仙台駅
仙台駅(せんだいえき)は、宮城県仙台市青葉区中央一丁目にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)・仙台市交通局(仙台市地下鉄)の駅である。JR東日本の駅は、東口および一部ホームが宮城野区榴岡一丁目にまたがっている。
概要[編集]
東北地方最大の都市・仙台市の代表駅である。東北新幹線は当駅を通る全列車が停車する。仙台都市圏と首都圏との間の高速アクセス手段は、東北新幹線が大宮駅 - 上野駅間を延伸開業した1985年(昭和60年)に、航空路線の仙台空港 - 羽田空港便が廃止されてからは、新幹線が独占的に担っており、当駅の新幹線利用客は1日平均4万人以上となっている。在来線は後述するように、仙台周辺の宮城県内の各都市や仙台空港、山形市、福島市、一関市などとを結ぶJR各線が発着する。市内を南北に結ぶ地下鉄も乗り入れ、東北地方最大のターミナル駅となっている。「ショッピング、食事、ホテル等の施設も充実し、文化の発信基地としての役割も担う駅」として、東北の駅百選に選定された。なお、1961年(昭和36年)に客貨分離されている。
仙石線を除くJR在来線の軌道敷は、北は宮城野橋(X橋)付近から南は北目町ガード(六道の辻)付近まで及び、仙石線仙台駅は仙台トンネル内を仙台駅東口駅前広場の地下から宮城野通り西端地下まで及ぶ。地下鉄仙台駅は、南北線が愛宕上杉通り地下を北は中央通りから南は仙台駅西口バスプールまで(仙石線あおば通駅と青葉通り地下で直結)。東西線が、南町通り地下に建設中で、2015年(平成27年)の開業を予定している。仙台駅周辺での鉄道施設等の鉛直方向の分布については仙台トンネル#仙台駅周辺を参照。
乗り入れ路線[編集]
JR東日本[編集]
JR東日本の新幹線は、線路名称上は東北新幹線のみであるが、新幹線ホームには同新幹線の列車のほか、盛岡駅から分岐するミニ新幹線である秋田新幹線の列車も停車する。2016年3月には北海道新幹線の列車も乗り入れる予定となっている。
JR東日本の在来線駅には次の各線が乗り入れている。
- 東北本線 - 当駅開業時からの路線であり、当駅の所属線となっている[1]。
- 仙山線 - 当駅を起点とし、山形駅までを結んでいる。
- 仙石線 - 石巻駅までを結んでいる。かつては当駅が起点であったが、地下化と同時に起点は1つ隣のあおば通駅となり、当駅は途中駅となった。
正式な線路名称上は以上の3路線であるが、東北本線の当駅以南の駅から分岐している各線の列車も乗り入れている。
- 常磐線 - 福島県浜通りへと通じている。岩沼駅から東北本線経由で乗り入れている。
- 仙台空港鉄道仙台空港線 - 仙台空港へのアクセス鉄道。名取駅から東北本線経由で乗り入れており、「仙台空港アクセス線」とも呼ばれる。
- 阿武隈急行阿武隈急行線 - 一部列車が槻木駅から東北本線経由で乗り入れている。
仙台市地下鉄[編集]
歴史[編集]
明治期から終戦時まで[編集]
仙台駅は、1887年(明治20年)12月15日に日本鉄道の駅として開業した[注 1]。
当初の敷設計画では、多くの都市と同様に市街地端へ線路を設け(現在の宮城野貨物支線に近いルート)、当時の宮城郡苦竹村、現在の仙台貨物ターミナル駅付近に停車場を設けようとした[2]。しかし、仙台城下町以来の街の衰退を恐れた地元商人がこれに反対し、費用負担を申し出て日本鉄道に変更を求めた。これが仙台区のほとんどの組(現在の町内会)を巻き込んだ運動になった[3]。一方、士族を中心にした東京在住の仙台出身者は、都市の将来発展のためには原案が望ましいと論じていた[4]が、最終的には当時の宮城県知事松平正直も変更を支持し、地元の費用負担なく東六番丁通りの現在位置に決定した[5]。
初代の駅舎は木造平屋建ての小さな建物で線路の西側に位置し、幅35m・奥行き8m・面積236m²であった[6]。また、駅前広場には馬車を回すロータリーがあった[7]。開業当時の鉄道は上野駅 - 塩竈駅間であり、上野 - 仙台間の所要時間は12時間20分であった[8]。
1894年(明治27年)、駅舎は改築され、木造ペンキ塗、中央部は2階建て両翼は平屋、面積8,407m²という、当時としては大きく立派なものとなった[9]。この駅舎には増・改築が重ねられたが、1945年(昭和20年)の仙台空襲により焼失した。
この間、1906年に日本鉄道は国有化され、国鉄東北本線となった。1925年に仙台地区では初の直流電化路線である宮城電気鉄道(後の仙石線)が西塩釜駅まで開業し、1929年には仙山東線(後の仙山線)が愛子駅まで敷かれた。所要時間は1926年に上野 - 仙台間が8時間弱となり、乗降客数は1928年に1日平均9,649人を数えた[10]。この頃の仙台駅は東北地方で最多の旅客をさばいたが、貨物では青森駅・塩竈駅(旧駅)などに引き離され、6位に留まった[11]。1909年(明治42年)の汽車貨物では、米529トン、雑穀160トン、麦粉328トン、食塩383トン、酒406トン、鮮魚458トン、鉄類369トン、陶磁器298トン、硝子器150トンなどを送り出した[12]。1926年(大正15年)11月25日には仙台市電が仙台駅前駅 - 荒町日赤病院前駅において開業し、駅前広場に隣接する駅前通りに仙台駅前停留所が設けられた。
日本初の地下ホーム[編集]
宮城電気鉄道は、駅の東側から地下に入り国鉄線西端から西口広場地下にかけてプラットホームを設置しており、そこから階段を上がると西口に出られるようになっていた。西口には宮城電気鉄道の独自の駅舎が設けられていた[13]。
戦災復興期から高度経済成長期まで[編集]
1945年7月10日の仙台空襲で仙台市街は大きな被害を受けた。仙台駅も死者4人を出して破壊され、他の駅から資材を回すなどしてバラック建ての駅舎を急造した[14]。終戦直後の仙台駅発着の車両は、石炭不足で削減されて超過密状態で、利用客の8割が食料買い出しに向かう人々であった[15]。その一方で、進駐軍は車両やホームを専用で留め置いて効率的運用を妨げ、その将兵の中には駅員に横暴を働く者もあった[16]。
1948年に新駅舎の建設が始まり、翌1949年に竣工した。新たに駅前広場へのメインストリートとして青葉通りが敷かれ、1950年に駅前の舗装が完成したことで、駅および駅前広場の復興は一段落した。駅舎は木造モルタル2階建、面積2,023.9m²であった[17]。この駅舎は仮駅舎の予定であったが、結局1972年まで使用されることになった。1952年6月1日には仙石線の地下ホームへの発着が廃止となり、工事のための運休を経て、9月26日から従来仙台東口仮乗降場として使用していた設備を仙石線仙台駅として運転するようになった[13]。
1951年、東北子供博覧会が開催時に、博覧会事務局は駅前広場の一部を11か月の期限付きで借りて建物を作った。しかし、博覧会終了後、河北新報社長菅野千代夫を社長とする河北実業株式会社が設立され、土地の賃借権を主張して返還を拒み、建物を店舗用に賃貸した。これが駅前ショウハウスである。地元有力紙の関連企業を相手にした明け渡し交渉は難航し、1972年までそのままとなった[18]。
復興計画の一環として、国鉄は1946年、仙台駅前後の曲線区間を避け短絡する宮城野貨物線を敷き、そこに貨物駅を設置し、仙台駅を旅客専用にする計画を作成した。その後、貨物取り扱いの増加により12年後の1958年に工事が始まり、1961年に宮城野駅が開業した。これに伴い、仙台駅は貨物の取り扱いを廃止した[19]
東北新幹線開業[編集]
東北新幹線開業に伴う駅舎新築のため、1972年に西口駅前広場に仮駅舎を設置、仮駅舎の後方の旧駅舎を取り壊し、新築駅舎は1977年に竣工、在来線のみの駅として部分供用を開始した。新幹線工事のために、1973年2月1日始発駅発の列車から、深夜に仙台駅を通過する旅客列車は宮城野貨物線へ迂回となり、1978年(昭和53年)10月2日から仙台駅経由に戻った。この間、長町駅に代わりに停車して長町 - 仙台間で代行バスの運転が行われ、また多客期や荷物列車については仙台駅経由が続けられていた[13]。駅前ショウハウスの店子は仮駅舎設置時に強制執行で立ち退かされた[20]。仙台市電は、1976年(昭和51年)4月1日に廃止となり、仙台駅前停留所も撤去された。
新駅舎の全面供用は、およそ5年後の新幹線開業時である1982年となった。1990年代に入ると駅構内の東側の留置線が整理され、家電量販店やアミューズメント関連施設の用地となった。利用客は1986年、新幹線・在来線合わせ、1日平均17万5千人となった。
新幹線停車駅は、仙台駅、宮城野駅、長町駅が浮上し、それぞれ「新幹線現仙台駅建設促進期成同盟会」、「新幹線東部地区設置期成同盟会」、「新仙台駅誘致仙南期成会」を結成して運動した[21]。宮城野駅、長町駅は、ルート上に曲線区間が少なく減速を最小として通過できること、敷設距離短縮による工事費節減のメリットがあった。しかし、新幹線停車駅へ全列車停車すること、仙台市都心部へのアクセス利便性の確保から、新幹線停車駅は仙台駅に決定した。
東北地方太平洋沖地震の影響[編集]
2011年(平成23年)3月11日に起こった東北地方太平洋沖地震によって、JR仙台駅新幹線ホームの化粧天井が落下するなどの大きな被害を受け、営業休止[22]。地下鉄も設備点検のため運休[23]。3月14日、地下鉄南北線が一部区間(台原 - 富沢)で運転再開したことにより、地下鉄仙台駅は営業再開。3月25日、S-PAL地下1階「エスパルキッチン」の一部店舗が先行して営業を再開する[24]。3月28日、仙石線が一部区間(あおば通 - 小鶴新田)で運転再開したことに伴い、利用を大幅に制限した上で駅施設の営業を再開[25]。続いて3月31日には東北本線下りの一部区間(仙台 - 岩切)、4月2日には東北本線上りの一部区間(名取 - 仙台)、4月4日には仙山線が一部区間(仙台 - 愛子)で運転を再開したと共に、東北新幹線についても運転再開の見通しが立ち、復旧が進んだ。
4月7日、東北地方太平洋沖地震の余震により、JR仙台駅は案内板が崩落、スプリンクラーが誤作動によって水浸しになるなど再び被害を受けた。これにより、JR・仙台市地下鉄ともに運転を取りやめた[26]。翌4月8日、地下鉄南北線が一部区間(台原 - 富沢)で運転再開。4月12日、東北本線上りの一部区間(郡山 - 仙台)と常磐線の一部区間(亘理 - 仙台)で運転再開により、再び営業を再開。4月14日に仙山線の一部区間(仙台 - 愛子)、4月15日に仙石線の一部区間(あおば通 - 小鶴新田)、4月21日に東北本線下り(仙台 - 一ノ関)が運転再開されたことにより、仙台駅を発着するJRの全在来線が運転を再開した。
4月25日、震災以降初めて東北新幹線上り(東京 - 仙台)が運転を再開。4月29日には下り(仙台 - 一ノ関)が運転再開されたことにより、東北新幹線が全通。7月23日には仙台空港アクセス線が一部区間(仙台 - 美田園)で運転を再開したことで、仙台駅に乗り入れる全路線が復旧した。
地下鉄仙台駅・南2出入口はEBeanSが一部解体工事を行っていたために5月26日から11月18日まで封鎖された[27][28]。
東口再開発[編集]
2009年夏、JR東日本は仙台市地下鉄東西線開業に呼応する形で東口一帯の所有地再開発に着手する構想を発表した[29]。計画の変更等を経て2012年1月、再開発計画を正式発表[30][31]。再開発予定地に含まれたZepp Sendai及びE-GATE(商業施設)は2012年に閉鎖、解体。2013年3月27日、再開発工事が着工した。
これに合わせ、仙台市は西口・東口駅前広場の再整備を行い、バスターミナルの増設や移設・改編等に取り組む[32]。また、ヨドバシカメラも仙台駅東口の再開発を進める[33]。
東西自由通路の拡幅[編集]
仙台駅の東西をつなぐ自由通路の幅を現在の6mから16mに拡幅する[30]。通路は3階層分の吹き抜け構造で、2016年完成予定[34]。自由通路拡幅の工費の3分の2は、仙台市が負担する[35]。
商業施設と新改札口の設置[編集]
東西自由通路の両側、在来線ホームの上に2棟の商業施設を建設する[34]。北棟は4階/地下1階建、南棟は6階/地下1階建で、自由通路を合わせた延べ床面積は約43,000m2。自由通路と同様に、2016年完成予定。北棟2階部には新改札口(東口)、南棟上層階には約250台分の駐車場を新設。新商業施設はS-PALとの連動を視野にいれている[35] 。
ホテル棟[編集]
ホテルは、E-GATE跡地に建設予定。14階/地下1階建、延べ床面積は約14,000m2、客室は280室。ホテルメトロポリタン仙台の別館を想定しているが、コンベンション施設やウエディング施設を併設する本館とは異なり、宿泊特化型となる。宿泊料金は本館よりも高く設定される見込み。低層階は商業施設となり、北棟商業施設と一体となる。2014年春着工、2017年完成予定。
オフィス棟[編集]
オフィスは、Zepp Sendai跡地に建設予定。13階/地下1階建で、1階には多目的ホールを設置する。着工時期は未定。完成は2018年度以降となる見込み[35]。
駅内リニューアル[編集]
新幹線連絡改札口の増設(東京方面側)及び移設(新青森方面側)、構内店舗・みどりの窓口の改修、ベビー休憩室の新設などが計画されている[34]。2014年4月には、駅舎天井の改修工事にも着手[36]。仙台城の大広間をイメージした格子天井を茶色を基調とした色合いにし、東口再開発とのデザインに連続性を持たせる[37]。
仙台市は、西口地下歩道・地下鉄入口(地下1階)と西口バスターミナル(地上階)、ペデストリアンデッキ(2階)、新幹線改札階(3階)とを結ぶエレベーターの新設工事を行う[38]。
年表[編集]
- 1887年(明治20年)12月15日 - 日本鉄道の駅(一般駅)として開業(写真1887年)。
- 1890年(明治23年)- 大泉屋弁当部(現在のウェルネス伯養軒)が弁当の販売を始める。
- 1894年(明治27年)6月1日 - 2代目の駅舎が完成(写真1894年)。
- 1904年(明治37年)
- 1905年(明治38年) - 駅構内で食堂、売店の営業が始まる。
- 1906年(明治39年)11月1日 - 日本鉄道が国有化。
- 1909年(明治42年)10月12日 - 線路名称制定、東北本線所属駅となる。
- 1925年(大正14年)6月5日 - 宮城電気鉄道線(現在の仙石線)が西塩釜駅まで開業。
- 1926年(大正15年)11月25日 - 仙台市電開通。
- 1928年(昭和3年)4月20日 - 名掛丁に地下道を設置。
- 1929年(昭和4年)9月29日 - 仙山東線(現在の仙山線)が愛子駅まで開業。
- 1945年(昭和20年)7月10日 - 仙台空襲で駅舎が損傷(写真1935年当時 1946年の仮駅舎 1947年の駅前)
- 1948年(昭和23年)
- 1949年(昭和24年)
- 1952年(昭和27年)
- 1961年(昭和36年)6月1日 - 新設の宮城野駅に貨物取扱の一部を譲渡、一般向けの貨物営業終了。
- 1972年(昭和47年)1月 - 5代目の仮駅舎が建てられる。
- 1973年(昭和48年)2月1日 - 新幹線工事のために深夜の旅客列車を宮城野貨物線へ迂回開始。
- 1976年(昭和51年)4月1日 - 仙台市電廃止。
- 1977年(昭和52年)12月15日 - 6代目(現在の)駅舎が営業を開始。
- 1978年(昭和53年)
- 1980年(昭和55年)2月13日 - 西口に大時計が取り付けられる。
- 1982年(昭和57年)6月23日 - 東北新幹線開業(写真 1983年仙台ターミナルホテル(現在のホテルメトロポリタン仙台)建設前[1])。
- 1984年(昭和59年)1月15日 - 貨物の取扱を全廃(旅客駅となる)。キリンビール仙台工場、日本専売公社仙台工場専用線廃止。
- 1986年(昭和61年)11月1日 - 荷物の取扱を廃止。
- 1987年(昭和62年)
- 1988年(昭和63年)7月11日 - 仙台ターミナルホテル開業。
- 2000年(平成12年)
- 2002年(平成14年)
- 2003年(平成15年)10月26日 - ICカード「Suica」のサービスを開始。
- 2005年(平成17年)
- 2007年(平成19年)3月18日 - 仙台空港鉄道仙台空港線開業に伴い、仙台空港アクセス線として仙台空港駅まで直通運転を開始。
- 2008年(平成20年)
- 2009年(平成21年)
- 2011年(平成23年)
- 3月11日 - JR仙台駅は東北地方太平洋沖地震によって駅舎の天井や壁が崩落するなどの甚大な被害を受けたため、地下鉄仙台駅は設備点検のため営業を中止。
- 4月7日 - 東北地方太平洋沖地震の余震とみられる地震により、JR仙台駅は案内板の崩落やスプリンクラーの誤作動によって水浸しになるなど、再び被害を受け、JR・仙台市地下鉄ともに運転を取りやめた。
- 7月23日 - 仙台空港アクセス線が運転を再開したことにより、仙台駅に乗り入れる全路線が復旧した。
- 8月22日 - 地下鉄東西線開業に向けた地下鉄仙台駅改良工事を開始。
- 2013年(平成25年)
- 3月27日 - JR仙台駅東口再開発事業着工。
- 10月 - 駅前広場再整備事業着工。
- 2014年(平成26年)7月11日 - 地下鉄南北線駅、icsca導入に伴う自動改札機の更新工事完了[40]。
駅構造[編集]
JR東日本[編集]
駅舎は地上4階建/地下1階、南北方向に広がっている。駅西口に駅ビルが併設され、S-PAL仙台店(地上6階/地下1階)・ホテルメトロポリタン仙台(地上21階/地下2階)が南側に、S-PAL II(地上2階部)が北側に位置する。また、東口再開発に合わせて商業施設棟(地上6階・一部4階/地下1階建、2016年度開業予定)及びホテル棟(地上14階/地下1階建、2017年度開業予定)・オフィス棟(地上13階/地下1階建、2018年度以降開業予定)も建設される[30]。
在来線改札口は西口側に「在来線中央改札口」(中央口から改称)、S-PAL地下1階に「地下南口」、東口側・仙石線地下改札口に「JR仙石線仙台駅改札口」(仙台駅東口改札から改称)の3か所で、東口再開発に合わせて東口2階コンコースにも新設される。
みどりの窓口は、3階中央みどりの窓口と2階新幹線乗換口(新幹線乗換口は在来線改札内のため、当日分のみ)の2か所で、JR仙石線仙台駅改札口(仙台駅東口改札)と地下南口改札にはない。中央口北側に「びゅうプラザ仙台」がある。1階にJR北海道が運営する「JR北海道プラザ仙台支店」があり、みどりの窓口としても機能している。JR北海道のみで購入可能な特企券類を取り扱う(北海道発本州方面の商品などを除く)一方、株主優待などJR東日本の窓口のみで扱う切符類は発券できず「沿線の旅行会社」扱いとなる。新幹線南口改札口および中央改札口に指定席券売機があるが、これはえきねっとで申し込みをした乗客の為の切符受け取り専用機となっている。
仙台市地下鉄仙台駅とは地下自由通路・西口地下歩道で接続しており、地下自由通路を利用すればあおば通駅からJR仙台駅(仙石線を含む)への徒歩連絡も可能であるが、連絡運輸は行っていない。
駅舎の屋上は、ジェイアールバス東北が管理する24時間営業の「仙台駅屋上駐車場」(駐車可能台数333台。時間貸し・月極)となっており、愛宕上杉通りと柳町通との交差点から出入庫する。地上との高低差があるため、入庫用と出庫用の二重らせんの自走ループ線によるスロープ棟が併設されている。
直営駅(駅長・助役配置)であり、管理駅としてあおば通駅を管理している。JRの特定都区市内制度における「仙台市内」の駅であり、運賃計算の中心駅となる。
のりば[編集]
- 1番線 - 1面1線の単式ホーム。
- 2 - 4番線 - 1面3線の島式・切欠きホーム。切欠き式となっている3番線は、青森方には進行不可能である。
- 5・6番線 - 1面2線の島式ホーム。
- 7・8番線 - 1面2線の島式ホーム。主に仙山線が利用するが、仙山線に入線しない団体列車や臨時列車の多くがこのホームに停車する。
- 9・10番線 - 地下2階にある仙石線専用の1面2線の島式ホーム。
- 11 - 14番線 - 4階高架にある2面4線の島式ホーム。
在来線 地上ホーム | |||
1・2 | ■ 東北本線 | (下り) | 利府・小牛田・一ノ関・盛岡方面 |
---|---|---|---|
3 | ■ 東北本線 | (上り) | 白石・福島・郡山・黒磯方面 |
■ ■ 仙台空港アクセス線 | 名取・仙台空港方面 | ||
4 | ■ 東北本線 | (下り) | 利府・小牛田・一ノ関・盛岡方面 |
(上り) | 白石・福島・郡山・黒磯方面 | ||
■ 常磐線 | 岩沼・亘理・浜吉田方面 | ||
■ ■ 仙台空港アクセス線 | 名取・仙台空港方面 | ||
5・6 | ■ 東北本線 | (上り) | 白石・福島・郡山・黒磯方面 |
■ 常磐線 | 岩沼・亘理・浜吉田方面 | ||
7・8 | ■ 仙山線 | 愛子・作並・山形方面 | |
仙石線 地下ホーム | |||
9 | ■ 仙石線 | (上り) | あおば通行 |
10 | ■ 仙石線 | (下り) | 多賀城・本塩釜・松島海岸・高城町方面 |
新幹線ホーム(高架) | |||
11・12 | 東北・秋田新幹線 | (下り) | 盛岡・新青森・秋田方面 |
東北新幹線 | (上り) | 宇都宮・大宮・東京方面 | |
13・14 | 東北新幹線 | (上り) | 宇都宮・大宮・東京方面 |
- その他
1 | 寝台特急 北斗星(下り) | 函館・札幌方面 |
---|---|---|
寝台特急 カシオペア(下り) | ||
4 | (■ 陸羽東線直通)快速 リゾートみのり | 古川・鳴子温泉・新庄方面 |
(■ 石巻線直通)直通快速 | 石巻行 | |
5 | 寝台特急 北斗星(上り) | 上野方面 |
寝台特急 カシオペア(上り) | ||
(■ 石巻線直通)直通快速 | 石巻行 | |
快速 仙台シティラビット | 白石・福島方面 | |
6 | 快速 仙台シティラビット | 白石・福島方面 |
旅客案内[編集]
番線標[編集]
地上ホームの駅名標や番線標には路線名は入っているが、ラインカラーは仙台空港アクセス線の青をのぞき、すべて緑に統一されている。地下ホーム(仙台トンネル内)は地下化された2000年より駅名標や番線標に路線名や方面表記、ラインカラーが表示されている。乗車位置案内は地平ホーム・地下ホーム共足元にペイントされている。
案内放送[編集]
- 在来線地上ホーム(1 - 8番線)
- ATOS(東京圏輸送管理システム)が導入されている路線と同じタイプの自動放送がなされており、列車の行先や編成両数、発車時刻などの詳細な情報が案内されている。これは仙台空港アクセス線の開業で当駅発着の列車が大幅に増えることを考慮し[41]、2005年4月の電子連動化工事に併せて導入されたものである。奇数番線が男声(担当:津田英治)、偶数番線が女声(担当:向山佳比子)となっている。なお、常磐線の浜吉田行きのアナウンスの際、行先の駅名部分のみ違う人物のアナウンスになるが、これは東日本大震災の影響で不通となった影響により、震災以前には設定されていなかった行先に対応したものである。なお、自動放送の他にも駅員によって適宜放送が行われている。
- 発車メロディは、仙台市出身の榊原光裕が作曲したものが使われている(さとう宗幸作曲の「青葉城恋唄」をモチーフにしたとされている。要出典)。演奏時間は約30秒である。なお、回送列車が発車する際には発車メロディは使われず、ベルと音声による案内のみがなされる。
- 仙石線地下ホーム(9・10番線)
- 列車の接近の際、音声案内の他に注意喚起の電子音が鳴り、列車が発車する際にはベルが鳴る。以前は仙台駅が仙石線の始発駅だったため、地平ホームと同様の発車メロディが用いられていたが、仙石線延伸に伴い発車メロディをあおば通駅に譲った。
- 新幹線ホーム(11 - 14番線)
- 榊原光裕が作曲したオリジナル曲が使われている。演奏時間は約30秒である。
仙台市地下鉄[編集]
JR仙台駅の西側に平行するように南北線仙台駅が建設され、JRあおば通駅の開業によって、現在では両駅の中間に存在する形となっている。出入口は、北1 - 9、中央1・2、南1 - 6の全17ヶ所。東西線開業に合わせて、南町通りに面する駅西側と、西口地下歩道に接続する駅東側に、新たに2ヶ所整備される予定。また、仙台駅東西地下自由通路を介してJRあおば通駅及び仙台駅と直結する。さらに、さくら野百貨店仙台店(北5)・仙台Loft(中央1)・仙台TRビル(中央2)・S-PAL仙台店(東西地下自由通路)とは地下階で、EBeanS(南2)とは地上階でそれぞれ接続する。
改札口は、北側と南側の地下1階部分にそれぞれ1ヶ所ずつ(「北改札口」「南改札口」)、南北線ホーム階北側・あおば通駅との「仙石線乗換改札口」の計3ヶ所あり、東西線開通に合わせて新たに2ヶ所設置される予定である。
仙石線から乗り換える場合はあおば通駅にある連絡改札を利用したほうが近い。なお、あおば通駅との乗換改札口はJR・地下鉄各社局の自動改札機がそれぞれ単独で向かい合わせに配置され、両社局の改札の間に各社局の自動券売機が設置されている。また、各社局ごとに自動精算機も設置されている。仙石線のあおば通駅延伸に開設されたこの改札口は、地上への出口がなく乗換専用改札口として運用していたが、2012年の駅改良工事で北改札口へ通じるエレベーターが設置され、改札外へ出ることが出来るようになった。
のりば[編集]
地下3階ホーム | ||||
1 | ■ 南北線 | 長町・富沢方面 | ||
---|---|---|---|---|
2 | ■ 南北線 | 北仙台・泉中央方面 |
南北線[編集]
愛宕上杉通り道路下に位置する。コンコースが地下1階、踊り場[注 2]が地下2階、ホームは地下3階(島式1面2線)となっている。
2007年12月より、世界初の線路脇に設置された電子ペーパーによるデジタルサイネージとしてインターネットを活用した広告がホーム3ヶ所に設置されており[42]、現在も改修工事を施した上で継続して稼動している。
東西線[編集]
南町通り道路下、南北線の1層下に十字に交差する形で設置される。ホームは地下4階(島式1面2線)、コンコースは南北線と共用となる地下1階部分のほか、新たに東西線用にも新設される予定。南北線との乗り換えは、エレベーターを利用するか、地下2階の踊り場を経由する形となる。
東西線開業によってJR仙台駅寄りに改札及び出入口が設置される予定で、西口地下歩道を介してJR仙台駅「地下南口」と接続する[43]。
自由通路[編集]
仙台駅を東西に移動するため、またはJRと地下鉄の接続のための移動手段として、6つの自由通路が設置されている。北から順に記載する。
名掛丁地下通路[編集]
名掛丁地下道とも呼ばれる、1935年に完成した仙台駅北西部と同駅北東部とを結ぶ地下通路。北部名掛丁自由通路の完成以前は、当地下通路が仙台駅北部の東西移動の役割を果たしていたが、うす暗く階段しか設置されていないことから、現在では北部名掛丁自由通路を補完する通路となっている。
北部名掛丁自由通路[編集]
正式名称は、仙台駅北部名掛丁自由通路[44]。AERと仙台マークワン付近の仙台駅北西部と同駅北東部を結ぶ、約90mの自由通路。駅西口に広がるペデストリアンデッキから直結し、東口北側の地上に至る。東側入口にはエレベーターが設置されている。名掛丁地下通路を補完する形で整備され、2008年8月10日に開通した。その他、自由通路内にS-PAL IIの北側出入り口が設けられている。
東西地下自由通路[編集]
仙台駅東西地下自由通路を参照。
西口地下歩道[編集]
正式名称は、仙台駅西口地下歩道。JR仙台駅・地下南口改札と地下鉄仙台駅とを結ぶ地下自由通路。S-PAL仙台店(仙臺みやげ館、エスパルレストラン街)、仙台Loft、地下鉄仙台駅定期券発売所に面している。地上出口には中央1出口が割り振られているほか、東西線開業の際には地下鉄東西線・東側改札口と接続される予定。
東西連絡自由通路[編集]
正式名称は、仙台駅東西連絡自由通路。仙台駅西口のペデストリアンデッキと、同駅東口のペデストリアンデッキを結ぶ。JR仙台駅の東西をつなぐ主要通路として多くの利用者を誇る。仙台駅東口再開発に合わせて、通路を広げる他、両側に商業施設を設けるとともに、東口に新たに改札口を設置する工事が進められている[30]。
仙台駅東地下歩道[編集]
仙台駅東口から東七番丁通りを越えるためにつくられた地下歩道。ヨドバシ仙台第2ビルとも接続する。
駅弁[編集]
仙台駅は駅弁の種類が日本で最も多い駅である。仙台〜首都圏・東北各都市間のビジネス客による需要や、東北新幹線車内の需要、観光客による需要が多いこと、仙台は山海の食材が豊富に揃う、といった点から駅弁の種類が増加していった。「伯養軒」と「こばやし」の2つの業者が1つの駅で競い合っていたことに加え、現在は先の2社の他に「日本レストランエンタプライズ」(NRE) が加わっている。「牛タン」弁当が売上一番であるが、他にも駅弁が数多く作られている。 この他に、NREがJR東日本管内の有名駅弁を集めて販売している売店「駅弁屋 旨囲門」が中央改札外にあり、東北地方の主な駅弁も当駅で購入できる。
駅弁以外にも、歩きながら食べられる安価なグルメとして「ずんだシェイク」が認知されている。中央通りの笹かまぼこ屋の「ひょうたん揚げ」、一番町のお茶屋の「抹茶ソフトクリーム」と並び、仙台の三大食べ歩きグルメとなっている。駅3階の新幹線中央改札口の脇に、「牛たん通り」「寿司通り」と称して、仙台牛タン焼きの店とすし屋が軒を連ねている[45]。
利用状況[編集]
年度 | 一日平均乗車人員[46] | |
---|---|---|
国鉄 / JR | 地下鉄 | |
1908 | 1,196 | - |
1909 | 1,193 | |
1910 | 1,136 | |
1935 | 4,538 | |
1990 | 84,260 | 32,336 |
1998 | 97,549 | 36,584 |
1999 | 95,708 | 36,730 |
2000 | 78,195 | 37,958 |
2001 | 76,649 | 37,744 |
2002 | 76,309 | 36,272 |
2003 | 76,001 | 35,444 |
2004 | 75,886 | 35,997 |
2005 | 76,723 | 36,573 |
2006 | 76,162 | 36,079 |
2007 | 78,914 | 35,348 |
2008 | 78,839 | 35,094 |
2009 | 77,146 | 34,065 |
2010 | 74,672 | 33,652 |
2011 | 64,498 | 33,505 |
2012 | 80,171 | 36,378 |
2013 | 83.540 |
JR東日本[編集]
- 2013年度の1日平均乗車人員は、83,540人(前年度比+3,369人)であり、JR東日本全体で52位、首都圏以外の駅では最も多い。
- 新幹線:2013年度の乗車人員は、1日平均26,093人(前年度比+1,774人)である。
- 仙石線あおば通駅開業以前は9万人以上の乗車人員を誇った。
- 2011年度は東北地方太平洋沖地震の影響により、大幅な減少となった。
仙台市地下鉄[編集]
- 2012年度の1日平均乗車人員は、36,378人(前年度比+2,873人)である。
- 仙台市地下鉄の駅の中では最多である。
- 仙台市交通局は、東西線開業時の東西線・一日平均乗客人員を27,645人(内22,671人が南北線及びJR各線からの乗り継ぎ利用者)と見込んでいる[47]。
駅周辺[編集]
仙台市都心部を参照。
仙台駅周辺地区は、国土交通省の『都市景観100選』に選ばれている。西口と東口のペデストリアンデッキの階段、および、地下鉄の出入口付近にはロードヒーティングが設置されている[48][49]。
西口(中央口)[編集]
西口(中央口)側は、伊達政宗が仙台城下町を開府して以来の仙台の中心地である。メインストリートである青葉通りは、大手銀行や証券会社が連なり、金融街を形成している。
1887年(明治20年)12月15日に東北本線の仙台駅開業の際、駅舎が現在の西口に設置されて成立した。西口にはその後、1925年(大正14年)6月5日に宮城電気鉄道・仙台駅(1952年移設)、1926年(大正15年)11月25日に仙台市電・仙台駅前駅(1976年廃止)、1987年(昭和62年)7月15日に仙台市地下鉄・仙台駅、2000年(平成12年)3月11日にJRあおば通駅が設置され、仙台の玄関口として機能している。
2階コンコースと直結するペデストリアンデッキは、新幹線開業前の1977年12月に完成したもので、その面積・総延長距離は日本一である。ペデストリアンデッキは、アエル、さくら野百貨店、Loft、LABI、EBeanS、仙台パルコといった、駅前に立地する大型店をはじめとするビルの2階部に接続している。
駅西口と中央改札口との間にある「ステンドグラス前」は、仙台市都心部の待ち合わせ場所として利用されている。以前はステンドグラス横に伊達政宗像(2代目)があり、「伊達前」と呼ばれていたが、2008年10月から12月の仙台・宮城デスティネーションキャンペーンに向けた駅改修のため、同年3月1日をもって大崎市に譲渡され、同月16日より同市にある陸羽東線有備館駅に移設された。また同年2月1日より、4代目の駅舎に設置されていたものを復刻したアナログ式の大時計が2階中央改札口前のコンコース壁面に設置されている。「ステンドグラス前広場」は催事場として、各種の物販イベントやギャラリーなどに用いられる。また、ステージを設置して、無料のミニコンサートもしばしば開催される[50]。定禅寺ストリートジャズフェスティバル in 仙台や仙台ゴスペル・フェスティバルでは、ペデストリアンデッキ上で演奏が行われる。
仙台駅西口駅前広場には、北から「一般車降車場」(一般車用の降車ロータリー)およびそれに囲まれた仙台駅自家用車駐車場(平面駐車場。60台駐車可。最初の20分間は無料、以後200円/30分)、「ロータリー降車場」(タクシー、観光バス、一般車の降車)、「タクシープール」、「仙台駅西口バスプール」が並んでいる。2008年のデスティネーションキャンペーンに合わせ、一般車から降車する場合は、「一般車降車場」または「ロータリー降車場」を使用し、一般車に乗車する場合は、仙台駅自家用車駐車場を使用するよう変更された[51]。
西口北側は、繁華街である一番町に通じるショッピングストリート中央通りが東西に伸び、多くの買い物客で賑わう。西口南側の南町通りと柳町通りの間(EBeanSの裏)には「仙台朝市」があり、生鮮食料品を始めとする店舗が立ち並ぶ。
郵便局[編集]
- 駅1階に所在。郵便窓口とATMは休日も稼働。1882年(明治15年)に仙台郵便局名掛町分局として開設され、「仙台名懸町郵便局」「仙台停車場前郵便局」「仙台駅前郵便局」の名称を経て、1984年(昭和59年)より現名称となっている。なお、2005年(平成17年)までは、駅東口に当局の臨時出張所が設置されていた。「臨時」という名称だが、常設の有人窓口であった。
東口(宮城野通口)[編集]
東口側には、仙台城下町の開府前に仙台平野の中心地があったが、現在の町並みとの関連は薄い。1882年(明治15年)2月25日、県内初の軌道である宮城木道(木道社)が東六番丁13番地に東六番丁停車場を設置し貨物輸送を始めるが、1887年(明治20年)12月15日に東北本線の仙台駅が東六番丁に設置されて廃線となった。その後、1929年(昭和4年)6月1日に宮城電気鉄道・東七番丁駅が設置され、仙台東口駅、仙石線仙台駅と改称しながらも東口の動線を集めていた。1978年(昭和53年)3月18日に仙台駅構内に東西自由通路が開通して西口と繋がり、仙台駅東第一土地区画整理事業により宮城野通りが開通し、2000年(平成12年)3月11日に仙石線仙台駅が地下化され、オムニバスタウン事業により東口の整備が進むと、東口の動線は現在の宮城野通口に集まるようになった。
このような変化により、中小規模の店舗が多かった東口周辺にヨドバシカメラ仙台店などの大型店が進出した。2003年に撤退した旧ラオックス跡にはBiVi仙台駅東口がオープンした。他方で駅前広場の再開発も進められ、2004年7月に東口ペデストリアンデッキが新たに供用を開始し、同時に高速バス乗り場も整備された。現在、JRバス東北・日本中央バス・宮城交通などが高速バス乗り場を使用している。
仙石線地上線跡地一帯では仙台駅東第二土地区画整理事業が進められ[52]、マンション開発を中心に高度利用が進む[53]。さらに、地下鉄東西線開業に伴い宮城野通駅が新たに開業予定。JR東日本が東口再開発事業を進め、商業施設・ホテル・オフィスの4棟の駅ビル及び在来線改札口を新設[34]。ヨドバシカメラも連鎖再開発事業を実施するなど[54]、長らく「駅裏」と呼ばれてきた地区が大きく変わりつつある。
東北楽天ゴールデンイーグルスの本拠地、楽天Koboスタジアム宮城への最寄り駅は仙石線の宮城野原駅であるが、仙台駅東口ペデストリアンデッキから球場正面入口までは宮城野通りを一直線に約1.6km、徒歩20分程で行くことができる。また試合開催時に限り、東口バスプール - 宮城球場間のシャトルバス(仙台市営バス・宮城交通の共同運行、運賃100円)が運行されるほか、JRバス東北の高速バスの一部が延長運転し宮城球場前まで乗り入れる。
バスのりば[編集]
仙台駅バスのりばを参照。
隣の駅[編集]
新幹線各列車と在来線特急列車は列車記事を参照されたい。
- 東日本旅客鉄道
- ■東北新幹線
- ■秋田新幹線
- ■東北本線
- ■常磐線
- ■普通
- 長町駅 - 仙台駅
- ■普通
- ■仙台空港アクセス線[注 4]
- □快速
- 仙台駅 - 名取駅
- ■普通
- 仙台駅 - 長町駅
- □快速
- ■仙山線
- ■仙石線
脚注[編集]
注釈[編集]
出典[編集]
- ↑ 『停車場変遷大事典 国鉄・JR編』JTB 1998年
- ↑ 宮城県公文書館だより 8号 - 宮城県公文書館(2005年12月)
- ↑ 1999年刊 『仙台市史』 資料編5 (近代現代1 交通建設) 84-94頁に複数の請願書をおさめる
- ↑ 『仙台駅百年史』 22頁
- ↑ 2008年刊 『仙台市史』通史編6(近代1)192頁
- ↑ 『仙台駅百年史』27頁
- ↑ 佐藤静吉・画 「仙台鉄道停車場の図」、『仙台駅百年史』 79頁に掲載
- ↑ 『仙台駅百年史』22頁
- ↑ 『仙台駅百年史』27頁に、階下2543坪とあるのをもとに計算
- ↑ 『仙台駅百年史』36頁により計算。
- ↑ 『仙台駅百年史』35頁
- ↑ 『明治四十三年仙台市統計一班』127頁。
- ↑ 13.0 13.1 13.2 「仙台駅の今昔」
- ↑ 『仙台駅百年史』43-44d頁。
- ↑ 『仙台駅百年史』47頁。
- ↑ 『仙台駅百年史』48頁、57頁、129-130頁。
- ↑ 『仙台駅百年史』49頁。
- ↑ 『仙台駅百年史』157-159頁。
- ↑ 『仙台駅百年史』51頁、57頁。
- ↑ 『仙台駅百年史』159頁。
- ↑ 『仙台駅百年史』61頁、151頁。
- ↑ JR、復旧めど立たず 仙台駅ホーム天井数十メートル落下 - 河北新報(2011年3月15日付)
- ↑ 地下鉄南北線の運行見合わせ区間及び臨時ダイヤのお知らせ - 仙台市交通局
- ↑ 仙台駅前、商業ビルの営業再開でにぎわい取り戻す-構内も一部利用可能に - 仙台経済新聞(2011年3月28日付)
- ↑ 仙石線、きょう一部再開 あおば通―小鶴新田間 - 河北新報(2011年3月28日付)
- ↑ 震度6強の余震 JR運休、仙台駅水浸し - 河北新報(2011年4月8日付)
- ↑ 仙台駅南2出入口の一時封鎖について - 仙台市交通局
- ↑ 仙台駅南2出入口の利用再開について - 仙台市交通局
- ↑ 仙台駅東口に高層ビル 35階規模、JR東日本が構想 - 河北新報(2009年6月28日付)
- ↑ 30.0 30.1 30.2 30.3 (仮称)仙台駅東口開発計画 環境影響評価準備書 東日本旅客鉄道 仙台市
- ↑ 東北復興象徴の玄関口 仙台駅東口、再開発が始動 - 日本経済新聞(2012年1月20日付)
- ↑ JR仙台駅前再整備着工へ 市、バス停集約化など図る - 河北新報(2013年10月21日付)
- ↑ ヨドバシカメラ/3棟総延べ10万㎡/4月着工仙台第1ビル計画 建設通信新聞(2014年6月20日)
- ↑ 34.0 34.1 34.2 34.3 仙台駅2階東西自由通路拡幅、東口開発及び駅舎改修工事の着手について}} 東日本旅客鉄道(2013年2月21日)
- ↑ 35.0 35.1 35.2 東西自由通路拡幅 東口に商業施設 仙台駅再整備、来月着工 - 河北新報(2013年2月22日付)
- ↑ 仙台駅2階コンコース 茶を基調の和風天井に衣替えへ 河北新報(2014年4月29日)
- ↑ 仙台駅吹抜けコンコース天井改修工事について 東日本旅客鉄道 仙台支社(2014年4月25日)
- ↑ 地下鉄と新幹線スムーズに 東西線開業に向けエレベーター新設 河北新報(2014年2月7日)
- ↑ 仙台駅、東西自由通路16メートルに 15年度完成目指す - 河北新報(2010年11月17日付)
- ↑ 地下鉄南北線自動改札機等更新工事のお知らせ 仙台市交通局(2014年7月1日)
- ↑ 『鉄道と電気技術』 2005/12号
- ↑ 仙台で「電子ペーパー」画像コンテスト - 秀作は仙台駅で掲出へ - 仙台経済新聞(2008年9月10日付)
- ↑ 東西線 > 事業概要 > デザイン > 仙台駅 仙台市交通局 東西線
- ↑ 仙台駅北部名掛丁自由通路が開通します(資料1) - 仙台市
- ↑ 牛たん通り/すし通り - 東北総合サービス
- ↑ 1909年から1910年の数値は仙台市役所『明治43年仙台市統計一班』(1912年)40頁の年間旅客乗車数より計算、1935年は鉄道省・編『改版日本案内記・東北篇』(博文館、1937年)98頁による。
- ↑ 地下鉄東西線建設事業の再評価における需要予測の事例 - 仙台市交通局
- ↑ 40 : ◯道路維持課長 - 仙台市議会(2004年11月19日:都市整備建設協議会 本文)
- ↑ 227 : ◯交通事業管理者 - 仙台市議会(2001年10月2日:平成12年度 決算等審査特別委員会(第9日目) 本文)
- ↑ 赤煉瓦 杜の都コンサート - 東日本鉄道文化財団
- ↑ 市政だより2008年10月号 - 仙台市
- ↑ 仙台駅東第二土地区画整理事業 事業紹介 仙台市
- ↑ 宮城県・変貌する仙台駅東口地区 第44回列島ホットなまち 住宅新報2013年4月9日号(12面)
- ↑ 「ヨドバシカメラ マルチメディア仙台」が移転増床-1.5倍の売り場に50万点 仙台経済新聞(2012年4月26日)
参考文献[編集]
- JR東日本仙台駅編『仙台駅百年史』、JR東日本仙台駅、1987年。
- 仙台市史編さん委員会『仙台市史』通史編6(近代1)、仙台市、2008年。
- 仙台市史編さん委員会『仙台市史』資料編5(近代現代1 交通建設)、仙台市、1999年。
- 仙台鉄道管理局編『仙台鉄道管理局40年史』、仙台鉄道管理局、1960年。