岡本清一
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岡本 清一(おかもと せいいち)は、同志社大学の政治学か何かの教授[1]。
1940年1月6日、尾崎陞、川崎堅雄らと日本建設協会を設立した[2]。
同年2月末から3月初旬に、新宿のモナミや六本木の出雲大社の分社で、日高輝忠、内山若枝、妹尾義郎らと会合して、日高・内山らが結成しようとしていた新団体(皇道翼賛青年聯盟?)への日本建設協会の合流について話し合っていた[3]。
公安調査庁 (1965 )によると、同年夏頃、岡本や小島玄之は、尾崎・川崎らと意見が合わず、事実上、脱会状態となったという。
付録[編集]
脚注[編集]
参考文献[編集]
- 三戸 (1999) 三戸信人(述)吉田健二(記)「証言 日本の社会運動 産別民同がめざしたもの (1) 三戸信人氏に聞く」法政大学大原社会問題研究所『大原社会問題研究所雑誌』No.489、1999年8月、pp.57-70
- 妹尾 (1974e) 妹尾鉄太郎・稲垣真美(編)『妹尾義郎日記 第5巻』国書刊行会、NCID BN01797570
- 公安調査庁 (1965) 公安調査庁「日本建設協会」『戦前における右翼団体の状況 下巻 その1』pp.288-290、NDLJP 3032347/155