取りも直さず共同体の否定に直結する。
社会的な事件というものは、古代の童話のように、次に来る時代を寓意的に象徴することがままある。金嬉老事件は、ジョンソン声明に先立って、或る時代を予言するようなすこぶる寓意的な起り方をした。それは3つの主題を持っている。すなわち、「人質にされた日本人」、「抑圧されて激発する異民族」、「日本人を平和的にしか救出しえない国家権力」という3つの主題である。第1の問題は、「沖縄や新島の島民」を、第2の問題は、「朝鮮人問題そのもの」を、第3の問題は、「現下の国家権力の平和憲法と世論による足カセ手カセ」を、露骨に表象していた。そしてここでは、正に、政治的イデオロギーの望むがままに変容させられる日本民族の相反するイメージ(第1では、「外国の武力によって人質にされ抑圧された平和的な日本民族というイメージ」、第2と第3では、「異民族の歴史の罪障感によって権力行使を制約される日本民族というイメージ」)の2つが典型的に表現されたのである。 前者の日本人被害者イメージは、朝鮮民族と同一化され、後者の日本人加害者イメージは、ヴィエトナム戦争を遂行するアメリカのイメージにだぶらされた。
戦後の日本にとっては、真の異民問題はありえず、在日朝鮮人問題は、国際問題であり、リフュジー(難民・亡命者)の問題であっても、日本国民内部の問題ではありえない。これを問題であるかの如く扱う一部の左翼の扱いには、明らかに政治的意図があって、先進工業国における革命主体としての異民族の利用価値を認めたものに他ならないのである。
- 文化の全体性と全体主義
文化の全体性とは、左右あらゆる形態の全体主義との完全な対立概念であるが、ここには詩と政治とのもっとも古い対立がひそんでいる。文化を全体的に容認する政体は可能かという問題は、ほとんど、エロティシズムを全体的に容認する政体は可能かという問題に接近している。 左右の全体主義の文化政策は、文化主義と民族主義の仮面を巧みにかぶりながら、文化それ自体の全体性を敵視し、つねに全体性の削減へ向うのである。言論自由の弾圧の心理的根拠は、あらゆる全体性に対する全体主義の嫉妬に他ならない。全体主義は「全体」の独占を本質とするからである。
文化の全体性には、時間的連続性と空間的連続性が不可欠であろう。前者は伝統と美と趣味を保障し、後者は生の多様性を保障するのである。言論の自由は、前者についてはともかく、後者については、間然するところのない保護者である。もちろん言論の自由は時には文化を腐敗させ、文化の全体性の立体性を失わせる欠点があるが、相対的にはこれを保障する政治体制が文化の全体性を支える技術的要件である。しかしこれだけでは堕落した市民を量産するだけである。そこで必要となるのが縦軸である「時間的連続性」になる。「伝統」との接続を持つことで、立体的構造は成り立つことになり、この「時間的連続性」に関わることで、君主政治の長所を取り入れることが可能になる。
このように言論の自由が本来保障すべき、精神の絶対的優位の見地からは、文化共同体理念の確立が必要とされ、これのみがイデオロギーに対抗しうるのであるが、文化共同体理念は、その絶対的倫理的価値と同時に、文化の無差別包括性を併せ持たねばならぬ。ここに文化概念としての天皇が登場するのである。
- 文化概念としての天皇
国と民族の非分離の鍵は天皇が持っている。日本は有史以来、天皇が途絶えたことはない。この理由として平安時代前期に政治から身を引いて、もっぱら文化の側面で活躍されたことで、それは現代まで続いている。室町時代の後醍醐天皇は異色な存在である。
「みやび」は、宮廷の文化的精華であり、それへのあこがれであったが、非常の時には、「みやび」はテロリズムの形態さえとった。すなわち、文化概念としての天皇は、国家権力と秩序の側だけにあるのみではなく、無秩序の側へも手をさしのべていたのである。もし国家権力や秩序が、国と民族を分離の状態に置いているときは、「国と民族の非分離」を回復せしめようとする変革の原理として、文化概念たる天皇が作用した。孝明天皇の大御心に応えて起った桜田門の変の義士たちは、「一筋のみやび」を実行したのであって、天皇のための蹶起は、文化様式に背反せぬ限り、容認されるべきであったが、西欧的立憲君主政体に固執した昭和の天皇は、二・二六事件の「みやび」を理解する力を喪っていた。
言論の自由の見地からも、天皇統治の「無私」の本来的性格からも、もっとも怖るべき理論的変質がはじまったのは、1925年(大正14年)の「治安維持法」以来だと考えられる。その第一条の「国体ヲ変革シ又ハ私有財産制度ヲ否認スルコトヲ目的トシテ……」という並列的な規定は、天皇の国家の国体を、私有財産制度ならびに資本主義そのものと同義語にしてしまったからである。
天皇は文化の象徴であり、日本の最後の砦である。これを脅かす勢力に対しては刀の論理の行使も許容されるべきで、それこそが真の日本文化である。源泉の感情は日本人であることのアイデンティティーの象徴であり、菊と刀を守る大義としての天皇である。およそ言論の自由の反対概念である共産政権乃至容共政権が、文化の連続性を破壊し、全体性を毀損することは、今さら言うまでもないが、文化概念としての天皇はこれと共に崩壊して、もっとも狡猾な政治的象徴として利用されるか、あるいは利用されたのちに捨て去られるか、その運命は決っている。このような事態を防ぐためには、天皇と軍隊を栄誉の絆でつないでおくことが急務なのであり、又、そのほかに確実な防止策はない。もちろん、こうした栄誉大権的内容の復活は、政治概念としての天皇をではなく、文化概念としての天皇の復活を促すものでなくてはならぬ。文化の全体性を代表するこのような天皇のみが窮極の価値自体だからであり、天皇が否定され、あるいは全体主義の政治概念に包括されるときこそ、日本の又、日本文化の真の危機だからである。
おもな刊行本[編集]
- 評論集『文化防衛論』(新潮社、1969年4月25日)
- 紙装。収録:[第一部 論文]として、反革命宣言、反革命宣言補註、文化防衛論、橋川文三への公開状、「道義的革命」の論理―磯部一等主計の遺稿について、自由と権力の状況。[第二部 対談]として、政治行為の象徴性について(いいだもも)。[第三部 学生とのティーチ・イン]として、テーマ・国家革新の原理。あとがき。付録・本書関連日誌(1968年)。
- 本扉に一橋大学小平校舎でのティーチ・イン写真1葉。巻末に初出データ。
- 文庫版『文化防衛論』(ちくま文庫、2006年)
- 収録:[第一部 論文]として、反革命宣言、反革命宣言補註、文化防衛論、橋川文三への公開状、「道義的革命」の論理―磯部一等主計の遺稿について、自由と権力の状況。[第二部 対談]として、政治行為の象徴性について(いいだもも)。[第三部 学生とのティーチ・イン]として、テーマ・国家革新の原理。あとがき。果たし得ていない約束―私の中の二十五年。付録・本書関連日誌(1968年)。
- 付録:解説:福田和也。
- 『近代浪漫派文庫42 三島由紀夫』(新学社、2007年7月)
参考文献[編集]
- 文庫版『文化防衛論』(付録解説 福田和也)(ちくま文庫、2006年)
- 『決定版 三島由紀夫全集第42巻・年譜・書誌』(新潮社、2005年)
- 『決定版 三島由紀夫全集第35巻・評論10』(新潮社、2003年)