White Records
White Records株式会社 White Records Inc.
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種類 | 株式会社 |
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市場情報 | |
略称 | ホワレコ WRI |
本社所在地 | どうぶつの森アニマルタウン |
電話番号 | 048-641-9039 |
設立 | 1990年 |
業種 | 情報・通信業 |
事業内容 | 音楽ソフトウェアの企画・制作および販売、著作権管理 映画事業 |
代表者 | |
資本金 | |
売上高 | |
総資産 | |
従業員数 | |
決算期 | 4月12日 |
主要株主 | 初代社長野比のび太(1990年 - 2003年) 2代目社長とたけけ(2004年 - 現在) ニンテン銀行 株式会社 |
主要子会社 | |
関係する人物 | |
外部リンク | |
特記事項: |
White Records(ホワイト・レコーズ)は、どうぶつの森アニマルタウンにあるレコード会社である。創業者は野比のび太。現在社長を務めているのは、とたけけである。SD Groupに属する。ノビタレコードは前身となる。
目次
来歴[編集]
- 1972年 ノビタレコードを東京の練馬に設立。
- 1976年 剛田武がセカンドシングル「乙女の愛の夢」が発売、世界的に大ヒット。
- 1980年 アメリカ支社「Novita Family International Records Inc. InUSA」を設立。
- 1981年 ヨーロッパ支社「Novita Family International Records Inc. InEU」を設立。
- 1983年 源静香がインディーズより移籍。またタワーレコードと提携。
- 1985年 中国支社「野比家的唱片音楽曲会社」を設立。
- 1988年 ローゼンメイデンの第2ドール金糸雀と契約。
- 1990年 ソビエト社会主義共和国連邦に「Новита записей Inc Союз」を設立。
- 1992年 シズカリア女帝国に支社「ノビタレコード Inシズカリア」を設立。また東証一部上場。
- 1994年 アフリカ支社「Novita Family International Records Inc. InAflica」を設立。
- 1998年 MSSとANAL MSSがアソパソマソレコードから移籍。
- 1999年 野比のび太社長が事故にあい、副社長であったとたけけが変わりに社長となり、ノビタレコードからWhite Recordsに改名(事実、前身のノビタレコードは子会社となる)。さらに場所をどうぶつの森アニマルタウンに移動。
- 2000年 剛田武がアソパソマソレコードに騙され移籍する。のび太はこれを提訴し以後5年間に渡る「ノビレコアソレコ全面抗争」が勃発。
- 2001年 アソパソマソレコード所属アーティストの河原美代子が自身のコンサート中に「ノビタレコードのCD買うなんて感じ悪いよねぇ~」と発言。
- 2002年 静香がレコード大賞を受賞、会見で「河原?あんな不細工のCD買う人は人間辞めた方が良いですよ~」と反撃。
- 2003年 とたけけがアソパソマソレコードへ移籍。
- 2003年 剛田武がノビタレコードと再契約。
- 2004年 最高裁が剛田武の移籍が違法と判決、ノビタレコードが全面勝訴。「ノビレコアソレコ全面抗争」が終結。
- 2004年 東の仲間達プロジェクト開始。
- 2006年 河原美代子の獲得に失敗。
- 2008年 野比のび太氏が復帰する。
- 2009年 グランドシティ大宮内に埼玉支社を開設。
役員[編集]
他15名
所属アーティスト[編集]
- Thilolian September666(チロリアン・セプテンバー)(金糸雀の別名義)(2000年~現在も活動中)
- キーボードクラッシャー(2004年-現在も活動中)
- RADIO STAR(2005年-現在も活動中)
- プリン・アラ・モード(2006年~現在も活動中)
- デースケ
- ショーイ
- BIG MONSTER(2006年-現在も活動中)
- デースケ
- さるお
- シュバルツ
- モララー
- ドナルド・マクドナルド(1998年~アソパソマソレコードから移籍)
過去に所属していたアーティスト[編集]
- とたけけ(1998年~2003年/現在はアソパソマソレコードで活動中)
- モナーオールスターズ(1999年~2007年/現在はアソパソマソレコードで活動中)
- MSS(1998年~2003年/現在はアソパソマソレコードで活動中)
- ANAL MSS(1998年~2003年/現在はアソパソマソレコードで活動中)
- Happy Band(2004年~2007年/活動休止)
- こまっちゃクレズマ(2004年~2008年より活動休止)
- 金糸雀(1988年~2000年頃/金糸雀名義での音楽活動は一時休止)
大きな出来事[編集]
ホワレコアソレコ全面抗争[編集]
2000年に起きたこの抗争、これは当時剛田武が当時のマネージャーの骨川脛夫は剛田武の多大な人気と影響力を欲したアソパソマソレコードに多額の賄賂を貰い剛田武に「アソパソマソレコードに移籍したら今より10倍近く稼げるよジャイア~ン」とそそのかしWhite Records側には無断で契約書に同意し移籍、しかしその契約書は後に違法に作成したものと発覚。だが時すでに遅し剛田武は移籍した状態になってしまいこれに激怒した野比のび太はアソパソマソレコード側を提訴。アソパソマソレコードの所属アーティストの河原美代子が「White RecordsのCD買うなんて感じ悪いよねぇ?」と発言し2ちゃんねるなどで騒がれた。
この間剛田武はアソパソマソレコード側の命令でコンスタントにCDをリリースしたがアソパソマソレコードお得意のARCDで発売されファンが減少した、2001年に検察の入念の捜査の結果、移籍契約が違法と判明し最高裁がアソパソマソレコードの移籍は無効と判決移を下し移籍契約は無効、はれて自由の身になった剛田武は2003年にWhite Recordsと再契約しアソパソマソレコードより出した音源はマスターテープごと全て回収、その後アソパソマソレコードより出した音源をジャケットも撮り直しリマスタリングし、通常のCDでプレスして再発売するなどのアフターケアが行われた。
野比社長は謝罪会見を開き「慰謝料など汚いお金なんか要りません、ただウチのアーティストを返してもらってファンの皆さんを喜ばせたいんです」と延べ、剛田武は「私はこの5年間、自分がどれだけ愚かな奴かと憎み自問自答した、それなのに判決後も再び契約を許してくれた野比社長には感謝しています。そしてファンの皆様の為にもこれからも誠心誠意頑張ります」と謝罪会見でこう述べた。
最高裁の判決後、アソパソマソレコードの役員の殆んどは辞職し責任追及された主犯格の骨川脛夫は行方を眩ました。
『Special K.K.~Elite On The K.K.~』における権利問題[編集]
2004年、アソパソマソレコードから『Special K.K.~Elite On The K.K.~』が発売された。内容は、アルバム『まっくら森のうた』でブレイクする以前のとたけけの初期の楽曲を集めている。
しかしこれは、とたけけ本人や所属事務所に無許可で発売されたアルバムである。しかもこのCDに収録されている曲は、なぜか『けけブルース』のみは最初の演奏部分がカットされており、無断編集として、後に『Special K.K.~Elite On The K.K.~』は違法とされ、アソパソマソレコードの社長アソパソマソは逮捕とされ、代わりに所属アーティストクックルが社長を務めることとなった。
剛田暴力事件[編集]
いつも通りとたけけが純喫茶ハトの巣でライブを行っていたところ、剛田武が乱入し、とたけけに暴力を振るうなどの暴力事件を起こした(詳しくはこちらを参照くださいませ)。
この事件について野比のび太氏は「彼はそんなものではないと思います。きっと何かあったんです。」と語っている。剛田武は「”彼(野比)が20万出すから、社長を殴れ”と命令した。彼はその事実を隠している。」と語っている。この2人には、詳しく事情を聞いている。
ミュージカル[編集]
- 「ノビタレコード~ジャイアン VS スネ夫~」
- ノビタレコードの代表取締役の剛田武に起きた実話を元に作られたミュージカル。
活動環境[編集]
- WINDOWSを用いたシステムを内臓。サウンドレコーダーを駆使してマスターCDの作成にWMPを使用。また、波形編集はオマケで付いてきたSoundit3.0。
- シンセサイザーはウィンドウズシンセのみ。MIDIの技術資料はMIDI検定4級ガイドブックが一冊のみ。
- レコーディングエンジニアはラジカセの操作方法を知っているスネ夫先生。
- 音楽理論指導者は源静香ひとりのみ。
- 歌手の育成は当然ジャイアン。
関連企業[編集]
フォト[編集]
関連項目[編集]
- SD Group
- 本体
- 芸能プロダクション
- レーベル
- Sweet Factory Records - White Records
- その他
- MSS - 邪威庵 - 純喫茶ハトの巣 - のび太航空 - White Recordsの用語一覧 - のび太チャンネル - White Records Pictures