客室乗務員
客室乗務員(きゃくしつじょうむいん)は、交通機関の運行(運航)中、主として客室における乗客への接客サービスに従事する乗務員[1]である。
運航中の旅客機の客室において緊急時の誘導などの保安業務や乗客へのサービスを行う乗務員はキャビンクルー(cabin crew)、フライトアテンダント(flight attendant)と呼ばれる。日本では{CA(シーエー)ないしキャビンアテンダントとよばれることが多い(#日本での呼称を参照)。本記事では旅客機の客室乗務員について詳述する。
目次
日本での呼称[編集]
かつては船舶の司厨員に由来する「スチュワード」(女性はスチュワーデス)の呼称が広く用いられていた。現在の日本では、テレビドラマなどの影響でCA=(Cabin Attendant)「キャビンアテンダント」と呼ばれることが多い。cabin attendant は和製英語で、英語ではこの表現を用いることはなく、「フライトアテンダント (Flight Attendant)」、あるいは集合名詞「キャビンクルー (Cabin Crew)」がはるかに標準的である。これは機長・副操縦士・航空機関士・航空通信士の四者、つまり「コックピットクルー (Cockpit Crew)」に対するものとされている。
初期には、男性乗務員は「スチュワード」「パーサー」[2]、女性乗務員は「エアホステス」「エアガール」、最近まで「スチュワーデス」と呼ばれていたが、1980年代以降、アメリカにおける「ポリティカル・コレクトネス」[3]の浸透により、性別を問わない「Flight Attendant(フライトアテンダント)」という単語に言い換えられた影響で、この日本語訳である「客室乗務員」という言葉が正式とされるようになった。なお、日本航空においては1998年(平成10年)9月30日で「スチュワーデス」という呼称は廃止された。
現在では「客室乗務員」の名称を採用することにより、一応の沈静化がもたらされている。乗客(利用者)の中では一般的に、女性の客室乗務員=スチュワーデス、男性の客室乗務員=スチュワード・パーサーと呼ぶ人も多い。
略語で「スチュワーデス」のことを「スッチー」と呼ぶこともある。これを始めたのは、田中康夫と言われる要出典。
なお、客室乗務員に対する社内での呼称は、航空会社によっても相違があり、日本航空では単に「アテンダント」 (AT)、全日本空輸では「キャビンアテンダント (CA)」を用いている。
歴史[編集]
導入期[編集]
1919年から始まった航空機の客室内サービスは、副操縦士が行っていた。1922年4月、デイムラー・エアハイヤー(現・ブリティッシュ・エアウェイズ)がデ・ハビランドDH.34に「キャビン・ボーイズ」と呼ばれた少年3人を乗せたのが世界初の客室乗務員とされるが、その存在はお飾りだったという[4](飛行船としては1911年に、ドイツのツェッペリンLZ10硬式飛行船が初の客室乗務員を乗務させた)。その後1926年にはアメリカのスタウト航空がデトロイトとグランドラピッズを結ぶフォード トライモータにエアリエル・クーリエとして搭乗、1927年にエール・ウニオンが機内のバーにスチュワードを当たらせた。1929年にはパンアメリカン航空が本格的に訓練されたスチュワードを搭乗させ、好感が良い若い男性の代名詞ともなった。
1930年には、アメリカ合衆国のボーイング・エア・トランスポート社(現在のユナイテッド航空)が、女性の元看護師を客室乗務員[5]として乗務させた。これは、当時まだ「危険な乗り物」というイメージがついていた飛行機に女性の乗務員を搭乗させることで「女性も乗れるような安全な乗り物である」と乗客にアピールするという意味もあったといわれている。なお、それまで同社では男性の運航乗務員のみが機内サービスや緊急時の対応を行っていた。
なお日本においても、1931年には東京航空輸送社(後に大日本航空に吸収)が東京―下田―清水間の定期旅客路線に新卒となる3人の客室乗務員を採用(エアガールと呼称)し、その後1939年に開業した大日本航空(GHQ命令により解散)も採用した[6]。
1930年代中盤以降のダグラス DC-2やDC-3、ボーイング247などの全金属製旅客機の導入がもたらした旅客機の大型化に伴い、日本やイギリス、アメリカだけでなくヨーロッパの航空会社も男性や女性の客室乗務員を次々と乗務させることになる。第二次世界大戦の勃発で国際線は男性一人のみ、女性は国内線のみとなったことや乗客のほとんどが男性だったため、客室乗務員が女性に占められるようになっていく。
1940年代-1950年代[編集]
1939年から1945年までの長きに渡り行われた第二次世界大戦が終結したことに伴い、戦勝国では戦後間もなく航空会社が営業を再開したほか、1940年代後半には世界各国で航空会社が次々と開業し、アメリカやヨーロッパの主要国においては旅客機での旅が一般層にも浸透することになる。
1950年代にかけては、ダグラス DC-4BやDC-6、ロッキード コンステレーションなどの大西洋無着陸横断が可能な大型旅客機の就航により客室乗務員の採用数が増加し、それとともに女性の「花形職種」として持てはやされるようになった。
当時の日本では(大戦後の日本においては日本航空が1951年に[7]、ローカル線を運航する日東航空や日本ヘリコプターが1952年に開業したが、旅客機は運賃が高額だった上、1945年8月の第二次世界大戦(太平洋戦争(大東亜戦争))の敗戦以降、連合国の占領下で長期に渡り海外渡航が自由化されていなかった上、占領終了後も外貨流出を防ぐために、国際線の乗客は渡航許可を受けた政府関係者や企業の業務出張者、留学生や外国人に限られていた。
1960年代[編集]
その後1960年代に入り、ボーイング707やダグラス DC-8、コンベア880などの大型ジェット旅客機の就航が各国で相次いだことで、座席供給数が激増し運賃が下がると共に、それまでは客船がシェアの大部分を握っていた太平洋横断や大西洋横断ルートにおいて完全に旅客機がその主導権を握ることになり、アメリカやヨーロッパの多くの先進国において旅客機での旅は完全に一般層に定着した[8]。
また日本でも、それまでは海外渡航は業務や留学目的のものに限られていたものの、高度経済成長に伴う外貨収入の増加を受けて1964年4月1日に海外渡航が完全に自由化され、「ジャルパック」などの海外への団体観光ツアーが次々と発売されるようになった[9]他、ルフトハンザドイツ航空やシンガポール航空など外国航空会社の新規乗り入れが相次ぎ、外国航空会社による日本人客室乗務員の採用も急増した。しかし海外旅行はまだまだ一般層にとって高嶺の花であったこともあり、日本において客室乗務員は男女ともに「ステータス」の高い花形職業とされていた。
この頃日本において客室乗務員が高いステータスを付加されていたのは、外国語の素養がある人は海外と縁のある一部の階層に限られていたことや、航空運賃が高かったために外国に観光などで渡航することが少なかったこと、日本航空などの一部の日本の航空会社において、特に女性は入社時に家柄なども考慮されたこと、女性の場合は結婚の際に良い条件の相手にめぐり合う機会が多いと考えられてきたからである。また女性の場合は、給与など待遇が一般企業のOLに比べても格段に良かったこともその一つであった。
1970年代-1980年代[編集]
ボーイング747やマクドネル・ダグラス DC-10型機、エアバスA300型機などの座席数が300席を超える大型ジェット機の相次ぐ導入や、アメリカのジミー・カーター政権下における航空規制緩和政策(ディレギュレーション)の導入。そしてこれらの要因がもたらした航空会社間の競争の激化などにより航空運賃が下がり、飛行機での旅が大衆化してきた1970年代-1980年代以降は、アメリカやイギリスなどの欧米の先進諸国ではその「ステータス」は下がった。
しかし、海外旅行の大衆化が欧米の先進諸国に比べて遅れていた上、日本国政府の保護政策で航空会社同士の競争が活発でなく、さらに女性がその多くを占めた日本では、『アテンションプリーズ』(オリジナル版:1970年-1971年)、『スチュワーデス物語』(1983年-1984年)など人気テレビドラマの題材にもなり、1980年代になってもなお、女性の憧れる職業の上位として憧れの存在であった。
なお、この頃に導入された大型機を筆頭に、機内映画の上映や座席オーディオ、ハイテンプオーブンなどの最新設備が次々に導入され、さらに機材が格段に大型化し、さらに10時間以上の超長距離間の無着陸運航が可能になったことで、客室乗務員の機内外における仕事の内容も大きく変わることとなった。
1990年代-2000年代[編集]
しかし、日本でも1980年代後半のバブル景気前後の円高を受けて海外旅行の大衆化が進み、大型機の大量導入に伴う採用人数の増加、競争激化を受けたコスト削減の影響を受けた大手航空会社における契約制客室乗務員(大手航空会社においては女性のみの採用)の導入を代表とした待遇の低下、女性側の意識変化や、ハードな職業であるとの認識の浸透により「客室乗務員」が昔と比べて、憧れだけの志願生は減り、特にステータスが高いものではないというように変革し[10]、1990年代に入ると、女性の人気職業の一つではあるものの以前よりその人気は下がった。
2001年のアメリカ同時多発テロや格安航空会社との競争激化の影響を受け、ユナイテッド航空やノースウエスト航空(現・デルタ航空)、アリタリア-イタリア航空など世界各国の大手航空会社が経営不振に陥り、会社更生法の適用を受け経営再建を行う中、日本人乗客のためだけに日本人の客室乗務員を乗務させる必然性が見直されたことなどにより、近年は外国航空会社の日本人客室乗務員の採用自体が以前に比べ格段に減り、これらの外国航空会社の日本人客室乗務員の乗務人数の減少と加齢化が進んでいる。さらに一部の外国航空会社では日本人客室乗務員に対して派遣制度を導入するなどその待遇も大きく低下している。
2009年には、世界的不況の影響を受けて経営不振が伝えられるブリティッシュ・エアウェイズが、数週間の無給労働を客室乗務員に対し要請した他、同じく経営危機が伝えられるエミレーツ航空が、先に内定した日本人客室乗務員の入社を無期限延期するなど、この傾向は進んでいる。
現在[編集]
なお現在の日本においては、雇用形態の柔軟化を受けて、国内大手航空会社の中途採用では30代、経験者の有期限再雇用では40代での採用も可能になるよう変わりつつあるなど、かつては「若いこと」が採用の条件であったが、その様な状況は変わりつつある。
業務内容[編集]
主に機内サービスや機内清掃、保安業務や緊急時対応などの業務を主に行っている。日本の大手航空会社の場合、新人は入社後2、3年程度国内線のみを担当し、その後国際線移行訓練を受けてから国際線も担当する。なお、外国航空会社の日本人客室乗務員は、日本人乗客対応が主な採用、乗務理由であることもあり、本拠地と日本を往復する路線のみを担当するケースが多い。
なお、その業務の多くが機内サービスであるにもかかわらず、日本や欧米諸国の航空会社の客室乗務員の労働組合の多くは、会社側との賃金および待遇交渉上の観点から「サービス要員」ではなく、「保安要員」であることを強調しているが、これらの日本の労働組合は、本来「保安要員」として、女性より適している男性客室乗務員の増員を殆ど主張していない(労働組合員のほとんどが女性である)。
また、男性客室乗務員が搭乗している場合、厨房内の仕事や力仕事などの業務に回されるケースが多いが、日本の航空会社の場合、男性客室乗務員の数が殆ど居ない状態で、特に日本人の男性客室乗務員が乗務していないケースが殆どであった。しかし、2010年代に入ると徐々に数も増え始め、日本航空では5月5日に男性客室乗務員だけで運行する鯉のぼりフライトなどのイベントも行われるようになった。
1999年(平成11年)に発生した全日空61便ハイジャック事件をはじめとするハイジャックや、乗客による機内暴力行為においては、体力的な面から女性の客室乗務員が犯人の暴力行為に対して対抗できず、乗り合わせた男性運航乗務員や男性乗客が代わりに対処するケースが続発していたが、航空法違反(安全阻害行為の禁止)の適用も含め、暴力を働く、粗暴な振る舞いをする乗客の排除に乗り出している。
機内サービス[編集]
飛行機の搭乗および降機時の乗客への各種案内、厨房[11]での機内食や飲み物の加工および乗客への配布および回収や、新聞や雑誌類の配布および回収、機内販売(国際線では免税品の販売)やクレジットカードの勧誘などの営業活動、入国書類や税関申告用紙の配布などの機内での各種サービスを行う(入国書類を客室乗務員に記入させる乗客もいるが、これは法律で禁じられているケースもある)。
個人用テレビやオーディオ、ビデオゲームなどの座席周りのエンターテインメント設備が設置されている機材の場合は、それらの設備の使用方法の案内を行うほか、長距離路線のビジネスクラスやファーストクラスでは、フラットシートのベッドメーキングを行なうケースもある。
また、搭乗機の運航状況や各種機内サービスの案内など機内における各種案内放送を行う他、到着地の天候や空港の案内などの数々の問い合わせなどについて運航乗務員と連携の上で対応したりしている。
機内清掃[編集]
飛行中の乗客の各種ゴミの回収などの機内の簡単な清掃や、飛行中に気分を悪くした乗客が嘔吐したり、幼児の排便などで機内を汚した場合にはその清掃を行う。格安航空会社をはじめとする一部の航空会社では、引き返し時などに座席など機内の簡単な清掃を地上駐機中に客室乗務員に行わせている他、アメリカでは機長・副操縦士にも清掃作業を課す航空会社もある。
なお、格安航空会社以外でも、中長距離国際線ではトイレットペーパーやゴミ箱の交換、洗顔台の拭き取りや備品の補充などをはじめとするトイレの清掃も行う。また、一部の国では離着陸前後に機内客室への殺虫剤や消毒剤などの散布が義務付けられている場合があり、その際は散布業務を行う。
保安業務[編集]
ドア(非常口)の操作および確認、離着陸前の客室内の安全確認、非常用設備の案内(緊急着陸水時の脱出口および脱出方法、救命胴衣の使用方法、酸素マスク使用方法などを、ビデオ設備搭載機ではビデオの上映、ビデオ設備の故障時およびビデオ設備未搭載機ではデモンストレーションと安全のしおりの確認の推奨)、離着陸前後の非常用設備の管理、離着陸前後の客室内の確認(各種設備に故障、異常がないかの監視だけでなく、泥酔者や具合の悪い旅客がいないか、航空法違反に該当する行為をしている旅客はいないか、ハイジャックに発展する恐れのある人物はいないか等も確認している)、などの機内の保安業務を行う。客室乗務員はそれぞれ担当区分を持っているが、定時運航のために手分けをすることもある。
緊急事態対応[編集]
万が一航空事故やハイジャックなどの緊急事態が発生した時には、運航乗務員などと連携して乗客に状況説明をしたり、緊急着陸や着水をする場合には避難用具の用意や避難誘導にあたる。そのため一部の外資系航空会社では、一定距離を泳げることが採用時の条件になっているケースがある。また、急病人発生時には、医療関係者に引き継ぐまで基礎的な救急看護を行う(赤十字救急法救急員資格の取得が推奨されている)。中途採用の客室乗務員の中には、看護師などの医療従事経験者の客室乗務員も多い。
なお、緊急時にはデッドヘッドだけでなく、私用で搭乗している客室乗務員や航空関係者も、搭乗している機材と同じ会社の社員であるなしを問わず、自主的に協力することが通例である。
搭乗口のゲート受け付け業務[編集]
経営再建中の日本航空は2010年2月より、一部の国内線と国際線で、客室乗務員によるゲートの受け付け業務を兼務させる方針が固まった。これにより、年間約2億4000万円のコスト削減効果が見込まれている。
食事[編集]
機内での食事は、国内線の場合は紙の箱に入った弁当形式のものが用意され、国際線の場合はエコノミークラス担当者はエコノミークラスの機内食、ビジネスクラス担当の乗務員はビジネスクラスの機内食(乗客とほぼ同じもの)が用意される他、ファーストクラスの乗客が手をつけなかった食事の残りものに手をつけることもある。また、アルコール類を除く飲み物も機内に用意されているものを飲む。なおこれはデッドヘッドの際もほぼ同様である。
なお、いずれも集団食中毒を防ぐ目的から、乗客向けと同じく複数の種類が用意され、基本的に社歴が長いものから優先的に選択し、休憩時間や地上での乗り継ぎの短時間の間に(客室乗務員が早食いが多いのは、このためであると言われている)ギャレー内や空席で食べる。
休憩[編集]
なお、夜間飛行や6、7時間以上の飛行時間の長距離路線においては、乗務中に数時間の仮眠を含む休憩時間が設けられ、ギャレーや休憩用に仕切られた座席や客室上部、または客室下部などに設けられた乗務員専用の休憩室[12]で休憩を取る。
乗務人数[編集]
各国の法令で機材の仕様(ドア数)や座席数、飛行時間により最低乗務人数が決められている(実際に搭乗している乗客数にかかわらず、固定されている)。
通常は乗客約50名に対して客室乗務員が1名以上、それ以上の大きさの機材の場合はドア数に合わせた人数が乗務することが基本となっており、国際線ではそれを基本にして旅客数やサービス内容に応じてサービス要員として人数が増える。
通常は、近距離向けターボプロップ機のボンバルディア DHC-8シリーズの場合1-2人、中型ジェット機のボーイング737やエアバスA320の場合は1機に3-5人、大型ジェット機のボーイング767やエアバスA300の場合は6-10人、超大型ジェット機のボーイング747型機の場合は、国内線は12人程度、国際線は14-28人程度乗務している。
日本の場合、客室乗務員の編成は航空法施行規則第214条で、航空機乗組員及び客室乗務員に対して求められている運航規程に定めるべき要件として定義され、各社の運航規程で定められている。日本国内においては、定員が19人以下の機種(ビーチクラフト1900Dやブリテン・ノーマン アイランダーなど)には客室乗務員を乗務させる必要はない。
制服[編集]
傾向[編集]
世界的に航空機等の客室乗務員には専用の制服を着用させている。日本でも客室乗務員を搭乗させている航空会社は、男女ともに全て制服を着用している。なお、客室乗務員の制服の種類は航空会社の数だけある。
ただし、男女ともに客船のように「客室乗務員の制服の標準的デザイン」という概念があり、それに近いデザインのものが主流を占めており、変化があるといってもエンブレムや社名ロゴ、スカート丈やスカーフの柄(女性客室乗務員)色などに差異が見られる程度である。なお、1990年代前半までは、女性客室乗務員の制服は制帽と手袋、スカーフが用意されることが多かったが、現在は制帽と手袋を用意することはほとんどなくなってきている。
全体的に女性客室乗務員制服の標準的デザインは紺・藍などの青系統、形式はレディーススーツ風が主流でボタンは真鍮製の金色(シングル若しくはダブルのブレザー風)、トーク型かハイバック型の帽子が付いており、ネクタイかレースがセットになっている。下衣は、欧米を中心にパンツを採用している会社も多いが、アジアではタイトスカートのみのところがほとんどであり(上下合わせるとレディーススーツになる)、パンツを採用している航空会社は少なく、採用していてもスカートとの選択制がほとんどで、パンツを選択する乗務員は少ない。しかし、日本ではスターフライヤーの制服にパンツを採用している。
女性客室乗務員制服のスカート丈の長さは航空会社によってまちまちである。一般的には極標準のスカート丈、次いで多いのがロングスカートである。ミニスカート並に短いスカートを制服として採用している航空会社は実際にはほとんどなく、日本では現在1社も存在しない(かつてJALエクスプレスがミニスカートに近い制服を採用したところ、一部の女性客室乗務員がそれをさらに短い丈に細工し乗務したため、社内および乗客から「スカートが短すぎる」とのクレームがあり、その後丈が長いものに変更されたという経緯がある)。
民族衣装の制服[編集]
民族衣装をモチーフにした制服もあり、マレーシア航空やシンガポール航空の女性客室乗務員は、民族衣装風の制服を着用しているほか、ベトナム航空では、女性客室乗務員にベトナムの民族衣装「アオザイ」を採用している。日本航空では、かつてファーストクラス担当の女性客室乗務員のみ、食事サービス時に着物の制服も着用した。なお多くの航空会社において、先任客室乗務員には、通常の制服とは別の色やデザインの制服を着用させることが多い。
緊急時の問題[編集]
また、シンガポール航空やマレーシア航空など一部の航空会社の女性客室乗務員の制服は、民族衣装をモチーフにしたタイトスカートにサンダル履きの制服であることから、緊急時の対応に問題があるという指摘がある。
実際にシンガポール航空は、多数の死傷者が出た台北での墜落事故の際に、「客室乗務員が着用していたバックストラップなしのサンダルのせいで緊急脱出時の対応に時間を要した」との事故調査委員会や被害者からの批判が出た。しかし同社はその後も、離着陸時のみバックストラップのサンダルを着用することのみで対応しており、「ファッション性のために安全をないがしろにしている」という批判も多いテンプレート:誰2。
一部の航空会社では緊急時に落とすと危険であるとして眼鏡の着用を禁止している。
カジュアル化[編集]
2009年2月にスカイマークが経費節減のため、運航乗務員と客室乗務員の従来のようなスタイルの制服を廃止することを発表した。廃止後は服装規定をなくし、紺色のポロシャツとウィンドブレーカーを配布、これらを着用することで乗客と客室乗務員を区別することとした。これ以外は原則自由としたが、靴に関してはヒールの高さに関して制限されている。また、同社ではフライトバッグも廃止し、使用するバッグも自由なものとした。なお、アメリカやヨーロッパの一部の格安航空会社では、同様のスタイルを用いているケースがあった。
ファッションデザイナー[編集]
客室乗務員の制服は、直接にそして長時間、顧客の目に触れることが多いため、そのデザインは、自国の、または国際的に著名なファッションデザイナーに依頼することが多いといわれる。
著名なデザイナーによる主な制服[編集]
- アリタリア-イタリア航空:ジョルジオ・アルマーニ、ミラ・ショーン
- ブリティッシュ・エアウェイズ:マリー・クワント、ジュリアン・マクドナルド
- エールフランス:クリストバル・バレンシアガ、クリスチャン・ディオール、ニナ・リッチ、マダム・カルヴァン、ジャン・パトゥ、クリスチャン・ラクロワ、ルイ・フェロー、ジョルジェット・レナル、ジョルジェット・ド・トレーズ
- カンタス航空:マーティン・グラント
- キャセイパシフィック航空:エディ・ラウ
- シンガポール航空:ピエール・バルマン
- 全日本空輸:芦田淳、三宅一生、田山淳朗
- 大韓航空:ジャンフランコ・フェレ
- 日本航空:森英恵、稲葉賀恵、丸山敬太
- ルフトハンザドイツ航空:オレグ・カッシーニ
- ヴァージン・アトランティック航空:ヴィヴィアン・ウエストウッド
上記のリスト以外にも、ギリシャのオリンピック航空がシャネルやピエール・カルダンの、ブラニフ航空がエミリオ・プッチのデザインした制服を採用していたことがある。
訓練[編集]
新人訓練[編集]
新規採用時に、空港や本社施設内などにある訓練施設[13]において、訓練指導員として特に選ばれた先任客室乗務員より、機内サービスの手順や語学[14]、機内アナウンスや関係書類の取り扱い、応急処置[15]や緊急時対応、身だしなみや立ち振る舞いなどの訓練を1か月から3か月程度受け、筆記、実技試験に合格した者のみ、その後数日間のOJT訓練を受ける。
路線・クラス別訓練[編集]
その後も、会社によっては国際線担当やビジネスクラス、ファーストクラスなどの上級クラス担当に伴うサービス訓練、先任客室乗務員への昇格時の訓練などを、訓練指導員により各社のマニュアルに沿って受ける。
通常新人はエコノミークラスを担当し、順次上級クラスの担当を行うことになる(アジア系の一部の航空会社では、入社時に全てのクラスの訓練を受け、新人のころからエコノミークラス、ビジネスクラスに関係なく乗務する会社もある)。また、日本の大手航空会社の場合、新人は国内線を2年程度担当してから国際線移行訓練を受け、国際線も担当することになることが多い。
なお日本の大手航空会社の場合、社内における勤務評価が高いものから先に国際線や上級クラスへの移行訓練を受け、担当することになるが、勤務評価が低い場合は国際線への移行訓練がなされない場合や、上級クラスの担当を宛がわれない場合もある。
機種別訓練[編集]
また、機種によって機内の各種設備に違いがあるために、機種ごとの訓練を受けない限り別の機種に乗務することは出来ない。なお、各社ごとの社内規格であり、同じ機種でもまた会社によって機内サービスおよび緊急時対応設備の仕様に違いがあるため、会社を変わると一から訓練を受ける必要がある。この訓練は機種ごとに、半年から1年に1度行われており、全ての試験に合格できなければ乗務ができなくなる。
政府専用機の客室乗務員[編集]
日本国政府が所有・運航を行い、政府要人の輸送および、在外の自国民保護などのために使用される「日本国政府専用機」においては、航空自衛隊の「特別航空輸送隊第701飛行隊」、通称「特輸隊」が運航させている。
政府専用機は、操縦士や整備士はもとより、天皇や皇族、首相などの要人を接遇する客室乗務員は全て、入隊した後に「空中輸送員(特別)」として選抜された航空自衛官で占められている。
「空中輸送員」は、政府専用機と同型機材(ボーイング747-400型機)を運航し、かつ国際線運航の経験が豊富な日本航空の東京国際空港内の客室乗務員訓練センターで、同社の訓練指導員より機内サービスや緊急時対応などの訓練を受け、日本航空の客室乗務員とほぼ同じスキルを習得していた[16]。政府専用機の客室乗務員には女性自衛官のみならず男性自衛官も多く乗務している。JALの倒産を受け、2010年12月、防衛省は業務を日本貨物航空(NCA)に移管する契約を締結した。政府専用機がボーイング777に更新されたことに伴い担当が全日本空輸に変更されている。
昇進[編集]
日本の大手航空会社やその系列会社の場合、当初3年間は契約社員として乗務し、適性や勤務態度などに問題がない場合正社員として正式に採用されることとなるが、正社員に採用されず退社となる者もいる。なお3年程度の有期限雇用契約制を取っている外国航空会社の一部では、高い勤務評価を得た者のみ契約期間の延長や正社員としての採用が行われる場合がある。
また日本の大手航空会社の場合、大きく分けると5程度の職級に分かれており[17]、通常は入社後3年程度で正社員への昇進が、6-8年程度でクラス別責任者への昇進が、10年-15年程度で先任客室乗務員への昇進が、20年程度で管理職への昇進がなされるが、勤務評価が低い場合は入社後20年以上経過しても管理職への昇進はおろか、先任客室乗務員への昇進すらなされないケースもある。
なお勤務評価が高い社員は、訓練指導員や機内サービス企画、機内食や機内販売の企画などの地上業務や、系列会社の先任客室乗務員や管理職などに、1年から数年間の期間で移動させられることもある。
就職[編集]
採用[編集]
日本の大手航空会社やその系列会社では、ほぼ毎年新卒採用(客室系総合職/契約制客室乗務員双方)を行う他、経験者(既卒)採用も定期的に行っている。また、日本の大手航空会社やその系列会社では、一定期間就業後に一旦退社した客室乗務員を有期限でパートタイマーとして採用している。
なお、現在日本のほとんどの航空会社において契約制客室乗務員としての採用で、またそのすべてが女性である。契約制客室乗務員は1年間の有期限雇用契約を2回更新した後、3年経過後に本人の希望と適性、勤務実績を踏まえて、正社員への切り替えを行う。なお日本の大手航空会社の男性の場合は、正社員としての採用の後に客室乗務員の職種を選択する方法しかない。
外国航空会社も日本人客室乗務員の欠員が出たり、日本便の増便があるとそれにあわせて経験者採用を中心に若干名の募集を行う他、日本に乗り入れていない航空会社が、自国民以外の外国人客室乗務員の採用枠で日本人の客室乗務員を採用するケースもある。ターキッシュ エアラインズが採用した日本人派遣乗務員の年収は110万円という実態が報道された。これは日本の派遣会社が仲介斡旋したもので日本国内の労働問題として議論される。
新卒採用を行っている日本の航空会社(一部)[編集]
採用基準[編集]
国内大手航空会社の契約制客室乗務員の場合、一度に100-500人単位の採用を行う。英語の資格[18]や、高等学校ないし専門学校卒業以上であることとされている。身長の制限は無い。視力は企業によるが裸眼1.0及びコンタクトレンズ矯正視力で1.0としている。
外国航空会社の場合は、身長制限がある企業も存在する。募集がなかなか出ない上に欠員を補充するための採用で1度に数人-20人程度しか採用しない、さらに年齢制限が広いなどの理由で、倍率は高い。日本と比較し、男性も多い。また、ユナイテッド航空はグリーンカード保持者を対象に募集をかけ、コスト面や本国の労働組合対策で日本ベースの乗務員をとらず、アメリカベースの乗務員を採用したいために、応募できる人が限られていた要出典他、ニュージーランド航空も応募条件がニュージーランド永住権保持者のみ対象となっているなど、募集条件に永住権保持を課す会社もある。また、外国航空会社の中には、身長160センチメートル以上や、水泳で一定距離を泳げることを採用条件に付けている会社もある。
また、日系航空会社、外国航空会社を問わず、日本において既卒、経験者採用もたまに行われているが、一般に社会人経験が1年以上、かつ上記のような基準を満たすもののみが対象とされている。
なお、日本航空の現役契約制客室乗務員として勤務する傍ら、会社に無断で写真週刊誌でヌードモデルになった仲谷かおりや、同じく会社に無断でバラエティ番組へ出演し職務の内容を暴露していた島田律子の出現以降、同社や他社においても同様の「事件」を起こすものが続出している影響で、日本の大手航空会社では、過去にミスコンやグラビア、レースクイーン、さらにキャバクラなどの水商売、風俗、芸能などの経歴がないかを厳しくチェックしていると言われる。多くの外国航空会社においては、採用後に受験者が履歴書に書いたレファレンスを元に、本社人事が直接前職の勤務先に連絡し、どんな人物であるかなどを事前確認するのが普通である。
試験[編集]
まず書類選考で不適格者をふるい落とした上で、通過者に対し英語を含む数回の面接[19]や、英語や一般教養などの筆記試験、身体検査、さらに水泳の試験を受けることになる。なお新卒採用のみならず、既卒や経験者採用であろうと機内サービスや機内アナウンスの実施試験は行わない。
国内航空会社では一度に多数を採用することもあり、多くの希望者に対応するために、社屋だけでなく都内の大学のキャンパスを日曜日に借りて採用試験会場とする場合も稀にある。外国航空会社の場合は、採用数が少ないこともあり、ほとんどがホテルで何日間にも分けて行われる。
受験予備校の指導にあわせていわゆる「リクルートスーツ」と呼ばれる服装の首にスカーフを巻き、勤務中の客室乗務員を真似て髪型をシニヨンにした学生の女性受験者もいる。しかし、一部の外国航空会社の場合は、新卒もいるが、客室乗務員経験者も多い上、採用試験でスキンチェックなどが行われることも多いため、スカーフを巻く人は少ない。
デルタ航空は、採用基準の一つに「顧客サービスのプロであるだけでなく、安全対策のエキスパートであること」を挙げている。2016年の客室乗務員募集では、1,200人の枠に対して約150,000人が応募。採用試験は、書類審査を通過した35,000人に対し所定の質問に答える様子を撮影したビデオ提出を求め映像審査。6,000人に絞り込みを行った上で面接を行い1,200人に決定する手順を採った。2017年も1,000人の募集枠に対し、125,000人以上が応募した。
志望者向け教育[編集]
明海大学ホスピタリティ・ツーリズム学部ホスピタリティ・ツーリズム学科のように、航空会社の元経営幹部や、元訓練教官などの管理職級の元客室乗務員を教授や客員教授に迎えて志望者向けの専門教育を行っている大学も存在する。
さらに、大都市を中心に「スクール」と呼ばれる、元訓練教官や客室乗務員経験者を講師に抱える客室乗務員志望者専門の専門学校や受験予備校が数多く存在している他、客室乗務員を主体とした航空業界就職情報誌や、就職情報を書き込めるインターネット上の掲示板も存在している。総じて「客室乗務員志望者向け就職情報」といえるような独自の市場を形成している。
組合活動[編集]
日本航空や全日空などの日本の大手航空会社の、契約制客室乗務員制度が導入された1994年以前に入社した加齢客室乗務員や運航乗務員においては、現在では、単純労働者やブルーカラー以外では多くの業種においてその活動が下火となっている労働組合活動が活発に行われている。
なお、日本最大の航空会社である日本航空においては、1990年代に契約制客室乗務員制度が導入された以前の客室乗務員[20]と、それ以降の客室乗務員[21]の雇用上の待遇が大きく違うこともあり、労働組合活動を活発に行うのは、契約制から正社員になった客室乗務員をはじめとする多くの社員が加入する会社側組合の組合員ではなく、上記のように少数派である反会社側労働組合に加盟する加齢客室乗務員の組合員が中心という状況である(「日本航空の労働組合」参照)。
また、コンチネンタル航空やノースウエスト航空、アリタリア-イタリア航空などの外国航空会社の日本法人・支社においても日本人客室乗務員をはじめとする社員による労働組合が結成されており、そのいくつかは活発に活動しているが、結成されている会社自体は少ない。
客室乗務員にまつわる事件・不祥事[編集]
- ブリティッシュ・エアウェイズの客室乗務員が香港などで偽物の時計や香水を購入し、それを本物とすり替えてからロンドン発東京便や香港便などの機内で免税品として販売し、差額を着服していた事件が1999年9月に明らかになった。なお、ブリティッシュ・エアウェイズは、被害を受けた乗客に対して代金を弁償すると同時に「事件を公表しない」と同意書にサインを求めたが拒否された。
- 2010年1月には、エールフランスの客室乗務員が、成田空港発シャルル・ド・ゴール国際空港行きの飛行機の機内で、日本人を含むビジネスクラスの客から現金、時計、宝石、クレジットカードなどを盗んだとして逮捕された。
- 2000年に、日本航空の客室乗務員の仲谷かおり(芸名)が写真週刊誌「フライデー」で、同社で勤務している旨を明かした上でヌードモデルとなったため、新千歳空港からの乗務終了後、羽田空港内で会社関係者に事情聴取された後に解雇された。なお、仲谷のヌード事件以降、日本航空をはじめとする航空会社は、客室乗務員採用の際に当該者の前歴(グラビア活動やモデル活動、ミスコン活動や水商売、風俗、芸能などへの従事経験の有無など)を厳しく確認するようになったといわれている。
- 2005年5月に、全日空の運航乗務員と客室乗務員の計8人が、翌日早朝から乗務予定であったにもかかわらず、ステイ先の秋田市内の居酒屋で社内規定に違反して飲酒[22]していたために、急遽代替運航乗務員を東京から呼び寄せることとなった。なおこの事件後、運航乗務員と客室乗務員とその上長ら13人が処分を受けた。
- 多くの航空会社では、在籍中において勤務先企業名や制服姿、本名や勤務内容などを露出した書籍やブログなどの公開は一切禁止されているにもかかわらず、ブログに詳細な勤務内容を書いたために解雇された例がある(エレン・シモネッティ )。
人物[編集]
現客室乗務員[編集]
2011年現在、前述した諸々の理由で「現役」の乗務員から著名人は現れにくくなっているが、退職後に「元客室乗務員」として自伝や体験記などを執筆し、メディアに知られる著名人も現れつつある。
- 矢代直美(日本航空の客室乗務員で、現在は廃部となった日本航空バスケットボール部「JALラビッツ」所属の元選手。アテネ五輪代表。2009年と2010年はアシスタントコーチ兼任)
- 杉山恭子(全日空の客室乗務員で元モデル、タレント。2008年のミス・インターナショナル日本代表[23])
元客室乗務員[編集]
客室乗務員から他業種に転職し、著名になったものは少なくない。
- 及位ヤヱ - 日本で5番目の女性パイロット。教官パイロットから大日本航空の客室乗務員となったが、戦後に操縦士の資格を再度取得した。
- 安部譲二(元日本航空の客室乗務員。のちに作家)
- 秀島一生(元日本航空の客室乗務員。現在は航空評論家,拓殖大学客員教授、生島企画室業務提携)
- 重太みゆき(元日本航空・JALウェイズの客室乗務員。現在は印象評論家。インプレッショントレーナー。亜細亜大学教授)
- 乙部綾子(元日本エアシステムとエジプト航空の契約制客室乗務員。現在は芸能事務所パールダッシュ広報)
- 荒嶋恵里子(元全日空の客室乗務員。現在は気象予報士)
- 真壁京子(元日本航空の客室乗務員。現在は気象予報士)
- 仲谷かおり(元日本航空の客室乗務員。タレント、ヌードモデルを経て2007年に芸能界を引退)
- 田中摩弥(元全日空の客室乗務員。現在は気象予報士)
- 高畠真紀(元おニャン子クラブのメンバー。卒業後は客室乗務員であった)
- 渡辺蘭 (元日本航空の客室乗務員。現在はフリーアナウンサー、気象予報士)
- 花田美恵子(元日本航空の客室乗務員。3代目若乃花との結婚を機に退職。現在はタレント、モデル)
客室乗務員を扱った作品[編集]
テレビドラマ[編集]
- アテンションプリーズ (1970年オリジナル版TBS系/日本航空)(2006年リメイク版フジ系/日本航空)
- 白い滑走路(1974年TBS系/日本航空)
- 虹のエアポート(1975年TBS系/全日空)
- スチュワーデス物語 (1983年TBS系/日本航空)
- トップスチュワーデス物語 (1990年TBS系/日本航空)
- スチュワーデス刑事 (1997 - 2006年フジテレビ系/日本航空)
- やまとなでしこ(2000年フジテレビ系)
- ビッグウイング (2001年TBS系/日本航空、全日空、日本エアシステム)
- スチュワーデスの恋人 (1994年TBS系/日本航空)
- こころ(NHK)
- 神はサイコロを振らない (日本テレビ系/オリエンタルエアブリッジ)
- GOOD LUCK!! (2003年TBS系/全日本空輸)
- CAとお呼びっ!(日本テレビ系)
- 松本清張スペシャル・黒い福音(TBS系/英国海外航空)
- キャビンアテンダント刑事(2014年フジテレビ系/日本航空)
テレビ局名の後ろの航空会社名は、制作協力社名。無い物は、架空の航空会社の設定。
映画[編集]
- 想い出の瞳(1948年、フランス)ミシェル・モルガン、ジャン・マレー主演。
- 夜霧の滑走路(1958年、大映)石井竜一、金田一敦子主演。
- 殺されたスチュワーデス 白か黒か(1959年)久保菜穂子主演。
- 美貌に罪あり(1959年、大映)山本富士子、若尾文子主演。
- 大空に乾杯(1966年、日活)吉永小百合、浜田光夫主演。
- 複雑な彼(1966年、大映)田宮二郎、高毬子主演。
- ハッピー・フライト(2003年のアメリカ映画)グウィネス・パルトロー主演。
- フライング☆ラビッツ(2008年、東映)石原さとみ主演。女子バスケチーム「JALラビッツ」がモデルになっている。
- ハッピーフライト(2008年、東宝)田辺誠一、綾瀬はるか主演。
漫画[編集]
関係者[編集]
- 深田祐介(作家。「スチュワーデス物語」の著者。元日本航空社員で妻は元同社の客室乗務員)
- 益岡康夫(青山学院大学講師。元日本航空客室乗務員訓練部の英語教官。「スチュワーデス物語」に実名で出演し人気を博した)
脚注[編集]
- ↑ 乗務員ではあるが航空法上の乗組員ではない。
- ↑ 「パーサー (purser)」は英語圏では性別無関係に、その便を担当するチームのリーダー、最先任者を指す。
- ↑ この場合は性別による区別のない単語への言い換えを指す。
- ↑ 中村浩美『読んで愉しい旅客機の旅』光文社、『モタさんの世界乗り物狂走曲』P.23 斎藤茂太 角川学芸出版
- ↑ エレン・チャーチの提案がきっかけで、彼女の同僚を含めた合計8人が採用された。
- ↑ 戦前日本のエアガールについて、鈴木五郎「大空の花束『エアガール』太平洋戦域フライト日誌」(潮書房『丸』1996年4月号 No.600 p191 - p199)を参考
- ↑ 「JALグループ50年の航跡」日本航空広報部デジタルアーカイブ・プロジェクト編 2002年 日本航空
- ↑ 「エアライン Empires of the Sky」アンソニー・サンプソン著 大谷内一夫訳(早川書房)
- ↑ 「JALグループ50年の航跡」日本航空広報部デジタルアーカイブ・プロジェクト編 2002年 日本航空
- ↑ 電気通信共済会編『日本のエァポート』日本交通公社ダイヤルブックス1984年
- ↑ 船舶の用語にならって「ギャレー」と呼ばれる
- ↑ 「クルーバンク」と呼ばれ、寝棚もある。
- ↑ 新興航空会社や格安航空会社などの小規模な航空会社ではモックアップを持っていないため、最終便の後に実機にて訓練を行うところや、提携している他社の訓練施設で訓練を行う場合もある
- ↑ 主に母国語の正しい使い方と、語学専門教官による英語となる。外国航空会社の場合その国の言語もある
- ↑ 赤十字救急法救急員の認定を取らされる
- ↑ 「Route 5」2009年2月号
- ↑ 「4196人のスチュワーデス」P.65 深田祐介監修 日本航空刊
- ↑ 国際コミュニケーション英語能力テスト(TOEIC)600点以上が一般的。
- ↑ 外国航空会社の場合英語のみのケースも多い。
- ↑ 「プロパー社員」の呼称で呼ばれる。
- ↑ 「新正社員」の呼称で呼ばれる。
- ↑ 社内規定により、乗務の12時間前からの飲酒を禁じている。
- ↑ 金ヶ江悦子 (2014-05-25) 金ヶ江悦子 miss international 撮影 金ヶ江悦子オフィシャルブログ アメーバブログ 2014-05-25 [ arch. ] 2019-05-03