セウォル号沈没事件

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セウォル号沈没事件
セウォル号沈没事件

セウォル号沈没事件とは、2014年4月に韓国で発生した、300人近い死亡者を出した海難事件である。乗客は修学旅行の高校生たちであった。

事件概要

セウォル号沈没事件

2014年4月16日午前8時58分頃、韓国仁川の仁川港から済州島へ向かっていた、清海鎮海運所属の大型旅客船「セウォル(歳月: SEWOL)」が、全羅南道珍島郡観梅島(クヮンメド)沖海上で転覆し、沈没した。事故が発生したセウォル号は、修学旅行中の安山市檀園高等学校2年生生徒325人と引率教員14人の他、一般客108人、乗務員29人の計476名が乗船し、車両150台余りが積載されていた。

韓国国立海洋調査院によると、現場周辺は水深27m-50mで目立った暗礁はなく、16日午前時点で視界は良好、波高約1mと、航行の安全に影響するような自然条件はなかった。

同国での海難事故としては、1993年10月に全羅北道扶安郡格浦里の沖合で292人の死者を出した『西海フェリー沈没事故』以来、21年ぶりの大惨事となる。

経緯

セウォル号沈没事件
  • 15日午後9時頃 - 仁川港から済州島向け定刻午後6時半から濃霧による視程低下のため約2時間遅れで出港。
  • 16日朝 - 乗っていた男子生徒によると「『ドン』という音が聞こえ、船が傾いた」。エンジン室にいた船員「船の前部が衝撃を受けた」。別の乗客「船が90度近くに傾くと、船体の側面から一気に水が入ってきた」。
  • 16日8時58分頃 - セウォルが遭難信号を発信、海洋警察が受信
  • 16日10時10分頃 - 「沈没が迫っている。乗客は海に飛び降りろ」と船内放送
  • 16日11時過ぎ - 京畿道教育庁が船に乗っていた高校生の保護者たちに「壇園高校の生徒を全員救助」というメールを一斉に送付するも、同日午後になり救助された人数に誤りがあったことが判明、直後に安全行政部と海上警察が行方不明者の数を修正して発表。
  • 16日11時24分頃 - 海軍の海難救助部隊 (Ship Salvage Unit: SSU) 及びUDT/SEAL陸軍特戦司令部の潜水要員が調査と救助作業に投入される。
  • 16日午後 - 海軍駆逐艦デ・ジョヨン」の乗組員が貨物昇降の作業中に頭部を負傷し意識不明の状態で済州島の病院に運ばれるが、19日に死亡した。
  • 17日午後 - 民間のダイバー3人が行方不明者を捜索中、波と風に流され行方不明になるが、20分後に釣り船に発見され、救助された。
  • 17日20時40分頃 - 悪天候により中断していた水中捜索を再開。同時に、海洋警察が船内進入のために無人ロボットを投入。
  • 18日1時頃 - 船体を引き揚げるためにクレーン船3台を投入する事を決定するも、船体が揺れてエアポケットに海水が浸入する可能性があるため難航。
  • 18日午後 - 海面より姿を見せていた船首先端部分が自重により完全に水没。
  • 19日 - 16日の救助活動中に頭を負傷し、意識不明となっていた韓国海軍兵士1人が死亡。

7月22日-。見つかった遺体は会長と判明した

原因

3等航海士「ほぼ全速の19ノットで方向変えた…統制不能になった」

セウォル号沈没事件

事故当時、船長は経験1年余の3等航海士に操船を任せていた。船長は韓国メディアに「針路を指示したあと、(事故当時)用事があって寝室にいた」と話している。

事故発生後、船内には動かないよう指示する放送が流れ、多くの乗客がこれに従った。韓国紙、中央日報によると、3等航海士は調べに対し、「ほぼ全速の19ノット(時速約35キロ)で方向を変えた。操舵装置が急に回り、船体がバランスを失い統制不能になった」と供述。未熟な操船が大惨事を招いた可能性が高い。車両積載限度の150台を超す180台の車が積まれていたことも分かっている。

海洋警察は18日夜、乗客数と救助者数を訂正し、死者と行方不明者の合計は302人に増えた。死者は33人。174人が救助されたが269人が行方不明となっている。事故当日の16日、韓国政府は368人を救助したと発表したが、重複があったとして下方修正していた。進まぬ捜索と正確さを欠く発表に関係者はいらだちを強めている。

乗組員

セウォル号沈没事件

多数の行方不明者、死者を出した原因として、乗員側の判断のミスが指摘されている。

船長と約30人の乗組員は、最後まで船内放送を続け遺体で発見された1人を除いて、事故発生後間もなく脱出し、海洋警察の警備艇に救助された。救助された乗客は、乗組員による避難誘導が行われなかったと証言している。

まず同船の船長(男性、69歳)は当初運航を任されていた本来の47歳の船長に代わって船を操縦していたことが明らかになり、杜撰な運行体制に一部のインターネットユーザーから非難が殺到した。また、韓国海洋警察が4月18日、事故発生時に操舵手に操縦を指示するなど船長業務をしていたのは、経歴が浅い26歳の3等航海士だったとの中間調査結果を発表、また同国海洋水産省による船舶自動識別装置の発信データ分析により、事故当時の16日午前、遭難信号を出す数分前に船が右に急旋回していたことも判明した。さらに、同船舶が車両を過積載していた可能性や、速度を上げるため安定性を維持するタンクから水を排出した疑惑も浮上、捜査本部は「あらゆる疑惑について徹底的に捜査する」と強調している。

なお、船長に代わって3等航海士が船の操縦を指示する事そのものは、韓国の法律上、違法ではない。また合同捜査本部は、事故地点で舵を切った行動そのものは「針路変更をすべき地点だった」としており、この進路変更が急激な旋回だったかを調査している。

さらに、船が沈没した位置は全羅南道新安郡と珍島郡の間の、屏風島、観梅島、孟骨島、松島等の島の密集地域で、事故発生当時は風が強かったわけでもなく、波も比較的穏やかだったが、濃霧による2時間の出航遅延を取り戻すために本来のコースとは異なる島々の間を通る直線コースを進んだものとみられている。

また事故船の乗務員による避難誘導も完全でなく、「救命胴衣を着用して待機してください」という船内放送が流れたのみで「動かないでください」などと繰り返していたという声もある。そのため、4階にいた多くの高校生たちのほとんどは船内放送に従って待機したままと見られ、適切な避難誘導がされれば多くの命が助かったとする声もある。沈没寸前まで前述の船内放送を担当していた女性職員も死亡した一方で、船長は座礁の通報から40分後には船外に出て、約50人の乗客とともに最初の警察警備艇に救助されていたほか、約30人いた乗組員のうち20人が救助され、機関士や操舵手ら6人もこの最初の救助船にいた。大韓民国船員法では、『船長は緊急時に際しては人命救助に必要な措置を尽くし、旅客が全員降りるまで船を離れてはならない』旨規定しており、4月18日、韓国海洋警察などの合同捜査本部は、事故当時、乗客の救助を尽くさず船を脱出したとして、船長について特定犯罪加重処罰法違反など、3等航海士と操舵手については業務上過失致死傷の疑いでそれぞれ逮捕状を請求した。4月19日未明、3人は逮捕された。

その一方、最後まで船内に残り、救命胴衣の自身の着用を後回しに乗客への配布を優先し、避難を呼びかけるアナウンスを最後まで続けた、女性乗務員の行動が生還者の証言から明らかになっているが、唯一死亡が確認された乗務員が彼女だった。

「乗客を置いて先に脱出したのは事実ですか」

セウォル号沈没事件

「乗客を置いて先に脱出したのは事実ですか」。

「…」。

17日、木浦海洋警察署で容疑者取り調べを受けていた「セウォル号」船長イ・ジュンソク氏(69)は、乗客より先に脱出した経緯について口をつぐんだ。乗客や船員の証言を総合してみると、イ船長は今回の事故の被害を大きくした主犯だ。

16日午前8時40分ごろ、「ドーン」という音とともに船が傾き始めたが、船長は船員に対し乗客の安全措置に関する指示を与えなかった。船内の案内放送を担当していたカン・ヘソン氏(32)は「船室から8時55分、済州海上管制センターに正式に救助信号を送ったのを確認した後、9時頃に案内放送を始めた」と話した。

スピーカーを通じて「安心してください。動かずに部屋の中で待ってください」という放送が流れた。だが船は片側の方向に傾き続けた。カン氏がいた案内デスク事務室も完全にひっくり返った。船が完全に傾いた状況の中でも、イ船長の追加の指示はなかった。カン氏は「午前9時30分ごろ船室から案内デスクに『乗客を安心させる放送をしろ』という内容が伝えられた」とした。このため以後30分間『部屋の中で動かないで』という同じ放送を7回も繰り返した。午前10時頃、船内は水でいっぱいになり始めた。その時初めて「ライフジャケットを着るように」という放送をした。15分後には「沈没が差し迫っているので乗客は海に飛び降りる状況に備えて」と言った。事故発生から1時間30分が過ぎた後だった。

救助を総指揮しなければならない船長イ氏は、すでに船を脱出していた。木浦海洋警察によれば船長をはじめ航海士、操舵手、甲板長、機関長らは午前9時30分ごろにはほとんどが船の外に脱出し、9時50分ごろ海洋警察警備艇に救助された。

船長は「乗客を安心させる放送をしろ」という言葉を案内デスクに伝えた直後に脱出した。船内に残っていた乗務員らも右往左往するしかなかった。安山の檀園高校の生徒たちが集まっていた船室には、ライフジャケットを配る乗務員もいなかった。セウォル号の救命ボート46隻のうち、浮かせたのはたった1隻のみ。最後まで残って救助を助けた乗務員は、船から出ることができなかった。セウォル号運航会社である清海鎮海運会社は、乗船人数さえまともに把握できずにいた。

会社側は16日の事故直後からこの日まで乗船人数を3回も訂正した。清海鎮海運のキミョンブン常務は「乗船券を発券した人員を基準に発表したが、錯誤があって再計算した」と釈明した。清海鎮海運は最近も、“安全不感症”を見せたことがある。所属するデモクラシー号が先月28日午前、仁川港から白リョン島に向かう途中、操業中の漁船と衝突した事故を起こした。この時も船長と船員は事故発生30分が過ぎるまで事故申告をしなかった。当時、乗船していたJ氏(31)は「『漁船と衝突して停止中のため座って待機していてほしい』という放送だけが流れただけで、ライフジャケットの着用や避難についての案内が全くなかった」と話した。結局、J氏が直接海洋警察に申告をした。

乗客見捨てた“海の男”自衛隊に救助の過去

韓国南西部全羅南道の珍島沖合で旅客船が沈没した事故では、乗客ら300人以上が死亡、行方不明となる一方で、逮捕されたイ・ジュンソク船長をはじめ、船の航行に直接関わる乗務員は全員救助された。

経歴の浅い3等航海士に操縦業務を任せ、乗客を見捨て、いち早く沈没現場から逃げた船長の無責任さに非難が集まっている。救助の際、船長は自ら船長であることを名乗っていなかった。その後、波紋を広げているのが、船長による10年前の発言だ。韓国・済州島の新聞(2004年元日付)に船長のインタビューが掲載されている。

この中で船長は「初めて乗った船が沖縄近海で転覆し、自衛隊がヘリコプターで救助してくれた。あの時、救助されなかったら、今の私はなかった」と語っている。

台風など危険な時については、「人とはずる賢い。だが、危機を乗り越えればそんな思いは消える。それで私は今日まで船に乗っている」と、今回の対応とは正反対の話をしていた。

さらに、家族らといる時間よりも船上にいる方が長く、「故郷を訪れる方々を船に乗せ、私の分も幸せな時間を客が家族と分かち合えるようすることに慰められている」「今日も明日も、私は船と一緒にいるつもりだ」と“海の男”ぶりを堂々と口にしている。

だが、海ほど心は広くなかったようだ。行方不明者の安否が気遣われる中、救助後には宿舎の部屋で、海水でぬれた1万ウォン札(約1000円)を広げて乾かしていた姿が目撃されている。

ライフジャケット着る方法さえ教えなかった

仁川から済州まで旅客船で14時間かかるにもかかわらず、2年生325人を乗せて送り出した安山の檀園高校側が、生徒たちに乗船に関する安全教育を全く実施していなかったことが明らかになった。救命ボートの使用法や、ライフジャケットを着て海上救助を待つ方法などを習っていれば生存者がさらにいたかもしれないのに、教育部や教育庁・学校側が安全教育を放置していたのだ。

救助された檀園高校の生徒Pさん(17)は17日、「修学旅行に出発する前に、学校で『バスに乗ったら安全ベルトを締めろ』という話を聞いたほかは、船に乗った時にどのようにしろといった安全教育は受けたことがない」と話した。

船舶や飛行機を利用する団体修学旅行が増加しているが、教育部は今年2月に学校に配布した現場体験学習マニュアルにはバスについての内容だけが含まれており、大型事故を招いたという非難を受けている。マニュアルにはバス利用時の緊急状況対処法はあるが、船舶や飛行機についての内容はない。

檀園高校側は「移動経路上の事故多発点を含めて旅行前に2回の事前現地調査をする」という規定もまともに守らなかった。キム・ジンミョン校長は「教頭と学年部長が2回現地調査したが、船便ではなく飛行機を利用した」と話した。

教育部は、マニュアルで100人以内の小規模・テーマ型の修学旅行に行くようにとしているが、相当数の学校は学年全体で長距離移動をする観光型の修学旅行を続けている。生徒たちの安全が担保されていない「牛追い式」の行事に、保護者が不安を感じ修学旅行を廃止しようという世論も高まっている。京畿道教育庁は21日以後に予定されていた現場体験学習を全面的に中断・保留するようにした。教育部も来週初め、全国の学校の修学旅行の暫定保留の有無を決める。

韓国生活安全連合のユン・ソンファ代表は「政府部署が生徒の安全管理責任を転嫁することに汲々としている」として「生徒たちの野外体験活動に合わせた安全教育システムが必要だ」と強調した

事故船

乗組員以外の原因として、船舶の改造が挙げられている。

該当船のセウォル号は1994年に日本で建造され、当初、鹿児島県マルエーフェリーが鹿児島-沖縄航路で「フェリーなみのうえ」(全長145メートル、幅22メートル、6586総トン、旅客定員804人)として運行していたもの。長崎県林兼船渠において1994年6月に竣工し、翌7月の定期点検時に建造時の5,997総トンから6,586総トンに改造、マルエーフェリー時代は5階建てで、船底に最も近い1階部分に貨物甲板、2階に乗用車約200台分の車両甲板、3階にレストランや案内所、売店などがあり、客室は3階より上にあった。

2012年10月1日にマルエーフェリーを引退した後、既に就航していた「オハマナ」(元大島運輸フェリーあけぼの(初代)」)の増備用として東京の商社を通じて、韓国の清海鎮海運に売却された。その際、乗組員居住区画のある最上階部分船体後方に客室を増設するなどの改造が施され、重心が日本時代より高くなり、定員数は804人から921人に、総排水量は6,825トンにそれぞれ増加、車両180台、20フィートコンテナ152個を積載可能な船舶として、清海鎮海運は「韓国最大のクルーズ船」と幅広く宣伝、2013年3月15日より「セウォル」として仁川-済州間週2往復の定期運行を開始、定員を活かして団体旅行にも利用されていた。

この改造は違法ではないが、この改造で重心が高くなり、バランスを取るのが難しくなったために転覆した可能性が慶尚大学の教授により指摘されている。これに対してソウル大学の名誉教授が異議を唱えている。

セウォル号には水圧を関知して膨らむ救命ボートが46艘設置されていたが、実際に使われたのは1艘のみであった。

また、李明博政権の2009年に、企業コストを削減するために旅客船の船齢制限を20年から30年に延長するなど、船舶に関する規制緩和が成立しており、これが今回の事故に影響したのではないかと野党新政治民主連合の議員が主張している。

運航会社

船を運行していた清海鎮海運の発表によると、事故当時、セウォル号には大型トレーラー3台など車両180台など2451トン、大型鉄製タンク3基など貨物1157トンが積まれていた。だが、発表内容には疑問がもたれ、聯合ニュースは「最大積載量を超過していた可能性が高い」という。実際に、セウォル号の車両積載限度は150台となっている。船の運航会社は、貨物も含めた総積載量は限度内に収まっていると釈明している。

また、運航会社の清海鎮海運は近年、故障や衝突などの事故を繰り返していることが分かっていて2011年4月にエンジン故障により622名の乗客を乗船させたまま約5時間航行不能となり漂流事故を起こし、2013年3月にも燃料フィルター欠陥によりまた約5時間の漂流事故を起こし、2014年4月には漁船との衝突事故を起こしていて、前述の韓国内での旅客船の船齢制限とも関係するが同社の仁川-済州島間で運航されている僚船「オハマナ」は船齢はもっと古く1989年9月の就航なので約5年古い船となっていて2009年の規制緩和によって制限を延長してもらっている船となる。

韓国の反応

救助活動

韓国政府は、事故後に事故対策本部を設置した。

事故発生から約4時間半後、4月16日の昼には安全行政部や対策本部は「368人が救助され、約100人が安否不明」、修学旅行中だった学校の関係者や京畿道教育庁は「生徒・教師338人が全員救助された」と発表したが、その3時間後には海洋警察が「約300人の安否が依然不明」とするなど、各所で人数に関する情報の錯綜が見られた。

旅客船の航路や救助活動の説明でも訂正が相次いでおり、乗客の家族や関係者は不信感を募らせた。人数の混乱について、海洋警察や民間船舶などの救助者の集計が重複したためと説明したが、朴槿恵大統領は「なんで200人も差が出るのか」と叱咤した。事故から13時間が経過しても、安全行政部海洋水産部海洋警察など関連部処は、旅客船乗船者の名簿さえ確定できなかった。海洋警察は、救出にとって重要な海上クレーンの使用料負担を巡って船舶会社と対立し、出動が遅れるという不手際が発生した。

また、海洋警察は4月16日時点で「船内に酸素を注入している」と乗客の家族に説明していたが、実際にはその時点では設備自体用意できておらず、設備が届いたのは翌17日夕方であり、説明が虚偽であったことについて乗客の家族から激しい抗議を受けた。

現場海域は海水が濁っており、視界は20~30センチメートルとほぼゼロの状態であり、さらに流れが急で漂流物も多く、捜索は難航している。1日に2回の引き潮と満ち潮の境目の時間を中心に、潜水士たちが水中からの接近を試みていたが、17日には船内に入ることはできなかった。事故から2日後の18日午後、船内に入ることに成功し、船内の捜索が始まった。なお、韓国政府は18日午前、潜水士が初めて船内に入ったと説明したが、実際にはこの時点では成功してはおらず、ここでも捜査当局の情報の混乱が見られた。

しかし、新たな生存者の確認はできないまま、19日昼には、海難事故での生存率が大きく低下する目安の72時間が経過した。ある海洋警察当局者は、フランス通信社の記者に「正直な話、生存者発見の可能性はゼロに近いと思う」と漏らしている。

セウォル号への空気注入作業で間違えて一酸化炭素など汚染ガスを送り込んでいた疑い

韓国の旅客船セウォル号沈没事故で、水没した船内の空気だまりに生存者がいると想定し韓国政府の救助チームが行った船内への空気注入作業で、人体に致命的な一酸化炭素など不純物で汚染された工業用圧縮空気を送り込んでいた疑いがあることが6月30日までに分かった。

作業に加わった潜水士の証言を野党新政治民主連合の金賢美国会議員が明らかにした。独立系ニュースサイト「ニュース打破」は、工業用空気を毎分約5立方メートルしか注入できない小型コンプレッサーが使われていたと報じた。

事実なら当局は、行方不明者の生還につながる対応を全く取っていなかったことになる。

各方面への影響

  • 修学旅行を引率し、自らは救助されていた安山檀園高等学校の教頭が、4月18日夕、珍島の山林で遺体で発見された。珍島警察署によると、首をつった跡があったことから、自責の念にかられて自殺を図ったとみられる。所持していた財布からは遺書が見つかっており、「200人の生死が分からないのに、一人だけ生きるのは辛い。自分にすべての責任を負わせてほしい。自分が修学旅行を推進した」など自責の念が記されていた。
  • 各放送局は事故関連のニュースを報じ続け、バラエティー番組を自粛。政府の文化行事や映画関係のイベントも相次ぎ中止になっている。
  • 17日にソウル市内のファジョン体育館で行われた大学バスケットボールリーグ、高麗大学延世大学戦では、両チームの選手たちが試合前に黙祷を行い、試合会場にはセウォル号の乗客の無事を祈るボードが掲げられた。
  • サッカーKリーグでは、4月19、20日に試合を開催する予定のKリーグクラシック(1部リーグ)とKリーグチャレンジ(2部リーグ)の全チームに「過度な応援は自粛してほしい」と呼びかける公文書を発送した。多数の生徒が乗船していた安山檀園高等学校のある安山市を本拠地とするKリーグチャレンジ(2部リーグに相当)・安山警察サッカー団は、2014年4月20日に予定されていたホームゲームを延期した。
  • 地上波3テレビ局とケーブルテレビでは、バラエティ番組、ドラマ、音楽番組などを相次いで放送中止とし、また映画界も4月18日迄に予定されていた全イベントをキャンセルした。
  • 事故後、SNSや、行方不明者の家族の携帯電話電子メールSMSなどに、行方不明の高校生を名乗って救助を求めるメッセージが多数書き込まれた。韓国の警察は、行方不明者の携帯電話の利用記録を照会した結果、事故が起こった16日以降にメッセージが送信された記録がなかったことから、これらは全て行方不明者を装った偽者と発表した。警察は、悪質な悪戯として捜査している。
  • 韓国のニュース専門ケーブルテレビ局「毎日放送」(MBN)は4月18日午前6時、民間潜水士を名乗る女性が「海洋警察が民間潜水士の救助活動を遮断し、適当に時間をつぶしていけと言われた」「潜水士が船内にいる生存者の声を聞いた」と述べたインタビューを現場から生放送したが、それが事実ではない情報、もしくは確認のとれていない情報であったため、同局の報道局長が同日昼のニュースで謝罪した。なお、その自称潜水士の女性については、過去に詐欺事件で捜査を受けたり、芸能人やスポーツ選手について虚偽の内容を流すなどしていたとされており、韓国のスポーツ紙では彼女の素性が詳細に記されるなどしている。

日本の反応

  • 4月16日、日本政府は韓国側に支援を申し出。17日、安倍晋三首相は「被害に遭われた方、家族にお見舞い申し上げたい」と述べ、菅義偉官房長官は同日午前の記者会見で「できる限りの協力を行う用意がある」と韓国側に伝えたと発表した。18日には首相が閣僚懇談会で「韓国から支援要請があれば、対応できるようにしてほしい」と全閣僚に指示、太田国交相は「海上保安庁には特殊救難隊機動救難士という優れた技術を持った部隊がある。韓国側から要請があれば直ちに動ける態勢をとっており、何でも協力したい」とし、事故を起こした旅客船については「日本で1994年に建造され、鹿児島や奄美大島、沖縄で運航し、2012年の10月に韓国に売却されたが、日本では問題は全く生じていない」とした。小野寺防衛相も「自衛隊としても、特に掃海艇やダイバーの派遣など、できる限りの支援を考えております。現在、一番近い場所として、佐世保の掃海艇が2隻、下関の掃海艇が 1隻及び掃海母艦1隻に加え、ダイバー多数を派遣可能な状況にしておりますので、要請があった場合には、私どもとして速やかに対応していきたいと思っております。」と韓国側から要請があれば迅速に対応する構えだったが、韓国の海洋警察庁は「申し出はありがたいが、現在、特段支援を要請する事項はない」と支援を辞退している。
    • なお、4月18日、行方不明者の家族が、日本政府の捜索支援の申し出を韓国側が拒絶したとの噂を韓国海洋警察幹部に質問し、騒然となった。幹部は「初めて聞いた。確認してお答えする」と回答した。
  • 4月20日にソウル特別市広津区にあるUNIQLO-AXで公演予定だったPerfumeの「Perfume FES!! 2014」韓国公演は、この事故に伴い自粛となった。
  • 4月18日、博多港から釜山港への高速船「ビートル」を運航するJR九州高速船は高速船の予約をしていた日本国内3団体90人の渡航キャンセルがあったことを明らかにしている。5月3日に釜山広域市行われる予定だった朝鮮通信使を再現するイベントがこの事故のために中止になり、団体が参加できなくなったためである。
  • 4月18日、京畿道教育庁によって、行方不明となった修学旅行生の中に、日本人の母を持つ韓国国籍の女生徒がいることが明らかにされ、日本でも報じられた。
  • 4月17日、この事故を受けて国土交通省は、日本国内の旅客船会社約450社に対して、非常時の脱出手順の確認を求める通達を出した。

4月24日。この日放送予定だったポケモンアニメの内容差し替えになった。沈没船が登場する為

韓国・日本以外の国々の反応

  • 韓国政府当局は事故当初、乗員、乗客の計算ミスや救出者数の集計ミスを行って、一時、修学旅行の学生全員救出を発表したり、情報が錯綜し現場や被害者家族を混乱させ、横転後の救出作業も現場海域の悪天候や装備の不足なども重なり殆ど手が出せない状況が続き被害者家族などから不満が噴出しているが当局は18日までに日本やアメリカ、中国、オーストラリア、シンガポール、国連、欧州連合(EU)など33の国や国際機関が哀悼の意を示し、行方不明者の捜索などに協力する意向を表明しているが韓国外交部は「各国の好意に非常に感謝している。援助が必要になった場合は関係部門と検討した上で、これらの国と相談する」とし救援の申し出は辞退する意向を発表している。
  • 16日、アメリカ海軍太平洋艦隊司令部は黄海で活動中だった佐世保港を母港とする強襲揚陸艦USSボノム・リシャール (LHD-6)」を救助のために現場海域へ向かわせ17日から活動予定と発表。しかし、ボノム・リシャール艦から派遣された救助ヘリコプターは韓国海軍の承認を得られなかったため、救助に参加できなかった。バラク・オバマ大統領は、お悔やみとお見舞いの言葉を述べた。
  • 客船沈没について深く哀悼の意と発表した。中国外務省のスポークスマンもこれに対して哀悼の意を伝える一方で、自国の国民の2人乗船の事実が確認されるだけに自国の国民の救助も呼びかけた。習近平国家主席李克強首相は、朴槿恵大統領にお悔やみの電文を送った。
  • 客船沈没の哀悼と発表した。ウィリアム・ヘイグ外相は声明の中で哀悼の意を伝え、可能なすべての支援を惜しまないとも述べた。
  • 17日、「今回の悲劇を受けたすべての人々のために神の慰めと平和の恵みを切に望む」と慰労の意を伝えた。その他、オランダシンガポール国際連合国際移住機関など、33の国や国際機関が哀悼の意を表明し、必要な支援を申し出た。

朴政権に打撃深刻…各紙「三流国家」「じたばた政府」批判

300人を超す死者・行方不明者を出した韓国・珍島沖の旅客船沈没事故が社会の安全重視を掲げている朴槿恵政権に打撃を与えている。韓国各紙は「韓国は『三流国家』だった」「国民が不信の烙印を押した“じたばた政府”」などの見出しを掲げた記事を相次いで掲載、政権の対応を批判している。

韓国紙、朝鮮日報は、「国民は政府関係者の事故対応能力がいかに低レベルかを改めて知った」などとし、朴政権が日本の総務省に近い役割とされる「行政安全省」を国民の安全が最優先との方針から「安全行政省」に変更したにもかかわらず、「このざまだ」と批判した。

発表内容の相次ぐ訂正も不信を買っている。乗船者数の把握には3日ほどかかり、船内にダイバーがまだ進入できていなかった18日には「船内で捜索を始めた」と発表、数時間後に撤回した。

韓国メディアによると、政府への不信感を募らせた安否不明者の家族らの一部が、「朴槿恵大統領に責任を問う」として、抗議のためソウルの大統領府(青瓦台)行きを決行。道路を封鎖するなどした警察と対峙する事態となった。

バスで移動することを阻止されたため、家族らは20日午前1時半ごろ待機所となっている珍島室内体育館を徒歩で出発。騒動を収束するため鄭●(=火へんに共)原(チョン・ホンウォン)首相が現場に出向き、説得を試みた。

家族らに取り囲まれる中、首相は「罪人になった気分だ」としながら、「これまで出たすべての方法を検討して用いる」と述べると、家族らは「すべて嘘だ」「同じことばかり繰り返している」と反発を強めた。

鄭首相は今回の事故でソウルと現場を度々往復しており、政府の異例の対応ぶりがうかがえる。

韓国では大規模災害時の対応や処理などにあたって、時の政権が直接、世論の批判にさらされることが多い。1990年代に大統領を務めた金泳三氏は、500人以上が死亡したソウル市内の百貨店崩壊事故など在任中に相次いだ大事故の記憶と結びつけられ、韓国民の間での人気は今も低いままとされる。

折しも、韓国政府は25日からのオバマ米大統領訪韓を控え、ソウル市内での警戒を強め、反政府デモや政治的な騒動に神経をとがらせている。

朴大統領はオバマ大統領との米韓首脳会談など、重要な外交日程をこなす一方で、事故の対応にも万全を尽くすことが求められている。

関連項目