秋葉原駅
秋葉原駅(あきはばらえき)は、東京都千代田区にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)・東京地下鉄(東京メトロ)・首都圏新都市鉄道の駅である。
所在地は、JR東日本が外神田一丁目17番6号、東京メトロが神田佐久間町一丁目21番地(住居表示未実施)、首都圏新都市鉄道が神田佐久間町一丁目6番地10(住居表示未実施)である。
目次
乗り入れ路線[編集]
JR東日本の各線(後述)、東京メトロの日比谷線、首都圏新都市鉄道のつくばエクスプレスの3社の路線が乗り入れ、接続駅となっている。日比谷線の駅には「H 15」、当駅を起点とするつくばエクスプレスの駅には「01」の駅番号がそれぞれ付与されている。
JR東日本の駅に乗り入れている路線は、線路名称上は東北本線と総武本線の2路線であり(詳細は路線記事および鉄道路線の名称参照)、東北本線を所属線としており、東北本線上での所属線としては最初の駅である[1]。東北本線に関しては京浜東北線電車と山手線電車の2系統が停車し、旅客案内では「東北(本)線」とは案内されていない。総武本線に関しては「総武線」と案内されており、中央・総武線各駅停車の電車が停車するほか、新宿駅方面と千葉駅方面を直通する特急列車(「成田エクスプレス」を除く)やホームライナーの一部が停車する。また、特定都区市内における「東京都区内」および「東京山手線内」に属している。
駅構造[編集]
JR東日本[編集]
京浜東北線・山手線、中距離電車の回送線や東北新幹線の高架橋のさらに上を総武線の高架橋が直交して乗り越すオーバークロス構造になっている。
京浜東北線と山手線は島式ホーム2面4線、総武線は相対式ホーム2面2線を有する高架駅である。そのため、京浜東北線・山手線から総武線に乗り換える時は、東京寄りの階段を上ると新宿方面(5番線)に、上野寄りの階段を上ると千葉方面(6番線)につながる。もし途中で間違えたことに気付いた場合は5・6番線ともにアトレ1改札方面に向かえば反対側のホームに出ることができる[2]。
改札口は電気街口・昭和通り口・中央改札口・アトレ1改札口の4ヶ所である。また、電気街口と中央改札口の間に改札外の東西自由通路が設置されている。このうち、アトレ1改札口は総武線ホームと駅ビル「アトレ秋葉原1」を直接連絡する改札口である。これは、2006年12月31日まで存在していた総武線ホームと旧駅ビル「アキハバラデパート」を直接連絡するデパート口改札と同じ場所に再設置されたものである。
以前は、電気街口、昭和通り口ともに改札内コンコースの途中に階段があり、バリアフリーに対応していない上、電気街口と京浜東北線及び山手線ホームのみ・昭和通り口と総武線ホーム・デパート口と総武線千葉方面6番線のみが直結されていて、直結されていない場所へはそれぞれ直結するホームを経由して乗り換え階段を利用するか、外からの利用であれば直結する改札口へ迂回する必要があるなど不便であったが、2005年のつくばエクスプレスとヨドバシAkibaなどの開業に合わせて構内通路の拡大などの大規模な駅改良工事が行われ、中央改札口と東西自由通路、並びにエレベーターなどが新設された。
6番線の浅草橋寄りは、駅ビル「アトレ秋葉原2」と直結しているが、これは業務用通路である。
のりば[編集]
番線 | 路線 | 行先 |
---|---|---|
1 | ■京浜東北線 | 上野・大宮方面 |
2 | ■山手線(内回り) | 上野・池袋方面 |
3 | ■山手線(外回り) | 東京・目黒方面 |
4 | ■京浜東北線 | 東京・横浜方面 |
5 | ■総武線 | 御茶ノ水・新宿方面 |
6 | ■総武線 | 船橋・千葉方面 |
(出典:JR東日本:駅構内図)
- 総武線では各駅停車のほか、特急列車の一部が停車する。定期列車では新宿発着の「しおさい」が、臨時列車では「新宿さざなみ」「新宿わかしお」が停車する。また、平日は「ホームライナー千葉3号」が停車し、休日は房総方面の臨時快速列車なども停車する。したがって、駅構内の案内掲示板には”(各駅停車)”の表示がないものが多い。以前は千葉駅発着の「あずさ」も停車していたが、2002年12月までに183系から11両編成で運転されることのあるE257系へ全面置き換えされたことに伴い、ホームが10両分の長さしかない当駅には停車できなくなったため、通過となった(最末期の183系「あずさ」は千葉発着の列車のみだった)。
- 1階コンコースには4店舗が入ったフードコートがあったが2009年末をもって閉鎖され、2010年4月28日に「Tokyo Food Bar」としてリニューアルオープンした。
- かつては電気街口、昭和通り口がそれぞれ西口、東口という名称だったが、地元商店の要望で現在の名称に改められた。
バリアフリー設備[編集]
- エスカレーター:総武線ホーム - 山手線・京浜東北線ホーム、改札口 - ホーム
- エレベーター:コンコース - ホーム(総武線と山手線・京浜東北線ホームを結ぶエレベーターはない)
- 多機能トイレ(中央改札・昭和通り口。但し2ヶ所とも施錠されており、係員に開けてもらわないと使えない。)
回送線・貨物線[編集]
京浜東北線南行線である4番線の隣には回送線が敷設されている。かつては東京駅までつながっていたため、東海道本線や横須賀線へ直通が可能であったが、線路が分断された後は上野駅発着の常磐線列車等が留置されていた。上野東京ライン(東北縦貫線)開業後は同線の線路に変更される予定であり、現在は工事のために線路が一時的に撤去されている。
この他にも貨物線が14本存在しており、西側から貨物1 - 6番線・上り本線・下り本線・貨物7 - 12番線となっていた。そのうち貨物1番線で単式ホーム1面、貨物2・5番線と貨物8・10番線で島式ホーム1面ずつ使用していたが、現在は4本になり、ホームも撤去されている。なお、この貨物線は東北新幹線建設により東京方面へは入線できなくなっている。また、この回送・貨物線は東京駅まで延伸されるまで「秋葉原線」と呼ばれていた。
東京メトロ[編集]
JR線東側の昭和通りの真下に位置する相対式ホーム2面2線を有する地下駅。
電気街などのJR線西側へは、神田川沿いの道路およびJR中央改札口前の東西自由通路にて連絡している。また、小伝馬町寄りの改札口を出て神田川の和泉橋を渡った場所に都営地下鉄新宿線の岩本町駅がある。当駅と岩本町駅は距離が近いが、同駅の開業以来連絡運輸(メトロ⇔都営地下鉄の乗り継ぎ割引適用)を行っていなかった。しかし、2013年までに乗継割引の適用を開始することが2011年に発表され[3]、同年3月16日から適用が開始された[4]。これに伴い、4・5番出口の出口利用時間制限が撤廃され、終日利用可能となった。
仲御徒町寄りの改札口とホームの間にはエレベーター、つくばエクスプレス開業と同時期に改良された3番出入口と改札外コンコースの間にはエレベーターとエスカレーターが設置されている。
1993年(平成5年)度に行われた改装工事で、ホーム側壁の駅名標上部に電気器具のイメージイラストが飾られるようになった。これは銀座線末広町駅と同様である。
のりば[編集]
番線 | 路線 | 行先 |
---|---|---|
1 | 日比谷線 | 銀座・六本木・中目黒方面 |
2 | 日比谷線 | 上野・北千住・南栗橋方面 |
首都圏新都市鉄道[編集]
島式ホーム1面2線を有する地下駅。深夜に当駅で夜間滞泊する車両がある。将来、当駅から東京駅まで延伸される計画があるため、終端部はホームの少し先に設置されている。また、ホームの側壁には部分的につくばエクスプレスのロゴが存在する。駅務管理所所在駅で、秋葉原駅務管理所として当駅 - 南千住駅間を管理している。
JRの中央改札口付近に地上側出入口があり、電気街などのJR線西側へは東西自由通路が結んでいる。東京メトロ日比谷線への乗り換えは3番出入口まで道路を通ることになる。
利用者の増加に伴い、2006年(平成18年)11月24日より自動改札機の増設工事が行われ、翌12月26日に増設分4基の稼動を開始した。その後、利用者がさらに増加したため、2012年(平成24年)9月23日までに改札外トイレの新設とエレベーター専用出入口、エスカレーターの増設工事などが行われた[5]。また、つくば国際会議場に向かう来賓のために「TXルーム」と称する特別待合室の設置構想がある。
当駅では、氷蓄熱システムを利用して施設の空調を管理している。
2008年(平成20年)4月17日には、駅ビルとして阪急阪神ホールディングスと共同でTX秋葉原阪急ビル(AKIBA TOLIM・remm秋葉原)を開業した。
のりば[編集]
番線 | 路線 | 行先 |
---|---|---|
1・2 | TX つくばエクスプレス | つくば方面 |
出口番号[編集]
- 1 - 5(日比谷線)
- A1 - A3(つくばエクスプレス)
利用状況[編集]
増加傾向にある。2012年度は各社の乗降人員が合計で約70万人に達した。
- JR東日本 - 2013年度の一日平均乗車人員は240,327人である[* 1]。JR東日本全線では第9位。2004年度以前は14万人程度で推移していたが、つくばエクスプレスの開業を機に乗車人員が急増し、2007年度までの3年間で7万人以上増加した。2駅隣のターミナル駅である上野駅よりも多い。
- 東京メトロ - 2012年度の一日平均乗降人員は119,409人である[* 2]。
- 首都圏新都市鉄道 - 2013年度の一日平均乗車人員は62,130人である[* 3]。同社の駅では第1位である。
年度別一日平均乗降・乗車人員(1992年 - 2000年)[編集]
各社の一日平均乗降・乗車人員の推移は下表のとおりである。
年度 | JR東日本 | 営団 | |
---|---|---|---|
一日平均 乗車人員 |
一日平均 乗降人員[* 5] |
一日平均 乗車人員 | |
1992年(平成 | 4年)132,699 | 74,441 | |
1993年(平成 | 5年)135,241 | 73,932 | |
1994年(平成 | 6年)135,268 | 72,964 | |
1995年(平成 | 7年)137,888 | 72,877 | |
1996年(平成 | 8年)140,378 | 71,981 | |
1997年(平成 | 9年)137,176 | 70,370 | |
1998年(平成10年) | 137,375 | 69,362 | |
1999年(平成11年) | [* 6] 137,904 | 133,422 | 67,710 |
2000年(平成12年) | [* 7] 137,736 | 132,202 | 66,767 |
年度別一日平均乗降・乗車人員(2001年 -)[編集]
年度 | JR東日本 | 営団 / 東京メトロ | 首都圏 新都市鉄道 | |
---|---|---|---|---|
一日平均 乗車人員 |
一日平均 乗降人員[* 5] |
一日平均 乗車人員 |
一日平均 乗車人員 | |
2001年(平成13年) | [* 8] 137,045 | 127,756 | 63,663 | 未開業 |
2002年(平成14年) | [* 9] 145,157 | 124,101 | 62,192 | |
2003年(平成15年) | [* 10] 142,517 | 116,491 | 57,989 | |
2004年(平成16年) | [* 11] 141,963 | 114,298 | 56,455 | |
2005年(平成17年) | [* 12] 171,166 | 116,333 | 58,107 | [備考 1] 36,000 |
2006年(平成18年) | [* 13] 200,025 | 122,183 | 60,518 | 43,342 |
2007年(平成19年) | [* 14] 217,237 | 128,224 | 63,511 | 49,434 |
2008年(平成20年) | [* 15] 224,084 | 127,388 | 62,989 | 53,764 |
2009年(平成21年) | [* 16] 224,608 | 122,788 | 61,090 | 55,296 |
2010年(平成22年) | [* 17] 226,646 | [* 2] 120,826 | 60,049 | 56,763 |
2011年(平成23年) | [* 18] 230,689 | [* 2] 119,184 | [* 3] 57,590 | |
2012年(平成24年) | [* 1] 234,187 | [* 2] 119,409 | [* 3] 59,174 |
- 備考
- ↑ 2005年8月24日開業。
- 利用状況の出典
- ↑ 1.0 1.1 JR東日本:各駅の乗車人員(2013年度)
- ↑ 2.0 2.1 2.2 2.3 東京メトロ 各駅の乗降人員ランキング
- ↑ 3.0 3.1 3.2 つくばエクスプレス乗車人員
- ↑ 4.0 4.1 東京都統計年鑑
- ↑ 5.0 5.1 各種報告書 - 関東交通広告協議会
- ↑ JR東日本 各駅の乗車人員(2009年度)
- ↑ JR東日本 各駅の乗車人員(2000年度)
- ↑ JR東日本 各駅の乗車人員(2001年度)
- ↑ JR東日本 各駅の乗車人員(2002年度)
- ↑ JR東日本 各駅の乗車人員(2003年度)
- ↑ JR東日本 各駅の乗車人員(2004年度)
- ↑ JR東日本 各駅の乗車人員(2005年度)
- ↑ JR東日本 各駅の乗車人員(2006年度)
- ↑ JR東日本 各駅の乗車人員(2007年度)
- ↑ JR東日本 各駅の乗車人員(2008年度)
- ↑ JR東日本 各駅の乗車人員(2009年度)
- ↑ JR東日本 各駅の乗車人員(2010年度)
- ↑ JR東日本 各駅の乗車人員(2011年度)
駅周辺[編集]
総武本線は東西に、東北本線(山手線)は南北に通り、南側を神田川が東西に、東側を昭和通りが南北に通る。
JR線の西側には世界屈指の電気街である秋葉原電気街が存在する。電器店やパソコンのハードウェアおよびソフトウェア、無線機器など、専門的な電子部品を取り扱っている小規模店舗も健在であるが、最近では、アニメや漫画、ゲーム、コスプレグッズなどを取扱う店舗やメイド喫茶などのサブカルチャー関連の店舗が増えている。
現在では日本のオタク文化の重要な発信源となっており、電気街にある秋葉原UDXなどでは大規模なイベントもしばしば開催されている。JRの駅構内でもアニメキャラクターの絵を使用した店舗や企業の広告が数多く掲示されている(秋葉原電気街振興会)。2000年代中頃よりマスメディアによって秋葉原電気街がオタクの聖地・アキバとして紹介されることも多くなった。また、映画化やドラマ化もされた小説『電車男』の主な舞台やアイドルグループAKB48の本拠地としても知られている。
また、当駅の中央改札口付近はかつて貨物の集積場であり、貨物駅や船溜まりが広がっていた。現在、それらの跡地はヨドバシAkibaやバスターミナルになっている。駅付近の留置線は貨物駅の名残であり、昭和通り口の南側にある秋葉原公園は、船溜まりに通じる運河の名残である。
総武線の北側にはアキハバラデパートがあり、総武線ホームに直結するデパート口改札が設置されていたため、駅の利用者に親しまれていたが、2006年12月31日をもって閉店した[6][7]。その後、アキハバラデパートは解体されて建て替えや電気街口のリニューアル工事が行われ、2010年11月19日に新しく「アトレ秋葉原1」がオープンした[8]。これに伴い、閉鎖されたデパート口改札もアトレ1改札口として再設置された。
西側の電気街にある中央通りの地下には東京メトロ銀座線が通っているが、同線における電気街への最寄り駅は末広町駅とされる。電気街の中心地はおおよそ同駅と神田駅の中間付近となる。なお、1930年から1931年にかけてはこの付近に仮設駅の万世橋駅が存在していた。
旧国鉄中央本線のターミナル駅である旧万世橋駅は駅南西の神田川対岸にあった。跡地はその後交通博物館となったが、2006年5月14日に閉館し、埼玉県さいたま市大宮区に2007年(平成19年)10月14日開館した鉄道博物館にその役割を譲った。交通博物館の跡地にはオフィスビル「JR神田万世橋ビル」が2013年1月に竣工した。なお、万世橋駅の開設以前にはその西側に昌平橋駅が存在していたこともあった。
電気街口[編集]
JR専用の改札・出入口で、駅の西側に位置する。中央改札口のある出入口およびつくばエクスプレスA1・A2出入口との間に東西自由通路がある他、山手線・京浜東北線高架下を通る道路経由でも行き来が容易である。
なお、秋葉原電気街の詳細は秋葉原を参照されたい。有名電器・パソコン店は店舗が複数ある。
- 千代田区外神田(電気街)・神田須田町・神田淡路町方面
- アトレ秋葉原1 - 3階のアトレ1改札口が総武線ホームと直結。この地には元々アキハバラデパートが建っていた。
- 秋葉原クロスフィールド
- 秋葉原ダイビル
- 秋葉原コンベンションホール
- 人間総合科学大学東京サテライトキャンパス
- 首都大学東京サテライトキャンパス
- デジタルハリウッド大学
- 東京大学大学院情報理工学系研究科
- 秋葉原UDX
- 秋葉原UDX内郵便局
- アキバ・イチ
- アキバ・スクエア
- 東京アニメセンター
- 秋葉原UDXパーキング
- 東京タイムズタワー
- 東京消防庁 神田消防署
- 東京消防庁消防技術試験講習場
- 秋葉原ダイビル
- 警視庁 万世橋警察署
- ガンダムカフェ
- AKB48 CAFE&SHOP AKIHABARA
- CHABARA AKI-OKA MARCHE
- 2k540 AKI-OKA ARTISAN
- 千代田区万世橋区民会館
- 千代田区万世橋出張所
- 昌平童夢館
- 千代田区立昌平小学校
- 千代田区立昌平幼稚園
- 昌平まちかど図書館
- 千代田区立神田児童館
- 神田郵便局
- ワテラス
- 神田明神
- 講武稲荷
- 国道17号
- 松住町架道橋
- 万世橋
- 住友不動産 秋葉原ビル(旧日本通運本社ビル跡)
- JR神田万世橋ビル(旧交通博物館跡)
- マーチエキュート神田万世橋(旧万世橋駅遺構)
- 住友不動産 神田ビル2号館
- 秋葉原ラジオ会館
- コトブキヤ秋葉原館
- AKIBAカルチャーズZONE
- 秋葉原ラジオセンター
- オノデン
- エディオンAKIBA(旧石丸電気)
- ラオックス
- ソフマップ
- ヤマダ電機LABI 秋葉原パソコン館
- 九十九電機
- アニメイト 秋葉原店
- コミックとらのあな
- AKIHABARAゲーマーズ(ゲーマーズ本店)
- まんだらけコンプレックス
- レオナルド本店(模型専門店)
- ミサワビル
- @ほぉ〜むカフェ 本店(4F・6F・7F)、華
- ドン・キホーテ 秋葉原店(旧:ミナミ電気館・T-ZONEミナミ→アソビットシティ)
- @ほぉ〜むカフェ ドンキ店(1号店)
- 東京レジャーランド
- AKB48劇場
- 肉の万世 本店
中央改札口[編集]
つくばエクスプレスのA1 - A3出口前と同じエリアである。
- 駅前広場
- ヨドバシカメラ マルチメディアAkiba店 - A3出入口直結
- 富士ソフト 秋葉原ビル
- 富士ソフト アキバプラザ
- 全国新聞情報農業協同組合連合会(JA新聞連)・日本農業新聞
- 正栄食品工業
- 秋葉原ワシントンホテル
- ブックオフ 秋葉原店
- MUSICVOX AKIHABARA(ラオックス)
- 東京都中小企業振興公社 秋葉原庁舎
- TX秋葉原阪急ビル(AKIBA TOLIM・remm秋葉原) - A1出入口直結
- チョムチョム秋葉原
昭和通り口[編集]
東京メトロ日比谷線の1 - 5出口前とおおよそ同じエリアで、駅の東側に位置する。東京メトロの出入口は、1 - 3番が北寄り、4・5番が南寄りで、3番出入口が最も昭和通り口改札に近い。
都営地下鉄新宿線の岩本町駅がJRの昭和通り口および日比谷線の4・5番出口から昭和通りを南へ神田川を渡ったところにあり、徒歩2 - 3分の距離である。これまで、両駅での連絡運輸は行っておらず、都営⇔東京メトロの乗継割引などは適用されなかったが、2013年3月16日より、両駅での連絡運輸が行われ、正式に乗換駅となり、都営⇔東京メトロの乗継割引なども適用されるようになった。以前は、岩本町駅および日比谷線秋葉原駅の改札出口の案内サインには都営⇔東京メトロ連絡乗車券での乗り換えはできない旨の注意が表示されていた(練馬駅の都営大江戸線ホームにある案内サインにも同様の表示がされている)。
千代田区神田花岡町、神田平河町、神田松永町、神田和泉町(凸版印刷・三井記念病院)、神田佐久間河岸、台東区台東一丁目方面
- アトレ秋葉原2(旧・アトレヴィ秋葉原) - 昭和通り口直結
- 昭和通り(国道4号)
- 首都高速1号上野線
- 書泉ブックタワー - 日比谷線5番出入口前
- 千代田区和泉橋区民館 - 日比谷線5番出入口前
- 千代田区和泉橋出張所
- 和泉橋
- 岩本町駅(都営地下鉄新宿線) - 神田川対岸
- 三菱東京UFJ銀行 - 日比谷線1番出入口付近
- YKK - 北方
- りそな銀行 - 北方
- 凸版印刷本社 - 北東方
- 三井記念病院 - 北東方
- 台東法務合同庁舎 - 北東方
- 台東区台東一丁目区民館 - 北東方
- 台東区台東地区センター
- 新進本社・東京営業部 - 東方
- 貝印本社 - 南東方
- 山崎製パン本社 - 南東方
- 加賀電子本社(旧東京近鉄ビル跡) - 北方
- 佐久間公園 - 「ラジオ体操会発祥の碑」が建てられている。
- 秋葉原公園
バス路線[編集]
中央改札口付近に設置された交通広場に都営バスや千代田区の地域福祉タクシー「風ぐるま」、高速バスなどが乗り入れている。かつては成田空港・佐原方面の高速バスも乗り入れていた。
2005年8月24日に現在地に駅前広場が完成する前までは、都営バスの秋26系統は電気街口前(副名称として「サトームセン前」が付与されていた)、東42乙系統は昭和通り上の停留所を使用していた。また、2000年12月11日まで運行した都営バスの秋76系統は、書泉ブックタワー前に「秋葉原駅東口」(現在は同じ位置に「風ぐるま」の和泉橋出張所バス停を設置している)、電気街口南側に「秋葉原駅前」の2つのバス停から発車していた。
東側交通広場[編集]
- 都営・1番乗り場
- 都営・2番乗り場
- 日立自動車交通専用乗り場
- 千代田区地域福祉タクシー「風ぐるま」(運行:日立自動車交通) - 停留所名は「秋葉原駅東側交通広場」
- 和泉・麹町便
- 「AKIBA SHUTTLE」(秋葉01・02・03) - 東京スカイツリータウン前・浅草雷門行(運行:日立自動車交通)
- 高速バス乗り場
- 昼行便
- 夜行便
西側交通広場[編集]
- 千代田区地域福祉タクシー「風ぐるま」(運行:日立自動車交通) - 停留所名は「秋葉原駅西側交通広場」
- 四谷・あきば便
「秋葉原」の読み[編集]
秋葉原の名の由来は、元々この地にあって人々が秋葉社(あきばしゃ、あきはしゃ)と呼んだ神社であり、「秋葉社の原っぱ」が語源である。なお、同社は1890年(明治23年)の駅開設に伴い台東区松が谷三丁目10番7号移転されている。この縁で、駅の西側にある神田明神のお祭りでは駅構内に神輿が巡幸する。また、秋葉社が当駅内に分祀されており、こちらの祭事はJRの駅長が行うことになっている。
地名としての秋葉原の読みは、駅の開業までは「あきばがはら」だった。古くは「秋葉の原(あきばのはら)」「秋葉っ原(あきばっぱら)」と呼ばれていた。
台東区秋葉原という町名が駅北側(本駅と御徒町駅の中間付近)に実在するが、由来は同じである。
歴史[編集]
当駅を建設した日本鉄道は、当初上野から北へ、後の東北本線や高崎線に相当する路線を建設し、東京側では上野で旅客・貨物をともに取り扱う態勢で営業していた。鉄道の取り扱う旅客・貨物が伸びていくに連れて上野駅では逼迫するようになり、さらに同駅周辺の道路が狭隘で同駅へ向かう旅客・貨物を乗せた馬車が渋滞を起こすような状態となっていた。これに対応するために、旅客と貨物の分離が計画された。
同駅より南側は当時既に市街地となっていたが、当駅の存在する辺りは江戸時代に火事対策として設けられた火除地となっており、空き地になっていた。また、上野駅とこの火除地の間に道路が存在していたため、これらの払い下げを受けて用地を確保し、貨物駅として1890年(明治23年)に開設されることになった。当初はこの上野駅からの貨物線を「秋葉原線」と呼び、当駅は秋葉原貨物取扱所と呼ばれていた。
市街地を縦断して地上の線路を建設するため、東西方向の交通を遮断するとして沿線から敷設に対する強い反対運動が起きた。監督していた鉄道局では、交通を遮断しないようにするために高架化することを会社に指示したが、これを会社側は拒否し、後にこの線を東京駅・新橋駅まで延伸して東海道本線と接続させる際には同区間の高架化を実施するとの会社側回答で妥結することになった。また、線路は両側を柵で囲い、踏切には番人を置いて列車通行時には柵で閉鎖し、さらに列車の運行時間帯と運行本数に関する制限が付けられた[9]。沿線住民はなお反対を続けたが、当局の意向を背景に建設が強行され、駅が開業した。
駅には神田川から掘割が引かれ、はしけを使って連絡運輸を行っており、東北や信越からの貨物の東京の水上交通への窓口だった。掘割は国道4号線の西側から引き込まれ、道路の下を潜り、現在のヨドバシAkibaの位置に舟溜があった。終戦直後の航空写真でもそれが確認できる。舟溜は当駅構内では東西に長くなっており、上野駅から入線して来た貨車は、構内に設置された小型の貨車用転車台に載せられて直角に向きを変え、東西方向に舟溜の両側に敷設された線路に入って船との連絡をとる仕組みになっていた。この掘割は昭和30年代以降に埋め立てられ公園となったが、周囲の路面に比べ地面が低くなっており、バリアフリー化を理由に2013年末から2014年3月の間嵩上げ工事を行う。書泉ブックタワーの隣から当駅に向かってつながっている公園がそれであり、道路脇には今でも橋の欄干が残っている。
上野 - 東京間の連絡線は高架線で、1925年(大正14年)11月1日に開通した。この高架線は3線からなり、うち2線を旅客線、1線を貨物線とすることになっていた。しかし、貨物取り扱い設備の高架上への移転工事が遅れ、貨物列車は引き続き地上を走っていた。高架貨物設備は第1期工事(西側貨物積卸場)が1928年(昭和3年)4月1日に、第2期工事(東側貨物積卸場)が1932年(昭和7年)7月1日に完成して、この日に地上の貨物線が廃止となり、貨物列車の運転も高架上に移された。また、この日に総武本線御茶ノ水 - 両国間が開通し、三層立体構造の高架駅となった。
この時点で駅の西半分は旅客駅として使い、東半分を貨物駅としていた。この名残りで駅の北側(蔵前橋通りの辺り)で線路が若干曲がっている。また、この付近の線路沿いの道も東西で対称となっている。地上時代の貨物線は道路に戻されており、上野駅前ではマルイシティ上野店の東側の通りが貨物線の跡である。
高架貨物ホームは2面存在し、全長180メートル、幅9 - 12メートルであった。エレベーター24台、シューター、滑走機などを設置して、高架下との間での荷役を行っていた。田端操車場で入れ換えを行った後、小運転で当駅へ貨車を送り込む方式で運転が行われていた。
戦後は貨物輸送のコンテナ化が進行したが、狭小な立地に高架で貨物取り扱い設備を設けた当駅ではこれに対応することができなかった。このため、1911年時点で東京における貨物駅では隅田川駅に次ぐ第2位の貨物取り扱い量であった当駅は、1970年になると汐留駅、小名木川駅、越中島駅、品川駅などに取り扱い量をはるかに引き離され、1911年時点での取り扱い量よりも減少している状態であった。こうした状況を受けて、1975年2月1日に当駅での貨物営業が廃止され、旅客専用駅となった。貨物駅跡地および、運輸会社の倉庫地区は解体された後もそのまま放置されていたが、2000年代初頭に旧倉庫地区がヨドバシカメラに売却され2005年にヨドバシAkibaが開店、貨物駅跡もつくばエクスプレス開業に合わせて中央改札口、駅前広場として整備された。
年表[編集]
- 1890年(明治23年)11月1日 - 日本鉄道の秋葉原貨物取扱所として開業。
- 1906年(明治39年)11月1日 - 国有化。
- 1925年(大正14年)11月1日 - 東北本線上野 - 東京間の高架線が開業、旅客営業開始。東北本線は長らく東海道本線との乗り入れを行っていたが、上野 - 東京間の東北本線線路用地の一部を東北新幹線用に使用することが決定したため、連絡運転が停止された。
- 1928年(昭和3年)4月1日 - 高架貨物駅第1期工事(西側貨物積卸場)完成。
- 1931年(昭和6年)10月1日 - 高架下のスペースを利用した貨物倉庫の営業開始。
- 1932年(昭和7年)7月1日 - 総武本線、御茶ノ水 - 両国間が開業し、乗り換え駅となった。この時に3層構造の高架駅となった。高架線の総武線の開通によりエスカレーターが設置されたが、これは国鉄初のエスカレーターであった[10]。高架貨物駅第2期工事(東側貨物積卸場)が完成して、上野駅とを結ぶ地上の貨物線が廃止された。
- 1945年(昭和20年)3月10日 - 太平洋戦争中に空襲(東京大空襲)に遭い駅舎が全焼。留置していた客車14両と貨車50両が焼失。
- 1951年(昭和26年)11月 - 現在の電気街口にアキハバラデパート開店。
- 1962年(昭和37年)5月31日 - 営団地下鉄日比谷線秋葉原駅開業。
- 1965年(昭和40年)11月 - 日本最長(当時)のエスカレーターが昭和通り口=総武線ホーム間に設置。
- 1975年(昭和50年)2月1日 - 貨物営業廃止。
- 1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化に伴い、国鉄の駅はJR東日本の駅となる。
- 1993年(平成5年)
- 2001年(平成13年)11月18日 - JR東日本でICカードSuica供用開始。
- 2004年(平成16年)4月1日 - 営団地下鉄民営化。日比谷線は東京地下鉄(東京メトロ)の駅となる。
- 2005年(平成17年)6月 - 昭和通り口にアトレヴィ秋葉原が開業。
- 2005年(平成17年)8月17日 - 旧貨物駅跡地にJR駅の中央口改札を新設。
- 2005年(平成17年)8月24日 - 首都圏新都市鉄道つくばエクスプレス開業。
- 2006年(平成18年)12月31日 - アキハバラデパートが閉店。同時にデパート口改札を閉鎖。
- 2007年(平成19年)3月18日 - 東京メトロ・首都圏新都市鉄道でICカードPASMO供用開始。
- 2010年(平成22年)11月19日 - アキハバラデパート跡地に新駅ビル完成、アトレ秋葉原1が開業。アトレヴィ秋葉原がアトレ秋葉原2に改称。旧デパート口改札をアトレ1改札口と改称して再設置。
- 2013年(平成25年)3月16日 - 日比谷線秋葉原駅において、都営地下鉄新宿線岩本町駅との連絡運輸を開始、同駅との乗り継ぎ割引が適用されるようになる。
かつて存在していた東京 - 上野間の東北本線線路は、東北新幹線建設に伴い神田駅付近で分断され、当駅構内の線路は現在留置線として利用されている。神田駅付近の東北新幹線の高架のさらに上層部に高架を建設することにより、2013年(平成25年)度完成を目処に再接続する計画がある(東北縦貫線計画)が、コスト面から、当駅にホームは設置されない予定である。
隣の駅[編集]
- 東日本旅客鉄道
- ■京浜東北線
- ■山手線
- 神田駅 - 秋葉原駅 - 御徒町駅
- ■総武線
- 首都圏新都市鉄道
- TX つくばエクスプレス
- ■快速・■通勤快速・■区間快速・■普通
- 秋葉原駅 (01) - 新御徒町駅 (02)
- ■快速・■通勤快速・■区間快速・■普通
脚注[編集]
- ↑ 南隣の神田駅は中央本線、2つ隣の東京駅は東海道本線が所属線である
- ↑ 6番線は京浜東北線・山手線の各ホーム向かうエスカレーターの方に向かっても5番線に出られる。また、5番線、6番線とも反対側のホームへの乗り換え案内のサインが設置されている。
- ↑ メトロと都営 地下鉄一元化へ 改善策続々 - 東京新聞 2011年11月3日付(同日時点のインターネット・アーカイブ)
- ↑ 平成25年3月16日(土) 東京の地下鉄がさらに便利になりますPDF - 東京地下鉄(2013年2月15日付、同日閲覧) ※ソースは東京都交通局との連名。
- ↑ 秋葉原駅がより便利になりますPDF
- ↑ アキハバラデパート、55年の歴史に幕 売り上げ、ピーク時の半分以下 - ITmedia ニュース
- ↑ ビジネスモデル発信基地、アキハバラデパートが閉店 - 日経BP社
- ↑ 11月19日にオープンする「アトレ秋葉原1」へ潜入! - ASCII.jp
- ↑ 日本貨物鉄道株式会社貨物鉄道百三十年史編纂委員会『貨物鉄道百三十年史(中巻)』 pp.659 - 662 日本貨物鉄道株式会社 2007年
- ↑ 『日本国有鉄道百年写真史』(1972年刊、p241)より。
- ↑ 東京メトロハンドブック2008
- ↑ '94営団地下鉄ハンドブック
- ↑ 上野駅、霞ヶ関駅、銀座駅、新橋駅、御茶ノ水駅、葛西駅と同時に導入。翌1994年に導入された後楽園駅も合わせて、営団では数少ない継続定期券発売機設置駅であった。