盗賊 (小説)
『盗賊』(とうぞく)は、三島由紀夫の最初の長編小説。大学在学中から大蔵省在職時代にかけて書かれた作品である。全6章から成り、1947年(昭和22年)から翌年にわたり、各章が断続的に別々の雑誌に掲載される形で書き継がれ、1948年(昭和23年)11月20日に真光社より単行本刊行された。現行版は新潮文庫で重版されている。
恋する相手に捨てられ傷つき、自殺を決心した男と女が出会う物語。失恋の苦悩と、新たな出会いから互いの胸の中の幻影を育て合う悲劇的な結末までを、人工的で精緻微妙なタッチで描いたロマネスクな心理小説。文体などにレイモン・ラディゲの影響がみられる作品である。
発表経過[編集]
まず1947年(昭和22年)に、同人雑誌「文学会議」12月号に「自殺企図者」(のち第2章「決心とその不思議な効果」)が掲載された。翌年1948年(昭和23年)には、雑誌「午前」2月号に「恋の終局そして物語の発端」(のち第1章「物語の発端」)、雑誌「思潮」3月号に「出会」(第3章「出会」)、雑誌「新文学」3月号に「嘉例」(のち第5章「周到な共謀(下)」、雑誌「文学会議」10月号に「美的生活者」(のち第4章「周到な共謀(上)」が掲載された。単行本は同年11月20日に、書き下ろしの第6章「実行―短き大団円」を加えて真光社より刊行された。
作品背景[編集]
『盗賊』は、三島自身の三谷邦子(初恋の女性で、他の男と結婚)との別離の痛手や、妹・美津子の死など、当時の三島の荒廃した精神状態が執筆動機となっている[1]。なお、三島が知人に送った手紙の中で、「彼女のことを書かないでゐたら、生きてゐられなかつた」[2]と書き綴り、次作『仮面の告白』のヒロイン「園子」になるのが三谷邦子である。
『盗賊』は三島にとって初の長編小説で、執筆中は三島は七転八倒しながら何度も改稿を重ね、その過程で度々川端康成に原稿を見てもらい苦労して書き上げた[1][3]。この時期は川端が最も親身となって三島の面倒を見ていた頃で、力添えを惜しまず[1]、三島の才能に期待をかけていた[1][4]。また、三島は後年、この当時の自分のことを「最も死の近くにゐた」[5]と振り返っている。
あらすじ[編集]
第1章 - 物語の発端
- 戦前の1930年代、藤村子爵家の息子・明秀は大学国文科を卒業し研究室に通っていた。ある夏、明秀は母とS高原(志賀高原)ホテルに滞在中、偶然そこへやって来た母の旧友・原田夫人とその娘・美子と出会った。明秀は美子に一目ぼれをした。ホテル滞在中、二人は仲良く散歩したり、母親同士がいないときは、部屋に鍵をかけ二人きりで密会した。それに気づいた藤村夫人は息子と美子を結婚させることを考え、まずはとりあえず先に息子と共に帰京し、後日、原田家を訪問し縁談の話をした。しかし男関係の奔放な美子には明秀との結婚の意志など初めから全くなかった。これがきっかけで母親同士は絶縁してしまった。美子は、求婚を斥けたのは自分ではないと明秀に弁解をしたが、その後、明秀が電話や手紙を出しても冷たくなった。
- 翌年の2月のある日、明秀は急に美子に呼ばれ希望を持ち原田家に行くと、2年先輩だった学友の三宅がいた。親の会社を継ぎ台湾へ行き、帰国していた三宅は幼なじみの美子に、旧友に会いたいと言い、明秀が呼ばれたのだった。今や美子と三宅は肉体関係があり、明秀は二人の親しげな様子を見せつけられ、深く傷ついた。
第2章 - 決心とその不思議な効果
- ある日、明秀は風邪をひいた父の名代で京都紫野の寺に祖父の法要に出た。そしてその帰り、神戸三宮の旅館に泊まった。夜8時ごろ、外で異様な物音がした。その3階の窓から明秀は、自動車に轢かれ道路に横たわる死者を目撃した。眠れぬ夜の中で、明秀は死を近くに感じた。翌朝、明秀は神戸港を見つめながら死の決心をする。
第3章 - 出会
- 帰京した明秀は松下侯爵家の社交倶楽部に参加する折、京都の法事のときに出会った、明秀の両親との旧交を温めたいと言っていた山内男爵から、娘の清子を一緒に倶楽部に供だってほしいと頼まれ彼女を迎えに行った。明秀は出会ったときから無口な清子に不思議な共感を覚えた。そしてある日、清子と話をしていると明秀は自分の秘めた自殺の決心を彼女には見破られていると錯覚した。実はそれは清子も、彼と同じ決心をしていたから、「最後の別れ」じみた挨拶をしたのであった。清子も同じ失恋の身の上であった。清子は、自分に死の決心を促した佐伯という酷薄な青年と相似の位置で、美子という女が明秀の死の決心を促していたことを知り、明秀と運命の出会いをしたかのように喜んだ。
第4章 - 周到な共謀(上)
- 清子と明秀は傍目には、完全な恋人同士のように仲むつまじくなった。二人は愛している人との来歴と忘れがたい面影を、お互いに繰り返し語り合い、誰はばかることなく心に任せて咽び泣いた。二人はお互いの中にお互いが在ると素直に感じた。そんな二人の親密さから、夏には山内家の軽井沢の別荘に明秀は招かれた。清子と明秀はK牧場(神津牧場)へ自転車で遠乗りに出かけ楽しいピクニックの時を過ごした。
第5章 - 周到な共謀(下)
- 山内男爵と明秀の母・藤村夫人は実は、かつて恋人同士であったので、藤村子爵は明秀と清子の結婚話に躊躇があった。だが、明秀の友人・新倉の説得や藤村夫人の強い希望で、二人の結婚話は進んでいった。
第6章 - 実行―短き大団円
- 清子と明秀は11月の結婚式の当夜、心中した。周りの者たちには、二人の死ぬべき理由といったら、彼らが幸福でありすぎたからということの他に見当たらなかった。二人の死後、クリスマスの夜のあるパーティーの席で、原田美子と佐伯がその家の夫人からお互い紹介された。顔を見合わせた瞬間、二人はお互いの美貌の顔に、人に知られない怖ろしい荒廃を見出し戦慄した。今二人は、真に美なるもの、永遠に若きものが、二人の中から誰か巧みな盗賊によって根こそぎ盗み去られているのを知った。
作品評価・解説[編集]
三島は自作について、「私はラディゲの向うを張りたいと思つてゐた」と述べているが、うまくはいかなかったとし、「その無慙な結果は、今、私の目前にある。私はこれを読み返す。そしてそのころの稚心を少しも恥ぢようとは思はない」[6]と述べている。
武田泰淳は三島の言葉を受け、決して“無慙な結果”ではないとそれを否定し[7]、「第一、稚心などという単語と、これほど無縁な作品はない。小説を製作するための技術、つまりは作家が自己の精神を吟味し表現する操作に関して、豊富な手がかりを提出している点では、『仮面の告白』より大切な長編だとも言える」[7]と述べている。そして『盗賊』は「やや神経過敏のため、肉色が蒼ざめたきらいがある」[7]とし、論理、説明、主張、警句、才智である「骨」があらわとなっているため、肉づきだけで骨格を知らしめるようなツルゲーネフの『初恋』の域には至っていないが、「骨なし小説の多すぎる日本にあっては、多少骨のきしみが耳ざわりでも、三島氏の長編の骨格の正しさを尊重し宣揚したい」[7]と評している。
川端康成は、三島が最初の長編小説で、「恋人が結婚のその日に心中するといふ心理」に陥り、その作品を『盗賊』と名づけた創作意図に触れ[4]、「自殺する二人が盗み去つたものはなんであるか。すべて架空であり、あるひはすべて真実であらう。私は三島君の早成の才華が眩しくもあり、痛ましくもある。三島君の新しさは容易には理解されない。三島君自身にも容易には理解しにくいのかもしれぬ。三島君は自分の作品によつてなんの傷も負はないかのやうに見る人もあらう。しかし三島君の数々の深い傷から作品が出てゐると見る人もあらう。この冷たさうな毒は決して人に飲ませるものではないやうな強さもある。この脆そうな造花は生花の髄を編み合せたやうな生々しさもある」[4]と評している。そして三島の作家としての将来について、「私はこの最年少の作家が人生を確実にし、古典と近代、虚空の花と内心の悩みとを結実するやう、かねて望んでゐる。この『盗賊』のやうに青春の神秘と美とを心理の構図に盗み切らうとする試みも、三島君の歩みには必然の嘆きの呼吸であらうか」[4]と述べている。なお、これらの川端の文章は、その後の三島の作家活動や運命を暗示していたものとして、三島の死後、数多くの三島論で引用されることとなる[8]。
おもな刊行本[編集]
- 『盗賊』(真光社、1948年11月20日)
- 紙装。フランス装。赤色帯。序文:川端康成「序」。
- ※ 帯(表)にも川端康成「序」あり。
- 文庫版『盗賊』(新潮文庫、1954年4月30日。改版1968年、2004年)
- 白色帯。付録・解説:武田泰淳。
- ※ 改版1968年と2004年にカバー改装:新潮社装幀室。
脚注[編集]
- ↑ 1.0 1.1 1.2 1.3 松本徹『三島由紀夫を読み解く(NHKシリーズ NHKカルチャーラジオ・文学の世界)』(NHK出版、2010年)
- ↑ 三島由紀夫「蜷川親善への書簡」(1949年)。安藤武『三島由紀夫「日録」』(未知谷、1996年)120頁
- ↑ 『川端康成・三島由紀夫 往復書簡』(新潮社、1997年。新潮文庫、2000年)。『決定版 三島由紀夫全集第38巻・書簡』(新潮社、2004年)所収。
- ↑ 4.0 4.1 4.2 4.3 川端康成「序」(『盗賊』)(真光社、1948年)
- ↑ 三島由紀夫『終末感からの出発―昭和二十年の自画像』(新潮 1955年8月号に掲載)
- ↑ 三島由紀夫「あとがき」(『三島由紀夫作品集1』)(新潮社、1953年)
- ↑ 7.0 7.1 7.2 7.3 武田泰淳「解説」(文庫版『盗賊』)(新潮文庫、1954年。改版1968年、2004年)
- ↑ 松本徹をはじめ、その他多数の三島研究者に必ずといっていいほど取上げられている
参考文献[編集]
- 文庫版『盗賊』(付録・解説 武田泰淳)(新潮文庫、1954年。改版1968年、2004年)
- 『決定版 三島由紀夫全集第42巻・年譜・書誌』(新潮社、2005年)
- 『決定版 三島由紀夫全集第1巻・長編1』(新潮社、2000年)
- 『決定版 三島由紀夫全集第28巻・評論3』(新潮社、2003年)
- 『決定版 三島由紀夫全集第38巻・書簡』(新潮社、2004年)
- 佐藤秀明『日本の作家100人 三島由紀夫』(勉誠出版、2006年)
- 松本徹『三島由紀夫を読み解く(NHKシリーズ NHKカルチャーラジオ・文学の世界)』(NHK出版、2010年)
- 安藤武『三島由紀夫「日録」』(未知谷、1996年)