細野豪志
細野 豪志(ほその ごうし、1971年8月21日 - )は、日本の政治家。民主党所属の衆議院議員(5期)。
民主党幹事長(第13代)、民主党政策調査会長(第12代)、環境大臣(第17代)、内閣府特命担当大臣(消費者及び食品安全・原子力損害賠償支援機構・原子力行政・原子力防災)を歴任した。
愛称は「モナ夫」。
目次
来歴[編集]
生い立ち[編集]
京都府綾部市に生まれ、滋賀県近江八幡市で育った。滋賀県立彦根東高等学校、京都大学法学部卒業。京大在学中は佐藤幸治のゼミに所属した。大学卒業後、三和総合研究所(現三菱UFJリサーチ&コンサルティング)で研究員を務める。1996年に結婚し、1999年10月に静岡県三島市に移り住んだ。
衆議院議員[編集]
2000年、第42回衆議院議員総選挙に民主党公認で旧静岡県第7区から出馬。自由民主党の木部佳昭、保守系無所属の栗原裕康(のち沼津市長)らを破り、初当選を果たした。2002年に選挙区の区割変更が実施され、2003年の第43回衆議院議員総選挙では静岡県第5区で自民党の斉藤斗志二元防衛庁長官を破り、当選。以後、静岡5区で連続4選。2005年、京大法学部の先輩である前原誠司民主党代表の下で、民主党役員室長に就任した。偽メール問題により前原が辞任した後、小沢一郎代表の下でも民主党役員室長に留任した。
2006年10月、TBSの筑紫哲也 NEWS23キャスター、山本モナとの不倫を写真週刊誌フライデーで報じられ、10月5日に民主党政策調査会長代理を含む党の役職を辞任した。2007年9月、政策調査会筆頭副会長に就任し、党役職に復帰。
2009年の第45回衆議院議員総選挙後、小沢一郎民主党幹事長の下で党組織委員長・企業団体対策委員長・副幹事長に就任し、民主党の支持団体の窓口役を一手に引き受けた。2010年、菅直人代表の下で民主党幹事長代理・企業団体対策委員長に就任。
菅政権[編集]
2011年1月、菅第2次改造内閣で内閣総理大臣補佐官(社会保障・税一体改革及び国会対策担当)に任命される。3月11日の東日本大震災発生に伴い、同年4月15日から担当事項が「原子力発電所事故全般についての対応及び広報担当」に変更された。同年6月27日、内閣府特命担当大臣(消費者及び食品安全)に任命され、初入閣を果たす。あわせて「東日本大震災等による電力供給不足に伴う節電啓発活動等を総合的に推進するため企画立案及び行政各部の所管する事務の調整」・「東京電力福島原子力発電所事故の収束及び原子力発電所事故の再発を防止するため企画立案及び行政各部の所管する事務の調整」を担当する国務大臣も兼務した。同年8月10日、原子力損害賠償支援機構法が公布・施行され、内閣府特命担当大臣(原子力損害賠償支援機構)を兼任。
野田政権[編集]
2011年民主党代表選挙では前原誠司の推薦人に名を連ねるが、1回目の投票で前原は3位に終わった。前原陣営は決選投票において、小沢グループが推す海江田万里経済産業大臣ではなく、野田佳彦財務大臣に投票する方針を決定(野田は決選投票で海江田を破り、当選)。野田内閣では環境大臣兼内閣府特命担当大臣(原子力損害賠償支援機構)に任命され、引き続き入閣した。同年10月3日、内閣府特命担当大臣(原子力行政)の補職辞令の発令に伴い、内閣府特命担当大臣(原子力損害賠償支援機構)を退任(後任は枝野幸男経済産業大臣)。2012年1月13日に発足した野田第1次改造内閣においても環境大臣兼内閣府特命担当大臣(原子力行政)に再任され、野田第2次改造内閣まで務める。
2012年9月、民主党代表選挙への出馬を党内の議員有志から要請されたが、固辞した。同年9月19日、原子力発電所の安全・規制を一元化した原子力規制委員会の発足に伴い、内閣府特命担当大臣(原子力防災)を兼任。
2012年9月28日、野田第3次改造内閣の発足に伴い、環境大臣、内閣府特命担当大臣(原子力防災・原子力行政)を退任し、民主党政策調査会長に起用された。
民主党幹事長[編集]
2012年12月の第46回衆議院議員総選挙で民主党は惨敗し、野田佳彦首相は民主党代表を辞任。野田の辞任を受けて実施された民主党代表選挙では、再び細野を推す声が上がったが出馬を固辞し、既に立候補を表明していた海江田万里を支持する考えを明らかにした。馬淵澄夫を破り、当選した海江田代表の下で民主党幹事長に起用された。
2013年7月26日、第23回参議院議員通常選挙による民主党惨敗の責任をとり、民主党幹事長を辞任。
「しばらく投稿を控える…」FBで“謹慎”(2013年8月)[編集]
「しばらくは投稿を控え、情報発信について勉強させていただきます」-。
民主党の細野豪志前幹事長は22日、安倍晋三首相とのネット上での論争をめぐって“謝罪文”を自身のフェイスブック(FB)に投稿した。
細野氏は6月、首相がFBで行った田中均元外務審議官への批判に対し、ブログで「一民間人への批判は自制すべきだ」とかみつき、今月20日に「投稿が見られなくなっている。不適切な投稿と判断された」とFBで“勝利宣言”していた。
しかし、これは一部の投稿が見られなくなる「ハイライト表示」というFBの自動的な機能によるもの。細野氏は「機能について十分な理解がなかった」と謝罪に終始した。
政策・主張[編集]
東日本大震災・原子力発電所問題への対応[編集]
2011年3月15日、菅首相の指示で東電本店に常駐。同年6月に原発担当大臣に就任し、原子力発電事故の対応を行った。
- 福島原子力発電所事故対策統合本部の共同記者会見
- 原子力発電所事故発生後、発信される情報を一本化するために、従来の政府・東京電力・原子力保安院が各自で行っていた会見を2011年4月25日より統一し、情報の透明性、正確性の向上を図った。
- 遮水壁の着工
- 2011年7月の会見で「汚染水が拡大することがないような努力は必要だ。遮水壁は極めて重要なプロセスで、出来るだけ早い段階で着工できないか検討を始めた」と発言した。
- 事故後の海外歴訪
- 2011年3月22日より日米会議を主催。
- 同年6月、原子力発電所事故の国際的な協力の要請と、事故概要の説明を目的とし、政府から米英仏に派遣される。アメリカではホルドレン大統領補佐官(科学技術担当)、原子力規制委員会のヤツコ委員長、ナイズ国務副長官らと面談し、事故の調査報告を行った上で、更なる協力関係の理解を求めた。
- 訪米後、英仏も歴訪し、事故概要と調査報告に関する説明を行った。
- IAEAへの調査報告書
- IAEA(国際原子力機関)に福島第一原子力発電所事故に関する報告書を提出した。
- 除染の対応
- 福島県内に拡散した放射能量を低減させるために、環境省を中心に内閣府、日本原子力研究開発機構で構成された福島除染推進チームを発足させた。
- 韓国などからの使用済み核燃料受け入れの検討
- 2013年1月6日付の東京新聞にて、日本が韓国からの使用済み核燃料受け入れを検討していた事が報じられた。この政策について、細野豪志が特命担当大臣(原子力防災・原子力行政・原子力損害賠償支援機構)であった2012年5月25日に、自身の私的検討会である「核不拡散研究会」から『六ヶ所再処理工場を利用した他国の使用済燃料の処理・返還の可能性を含め、我が国核燃料サイクル全体の更なる「国際化」を進めることが視野に入ってくる』という報告書を受け取り、同報告書内で他国の使用済み核燃料の処理受け入れ、及びその受け入れ先として青森県六ヶ所村が候補に挙がっていたことがマイナビニュースと日本経済新聞にて報じられた。
- 福島第一原子力発電所事故の汚染物質処分に関して
- 2011年9月4日に行われた会見の中で、汚染物質の処分について触れ、「福島の痛みを日本全体で分かち合うことが国としての配慮ではないかと思っている。福島を最終処分場にはしないということは方針としてできる限り貫きたい」と述べた。
外交・安全保障[編集]
当選間もない頃から民主党の前原誠司、長島昭久らと共に安全保障問題に取り組む。有事法制、国民保護法の制定に際しては前原のサポート役を務め、与野党協議に参加した。
- 天皇特例会見
- 2009年12月20日のテレビ朝日の番組で、天皇特例会見について懸念を表明した羽毛田信吾宮内庁長官に対して「中でいろいろ言うのはいいが、外向きに出すのはどうなのか」と批判。鳩山政権の対応についても「(皇室外交という)デリケートな問題に不慣れで、内閣と宮内庁の意思が通い合わなかった」と指摘した。
- 尖閣漁船衝突事件後の極秘訪中
- 2010年9月29日、極秘に訪中し北京の釣魚台迎賓館で中国政府要人と会談。9月7日に発生した尖閣諸島中国漁船衝突事件で悪化した日中関係の改善と、河北省で拘束されたフジタの日本人社員の開放を求めるため菅直人首相の特使として訪れたとみられるが、政府や細野はこれを否定している。
内政の諸政策[編集]
- 政治資金
- 特定の企業団体に頼るのではなく、多くの国民に支えてもらう個人献金に強いこだわりを持っており、政治活動を始めてから現在まで、企業団体献金は受け取らない上、政治資金パーティーも開催せず、個人献金のみで活動をしている。
- 企業団体献金に依存した政治活動のデメリットとして、特定の企業団体向けの政治になってしまい、政策がぶれてしまうことを挙げている。
- なお細野は、ジャーナリストの田原総一朗が個人献金を行っている政治家の1人である。
- 個人情報保護
- 2002年、国会に提出された個人情報保護法の審議において、民主・自由・社民・共産4党による野党案の取りまとめを主導し、作業チームの座長を務める。政府案は櫻井よしこ、城山三郎らから言論の自由に対する公権力の介入の懸念が生じ、政府案は廃案になった。なお個人情報保護法は2003年に新たに提出された政府案が可決され、成立した。
- 議員特権
- 同じ民主党に所属していた河村たかし衆議院議員(のち名古屋市長)らと共に議員年金の廃止に取り組んできた。また公用車を使用しない等、議員特権全般に否定的であった。
- 人口減少問題
※移民も参照
- 浅尾慶一郎(現みんなの党)・大塚耕平・古川元久・松井孝治・松本剛明と共に「1000万人移民受け入れ構想」を共同提案した。「年金の財源がなくなり、若年サラリーマンの給与は膨らんだ老人たちを養うことにほとんど費やされてしまうだけでなく、マーケットの縮小による購買力の低下や土地価格の下落、国際社会での存在感や発言力の薄れといった変化が予測される」や「弥生時代には朝鮮半島から亡命者を中心に大量の外国人が日本に流入し、その彼らがもたらした稲作などの技術により急速に発展を遂げたという歴史があるのだ」と主張し、移民政策の必要性を訴えた。
- 永住外国人の地方参政権
- 永住外国人への地方参政権付与については「どちらかといえば反対」として慎重な姿勢を示している。
- 靖国神社
- 「時々靖国神社に慰霊に行く」と発言しており、A級戦犯については分祀した上で無宗教の国立追悼施設を新たに建立するのではなく靖国神社を慰霊施設として残すべきと主張している。ただし、菅第2次改造内閣で入閣して以降は「8月15日に参拝することは全く違う政治的な意味合いがあるので、参拝しない」と明言し、外交的な配慮も重視している。
- 道路特定財源
- 2008年(平成20年)2月21日、道路特定財源の問題に関する衆議院予算委員会での質疑において、国際建設技術協会(国土交通省からの天下り団体)が随意契約で受注し、道路特定財源の内から約1億円もの大金を使って作成した調査報告書(3部)が、世界銀行のデータなどの参照資料、外国語を自動翻訳した支離滅裂な文章、ウィキペディアの項目の引用だけしかないという役に立たないものであると批判した。
- 天下り批判
- 2009年(平成21年)2月3日の衆議院予算委員会で麻生太郎首相に対し、国家公務員の天下りや渡りを3年間認めるとした前年の「職員の退職管理に関する政令」を放置したまま、1年以内に渡りを廃止する政令を新たに出すとする答弁は矛盾していると指摘。政令を訂正するよう要求した。
- 霞が関埋蔵金
- いわゆる「霞が関埋蔵金」について、「埋蔵金」を各省庁が管理している特別会計や独立行政法人などの資産から負債を引いた額であると定義し、2008年(平成20年)1月の国会において、自身の試算を披露した。それは「(1)特別会計の余剰金68兆円」「(2)独立行政法人の余剰金16兆7000億円」「(3)独立行政法人の関連会社と公益法人の余剰金11兆1000億円」の、合計96兆円もの余剰金があると主張するものであった。
- 社会保障と税の一体改革
- 2012年6月、野田佳彦首相が消費税増税などを含む社会保障・税一体改革関連法案の提出を表明すると、それに反発する小沢一郎らとの間で意見が対立した。同年6月22日の記者会見において、細野は「(小沢氏らの)マニフェストを実現すべきだという気持ちはよくわかる」と発言し、小沢らの主張に一定の理解を示すとともに、党内の対立が先鋭化することを懸念し「首相は腹を決めておられる。気をもんでいる」と述べている。
人物[編集]
- 前原誠司は京都大学法学部の先輩にあたる。凌雲会(前原グループ)に所属し、前原の党代表時代に党役員室長に任命された。千葉工業大学教授の松井孝典や京都大学総長の松本紘と親しい。和歌山大学特任教授の秋山演亮は幼馴染み。
- 2009年(平成21年)に小沢一郎幹事長の下で副幹事長、組織委員長、企業団体対策委員長に就任して以降、小沢の新たな側近の1人に目された。週刊文春の2009年(平成21年)12月24日号によると、細野は原口一博総務大臣、松本剛明衆院議院運営委員長とともに党内で「ごますり3人衆」と呼ばれているとされた。2010年9月民主党代表選挙では小沢を支持したが、その後、小沢を破った菅直人から幹事長代理、続いて首相補佐官に抜擢されて以降、菅の腹心とも目されるようになり、2012年9月民主党代表選挙では、津村啓介、柚木道義ら菅グループの主要メンバーが、細野を擁立する動きを見せた。
- 尊敬する歴史上の人物は吉田松陰、愛読書は安岡正篤の思想書や麻生幾の危機管理関連の本など。座右の銘は「志達」(思いをつよくもてばそれがかなうという意味の造語)である。
- 英語が堪能で、外国人記者からの質問にも通訳を介さず対応できるレベルである。
- 2006年(平成18年)10月、TBS「筑紫哲也 NEWS23」でアナウンサーを務めていた山本モナとの不倫関係が、写真週刊誌「フライデー」の見開きトップにて報じられた。記事には、細野と山本モナが東京都港区南青山の路上でキスしている写真が掲載された。フライデー記者の直撃取材を受けた細野は、モナとの交際について「はぁ」ととぼけたり、モナの家に宿泊した事実についても「いいえ」と完全否定していた。しかし、記事が発表されると自身の公式ウェブサイトで「不徳の致すところであり、深く反省する」と、事実を認めて謝罪した。また、2006年10月10日発売のFLASHでは、山本モナとの京都への不倫旅行は細野豪志の一人娘の初めての小学校の運動会の日であったことが報じられている。この不祥事の後、衆議院予算委員会で質疑を行った際に麻生内閣に対して九州国立博物館の展示物の購入について質問したところ、自民党の山本拓から執拗に「モナリザはいくらですか」という野次を飛ばされた。
発言[編集]
- 自由民主党の戦争放棄に関して
- 2012年11月25日、NHK日曜討論の生放送において「自民党の中に、普通の国になって戦争もできるようにするんだという声はある。相当、考え方はそちらの方がいる」と述べ、同番組内で自民党の世耕弘成から「わが党に戦争をしたいなどという人はいない。われわれは戦争放棄を明確にうたっている」と反論を受けた。また細野のこの発言に対し、安倍晋三は同日付の自身のFacebookのページに「選挙とはいえ、言って良い限界がありますが、この発言は、はるかに限界を越えており、看過できません。日中関係をさらに緊張悪化させる危険性があります。細野さん、テレビで国民の皆様に向かい、そこまで断定したのですから、それは誰なのか知っているのでしょうね。その名前を言って下さい。戦争したい人は直ちに除名します。言えないのであれば、ここまで自民党を侮辱した以上、潔く責任を取って下さい。それが与党の執行部の責任の重さというものです。(2012年11月)29日にニコニコ動画で行われる事が決まった野田総理との党首討論では、ぜひ、この事も聞いてみたいですね」という声明を発表した。
- 選挙制度改革
- 2013年3月7日の衆議院予算委員会で、自民党が既に法案提出済みの0増5減法案(衆議院議員総選挙の小選挙区制において「1票の格差」を是正するために選挙区の議員定数を調整する案の一つで、議席数を計5つ削減し、それに対する定数の増加は行わない法案)について、細野豪志は「定数削減については、通常国会中にしっかりやりきるということについて、確約をいただきたい。立法府ということに逃げないでいただきたい」と述べた。これに対し安倍晋三は「まず逃げないでくださいという言いぶりは、極めて失礼だと思いますよ。まず0増5減については、わが党(自民党)はかなり早く出していましたよ。それをやらなかったのは、当時(2009年〜2012年までの3年間、衆議院において議席を)多数を持っている民主党ではありませんか。細野さんもそこまでおっしゃたんですから、われわれが成案を出せば、細野さんが賛成すれば、直ちに成立しますよ。協力していただけますか」と述べた。続けて細野は「われわれはもうとっくに、協議できる状態になっているんですよ。3月の半ばまでに総裁として責任を持って、党の案を持ってきてくださいよ。いかがですか」と反論し、これに対し安倍から「またまたずいぶん、居丈高におっしゃってますが、これはですね、何回言われても行政府の長ですから、この問題については、国会で議論することなんですね。皆さんも、選挙の結果も謙虚に受け入れた方がいいですよ」と反論を受けた。
- アベノミクス
- 街頭演説で安倍晋三首相の経済政策「アベノミクス」について「株高でもうけた人もいるかもしれない。だが、子どもたちの将来の財布からお金を引き出して株価が上がっているとすれば、それを認めることはできない。私たち民主党は、将来の子どもたちの財布に手を突っ込むようなことはしない」と批判した。
- 日教組からの選挙支援
- 2013年2月10日、輿石東民主党参議院議員会長と日本教職員組合の賀詞交換会に出席した際「皆さんと一緒に作ってきた政策は間違っていなかった。力を合わせて選挙戦をたたかいたい」と述べ、2013年7月の第23回参議院議員通常選挙での支援を求めた。
- 三宅久之のなりすましツイッターを本人と誤認
- 2013年4月20日、前年に他界している政治評論家の三宅久之になりすましたツイッターを本人だと思い込み、「三宅先生からコメント頂けるとは光栄です。与党時代、定数削減の協議を幹事長間で何度となく行い、民主党から妥協案も提示しています」とつぶやき、自他共に認める「機械音痴」である細野とは言え、別次元のお粗末さであるとの批判をうけた。尚、細野は、以前にも大前研一の「名言」を自動投稿する「botアカウント」に対して「大前先生、大変、ご無沙汰しております」となどと投稿し、話題になったことがある。
- 与党による審議拒否
- 2013年5月8日、自由民主党の川口順子参議院環境委員長が野党による延期申請の却下のため、やむを得ず国会の許可なく中国訪問を延期し、委員会が中止になった事に端を発する与党による審議拒否について、「与党が審議拒否するのを見たのは初めてです。」などとツイッターに投稿した。ただし、与党による審議拒否は2011年3月1日の参議院予算委員会、2012年10月11日の決算行政監視委員会等、民主党が与党であった時期にも例がある。
著書[編集]
- 「パラシューター…国会をめざした落下傘候補、疾風怒涛の全記録」 ISBN 4772703888
- 「情報は誰のものか」(筑紫哲也・西山太吉・細野豪志・田島泰彦共著) ISBN 4000092960
関連項目[編集]
外部リンク[編集]
- goshi.org細野豪志ホームページ
- 民主党静岡県総支部連合会
- 細野豪志(@hosono_54)- Twitter
- 【不倫キス】細野豪志と山本モナの不倫キス写真・画像まとめ