極悪 (暴走族)

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極悪」(ごくあく)は日本の暴走族。シンボルマークは「日の丸」。

概要[編集]

1973年、東京築地・月島が発祥。東京の下町地区を中心に支部があった。国士舘高校に通う不良少年が集まって結成された、硬派(武闘派)といわれる暴走族の先駆けである。なおチーム名は若山富三郎主演の映画『極悪坊主』から取られている。

これまでの暴走族は頻繁に抗争を起こしていたものの、バイクで走り回ることが目的の集団であったが「極悪」は抗争自体を目的としていた点が一線を画す。時には「極悪」の支部同士が抗争になることもあった。「走る暴力団」「暴走族狩り専門の暴走族」とも称され、バイクに乗ることは少なく、トラックの荷台に乗り大音響で軍歌を流しながら街を爆走する。または、暴走族や不良少年に喧嘩を売りながら、繁華街を練り歩いていた。

「極悪」の登場によって日本の暴走族のスタイルが大きく変貌した。「暴走族」という言葉が生まれたのも「極悪」がきっかけである(それ以前は「狂走族」や「凶走族」と呼ばれていた)。右翼スタイルを逆輸入し、日の丸や日章旗などの刺繍を入れた戦闘服(特攻服の原型)を身に纏って活動し、チーム名には古風な漢字を付けるなど、後の一般的な暴走族のイメージを作り上げたのも「極悪」である。

「極悪」に対抗するために各地の暴走族のスタイルも右翼化、愚連隊化した。リーゼントや長髪も多かった髪型が、坊主頭やニグロ、アイパーなどの短髪になり、服装もジーンズや革ジャンなどから特攻服と変貌。チーム名も「スペクター」→「寿辺苦絶悪」、「ブラックエンペラー」→「黒皇帝」、「アーリー・キャッツ」→「阿李猫達」などの難解な漢字の当て字を使用するようになった。その結果、暴走族はさらに凶悪化し、抗争は激化の一途を辿ることになる。たまりかねた警察は1977年(昭和52年)に、日常的に暴力事件を起こす暴走族グループ「凶悪7団体」として、「スペクター」「ブラックエンペラー」「マッドスペシャル」「キラー連合」「ルート20」「ZERO」らと共に「極悪」を広域指定暴走族と発表し、厳しい取り締まりの対象とした。

元々少数精鋭を謳い、チームの規模は小さかったが80年代前半に後継者不足のため自然消滅した。

大井埠頭乱闘事件[編集]

1977年(昭和52年)9月18日午前2時ごろ、品川区東品川にある大井埠頭の中央陸橋近に集まっていたCRS連合の暴走族「スペクター」のメンバー約1300人(バイク220台、乗用車280台)に対し、極悪グループ約100人(トラック2台、乗用車4台、バイク25台)が大井競馬場方面から軍艦マーチを鳴り響かせながら突然殴りこみをかけてきた。日本刀や角材を振り回して突撃する極悪に不意を突かれて混乱したCRS連合側だったが、相手がごく少数であることを見極めると猛然と反撃に出て押し返した。極悪側は散り散りになって一旦は逃げだすも、40分後に態勢を整えて再び襲撃を仕掛ける。最終的に車18台が破壊され、機動隊300人が出動、4人が逮捕される大騒動になった。

この乱闘事件は数が劣る極悪の敗北に終わるものの、全国的なニュースになったことで、大多数の相手にも引かない武闘派集団として一気に極悪の知名度を上げることとなった。