姫井由美子

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姫井 由美子(ひめい ゆみこ、1959年2月14日 - )は、民主党の政治家参議院議員(1期)。

経歴[編集]

岡山県岡山市中区出身。岡山県立岡山操山高等学校卒。岡山大学法文学部第二部を経て、岡山大学大学院法学研究科修了。1982年に司法書士試験合格、父の後を継いで司法書士・行政書士事務所を開業する。全国青年司法書士協議会副会長、岡山青年会議所常任理事などを歴任する。

1999年、民主党公認候補として岡山県議会議員選挙(旧岡山市第1選挙区選出)に出馬し、当選。以後連続2期を務めた。その間、民主党岡山県連の副幹事長などを務める。

2006年12月に参議院選挙立候補を表明し、2007年の第21回参議院議員通常選挙において、自民党前職で自民党参議院幹事長の片山虎之助を破り初当選を果たす。選挙運動の際に「姫の虎退治」をキャッチフレーズに活動し、初当選後は今回の参院選の象徴区とされた。

2008年8月28日、渡辺秀央大江康弘ら共に新党・改革クラブ(現・新党改革)の結成に参加する意向を明らかにし、その日の昼に民主党に離党届を提出した。しかし、菅直人らの説得を受け翌日にすぐさま翻意した。その後、記者会見にて今後も民主党員として頑張る旨の報告をした。この離党騒ぎは、不倫スキャンダルや自著出版騒動などで民主党内に居場所がなくなっていたためとされる。県連とのしこりは大きく残ったが、菅や岡山選出の江田五月参院議長のとりなしで事なきを得る。尚、菅の本籍は元々岡山であり、妻(旧姓は姫井)の出身地でもある。

2009年12月、小沢訪中団の一員として北京を訪れる。

2011年3月、東北地方太平洋沖地震の際に配給された非常食を笑顔で手にする写真をブログに掲載し、これが不謹慎だとして批判を受けた。なお、該当記事はまもなく削除された。

2011年4月14日、東日本大震災の復興補正予算が議論される中、復興予算捻出のためのODA削減案に反対する超党派連合のメンバーとして名を連ねる。

家族[編集]

夫がおり、一男一女の母。

不倫・有印私文書偽造行使事件[編集]

週刊文春2007年9月6日号で、かつて姫井と不倫関係にあった元高校教師が、交際時の2ショット写真やエピソードを暴露し、姫井が2006年3月に岡山市で飲食店を開店する際のトラブルについても語った。

2007年10月、飲食店開業の際上記の元高校教師の母親の名義を無断で使って営業許可申請していたとして、元高校教師親子から有印私文書偽造・同行使の容疑で刑事告発されたが、姫井側は合意の上だったとして、この容疑を否定した。2008年12月24日に岡山地方検察庁は、飲食店開店の際の有印私文書偽造と同行使、参議院選挙での詐欺の疑いについて、いずれも嫌疑不十分と判断して姫井を不起訴処分とした。その一方で、元高校教師は、2007年12月に飲食店経営をめぐる契約違反などを理由として、総額6,000万円を要求する民事訴訟を起こしている。

民主党・姫井議員に「ぶってぶって」とせがまれた元教諭、不倫解雇に有効の判決[編集]

姫井由美子参院議員との不倫などを理由に解雇された岡山市の私立学校元教諭(46)が、学校側に従業員としての地位確認などを求めた訴訟の控訴審判決で、広島高裁岡山支部は2012年3月22日、解雇無効とした一審判決を変更し、解雇は有効とした。

判決理由で片野悟好裁判長は「不倫関係で学校の社会的評価を低下させかねず、教職員の適格性判断に影響する」と指摘、解雇は合理的理由に基づくと判断した。一方、学校側に未払いの時間外手当など約1500万円の支払いを命じた。

一審判決は 「解雇理由が教職員としての資質に欠けるものとはいえない」として解雇されていなかった場合に支払われた賃金分など約4000万円の賠償を学校側に命じていた。判決によると、男性は関西学園(岡山市)が運営する中・高校に勤務。2007年4月、休職処分とされ、さらに同年7月、解雇された。

詐欺事件[編集]

2007年11月、同年の参議院選挙の際、選挙ポスターの制作費と選挙カーの燃料費を水増し請求したとして、市民オンブズマンから詐欺罪告発を受けた。これらの問題への対応が不十分として、民主党岡山県連は2007年11月11日に姫井を厳重注意処分とし、姫井は県連副代表を辞任した。

いまだ尾を引く「ぶってぶって」公認上申見送り(2012年6月)[編集]

民主党岡山県総支部連合会が、次期参議院選挙で現職の姫井由美子議員(53)を公認候補として党本部に申請しないことを決めた。

姫井議員は「相談もできなかった」「一方的な発表」として決定を批判している。過去のスキャンダルなどで崩れた、有権者や県連との信頼関係は回復できないのだろうか。

不倫スキャンダルで「信頼回復にはまだ非常に大きな壁」[編集]

岡山県連は2012年6月10日の常任幹事会で、姫井議員を2013年夏の参議院選挙で党本部に公認を上申しない方針を決めた。姫井議員の不倫をめぐる週刊誌報道などを受けたもので、姫井議員を除く常任幹事会のメンバーの全員一致で決まったという。柚木道義代表は「残念ながら、この参議院の1議席における県民の皆さんの信頼回復には、非常に大きな大きなまだ壁があって、乗り越えることができなかった」と話した。

姫井議員は1999年民主党公認候補として岡山県議会議員選挙に出馬し当選した。その後2007年の参議院議員通常選挙で、「姫の虎退治」をキャッチフレーズに選挙活動し、見事自民党片山虎之助氏を破り初当選を果たした。

しかし2007年8月、元高校教諭との不倫スキャンダルが報じられる。姫井議員は既婚で一男一女の母だが、元教諭と頻繁にラブホテルで密会し、「彼女はかなりのMで『ぶって、ぶって』とよくせがまれた」などと性生活を暴露されてしまった。それ以来「ぶって姫」と呼ばれるようになるほど、このスキャンダルは大きなインパクトを与えた。

しかしこのスキャンダルのイメージが強すぎるためか、インターネット上では「まだ議員だったことに驚き」「何か仕事してんの?ぶってぶっての件以降見かけねーぞ」などと言われている。現職の議員ということもあまり知られていない寂しい状況だった。

「希望は捨てていない。変わらず政治活動頑張る」[編集]

姫井議員は県連の決定について自身のブログで説明している。県連が4月29日に「次期選挙は姫井以外で行く」と話し合っていた。それを受けて6月3日に常任幹事会で決定したいと代表から言われたが、姫井議員は6月2~3日で東日本大震災復興応援ツアーを企画していたため、不在の中での決定は避けてほしい、今後の政治家としての進退に関わる重大な問題であるため支援者に相談する時間がほしいと要望したという。

しかし6月10日に上申見送りの発表があり、「一方的であり、私自身も困惑しているところ」と主張する。「私は、現役の民主党国会議員であり、今まで同様これからも政治家として岡山県の皆様のために頑張っていく決意に変わりはありません。『政治は生活』『国民の生活が第一』をモットーにこれからも頑張ってまいりますので、何とぞ、ご理解よろしくお願いいたします」との考えを述べた。

とは言え公認が得られぬまま出馬しても、厳しい戦いが待っている。姫井議員はどんな心境なのか、県連の発表に対する岡山事務所での説明を終えた議員に話を聞いた。

姫井議員は公認上申見送りの理由について、県連から「支持率が低く、参院選で勝てる可能性が低い。当選後に色々なことがあり、信頼回復ができていない」と説明されたという。しかし県連はまだ新たな候補者を見つけておらず、党本部も了承したわけではないので希望は捨てていないという。支持率を増やすべく、岡山を中心に変わらず政治活動を続けていくと話した。

落選後も”前議員バッジ”で国会出入り(2013年2月)[編集]

「政党の名前が変わったというのが、『日本維新の会』とか『みんなの党』に比べて票が伸びなかった原因かもしれませんね。千葉に行ってポスターなどの注文を出す直前に党名が変わりましたからね。それまで『国民の生活が第一』と演説していたのが、翌日から急に『日本未来の党』ですって。私も言い間違えて『みんなの党』とか『みどりの党』とか言っていましたよ(笑)」

千葉8区から出馬した姫井由美子前議員(53)は、自身の敗因をこう分析した。もともと参院の岡山選挙区から衆院へのくら替え。さらに民主党を離党しての出馬だった。姫井前議員は、今回の選挙を振り返り、自分たちが小沢一郎元代表たちと一緒に民主党を離党しなければならなくなったのも、その民主党が惨敗した責任も野田佳彦前首相にあると指摘する。

「やはり野田前首相にいちばん文句を言いたいのは解散の時期ですね。総理は唯一解散権を持っている人なので、もっと自分たちに有利な時期を選べたはずです。新党をつぶすとか、離党した私たちをつぶすとかいうよりも、仲間をたくさん当選させることを考えるべきでした」

そう語る姫井前議員の胸元には、通常の議員バッジとは色違いのバッジが着けられていた。

「今着けているバッジは前参議院議員のバッジです。このバッジは現職議員が落選して前議員になった場合に、もらえるものです。この前議員バッジを着けていると国会内は自由に出入りできます。一度、議員になった以上は、落選しても政治活動をしなければならないと考えています。今まで自分が取り組んできた問題をこれからも続けていくためにも、このバッジを着けています」

メディア出演[編集]

2007年[編集]

2008年[編集]

関連項目[編集]

著作[編集]

外部リンク[編集]