鄭明析
鄭 明析(チョン・ミョンソク、Jeung Myung Seok、1945年2月17日 - )は、韓国の宗教家。宗教団体「摂理」の教祖。 性的暴行を受けたと告発する女性信者が多数出てきたことで社会問題となりつつある。2001年6月、韓国での女性信者に対する強姦容疑などで国際指名手配されて以降、海外逃亡を続けていたが2007年5月11日、中国で捜査当局に婦女暴行の容疑で逮捕。2008年1月11日、韓国大法院(最高裁判所)において慰謝料約700万円の支払いが確定した。 2009年4月23日、韓国大法院が鄭明析の上告を棄却し、懲役10年の高等法院判決を確定。
概略[編集]
鄭明析の子供の頃は家計が苦しかったようで、兄の鄭インスク牧師(Jeung In Suk、河南中央聖潔教会担任)によれば、 明析の上の二人の兄は 高校を出たが、明析は小学校教育しか受けていないそうである。
鄭明析は若い頃、ベトナム戦争に二度、従軍した経験を持つ。実兄の話によれば、それまでは普通だった弟がこのベトナム戦争から帰った後からおかしくなったと言う。どのように変わったかは語りたくないと口を閉ざした。
30歳過ぎに帰郷、「統一教会」(統一協会)に入信し、統一教会系の政治団体、国際勝共連合の講師となるが、素行に問題ありとして除名になったという。(ただし、日本の統一教会は講師になった事実そのものを否定している。)
1980年2月頃(但し「摂理」では1978年6月1日設立と主張している)にソウルでキリスト教・プロテスタント系新興宗教団体「愛天教会」を立ち上げる。同教会は後に「ジーザス・モーニングスター」(Jesus Morning Star、JMS。「JMS」は教祖のイニシャルでもある)ないし「モーニングスター」(MS)などと改名を繰り返し、韓国本国では「国際クリスチャン連合」という名称で登録しており、現在は「基督教福音宣教会」(CGM)と呼ばれている。日本においては、「摂理」ないし「摂理教会」と名乗っている。
韓国のみならず、台湾・香港・中国・日本・マレーシア・イタリア・アメリカなど、世界中に推計1万5000人の信者を擁しているとされる。また国際手配後も信者は増えているという。
1999年3月20日、韓国のテレビのドキュメンタリー番組で、多くの女性信者に対して性的暴行を行っていたことが脱会者と支援団体によって暴露され、刑事告訴を受けた直後に国外へ逃亡した。
2001年6月、強姦容疑などで国際刑事警察機構(ICPO)を通じて国際指名手配されている。以降、イタリアや中国、台湾などを転々と逃亡していると言われる。2005年、香港で不法滞在容疑で逮捕されたが、保釈金を積んで釈放された後に海外へ逃亡。2006年春までは中国東北部に潜伏していたことが確認されている。その後、2007年5月11日に中国・北京市内で鄭明析とみられる男性が公安当局に身柄を拘束され、取り調べを受けていることが判明。韓国の捜査当局は身元確認を受けて中国政府に鄭明析の身柄引き渡しを要求し、2008年1月にソウルへ移送された。
日本の女性信者に対しても性的暴行を行ったとの被害者からの告発が相次いでいる。大学生を中心に約2000人いるとされる日本人信者のうち性的暴行の被害者は、脱会を支援している渡辺博弁護士に名乗り出ているだけでも5人(2006年7月29日時点)いる。 韓国の脱会支援団体「EXODUS」(エクソダス)によると、性的被害者は韓国人が1万人以上、日本人も100人以上いるという。
統一教会(統一協会)との関係[編集]
マスコミ等で、教えや活動の類似性がしばしば指摘されているが、「統一教会」(統一協会)は「当法人からではなく、一般キリスト教の影響をより強く受けている人物であることは明らかです。」などと、各社に再三の抗議・謝罪・訂正要求を行っている。
- 「摂理」では、教祖は霊界で、「統一教会」(統一協会)の文鮮明と共にイエス・キリストから学んでいたが、最後に残ったのが鄭明析だと教えていたという。
- 鄭明析は 側近たちに、1975年度に文鮮明の 使命は終わり、1978年から自分の使命が始まったと語ったという。
- 1981年頃「統一教会」(統一協会)が大学布教団体を装った ICSA(International Cristian Student Association)という団体を 作ろうとする時 JMS(「摂理」)を主軸としようとしたが、鄭明析が管理する団体ということが知られて、その話は無くなった。
来歴[編集]
- 1945年
- 1951年6歳にして神を求めたという。
- 1955年小学校4年のときに、葬式を出している家で、遺体を洗って埋葬するのを目の当たりにして、人生の虚無を悟ったという。
- 1966年(21歳)
- 軍隊に入り、ベトナム戦争に2度従軍する。
- 1969年(24歳)
- 9月 軍役を終え、故郷で過す。
- 年代不詳
- 1975年(30歳)
- 1977年(32歳)
- 1979年(34歳)
- 韓国での文鮮明の指導者への修練会に参加。
- 1980年(35歳)
- 1982年(37歳)
- 「MS宣教会」を設立。
- 1983年(36歳)
- 1985年(38歳)
- 「ウェスレー神学院」を開設。
- 日本に宣教師を送り、関東の大学生を中心に伝道し始める。
- 1990年代中盤(45歳)
- 自らの弟3人を、「随行員」、「秘書」、「運転手」として教団に引き入れる。
- 1997年(52歳)
- “富平事件”仁川広域市の富平洞(プピョンドン)の教会を受け持っていた牧師が、3~4人の女性信者と密かに男女関係を持っていたことが発覚。鄭明析はその牧師を月明洞(ウォルミョンドン)の本部に呼び、1週間の断食祈祷を命じた。
- 1998年(53歳)
- 10月 父、鄭Palsungが他界。
- 1999年(54歳)
- 2001年(56歳)
- 2002年(57歳)
- 2003年(58歳)
- 2006年
- 3月から4月にかけて 中国東北部の遼寧省鞍山(アンシャン)近郊に数名の幹部と共に潜伏していたことが確認される。
- 4月 鞍山の別荘から脱出した女性信者2名が、韓国の週刊誌に鄭明析の性的暴行を告発。
- 2007年
- 5月 中国・北京市内で公安当局に身柄を拘束される。韓国の捜査当局は中国政府に身柄の引き渡しを要求。
- 2008年
- 1月 中国国務院が鄭明析の身柄の引き渡しを正式決定。
- 2月 韓国に送還され、ソウル拘置所に収容される。マレーシア、中国、香港の女性信者5名に対する強姦致傷の罪で韓国検察により起訴される。
性的暴行の実態[編集]
- 性的被害にあった女性のほとんどは、165センチ以上の長身で、色白で、スタイルのよい女性であり、処女を特に好んだという。
- 不審がられないで、上記のような、鄭明析の好みの女性を集めるのが、「モデル部」や「チアリーダー部」であったと言われる。
- 「摂理」の幹部が作成した美人信者の写真やプロフィール等を記したファイルを鄭明析が見て、自分の所に呼び寄せる女性を指名するという。幹部が教祖が個別面談をしてくれるからとか、鄭明析が自ら女性に連絡することもあるという。
- 性的関係を持ったことを口外されないために、女性幹部は「選ばれた人だけに行う行為だが、誤解する人もいるから」とか、「健康チェックをして下さった」などと説明したりしたという。また鄭明析から口止め料を渡された女性もいた。
- 女性を石膏の風呂に入れて型を取り、好みのポーズをした等身大のブロンズ像を作っていた。
- 鄭明析は「寝床を共にした女子でなければ 信じない」と側近に語っていたという。それは関係を持った女性信者に側近や信者の動きなど偵察しては報告させる「報告者」として組織管理のために活用していたという見方もある。
- 鄭明析は避妊具を着けずに乱交するため、鄭との集団セックスで性病を移された信者が多数いるといい、産科医の元信者は3人を堕胎したと証言した。
- 中学生、小学生まで暴行していたこと言われ、幼い信者を入信させるように指示していたという。
- グループセックスには最大100人の女性信者が参加。「1列に並ばせて、後ろから攻めたりする」(関係者)という。男性は鄭明析1人だけ。時間は最長で5、6時間にも及ぶという。
- 女性を性的に苦しめることに執着。苦痛を与えながら、その苦しんでいるところを喜んで見ている。地下の部屋には女性を拷問する道具があり、なかには、男性の性器に似せた剣のような棒もあるという。
外部リンク[編集]
- 摂理の公式サイト日本の摂理教団サイト。
- 摂理問題まとめサイト 摂理についてまとめたサイト。
- 第4回マインドコントロール研究会より『「摂理」について』(「摂理」の概要)
- JMSの裏(韓国の反JMSサイト「(Anti JMS.or.k.r」の資料の一部の日本語訳を掲載。)
- カルト・セクト・宗教情報センター(川島堅二牧師(恵泉女学園大学教授)による「摂理」解説及び脱会支援サイト)
- 「庭野めぐみ教会」内「宗教問題研究会」(「摂理」などのカルト教団からの脱会相談に応じる牧師のWebサイト)
- S-tation~途中下車のススメ~(鄭 明析から性的被害に遭った元信者による脱会支援サイト)
- 日本宗教問題研究所 日本キリスト改革派教会による「30講論」(「摂理」)と「統一教会」からの救出を目的とするサイト
- ANTIJMS.OR.KR(韓国語)韓国の元信者が中心の反「摂理」団体「EXODUS」によるサイト。
- 摂理のポータルサイト日本の摂理信者が運営しているポータルサイト。