尾崎陞
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尾崎 陞(おざき すすむ)は、戦前、“赤い裁判官”として有名だった人物[1]。のち転向して、1938年11月に緋田工、川崎堅雄らと日本国体研究所を設立、1940年1月に川崎や岡本清一らと翼賛団体・日本建設協会を創立した[2][1]。
1940年8月下旬に、5.15事件の関係者・三上卓を中心として結成された皇道翼賛青年聯盟準備会に、川崎とともに役員として加盟した[2]。
付録[編集]
脚注[編集]
参考文献[編集]
- 三戸 (1999) 三戸信人(述)吉田健二(記)「証言 日本の社会運動 産別民同がめざしたもの (1) 三戸信人氏に聞く」法政大学大原社会問題研究所『大原社会問題研究所雑誌』No.489、1999年8月、pp.57-70
- 公安調査庁 (1965) 公安調査庁「日本建設協会」『戦前における右翼団体の状況 下巻 その1』pp.288-290、NDLJP 3032347/155