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{{一部転記|クロスネット局|ネットチェンジ}}
  
絶体絶命でんぢゃらすじーさん
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'''ネットチェンジ'''とは放送局がそれまでの系列(ネットワーク)と異なる系列に変わることを指す。
絶体絶命でんぢゃらすじーさん
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ここでは、[[日本]]での事情・事例について記述する。
ジャンル ブラック・コメディ、少年漫画
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漫画:絶体絶命でんぢゃらすじーさん
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作者 曽山一寿
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出版社 小学館
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掲載誌 月刊コロコロコミック
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別冊コロコロコミック
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レーベル てんとう虫コミックス
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発表号 2001年10月号 - 2010年3月号
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巻数 全20巻
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漫画:でんぢゃらすじーさん邪
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作者 曽山一寿
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出版社 小学館
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掲載誌 月刊コロコロコミック
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別冊コロコロコミック
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レーベル てんとう虫コミックス
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発表号 2010年4月号 -
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巻数 既刊12巻
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テンプレート - ノート
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漫画
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関連項目
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[表示]
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『絶体絶命でんぢゃらすじーさん』(ぜったいぜつめいでんぢゃらすじーさん)は、曽山一寿の漫画作品。『別冊コロコロコミック』2001年(平成13年)2月号と『月刊コロコロコミック』2001年6月号で2度の読み切りでの掲載を経た後、2001年10月号から『月刊コロコロコミック』にて、2002年(平成14年)6月号から『別冊コロコロコミック』にて連載開始し、現在は『でんぢゃらすじーさん邪』(でんぢゃらすじーさんじゃ)とタイトルを変えて連載中。単行本は全20巻(邪では1巻からカウントされる)。過去には『小学三年生』、『小学四年生』、『ちゃお』や『週刊少年サンデー』にも掲載された。
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==概要==
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日本では[[1960年代]]になって全国ネットワークが確立されてくると、特に[[全国紙]][[新聞]]社とキーステーション放送局の連携を強化するようになり、地方局もそれに出資する全国紙新聞社、ないしは東京キーステーション放送局の系列に入るようになる。
  
目次
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特に大阪では、[[朝日新聞社|朝日新聞]]と関わりの深い日本教育テレビ(→全国朝日放送、現・[[テレビ朝日]])の[[All-nippon News Network|ANN]]に[[毎日放送]](MBS)、[[毎日新聞]]と関わりの深い[[東京放送]](TBS)の[[Japan News Network|JNN]]に[[朝日放送]](ABC)が参加するという「[[腸捻転]]」と呼ばれる状態が長らく続いたが、新聞社との資本連携を明確にするため、[[1975年]][[3月31日]]にようやく腸捻転が解消され「ANN-朝日放送」「JNN-毎日放送」という新聞社にとって理想的なネットワークが確立する(後述、[[朝日放送#沿革|朝日放送の沿革の項]]も参照のこと)。
  
    1 概要
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また、[[1989年]]から[[1990年代]]にかけて、これまで1~3局しか無かった地方都市(都道府県)の4局化政策の構想に基づいて、主としてANNの地方新局(12局、他系列は2~3局)が全国各地に相次いで誕生したことから主としてVHF局を中心とした[[Nippon News Network|NNN]]・NNS、あるいはJNNとの[[クロスネット局|クロスネット]](複数の系列局に加盟した放送局)を解消し、[[フルネット]](マストバイ)に移行したり、それに伴うネットチェンジをする放送局も増えてきている。なお既存局が[[TXN]]系列に転じた例はまだない。
    2 登場キャラクター一覧
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        2.1 主要キャラクター
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        2.2 その他のキャラクター
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        2.3 お友だち軍団
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        2.4 大長編キャラクター
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            2.4.1 でんぢゃらすじーさん大長編
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                2.4.1.1 第1弾
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                2.4.1.2 第2弾
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                2.4.1.3 第3弾
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                2.4.1.4 第4弾
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                2.4.1.5 第5弾
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            2.4.2 でんぢゃらすじーさん邪大長編
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                2.4.2.1 第1弾
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                2.4.2.2 第2弾
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                2.4.2.3 第3弾
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                2.4.2.4 第4弾
+
                2.4.2.5 第5弾
+
    3 主な建物・場所
+
    4 用語
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    5 特別編
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    6 大長編
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        6.1 概要
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        6.2 作品一覧
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    7 番外編
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    8 単行本
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        8.1 絶体絶命でんぢゃらすじーさん
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        8.2 でんぢゃらすじーさん邪
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    9 ゲーム
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        9.1 ゲームソフト
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        9.2 体感ゲーム
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    10 アニメ
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        10.1 原作との相違点
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        10.2 概要(アニメ)
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        10.3 スタッフ
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        10.4 主題歌
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        10.5 各話リスト
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    11 ぼくのおじいちゃん
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    12 他の作品へのゲスト出演
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    13 その他
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    14 脚注
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    15 外部リンク
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概要
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ここでは系列局変更事例の他にクロスネットの解消例も挙げる。
  
じーさんと孫が織りなす不条理ギャグコメディで基本的には一話完結型のストーリー。じーさんが孫に世の中の危険から生き抜く方法を教えるが、もっと危険になるのが本作の基本路線である。しかし、連載が長期化するにつれこのテーマは形骸化し、キャラクターたちの日常を描いた話が多くなった。『コロコロコミック』での連載作品としては珍しく(全てギャグとして扱われているが)登場人物が死亡する描写が非常に多いのが特徴。
+
== 過去の事例 ==
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*1959年 [[日本海テレビジョン放送]] ラジオ東京(KRT。現在の[[東京放送]](TBS))系列から[[Nippon Television Network System|日本テレビ系列]]中心に切替。
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*1964年 [[テレビ西日本]] 日本テレビ系列からフジテレビ系列に切替。
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*同年  [[山口放送]]関門局 事実上の独立局から日本テレビ系列になる<ref>山口放送[[周南市|周南]](当時徳山)本局は当初から日本テレビ系列だった。関門局([[下関市]])が当初日本テレビ系列でなかったのは、対岸の[[福岡県]][[北九州市]](当時・八幡市)に日本テレビ系列のテレビ西日本があったこととの兼ね合いによるもの。また朝日新聞資本の九州朝日放送が当時フジテレビ、NETテレビの[[クロスネット]]だった関係上NETテレビの番組をフルネットする局が無かったことから、それを補完する意味で相当数のNET系列番組が放送されていた。しかし、1964年にテレビ西日本がフジテレビ系列、九州朝日放送がNET系列にそれぞれネットチェンジした関係で福岡県地域で日本テレビの番組が見られなくなったことから、周南本局と同じ日テレ系に統一できたという経緯がある。</ref>。
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*1971年 [[福島テレビ]]と[[福島中央テレビ]]の日本テレビ、フジテレビのネット交換(元々福島中央テレビは[[福島民友新聞]]([[読売新聞]]系)が中心となって設立されたため。福島テレビは[[テレビユー福島]]開局までJNN(TBS・東京放送)系列とのクロスネットを継続)
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*1973年 名古屋放送(現在の[[名古屋テレビ放送]])と[[中京テレビ放送]]の日本テレビ、日本教育テレビ(NETテレビ。現在の[[テレビ朝日]])のメインネット交換によるクロスネットの解消。
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*1975年 [[毎日放送]]と[[朝日放送]]によるTBS系列、NET系列のネット交換
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*1983年 [[福島テレビ]] TBS系列主体のクロスネットからフジテレビ系列単独ネットに切替<ref name=fs>福島テレビとテレビ信州の場合は単にクロスネットの解消と言えなくもないが、それぞれメインの系列との関係を解消してサブの系列に一本化されたという経緯から、ネットチェンジとも言える。</ref>。
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*1991年 [[テレビ信州]] テレビ朝日系列主体のクロスネットから日本テレビ系列単独ネットに切替<ref name=fs>福島テレビとテレビ信州の場合は、単にクロスネットの解消といえなくもないが、それぞれメインの系列との関係を解消してサブの系列に一本化されたという経緯から、ネットチェンジともいえる。</ref>。
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*1993年 [[山形テレビ]] フジテレビ系列からテレビ朝日系列に切替。
  
『コロコロ』同誌で連載していた他作品ネタにしたりされたりすることが多い(具体的な例として、じーさんの必殺技を鍛える訓練にて回想に『コロッケ!』や『ドラベース』のシロえもんなどが登場したり、のむらしんぼによる『あっぱれメガバカBoys』などに特別出演したりするなど)。
+
==クロスネットの解消例==
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*'''太字(強調されている文字)'''‐その放送局のメインネットワーク局。
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*▲‐同一地域においての新規開局に伴うもの。
  
第50回(平成16年度)小学館漫画賞児童向け部門受賞。テレビアニメ(テレビ東京系「おはスタ」、「ギャグコロスタジオ」内)やテレビゲーム、ホビーにもなった。略称は「でんじー」など。
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*1958年
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**▲大阪テレビ放送(現:[[朝日放送]]) - その時には、正式なクロスネット局ではなくなっていていたが、日本テレビ系列・'''KRT(現在のTBS)系列'''のクロスネット→KRT系列に統一([[讀賣テレビ放送|よみうりテレビ]]開局に伴う)
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*1960年
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**JNN基幹5社の「五社連盟」発足で、[[北海道放送]]、[[中部日本放送]]、[[RKB毎日放送]]で放送されていた日本テレビ系列の番組が姿を消し、また、[[札幌テレビ放送|札幌テレビ]]、[[東海テレビ放送|東海テレビ]]、[[関西テレビ放送|関西テレビ]]、[[毎日放送]]、[[テレビ西日本]]で放送されていたKRT系列番組も姿を消した(スポンサードネット・番組販売ネットといわゆる「系列」によるネットワークを整理統合した例)。
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*1962年
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**▲[[東海テレビ放送|東海テレビ]] - 正式なクロスネット局ではないが、 日本テレビ系列・'''フジテレビ系列'''・NETテレビ系列のクロスネット→フジテレビ系列に統一(名古屋放送(現在の[[名古屋テレビ放送|名古屋テレビ]])の開局に伴う)
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**[[札幌テレビ放送|札幌テレビ]] - 正式なクロスネット局ではないが、'''日本テレビ系列'''・NETテレビ系列のクロスネット→'''日本テレビ系列'''・フジテレビ系列のクロスネットに変更(NETテレビ系列番組の大半は午前中の学校放送。フジテレビとは翌1963年に正式にネット協定を締結した)。
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*1964年
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**[[九州朝日放送]] - '''フジテレビ系列'''・NETテレビ系列のクロスネット→NETテレビ系列に統一。(ニュースネットはNET系列中心だった。なお、学校放送→[[民教協]]番組は現在に至るまで[[RKB毎日放送]]のまま。)
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*1970年
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**▲[[仙台放送]] - 日本テレビ系列・フジテレビ系列・NETテレビ系列のクロスネット→フジテレビ系列に統一([[宮城テレビ放送|ミヤギテレビ]]開局に伴うもの。なお、『健康増進時代』など一部日本テレビ系列の番組はしばらく仙台放送でネットされていた)。
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*1972年
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**▲[[札幌テレビ放送|札幌テレビ]] - '''日本テレビ系列'''・フジテレビ系列のクロスネット→日本テレビ系列に統一([[北海道文化放送]]開局に伴う)。
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*1973年
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**[[名古屋テレビ放送|名古屋テレビ]] - '''日本テレビ系列'''・NETテレビ系列のクロスネット→NETテレビ系列に統一
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**[[中京テレビ放送|中京テレビ]] -  日本テレビ系列・'''NETテレビ系列'''、正式ではないが、東京12チャンネル(現在の[[テレビ東京]])系列のクロスネット→日本テレビ系列に統一(東京12chの番組は一部番組販売扱いで[[テレビ愛知]]開局まで継続)。
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*1975年
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**[[毎日放送]] - '''NETテレビ系列'''・東京12チャンネル系列のクロスネット→TBS系列に変更(東京12chの番組は一部番組販売扱いで[[テレビ大阪]]開局まで継続)。
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**[[青森テレビ]] - '''TBS系列'''・NETテレビ系列のクロスネット→TBS系列に統一(ニュースネットワークは[[All-nippon News Network|ANN]]のみだったが、番組編成は、TBS系番組に傾斜していた。)
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**▲[[広島テレビ放送|広島テレビ]] - 日本テレビ系列・フジテレビ系列のクロスネット→日本テレビ系列に統一([[テレビ新広島]]開局に伴う。広島ホームテレビ開局前~開局後もごく一部NETテレビ系列の番組も放送)。
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**▲[[宮城テレビ放送|ミヤギテレビ]] - 日本テレビ系列・NETテレビ系列のクロスネット→日本テレビ系列に統一([[東日本放送]]開局に伴う)。
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*1979年
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**▲[[静岡朝日テレビ|静岡けんみんテレビ]](現:[[静岡朝日テレビ]]) - 日本テレビ系列・テレビ朝日系列のクロスネット→テレビ朝日系列に統一([[静岡第一テレビ]]開局に伴う)。
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**[[岡山放送]] - '''フジテレビ系列'''・テレビ朝日系列のクロスネット→フジテレビ系列に統一([[岡山県]]と[[香川県]]の相互乗り入れに伴う、テレビ朝日系列は[[瀬戸内海放送]]に統一)。
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*1980年
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**[[テレビ岩手]] - 日本テレビ系列・テレビ朝日系列のクロスネット→日本テレビ系列に統一
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**[[山形テレビ]] - '''フジテレビ系列'''・テレビ朝日系列のクロスネット→フジテレビ系列に統一(ただし、1993年にテレビ朝日系列に戻る)。
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*1981年
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**▲[[福島中央テレビ]] - '''日本テレビ系列'''・テレビ朝日系列のクロスネット→日本テレビ系列に統一([[福島放送]]開局に伴う)。
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*1983年
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**▲[[新潟総合テレビ]] - '''フジテレビ系列'''・テレビ朝日系列のクロスネット→フジテレビ系列に統一([[新潟テレビ21]]開局に伴う、1981年の[[テレビ新潟放送網|テレビ新潟]]開局前は日本テレビ系列も)。
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**▲[[福島テレビ]] - '''TBS系列'''・フジテレビ系列のクロスネット→'''フジテレビ系列'''に統一([[テレビユー福島]]開局に伴う、JNNはTUF開局直前に離脱して以後はフジメイン)。
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*1987年 
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**[[秋田テレビ]] - '''フジテレビ系列'''・テレビ朝日系列のクロスネット→フジテレビ系列に統一
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**[[テレビ山口]] - '''TBS系列'''・フジテレビ系列のクロスネット→TBS系列に統一 ''(※)ただし、開局から1978年まではテレビ朝日系列との'''[[トリプルネット]]'''だった。''
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*1989年
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**▲[[テレビ熊本|テレビくまもと]] - '''フジテレビ系列'''・テレビ朝日系列のクロスネット→'''フジテレビ系列'''に統一([[熊本朝日放送]]開局に伴う、[[熊本県民テレビ|くまもと県民テレビ]]開局前は日本テレビ系列も)。
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**[[日本海テレビジョン放送|日本海テレビ]] - '''日本テレビ系列'''・テレビ朝日系列のクロスネット→日本テレビ系列に統一([[鳥取県]]・[[島根県]]相互乗り入れ前はフジテレビ系列も)。
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*1991年
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**▲[[テレビ長崎]] - フジテレビ系列・日本テレビ系列のクロスネット→フジテレビ系列に統一([[長崎国際テレビ]]開局に伴う、NNN・NNSはNIB開局直前に離脱している。ただしこれはNIB開局が半年遅れたため。)
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**▲[[テレビ信州]] - 日本テレビ系列・'''テレビ朝日系列'''のクロスネット→日本テレビ系列に統一 ([[長野朝日放送]]開局に伴う)。
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**▲[[青森放送]] - '''日本テレビ系列'''・テレビ朝日系列のクロスネット→[[日本テレビ放送網|日本テレビ]]系列に統一([[青森朝日放送]]開局に伴う)。
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*1993年
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**[[山形放送]] - '''日本テレビ系列'''・テレビ朝日系列のクロスネット→日本テレビ系列に統一([[山形テレビ]]ネットチェンジに伴う)
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** ▲[[山口放送]] - '''日本テレビ系列'''・テレビ朝日系列のクロスネット→日本テレビ系列に統一([[山口朝日放送]]開局に伴う)
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** ▲[[テレビ大分]] - クロスネット解消ではないが、'''日本テレビ系列・フジテレビ系列'''・テレビ朝日系列のクロスネット→日本テレビ系列・フジテレビ系列のクロスネットに変更([[大分朝日放送]]開局に伴う)
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*1994年
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**▲[[鹿児島テレビ放送|鹿児島テレビ]] - '''フジテレビ系列'''・日本テレビ系列のクロスネット→フジテレビ系列に統一([[鹿児島讀賣テレビ|鹿児島読売テレビ]]開局に伴う、[[鹿児島放送]]開局前はテレビ朝日系列も)
  
コミックスは第4巻の時点で100万部を突破し、14巻の時点で連載200回を突破(記念パーティーも行ったが、当時はまだ189回目だった)。『月刊コロコロコミック』2010年(平成22年)2月号にて、3月号の掲載が最終回になることが発表された(2009年(平成21年)12月号の扉絵でじーさんが「このマンガあと4回で終わるよー」と発言していた)。
+
== 大規模なネットチェンジ ==
  
しかし『月刊コロコロコミック』2010年(平成22年)3月号にて第2部ともいえる続編『でんぢゃらすじーさん邪』の連載が決定。現在「邪」を連載中(内容はほとんど変わっておらず、第1話は前作の連載1話目をリメイクしたような内容だった)。また、前述の「じーさんが孫に世の中の危険から生き抜く方法を教える」というテーマが(部分的にではあるが)復活している。
+
=== 福岡県と山口県(関門2県)のケース ===
 +
1960年代、[[福岡県]]をサービスエリアとする放送局のネットは入り組んでおり、隣県の[[山口放送|山口放送(KRY)]]も絡んで数回のネットチェンジが行われている。
  
ほとんどの話の冒頭には「これは…世の中を安全に生き抜く方法を教える…一人の老人の物語である」、「邪」では「これは…世の中のキケンと戦い続ける…でんぢゃらすなジジイの物語である」というモノローグが付いている。
+
==== 1964年9月30日までのネット状況 ====
 +
*RKB毎日放送 (TBS系主体。NET系列も放送)
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*九州朝日放送(KBC) (フジ系とNET系のクロスネット)
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*テレビ西日本(TNC) (日テレ系)
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*山口放送(KRY) ([[周南市|周南局]]・[[萩市|萩局]]・[[岩国市|岩国局]] 日テレ系 /関門局 独立局)
  
内容がハードであるにも関わらず人気は高く、『コロコロコミック』の中では長期連載の部類に入る。上位に掲載されていることが多く、時折表紙にも大きく描かれている。下ネタやブラックジョーク、ダジャレなどを主体とする。『コロコロ』誌上アンケート1位を獲得し、今でもその人気は衰えない。
+
[[福岡県]]は元々[[福岡市]]と[[北九州市]](当時の八幡市)とでは異なるチャンネルプランが設定され、別個のテレビ局がテレビ免許を受けていた。
登場キャラクター一覧
+
主要キャラクター
+
  
じーさん
+
福岡市はラジオ九州(RKB。毎日新聞系・テレビネットはTBS系主体)と九州朝日放送(KBC。朝日新聞系・テレビネットはフジ系主体)が、北九州市は西部毎日テレビジョン放送(毎日新聞系)とテレビ西日本(TNC。朝日新聞と[[西日本新聞]]系)がそれぞれ免許を受けたが、両地区の同一資本系列同士で合併することが前提となっていた。また、北九州局は関門海峡の対岸である[[下関市]]もサービスエリアに含まれていたため、[[山口県]]の放送局である山口放送(KRY テレビネットは日テレ系主体)もテレビ免許獲得に動いたが、結局西部毎日に出資することとなった上、西部毎日はRKBと合併した。
    声 - 中村大樹
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    本作の主人公で、前述のとおり自称「世の中の危険から生き抜く方法を教える」一人の老人。本名不明。年齢は不明だが、『コロコロコミック』の歴代作品における主人公の中では恐らく最高齢とされている[1]。一人称は「ワシ」で、語尾に「じゃ」とつける。
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    1巻第1話「じーさんじゃっ!」以降、5巻「ワガハイの変身じゃい!」、19巻「ワガハイを大長編に出すのじゃい!」以外ほとんど毎回登場する。基本的にボケ役だが、孫や校長が登場しない話ではツッコミ役になる(ただし、一部の話ではツッコミ役になることもある)。マイペースで適当かつ天然な部分が多いものの、回によっては(特に大長編シリーズと最終回)、孫や大長編シリーズに登場するキャラクターに人生で大切なことを教え諭すことが多い[2]
+
    また、時折金にがめつい一面も見せるほか、初期ではかなり目立ちたがり屋な一面があり、孫が自分より先に危険から助かる方法を提案したり実行しようとした時には「お前のせいで助かったらワシがおもしろくねーだろ!」と理不尽極まりない理由で彼を怒っていた。ささきさんなど友人が多く「邪」では彼の友人で結成された「お友だち軍団」なるものが存在する。
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    ハラマキにランニングシャツという典型的な格好をしている。基本、はだしで出かける時も靴は履かない。リアル化すると腹巻の下に描かれることのなかったズボン(色は白か黒)が出現する。たまに腕や足、体などがのびたり、コスプレ(ときには変身)したりする。普段は手足に指が描かれることはなく、じゃんけんの時などは瞬時に「ぐー」などと書いて対応する。またアニメでは歩く等の移動をする度に「ギュピ、ギュビ」と音が鳴る。鼻にボリュームのあるハンドルバーを生やしている(キレると髭の形状が広がり、先端が尖る)ため、「ヒゲ」にちなんだ呼び名で呼ばれることが多い。この容姿はヒゲを含めてすでに子供の頃に完成しており、現在と子供の頃の容姿の違いは髪の毛しかない。
+
    「孫爺砲(まごじいほう)」をはじめとする多数の奇抜な技をもつ。好きな言葉は酒池肉林、好きな食べ物はソース、好きな動物はイリオモテヤマネコで好きな駅は西日暮里駅。将来の夢は課長[3]、F1カーのタイヤ[4]で好きでも嫌いでもない物は電柱[5]。『コロッケ!』のゲームにゲスト出演したことがある。また、「イナズマイレブンGOギャラクシー」に隠しキャラとして参戦もしている。必殺技は「最強さん召喚」でパスワードを入力すると他のチームメンバーも使えるようになる。
+
    車や掃除機を改造したり家に自爆スイッチを取り付けたり、自ら車やロボットなどを造ったりすることから機械に関しては強いようだが、跳び箱を「生まれて初めて見た」と発言したりバスケットボールのルールを知らないなどスポーツについてはかなり疎い(ただし、ゴルフは知っている)。免許証を所持していないにもかかわらず自動車の運転をしたこともある(その車はじーさんいわく「道で拾った」とのこと)。その後も校長をドライブに誘ったり、大型戦車や電車を運転していたが、免許を取得したかどうかは不明。収入や所得に関しては言及されていないが、一応年金はもらっている。また、かなりの大金を所持する描写がある一方で、全財産で数十円しか所持していない描写もある。
+
+
    声 - 恒松あゆみ
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    じーさんの孫。本名は洋助(ようすけ)[6]。初登場は上記の「じーさんじゃっ!」であり、作中ではじーさんに次いで出番が多い。普段じーさんのことを「おじいちゃん」と呼ぶが[7]、たまにツッコミやキレた時に「ジジイ」や「クソジジイ」と呼んだり、時には「オマエ」呼ばわりすることが多い。小学校5年生(まれに話の都合で中学生になることもある)の男の子で、年齢は10歳か11歳程度。学校では5年1組に在籍。学校生活については作中でもネタにされる(じーさんから「お前本当に学校行ってんのか?」と言われるなど)ほどほとんど描写されないが、宿題に悪戦苦闘しじーさんに手伝いを頼んだり、テストで30点を取った描写があることから、勉強は得意ではない模様。また、「邪」において「天才的」と評されるほどに料理が下手である描写があるが(この時はじーさんに野菜炒めを作ってあげた)、「絶体絶命」では普通にラーメンやカレーを作れている場面がある(これに関しては作者が忘れていたとのこと)。赤いジャケット(「邪」からは白)がトレードマーク[8]。一人称は「俺」または「僕」。
+
    特技は工作で、体育が苦手。将来の夢はプロ野球の選手[9]で好きでも嫌いでもない物は筆ペン[5]。この漫画の登場人物の中では一番まともな感覚の持ち主であり(たまにじーさんのペースにつられておかしくなったりするが)、作中では主にツッコミ役担当となる。だが、あまりにメチャクチャな展開になると「帰りたい」「どーでもいーや」など思ったりその場から立ち去ってツッコミを放棄することも。
+
    家族構成はじーさん以外不明[10]だったが、最終回にておばあちゃんがいたことが判明した(ただし、10年前に孫が生まれたときに亡くなっている)。ギャグセンスが最悪(コロコロの付録『大でんぢゃじ〜典』によると「猫以下」)。普段はじーさんより弱いが、キレるとじーさんと同じかそれよりも強い戦闘力をもつ。
+
校長
+
    声 - 平野俊隆(第1期)→千葉繁(第2期以降)
+
    孫の通っている学校の校長でじーさんのライバル。初登場がじーさんとの初対面で、髭の量と言う外見の判断でじーさんを一方的にライバル視している。しかし彼とは一緒に遊んでいたり、時には仲直りしている所から、関係は決して険悪ではない。こちらも年齢は不明だが、じーさんよりは若干若いと思われる。初登場は1巻「校長登場じゃい!」。鉛筆の芯を彷彿させるような尖がり頭とどじょう髭、一本毛が特徴(いずれも先端が巻かれている)。
+
    自分が世界で一番偉くないと気がすまない性格。しかし子供相手に2秒で負けるほど弱い。気に入らない者や自分より偉い者は痛めつけたり殺そうとしたりするが、大概は調子に乗ってやられている。校長自ら登校時刻に正門に立ち、遅刻する生徒を取り締まったり、持ち物検査をしたりと教育者らしい行いをすることもある。しかし遅刻してきた孫を百発殴りつける[11]といった暴力的な制裁を加える所から、品格は無に等しい。一人称は「我輩」で、語尾に「じゃい」とつける。好きな人は勿論自分で、将来の夢は宇宙[12]で好きでも嫌いでもない物はダンボール[5]。作中で死亡した回数も非常に多い[13]。学校には先生は校長以外一人もいないらしい。「全国福引き大会」で84位の実力があったり(孫いわく「すごいのかどうかわかんねー」)、にらめっこしていないのににらめっこみたいな顔だと褒められたり(孫いわく「褒められてねぇ」)、昔は「すごろくリーダーバカマヌケウンコ」と尊敬されていたり(孫いわく「ほとんど悪口だ」)と何かと変な武勇伝が多い。じーさん同様、かなりの大金を所持している描写があったり、全財産数十円しか持っていない描写がある。
+
    過去、太ったのでダイエットをした結果イカのような別の生物に変わってしまい、前の方か新しい方かどちらの校長がいいか読者アンケートがとられ、元に戻されたことがあった。その翌年には本人のミスでじーさんを校長先生にしてしまい校長失格となり、これから校長を何と呼ぶかで再び読者アンケートがとられ、その結果名前が投票1位の「ミュミャリャツァオビュビュンピピュプリャプピフンドシン」になってしまった[14]。その後何度か使用されたが、まもなく使われなくなり[15]、いつしか「元・校長」と呼ばれるようになり、『邪』で完全に「校長」に戻った。
+
ゲベ
+
    声 - 太田哲治
+
    じーさん家の飼い猫。猫のような外見で他のキャラクターからは「ネコ」と思われて、自ら「ネコ」と名乗る場面もあるが、猫の言葉はわからなかったり、時折顔を除く精悍な体格に変化する謎の生き物。その正体は史上最強の猫「デビルキャット」の子供。[16]。
+
    コミックス2巻「ゲベゲベじゃっ!」が初登場で、初めは「しゃちょー」と書かれた箱に捨てられていたがじーさんに気に入られてこのまま飼うようになる。鳴き声は「ゲベ」で、たまにダンディな人間語をしゃべる[17]がかなりの毒舌である。なお、名前はじーさんが命名した。体色は耳を除いて白一色。
+
    作中では強い能力を持つキャラクターとして描かれ、戦車をつかったり口からビームを吐いたり「子ゲベ(正体は爆弾)」を出したり耳からパンチが出たりと色々な能力をもっている。レンタルビデオ屋にいったりパソコン操作もこなしたりと人間並みの行動もする。
+
    とにかく友情を大切にする性格で、誰かが喧嘩している所を放っておけないほどで友情と絡む形で諭す場合もある。一方で度々じーさんや孫、校長をひどい目にあわせている。
+
    将来の夢はすき焼き[18](昔は弁護士[19])で好きでも嫌いでもない物はサーフィン[5]。
+
コウテイ
+
    校長が飼っている犬(犬種はブルドッグ)。校長とお揃いのどじょう髭と一本毛が特徴。初登場は『邪』2巻「ゲベゲベじゃっっ!!」。おやつの時間に帰ったり、飼い主の校長が懸命に捜索しているにも関わらず家で寝ていたりと天然な一面がある。大して活躍していないにも関わらず早くも偽物が登場している。ゲベとは違いしゃべらない。漢字で書くと「校庭」。
+
最強さん
+
    声 - 坂口候一
+
    全身が黒で表現される[20]、じーさんの近所に潜んでいる史上最強のおじさん。一人称は「俺」。初登場は2巻「最強さんじゃっ!」で、孫は最強さん初登場前から本人を知っていたらしい発言をしている。
+
    普段外に出て、真の強さとは一体どんなものなのかと考えている。登場するとかならず他のキャラクターが最低1名は死亡し、加えて多くのキャラクターがその犠牲となるのが常。反面、体調が悪いと校長に負けるほど弱体化する[21]。
+
    全長は4メートル前後。嫌いな物は納豆[22]で好きでも嫌いでもない物はママ[5]。
+
    漫画の初期ではしゃべらなかったが、後にテレパシーのようなものでしゃべるようになる。また自分の家には普通に入れるが他の家に入ろうとすると踏み潰してしまう。
+
    『邪』になってからは3巻のみ1コマだけ登場していたがその後、久々に準レギュラーとして登場した。家族揃って登場した回もある(両親、弟、妹がいる)。
+
マッスル竹田とステップ長谷川
+
    声 - 坂口候一 / 太田哲治
+
    じーさんをリーダーとした「運動ならなんでもおまかせ隊」の隊員である。毎回冒頭のみの登場で本編での活躍は無い。マッスル竹田は体力、ステップ長谷川は運動神経を売りにしている。筋肉質で黒い海パン一丁を穿いたマッスル竹田は右に、ひょろりと痩せた赤い鉢巻きを縛っているステップ長谷川は左に配置している。
+
    1度目の登場では「おじゃる丸が始まるから[23]」と帰り、2度目では医者に行くと嘘をついてじーさんからお金を騙し取り現行犯逮捕された。3度目では2人とも塀から着地したとたん骨折し緊急入院した。4度目では長谷川は意味不明な理由で死亡しており(竹田曰く、イノシシと結婚して「なんだかんだで」2秒で死亡した)、遺影と墓のみ登場した(後に竹田もじーさんに突き落とされた)。5度目ではじーさんに借りた100円を返すよう要求したが、じーさんに財布を取ってくると見せかけ爆破された。
+
    なお、アニメ第1期では長谷川の名前が、ステップ鈴木に変更されている(コミックス第4巻扉で本人も相当ショックを受けていた)。
+
    1巻「とび箱をとぶのじゃっ!」で初登場以降、2年に一度コンビで登場していた。『邪』には3巻のみ1コマだけ登場。
+
ちゃむらい
+
    声 - 無し
+
    泣き虫の侍。一人称は「僕」か「俺」。桃色のひょうたんに手足とにょろりとつきでた口がくっついたような外見をしている。侍なので一応刀を持っているが刀身がない。初登場は第6巻「ちゃむらい見参じゃっ!」で初期は登場する話冒頭で常にドアップで登場していた。
+
    自分が弱虫なのをいいことに誰も相手にしてくれない。相当な泣き虫で歩くのが遅いだけで泣くが、他人が交通事故に遭うなど、自分の関係ないことでは絶対に泣かない。また、催眠術などで自信がつくと一転して調子にのって自信過剰な性格に変貌する。
+
    その他、他人に助けを求められても自分に関係ない限り絶対に助けないし、助かる方法を見つければ自分だけその方法で助かろうとするなど、エゴイストの一面を持つ[24]。相手(主にじーさん)の耳元でこそこそと話す。『邪』には3巻のみ1コマだけ登場。
+
    特技は号泣。戦う相手はゴミ箱やパソコンといった家具・道具ばかり。しかし、「ちゃむらいの戦いじゃっ!」(第8巻7話)では催眠術により最強さんに勝負を挑もうとしたが床に滑って頭を強打し彼との勝負にならなかった。好きでも嫌いでもない物は大学生[5]
+
    冷蔵庫にすっぽりはまってしまうなど結構大柄だが体重は孫が持ち上げられる程軽く、腕を上下させるだけで飛行できるという一面も。
+
りゅぬぁってゃ
+
    声 - 坂口候一
+
    動物園や水族館の園長をしている珍獣で、よく葉巻をくゆらしている。初登場は9巻「りゅぬぁってゃじゃっ!」。あまりにも呼びにくい名前のため、じーさんから名前を忘れられたり、間違えられることもある。一人称は「私」か「ワシ」。
+
    自分のことを人間だと思い込んでおり、動物と言われると激怒するが、口からレーザービームのような技を出せる上、怒るとバトルモードに変身し、人間とは思えない「完全無欠の化け物」(孫曰く)となる。また、暗黒魔導砲(あんこくまどうほう)という必殺技も持っている。後に進化して半魚人に容姿を変えて尻尾から大量の水を出す技と水中で魚のように自由に動き回れる能力を得て水族館の園長にもなった。
+
    その後はじーさんたちと遊んでいるシーンもあることから友人として扱われている。卵から子供3人(3匹?)を産んだこともあり、全員「川井」と命名(由来は「かわいい」から)。『邪』には3巻のみ1コマだけ登場(相変わらず「私は人間だ」と言い張っている)。
+
    アニメでは未登場だが、ゲーム『邪』においては登場している。
+
近所のガキ
+
    じーさんとたまに野球、砂遊びなどで遊ぶ無表情な2人組の子供。年齢は不明だが2人の体格や容姿からして幼稚園児から小学校低学年程度と思われる。初登場は6巻「砂遊びにまぜてほしいんじゃっ!」。ゲベとは仲がいいらしく、ゲベ同様に毒舌。2巻「校長と修行じゃっ!!」に登場した2人組の子供とは別人。『大でんぢゃじ〜典』では雑魚キャラ扱いされているが、初登場の回の終盤でじーさんを校長共々埋めている。『邪』には、4巻に1コマだけ登場。
+
  
    近所のガキその1
+
しかし、TNCは日本テレビが設立に加わってネットワーク関係も結んだこともあり、独自色が強くなってKBCとの合併を拒んだ。やがてTNCとKBCは結託し、相互に放送エリアを拡大。TNCから朝日資本が抜けることで、RKB-TBS系、KBC-フジ・NET系、TNC-日テレ系として福岡全県で視聴可能となった。
        右の方に居る子供。黄色い帽子をかぶっている。黄色いTシャツと緑色の短パンを着用し、黄土色の靴を履いている。
+
        好きな食べ物はガトーショコラ、趣味は囲碁、特技は株取引、将来の夢はくされきった日本をなんとかする事、悩み事はおねしょが直らない事[25]。
+
    近所のガキその2
+
        左の方に居る子供。背が高い上に鼻水を垂らしている。緑色のTシャツと黄色い長ズボンを着用し、茶色い靴を履いている。
+
        好きな食べ物はところてん、趣味はとり肉をモミモミ、特技はサンダーファイナルフラッシュ、将来の夢はアパート経営、悩み事は自動ドアが開かない事[26]。
+
  
その他のキャラクター
+
そこへ、下関市にKRYが関門テレビ局を開局した。ただし、電波規制のために周南本局(日テレ系)と全て同じ番組を放送するとTNCとサービスエリアが被ってしまう為、主にフジ系・NET系・そしてフィルム番組・自社(周南制作)番組を放送していた。
  
作者(曽山)
+
==== 1964年10月1日からのネット状況 ====
    声 - 本人
+
*RKB毎日放送(TBS系主体。日テレ系も放送)
    この漫画の作者。やたらと邪険にされている。本編にちょくちょく登場し、そやまんが(後述)でも登場している。『コロコロ』のじーさん関連の特集やゲーム版の攻略本では「ソヤマ氏」と呼ばれている。
+
*九州朝日放送(KBC)(NET系。日テレ系も放送)
    アニメでは「とりあえず面白いこと言ってください」と言われ出演している。そのとき言った言葉は「もみもみ拳法食らえー!」らしい(なお、実際に「食らえ!もみもみ拳法!!」と言っている回が存在する)。
+
*テレビ西日本(TNC)(フジ系)
不良
+
*山口放送(KRY) (日テレ系)
    学ランとリーゼントが特徴。よく孫がぶつかっている。「おけつワンワン」という犬を飼っている。
+
その後、TNCが日テレ系列を離脱。[[福岡放送]](FBS)が開局するまで関門地区以外では日テレ系の空白域となった。<br>
巨乳仙人
+
    声 - 神田理江
+
    その名の通り、巨乳の仙人。孫の夢に一度だけ登場。その時は縦ロールのような髪型にセーラー服の母親(?)も登場した。連載200回記念パーティーにも出演した。
+
芸術仙人
+
    声 - 坂口候一
+
    絵筆を持った仙人。妙な言動を繰り返した後、自転車に乗って去っていった。
+
ブサイク仙人
+
    ブサイクというより滅茶苦茶な外見の仙人。魔王の山に住んでいるらしい。
+
虫歯
+
    声 - 太田哲治
+
    じーさんを虫歯にした張本人。弱そうだが、強力なビームを発射できる。
+
本屋さん
+
    声 - 太田哲治
+
    見た目はおとなしそうな中年男性だが、万引きとなるとマッチョになり、ボコボコに殴る。
+
医者
+
    声 - 坂口候一
+
    白髭とぐるぐる眼鏡が特徴。じーさんが病院に行ったとき診察を受け持つのは必ず彼である。患者であるじーさんのことはやたらとぞんざいに扱う。
+
    作者の初連載作品である『探偵少年カゲマン』にも登場する。
+
佐藤さん
+
    じーさんの親友。どういう訳か下の名前を忘れ去られている。
+
クトゥ屋の店長
+
    声 - 太田哲治
+
    ゼンマイ仕掛け。じーさんに買われたが、その次の日に捨てられた。
+
鳥人間と口人間
+
    声 - 坂口候一 / 河本邦弘
+
    じーさんとだるまさんがころんだをしていたコンビ。鳥人間は緑色の鳥で、額に「鳥」と書かれており、口が悪い。口人間は目玉が飛び出て、口が伸びている。同じ単語を2回繰り返して言う。また、一人になると寂しくて泣いてしまう。アニメ2期ではかくれんぼをしており、鳥人間は茶色の鳥である。
+
てるてるさん
+
    声 - 坂口候一
+
    てるてる坊主の神様。雨が降って遠足が中止にならないか心配する孫のために、じーさんが連れてきた。本人曰く「晴れにするのは結構大変」で、明日の天気を晴れにする儀式をするが、失敗してしまった。アニメでは「テールテルさん」と呼称されており、口調が関西弁になっている。
+
お仕置きのささきさん
+
    じーさんがボタンを押すと上から落ちてくる。じーさんの昔からの付き合いで、大親友(らしい)。
+
堀内さんと杉本さん
+
    じーさん家に泥棒に入った2人組。後ろ姿はそれぞれじーさんと孫に似ており、着ている服は微妙に違う。金目の物が何も無かったため色々と暇つぶしをしていたが、最終的には帰宅したじーさん達に見つかり逮捕された。
+
ゴノレフ会長
+
    謎のスポーツ『ゴノレフ』[27]を作った人物。友達がいないらしい。
+
スター☆森脇
+
    シンガーソングライター。『おにごっこの歌』という歌でオチを締めた。
+
ジミーちゃん
+
    作者が2秒で考えた「これっぽっちも特徴のない心の底からどーでもいいキャラクター」。校長とボクシング対決をした。
+
ミラクル仮面
+
    謎のヒーロー(正体はじーさん)。最後は最強さんに灰にされた。
+
リンダ
+
    金玉つきの38歳。じーさんの命を狙っていた。
+
リアルなヘンタイ
+
    全裸で夜の街を歩いていた、いわゆる露出狂。480万円の借金をかかえている。
+
巨獣神メテオカオスデーモン
+
    校長がじーさんを倒すために建てた「校長バトルタワー」の1階を守っていた怪物。じーさんたちの数百倍もの巨体と6本の角、長い舌を持つ悪魔のような外見が特徴。校長バトルタワーのルール上、1階の敵から倒さないと上の階に上がれないのだが、あまりにも強そうな外見(じーさんいわく「あんな化け物に勝てるわけねーだろ! 出てくる漫画間違えてんじゃねーのか?」「じゃあ孫はあんなのに勝てるっつーのか? 100回コンティニューしたって無理だっつーの!」)から、じーさんたちは1階をすっ飛ばした(2階の相手はバランスが悪いほど弱い)。
+
    作者も描くのに苦労したらしく「巨獣神メテオカオスデーモンは頑張って描きました」とコメントしている。
+
サツ力一(さつりき はじめ)
+
    じーさんの親友のいとこの友達の息子。顔がサッカーボール。
+
本当のおじいちゃん
+
    最終回近くに登場。突如、孫の夢の中に現れた老人。顔、髪型が孫と相似している。実は70年後の世界から来た未来の孫であり、じーさんを思い出の桜の木に来させるため(過去の)孫に「本当のおじいちゃんはワシで、そいつ(じーさん)は偽者だ」と嘘を言い、孫を連れ去った。役目を果たした彼は、じーさんに「久しぶりに会えてうれしかったよ」と言い残し未来に帰った。
+
おばあちゃん
+
    11年前に死別したじーさんの妻。じーさんとは孫の夢の中にも出てきた桜の木の下で出会い、そこに彼女の墓がある。命日は孫の誕生日でもある。
+
耳沢リー
+
    じーさんの耳から出てきたほか、ラストで大長編の予告をした中年男性。名前の由来は耳障りから。
+
ヅラひこ
+
    カツラ屋の店長。よく頭のカツラがずれる。
+
平野
+
    『じーさん邪』のゲームを作ったクリエイター(実在の人物が元になっている)。以前は実家の喫茶店で働いていた。『じーさん邪』のゲームをじーさんたちに見せるが、タイトルが『まさゆきの冒険』となっており、主人公である自分自身を操作するアクションゲームになっていた。内容もバカバカしく、アイテム(ケーキやハブラシ、消しゴムなど)を取ると爆発して死んだり、母親が登場したり、1面のボス「よっちゃん」がすごく強かったりしている。極め付けにはAボタンとBボタンを同時に押すだけでいつでもクリアーできる「いつクリシステム」が搭載されている。2ヶ月後にはゲーム会社は消滅し、彼自身は実家の喫茶店を継ぐことになった。マラソン大会にも出場した。
+
ぴゅーちゃん
+
    マラソン大会の回で初登場[28]。見事優勝に輝き主役の漫画が描かれた。お出かけが大好き(目次や下ネタも好きらしい)。
+
キモイよオジサン
+
    見た目通りキモイおじさん。パンツ一丁で常に汗とよだれが流れている。生まれた瞬間からキモイらしいが、実は芸人でキモイのは芸風である。「きーもーいーよー」と言いながら現れ、語尾に「〜キモ」と付ける。
+
マモール教授、せーふてぃGさん
+
    『でんぢゃらすじーさんと1000人のお友だち邪』より登場。ゲームの情報をじーさんに教えるためにやって来たが、じーさんのあまりの無関心ぶりに怒り、じーさんに勝負を挑むがせーふてぃGさんが「マリオカートやろうぜ」と言ったためにその場にいる全員でマリオカートをプレイした。
+
  
これ以外にもその場限りのキャラクターが大量に存在する。大抵は名前が分からない上に、次回以降に登場することはほとんどない。女性キャラクターはごく少数ほどしか登場せず、そのほとんどが女性どころか人間の形すらしていない。
+
=====主な原因 =====
お友だち軍団
+
*従来フジ系を主体としていたKBCであるが、ニュースは朝日新聞の関係でNET系を主体としていた。フジテレビはKBCにニュースもネットするよう再三働きかけ、漸く一本ネットが通るようになったが、朝日新聞との関係を考えるとこれが限界であった。このため、ニュースも含めたフルネット局を福岡地区に持つべく、たまたま日本テレビとの関係が悪くなった(後述)TNCに働きかけた。
 +
*また、朝日新聞も朝日系テレビネットワークを構築するため、KBCに対しNETテレビとフルネットを結ぶよう勧奨した。
 +
*[[読売新聞]]が北九州市で新聞発行を開始したため、[[西日本新聞]]が危機感を持ち、その対抗策として系列のTNCが読売色の強い日テレ系列を離脱することで、その勢力を食い止めようとした<ref>読売新聞の近畿地区での発行部数が[[讀賣テレビ放送|よみうりテレビ]]開局後増加したこともあり、日本テレビとネットを組むことはおのずと読売の宣伝媒体に使用されるといった認識が地方紙にはあった。</ref>。 
 +
*RKBへ合併した旧西部毎日関係者を中心に新局を開設する動きがあり([[RKB毎日放送]]の項を参照)、これに日本テレビが一枚かんでいたとされたため、TNCがこの事を察知して、先手を打った。また、先のKRY関門局の開局にも日本テレビが応援していたとされ、TNCと日本テレビの関係は良くはなかった。
 +
*フジテレビ系の産経新聞は西日本新聞と提携関係にあった。
  
じーさんと固い友情で結ばれたお友だちの皆さん。読者から送られて来るものが主流となっているため、ここでは作者が考案したお友だちも含めごく一部を記載する。
+
=== 中京テレビ・名古屋テレビの「複合ネット」 ===
 +
名古屋地区については、1956年に中部日本放送(CBC)がテレビを開局した当初、日本テレビ(NTV)とラジオ東京(KRT。現在のTBS)のクロスネットであった。1958年、東海テレビ(THK)が開局した際、スポンサーなどの都合で東海テレビもまた日本テレビを主体としながら、ラジオ東京や関西テレビの番組も放送していた。
  
火ダルマくん
+
1960年、ラジオ東京を軸とした「四社連盟」が発足し、ネットワークはCBC-ラジオ東京系、東海-フジ系主体に整理された。ただし、東海テレビには日本テレビや日本教育テレビ(NETテレビ。現在のテレビ朝日)、毎日放送とのネットワーク関係が残されたが、これも1962年に名古屋テレビ(NBN)が開局した事でこれらの系列が同局に移行することで概ね整理が完了した<ref>ただし、日本テレビのプロ野球ナイター中継や毎日放送の上方演芸物など一部の番組は暫くの間残されていた。</ref>
    声 - 太田哲治
+
    いつも燃えている。水に入ると死んでしまうらしく[29]、マラソン大会では湖のポイントで燃え尽きてリタイヤとなった。
+
半・分太(はん・ぶんた)
+
    声 - 坂口候一
+
    外見は普通の少年が無表情の顔して、コマの隅に半分描かれているだけの姿をしている。とても恥ずかしがり屋のため、半分の状態でしか登場できない(また、吹き出しやモットーも半分である)[30]
+
    「普通の人の半分くらいの人生で死ぬ」と自負するが、ある出来事で孫とゲーちゃんを除く全員が死亡した際、「半分生き残っただけありがたく思え!」と発言するなど怖い面がある。
+
    彼の家族(両親、弟、飼い犬)も半分のみ登場する。祖父(声 - 千葉繁)は普通に全身が出ているが後ろ半分がない。自宅は半がつく代物であふれており(半ライス、半魚人など)、家具もすべて半分になっている。マラソン大会ではちゃっかり2位でゴールした。お友だち軍団の中では1番出番が多い。
+
三子間弟下ヌ(さんこまでしぬ)
+
    声 - 坂口候一
+
    その名のとおり、登場してから唐突に血を吐いてわずか3コマで死ぬ。その内生き返るが、その度に3コマ目には何かしらの理由も無くどうしても唐突に死んでしまう[31](その際血を吐くことがほとんど)。ただし、3コマ以上出ず、死なずにフェードアウトすることもある。
+
    帽子と着ている服に書かれている数字、出っ歯の数、頭のてっぺんの髪と後ろ髪のトンガリの本数全てが3である。
+
    気分によって二子間弟下ヌ(2コマで死ぬ)、一子間弟下ヌ(1コマで死ぬ)に姿を変えることができ、前述の外見上の特徴もそれに応じて変化する。なお、初登場時と再登場以降ではデザインが若干異なる。
+
ゲーちゃん
+
    トカゲ。特に何もしない。
+
スーパーうんちくん
+
    ウンコの姿をしているヒーロー。他にも同様のタイプのお友だちが数人も送られた。
+
血出血火(ちでぢか)
+
    炎と血が出るシカ。季節によって色が変わるらしい。一度三子間弟下ヌが着ぐるみとして着ていたことがあった。
+
鼻出下子(はなでかこ)
+
    鼻が大きい少女。鼻柄の服や靴、アクセサリーがお気に入り。
+
むしおじさん
+
    虫のような姿のおじさん。
+
ズバリアスリドアンバスパボドスコアン
+
    気持ち悪い生命体。一応日本人らしい。
+
鼻でか子
+
    その名の通り、鼻がでかい女の子。
+
ラリルレロンゲロンゲ
+
    声 - 坂口候一
+
    全体がロン毛でできている。普段はおとなしいが、キレると手が付けられなくなる。
+
歯毛野 巣字通(はげの すうつ)
+
    スーツ姿に奇抜な一本毛の男。
+
ふる ちんのすけ
+
    ちんこの姿をした生物。口が無いが「〜だっちん」が口癖らしい。体臭はけっこう臭い。
+
あばれん棒
+
    いつも怒ってぐるぐる回っている棒。
+
魔星蟲ダークネスクライサー1世
+
    昆虫に分類される闇の帝王。一度キレ出すと止まらない(初登場では孫の一言で怒り出した)。
+
幽0子
+
    その名の通り、女幽霊の姿をしている。校長の体に乗り移って、孫やじーさんたちを襲うがゲベに成敗され、校長の体を抜け出る。じーさんが付録のお札を使って封印しようとした結果、友達だとわかり和解した。その後、お札はゲベがじーさんを封印するために使用された。
+
完くん
+
    人前に出ると何かが終わる。漢字の”完”のような姿をしている。
+
  
大長編キャラクター
+
しかし、1969年4月に第4局中京テレビ(CTV)が開局した際、名古屋テレビは従来のクロスネットを崩さなかったため、中京テレビもNETテレビ系列と日本テレビ系列とのクロスネットを余儀なくされた。これに東京12チャンネル(現在のテレビ東京)の番組が加わり、ネットワーク関係は一層複雑となった。
でんぢゃらすじーさん大長編
+
第1弾
+
  
セルフワン
+
この背景には出力の強いVHF局で、既存局でスポンサーや視聴者にも馴染みのあった名古屋テレビを巡って、日本テレビ・読売新聞とNETテレビ・朝日新聞の争奪戦があったが、結局日テレ陣営が降りることで決着。1973年4月編成より、ネットワークは名古屋-NETテレビ系、中京-日本テレビ系に落ち着いた。
    地球から離れた惑星の宇宙人(どこの惑星出身かは不明)。一人称は「俺」。何事にも他人に頼る性格。部下は、後述のロボット軍団と校長を闇玉を喰らわせてパワーアップさせたブラック校長と前述のちゃむらいであるが、いずれも役に立たない。
+
    各惑星に存在していた闇の石板を囲み闇の大魔王を復活させることで、全宇宙を征服しようと企んでいる。部下たちと共にあと2つとなった闇の石板のありかである地球にやって来る。その途中で闇の石板が変な用途に使われてしまう苦労も見せつつも、その力を使って闇の大魔王が復活する。しかし、他力本願な性格であるところをじーさんに指摘されて怒るも、それが事実であることに気づき誰の力も借りず、自分の力だけでじーさんを倒し、気絶させる。だが「じーさんは、自分の力で戦うことを教えるために、わざとやられた」と察した直後に、闇の大魔王に光線を撃たれ、意識を失ってしまう。
+
    闇の大魔王敗北後、宇宙船・セルフワン・スペース号はじーさんと孫を巻き込むかのように大爆発してしまったが、無事に生存した(じーさんと孫はちゃむらいに救出されており、じーさんも彼が死んだとは思っていなかった)。そして、これからは彼の力で生きていくことを決意する。
+
    黒色の長髪で脳天に一本のアンテナを生やしている。
+
    週末にぶわ〜っと温泉に行きたがっている。[32]
+
ロボット軍団
+
    セルフワンの部下たち。主の命令には忠実で、闇玉(これを喰らわすと心が闇に染まり、セルフワン軍の部下になる武器)を製造したのも彼らである。全員、人型であり人間の言葉を話し、バズーカ砲を所持しているが、じーさんのゲロを嫌がるなどロボットらしくない一面も見せる。じーさんのオナラで吹き飛ばされた後は登場していない。
+
闇の大魔王
+
    闇の石版の力により、封印の水晶の力により能力を封じられていた大魔王。一人称は「俺様」。その正体は物語冒頭からずっと文字を囲んでいた頭1つと長い両腕だけのメッセージウィンドウそのものであり、魔王としての正体を現した時は孫も驚愕した。
+
    人類は利用してから殺すという魔王としての独自の考えを持っている。自分の力を取り戻すために利用したセルフワンを攻撃するも、セルフワンに殴られ気絶していたじーさんの渾身のパンチによって倒され、宇宙船の爆発と共に死亡した。
+
  
第2弾
+
また、[[1968年]]に日本国初の[[独立UHF放送局]]として開局した[[岐阜放送|岐阜テレビ]]も、開局当初はNETテレビの番組を多くネット受けしていたが、ネット局整理後の[[1973年]][[4月]]以後は[[テレビ東京|東京12チャンネル]]からのネット受けと自社製作に転換。[[オイルショック]]の影響で、放送時間もそれまでの準全日体制から夕方~夜間にかけての数時間に短縮された。
  
ドクタージョウ
+
==== 名古屋テレビから見た歴史 ====
    世界一の科学者になる事が夢で、親友であったユウとどちらが夢を叶えられるかという競争を約束する。しかし彼が病死した事をきっかけに、世界一強い男になるという彼の夢を叶えさせることを決意。
+
名古屋テレビはトヨタ自動車販売(現・[[トヨタ自動車]])の神谷正太郎を中心に、[[朝日新聞社]][[毎日新聞社]]、[[読売新聞グループ本社|読売新聞社]]の三大新聞社と日本テレビ、NETテレビの出資で設立された。このため、'''日本テレビとNETテレビのクロスネットとして開局した。'''しかしながら、当時は教育局であったNETテレビの番組は芳しくなく、[[読売ジャイアンツ|巨人]]戦や[[プロレス]]中継といった有力番組を持つ'''日本テレビ系列を編成の主軸に置くようになった。'''
    10年後、最強さんの腹の中でユウをロボットとして復活させることに成功する(ゲベによると彼の腹に菌が存在していると言っている)。彼の唯一の弱点「放たれた友情」を知っているが、「放たれた友情」=鼻水を彼に与えたため[33]、性格が一変した彼に貫かれ致命傷を受けてしまう。じーさんが彼に本当の友情を教えた後、彼らを出口へと行かせ自爆したユウと共に死亡した。[34]年齢は19歳である[35]
+
    悪の科学者を髣髴させるほどの肩に棘が生えている白衣を着ており、変わった眼鏡を掛けている(10年前は普通の眼鏡を掛けていた。)。髪の色は黄色で正面から見ると10年前の時と変わっていないが、髪を一本結びにしているのが覗かれる[36]
+
    ゴリラがメキシコから転がってきたと言う夢を見たらしい[37]
+
ユウ
+
    放課後に逆上がりの練習で苦戦していたところをジョウと出会い、親友になった。世界一強い男になるのが夢であったが、突然病死してしまった。
+
    あれから10年後、ジョウによってロボットとして復活したものの、10年前の記憶を失っている。彼の唯一の弱点は「放たれた友情」であり、ジョウの鼻水を浴びてしまい頭頂部が爆発。穏やかながら自分勝手で冷酷な性格から凶暴な性格に一変しジョウの体を貫く。じーさんとの戦いで殴られ、共に戦うのが本当の友達と思い出した時点で、ジョウのことを思い自爆した。没時の年齢は9歳。ジョウからは「ユウちゃん」と呼ばれている。
+
メカ軍団
+
    ドクタージョウが造った最強のメカ軍団。前作のロボット軍団とは違い、人型ではなく、言葉を話さない。じーさんと孫の連携技(?)である必殺孫バットによって一掃された。
+
  
第3弾
+
ただ、社長に就任した神谷は朝日シンパであり、腹心として(表向きにはトヨタディーラー・山梨トヨペット社長(当時)の実弟だからという理由で)朝日新聞の特信部長であった川手泰二を呼び寄せるなど、人事面では朝日色が強かった。殊に1964~66年にかけて、朝日新聞社はNETテレビとの関係を強化したため、約30%のネット比率だったNETテレビは毎年日本テレビと同等のネット比率とすべく、朝日新聞社と共に名古屋テレビに対し強く働きかけていた。
  
夢見関(ゆめみぜき)
+
こうした中、1969年4月に中京テレビが事実上NETテレビ系列を主体として開局するが、中京テレビは[[極超短波|UHF]]放送であるため視聴には別途コンバーターの購入が必要となる事で、同局と完全ネットを組む事はネットワーク政策上不利だと言われていた。このため、NETテレビも日本テレビも共に名古屋テレビとの関係強化ばかり腐心していた。
    世界一の力士になることが夢だったが、夢を叶えることをできず、それどころか太って胸が大きくなったせいで周りの者から馬鹿にされるという人生を送ったため、"時空の分かれ道(タイムフォークロード)"という人生をやり直せる「夢」と「現実」の分かれ道の一つ、「現実の道」へいこうとしたが、その分かれ道に通じる扉には鍵がかかっており、その鍵穴には校長のとんがり頭が鍵にぴったりだったため、愛の告白(?)をして彼を連れ去った。登場直後は、年老いて弱くなっており、じーさんに2秒で負けるほどだったが、扉の中へ入ると夢現道の魔法で若返って、転がってきた岩を素手で受け止めるほど強くなった。ゲベやじーさんに言われた言葉を通して、「夢」や「現実」よりも人生で一番大切なこと、「どんな道でも胸を張って生きること」に気がつく。
+
夢現道(むげんどう)
+
    人生をやり直したいという考えを持った人間が大好物な妖怪で、時空の分かれ道(タイムフォークロード)の正体。
+
    それぞれの分かれ道の先に手があり、胴体が蛇のようになっている。夢見関をかばったゲベを丸飲みし、今度はじーさんをつかまえたが、じーさんの「おっぱい」という言葉に唖然する。その後夢見関の張り手を喰らい、ゲベを吐きだしふっ飛んで行った。その際、じーさんたちに、一番大切なのは「(おっぱい)=「胸」を(張り手)=「張って」歩くことさ」と教えられる。
+
  
第4弾
+
結局、名古屋テレビはNETテレビと日本テレビのクロスネットを継続し、半年ごとの番組改編に頭を悩ませ続ける事となった。
 +
名古屋テレビは日本テレビを中心とした編成にNETテレビの高視聴率番組を組み合わせて放送し、その逆に中京テレビはNETテレビを中心に日本テレビと東京12チャンネル(現[[テレビ東京]])の番組を組み合わせた編成ながら、名古屋テレビの編成からあぶれた低視聴率番組しか放送できなかった(NETテレビは1973年まで、テレビ東京番組は[[テレビ愛知]]が開局する1983年まで)。
  
ドルマネー
+
ニュース系列はNNNに加盟し準基幹局として位置付けられていながらも、朝日新聞社との関係で正午前と夕方はANNの番組も受けていた。また、ゴールデンタイムは曜日毎にキー局が異なるため、原則スポットニュースは自社製作のもので代用していた。このため、夕方やゴールデンタイムのNNNニュースが東海地区では放送されない状態となり、日本テレビの不満は募っていた。
    金持ちばかりが住まう惑星・カネー星からやって来た宇宙人。カネー星で唯一貧乏であったため、周りの者から過酷ないじめを受けていた。その結果から分かったのは「世の中は金」であり、お金が沢山富んでいる地球に降り立つ。その後、孫を倉庫まで誘拐し、じーさんに孫を誘拐したことを話し、身代金として100000000000000000000000(1000垓)円を要求。
+
    登場直後は頭以外針金人間であったが、じーさんが持って来た270円を食べ、普通の体付きへと変化(体格とは裏腹にその強さは元・校長を拳一発で吹飛ばす程)。見つかりそうで見つけられない兵器・おっかねぇメーターを100まで満たすためには多量のお金が必要だったため、孫を連れ去った。その後、ちゃむらいの3万円を食べて竜と魔王を合わせた姿へと変化し(この時点から一対の翼と尻尾、腹に刻まれている¥マークという姿となる)、さらに銀行の有り金全てを食べ尽くして先程の姿とはさらに変化を遂げてしまった。その後もおっかねぇメーターはどんどん増え続け、99の所で先程吹き飛ばした元・校長のトンガリ頭が脳天に突き刺さり、大量のお金を吐き出したことで急速にパワーダウンしてしまう。そのことを激怒し孫を攻撃する。
+
    1位のために戦うじーさんと4位のために戦うドルマネーの激闘でこの世で大切な物、3位は夢、2位は友達、そして1位は家族と言う形であり「孫はワシの大切な家族だ」と教えられたと同時に、じーさんの拳に殴られた上におっかねぇメーターが0に到達し、それが消滅してしまったことで爆発し、普通の体付きへ戻り意識を取り戻す。そしてじーさんから「お金は夢と友達、そして愛する家族を守るために存在する物」だと教えられた後、これからは愛する家族のために働くことを決意し故郷・カネー星へと帰って行った。
+
    作中にじーさんから何度も「4位」と呼ばれ続け拒否していたが、最後には「ドルマネー」と呼ばれた。実は本人が言うおっかねぇメーターはページの両端に存在していた。宇宙人が登場するのは上記の第1弾以来である。キャラクタープロフィールは、お金にちなんだプロフィールとなっている。
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第5弾
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このような中途半端なネットワークを改善すべく、日本テレビは1970年より3年間、ゴールデンタイム枠を日テレ系番組に固定する契約を結び、20・21時台は完全に日本テレビ系列となった。しかし、NETテレビ・朝日新聞社の猛烈な巻き返しで1972年秋、土曜日の19時30分から2時間枠をNETテレビ系列にする番組案を発表。これで日本テレビの態度が硬化し、係争関係に発展。結局和解はしたものの、日本テレビは名古屋テレビとの関係を諦め、敢えて中京テレビと完全ネットワークを結ぶ事を決意。
  
柴田(しばた)
+
1973年4月1日、名古屋テレビはNETテレビと完全ネットを結び、NNNも脱退。これまで60%を占めていた日本テレビ系列の番組が姿を消し、名古屋テレビは以降苦戦を強いられる事となった。
    ステイルに殺処分されそうになっていた子犬。犬種は柴犬。
+
    売れ残りで唯一生きていたため、ゲベと出会い大切な仲間となった(台詞からは、家族も本当の意味での仲間もいなかった)。名前はゲベから付けてもらったもので、由来は前述のとおり柴犬だから。ゲベと共に今まで望んでいた外の世界に向けて脱出するも、待ち伏せしていたステイルの銃に撃たれ命を落とした。それでも最後まで彼女によって負傷したゲベに背負われ、じーさん、孫、ゲベの父親であるデビルキャットと共に全面破壊されたペットショップ「ステイル」から脱出した。脱出後、ゲベに見守られながら安らかに天国へ昇っていったかと思われていたが、最後のコマの台詞から生きているということが分かる(ただしゲベの夢の中での台詞であり、再登場もしていないため本当かどうかは不明)。前髪のような毛が特徴。
+
ステイル
+
    ペットショップ「ステイル」の店長。「ステイル」の面では来店して来たじーさん達に明るく大胆に振舞う面を見せる。しかし、本性は冷酷非道且つ残忍極まりない凶悪な性格で、このエピソードが収録されている単行本19巻の作品紹介でも「大長編シリーズ史上最凶の悪」と述べられており、作者は「この話で誰かが傷ついたりしないだろうか」「そんな危ない橋を渡ってまでこの話を描きたかった」とコメントしている。また「飽きる」という理由で売れ残ったペットをゴミ扱いし(ペット達の様子から虐待を加えている事も伺える)、殺してから捨てるという店員の面汚しとも言えるほどの外道(本人曰く「もともとペットショップなんて真面目にやる気ないし、3日も売れなかったら飽きちゃう」「ペットを捨てる人がいっぱいいるから、あたしだって捨ててもいいじゃん」)。詳細は不明だが、自分の父親ですら「関係ない」とゴミ扱いしている。
+
    殺処分する予定だった柴田をライフル銃で打ち抜き、更にゲベを負傷させ彼等を地下牢にぶち込む。その後、そこで再び対面したじーさんと孫、柴田を背負ったゲベを化け物で追い詰めるも化け物共はじーさんによって一掃されてしまった。しかし「デビルキャットがいれば、あいつらなんかいらない。もうみんな捨ててしまいましょう」と言って、化け物度共をあっさりと捨ててしまった(本人いわく「役に立たないものは何だって捨てる」らしい)。最後の切り札としてデビルキャットを出すが、彼こそがゲベの父だと判明、彼によってペットショップ「ステイル」と共に潰された。猫耳を模したカチューシャと黒色のおかっぱ、そして小さい眼鏡とタラコ唇が特徴。
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デビルキャット
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    ペットショップ「ステイル」にいる史上最強の猫だが、実はゲベの父。外見は体格と顔つきが人間に近くなったようなゲベと言った感じで、体長は息子のゲベの数十倍もある。ゲベ同様人間語を話し(口調も中年男性のような口調となっている)、最後まで仲間の気持ちを忘れなかったゲベのことをよく理解している。
+
    息子のゲベを襲わせたステイルを一睨みし、ペットショップ「ステイル」を全面破壊した。
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でんぢゃらすじーさん邪大長編
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==== 中京テレビから見た歴史 ====
第1弾
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中京テレビは1969年4月に、東海銀行(=現・[[三菱東京UFJ銀行]])を中心とした[[中京]]財界をバックボーンに開局した。先発局である[[中部日本放送|CBCテレビ]]と[[東海テレビ放送|東海テレビ]]も設立に深く関わっていたが、新聞資本はこれら先発局と関係の深い[[中日新聞社]]が集中排除の原則から出資を見送り、結局[[日本経済新聞社]](日経)の出資を受ける事となった。日経は当時日本教育テレビ(通称・NETテレビ)に出資しており、またそのNETテレビは名古屋テレビとネットワークを結んでいたが、その名古屋テレビの番組編成主体は日本テレビ系列であり、どちらかといえばNETテレビ系列は劣勢だった。こうした経緯もあり、中京テレビは当初はNETテレビを中心とした番組編成を基本方針としていた。
  
オナライダー
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しかし、名古屋テレビがNETテレビ系列の主力番組を離さず、また、NETテレビの実質的な親会社であった[[朝日新聞社]]も、先発局でありNETテレビ自身も出資をしている名古屋テレビとのネットにあくまで拘った。また、中京テレビはいわゆる日本の3大都市圏をカバーする[[広域放送|広域放送圏]]では初めて親局がUHFチャンネルとなる放送局だったため、視聴するためには別途コンバーターの購入が必要となることから、広告媒体としては非常に不利であると見られていた。このため、NETテレビも日本テレビも、名古屋テレビとの関係強化ばかりに腐心していた。結局、中京テレビには名古屋テレビの番組編成から外れた日本テレビ系列番組とNETテレビ系列番組があてがわれた。1969年12月に日経は東京12チャンネル(当時の[[日本科学技術振興財団]]テレビ事業本部)の経営に参加していたため、中京テレビの番組編成に東京12チャンネルの番組も加わったが、こうした東京の弱い番組ばかりをあてがわれていた初期の中京テレビは相当苦戦をしていた。
    じーさん達の前に突如現れた自称『無敵のヒーロー』で姿は赤い仮面と腹部に『お』が書かれたコスチューム、そして丸出しの尻が特徴で名前の通りオナラで攻撃する。
+
    登場した直後にじーさんに頼まれて校長を倒し(理由は焼き芋を奪われたため)、じーさんに感謝されるがその後も「悪は完全にたたきのめす」と言い、必要以上に校長を叩きのめした後、秘密基地(公衆トイレの便器が入り口)へと連衡。その後、尾行してきたじーさんたちをヘーデルの命令により攻撃するがヘーデルの命令に疑問を感じたために生かしておき、逃がす(その際じーさんに「オマエ、ぜんぜんヒーローっぽくないぞ」と言われる)。その後、見つかってしまったじーさんにかけられた言葉により、ヘーデルたちから反逆。逃げるじーさんたちを援護した後、ヘーデルの部屋に突入し、説得するが反論されて再び仲間と戦う。一方的に攻撃を受けるが直後に「無敵とは『敵が無い』という意味なんだぜ…。敵なんて無いから、誰も倒さない、誰も殺さない」と断言をする。しかし、直後に真のドクター・ヘーデルが取り付いた孫によって胴体を貫かれ、死亡したかと思われたがロボットだったので(後記参照)死ななかった。その後、ヘーデルの正体を知り、落胆するじーさんを励まし、思い出は忘れることが無いと悟る(当のじーさんは孫と校長のことをすっかり忘れていた)。
+
    その正体はヘーデルがわずかに覚えていた記憶(じーさんとの思い出)を頼りに作り上げたロボットであり、その仮面の下の素顔は紛れもなく幼い頃のじーさんの顔そのものである。
+
ドクター・ヘーデル
+
    オナライダーや他のヒーローロボットの生みの親であり、人々を捕まえてヒーローロボットを作らせ、帝国を作るのが目的。
+
    一か月前に病気にかかり、仮面をつけて眠っていた。しかし、実は既に死去しており、その後も夢をかなえるために魂だけで活動していた。
+
    『ヒーローとは目の前の「敵」を倒す者』とみなしており、そのため、じーさん達をオナライダー達によって始末しようとするがオナライダー達の反発により失敗し、反発したオナライダー達をあらかじめ基地に入ってきたときから取り付いていた孫の体を使って倒し、ゴミなどと罵倒するがそのことに逆鱗に触れたじーさんのオナラ一発で倒され、成仏した。
+
    正体はじーさんの幼馴染の『兵ノ助』。交通事故により、10歳より以前の記憶をなくしていた。しかし、僅かに残ったじーさんとの思い出を頼りにオナライダーを作り上げているなど、完全に忘れていたわけではなかった模様。
+
  
第2弾
+
ニュースは一応ANNの番組を受けていたが、名古屋テレビに配慮して「中京テレビニュース」とタイトルを差し替えての放送をしなければならなかった。当然ながら名古屋テレビが放送する正午前と夕方のANNニュースは放送することができなかった。同じ日経資本である東京12チャンネルが制作をした「東京12チャンネルニュース」(現在の[[TXNニュース]])も「中京テレビニュース」と改名した上でネット受けして対応。NNNニュースは未加盟でもあり、名古屋テレビとの関係で一切放送することができなかった<ref>これが原因となり、名古屋では夕方とゴールデンタイム=スポット枠のNNNニュースが一切放送できない事態となった。</ref>。
  
本作のゲストキャラクターは全て読者投稿によるもの。
+
しかしこの不利なネットワーク環境は1972年秋、土曜日の番組編成を巡って名古屋テレビと日本テレビとの間に起きた関係悪化によって急転換、日本テレビは敢えて中京テレビと完全ネットワークを結ぶことを選んだ。日本シリーズ中継を手始めに中京テレビと日本テレビは関係が深まっていき、1973年4月1日に中京テレビは日本テレビとの完全ネットを果たした。同時にNNNにも加盟する。
  
風邪のおまた三郎
+
それでも系列局の無い東京12チャンネルとの間には若干のネットワーク関係が残っており、「大江戸捜査網」「プレイガールQ」「日米対抗ローラーゲーム」「世界ビックリアワー」等がプライムタイム枠で放送されていた。また、中京テレビ製作の「[[お笑いマンガ道場]]」は、関東地区では当初テレビ東京(1981年10月局名変更)でネットされていた。1983年8月まで中京テレビはテレビ東京の番組をネットしていたが、1983年9月に同名古屋地区に[[テレビ愛知]]が開局。これにより日本テレビ系列の純粋な基幹局という位置づけに落ち着く。
    裸でマントを着こなし頭にはハチマキとまたと書かれた扇子を掲げて常に又を隠している。一人称は「ボクちん」で語尾に「っしゅ」をつける。
+
    じーさんの元・お友達で自分がこのかっこうのせいで友達がまったくできず一人でいたところをじーさんと出会い友達になったが別れ際に「またナ」と言われ又が丸見えな自分をバカにされたと思う。ある日、ある遺跡であのおかたと呼ばれる人物と出会い、人をあやつる力を授かりお友だち軍団の強そうなやつだけにさいみん術をかけ真・お友だち軍団を結成、自分を馬鹿にしたじーさんに復讐することを企む。そのためにじーさんにお友達軍団を残らず呼ばせ遺跡へと招き入れ真・お友達軍団とお友達軍団のどちらかが強いかハッキリさせようと勝負を挑む。だがさいみん術で戦わせているだけでチームプレイに弱い真・お友達軍団が一方的に押され降参を申し出ようとするお友達に対して「消えろ、もう会いたくない」と言葉を投げかけるがそれによってさいみん術が解け形勢不利に陥る。そこへモニターを通じて現れたあのおかたに助けを求めるもさっき自身が言った言葉を返された上、自分が利用されたことでショックのあまり涙を流す。だがお友達だといてくれたじーさんにあのおかたの居場所を教えすべてが終わった後は自分がやったことをじーさんに謝りじーさんから友達になろうと誘われるが迷惑をかけたから無理だと断りどこかでひっそり暮らすと言い残し立ち去る。その後、また一人でいたところを真・お友だち軍団と会いみんなから「またナ」の本当の意味(漢字の「又」にカタカナの「ナ」を斜めに並べて書くと「友」になる)を知る。
+
真・お友だち軍団
+
    元は校長からじーさんを守るために駆けつけたが、本人たちは頑張っていたのにじーさんは「またナー☆」と帰ってしまったため、じーさんは自分たちを友達だと思っていないのではないかと悩んでいたところをおまた三郎と遭遇し、さいみん術にかけられてしまう。先述のおまた三郎の言葉によりさいみん術が解けてもなお、真・お友だち軍団としておまた三郎の元に就いた。
+
  
    友達 守
+
以降1979年3月にスタートした日本テレビ系の朝の情報番組「[[ズームイン!!朝!]]」での中継や、「お笑いマンガ道場」を始め「[[ワザあり!にっぽん]]」「[[早見優のアメリカンキッズ]]」「[[サルヂエ]]」といった様々な全国ネットの番組を制作、在名局でも1・2を争う制作力をつけてきている。
        友だちを守るボクサーのような少年。
+
    二毛足 早男
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        足がとても速い。イケメン。
+
    大泥坊
+
        泥を投げつける男。
+
    個魔我理三
+
        駒とお巡りさんが融合されている。
+
    爆発 土っ管
+
        しょっちゅう爆発している土管。
+
  
あのおかた
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=== 大阪準キー局「腸捻転」の解消 ===
    一人で遺跡にいたおまた三郎にお友達を増やす力を与えたなぞの人物。遺跡へと招かれたじーさんの前にモニターを通じて喋り体もほとんどシルエットであり、おまた三郎によれば一番の友達だという。
+
==== 朝日放送から見た歴史 ====
    その正体は百年前に地下遺跡に封じ込められた魔物(本人曰く、実際には入れ物が正しいという)であり、おまた三郎を利用して人間を集めさせ生命エネルギーを吸い取って自分が世界の王になるのが目的で戦いなどはどうでもいいという。そして自分に助けを求めてきたおまた三郎に「消えろ、もう会いたくない」と言葉を返し、さらに自分を友達だと言うおまた三郎を嘲笑ったためにじーさんの逆鱗に触れてしまう。おまた三郎が居場所をじーさんに教えたために居場所がばれてしまい訪れたじーさんの前に正体を現すがその姿はバケツに目とあごに尻があるその通り入れ物の姿で名前は「ばケツ」である。最後には正体を知ったじーさんの拳の一発によってあっさり殴り倒された。
+
*[[1958年]][[6月]]、朝日放送テレビの前身、大阪テレビ放送はラジオ東京(KRT。現在のTBSテレビ)・[[中部日本放送|CBC]]・[[北海道放送|HBC]]・[[RKB毎日放送|RKB]]とニュースネットワークに関する協定を締結。テレビニュースはKRTをキー局とした。
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*[[8月28日]]、[[讀賣テレビ放送]]の開局に伴い、一般番組もKRTとの単独ネットになった。
 +
*[[1959年]][[6月1日]]、朝日放送は大阪テレビ放送を合併。
 +
*[[8月1日]]、テレビニュースのネットワークとしてKRTをキー局とする[[Japan News Network|JNN]]に加盟。
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*[[1960年]][[2月1日]]、KRT・[[中部日本放送|CBC]]・[[RKB毎日放送|RKB]]と「四社連盟」を発足。[[3月1日]]、[[北海道放送|HBC]]も加わり「五社連盟」に。以降、関西地区でのKRT系番組はすべてABCテレビから放送される事となった。
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**それまではスポンサーの都合等で毎日放送や[[関西テレビ放送|関西テレビ]]からもKRT番組が放送されていた。
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*[[1963年]][[1月]]、[[朝日新聞社]]の役員会で、日本教育テレビ(NET、現・[[テレビ朝日]])をキー局とする全国朝日新聞系テレビネットワークの構築が決定。
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*[[1964年]][[1月]]、朝日新聞社代表取締役の広岡知男が朝日放送を訪れ、キー局をNETに切り替えるよう要請。しかし、朝日放送側は[[ネットチェンジ#ABCがネットチェンジを拒絶した理由|反対理由]]を挙げて拒絶した。
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*[[1974年]][[4月25日]]、[[朝日新聞社]]の広岡社長は、朝日放送が挙げた反対理由の内、毎日放送の業績以外の項目をことごとく潰した上で、正式にテレビネットワークをNETの[[All-nippon News Network|ANN]]系列に切り替えるよう要請。
 +
*[[11月18日]]、この動きを察知したTBSの諏訪博社長が朝日放送の原清社長に対し業務提携の解除とテレビネットワークの打ち切りを通告。[[ネットチェンジ]]が決定。
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*[[1975年]][[3月31日]]ネットチェンジが行われ、テレビネットワークは現在に至る。
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*なお、JNN系列として最後に放送された[[ニュース番組]]は前日放送の週末最終版の[[JNNニュース]](※『[[JNNニュースデスク]]』はネットチェンジ当時は平日のみの放送)で[[All-nippon News Network|ANN]]系列として最初に放送された[[ニュース番組]]は当日から放送開始の『[[ANNニュースセブン]]』である。
  
第3弾
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=====朝日放送と大阪テレビ放送との合併について=====
 +
*大阪テレビ放送(OTV。JOBX-TV 6ch)は新日本放送(毎日放送の前身)・朝日放送・毎日新聞社・朝日新聞社との合弁事業であったが、開局後独立色の強いのテレビ局となっていった。その一方で、テレビ増波の知らせを聞きつけた新日本放送と朝日放送は競って免許申請を行い、お互い独自でテレビ開局を目指していた。
 +
*事態の収拾を図るために、新日本放送の[[高橋信三]]と朝日放送の飯島幡司の両代表者が大阪市内のホテルの一室にて[[ジャンケン]]を行い、籤引きをしてどちらかが免許申請をして、もう片方が大阪テレビ放送との合併をするか決め、その結果新日本放送が免許申請を行い、朝日放送が大阪テレビとの合併を行う事となった。
 +
*なお、この説については、毎日放送(新日本放送の後身)側は事実だとするも、朝日放送側(とりわけ[[原清]])は「おもしろおかしくした話で信用し難い」としてこれを否定している。原によれば、元来大阪テレビ放送は朝日放送に合併させるハラであったという事である。
 +
*当時、電波行政を掌握していたのが郵政大臣であった[[田中角栄]]であり、この田中角栄に朝日新聞社の当時の電波担当役員・永井大三が「福岡は朝日にくれ。大阪は朝日に抱かせてくれ。名古屋は相乗りやむなし<ref>つまり、「福岡は[[九州朝日放送]]にテレビ免許を与えて欲しい、大阪は朝日放送と大阪テレビ放送を合併させて欲しい、名古屋は毎日新聞社との合弁である新東海放送に免許を降ろして欲しい」の意。</ref>。」と陳情し、また毎日新聞社の実力者であった田中香苗は田中角栄に「大阪は新日本放送にテレビ免許を与えてくれ」と陳情したのに対し、田中角栄は「テレビ免許はラジオ局に降ろすのでは無い、新聞社に降ろすのだ。新日本放送から阪急資本を追い出せ。」と対応したとされる(当時阪急は別途[[関西テレビ放送|関西テレビ]]の開局に携わっていたため)。
 +
*つまりは出来レースであり、上述の「じゃんけん籤引き」が無くとも、朝日放送が大阪テレビ放送を合併して新日本放送が新免許申請をする事は既定路線だったといえる。
 +
*後日、田中角栄はこの結果「腸捻転」が発生したことに気付き、その解消に腐心する事となる。
  
ライラー
+
=====ABCがネットチェンジを拒絶した理由=====
    遊園地「イライランド」のマスコットキャラクター。怪物のような顔をしているが、それは仕事用であり、本来の顔は人間のような顔である。イライランドはイライラした者だけが入れる遊園地で、バリアーで覆われ出ることができない。アトラクションも人をイライラさせる物ばかりである。怒っているときは”(怒)”、喜んでいるときは”(喜)”という風に台詞のあとに自分の心境が括弧内に表されている。にらめっこが得意。
+
*NETは教育専門局に過ぎず、同局をキー局とすると営業面で制約が生じて不利となる。
    イライランドは「世界からイライラをなくす夢の楽園」と豪語しているが、実際は伝説の魔人「カンニン・ブークロ」を復活させるための場所だった。過去に自分の身に起こったと思われる嫌な出来事を人のせいにし(じーさんには人のせいにして自分を守ろうとすることに対し「くだらない」と言われる)、偶然遭遇した魔人を使って人を消してやろうと企む。しかし魔人に裏切られ消されそうになるが、じーさんに助けられ、孫やお友だち軍団の皆がじーさんを手伝うのを見て、人のせいにしない者もいるということを知る。その後ケジメをつけ、皆と協力して魔人を撃破。そして嫌なことを自分のせいにできる強い人間になると誓う。その後じーさんたちは土手で目覚め、イライランドは夢の中での出来事だと判明するが、ライラー自身は存在していることを暗示させるシーンが描かれた。
+
*NETをキー局に全国朝日系テレビネットワークを構築すると言うが、そのNETには[[朝日新聞社]]以外にも[[日本経済新聞]]社の資本が入っている。逆に現在のキー局である[[東京放送|TBS]]にも、[[毎日新聞社]]や[[読売新聞社]]と共に朝日新聞社の資本が入っており、こうした資本構成ではネット変更をする理由にはならない。
    大長編シリーズのキャラクターでは珍しく自分の名前を名乗っておらず、じーさんたちから名前で呼ばれることも無かった。
+
*そもそもNETの経営状態が悪いので、まず同社の再建が先決である。
カンニン・ブークロ
+
*朝日放送と毎日放送との間の営業成績にも格差がある(これはNETをキー局とすれば、必ず営業成績が落ちる事を意味する)。
    イライランドのお化け屋敷に封印され、ライラーによって復活を遂げた魔神。背が小さく、ゴミ袋のような姿をしている(ライラー曰く「期待外れ」)。また、イライラすると小屋に引きこもる。ライラーに人間を消滅させるよう命じられるが、反感を起こし口から強力なビームをライラーに向け発射する。しかし、じーさん達にビームを弾き返され爆死した。
+
*[[九州朝日放送|KBC]]は[[フジテレビジョン|フジテレビ]]との、[[名古屋テレビ放送|名古屋テレビ]]は[[日本テレビ放送網|日本テレビ]]とのそれぞれクロスネットである。テレビネットワークは最低「東名阪九」が完全に繋がらないと商売にならない。
 +
*「[[朝日新聞ニュース|NETニュース 朝日新聞製作]]」は[[テレビ朝日映像|朝日テレビニュース社]]が製作する外注番組であるが、テレビニュースは[[Japan News Network|JNN]]の様にテレビ局が主体となって製作すべき物である。従って外注を止めて欲しい。
  
第4弾
+
要は「朝日系列だから」という理由だけで、わざわざTBS系列といった盤石な基盤を捨ててまで脆弱なNET系列に移るという事は不可解である。ABCは「朝日」放送と名乗ってはいても、朝日新聞社以外にもその他大口出資者([[近畿日本鉄道]]、[[阪神電気鉄道]]、[[大阪ガス]]、[[高島屋]]、住友銀行(現・[[三井住友銀行]])等)が多数存在する一般企業である。従って朝日新聞社一社のために企業価値が損なわれ、他の株主に迷惑をかける事はあり得ない。「それでも親会社の言うことを聞け」と言うのであるならば、それなりの大義名分が必要だと言うことである。
  
ハナミゾ大王
+
=====朝日放送が「腸捻転」解消に消極的だった理由=====
    鼻の下のミゾ計画の計画者。長い鼻の下の溝(人中)はペンで描いた線。心に溝が出来ており、部下達を冷たくあしらう。彼のハナクソを食べると鼻の溝が異常に長くなり、沢山食べると顎が地面についてしまう(当初はコレが鼻の下のミゾ計画としていたが、実は宇宙船の下を地球のコアに突き刺して死の星にすることだった)。主な武器はハナクソの剣「ハナクソード」、必殺技は「ハナ水でっぽー」、「ファイナルハナクソニック」。じーさんと勝負し、最初は圧倒的な強さを見せつけたが、部下達がやられたことを知り、彼らを消し去ろうとしたが、心に溝がないじーさんを見て動揺する。最終的にはじーさんに1対1の勝負を挑み、鼻に指をつっこまれて鼻血を出して倒れた。
+
朝日放送がTBS系列からNET系列に[[ネットチェンジ]]する事で「腸捻転」が解消した実際の要因が、[[1974年]][[11月18日]]にTBSから業務提携の解除とネットワークの打ち切りを通告された事から判るように、朝日放送は最後まで「腸捻転」解消に消極的(それから、元々のキー局であったTBSも)だったが、その理由は既述「拒絶した理由」1~6の他にも、いやその拒絶理由が無くなったとしても朝日放送側にはまだ以下の不安要因があったからである。
    実は何処かの惑星に住んでいた宇宙人だったが、荒廃の危機にあり生き残ったのは自分を含む5人だけになってしまった。生き残りの住人達(後の部下達)を家族として迎え入れ[38]、楽しく宇宙を旅していたが、次第に周りに人がいることに鬱陶しさを感じ始め、心に溝が出来てしまったらしい。じーさんに負けた後は、宇宙船を爆破して本当に一人になろうとするが、追い出したはずの部下達に「死ぬ時は一緒です」と言われ、嘲笑いつつも彼らを抱きとめ、彼らと運命を共にした…と思いきや、実は生きており、その後ブツブツ文句を叩きつつも、再び部下達を連れて旅に出た。
+
*JNNに比べ、ANNは系列局がクロスネットを含めても少ない([[1974年]]の時点でJNNが25局なのに対しANNが9局)。系列の力が弱いため、地方によっては自社番組がフルネットから遅れネット、あるいは打ち切りになる可能性が高い。こうした系列変更に伴う地方局への営業力低下を懸念していた。
ハナミゾ四天鼻衆
+
*JNNからANNに移る事によって、当時高視聴率が多く営業成績の高かったTBSの番組を失い、相対的に芳しくなかったNETの番組を受け容れる事になる。これらの事から、ネットチェンジで朝日放送の営業収益は必ず減少すると見込まれていた。
    ハナミゾ大王に使える4人の部下。戦士風の「ハナミゾウォーリアー」、キックが得意な「ハナミゾカンフー」、紅一点の「ハナミゾレディ」、猫の「ハナミゾキャット」。ハナミゾ大王を心から愛し、忠誠を誓っている。
+
*上記のような不利な条件下であったにも拘わらず、毎日放送が好成績を上げていたのは番組製作力や企画力、営業販売に関する総合力で他局を圧倒していたからである。毎日放送はキー局が弱かったため、自社制作番組の強化でこれを克服。在阪カラーの強い局として評価を高め、またこれら自社制作番組を地方局に売り込み営業成績を上げていた。実際、NETテレビ系列局が編成上の都合で放送しなかった場合は、ラテ兼営局であった強みを生かし同地域内の他系列局に販売またはスポンサードネットした事もあった<ref>例:「[[テレビスター劇場]]」・「[[東リクイズ・イエス・ノー]]」・「[[真珠の小箱]]」は[[広島ホームテレビ]](HOME・当時UHT)ではなく[[中国放送]](RCC=TBS系)で、「[[皇室アルバム]]」は[[北海道テレビ放送|北海道テレビ]](HTB)ではなく[[札幌テレビ放送|札幌テレビ]](STV=日本テレビ系)で放送</ref>。一方の朝日放送は番組制作力には定評があったが、キー局や系列局が圧倒的に強かったため、毎日放送のように積極的に動かなくとも十分に採算が取れていた。このため、TBS系列に依存する体質が染みついていた当時の朝日放送は、毎日放送よりも体力が不足していた。これがいきなりANNに移ることによって、ローカル枠と全国向け発枠が急増し、その結果関西ローカルの自社製作番組や(現在放送されている『[[おはよう朝日です]]』など)、毎日放送が制作していた枠(現在放送されている『[[パネルクイズ アタック25]]』はその実例)を代わりに制作しなければならないという頭の痛い問題が生じる。毎日放送も相当な年月を掛けてようやくこの体制を確立してきたのに、朝日放送がすぐさまこれに取って代わることは困難だと思われた。
    戦闘力は孫でも勝てるほど弱く、大王に足手まといとされ始末されそうになるが、じーさんに助けられる。そして大王を応援するも大王に「出ていけ、お前らなんか大嫌いだ!!」と言われ泣きながら追い出されるが、宇宙船の爆発直前に大王のもとへ戻ってきた。その後は大王同様生きており、共に旅立っていった。
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*但し、同局の制作現場は逆にこれを自社番組制作能力を向上させるチャンスと捉えていて、その努力が後々繋がる結果になった。
  
第5弾
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===== 朝日新聞社が[[腸捻転]]を問題視した理由 =====
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*TBS系列時代の全国ニュースは[[排他協定]]の影響もあり、自主制作の「[[JNNニュース]]」を放送していた。朝日新聞制作のテレビニュースは僅かに[[読売・朝日・毎日3社ニュース|夕方の3社ニュース枠]]での朝日新聞ニュースが、NETからの裏送りで放送された程度で、肝心の「NETニュース 朝日新聞制作」は朝日放送では放送されず、しかもそれを毎日放送が「MBSニュース」と題名を差し替えて放送していた。つまり、「朝日新聞制作」のニュースが大阪では「毎日新聞系」の毎日放送から放送され、また「朝日新聞製作」のクレジットで全国に放送される関西発のニュースは朝日放送ではなく毎日放送が取材した物であるといったちぐはぐな状態が続いていたのである。
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*また、朝日放送に限らずJNN系の基幹局は母体の新聞社から距離を置き、独自の道を歩もうとした局が多かった。「新聞と放送は別物」という事で朝日放送も朝日新聞社との関係が疎遠になりつつあった。当時電波政策に後れを取ったとされる朝日新聞社は、この「朝日放送の朝日新聞離れ」を憂慮。両社上層部間の食事会や懇談会を定期的に催し、また相互に現場交換を行う事で新聞と放送での一体感を持たせ、JNNに傾きつつあった朝日放送を朝日新聞陣営に引き戻そうと懸命に努力した。なお当時アナウンサーだった[[中村鋭一]]は、この現場交換要員として朝日新聞大阪本社社会部に出向し、新聞記者となっていた。この記者時代の経験が、後のABCラジオ「[[おはようパーソナリティ中村鋭一です|おはようパーソナリティ]]」の初代パーソナリティとして成功に繋がったと言われている。
  
ツーケー
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==== 毎日放送から見た歴史 ====
    必風の師匠。
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毎日放送は、朝日放送と共同で大阪テレビ放送を経営していたが、1958年テレビ電波増設に伴って袂を分かつこととなり、毎日放送が新たにテレビ局を開局、朝日放送が大阪テレビ放送を合併することとなった。
豪傑 必風
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    ツーケーの弟子。人見知りで頭が悪く、間違える事もある。
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主な建物・場所
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毎日放送テレビは、当初はラジオ東京テレビ(KRT。現在のTBS)とのネットを目論み、1958年12月1日に開局する予定だったが、KRTの今道潤三常務(当時。後にTBS社長・会長を歴任)から「KRTは既に大阪テレビ放送とネット協定を結んでおり、毎日放送とネットを組むことはできない。ネット番組はそう簡単に動かせない。」とネット関係を拒まれた。
  
じーさん家
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なお、今道が毎日放送のネット要請を蹴った理由は以下の通りと伝えられている。
    じーさんと孫の自宅。2階建て。一度サンタにテレビを盗まれたが、今は戻っている。頻繁に爆発・破壊されるが、次の回までには修復されている。自爆スイッチ(じーさんが380万円で購入)が付いていたり、いきなり回りが崖になっていたりする。また、居間にはトゲ床がある。テレビの映像は適当に描かれている。
+
;感情説 
    また、テレビアニメ版では大幅に美術設定が追加された(庭に通じる窓や廊下など)。
+
:OTV開局当時、KRTは一部のローカルニュースを除いてすべてKRT番組をフルネットする事を要請したが、OTVは放送の自主性を盾にこれを拒み、中部日本放送と共同歩調を採って日本テレビとのクロスネットを選択。さらに放送する番組については電波料の配分などOTVが有利となるべくKRT番組と日テレ番組を両天秤にかけていた。この一連の動きを推進したOTV・永松常務は毎日新聞の出身であり、のち毎日放送に移籍してテレビ開局の当事者となったため、不信感を持ったKRTが毎日放送とのネットワークを拒んだといわれるもの。
    ゲーム版によれば、所在地は東京。
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;バランス説 
学校
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:KRTは新聞各社や電通の出資で設立され、日テレに比べ背後の新聞色が薄い局と言われていたが、実態は毎日新聞の影響が強かった。現職役員も当時の鹿倉専務を筆頭に毎日新聞出身者・出向者が多く、今道もまた毎日新聞関係者の縁でKRTに入社した経緯があった。この背景があるため、テレビネット成立は容易と睨んだ毎日放送は楽観的に取り組んでいたが、寧ろKRTとしては特定の新聞色を払拭すべく動いていた。これはKRTがニュース番組を軸にネットワークを形成しようと準備していたが、地方局は地方新聞社との結びつきが強かったため、これを配慮すべく福岡が毎日系のRKBならば大阪は毎日放送ではなく朝日系となったOTVで無ければ都合が悪かったと言われるもの。
    孫が通う小学校。ここの校長は自分が世界で一番偉くないと気がすまず、生徒からの苦情も絶えない。ここには校長の銅像があったがじーさんが壊してしまった。孫以外の生徒は適当に描かれている(一部を除く)。朝の朝礼は毎日やっているが、その内容は校長が「我輩って偉いよね〜」と繰り返すもので、ひどいときには給食の時間までくいこむ。作中で、校長以外先生が1人もおらず、休み時間ばかりだということが明らかになっている。しかし、後に時間割表で国語、社会などが出てきたことから学校の行事はまたしても意味不明になっている。またじーさんが校長をすることになったがまったく校長らしいことをしていない。ただし校則は「廊下を走るな」と至って普通(しかし破ると金玉を引きちぎられるらしい)。
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;ステーションネット説 
街中
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:日本テレビは1958年8月に開局したよみうりテレビと完全ネットを結んだ。以降関西地区での日テレ番組は全てよみうりテレビが放送し、OTVにはKRT番組しか流れなくなった。これでKRT・OTV間の関係は緊密化し、ネットワークに関する業務提携を行った。しかしながら、ニュースを含めたKRT番組の半分が毎日放送へ流れる事は、単独ネットの日テレに対しネット関係が複雑となるため、KRTの営業活動に支障を来す事になるおそれがあった。このため、KRTでは朝日放送が毎日放送に対して採った「朝日放送とOTVが[[商法]]に基づく対等合併である以上、OTVの権益は全て朝日放送が継承する」という主張をバックアップし、OTVと結んだ提携を継承した朝日放送との完全ネットに踏み切ることにしたもの。<br><!--なお、一説には、毎日放送が当初大阪をキー局とするネットワークの構築を目指していたため、KRTとのネットワークを自ら拒んだとされている。-->
    普通の街だが、じーさん達のせいでたまにとんでもないことが起こる。
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公園
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    じーさんと校長の決闘の場。インド公園、はなげ公園、ニキビ公園など。ブランコと滑り台、シーソーが存在する。
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ブラボー王国
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    じーさんが住んでいる国。日本によく似ている。また、日本でいう北海道にあたる部分の名は「北海道」であり、また「東京」という地名もある(ただし、実際の東京とは違い太平洋上に浮かぶ島)。しかし北海道はゲベによって滅亡した。ただし、第11巻の「じーさんの日本沈没じゃ!!」では、「私たちの住んでいる国、日本」という記述があり、現在ではブラボー王国という名前は、使われなくなっている。
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スーパー鼻毛屋
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    普通のスーパー。とんでもなく怖い店長がいて、万引きは許さない。
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クトゥ屋
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    じーさんが孫の靴を買い換えるため孫を連れてきた靴屋。まともな靴は一足もない。ゼンマイ仕掛けの店長がいる。
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本屋
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    一見、何の変哲も無い本屋。店長はマッチョで、立ち読みや万引きは絶対に許さない。
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動物園
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    りゅぬぁってゃが経営する動物園。普通の家のような外観に、動物園と書かれた巨大な看板が立っている。「キリンっぽい」と言う理由だけで掃除機を飾っている(それ以外何もない)。
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水族館
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    りゅぬぁってゃが経営する水族館。普通の家どころか単なる公衆便所にしか見えない外観に、水族館と書かれた巨大な看板が立っている。中には「ぼくさかなー」という吹き出しと魚の絵が書いてある張りぼてがある。その絵の頭には穴が開いており、そこに首を突っ込むことによって魚に「変身」できる(これまたそれ以外何もない)。観光地などによくある「あれ」と孫が説明している。
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用語
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次善策として、[[高橋信三]]専務(のち社長)と個人的に親交のあった[[鹿内信隆]]・[[ニッポン放送]]専務(のち社長)が専務を務める'''[[フジテレビジョン]](CX)'''とのネット関係樹立を目論んでいたが、これも同社社長の[[水野成夫]]が[[関西テレビ放送]]の母体である[[産業経済新聞社|産経新聞社]]の社長に就任し、結果としてフジテレビと関西テレビとの関係強化が図られたため、断念。(なお、フジと関テレは[[阪急阪神東宝グループ]](旧・[[阪急東宝グループ]])の資本や[[フジニュースネットワーク|共同テレビニュース]]によるニュースネットなど共通点も多かった。)
  
でんぢゃらすぞ〜ん / でん邪ぞ〜ん(邪以降)
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結局'''日本教育テレビ'''('''NET'''。現在の[[テレビ朝日]])とネットを組まざるを得ない事になり、開局の予定が3カ月遅れてのスタートとなった。それでも開局当初は、NETの他、スポンサーの関係でKRTやCXの番組も一部ネットされていた。また逆に、毎日放送からCXへネットされた番組もあった。
    じーさんがハガキを紹介するコーナー。内容は基本的に読者の危険体験談(これがメイン)、駄洒落、イラストなどだが、よく意味不明なハガキを検証したり、余りにもふざけた内容のハガキ(コロッケ!のイラストが描かれたハガキなど)に活を入れたりもする。ハガキを採用されると曽山の色紙がもらえる。2005年11月号から読者の考えた危険回避法も募集している。一回だけ話を無理矢理終わらせて突然登場したことがあり、孫に単行本にするときどう処理するんだと怒られた(結局単行本では書き下ろし4コマを入れることで対処した。またセリフも改正されている)。
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ニュース番組は当初一日二回(日曜日は無し)の「[[毎日新聞ニュース]]」がKRTから送られてくる以外は、全て自主製作で放送した。1年後、ようやくNETテレビとニュースネットが結ばれたが、そのニュースは「'''NETニュース 朝日新聞製作'''」であり、朝日新聞社旗がはためくオープニングを「MBSニュース」のタイトルに差し替えて凌いだ。1970年1月よりNET発のニュースタイトルは「'''ANNニュース'''」に替わったが、毎日放送では3か月間「MBSニュース」のタイトルで押し通した。これはこの時毎日放送側が'''「ANN」(All-nippon News Network)の「A」を「AsahiのA」'''だと思っていたためである<ref>なお[[1965年]]から放送を開始した[[朝日新聞テレビ夕刊]](日曜夕方のNET系列全国ニュース)は腸捻転時代は大阪地区(MBS、ABCとも)では放映されず、MBSでは[[毎日新聞テレビ夕刊|毎日新聞夕刊ニュース(後にテレビ夕刊)]]を自主放送([[瀬戸内海放送]]・[[岡山放送|テレビ岡山(岡山放送)]]にもネット)し、それの中で全国ニュースを補完した。</ref>。
じーさんにたくさんお悩みのハガキが届いたのでここで解決しようのコーナー
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    コミックスのカバーを取った裏表紙に毎回必ず掲載されているお悩み解決コーナー。じーさんが読者から届いたしょーもない悩みを適当にかわしていくのが基本路線である。一度、読者の母まで登場したことがあり、その時じーさんは「いきなりリアリティーでてきたな」と言っていた(このときの悩みはウンコが流れないというもの)。また、作者自身が相談を持ちかけたこともあったが一蹴された。「けつのどうくつ。」や、「下着を見て安らかに眠ろう。」など適当なことを書いたハガキが出ることもある。最終回(20巻)の最後のハガキは暑中見舞いだった。
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おしおきのコーナー
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    誰かがおしおきを受けるコーナーである。1回しか出てきたことはない。
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そやまんが
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    作者・曽山がてきとーなことをてきとーに書いたどうでもいいマンガ。内容は主に曽山自身の普段考えていることや思い出話など。また、作者の近況報告や生活観が十分に伺える。コミックスに毎回最低でも1本は掲載されているが9巻と12巻と13巻と15巻と『邪』3巻と6巻と11巻のみページの都合で載っていない(13巻と『邪』11巻以外は、大長編掲載のため)。
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校長投票シリーズ
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    校長のことを読者のはがきで決定する企画。1回目は姿について、2回目は名前についてだった(ただし、いずれも後に元に戻っている)。
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特別編
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[[1968年]]には[[テレビ東京]]の前身である東京12チャンネルの経営にも参画し、翌[[1969年]][[10月]]編成から[[1975年]][[3月31日]]にネットチェンジするまでの間は相互に番組をネットし合う[[クロスネット]]編成を採っていた。
  
第1弾と第2弾はゲームの攻略本に掲載された。どちらも単行本になっている。
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この間、毎日放送はANNに加盟はしたがNETの系列局といった意識は無く、寧ろNET・東京12チャンネルが自らの系列局であるといったキー局志向を持っていた(この名残で現在も系列違いでありながらテレビ東京の主要株主に入っている)。
  
みょみょみょ星人木村(第4巻収録)
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その後、当時の[[郵政省]]の方針や[[新聞社]](とりわけ[[朝日新聞社]])の強い意向をもとに「[[腸捻転]]」と言われたネットワークの体裁を改める動きが年々活発となり、[[1974年]][[11月]]これを看過できなくなった[[東京放送]](TBS)諏訪博社長が毎日放送の高橋社長を訪ね、朝日放送がNET系列に移行した際には毎日放送がJNN系列に入るよう懇願。高橋社長はこれを受諾し、これを受けたTBS諏訪社長が直ちに朝日放送に対しテレビネットワークの打ち切りを通告。1975年[[3月31日]]、毎日放送はTBSをキー局とするJNN系列に移行し、JNNの[[準キー局]]となった。
    第1弾。また、この話の主人公。ゲーム版では隠しエンディングに大きく関わるキャラクターとなっている。みょみょみょ星から地球侵略にきた宇宙人。大王から自分が番号で呼ばれていることをとても気にしており、じーさんの家に泊まった際に「小林」という名を与えられて非常に喜ぶ。その後侵略する気を完全に無くし大王に「みんなで地球人と仲良く暮らそう」と言うと、侵略を諦めた罪として体内に仕掛けられていた時限爆弾を作動させられる。その後、爆発の瞬間を見に来た大王の宇宙船に突っ込み爆死。じーさんはその後墓を立てたが、最終ページで「小林」でなく「木村」と言われてしまう。本名は003号。4巻の表紙のプロフィールには「二度と出ない」と書いてあったが、10巻、14巻に顔だけ再登場している。
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絶対服従ばいおれんす校長の教頭(第5巻収録)
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    第2弾。
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    教頭
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1975年3月6日、東京ヒルトンホテル(後の[[キャピトル東急ホテル]])で行われた『JNNネットワーク協議会』の総会で、JNN加盟全局の前で朝日放送が退会の挨拶をした後、毎日放送が代わって入場した。毎日放送の[[齋藤守慶]]テレビ営業局長<ref>当時。後に毎日放送社長・会長を歴任 現在は財団法人放送番組センターの会長。</ref>が入会の挨拶をした。
        本名、スナイパーバルカン。宇宙警察を勤める宇宙人。とても貧しい星に住んでいる。ゲーム版ではボスキャラクターである。じーさんに爆弾で吹っ飛ばされた校長にぶつかり記憶喪失になる。その時に校長を何度も「偉い」と言ったため気に入られ(この時生まれて初めて校長は他人から「偉い」と言われた)校長から教頭に任命され、武器のバズーカ砲で校長に逆らう者をことごとく吹っ飛ばしてきたが、1か月後に記憶が戻る。弟たちを養うため宇宙へ帰ろうとするが、面倒を見てくれた校長が気になり躊躇してしまう。だが校長から「貴様はクビじゃい!」と言われ、宇宙に帰っていった(この発言はバルカンを思っての校長の嘘。バルカンはそのことをしっかり見破っていた)。その後、遠足が教頭→きょうとう→きょうと→京都になる。14巻の200回記念の話で顔だけだが再登場している。
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じーカスくん(『ケシカスくん』第2巻収録)
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「毎日放送は元々、TBSとのネットワークを希望していた。しかし昭和33年(1958年)の時点でそれは許されなかった<ref>齋藤営業局長は大阪テレビ放送出身。その後毎日放送テレビ開局準備のために移籍し、テレビ営業課長に就任。ラジオ東京や広告代理店、スポンサーと交渉を重ね、毎日放送テレビとKRTテレビのネット関係樹立直前まで漕ぎ着けた。またラジオ東京の今道常務から「毎日放送テレビとはネットしない」と一蹴された時も、その現場にいた。いわば、この一件の当事者である。</ref>。それ以降は、ゴルフでいえば隣のコースでプレーしていたようなものだ。今ここにJNNのコースに戻ることが出来て、大変嬉しい。」とネットチェンジの意気込みを語った。
    第3弾。
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*ネットチェンジ前日の1975年3月30日の最終ニュース(『最終版の[[ANNニュース]]』のローカルニュース)は千里丘放送センター内のニューススタジオが[[ストライキ]]のため使用出来なかったため、隣接する「[[ミリカホール]]」に特設スタジオを作って放送された。これが、ANN系列として最後のローカル番組となった。[[All-nippon News Network|ANN]]は1971年4月から全国のニュースを[[ANNニュース]]として統一していた。[[All-nippon News Network|ANN]]の[[ニュース番組]]にタイトルがつけられたのはネットチェンジの当日からである。なお、毎日放送が[[All-nippon News Network|ANN]]系列局として最後に放送されたニュース番組は上記のタイトルで[[Japan News Network|JNN]]系列局として最初に放送されたニュース番組は朝日放送から移行した「[[モーニングジャンボおはよう地球さん]]」の前に放送された朝7時の「[[JNNニュースコール]]」(第1期)である<ref>ネットチェンジを実施した当時は毎日放送・朝日放送とも放送エリアはほぼ同等のカバー率だったため一部地域で見られなくなってしまうネット番組はほとんどなかった。</ref>。
    コロコロコミックで『でんぢゃらすじーさん』と『ケシカスくん』の競演企画の際に曽山一寿と村瀬範行が合同で描いた特別読みきり。内容は「じーさんがケシカスくんを腹巻に入れたことがきっかけで、ケシカスくんと大喧嘩になる」というあらすじ。
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*ANN時代は金曜日に行われる[[プロ野球中継]]の中継権を持っていたが、朝日放送が金曜のナイター中継権を持っていなかったため[[1975年]]はFNN・FNS系列に金曜日の阪神戦の中継権を譲渡した。<ref>水曜日のヤクルト戦と交換。</ref>翌年、再び金曜日の中継権を得ることになる。その一方で、1975年から大洋戦の中継権がANN系列へ移った他、翌年の金曜日の放映権獲得と引き換えにヤクルト戦の中継権を失った。
絶体絶命でんぢゃらすクソガキ(『邪』第2巻収録)
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*なお、東京12チャンネルの番組はネットチェンジ直前まで『[[大江戸捜査網]]』、『[[プレイガール (ドラマ)|プレイガール]]』、『[[日米対抗ローラーゲーム]]』、『[[世界びっくりアワー]]』などがネットされていたが、ネットチェンジ後は、[[テレビ大阪]]が開局するまで『プレイガールQ』『大江戸捜査網』など一部の番組が[[番販|番組販売]]扱いで放送された。東京12チャンネルの番組は毎日放送に近畿地方の[[独立UHF放送局]]各局の他、それまでも毎日放送の編成から外れた番組を中心に東京12チャンネルから若干購入して放送していた朝日放送、関西テレビ、よみうりテレビでも、各局ローカル枠内での番組販売扱いでの放送が拡大された(一部の番組は独立UHF局で同時ネットで放送され、在阪局では遅れネットだった番組もあった)。
    第4弾。『別コロ』2010年4月号掲載。じーさんの子ども時代のエピソード。何十年前の時代を舞台に、でんぢゃらすな遊びの天才児『でんぢゃらすクソガキ』と孫に似た少年が昔の遊び(ベーゴマ、メンコなど)を中心にいろいろやっていくが、クソガキがメンコを地面に叩きつけたことで爆破してしまう。
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大長編
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==== ネットチェンジ後の編成 ====
概要
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*毎日放送の「[[アップダウンクイズ]]」、朝日放送の「[[はじめ人間ギャートルズ]]」など放送時間の変わらない番組もあったものの、両局が制作する番組の多くは放送時間帯の移動を余儀なくされた。ネットチェンジ後はそれまで放映していた番組と同じ路線を引き継いだ番組が相次いでスタートしており、やはり両キー局は在阪局がもっていた時間枠のイメージを残したかったといえる。
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**NETがこれまで毎日放送制作の番組を放送していた時間帯には、朝日放送が土曜朝の「[[八木治郎ショー]]」の後番組として「[[おはようワイド・土曜の朝に]]」を制作。日曜昼の「[[東リクイズ・イエス・ノー]]」の枠はスポンサーの[[東リ]]、司会の[[児玉清]]がそのままスライドして「[[パネルクイズ アタック25|東リパネルクイズアタック25]]」が始まった。また「アップダウンクイズ」を放映していた[[朝日放送制作日曜夜7時枠|日曜夜7時]]やドラマを放映していた火曜夜10時枠もABCの制作となった。<ref>余談として「[[仮面ライダーアマゾン]]」を放映していた土曜夜7時半には、NETと[[東映]]が「[[秘密戦隊ゴレンジャー]]」を制作している。</ref>
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**一方、朝日放送制作の番組を放送していたTBSは土曜夜10時の「[[必殺必中仕事屋稼業]]」の後枠に同系統の時代劇を制作することをMBSに依頼。出来上がった「[[影同心]]」は「必殺シリーズ」の客の囲い込みに成功した。
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***平日昼の「[[シャボン玉プレゼント]]」の後番組「[[妻そして女シリーズ]]」は現在の「[[ドラマ30]]」まで続くドラマ枠になっている。
  
2004年から2008年まで『コロコロコミック』の9月号では毎年『でんぢゃらすじーさん』の100ページの別冊付録が同梱されている。2004年は『小学四年生』に掲載された漫画の再録だったが、2005年以降は100ページの長編(正確には表紙、裏表紙とその両裏を差し引くので96ページ)が掲載されており、本誌のじーさんではその長編の予告などを掲載しリンクしている。話の中盤から後半にかけてはシリアスな雰囲気も織り交ぜ、人生を生きる上での大切なことをテーマとして示唆するストーリーが特徴。なお、大長編の漫画がある号では本編が適当になる(作画が落書き状態、何度も同じコマの流用を行う、おかしな新キャラクターが登場するなど)。
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==== ネットチェンジのメリット・デメリット ====
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*毎日放送は元々希望していたTBSとのネットワーク関係を実現させたことにより、ANNに対し強い地盤を持っていたJNNに参加する事で報道番組が充実することや、また当時高い視聴率を得ていた「[[8時だョ!全員集合]]」や「[[ありがとう (テレビドラマ)|ありがとう]]」「[[寺内貫太郎一家]]」「[[水戸黄門 (テレビドラマ)|水戸黄門]]」等の番組がタイムテーブルに加わったこともあり、毎日放送がネットチェンジで得た物は大きかったといえる。
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**しかし、一方で[[東京12チャンネル]]とのネットワーク関係は解消を余儀なくされ、同局を足掛かりとして目指していたキー局への夢が絶たれる事となってしまった。また、ゴールデンタイムの全国ネット向け製作時間の縮小や「[[ベスト30歌謡曲]]」(NET製作。[[愛川欽也]]司会)などの共同セールス番組が消失し、全国的な営業活動を縮小せざるを得なくなった。更にTBS番組の編成による日曜午後の高視聴率ゾーン(「[[よしもと新喜劇|サモン日曜お笑い劇場]]」→「[[がっちり買いまショウ|グリコがっちり買いまショウ]]」→「[[素人名人会]]」→「[[東リクイズ・イエス・ノー|5人抜きクイズ・イエス・ノー]]」)が崩壊し、以降日曜午後は長期にわたり低視聴率に喘ぐ事となってしまった。
 +
<!--*一方朝日放送は逆にTBSの人気番組がこぞって毎日放送に持って行かれ、当時地盤の弱いNETがキー局になったので毎日放送とは対照的に不利益を被った。一方でABC制作の全国ネット番組(例『[[新婚さんいらっしゃい]]』など)が関西地区以外では軒並み低視聴率になってしまった。このネットチェンジが原因で朝日放送は関係は未だにテレビ朝日、TBSに対して遠からぬ因縁を持っている。-->
 +
*ネットチェンジの影響はラジオにも及び、毎日放送ラジオはこれまで自由に東京地区での報道取材活動を行っていたが、JNNへの加盟で原則として東京地区は[[東京放送|TBSラジオ]]が報道取材を代行する事となり、毎日放送ラジオは自由に取材が行えなくなった<ref>代わりに、これまでTBSラジオの取材に頼っていたABCラジオはJRNニュースネットから締め出され、東京地区では朝日新聞社の協力の下で独自に取材活動を行わざるを得なくなった。</ref>。
 +
*結局こうした代償も多く、ネットチェンジは必ずしも良い事ずくめでは無かった。
 +
*準キー局と新聞社との資本関係が整理されたことにより、新聞社・在京キー局の地方局に対する支配力が強まった。地方局は在京キー局の中継局的な役割となり、後の地方多局化政策の遠因となった。
 +
*在阪局の制作力が低下し、在京キー局への一極集中が強まった。
  
また、ほとんどの大長編の話では校長が犠牲になっている(『いのちときもちとぱぱぱぱぱーっ!?』では出番が1コマのみで、『怒りのイライランド(怒)』では遂に登場すらしなくなった)。なお『放たれた友情だじょー』ではちゃむらいが1コマだけ登場しているが見つけられないと言うハガキが山ほど届いたので単行本12巻の裏表紙にヒントが書かれている(元・校長のときも同様19巻裏表紙にヒントが書かれている)。
+
===山形県の場合===
 +
*山形県では第1波の[[山形放送]]が[[1960年]]に開局。当時は[[日本テレビ放送網]]([[NNS]]/[[Nippon News Network|NNN]]系列)の番組をメインに編成したオープンネット局(県内にまだ1局しかテレビ局がなかったので、各系列局の番組を混成で編成した)としてスタートを切る。
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*その10年後の[[1970年]]に県内初のUHFテレビ局として[[山形テレビ]]が開局。当初同局は[[朝日新聞社]]資本が強かったため、[[テレビ朝日|日本教育テレビ]]系列の[[All-nippon News Network|ANN]]をメインに[[東京放送]]系列の[[Japan News Network|JNN]]とのクロスネットを予定していた。しかし、YTS開局を前に出資者間のトラブルが起こり、これを[[山形新聞]]の当時の社長・[[服部敬雄]]が収拾したことで、同局は山新グループの傘下に入った。服部が[[フジテレビジョン]]の当時の社長・[[鹿内信隆]]と個人的な付き合いがあったこと、またYBCはフジテレビジョン([[フジニュースネットワーク|FNN]]/[[フジネットワーク|FNS]])系列の番組が著しく少なかったことを踏まえて、YTSはフジ系列をメインとして一旦は開局。その後朝日資本の関係で[[1975年]][[4月]]からANNとのクロスネット(メインはFNN/FNS)となった。
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*だが[[1980年]]、YTSが朝日系列に収まることを恐れた山形新聞の関係者はより山新にとって身近な存在であるYBCをそれまで単独ネットだったNNN/NNSメインからANNとのクロスネット化することを決断。YTSはANNを一旦脱退し、FNN/FNS単独ネットに移行するものの、時間帯によってANN編成を組むためにYBCで放送できないNNN/NNSの番組を[[番組販売]]の形で放送される形となる。なお、YBCがNNN/NNS番組を優先して編成するために放送する枠がないANNの番組は、引き続きYTSで放送された(『[[徹子の部屋]]』等)。この結果、2局がこぞってNNN/NNS編成とANN編成(更にはJNN、[[TXN]]も)を組んでしまう「変則クロスネット」となり、視聴者や各局の社員を困惑させることとなる<ref>特に顕著に現れたのが、選挙特番でYBCでは6時からはNNN系[[選挙特番]]、7時からはANN系の『[[選挙STATION]]』を放送したり、またYTSでは『[[フジテレビ月曜9時枠の連続ドラマ|月9ドラマ]]』が日曜日の12時に放送されていた。しかも約3ヶ月遅れという状況。</ref>。
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*NNN/NNS系「[[欽ちゃんの仮装大賞|全日本仮装大賞]]」等、YBCが出場者募集をしながら、編成上の都合から、実際の放送はYTSで行われたというケースもあった。
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*しかし、[[1989年]]YTSは[[ハリウッド]][[映画]]の製作参画、[[バイオ]][[科学]]研究所新設などの経営多角化を図るが、経営が行き詰まる。この頃からANN復帰(マストバイへの移行)の動きが活発になり、[[1993年]][[4月]]を持って、FNN/FNSを脱退し、ANNマストバイへの完全移行に踏み切る。だが、フジテレビはこれに異議を唱えたこともありペナルティーとして[[1992年]][[12月]]よりFNN/FNSネット番組のスポンサーとの交渉とYTSが単独交渉をするという事態(FNSでは[[岡山放送]]以来)が行われた。
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*FNN/FNS系列の番組は[[1997年]]に[[さくらんぼテレビジョン]]が開局するまで、主として[[テレビユー山形]](1989年JNN系列マストバイで開局)が番組販売を受けて放送するものの、近隣の系列局<ref>[[秋田テレビ]]、[[仙台放送]]、[[新潟総合テレビ]]、[[福島テレビ]]など。地域によって受信できる局は異なる。ところによっては[[ケーブルテレビ]]の区域外再配信も。</ref>を利用しなければならなかったとも言われ、視聴者からの反感も多かった。
  
なお、2009年は9月号に『デュエルマスターズ』と『ペンギンの問題』の劇場版の原作コミックが別冊付録となったため10月号にずれこんだが、その『いのちときもちとぱぱぱぱぱーっ!?』の最初のページに「最後の大長編」と書かれていた。しかし19巻で作者が「またやるぞ、絶対!!」とコメントしており、『でんぢゃらすじーさん邪』にリニューアルした2010年以降も行われている。
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==メインの系列との関係を解消してサブの系列に一本化したケース==
作品一覧
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この場合は単なるクロスネットの解消といえなくもないが、広義の上ではネットチェンジに含まれることもある。
  
かこんでいたのにひどいや(『月刊コロコロコミック』2005年9月号付録掲載、コミックス9巻収録)
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===福島県の事例===
    テーマはおそらく『自立』
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*[[福島テレビ]]は[[福島中央テレビ]]とネットを交換して以来、JNN・FNSに加盟していた。JNN協定は複数のニュースネットへの加盟を禁止している[[排他協定]]なので、FNNには加盟できなかった。ただTBSとしては極力新聞社の影響のある局からは距離を置きたかったこと、開局時の地元新聞2社による主導権争いの影響で県が大株主となっていたことなどから、新規のテレビ局割当時に福島テレビから離れ、[[テレビユー福島]]開局に動く事になる。これを受けFTVはJNNを離脱してFNNに加盟することになる。
放たれた友情だじょー(『月刊コロコロコミック』2006年9月号付録掲載、コミックス12巻収録)
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    テーマは『友情』
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どっちみちおっぱい(『月刊コロコロコミック』2007年9月号付録掲載、コミックス15巻収録)
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    テーマは『夢』と『現実』
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4位のお金と563位のアイツ(『月刊コロコロコミック』2008年9月号付録掲載、コミックス17巻収録)
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    テーマは『お金』 副テーマは『家族』
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いのちときもちとぱぱぱぱぱーっ!?(『月刊コロコロコミック』2009年10月号掲載、コミックス19巻収録)
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    テーマは『命』
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無敵のヒーロー オナライダー(『月刊コロコロコミック』2010年11月号掲載、『邪』コミックス3巻収録)
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    テーマは『無敵』
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またナ☆お友だち軍団(『月刊コロコロコミック』2011年9月号掲載、『邪』コミックス6巻収録)
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    テーマは『友だち』
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怒りのイライランド(怒)(『月刊コロコロコミック』2012年9月号掲載、『邪』コミックス9巻収録)
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    テーマは『苛立ち』
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はなの下のミゾはハナミゾって名前でどうスか?(『月刊コロコロコミック』2013年9月号掲載、『邪』コミックス12巻収録)
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    テーマは『心の溝』
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けつ!あ、まちがえた。勝つ! 最強拳法シリカラテ(『月刊コロコロコミック』2014年9月号掲載)
+
    テーマは『勝負』
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番外編
+
===長野県の事例===
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*[[1980年]]に長野県内3局目として開局した[[テレビ信州]]は、[[Nippon News Network|NNN]]と[[All-nippon News Network|ANN]]のクロスネットであった。当初はこの2系列のうち、曜日ごとに高視聴率が見込める番組をネットしていたが(日本テレビとテレビ朝日の編成比率は1対1であった)、この段階では県内4局目が開局した際は、同局はテレビ朝日系列になる予定であった。そのためか[[日本テレビネットワーク協議会|NNS]]には当初加盟しなかった。
 +
*しかし、[[1987年]]の秋[[改編]]で[[ニュースシャトル]]の同時ネットに伴い、ゴールデンタイムの約70%をテレビ朝日系列の番組とした結果、日本テレビの人気番組が[[打ち切り]]・[[遅れネット]]・県内他局への[[番組販売]]となるケースが多発した。その結果、県内の視聴者から編成への不満に対する抗議の電話が殺到し、県内での視聴率が低迷した。
 +
*結局、この頃から全国的な視聴率がテレビ朝日は低下傾向になり、逆に日本テレビは上昇傾向となったこともあり、同局は県内4局目が開局した際、当初計画していたANNフルネットから、NNNフルネットに変更、併せてNNSにも加盟することを決めた。<ref>[[ニュースシャトル#備考]]も参照のこと。</ref>
  
コミックスに収録されている、本編と直接つながりのない数ページほどの短編漫画。アニメ版でもいくつかが映像化されており、本編が終わったあとに放送される。
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===長崎県の事例===
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*上記事例の中には記述はないが、[[テレビ長崎]]については、株主構成上などではフジサンケイグループ関連がメインであったが、[[長崎国際テレビ]]開局を前にしたNNN/NNS離脱直前には総放送時間においては日本テレビ系列の方が上回っていた。そのため、上記例に含められるという意見もある。
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公園番長
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===鹿児島県の事例===
    コミックス1巻収録。通称(自称)「公園の味方・公園番長」。本名不明。年齢は(今年で)38歳(秘密にしている)。職業は会社員だが度重なる遅刻や無断欠勤が災いし、アニメ最終回で会社をクビにされてしまった。
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*テレビ長崎同様、[[鹿児島テレビ放送|鹿児島テレビ]]についても、株主構成上などではフジサンケイグループ関連がメインであったが、[[鹿児島讀賣テレビ]]開局直前には総放送時間においては日本テレビ系列の方が上回っていたため、上記例に含められるという意見もある。
    公園の遊具に名前を付けている(滑り台のダイちゃん、ブランコのランコ、砂場のタナベレナ、水道は大騒ぎしたが最終的にジョーに落ち着いた)。必殺技(?)に「ブランコあたっく」・「すべり台くらっしゅ」があるが、アニメではどちらの技も使っていない。アニメ版では幼馴染の「歩道番長」「柵番長」も登場した。
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    タイトルコールはアニメ2期では「超おもしろアニメ 公園番長第○翔(○には話数が入る)」、3期では「超おもしろアニメ たたかえ!!公園番長(話数なし)」となっていた。
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====テレビネットチェンジ====
ボンバー井上のニコニコお料理コーナー
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ガンダム。Xまでテレビ朝日。ターンエーフジテレビ。SEEDから00TBSビルド。テレビ東京
    料理の達人・井上が男の料理を教えるが、実は料理に全く興味がなく、あるのは盆栽のみ。アニメではシリーズ化されており、初回ではじーさんがアシスタントをしていたが第2回以降はメガネをかけた女性が務めている。大抵はスタジオのテーブルセットを破壊したうえ「料理は自分で編み出すもの」とか「今日はサボる」と言って何も作らない。得意料理は「熱した水」。
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こち亀。アニメ。フジテレビ。ドラマ。TBS
    初回は本編「ゲベゲベじゃっ!」内の1コーナーだったが、第2回以降は本編から独立した。
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ドラえもん。日本テレビからテレビ朝日。
炎の教師 熱血先生
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ウルトラマン。メビウスまでTBS怪獣再放送以降、テレビ東京
    コミックス2巻収録。教育熱心な学校の先生だが、極端なうっかり者でいつも空回りしてしまう様子を描いた作品(日曜に来て誰もいない教室で授業をしたりなど)。
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ぬーベー。アニメ。テレビ朝日。ドラマ。日本テレビ
    アニメ2期ではタイトルコールが「超面白瞬間放送 炎の教師 熱血先生」となっていた。
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鬼平。テレビ朝日からBSフジテレビ
住宅ヒーロー7階建てマン
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    コミックス3巻収録。正義のヒーロー「7階建てマン」の苦悩を描く。アニメではアメコミを思わせるような作画にアレンジされ、ブリッジガールなど原作に登場しないキャラクターも多数登場した。『絶体絶命でんぢゃらすじーさん痛〜怒りのおしおきブルース〜』にゲスト出演している。東北訛りでしゃべる。また、コミックス第7巻の扉絵にも登場するが「本編に7階建てマンは登場しません」と書かれている。頭の7階建てには人が住んだりしている。他にも368階建てマンや弟の6階建てマンがいる。1度だけ70階建てマンに変身した。
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魔界のプリンス ギルティーの挑戦
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    『コロコロコミック』にて袋とじ漫画として登場した新キャラクター、ギルティーが様々な機械を使ってじーさんを倒すというもの。
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    漫画本編では1回きりの登場で終わり、じーさんに手酷く「一生出ないキャラクター」と言われてしまう。
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    アニメではギルティ(声:青山桐子)の名前で登場。漫画本編よりも出番があり、原作の「サンダーコンドル号」に続き、巨大大砲「グレートバリアリーフ砲」や巨大ロボット「グレートブリテンアーマーG」なるもので勝負を挑むが全て自滅で終わっており、まともに勝負をしたことがない。
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    また、じーさんの命を狙う理由は全く不明である。
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冒険少年レオン
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    コミックス5巻収録。世界中のお宝を手に入れる夢を持つ少年の冒険活劇。アクションゲーム風にレオンを動かすが、結局お宝にありつけないオチになる。
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最高料理人味助
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    コミックス6巻収録。料理がへたくそな料理人[39]。料理長曰く「ダメダメ村のダメダメチャンピオン」。将来の夢はプロ野球選手。彼の正体はじーさんであった。
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勉強大好き!ドリル兄さん
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    元々原作で1コマのみ登場だったキャラクターを主役にしたもの。ものすごい巻き舌。作者は放送されることすら知らなかった(単行本7巻のカバーをとった表紙ではこれについて曽山が「びびった」と言っている)。
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集団戦隊 1人マン
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    コミックス7巻収録。孤独とラッキョウが大嫌いなヒーロー「1人マン」が主人公。1ページ掲載で予告のまま「でんぢゃらすじーさん8巻より連載中止!!」と書かれ、じーさんからも「コイツのことは忘れてください」と言われた。
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うっふん・エロ美ちゃん
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    コミックス8巻第8話『ひどい鬼ゴッコじゃっ!』の嘘オチの次ページに登場。ぴっちぴちの42歳であるエロ美が男湯に入ろうとする漫画だが、その次のページでじーさんが描いている最中に孫に止められてしまう。
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耳うさ君
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    コミックス8巻収録。4コマ漫画で、クマが耳うさ君に話しかける内容。
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もれちゃうマン
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    コミックス9巻第8話『スキップおじさんじゃっ! 後編』のオチの次ページに掲載。不良が子どもをいじめているのを、おしっこをもらしながら見つめ、オチで「キライ」「おわり」と言われてしまう。
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格闘料理伝説味丸[40]
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    コミックス10巻第7話『料理を作るのじゃっ!』の前日談。戦う料理人で、世界一の料理を作ることだが、ゲベに爆破されてしまう。味丸は物語中にも登場し、じーさんに料理対決を挑むがじーさん、孫共々再度ゲベに爆破され、タイトルが『変態料理伝説ゲベ』に変えられた。
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自爆少年 コッパミー陣
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    コミックス12巻第4話『さっさと早口言葉じゃっ!』のオチの次ページに掲載されている1ページ漫画(扉絵のみ)だが、その次のページで爆破されてしまう。
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F1レーサー カン太郎
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    コミックス13巻第11話『じーさんと校長が入れかわったのじゃっ!』のオチの次ページに掲載。熱いハートを持つ男「カン太郎」が世界一を決めるレースに参戦するが、その後「※こいつが完太郎」という完の形をしたキャラクターに変えられ、カン太郎は「ひろし」という名前になって崖から落ちてしまう。
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決勝で待ってるぜ!(園山和斗名義)
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    コミックス14巻第4話『ワシもマンガをかくのじゃっ!』の前後に掲載。「決勝という舞台を目指した男の戦い」がキーワードで『正しい』『まちがえた』『すし屋で』『トイレで』『テストで』の5編が収録される。じーさんは「なかなか面白そうな漫画」と言っていたが、オチで「くっだらねぇ!」と酷評された(その際、じーさんが読んでる漫画が『決勝でまっとるべ』というタイトルになっていた)。
+
ドラゴンソルジャー リュウ
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    コミックス16巻第4話『大サービス!20本立てマンガじゃっ!』内に掲載。魔王を倒すために旅をしている男「リュウ」の活躍を描いた1ページ漫画だが、後にこの漫画のセリフの内容を変えただけの『ウンチもれちゃう』『1本ナシにしてくれ』が掲載された。
+
スペースアドベンチャー 星渡カケル
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    『邪』のコミックスカバーを取った裏表紙に1ページ連載として掲載されている。冒険家「星渡カケル」と、ペット(実の父親)の「パオンブー」が、宇宙を旅するというストーリー。
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つづくん
+
    コミックス『邪』2巻収録。「つづくん」というキャラクターが自己紹介をした次のページで「つづく」と表示され、漫画が終わってしまう。作者の説明によると「すぐに『つづく』というネタ」とのこと。
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おすしのボス ボスし
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    じーコロコミック邪夏号、コミックス『邪』8巻収録。お寿司の中のボス「ボスし」が登場するが、じーさんに食べられ「ボス死」というオチとなった。
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ぼくぴゅーちゃん
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    じーコロコミック邪冬号、コミックス『邪』9巻収録。マラソン大会で優勝した「ぴゅーちゃん」が主役のほのぼのとした話だが、最後にニートが登場し、「おでかけキラーイ」と締めくくられる。
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単行本
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==脚注==
絶体絶命でんぢゃらすじーさん
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<references/>
  
ISBNの次は裏表紙掲載のキャラクタープロフィールに掲載されたキャラクター。
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{{broadcast-stub}}
 
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[[category:放送局|ねつとちえんし]]
    2002年8月28日発売 ISBN 4091430511 じーさん
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[[Category:福岡県のマスメディア|さいふくみんほうさんきよくねつといへん]]
    2003年3月28日発売 ISBN 409143052X 校長
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[[Category:テレビ史|さいふくみんほうさんきよくねつといへん]]
    2003年10月28日発売 ISBN 4091430538 ゲベ
+
    2004年4月27日発売 ISBN 4091430546 みょみょみょ星人木村
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    2004年11月26日発売 ISBN 4091430554 教頭
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    2005年3月25日発売 ISBN 4091430562 最強さん
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    2005年8月26日発売 ISBN 4091430570 ちゃむらい
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    2006年3月28日発売 ISBN 4091401198 運動ならなんでもおまかせ隊(マッスル竹田、ステップ長谷川)
+
    2006年7月28日発売 ISBN 4091401767 セルフワン
+
    2006年12月25日発売 ISBN 4091402755 りゅぬぁってゃ
+
    2007年5月28日発売 ISBN 9784091403278 謎のヒーローミラクル仮面
+
    2007年9月28日発売 ISBN 9784091403889 ドクタージョウ
+
    2008年1月25日発売 ISBN 9784091404398 リアルなヘンタイ
+
    2008年7月28日発売 ISBN 9784091406583 巨乳仙人
+
    2008年12月25日発売 ISBN 9784091407467 夢見関
+
    2009年3月27日発売 ISBN 9784091407849 近所のガキ その1
+
    2009年7月28日発売 ISBN 9784091408242 ドルマネー
+
    2009年10月28日発売 ISBN 9784091408549 近所のガキ その2
+
    2010年2月26日発売 ISBN 9784091408976 柴田
+
    2010年6月28日発売 ISBN 9784091410672 洋助(孫)
+
 
+
でんぢゃらすじーさん邪
+
 
+
ISBNの次は裏表紙掲載のキャラクターパラメーターに掲載されたキャラクター。
+
 
+
    2010年9月28日発売 ISBN 9784091411273 じーさん
+
    2011年2月28日発売 ISBN 9784091412058 校長
+
    2011年6月28日発売 ISBN 9784091412904 ゲベ
+
    2011年11月28日発売 ISBN 9784091413598 コウテイ
+
    2012年3月28日発売 ISBN 9784091414342 半・分太くん
+
    2012年8月28日発売 ISBN 9784091414946 最強さん
+
    2013年2月27日発売 ISBN 9784091415783 火ダルマくん
+
    2013年6月28日発売 ISBN 9784091416476 三子間弟下ヌ
+
    2013年10月28日発売 ISBN 9784091416100 ぴゅーちゃん
+
    2014年2月28日発売 ISBN 9784091400284 ふる ちんのすけ
+
    2014年6月27日発売 ISBN 9784091417886 キモイよオジサン
+
    2015年1月23日発売 ISBN 9784091418609 じーさん車
+
    2015年5月28日発売 ISBN 9784091420077 じーさんロボ
+
 
+
ゲーム
+
ゲームソフト
+
 
+
絶体絶命でんぢゃらすじーさん 〜史上最強の土下座〜
+
    (ゲームボーイアドバンス、2003年9月26日、キッズステーション)
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    漫画の登場人物・じーさんと孫が宇宙人の侵略から地球を守るアドベンチャーゲーム。イベントごとに様々なミニゲームが用意されており、アドベンチャーパートの選択肢やミニゲームの勝敗によってじーさんが七変化する。この「マトリックスシステム」によるじーさんのバリエーションは25種類あり、能力の変動のみならず、ストーリー展開やミニゲームのルールにも影響を与える。また、通信対戦によりじーさん同士を戦わせることも出来る(ただし、対戦の方法はただのジャンケン)。しかし、決定ボタンは普通のゲームのようにAボタンではなくRボタンであったり、能力やミニゲームの結果によってはめちゃくちゃなストーリー展開になったりと、原作同様おかしな要素も含まれている。
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    『コロコロ』内でもやる気無さげに宣伝(自らクソゲーと暴露)していたが、読者から結構評判がよく本誌で毎月行われている「発売中で欲しいゲームランキング」では3か月連続1位を達成した。
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    なお、2004年11月に『学園アリス〜ドキドキ☆不思議たいけん』というゲームが発売されたが、そこに登場するミニゲームの内容はこのゲームからの使い回しとなっている。
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絶体絶命でんぢゃらすじーさん〜泣きの1回 絶対服従ばいおれんす校長〜ワガハイが1番えらいんじゃい!!〜
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    (ゲームボーイアドバンス、2004年3月18日、キッズステーション)
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    じーさんのライバルキャラ・校長が主人公。次世代ワールドホビーフェアで先行販売された。自分が目立ちたいがためにわざわざ宇宙人を呼び戻した。内容は前作と似ているが、リゾート地ばかりが舞台となっている。このゲームが発売された際、作者自身が「悪ふざけだと思った」とコミックス第4巻のカバーをとった表紙で語っている。
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絶体絶命でんぢゃらすじーさん痛〜怒りのおしおきブルース〜
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    (ゲームボーイアドバンス、2004年7月16日、キッズステーション)
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    曽山が大切な原稿をなくしてしまい、そのままだとじーさんたちが消えてしまうため、原稿を探しに行くという、言うなれば曽山の尻拭いをするため冒険に出るというあらすじ。敵に路上においてある物を投げつけて戦う。今回も変身能力が物を言い、変身で川や海など普通では行けない所へ行けたり、車など重くて投げられない物を投げられるようになれる。また、変身能力は自由に選べるようになった。ただし、変身能力の数は12 - 14種類に減っている。前作のみょみょみょ星人も普通に登場している。初回版には特典としてタオルやうちわがついてきた。また、今作から決定ボタンは、Aボタンとなった。樫本学ヴの漫画『コロッケ!』の主人公コロッケがゲスト出演している。
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絶体絶命でんぢゃらすじーさん3〜果てしなき魔物語〜
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    (ゲームボーイアドバンス、2004年12月16日、キッズステーション)
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    今回は横スクロールとなった。
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    孫が読書感想文が書けないとじーさんに相談したせいで、絵本の中の世界に入り込んで出られなくなり、仕方がないため、参戦した校長、ゲベと共に絵本の世界をめちゃくちゃにしながら冒険すると言うあらすじ。今回は状況に合わせて4人(3人と1匹)を使い分け、四人それぞれ攻撃するだけでなく、協力したり時には移動用のソリを使ってまで敵を倒す。ザコや中ボスなどは昔話をモチーフにしている(鬼や魔女、巨人、オオカミなど)。初回版では「せいねんとせきぞう」という曽山の書き下ろし絵本が付いていた。
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絶体絶命でんぢゃらすじーさんDS〜でんぢゃらすセンセーション〜
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    (ニンテンドーDS、2006年1月14日、キッズステーション)
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    今回はクソゲーを超えたダメゲーが登場。さらに1000コマ以上(コロコロコミック200ページ分)を収録。
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    じーさんと孫は、ゲームを面白くするために冒険に出た。
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    キャラクターボイスあり。
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    エンディングにゲームオリジナル主題歌が入った。
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    コロコロコミック2010年8月号で「4年前のクソゲー」として取り上げられている。
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でんぢゃらすじーさんと1000人のお友だち邪
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    (ニンテンドー3DS、2012年11月22日発売、バンダイナムコゲームス)
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    コロコロコミック2012年6月号にて3DSソフト化が決定。お友だち軍団がたくさん登場し、このゲームのために読者が考えたお友だちも多数登場[41]。
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    2012年9月26日放送分の『おはスタ』で、このゲームの宣伝部長にレオナルド・ダ・テッケンを任命している。
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体感ゲーム
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絶体絶命でんぢゃらすじーさん 〜ミニゲームで対決じゃっ!〜
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    (PLAY-POEMS、2004年12月9日、コナミ)
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    ゲームモードは『ひとりであそぶ』『ふたりであそぶ』『きろくをみる』の3種類。ミニゲーム全20種収録。
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絶体絶命でんぢゃらすじーさん 〜パーティーじゃっ!全員集合!!〜
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    (PLAY-POEMS、2005年11月17日、コナミ)
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    ゲームモードは『ひとりであそぶ』『ふたりであそぶ』『ひみつのへや』の3種類。ミニゲーム全23種収録。
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アニメ
+
 
+
効果音のほとんどが人の声で作られている(クレジットでは「効果マン」または「効果ギャル」と表記)。時々クラシックがBGMとして使用されることがある(中でも一番多く流れているのは、サラサーテ作曲「ツィゴイネルワイゼン」である)などの特徴が盛り込まれている。
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原作との相違点
+
 
+
    テレビ版第3期までは、下ネタ、残酷描写はカットされていた(テレ東規制による物と考えられる)。
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    「死ね」「殺す」などの暴言は、「くたばれ」「ボコる」などに変更(ただし、第1期のみ1度だけ「死ね」を使用)。
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    「雨ざーざーじゃっ!」の結末が変更されており、原作では「引ったくりに傘を貸す」だったが、アニメでは「孫に滑り止めの靴を買ってくる」ところで終了している。
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    「バスケでウハウハじゃっ!」や「じーさん超能力じゃっ!」など、一部の作品にはアニメオリジナルの展開を付け加えている。
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+
概要(アニメ)
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+
第1期(2003年10月 - 2004年3月)
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    おはスタ内で不定期に放送された35秒のアニメ。原作にあった話を元にしているが後期はオリジナルも含まれていた。このときの作品は2004年夏に発売された作品のグッズやゲームなどを集めた「でんぢゃBOX」同梱のVHSに収録されている(ただし、「時限ばくだんから逃げろ!!」、「つりの極意!!」、「虫歯を治せ!」、「コタツは最高!」、「ピーマン克服法」、「じーさんのひげ」、「ブランコ」、「覚悟!もちの焼き方」、「なくした靴下」、「ルンルンハイキング」のみ収録)。2009年10月よりYouTube内「小学館集英社プロダクションチャンネル」でビデオ未収録作品も交え配信(33話まで)。
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スペシャル版(2003年12月30日)
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    おはスタのスペシャルで放送された10分間のオリジナルストーリーのアニメ。第1期同様「でんぢゃBOX」内のVHSに収録されている。町内マラソン大会にじーさんたちが出るという内容。
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第2期(2004年4月 - 2005年3月)
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    ギャグコロスタジオ内で放送された5分間のアニメ。ギャグコロスタジオがBSジャパンでも放送されていたため、この時期に限り、BSジャパンでも視聴可能だった。原作の話と番外編(後述)1 - 3話を放送。番組内では着ぐるみのじーさんも出演していた。この時期に放送された作品はDVD全4巻に収録されている。
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第3期(2005年4月 - 2006年3月)
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    再びおはスタ内で放送された2分間のアニメ。放送時間は7:00 - 7:02。こちらの作品は2012年現在ソフト化されていないが、おはスタで不定期に再放送されたこともある。この時期に放送された番外編の一部が上記のDVDに特典映像として収録されている。
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でんぢゃらすじーさん邪(OVA)〈第1弾 2012年7月27日(9話収録)、第2弾 11月22日(8話収録)〉
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    コロコロで特に人気の高かった作品をアニメ化し、コロコロ増刊「じーさん傑作選 じーコロコミック邪」の付録DVDとして同梱。収録時間は25分。
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    アニメーション製作はJ.C.STAFF[42]。近代のコロコロ作品のアニメとしては例外で、3DCGで描かれてはいない(ただし、劇中に登場したベイブレードのみ例外)。
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    2012年10月20日・27日・11月3日はキッズステーションでも放送された。
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わざぐぅ!VSでんぢゃらすじーさん邪 抱腹絶倒!アニメクイズDVD(2012年11月21日)
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    コロコロイチバン!2013年1月号付録。
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スタッフ
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第2期
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        原作 - 曽山一寿 (小学館「月刊コロコロコミック」連載)
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        スーパーバイザー - 佐上靖之、西巻俊秀
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        脚本 - 笹川勇
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        キャラクターデザイン - 西野理恵
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        美術監督 - 松宮正純
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        色彩設計 - 松浦頼子
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        撮影監督 - 渡辺宜之
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        編集 - 坂本雅紀
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        音響監督 - 千葉繁
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        音楽 - 田光マコト
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        音楽プロデューサー - 千葉洋史
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        プロデューサー - 笹村武史(テレビ東京)、古市直彦(小学館プロダクション)
+
        音響プロデューサー - 南沢道義、西名武
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        キャスティングマネージャー - 吉田理保子
+
        音響効果 - 野崎博樹
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        録音スタジオ・音響制作 - HELF・H・STUDIO
+
        音響制作担当 - 小野勝弘
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        制作担当 - 島田尚保
+
        設定制作 - 丸山洋子
+
        制作進行 - 小林弘幸、谷智司、都丸徳章、島田尚保
+
        制作協力 - スタジオキャッツ、動画工房
+
        アニメーションプロデューサー - 光廷青児、斉藤次郎
+
        アニメーション制作 - スタジオ雲雀
+
        監督 - 山口頼房
+
        製作 - 小学館プロダクション
+
 
+
OVA
+
 
+
        原作 - 曽山一寿
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        キャラクターデザイン・作画監督 - 安藤正浩
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        美術監督 - 松本健治(第1弾)、米田隆裕(第2弾)
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        色彩設計 - 伊藤由紀子
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        撮影監督 - 黒澤豊
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        編集 - 西山茂
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        音楽 - 前山田健一
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        効果 - 野崎博樹
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        アニメーション制作 - J.C.STAFF
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        監督 - 渡部高志
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        製作 - 小学館集英社プロダクション
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主題歌
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※第2期、第3期のオープニングの曲名はカラオケ版(JOYSOUND)によるもの。
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第1期(おはスタ1)
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        オープニング・エンディングともに歌なし。
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スペシャル
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        エンディング
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            「がんばる勇気」
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                作詞:曽山一寿
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                作曲・編曲:櫻井真一
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                歌:孫(恒松あゆみ)
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第2期(ギャグコロ)
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        オープニング
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            第1話 - 第26話「お願いだからうたわないで」歌:恒松あゆみ
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            第27話 - 最終回「お願いだからうたわないで」歌:坂口候一
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第3期(おはスタ2)
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        オープニング
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            「お願いだからうたわないで(ショートバージョン)」歌:じーさん(中村大樹)
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        エンディング
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            「孫の学校の『校歌』」歌:校長(千葉繁)
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でんぢゃらすじーさん邪(OVA)
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        オープニング
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            「でんぢゃらすじーさん愛の歌」
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                作詞・作曲・編曲:前山田健一
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                歌:ヒャダインとじーさん(中村大樹)と孫(恒松あゆみ)[42]
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            2012年11月28日発売のアルバム「20112012」に収録。
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各話リスト
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第1期
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第2期
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第3期
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OVA
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ぼくのおじいちゃん
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「絶体絶命でんぢゃらすじーさん」が発表される前に作られたとされる漫画。第47回新人コミック大賞受賞作品。曽山一寿の短編集「そやまつり」に収録。祖父と孫が主な登場人物である点など、後の「絶体絶命 - 」にかなり近い作風だが、細かい部分で相違がある。
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    孫には「洋助(ようすけ)」という名前が設定されている(体育服には「まご」とそのまま書かれていた)。
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    おじいちゃんには後頭部に髪の毛が生えており、年齢98歳という設定になっている(また戦争を経験している)。
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    「絶体絶命 - 」のじーさんはこの作品に登場するおじいちゃんがルーツであると思われることが多いが、正確にはそれ以前に作者が描いた漫画『店』に登場する老人が始まりらしい。しかし、この作品は「つまらない」という理由で担当に見せるのが怖くなり、作者自身が封印し、「そやまつり」に鉛筆書きの数コマが(カバー裏に)掲載されているのみである。
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他の作品へのゲスト出演
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    作者がコミカライズした漫画『探偵少年カゲマン』の最終回のオチにじーさんが漫画家の姿で登場。だが、カゲマン、シャドーマン、怪盗デ・アールにじーさんが『カゲマン』を描いたことがばれてしまう。
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    2005年(平成17年)公開の映画、『ロックマンエグゼ 光と闇の遺産』と『劇場版デュエル・マスターズ 闇の城の魔龍凰』の開始直前に、じーさんと孫がわずかながらゲスト出演している。その際、『ロックマンエグゼ』のエンディングテロップにはキャスト紹介されたほか、最後に「おじゃましました。」と表記された。
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    アニメ、『さよなら絶望先生』の第6話のエンドカードにて、糸色望の格好をしたじーさんとゲベが書かれている。
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    2006年(平成18年)9月刊行の『超こち亀』に本作品の書き下ろしイラストが掲載されている。
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    『メイドイン俺』の「なんとアノ人がソフト」に本作品のキャラクターを登場させたゲームが配信された。配信期間は2009年(平成21年)5月15日から2010年(平成22年)5月14日まで。
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    『イナズマイレブンGO』でじーさんと最強さんが選手として登場し、スカウトすることが出来る。
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    『ダンボール戦機W』の第42話の冒頭にて、テレビ東京系列同時ネット局のみゲスト出演。
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    『イナズマイレブンGO ギャラクシー』と『ダンボール戦機WARS』をブランド化した『アニ×アニ!』内にて、上記2つのいずれかのアニメのどこかに映り込む『でんぢゃらすじーさんを探せ!』というコーナーに出演。
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    『モンスターハンター4』にイベントクエスト「コロコロ・モンスターじゃい!」が2013年11月15日より配信されている。
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    『パズドラZ』のコロコロダンジョン第1弾(『月コロ』2014年2月号にプレゼントコードが付属)にじーさん、校長、ゲベ、最強さんが登場した。
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その他
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    この漫画は連載前に読切が2本作られた(別コロ2001年(平成13年)2月号「じーさんじゃっ!」コロコロ2001年(平成13年)6月号「ドライブぶーぶーじゃっ!」。いずれも第1巻収録)。
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    タイトル案に『超人じじい』というものもあったが、「2秒でボツになった」と「そやまんが」で語られている。
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    アニメ版の監督を務めた山口頼房は過去に作者がコミカライズした『探偵少年カゲマン』の監督を務めていた(製作会社も同じ)。
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脚注
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    ^ 「コロコロコミック」歴代作品においての主人公としては、主に男子小学生〜中学生程度の年齢が中心の中で『チエばーちゃんの知恵ブクロ』と並ぶかなり異例の高齢者の主人公でもある。
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    ^ ただし大長編に該当すれば、闇の大魔王(大長編第1弾)と柴田にデビルキャット(大長編第5弾)、雑魚キャラを除く。
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    ^ 第1巻キャラクタープロフィールより。
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    ^ 第3巻の作文の話より。
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    ^ a b c d e f コミックス第9巻登場人物紹介より。
+
    ^ 本編はおろか大長編シリーズでさえ明らかになっていなかったが、第20巻キャラクタープロフィールで本名が明かされた。
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    ^ アニメ第1期では「じいちゃん」と呼んでいる
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    ^ 回によっては体操服やパジャマなどを着ることがある。また、白のシャツに半ズボンを着ており上記よりも露出度が少し上がることも。
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    ^ 第3巻の作文の話より。
+
    ^ 漫画の初期の方で母親に一声かけて学校に行ったり、母親にお使いを頼まれたりしているため、じーさんと2人暮らしというわけではないようである。
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    ^ その内約30発はじーさんが協力した。
+
    ^ 第2巻キャラクタープロフィールより。
+
    ^ 一度だけだが、大長編第2弾では腹痛によって弱体化した最強さんに勝ったことがあり、その時は自分でも最強さんに勝ったことが信じられなかった。
+
    ^ もともとは「校長」か「クソゲロ」のどちらの名前にするかという投票であり、その他の名前に、「ひろし」「ぬちゃぬちゃ」「近所のバカ」「松本しげのぶ」などがあった。なお、投票2位は「クソゲロ」、3位が「校長」だった。
+
    ^ 大長編第4弾ではじーさんから「アイツ」、孫からは「あの人」と呼ばれていた。
+
    ^ 大長編第5弾の終盤より。
+
    ^ 初登場時にも人間の言葉を一回だけ話した。
+
    ^ 第3巻キャラクタープロフィールより。
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    ^ 大長編第3弾の中盤より。
+
    ^ アニメ第1期では赤
+
    ^ 大長編第2弾の序盤より。
+
    ^ 第6巻キャラクタープロフィールより。
+
    ^ アニメ第1期では理由もなく帰っている。アニメ第2期では竹田は亀に餌をあげないといけない、長谷川は引っ越しという理由で孫の居る小学校を後にしている。
+
    ^ 大長編シリーズだけは例外で、大長編第1弾ではじーさんに一喝されたにも関わらずセルフワン・スペース号の爆発からじーさんと孫を救出したり、大長編第5弾ではゲベの危機的状況を目撃した際は、じーさんにそのことを報告しに行ったりしたことがある。
+
    ^ コミックス第16巻裏表紙のキャラクタープロフィールより。
+
    ^ コミックス第18巻裏表紙のキャラクタープロフィールより。
+
    ^ 校長はこの大会を主催し、じーさん達に開催状を送ったが、じーさんと孫は当初「ゴルフ」と勘違いしていた。
+
    ^ 漫画の主役の座をかけてじーさんと校長が対決するはずだったが、噂を聞きつけてたくさんの人物が出場していた。また、「じーコロコミック」ではマラソン大会の1位と2位を予想するゲーム企画が行われ、6名の読者が予想を当てていた。
+
    ^ 『邪』コミックス5巻「お友達軍団4コマじゃっっ!!」
+
    ^ アニメでは孫に「こっち来て」と言われ、体半分が途中で切れていた。
+
    ^ そのためじーさんに「コロコロで一番弱いキャラ」と言われている。
+
    ^ コミックス第9巻裏表紙のキャラクタープロフィールより。
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    ^ じーさんによると、あの鼻水がジョウとユウの繋がりと関係あるらしいと言っている。
+
    ^ 大長編のラストでは微笑みながら涙を流している描写が伺われている。
+
    ^ この時9歳(ユウが死んだ当時)から10年間の成長を遂げているため。
+
    ^ その物語が掲載されている当単行本裏表紙にそれを解いているのが分かる。
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    ^ コミックス第12巻裏表紙のキャラクタープロフィールより。
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    ^ その際ペンで書いた鼻の下の溝は後に家族の証しとなった。
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    ^ 原作では気色悪いものを作っていたが、アニメでは放送上の都合でまともな鍋料理に変更された
+
    ^ 目次とこの本の中で作者の好きな話ベスト3!では『格闘料理人味丸』と表記されている。また、「じーさんをやめて味丸を描いて」というファンレターがたくさん送られて来ている。
+
    ^ お友だち軍団の中にはコロコロコミック連載作品のキャラクターなども登場する。
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    ^ a b 主題歌はヒャダイン 「でんぢゃらすじーさん」7年ぶりのアニメ化 - 10590 - |アニメ!アニメ!
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2015年9月21日 (月) 00:43時点における版

テンプレート:一部転記

ネットチェンジとは放送局がそれまでの系列(ネットワーク)と異なる系列に変わることを指す。 ここでは、日本での事情・事例について記述する。

概要

日本では1960年代になって全国ネットワークが確立されてくると、特に全国紙新聞社とキーステーション放送局の連携を強化するようになり、地方局もそれに出資する全国紙新聞社、ないしは東京キーステーション放送局の系列に入るようになる。

特に大阪では、朝日新聞と関わりの深い日本教育テレビ(→全国朝日放送、現・テレビ朝日)のANN毎日放送(MBS)、毎日新聞と関わりの深い東京放送(TBS)のJNN朝日放送(ABC)が参加するという「腸捻転」と呼ばれる状態が長らく続いたが、新聞社との資本連携を明確にするため、1975年3月31日にようやく腸捻転が解消され「ANN-朝日放送」「JNN-毎日放送」という新聞社にとって理想的なネットワークが確立する(後述、朝日放送の沿革の項も参照のこと)。

また、1989年から1990年代にかけて、これまで1~3局しか無かった地方都市(都道府県)の4局化政策の構想に基づいて、主としてANNの地方新局(12局、他系列は2~3局)が全国各地に相次いで誕生したことから主としてVHF局を中心としたNNN・NNS、あるいはJNNとのクロスネット(複数の系列局に加盟した放送局)を解消し、フルネット(マストバイ)に移行したり、それに伴うネットチェンジをする放送局も増えてきている。なお既存局がTXN系列に転じた例はまだない。

ここでは系列局変更事例の他にクロスネットの解消例も挙げる。

過去の事例

クロスネットの解消例

  • 太字(強調されている文字)‐その放送局のメインネットワーク局。
  • ▲‐同一地域においての新規開局に伴うもの。
  • 1958年
    • ▲大阪テレビ放送(現:朝日放送) - その時には、正式なクロスネット局ではなくなっていていたが、日本テレビ系列・KRT(現在のTBS)系列のクロスネット→KRT系列に統一(よみうりテレビ開局に伴う)
  • 1960年
  • 1962年
    • 東海テレビ - 正式なクロスネット局ではないが、 日本テレビ系列・フジテレビ系列・NETテレビ系列のクロスネット→フジテレビ系列に統一(名古屋放送(現在の名古屋テレビ)の開局に伴う)
    • 札幌テレビ - 正式なクロスネット局ではないが、日本テレビ系列・NETテレビ系列のクロスネット→日本テレビ系列・フジテレビ系列のクロスネットに変更(NETテレビ系列番組の大半は午前中の学校放送。フジテレビとは翌1963年に正式にネット協定を締結した)。
  • 1964年
    • 九州朝日放送 - フジテレビ系列・NETテレビ系列のクロスネット→NETテレビ系列に統一。(ニュースネットはNET系列中心だった。なお、学校放送→民教協番組は現在に至るまでRKB毎日放送のまま。)
  • 1970年
    • 仙台放送 - 日本テレビ系列・フジテレビ系列・NETテレビ系列のクロスネット→フジテレビ系列に統一(ミヤギテレビ開局に伴うもの。なお、『健康増進時代』など一部日本テレビ系列の番組はしばらく仙台放送でネットされていた)。
  • 1972年
  • 1973年
    • 名古屋テレビ - 日本テレビ系列・NETテレビ系列のクロスネット→NETテレビ系列に統一
    • 中京テレビ - 日本テレビ系列・NETテレビ系列、正式ではないが、東京12チャンネル(現在のテレビ東京)系列のクロスネット→日本テレビ系列に統一(東京12chの番組は一部番組販売扱いでテレビ愛知開局まで継続)。
  • 1975年
    • 毎日放送 - NETテレビ系列・東京12チャンネル系列のクロスネット→TBS系列に変更(東京12chの番組は一部番組販売扱いでテレビ大阪開局まで継続)。
    • 青森テレビ - TBS系列・NETテレビ系列のクロスネット→TBS系列に統一(ニュースネットワークはANNのみだったが、番組編成は、TBS系番組に傾斜していた。)
    • 広島テレビ - 日本テレビ系列・フジテレビ系列のクロスネット→日本テレビ系列に統一(テレビ新広島開局に伴う。広島ホームテレビ開局前~開局後もごく一部NETテレビ系列の番組も放送)。
    • ミヤギテレビ - 日本テレビ系列・NETテレビ系列のクロスネット→日本テレビ系列に統一(東日本放送開局に伴う)。
  • 1979年
  • 1980年
    • テレビ岩手 - 日本テレビ系列・テレビ朝日系列のクロスネット→日本テレビ系列に統一
    • 山形テレビ - フジテレビ系列・テレビ朝日系列のクロスネット→フジテレビ系列に統一(ただし、1993年にテレビ朝日系列に戻る)。
  • 1981年
  • 1983年
    • 新潟総合テレビ - フジテレビ系列・テレビ朝日系列のクロスネット→フジテレビ系列に統一(新潟テレビ21開局に伴う、1981年のテレビ新潟開局前は日本テレビ系列も)。
    • 福島テレビ - TBS系列・フジテレビ系列のクロスネット→フジテレビ系列に統一(テレビユー福島開局に伴う、JNNはTUF開局直前に離脱して以後はフジメイン)。
  • 1987年 
    • 秋田テレビ - フジテレビ系列・テレビ朝日系列のクロスネット→フジテレビ系列に統一
    • テレビ山口 - TBS系列・フジテレビ系列のクロスネット→TBS系列に統一 (※)ただし、開局から1978年まではテレビ朝日系列とのトリプルネットだった。
  • 1989年
  • 1991年
    • テレビ長崎 - フジテレビ系列・日本テレビ系列のクロスネット→フジテレビ系列に統一(長崎国際テレビ開局に伴う、NNN・NNSはNIB開局直前に離脱している。ただしこれはNIB開局が半年遅れたため。)
    • テレビ信州 - 日本テレビ系列・テレビ朝日系列のクロスネット→日本テレビ系列に統一 (長野朝日放送開局に伴う)。
    • 青森放送 - 日本テレビ系列・テレビ朝日系列のクロスネット→日本テレビ系列に統一(青森朝日放送開局に伴う)。
  • 1993年
    • 山形放送 - 日本テレビ系列・テレビ朝日系列のクロスネット→日本テレビ系列に統一(山形テレビネットチェンジに伴う)
    • 山口放送 - 日本テレビ系列・テレビ朝日系列のクロスネット→日本テレビ系列に統一(山口朝日放送開局に伴う)
    • テレビ大分 - クロスネット解消ではないが、日本テレビ系列・フジテレビ系列・テレビ朝日系列のクロスネット→日本テレビ系列・フジテレビ系列のクロスネットに変更(大分朝日放送開局に伴う)
  • 1994年

大規模なネットチェンジ

福岡県と山口県(関門2県)のケース

1960年代、福岡県をサービスエリアとする放送局のネットは入り組んでおり、隣県の山口放送(KRY)も絡んで数回のネットチェンジが行われている。

1964年9月30日までのネット状況

  • RKB毎日放送 (TBS系主体。NET系列も放送)
  • 九州朝日放送(KBC) (フジ系とNET系のクロスネット)
  • テレビ西日本(TNC) (日テレ系)
  • 山口放送(KRY) (周南局萩局岩国局 日テレ系 /関門局 独立局)

福岡県は元々福岡市北九州市(当時の八幡市)とでは異なるチャンネルプランが設定され、別個のテレビ局がテレビ免許を受けていた。

福岡市はラジオ九州(RKB。毎日新聞系・テレビネットはTBS系主体)と九州朝日放送(KBC。朝日新聞系・テレビネットはフジ系主体)が、北九州市は西部毎日テレビジョン放送(毎日新聞系)とテレビ西日本(TNC。朝日新聞と西日本新聞系)がそれぞれ免許を受けたが、両地区の同一資本系列同士で合併することが前提となっていた。また、北九州局は関門海峡の対岸である下関市もサービスエリアに含まれていたため、山口県の放送局である山口放送(KRY テレビネットは日テレ系主体)もテレビ免許獲得に動いたが、結局西部毎日に出資することとなった上、西部毎日はRKBと合併した。

しかし、TNCは日本テレビが設立に加わってネットワーク関係も結んだこともあり、独自色が強くなってKBCとの合併を拒んだ。やがてTNCとKBCは結託し、相互に放送エリアを拡大。TNCから朝日資本が抜けることで、RKB-TBS系、KBC-フジ・NET系、TNC-日テレ系として福岡全県で視聴可能となった。

そこへ、下関市にKRYが関門テレビ局を開局した。ただし、電波規制のために周南本局(日テレ系)と全て同じ番組を放送するとTNCとサービスエリアが被ってしまう為、主にフジ系・NET系・そしてフィルム番組・自社(周南制作)番組を放送していた。

1964年10月1日からのネット状況

  • RKB毎日放送(TBS系主体。日テレ系も放送)
  • 九州朝日放送(KBC)(NET系。日テレ系も放送)
  • テレビ西日本(TNC)(フジ系)
  • 山口放送(KRY) (日テレ系)

その後、TNCが日テレ系列を離脱。福岡放送(FBS)が開局するまで関門地区以外では日テレ系の空白域となった。

主な原因
  • 従来フジ系を主体としていたKBCであるが、ニュースは朝日新聞の関係でNET系を主体としていた。フジテレビはKBCにニュースもネットするよう再三働きかけ、漸く一本ネットが通るようになったが、朝日新聞との関係を考えるとこれが限界であった。このため、ニュースも含めたフルネット局を福岡地区に持つべく、たまたま日本テレビとの関係が悪くなった(後述)TNCに働きかけた。
  • また、朝日新聞も朝日系テレビネットワークを構築するため、KBCに対しNETテレビとフルネットを結ぶよう勧奨した。
  • 読売新聞が北九州市で新聞発行を開始したため、西日本新聞が危機感を持ち、その対抗策として系列のTNCが読売色の強い日テレ系列を離脱することで、その勢力を食い止めようとした[3]
  • RKBへ合併した旧西部毎日関係者を中心に新局を開設する動きがあり(RKB毎日放送の項を参照)、これに日本テレビが一枚かんでいたとされたため、TNCがこの事を察知して、先手を打った。また、先のKRY関門局の開局にも日本テレビが応援していたとされ、TNCと日本テレビの関係は良くはなかった。
  • フジテレビ系の産経新聞は西日本新聞と提携関係にあった。

中京テレビ・名古屋テレビの「複合ネット」

名古屋地区については、1956年に中部日本放送(CBC)がテレビを開局した当初、日本テレビ(NTV)とラジオ東京(KRT。現在のTBS)のクロスネットであった。1958年、東海テレビ(THK)が開局した際、スポンサーなどの都合で東海テレビもまた日本テレビを主体としながら、ラジオ東京や関西テレビの番組も放送していた。

1960年、ラジオ東京を軸とした「四社連盟」が発足し、ネットワークはCBC-ラジオ東京系、東海-フジ系主体に整理された。ただし、東海テレビには日本テレビや日本教育テレビ(NETテレビ。現在のテレビ朝日)、毎日放送とのネットワーク関係が残されたが、これも1962年に名古屋テレビ(NBN)が開局した事でこれらの系列が同局に移行することで概ね整理が完了した[4]

しかし、1969年4月に第4局中京テレビ(CTV)が開局した際、名古屋テレビは従来のクロスネットを崩さなかったため、中京テレビもNETテレビ系列と日本テレビ系列とのクロスネットを余儀なくされた。これに東京12チャンネル(現在のテレビ東京)の番組が加わり、ネットワーク関係は一層複雑となった。

この背景には出力の強いVHF局で、既存局でスポンサーや視聴者にも馴染みのあった名古屋テレビを巡って、日本テレビ・読売新聞とNETテレビ・朝日新聞の争奪戦があったが、結局日テレ陣営が降りることで決着。1973年4月編成より、ネットワークは名古屋-NETテレビ系、中京-日本テレビ系に落ち着いた。

また、1968年に日本国初の独立UHF放送局として開局した岐阜テレビも、開局当初はNETテレビの番組を多くネット受けしていたが、ネット局整理後の1973年4月以後は東京12チャンネルからのネット受けと自社製作に転換。オイルショックの影響で、放送時間もそれまでの準全日体制から夕方~夜間にかけての数時間に短縮された。

名古屋テレビから見た歴史

名古屋テレビはトヨタ自動車販売(現・トヨタ自動車)の神谷正太郎を中心に、朝日新聞社毎日新聞社読売新聞社の三大新聞社と日本テレビ、NETテレビの出資で設立された。このため、日本テレビとNETテレビのクロスネットとして開局した。しかしながら、当時は教育局であったNETテレビの番組は芳しくなく、巨人戦やプロレス中継といった有力番組を持つ日本テレビ系列を編成の主軸に置くようになった。

ただ、社長に就任した神谷は朝日シンパであり、腹心として(表向きにはトヨタディーラー・山梨トヨペット社長(当時)の実弟だからという理由で)朝日新聞の特信部長であった川手泰二を呼び寄せるなど、人事面では朝日色が強かった。殊に1964~66年にかけて、朝日新聞社はNETテレビとの関係を強化したため、約30%のネット比率だったNETテレビは毎年日本テレビと同等のネット比率とすべく、朝日新聞社と共に名古屋テレビに対し強く働きかけていた。

こうした中、1969年4月に中京テレビが事実上NETテレビ系列を主体として開局するが、中京テレビはUHF放送であるため視聴には別途コンバーターの購入が必要となる事で、同局と完全ネットを組む事はネットワーク政策上不利だと言われていた。このため、NETテレビも日本テレビも共に名古屋テレビとの関係強化ばかり腐心していた。

結局、名古屋テレビはNETテレビと日本テレビのクロスネットを継続し、半年ごとの番組改編に頭を悩ませ続ける事となった。 名古屋テレビは日本テレビを中心とした編成にNETテレビの高視聴率番組を組み合わせて放送し、その逆に中京テレビはNETテレビを中心に日本テレビと東京12チャンネル(現テレビ東京)の番組を組み合わせた編成ながら、名古屋テレビの編成からあぶれた低視聴率番組しか放送できなかった(NETテレビは1973年まで、テレビ東京番組はテレビ愛知が開局する1983年まで)。

ニュース系列はNNNに加盟し準基幹局として位置付けられていながらも、朝日新聞社との関係で正午前と夕方はANNの番組も受けていた。また、ゴールデンタイムは曜日毎にキー局が異なるため、原則スポットニュースは自社製作のもので代用していた。このため、夕方やゴールデンタイムのNNNニュースが東海地区では放送されない状態となり、日本テレビの不満は募っていた。

このような中途半端なネットワークを改善すべく、日本テレビは1970年より3年間、ゴールデンタイム枠を日テレ系番組に固定する契約を結び、20・21時台は完全に日本テレビ系列となった。しかし、NETテレビ・朝日新聞社の猛烈な巻き返しで1972年秋、土曜日の19時30分から2時間枠をNETテレビ系列にする番組案を発表。これで日本テレビの態度が硬化し、係争関係に発展。結局和解はしたものの、日本テレビは名古屋テレビとの関係を諦め、敢えて中京テレビと完全ネットワークを結ぶ事を決意。

1973年4月1日、名古屋テレビはNETテレビと完全ネットを結び、NNNも脱退。これまで60%を占めていた日本テレビ系列の番組が姿を消し、名古屋テレビは以降苦戦を強いられる事となった。

中京テレビから見た歴史

中京テレビは1969年4月に、東海銀行(=現・三菱東京UFJ銀行)を中心とした中京財界をバックボーンに開局した。先発局であるCBCテレビ東海テレビも設立に深く関わっていたが、新聞資本はこれら先発局と関係の深い中日新聞社が集中排除の原則から出資を見送り、結局日本経済新聞社(日経)の出資を受ける事となった。日経は当時日本教育テレビ(通称・NETテレビ)に出資しており、またそのNETテレビは名古屋テレビとネットワークを結んでいたが、その名古屋テレビの番組編成主体は日本テレビ系列であり、どちらかといえばNETテレビ系列は劣勢だった。こうした経緯もあり、中京テレビは当初はNETテレビを中心とした番組編成を基本方針としていた。

しかし、名古屋テレビがNETテレビ系列の主力番組を離さず、また、NETテレビの実質的な親会社であった朝日新聞社も、先発局でありNETテレビ自身も出資をしている名古屋テレビとのネットにあくまで拘った。また、中京テレビはいわゆる日本の3大都市圏をカバーする広域放送圏では初めて親局がUHFチャンネルとなる放送局だったため、視聴するためには別途コンバーターの購入が必要となることから、広告媒体としては非常に不利であると見られていた。このため、NETテレビも日本テレビも、名古屋テレビとの関係強化ばかりに腐心していた。結局、中京テレビには名古屋テレビの番組編成から外れた日本テレビ系列番組とNETテレビ系列番組があてがわれた。1969年12月に日経は東京12チャンネル(当時の日本科学技術振興財団テレビ事業本部)の経営に参加していたため、中京テレビの番組編成に東京12チャンネルの番組も加わったが、こうした東京の弱い番組ばかりをあてがわれていた初期の中京テレビは相当苦戦をしていた。

ニュースは一応ANNの番組を受けていたが、名古屋テレビに配慮して「中京テレビニュース」とタイトルを差し替えての放送をしなければならなかった。当然ながら名古屋テレビが放送する正午前と夕方のANNニュースは放送することができなかった。同じ日経資本である東京12チャンネルが制作をした「東京12チャンネルニュース」(現在のTXNニュース)も「中京テレビニュース」と改名した上でネット受けして対応。NNNニュースは未加盟でもあり、名古屋テレビとの関係で一切放送することができなかった[5]

しかしこの不利なネットワーク環境は1972年秋、土曜日の番組編成を巡って名古屋テレビと日本テレビとの間に起きた関係悪化によって急転換、日本テレビは敢えて中京テレビと完全ネットワークを結ぶことを選んだ。日本シリーズ中継を手始めに中京テレビと日本テレビは関係が深まっていき、1973年4月1日に中京テレビは日本テレビとの完全ネットを果たした。同時にNNNにも加盟する。

それでも系列局の無い東京12チャンネルとの間には若干のネットワーク関係が残っており、「大江戸捜査網」「プレイガールQ」「日米対抗ローラーゲーム」「世界ビックリアワー」等がプライムタイム枠で放送されていた。また、中京テレビ製作の「お笑いマンガ道場」は、関東地区では当初テレビ東京(1981年10月局名変更)でネットされていた。1983年8月まで中京テレビはテレビ東京の番組をネットしていたが、1983年9月に同名古屋地区にテレビ愛知が開局。これにより日本テレビ系列の純粋な基幹局という位置づけに落ち着く。

以降1979年3月にスタートした日本テレビ系の朝の情報番組「ズームイン!!朝!」での中継や、「お笑いマンガ道場」を始め「ワザあり!にっぽん」「早見優のアメリカンキッズ」「サルヂエ」といった様々な全国ネットの番組を制作、在名局でも1・2を争う制作力をつけてきている。

大阪準キー局「腸捻転」の解消

朝日放送から見た歴史

  • 1958年6月、朝日放送テレビの前身、大阪テレビ放送はラジオ東京(KRT。現在のTBSテレビ)・CBCHBCRKBとニュースネットワークに関する協定を締結。テレビニュースはKRTをキー局とした。
  • 8月28日讀賣テレビ放送の開局に伴い、一般番組もKRTとの単独ネットになった。
  • 1959年6月1日、朝日放送は大阪テレビ放送を合併。
  • 8月1日、テレビニュースのネットワークとしてKRTをキー局とするJNNに加盟。
  • 1960年2月1日、KRT・CBCRKBと「四社連盟」を発足。3月1日HBCも加わり「五社連盟」に。以降、関西地区でのKRT系番組はすべてABCテレビから放送される事となった。
    • それまではスポンサーの都合等で毎日放送や関西テレビからもKRT番組が放送されていた。
  • 1963年1月朝日新聞社の役員会で、日本教育テレビ(NET、現・テレビ朝日)をキー局とする全国朝日新聞系テレビネットワークの構築が決定。
  • 1964年1月、朝日新聞社代表取締役の広岡知男が朝日放送を訪れ、キー局をNETに切り替えるよう要請。しかし、朝日放送側は反対理由を挙げて拒絶した。
  • 1974年4月25日朝日新聞社の広岡社長は、朝日放送が挙げた反対理由の内、毎日放送の業績以外の項目をことごとく潰した上で、正式にテレビネットワークをNETのANN系列に切り替えるよう要請。
  • 11月18日、この動きを察知したTBSの諏訪博社長が朝日放送の原清社長に対し業務提携の解除とテレビネットワークの打ち切りを通告。ネットチェンジが決定。
  • 1975年3月31日ネットチェンジが行われ、テレビネットワークは現在に至る。
  • なお、JNN系列として最後に放送されたニュース番組は前日放送の週末最終版のJNNニュース(※『JNNニュースデスク』はネットチェンジ当時は平日のみの放送)でANN系列として最初に放送されたニュース番組は当日から放送開始の『ANNニュースセブン』である。
朝日放送と大阪テレビ放送との合併について
  • 大阪テレビ放送(OTV。JOBX-TV 6ch)は新日本放送(毎日放送の前身)・朝日放送・毎日新聞社・朝日新聞社との合弁事業であったが、開局後独立色の強いのテレビ局となっていった。その一方で、テレビ増波の知らせを聞きつけた新日本放送と朝日放送は競って免許申請を行い、お互い独自でテレビ開局を目指していた。
  • 事態の収拾を図るために、新日本放送の高橋信三と朝日放送の飯島幡司の両代表者が大阪市内のホテルの一室にてジャンケンを行い、籤引きをしてどちらかが免許申請をして、もう片方が大阪テレビ放送との合併をするか決め、その結果新日本放送が免許申請を行い、朝日放送が大阪テレビとの合併を行う事となった。
  • なお、この説については、毎日放送(新日本放送の後身)側は事実だとするも、朝日放送側(とりわけ原清)は「おもしろおかしくした話で信用し難い」としてこれを否定している。原によれば、元来大阪テレビ放送は朝日放送に合併させるハラであったという事である。
  • 当時、電波行政を掌握していたのが郵政大臣であった田中角栄であり、この田中角栄に朝日新聞社の当時の電波担当役員・永井大三が「福岡は朝日にくれ。大阪は朝日に抱かせてくれ。名古屋は相乗りやむなし[6]。」と陳情し、また毎日新聞社の実力者であった田中香苗は田中角栄に「大阪は新日本放送にテレビ免許を与えてくれ」と陳情したのに対し、田中角栄は「テレビ免許はラジオ局に降ろすのでは無い、新聞社に降ろすのだ。新日本放送から阪急資本を追い出せ。」と対応したとされる(当時阪急は別途関西テレビの開局に携わっていたため)。
  • つまりは出来レースであり、上述の「じゃんけん籤引き」が無くとも、朝日放送が大阪テレビ放送を合併して新日本放送が新免許申請をする事は既定路線だったといえる。
  • 後日、田中角栄はこの結果「腸捻転」が発生したことに気付き、その解消に腐心する事となる。
ABCがネットチェンジを拒絶した理由
  • NETは教育専門局に過ぎず、同局をキー局とすると営業面で制約が生じて不利となる。
  • NETをキー局に全国朝日系テレビネットワークを構築すると言うが、そのNETには朝日新聞社以外にも日本経済新聞社の資本が入っている。逆に現在のキー局であるTBSにも、毎日新聞社読売新聞社と共に朝日新聞社の資本が入っており、こうした資本構成ではネット変更をする理由にはならない。
  • そもそもNETの経営状態が悪いので、まず同社の再建が先決である。
  • 朝日放送と毎日放送との間の営業成績にも格差がある(これはNETをキー局とすれば、必ず営業成績が落ちる事を意味する)。
  • KBCフジテレビとの、名古屋テレビ日本テレビとのそれぞれクロスネットである。テレビネットワークは最低「東名阪九」が完全に繋がらないと商売にならない。
  • NETニュース 朝日新聞製作」は朝日テレビニュース社が製作する外注番組であるが、テレビニュースはJNNの様にテレビ局が主体となって製作すべき物である。従って外注を止めて欲しい。

要は「朝日系列だから」という理由だけで、わざわざTBS系列といった盤石な基盤を捨ててまで脆弱なNET系列に移るという事は不可解である。ABCは「朝日」放送と名乗ってはいても、朝日新聞社以外にもその他大口出資者(近畿日本鉄道阪神電気鉄道大阪ガス高島屋、住友銀行(現・三井住友銀行)等)が多数存在する一般企業である。従って朝日新聞社一社のために企業価値が損なわれ、他の株主に迷惑をかける事はあり得ない。「それでも親会社の言うことを聞け」と言うのであるならば、それなりの大義名分が必要だと言うことである。

朝日放送が「腸捻転」解消に消極的だった理由

朝日放送がTBS系列からNET系列にネットチェンジする事で「腸捻転」が解消した実際の要因が、1974年11月18日にTBSから業務提携の解除とネットワークの打ち切りを通告された事から判るように、朝日放送は最後まで「腸捻転」解消に消極的(それから、元々のキー局であったTBSも)だったが、その理由は既述「拒絶した理由」1~6の他にも、いやその拒絶理由が無くなったとしても朝日放送側にはまだ以下の不安要因があったからである。

  • JNNに比べ、ANNは系列局がクロスネットを含めても少ない(1974年の時点でJNNが25局なのに対しANNが9局)。系列の力が弱いため、地方によっては自社番組がフルネットから遅れネット、あるいは打ち切りになる可能性が高い。こうした系列変更に伴う地方局への営業力低下を懸念していた。
  • JNNからANNに移る事によって、当時高視聴率が多く営業成績の高かったTBSの番組を失い、相対的に芳しくなかったNETの番組を受け容れる事になる。これらの事から、ネットチェンジで朝日放送の営業収益は必ず減少すると見込まれていた。
  • 上記のような不利な条件下であったにも拘わらず、毎日放送が好成績を上げていたのは番組製作力や企画力、営業販売に関する総合力で他局を圧倒していたからである。毎日放送はキー局が弱かったため、自社制作番組の強化でこれを克服。在阪カラーの強い局として評価を高め、またこれら自社制作番組を地方局に売り込み営業成績を上げていた。実際、NETテレビ系列局が編成上の都合で放送しなかった場合は、ラテ兼営局であった強みを生かし同地域内の他系列局に販売またはスポンサードネットした事もあった[7]。一方の朝日放送は番組制作力には定評があったが、キー局や系列局が圧倒的に強かったため、毎日放送のように積極的に動かなくとも十分に採算が取れていた。このため、TBS系列に依存する体質が染みついていた当時の朝日放送は、毎日放送よりも体力が不足していた。これがいきなりANNに移ることによって、ローカル枠と全国向け発枠が急増し、その結果関西ローカルの自社製作番組や(現在放送されている『おはよう朝日です』など)、毎日放送が制作していた枠(現在放送されている『パネルクイズ アタック25』はその実例)を代わりに制作しなければならないという頭の痛い問題が生じる。毎日放送も相当な年月を掛けてようやくこの体制を確立してきたのに、朝日放送がすぐさまこれに取って代わることは困難だと思われた。
  • 但し、同局の制作現場は逆にこれを自社番組制作能力を向上させるチャンスと捉えていて、その努力が後々繋がる結果になった。
朝日新聞社が腸捻転を問題視した理由
  • TBS系列時代の全国ニュースは排他協定の影響もあり、自主制作の「JNNニュース」を放送していた。朝日新聞制作のテレビニュースは僅かに夕方の3社ニュース枠での朝日新聞ニュースが、NETからの裏送りで放送された程度で、肝心の「NETニュース 朝日新聞制作」は朝日放送では放送されず、しかもそれを毎日放送が「MBSニュース」と題名を差し替えて放送していた。つまり、「朝日新聞制作」のニュースが大阪では「毎日新聞系」の毎日放送から放送され、また「朝日新聞製作」のクレジットで全国に放送される関西発のニュースは朝日放送ではなく毎日放送が取材した物であるといったちぐはぐな状態が続いていたのである。
  • また、朝日放送に限らずJNN系の基幹局は母体の新聞社から距離を置き、独自の道を歩もうとした局が多かった。「新聞と放送は別物」という事で朝日放送も朝日新聞社との関係が疎遠になりつつあった。当時電波政策に後れを取ったとされる朝日新聞社は、この「朝日放送の朝日新聞離れ」を憂慮。両社上層部間の食事会や懇談会を定期的に催し、また相互に現場交換を行う事で新聞と放送での一体感を持たせ、JNNに傾きつつあった朝日放送を朝日新聞陣営に引き戻そうと懸命に努力した。なお当時アナウンサーだった中村鋭一は、この現場交換要員として朝日新聞大阪本社社会部に出向し、新聞記者となっていた。この記者時代の経験が、後のABCラジオ「おはようパーソナリティ」の初代パーソナリティとして成功に繋がったと言われている。

毎日放送から見た歴史

毎日放送は、朝日放送と共同で大阪テレビ放送を経営していたが、1958年テレビ電波増設に伴って袂を分かつこととなり、毎日放送が新たにテレビ局を開局、朝日放送が大阪テレビ放送を合併することとなった。

毎日放送テレビは、当初はラジオ東京テレビ(KRT。現在のTBS)とのネットを目論み、1958年12月1日に開局する予定だったが、KRTの今道潤三常務(当時。後にTBS社長・会長を歴任)から「KRTは既に大阪テレビ放送とネット協定を結んでおり、毎日放送とネットを組むことはできない。ネット番組はそう簡単に動かせない。」とネット関係を拒まれた。

なお、今道が毎日放送のネット要請を蹴った理由は以下の通りと伝えられている。

感情説 
OTV開局当時、KRTは一部のローカルニュースを除いてすべてKRT番組をフルネットする事を要請したが、OTVは放送の自主性を盾にこれを拒み、中部日本放送と共同歩調を採って日本テレビとのクロスネットを選択。さらに放送する番組については電波料の配分などOTVが有利となるべくKRT番組と日テレ番組を両天秤にかけていた。この一連の動きを推進したOTV・永松常務は毎日新聞の出身であり、のち毎日放送に移籍してテレビ開局の当事者となったため、不信感を持ったKRTが毎日放送とのネットワークを拒んだといわれるもの。
バランス説 
KRTは新聞各社や電通の出資で設立され、日テレに比べ背後の新聞色が薄い局と言われていたが、実態は毎日新聞の影響が強かった。現職役員も当時の鹿倉専務を筆頭に毎日新聞出身者・出向者が多く、今道もまた毎日新聞関係者の縁でKRTに入社した経緯があった。この背景があるため、テレビネット成立は容易と睨んだ毎日放送は楽観的に取り組んでいたが、寧ろKRTとしては特定の新聞色を払拭すべく動いていた。これはKRTがニュース番組を軸にネットワークを形成しようと準備していたが、地方局は地方新聞社との結びつきが強かったため、これを配慮すべく福岡が毎日系のRKBならば大阪は毎日放送ではなく朝日系となったOTVで無ければ都合が悪かったと言われるもの。
ステーションネット説 
日本テレビは1958年8月に開局したよみうりテレビと完全ネットを結んだ。以降関西地区での日テレ番組は全てよみうりテレビが放送し、OTVにはKRT番組しか流れなくなった。これでKRT・OTV間の関係は緊密化し、ネットワークに関する業務提携を行った。しかしながら、ニュースを含めたKRT番組の半分が毎日放送へ流れる事は、単独ネットの日テレに対しネット関係が複雑となるため、KRTの営業活動に支障を来す事になるおそれがあった。このため、KRTでは朝日放送が毎日放送に対して採った「朝日放送とOTVが商法に基づく対等合併である以上、OTVの権益は全て朝日放送が継承する」という主張をバックアップし、OTVと結んだ提携を継承した朝日放送との完全ネットに踏み切ることにしたもの。

次善策として、高橋信三専務(のち社長)と個人的に親交のあった鹿内信隆ニッポン放送専務(のち社長)が専務を務めるフジテレビジョン(CX)とのネット関係樹立を目論んでいたが、これも同社社長の水野成夫関西テレビ放送の母体である産経新聞社の社長に就任し、結果としてフジテレビと関西テレビとの関係強化が図られたため、断念。(なお、フジと関テレは阪急阪神東宝グループ(旧・阪急東宝グループ)の資本や共同テレビニュースによるニュースネットなど共通点も多かった。)

結局日本教育テレビNET。現在のテレビ朝日)とネットを組まざるを得ない事になり、開局の予定が3カ月遅れてのスタートとなった。それでも開局当初は、NETの他、スポンサーの関係でKRTやCXの番組も一部ネットされていた。また逆に、毎日放送からCXへネットされた番組もあった。 ニュース番組は当初一日二回(日曜日は無し)の「毎日新聞ニュース」がKRTから送られてくる以外は、全て自主製作で放送した。1年後、ようやくNETテレビとニュースネットが結ばれたが、そのニュースは「NETニュース 朝日新聞製作」であり、朝日新聞社旗がはためくオープニングを「MBSニュース」のタイトルに差し替えて凌いだ。1970年1月よりNET発のニュースタイトルは「ANNニュース」に替わったが、毎日放送では3か月間「MBSニュース」のタイトルで押し通した。これはこの時毎日放送側が「ANN」(All-nippon News Network)の「A」を「AsahiのA」だと思っていたためである[8]

1968年にはテレビ東京の前身である東京12チャンネルの経営にも参画し、翌1969年10月編成から1975年3月31日にネットチェンジするまでの間は相互に番組をネットし合うクロスネット編成を採っていた。

この間、毎日放送はANNに加盟はしたがNETの系列局といった意識は無く、寧ろNET・東京12チャンネルが自らの系列局であるといったキー局志向を持っていた(この名残で現在も系列違いでありながらテレビ東京の主要株主に入っている)。

その後、当時の郵政省の方針や新聞社(とりわけ朝日新聞社)の強い意向をもとに「腸捻転」と言われたネットワークの体裁を改める動きが年々活発となり、1974年11月これを看過できなくなった東京放送(TBS)諏訪博社長が毎日放送の高橋社長を訪ね、朝日放送がNET系列に移行した際には毎日放送がJNN系列に入るよう懇願。高橋社長はこれを受諾し、これを受けたTBS諏訪社長が直ちに朝日放送に対しテレビネットワークの打ち切りを通告。1975年3月31日、毎日放送はTBSをキー局とするJNN系列に移行し、JNNの準キー局となった。

1975年3月6日、東京ヒルトンホテル(後のキャピトル東急ホテル)で行われた『JNNネットワーク協議会』の総会で、JNN加盟全局の前で朝日放送が退会の挨拶をした後、毎日放送が代わって入場した。毎日放送の齋藤守慶テレビ営業局長[9]が入会の挨拶をした。

「毎日放送は元々、TBSとのネットワークを希望していた。しかし昭和33年(1958年)の時点でそれは許されなかった[10]。それ以降は、ゴルフでいえば隣のコースでプレーしていたようなものだ。今ここにJNNのコースに戻ることが出来て、大変嬉しい。」とネットチェンジの意気込みを語った。

  • ネットチェンジ前日の1975年3月30日の最終ニュース(『最終版のANNニュース』のローカルニュース)は千里丘放送センター内のニューススタジオがストライキのため使用出来なかったため、隣接する「ミリカホール」に特設スタジオを作って放送された。これが、ANN系列として最後のローカル番組となった。ANNは1971年4月から全国のニュースをANNニュースとして統一していた。ANNニュース番組にタイトルがつけられたのはネットチェンジの当日からである。なお、毎日放送がANN系列局として最後に放送されたニュース番組は上記のタイトルでJNN系列局として最初に放送されたニュース番組は朝日放送から移行した「モーニングジャンボおはよう地球さん」の前に放送された朝7時の「JNNニュースコール」(第1期)である[11]
  • ANN時代は金曜日に行われるプロ野球中継の中継権を持っていたが、朝日放送が金曜のナイター中継権を持っていなかったため1975年はFNN・FNS系列に金曜日の阪神戦の中継権を譲渡した。[12]翌年、再び金曜日の中継権を得ることになる。その一方で、1975年から大洋戦の中継権がANN系列へ移った他、翌年の金曜日の放映権獲得と引き換えにヤクルト戦の中継権を失った。
  • なお、東京12チャンネルの番組はネットチェンジ直前まで『大江戸捜査網』、『プレイガール』、『日米対抗ローラーゲーム』、『世界びっくりアワー』などがネットされていたが、ネットチェンジ後は、テレビ大阪が開局するまで『プレイガールQ』『大江戸捜査網』など一部の番組が番組販売扱いで放送された。東京12チャンネルの番組は毎日放送に近畿地方の独立UHF放送局各局の他、それまでも毎日放送の編成から外れた番組を中心に東京12チャンネルから若干購入して放送していた朝日放送、関西テレビ、よみうりテレビでも、各局ローカル枠内での番組販売扱いでの放送が拡大された(一部の番組は独立UHF局で同時ネットで放送され、在阪局では遅れネットだった番組もあった)。

ネットチェンジ後の編成

ネットチェンジのメリット・デメリット

  • 毎日放送は元々希望していたTBSとのネットワーク関係を実現させたことにより、ANNに対し強い地盤を持っていたJNNに参加する事で報道番組が充実することや、また当時高い視聴率を得ていた「8時だョ!全員集合」や「ありがとう」「寺内貫太郎一家」「水戸黄門」等の番組がタイムテーブルに加わったこともあり、毎日放送がネットチェンジで得た物は大きかったといえる。
  • ネットチェンジの影響はラジオにも及び、毎日放送ラジオはこれまで自由に東京地区での報道取材活動を行っていたが、JNNへの加盟で原則として東京地区はTBSラジオが報道取材を代行する事となり、毎日放送ラジオは自由に取材が行えなくなった[14]
  • 結局こうした代償も多く、ネットチェンジは必ずしも良い事ずくめでは無かった。
  • 準キー局と新聞社との資本関係が整理されたことにより、新聞社・在京キー局の地方局に対する支配力が強まった。地方局は在京キー局の中継局的な役割となり、後の地方多局化政策の遠因となった。
  • 在阪局の制作力が低下し、在京キー局への一極集中が強まった。

山形県の場合

  • 山形県では第1波の山形放送1960年に開局。当時は日本テレビ放送網NNS/NNN系列)の番組をメインに編成したオープンネット局(県内にまだ1局しかテレビ局がなかったので、各系列局の番組を混成で編成した)としてスタートを切る。
  • その10年後の1970年に県内初のUHFテレビ局として山形テレビが開局。当初同局は朝日新聞社資本が強かったため、日本教育テレビ系列のANNをメインに東京放送系列のJNNとのクロスネットを予定していた。しかし、YTS開局を前に出資者間のトラブルが起こり、これを山形新聞の当時の社長・服部敬雄が収拾したことで、同局は山新グループの傘下に入った。服部がフジテレビジョンの当時の社長・鹿内信隆と個人的な付き合いがあったこと、またYBCはフジテレビジョン(FNN/FNS)系列の番組が著しく少なかったことを踏まえて、YTSはフジ系列をメインとして一旦は開局。その後朝日資本の関係で1975年4月からANNとのクロスネット(メインはFNN/FNS)となった。
  • だが1980年、YTSが朝日系列に収まることを恐れた山形新聞の関係者はより山新にとって身近な存在であるYBCをそれまで単独ネットだったNNN/NNSメインからANNとのクロスネット化することを決断。YTSはANNを一旦脱退し、FNN/FNS単独ネットに移行するものの、時間帯によってANN編成を組むためにYBCで放送できないNNN/NNSの番組を番組販売の形で放送される形となる。なお、YBCがNNN/NNS番組を優先して編成するために放送する枠がないANNの番組は、引き続きYTSで放送された(『徹子の部屋』等)。この結果、2局がこぞってNNN/NNS編成とANN編成(更にはJNN、TXNも)を組んでしまう「変則クロスネット」となり、視聴者や各局の社員を困惑させることとなる[15]
  • NNN/NNS系「全日本仮装大賞」等、YBCが出場者募集をしながら、編成上の都合から、実際の放送はYTSで行われたというケースもあった。
  • しかし、1989年YTSはハリウッド映画の製作参画、バイオ科学研究所新設などの経営多角化を図るが、経営が行き詰まる。この頃からANN復帰(マストバイへの移行)の動きが活発になり、1993年4月を持って、FNN/FNSを脱退し、ANNマストバイへの完全移行に踏み切る。だが、フジテレビはこれに異議を唱えたこともありペナルティーとして1992年12月よりFNN/FNSネット番組のスポンサーとの交渉とYTSが単独交渉をするという事態(FNSでは岡山放送以来)が行われた。
  • FNN/FNS系列の番組は1997年さくらんぼテレビジョンが開局するまで、主としてテレビユー山形(1989年JNN系列マストバイで開局)が番組販売を受けて放送するものの、近隣の系列局[16]を利用しなければならなかったとも言われ、視聴者からの反感も多かった。

メインの系列との関係を解消してサブの系列に一本化したケース

この場合は単なるクロスネットの解消といえなくもないが、広義の上ではネットチェンジに含まれることもある。

福島県の事例

  • 福島テレビ福島中央テレビとネットを交換して以来、JNN・FNSに加盟していた。JNN協定は複数のニュースネットへの加盟を禁止している排他協定なので、FNNには加盟できなかった。ただTBSとしては極力新聞社の影響のある局からは距離を置きたかったこと、開局時の地元新聞2社による主導権争いの影響で県が大株主となっていたことなどから、新規のテレビ局割当時に福島テレビから離れ、テレビユー福島開局に動く事になる。これを受けFTVはJNNを離脱してFNNに加盟することになる。

長野県の事例

  • 1980年に長野県内3局目として開局したテレビ信州は、NNNANNのクロスネットであった。当初はこの2系列のうち、曜日ごとに高視聴率が見込める番組をネットしていたが(日本テレビとテレビ朝日の編成比率は1対1であった)、この段階では県内4局目が開局した際は、同局はテレビ朝日系列になる予定であった。そのためかNNSには当初加盟しなかった。
  • しかし、1987年の秋改編ニュースシャトルの同時ネットに伴い、ゴールデンタイムの約70%をテレビ朝日系列の番組とした結果、日本テレビの人気番組が打ち切り遅れネット・県内他局への番組販売となるケースが多発した。その結果、県内の視聴者から編成への不満に対する抗議の電話が殺到し、県内での視聴率が低迷した。
  • 結局、この頃から全国的な視聴率がテレビ朝日は低下傾向になり、逆に日本テレビは上昇傾向となったこともあり、同局は県内4局目が開局した際、当初計画していたANNフルネットから、NNNフルネットに変更、併せてNNSにも加盟することを決めた。[17]

長崎県の事例

  • 上記事例の中には記述はないが、テレビ長崎については、株主構成上などではフジサンケイグループ関連がメインであったが、長崎国際テレビ開局を前にしたNNN/NNS離脱直前には総放送時間においては日本テレビ系列の方が上回っていた。そのため、上記例に含められるという意見もある。

鹿児島県の事例

  • テレビ長崎同様、鹿児島テレビについても、株主構成上などではフジサンケイグループ関連がメインであったが、鹿児島讀賣テレビ開局直前には総放送時間においては日本テレビ系列の方が上回っていたため、上記例に含められるという意見もある。

テレビネットチェンジ

ガンダム。Xまでテレビ朝日。ターンエーフジテレビ。SEEDから00TBSビルド。テレビ東京 こち亀。アニメ。フジテレビ。ドラマ。TBS ドラえもん。日本テレビからテレビ朝日。 ウルトラマン。メビウスまでTBS怪獣再放送以降、テレビ東京 ぬーベー。アニメ。テレビ朝日。ドラマ。日本テレビ 鬼平。テレビ朝日からBSフジテレビ

脚注

  1. 山口放送周南(当時徳山)本局は当初から日本テレビ系列だった。関門局(下関市)が当初日本テレビ系列でなかったのは、対岸の福岡県北九州市(当時・八幡市)に日本テレビ系列のテレビ西日本があったこととの兼ね合いによるもの。また朝日新聞資本の九州朝日放送が当時フジテレビ、NETテレビのクロスネットだった関係上NETテレビの番組をフルネットする局が無かったことから、それを補完する意味で相当数のNET系列番組が放送されていた。しかし、1964年にテレビ西日本がフジテレビ系列、九州朝日放送がNET系列にそれぞれネットチェンジした関係で福岡県地域で日本テレビの番組が見られなくなったことから、周南本局と同じ日テレ系に統一できたという経緯がある。
  2. 2.0 2.1 福島テレビとテレビ信州の場合は単にクロスネットの解消と言えなくもないが、それぞれメインの系列との関係を解消してサブの系列に一本化されたという経緯から、ネットチェンジとも言える。
  3. 読売新聞の近畿地区での発行部数がよみうりテレビ開局後増加したこともあり、日本テレビとネットを組むことはおのずと読売の宣伝媒体に使用されるといった認識が地方紙にはあった。
  4. ただし、日本テレビのプロ野球ナイター中継や毎日放送の上方演芸物など一部の番組は暫くの間残されていた。
  5. これが原因となり、名古屋では夕方とゴールデンタイム=スポット枠のNNNニュースが一切放送できない事態となった。
  6. つまり、「福岡は九州朝日放送にテレビ免許を与えて欲しい、大阪は朝日放送と大阪テレビ放送を合併させて欲しい、名古屋は毎日新聞社との合弁である新東海放送に免許を降ろして欲しい」の意。
  7. 例:「テレビスター劇場」・「東リクイズ・イエス・ノー」・「真珠の小箱」は広島ホームテレビ(HOME・当時UHT)ではなく中国放送(RCC=TBS系)で、「皇室アルバム」は北海道テレビ(HTB)ではなく札幌テレビ(STV=日本テレビ系)で放送
  8. なお1965年から放送を開始した朝日新聞テレビ夕刊(日曜夕方のNET系列全国ニュース)は腸捻転時代は大阪地区(MBS、ABCとも)では放映されず、MBSでは毎日新聞夕刊ニュース(後にテレビ夕刊)を自主放送(瀬戸内海放送テレビ岡山(岡山放送)にもネット)し、それの中で全国ニュースを補完した。
  9. 当時。後に毎日放送社長・会長を歴任 現在は財団法人放送番組センターの会長。
  10. 齋藤営業局長は大阪テレビ放送出身。その後毎日放送テレビ開局準備のために移籍し、テレビ営業課長に就任。ラジオ東京や広告代理店、スポンサーと交渉を重ね、毎日放送テレビとKRTテレビのネット関係樹立直前まで漕ぎ着けた。またラジオ東京の今道常務から「毎日放送テレビとはネットしない」と一蹴された時も、その現場にいた。いわば、この一件の当事者である。
  11. ネットチェンジを実施した当時は毎日放送・朝日放送とも放送エリアはほぼ同等のカバー率だったため一部地域で見られなくなってしまうネット番組はほとんどなかった。
  12. 水曜日のヤクルト戦と交換。
  13. 余談として「仮面ライダーアマゾン」を放映していた土曜夜7時半には、NETと東映が「秘密戦隊ゴレンジャー」を制作している。
  14. 代わりに、これまでTBSラジオの取材に頼っていたABCラジオはJRNニュースネットから締め出され、東京地区では朝日新聞社の協力の下で独自に取材活動を行わざるを得なくなった。
  15. 特に顕著に現れたのが、選挙特番でYBCでは6時からはNNN系選挙特番、7時からはANN系の『選挙STATION』を放送したり、またYTSでは『月9ドラマ』が日曜日の12時に放送されていた。しかも約3ヶ月遅れという状況。
  16. 秋田テレビ仙台放送新潟総合テレビ福島テレビなど。地域によって受信できる局は異なる。ところによってはケーブルテレビの区域外再配信も。
  17. ニュースシャトル#備考も参照のこと。

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