愛の渇き
『愛の渇き』(あいのかわき)は、三島由紀夫の4作目の長編小説。1950年(昭和25年)6月30日に書き下ろしで新潮社より刊行された。嫉妬の苦しみに苛まれた女の奇怪な情念が行き着くところを鮮やかに描き、その完成度と充実で高い評価を得た作品である。現行版は新潮文庫より重版され続けている。翻訳版は1969年(昭和44年)のAlfred H. Marks訳(英題:Thirst for Love)をはじめ、各国で行われている。
1967年(昭和42年)に浅丘ルリ子の主演で映画化された。
概要[編集]
『愛の渇き』は、劇的な性格の鮮明さを持たせるために、仏蘭西古典劇に倣い、王、王妃、王子、王女、コンフィダン、コンフィダント、という人物配置にしている。三島は、「弥吉は王である。悦子は王妃である。三郎は王子である。美代は女中だが、いはば王女に該当する。謙輔夫婦は、コンフィダンとコンフィダントである」と説明している。
三島は、エウリピデスの『メディア』を典拠にした短編『獅子』で、メディアのように嫉妬に狂うヒロイン・繁子を描き、ギリシア悲劇に拠りながら、そこをより突き抜けたヒロインの完全な勝利と破滅を結末にもってきたが、『愛の渇き』のヒロイン・悦子も、繁子同様に激しい嫉妬に苦しみ、その嫉妬の究極の在り方を三島は作品の主題としている。
作品背景[編集]
三島は前年の1949年(昭和24年)夏に関西から上京した叔母(母の妹)から聞いた話をヒントに本作の着想が浮び、同年10月、大阪郊外の豊中市へ取材に行った。人物の配置は仏蘭西古典劇に倣い、農園を備えた屋敷を一王国とする構想がここで生まれた。
なお、当初予定されていたタイトルは黙示録の大淫婦の章からとられた『緋色の獣』であったが、出版者の意向で『愛の渇き』と改題された。もし当初予定されていたタイトルの『緋色の獣』の「緋色」が生かされていれば、この前後に書かれた作品『純白の夜』、『青の時代』と合わせて、トリコロール(フランスの三色旗)になる筈であった(さらに、この後には、『禁色』=紫が付加される)。
あらすじ[編集]
大阪・梅田の阪急百貨店に買い物に来た悦子は質素な男物の靴下を2足買っただけで帰ってきた。本当は彼岸に亡き夫・良輔の仏前に供えるザボンを買うために行ったのだがデパートにはなく、戸外に出ようとしたとたんに驟雨に合い引き返した。悦子は妊婦のようなけだるい歩き方をする女だった。
悦子の死んだ夫・良輔は、浮気ばかりして悦子を嫉妬で苦しめた。耐えられなくなった悦子は自殺しようとしたが、その直前に良輔はチフスになり死んでいった。夫の看病中だけ悦子は夫を独占でき、嫉妬から自由になれた。良輔の死後、悦子は良輔の父の杉本弥吉の屋敷に呼ばれ、そこに住んでいた。弥吉は商船会社を引退した後、豊中市米殿村に1万坪の土地を買い、果樹園を営んでいた。屋敷には長男の謙輔夫婦が寄食していた。悦子の亡き夫は次男だった。三男の祐輔はシベリア抑留され戻らず、その妻と、二人の子供も屋敷に住んでいた。使用人には園丁の三郎という若者と、女中の美代がいた。
悦子は、舅・弥吉に求められるまま体を許していたが、弥吉を愛しているわけではない。悦子の関心は、若く逞しい下男の三郎に向かっていた。阪急百貨店で買った靴下も三郎のためだった。だが、靴下はくず缶の中に捨てられていた。美代が嫉妬して捨てたのだった。三郎は美代を庇い、自分が捨てたと嘘をついたが、美代が名乗り出た。悦子は徐々に嫉妬に苦しめられはじめる。
やがて美代は三郎の子を身ごもった。一家を代表し悦子が三郎に事情を聞いた。美代を愛しているのか、いないのかと真面目に問いつめられた三郎は、愛だのと深く考えていなかったため、特に相手が美代でなくても誰でもよかったような気がして、「愛してない」と答えた。悦子は三郎に罰を与えるために美代と結婚するように命じた。三郎にとってはどちらでもたいしたことではなかったので従うことにし、故郷の天理の親に報告しに行くことになった。自ら命じた二人の結婚という事態に悦子は苦しみ、しだいに精神のバランスが崩れておかしくなってゆく。
そんな悦子の様子をみているうちに、弥吉は隠居暮らしに終止符を打ち、昔の友人の伝手で東京で現役復帰をする決心をし、新たな生活を始めようと悦子に切り出した。悦子は弥吉と東京へ旅立つ代わりに、三郎が天理に行っている留守に、美代に暇をやって(辞めさせて)ほしいと弥吉に頼み、美代を追い出した。三郎は戻ってきて美代の不在を知ったが、弥吉や悦子にそれを訊ねずに黙々と変らずに働いていた。美代がいなくなっても平静な三郎の様子が悦子は不可解だった。
東京への出発前夜、これが最後と悦子は夜中の1時、葡萄園に三郎を呼び出した。悦子は三郎に、自分が美代に暇をやったことを話して謝った。そして、回りくどいような愛の告白をする悦子の追及に、単純な三郎にはピンと来ず、どれも重大なことではなかったので、その場を収めるため、悦子から、「誰を愛しているのか」と問われた時、「奥様、あなたです」と言った。そのお座なりの露骨な嘘の返答に、さすがの悦子も背を向け帰ろうとした。しかしその時、はじめて三郎は悦子に女を感じ襲いかかった。予期せぬ事態に悦子は抵抗し、叫び声をあげた。びっくりした三郎は逃げようとした。悦子は、「待って、待って」と叫びながら三郎に追いすがった。逃げる三郎の前に、折から、二人の不在に気が付いた弥吉が鍬を持って現われた。すると悦子は急にその鍬を奪い取り、三郎の頭上に振り下ろした。死んだ三郎を前に弥吉が、なぜ殺したと問いつめると悦子は、「あたくしを苦しめたからですわ」と答えた。
登場人物[編集]
- 悦子
- 未亡人。夫・杉本良輔が死亡し、昭和24年の春から、豊中市米殿村の舅・杉本弥吉の家に身を寄せ、舅の愛人となる。不幸というものを空想する天分に欠け、府営住宅の人々の暮らしを見ても、貧しさを見ずに幸福だけを想像し嫉妬する。妊婦のような、誇張したけだるい感じの歩き方をする。薄い唇で、肌理のこまかい肌。ときどき狂女のように見えることもある端麗な黒い目。実家は戦国時代の名将の血を引く旧家。母はすでに幼い頃に亡くなり、父も戦後に死亡。
- 杉本弥吉
- 悦子の舅。60代。東京近郊の小作人の息子だったが苦学し大学を卒業後、堂島にあった関西商船大阪本社に入社。東京から妻を迎え大阪で三人の息子を儲け、息子らの教育は東京で享けさせた。昭和9年に専務取締役となり、米殿村に一万坪の地所を購入。昭和13年に社長となり、翌年に勇退。その後は米殿村に建てていた別荘で隠居し、園芸家に委嘱していた果樹の栽培に専念。老いた妻は急性肺炎で死亡。田園趣味が情熱となると百姓の血がよみがえり、年老いた農夫の顔になる。亡き次男の嫁・悦子と自分だけ最上の果物や野菜を取り、他の同居家族には残りを配分。
- 杉本謙輔
- 弥吉の長男。38歳。無気力なディレッタント。ギリシャ語が読め、ラテン語の文法に詳しく文学的知識が豊富だが、無為徒食に暮す。喘息の持病があり、戦時中は徴兵を免れたが、徴用だけは免れそうもないのを知ると、父の口ききで米殿村の郵便局へ先手を打って徴用してもらう。弥吉の家の2階に妻と一緒に寄食。
- 千恵子
- 謙輔の妻。37歳。文学少女だったため、文学青年だった謙輔と気が合い結婚。出窓に並んで夫婦でボードレールの詩を音読する。暇なので夫婦で人の噂をし、押しつけがましい親切心をもっている。それを高級な擬態を装おい、批評と助言という役を夫婦で演じている。年をとってもその当り狂言を続け、おしどり夫婦と呼ばれそうな夫婦。
- 三郎
- 杉本家の使用人。園丁の若者。18歳。広島県出身。杉本家の園丁だった兄が戦争に出征したため、小学校を出たばかりの時に代りにやって来た。母親ゆずりの天理教の信者。日に焼けた見事な筋肉の腕や背中。すこし鼻にかかった燻んだ沈鬱な、子供らしい声。無口で質朴。五分刈の頭で、子犬のような黒い目。
- 美代
- 杉本家の女中。半分眠ったような田舎娘。鈍感そうな大きな瞳とつまらない鼻だが、愛らしい真紅の針刺しのような厚みのある唇の形だけは、悦子を苛立たせる。
- 浅子
- 杉本弥吉の三男・祐輔の妻。子供が二人いる。祐輔はシベリア抑留されているため、昭和23年の春から弥吉の家に身を寄せた。醜い顔で鈍感。料理も裁縫もできない。
- 信子
- 浅子の長女。8歳の小学生。おかっぱ頭。母親に似て醜い顔。沸騰している鉄瓶の中に無数の蟻を入れて観察する子供。母親の悪趣味で、花見の山行に原色の黄色いジャケットを着せられる。
- 夏雄
- 浅子の長男。5歳。
- 杉本良輔
- 悦子の亡き夫。弥吉の次男。多数の女と浮気し、悦子を嫉妬で苦しませた。昭和23年11月に腸チフスで死去。
- 良輔の愛人
- 一見、混血児のように見える女。入歯のような端麗な歯。見た目は25、6歳だが、目尻の小皺が40歳近い。夫は良輔の会社の取締役。夫の代理のふりで良輔の入院している病院に見舞いに来るが、チフスと聞いて怖気気味になる。
- 輸血人
- 鳥打帽をかぶった顔色のよくない少年。左耳の上に小さな禿があり、目がこころもち斜視で、鼻の肉が薄い。輸血代金を請求。
- 百姓
- 50代の懇意の百姓。杉本一家の花見の茣蓙に、盃を持って濁酒をすすめに来る。謙輔夫婦は花見をしながら、陰で百姓たちの悪口を囁きあう。
- 郵便配達夫
- 45、6歳。物をねだる癖がある。
- 農業協同組合の役員
- たまたま杉本家を訪問中、弥吉が自分の高校の後輩で会社の後継社長だった宮原啓作という国務大臣からの電報を受け取り喜ぶ様子を見る。そして、宮原の来訪を待ち、すっぽかされ恥をかく弥吉を見る。
- 大倉
- 弥吉に使われている小作人。
- 大倉の妻
- がに股の女。国務大臣来訪の準備で杉本家に呼ばれ、鶏を絞めに来る。娘は信子と友だちで、赤本の漫画を持っている。
- 中年夫婦一家
- 服部霊園に墓参に来ていた幸福そうな一家。四人の子供連れ。仲のいい夫婦と元気で無邪気な姉弟たち。悦子に道を尋ねる。
- 田中
- 実直な百姓。笛を吹く。祭見学の時に倒れた美代を、青年団と一緒に担架でかつぐ。
- 村の医院の院長
- 若い医学士。縁無眼鏡の軽薄才子。亡父の親戚一族の田舎者気質を嗤う。別荘人種気質の杉本一家に道で会うと、銀流し(まがいもの)の都人士気取りを見破られはしまいかという猜疑心から、愛想のよい挨拶をする。
作品評価・解説[編集]
『愛の渇き』は、三島の作品の中でも、「最も纏ったものの一つである」と言われ、その完成度と充実度の高さの評価は大方一致しており、24歳の若書きといったところも文章の端々に見られないこともないが、古典的ともいっていい緊密な構成力と最後に訪れる破局の力強さの圧倒力には定評がある。激しい女を魅力的に描き、小説家としての力量を十二分に発揮したことで、一人前の作家として文句なく文壇に認知された。
吉田健一は、「この作品は、我々に小説というものそのものについて考えさせる気品を備えている」と評し、三島が『愛の渇き』で試みているのは、「一つの持続を廻っての実験である。悦子は幸福を求めている。そしてそれは、彼女が退屈しているということと同じなのである」と提示し、それを描くのは容易ではなく、「退屈」の正体である「忍耐」に費やされる力が烈しければ烈しいほど、その表現は「退屈」を生々したものとして感じさせることができ、悦子を廻る村の一家の生活は、彼女の幸福に対する欲求を絶えず堰き止め、自分が生きているという意識を一層烈しく掻き立てる舞台装置となっていると吉田は解説している。そして、「何かの抵抗がなければ芸術作品は生れない」というヴァレリーの言葉を引き、「抵抗がなければ、人間は自分が生きているという実感を持つこともできないのである」と述べ、その点で作者は、一人の女が生きて行く上で完璧な条件を実現しているとし、「しかしそれを完璧にしているのは悦子自身の性格の強さなので、それだけ彼女は特異な存在なのであるが、この人物とその環境の取合せから起る生命の実感があまりに新鮮なので、個人的な特色などというものを我々は忘れてしまうのである」と、その構成の巧みさを説明している。
映画化[編集]
スタッフ[編集]
キャスト[編集]
おもな刊行本[編集]
- 『愛の渇き』(新潮社、1950年6月30日)
- カバー装幀:脇田和。紙装。草色帯。
- 文庫版『愛の渇き』(角川文庫、1951年7月15日。改版1969年)
- 文庫版『愛の渇き』(新潮文庫、1952年3月31日。改版1969年、1988年)
- 付録・解説:吉田健一。
- 『愛の渇き』(河出書房・河出新書、1956年4月25日)
- 英文版『愛の渇き―Thirst of Love』(訳:Alfred H. Marks)(チャールズイータトル出版、1970年)
参考文献[編集]
- 文庫版『愛の渇き』(付録・解説 吉田健一)(新潮文庫、1952年。改版1969年、1988年)
- 松本徹『三島由紀夫を読み解く(NHKシリーズ NHKカルチャーラジオ・文学の世界)』(NHK出版、2010年)
- 『決定版 三島由紀夫全集第42巻・年譜・書誌』(新潮社、2005年)
- 『決定版 三島由紀夫全集第2巻・長編2』(新潮社、2001年)