川内博史
川内 博史(かわうち ひろし、本名川内 博、1961年11月2日 - )は、日本の政治家。民主党所属の衆議院議員(5期)。
鹿児島県鹿児島市生まれ、早稲田大学政治経済学部出身。前職は大和銀行行員。
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来歴[編集]
鹿児島市出身。趣味は社交ダンス。ラ・サール中学校・高等学校、早稲田大学政治経済学部経済学科卒業。大学在学中は雄弁会に所属。卒業後、大和銀行に就職。1988年、株式会社大月ホテル取締役に就任。
1993年の第40回衆議院議員総選挙に旧鹿児島県第1区から日本新党公認で出馬したが、落選。その後、新党さきがけを経て1996年の第41回衆議院議員総選挙では民主党公認で鹿児島県第1区から出馬したが、自由民主党の保岡興治に敗れ、重複立候補していた比例九州ブロックで復活し、初当選する。2005年の第44回衆議院議員総選挙でも再び保岡に敗北し、2度目の比例復活により再選。2009年の第45回衆議院議員総選挙では鹿児島1区で初めて保岡を破り、小選挙区で初当選を果たした。総選挙後、衆議院国土交通委員長に就任。
政治的主張[編集]
ガソリン値下げ隊[編集]
2008年1月、福田康夫内閣がガソリン税の暫定税率を10年間延長しようとすると、川内は暫定税率の廃止を求める民主党の若手議員を集めて「ガソリン値下げ隊」を結成。第169回国会では、プラカードを国会の廊下に掲げるピケ戦術を展開したり、笹川堯衆議院議院運営委員長を委員長室に閉じ込めたり、河野洋平衆議院議長を議長室に閉じ込めるなど審議の開始を阻止したため暫定税率の手続きが遅れ、ガソリン税などの暫定税率が1カ月間失効した。
2009年、ガソリン税の暫定税率廃止の公約を掲げた鳩山由紀夫内閣は、麻生内閣が2011年度に予定していた税制抜本改革でガソリン税など税制を簡素化して国民の負担を軽減させる方針を撤回し、「暫定税率の枠組みは廃止するが、当分の間は現行税率を維持する」方針を発表した。2010年1月、テレビ番組に出演した川内は「(ガソリン税の暫定税率分の減税を)2010年4月から実現できなかった事に関しては謝罪したい」「暫定税率についてはちゃんと税制改正大綱の中に“当分の間”という言葉を入れている」「当分の間と言うのは温暖化対策税の議論をしっかりして“温暖化対策税を導入した場合に当分の間が外れると”いう主旨」「(ガソリン税の減税は)あきらめていない、絶対にやります」「まだ嘘ついたかどうか分からない。4年間見てください」などと答えた(2010年1月11日放送の「ビートたけしのTVタックル」)が、2010年5月11日、民主党はガソリン税など暫定税率廃止の公約を正式に削除した。2010年8月、民主党の代表選では、暫定税率廃止の撤回を推進した小沢一郎を支持することを表明する。
奄美版マニフェスト[編集]
2009年8月15日、2009年衆議院総選挙において、「奄美版マニフェスト」を発表した。内容は改正奄美群島振興開発特別措置法について、「絶対に減らさない」と事業規模を維持したまま交付金制度を新設。また離島のガソリン料金54円引き下げや、離島航空運賃の大幅値下げ、若者流出を防ぐための国立大学・研究所設置、ブロードバンド100%の島づくりなどを盛り込んだ。さらに民主党が唱える農業者戸別所得補償制度の対象にサトウキビを入れることなど、7項目を掲げた。群島内の消費税減免についても今後県連として要望するというものであった。その発表の席には、赤松広隆元農水大臣も同席していた。一方、本マニフェストに対して北澤防衛大臣は、2010年4月20日の参議院外務防衛委員会にて「誰がそんなこといって、誰がそんなウソを言ったのか、私にはまったく解らない」と述べた。
2010年4月20日、川内が会長である民主党鹿児島県連が昨年夏の衆院選で示した「奄美版マニフェスト」がまったく守られてないことに対して、自身が委員長を務める国土交通委員会にて、自民党の徳田毅議員から「委員長がウソをついたんですよ」と激しい追及をうけたが「交付金は鹿児島県が申請する。県がつくる社会資本整備総合計画の中で、奄美の公共事業をどう位置づけるか。それを国交省が判断すると理解している」と答弁した。この事に付いて鹿児島県は「県全体計画で見るとしても予算の大枠は変わらない。奄美に予算を回すには他の分を削ることになり、それは難しいのではないか」とコメントしている。
北朝鮮との対話を推進[編集]
2008年2月、北朝鮮との国交正常化実現を促す議員連盟「朝鮮半島問題研究会」の立ち上げに参加。北朝鮮に強硬な姿勢を取っている超党派の「拉致救出議連」とは一線を画し、直接対話友好を進めていくことを表明した。川内は第47回護憲大会で「現在それぞれの国同士が、理解し信頼しきっていない状況のなかでは、平和・信頼は作れない。各国が交流し連帯感を作り、それぞれ情報を公開することが必要である」と東アジア情勢についての展望を語っている。
普天間基地問題[編集]
普天間基地問題について、2010年5月5日放送のワイド!スクランブルで、鳩山由紀夫首相の「当時、沖縄の海兵隊が直接的な抑止力として存在しなければならない理由はないと思っていたが、学べば学ぶにつけて海兵隊のみならず沖縄に存在する米軍全体がパッケージとして連携し、抑止力が維持できるという思いに至った」の発言に対して、外務省や防衛省の官僚がただ信じこまされており、鳩山首相の本心は国外にあるとコメントした。
その後、2010年5月に政府が辺野古移設案への回帰を正式に決定し、日米共同声明が出された後も、政府方針に反して国外移設を模索。8月には国会議員20人を引き連れて沖縄訪問し、共同声明の撤回を求めるとともに、9月の代表選での争点化を狙うという。訪沖を前に、「米側は、日本側がグアムなどへの移設を持ち掛けるのを待っているのではないか」と、アメリカの本音はグアム移転であるとの見解を示した。
2010年5月28日、市民団体の主催する「許すな!普天間問題の日米合意 とめるぞ!辺野古新基地建設 5・28緊急集会」に参加。「岡田外相も北澤防衛相も国外移設を検討しなかった。政府方針の中に『国外移設』を明記せよ」と語った。
川内は「沖縄等米軍基地問題議員懇談会」を結成し、会長に就任。普天間飛行場を将来的に国外・県外に移設することを実現するため、連立与党・政府の基本方針の策定を求めて、与党内議員182人の署名を集め当時の鳩山首相に提出した。
小沢一郎擁護[編集]
- 2009年3月に小沢一郎の公設第一秘書が西松建設からの政治資金規正法違反容疑で逮捕されると「小沢さんほど法令に従って処理する原理原則を重んじる人はいないはずだ」とコメントした。
- 検察審査会において起訴相当とされた小沢の政治資金規正法違反事件に関して、「無罪と分かっていて起訴するなら弁護司法違反の疑いが出てくる」と述べた。
その他[編集]
- 2000年にバトル・ロワイアルが上映された際、当時同じ党派だった石井紘基らが青少年への悪影響論を根拠にこの映画の規制を求めたのに対し、中村哲治ら若手議員と共に「子どもたちにこそ見せる映画」であると発言。監督を務めた深作欣二を擁護した。
- 2003年、静岡空港建設反対の国会議員署名活動で署名者に加わっている。2006年のPSE問題では、問題追及の中心となり国会質疑等を中心に活動している。
- 2004年のレコード輸入権問題で反対し、ホームエンタテイメント議員連盟を設立して事務局長となる。著作権の保護期間の延長に反対する請願署名の紹介議員として名を連ねたり、違法サイトからの着うた・mp3音源やYouTube・ニコニコ動画など動画サイトからテレビアニメ・バラエティ番組などのダウンロード違法化にも反対している。2009年3月10日にダウンロード違法化を含む著作権法改正案を、閣議決定後の3月18日、法案に関する質問主意書を提出した。
家族・親族[編集]
- 義祖父:山田弥一(1906年 - 1978年) - 元衆議院議員、運輸政務次官、全国旅館生活衛生同業組合連合会(全旅連)会長。資料により「祖父」と記載されているため「母方の祖父」のように誤読される場合もあるが、実際は「妻の祖父=義祖父」である。また、山田がかつて地盤としていたのは静岡県熱海市周辺(現在の静岡県第6区)であり、地盤の継承関係は存在しない。
逸話[編集]
2007年の第166回国会では、30回の質問で議事録の発言文字数が22万3907文字と全衆議院議員中第2位、民主党では第1位であった。
所属議員連盟[編集]
脚注[編集]
関連項目[編集]
議会 | ||
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先代: | 衆議院国土交通委員長 2009 - 2010
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次代: |