冷夏
{{先編集権主張|Fly gon}] 冷夏(れいか)とは平年に比べて気温の低い夏のことである。気象庁による3階級表現で6月 - 8月の平均気温が「低い」に該当した場合の夏をいう。冷夏による影響は農作物の生産に強くあらわれ、農産品の不足や価格高騰を引き起こす。過去には飢饉を起こした例もあるが、先進国では農業技術の発達や農作物の品種改良に伴い大規模な飢饉は発生しなくなった。近年(平成以降)での全国的な冷夏は1993年など。
目次
冷夏の原因
日本全体を見ると太平洋高気圧の勢力が弱く、梅雨前線が長く日本列島にとどまり、オホーツク海高気圧の勢力が強い年には冷夏となる傾向にある(全国冷夏型)。また、太平洋高気圧が西日本にまでは張り出すが、その勢力が弱い場合には北日本で冷夏となる傾向がある(北冷西暑型)。東北地方の冷夏はやませと呼ばれるオホーツク海気団からの北東の冷たい風が吹くことによっても起こる。世界規模で異常気象を引き起こすエルニーニョ現象の発生年は冷夏となる傾向が強く、この例としては1951年(北日本を除く)、1953年、1957年、1965年、1972年(北日本を除く)、1976年、1982年、1983年、1991年、2009年がある。しかし、1954年、1970年、1988年のように、猛暑になりやすいとされるラニーニャ現象が起きていた年でも、冷夏になったこともあれば、1992年、1997年、2002年のようにエルニーニョ現象が起きていたにも拘らず、猛暑になったこともあるので、一概には言えない。
また太陽の黒点活動の周期が冷夏の発生と一致するとの説もある。例えば、冷夏になった2009年は太陽黒点の数が、1913年以来の少なさを記録していた。しかし、翌年にあたる2010年もその状態が続いていたにも拘らず、観測史上1位の猛暑になったので、太陽活動の度合いに必ず一致するとは限らない。
火山噴火などで多量のエアロゾル(細かいちり)が空気中に放出され、そのエアロゾルが太陽放射を抑制する日傘効果で冷夏となるケースもある。1783年の天明の大飢饉、日本列島に米不足をもたらした1993年の記録的冷夏はピナツボ火山噴火で発生したエアロゾルが太陽放射を遮ったために発生したとされている。1994年以降の日本で冷夏が激減している理由として、ピナツボ山以来は大規模な噴火が起きていないためではないか、という意見もある。
また、著しい猛暑の翌年は冷夏になりにくいことが知られている。実際に、観測史上4位以内の猛暑になった1978年(+1.16℃、観測史上3位)、1994年(+1.18℃、同2位)、2010年(+1.46℃、同1位)、2011年(+0.88℃、同4位)の翌年に当たる、1979年(+0.22℃)、1995年(-0.05℃)、2011年(+0.88℃)、2012年(+0.55℃)はどの年も全国的な冷夏にならなかった。
気象庁における冷夏の基準
人の生活との関係
その負の影響の最大は、前述したが農業に現れる。農業関係者以外への影響は、農作物の価格高騰・品不足などで現れる(野菜などでは夏のうちに、米などは秋以降 - 翌年の夏まで)。
それ以外では日本の夏の行事や生活習慣の多くが梅雨明け後の晴天を前提として行われることなどから、冷夏は多くの場合それへの支障とされる。衣料品の売り上げ減などがそれである。
冷夏自体は熱中症、日射病、食中毒などの夏の暑さによる健康障害を緩和する効果があるが、夏かぜなどのデメリットもある。日本の場合、冷夏は通常7・8月の日照不足や長雨を伴うことが多い(ただし冷夏の年=水害の多い・降雨量の多い年とは限らない)。特に北海道や東北地方においては冬が長く寒冷であることや低温の度合いが関東以西より大きいことなどもあいまって、直接の利害関係を持つ農業関係者以外からも強く忌避される。
また冷夏年は前述の夏の暑さによる健康障害を緩和する効果があると思われやすいが、年によっては前述の健康障害の数が平年を上回ることがあり、暑夏年の健康障害の数を上回る(特に夏かぜ)ことすらあるため、冷夏の年=健康被害の少ない年とは限らない。
関東地方以西でも時折、冷夏は見られる。低温の度合いは北海道や東北地方よりも概して小さく冷夏でないときには夏は暑熱であることから歓迎する人もあるが、大勢は冷夏には否定的である。
ただし映画興行など、夏のインドアレジャーには追い風となる傾向も見られる。
なお冷夏年は日照不足となると思われやすいが、年によっては日照時間が平年を上回ることがあり、暑夏年の日照時間を上回る事すらあるため必ずしも日照時間が平年を下回るとは限らない。
過去の主な冷夏
世界
日本
- 1954年
- 6月 - 7月にかけて北日本や東日本を中心に記録的な低温となり、気象庁の統計では戦後最も国内の平均気温の低かった。
- 1969年
- 全国的に平年を0.7-0.9℃ほど下回った。特に6月の気温が低かった。
- 1974年
- 1976年
- 梅雨明けは四国、九州、奄美、沖縄地方で平年より遅かったほかはほぼ平年日前後だったが梅雨明け後も太平洋高気圧の勢力は弱く梅雨期から勢力の強かったオホーツク海高気圧が梅雨明け後も長く居座った影響で全国的に冷夏となり、曇りや雨の日が続いた。夏の平均気温は北・東・西日本で平年を1℃前後下回った。9月も顕著な低温で長雨の傾向が続き、全国的に農作物の不作に見舞われた。
- 1980年
- 6月は平年より暑い日が多く空梅雨気味だったが7月以降はオホーツク海高気圧が強まり太平洋高気圧が南海上へ後退、低気圧や前線が日本列島付近に停滞する状態が続いたため南西諸島を除き冷夏となった。特に8月の平均気温は南西諸島を除いた全国で記録的低温となり、平年より1 - 4℃以上低かった。1993年や2003年と異なり米や夏野菜の極度の不足は見られなかったが、農作物不作による顕著な減収がみられた。
- 1981年
- 1982年
- 6月は梅雨入りが遅く記録的な少雨だったものの、7月になると梅雨前線が活発化して関東地方以西では一転して多雨傾向となった。梅雨明けも平年より大幅に遅れ関東地方、甲信地方及び東北地方では8月上旬までずれ込んだ。また東日本以西では7月の平均気温が平年より2℃前後低く、8月も引き続き低温傾向で夏型は長続きしなかった。7月下旬には長崎県を中心とした九州地方北部で記録的豪雨による甚大な災害が発生した(昭和57年7月豪雨)。詳しくは長崎大水害を参照。
- 1983年
- オホーツク海高気圧の勢力が強かった影響で全国的に長梅雨・梅雨寒が続き、6月と7月は特に北日本で著しい低温となった。梅雨末期には梅雨前線の活動が活発化し、山陰地方に豪雨災害をもたらした。但し梅雨明け後は東北地方太平洋側から関東地方で天候不順気味だったほかは、全国的に晴れて暑い日が多かった。
- 1988年
- 7月はオホーツク海高気圧の勢力が強く北海道から中国地方にかけて低温となり、特に北日本や関東地方では平年を2 - 4℃以上下回る顕著な低温となった。8月になるとオホーツク海高気圧の勢力は弱まったものの太平洋高気圧の勢力も依然弱く、本州近海で熱帯低気圧が相次いで発生しやすかったため曇りや雨、雷雨となる日が多かった。1993年や2003年と異なり米や夏野菜の極度の不足は見られなかったが、農作物不作による顕著な減収や海水浴場などの観光客減少などの影響が出た。
- 1991年
- この年は、7月は猛暑であったが、8月に入ると沖縄を含む南西諸島を除いて、オホーツク海高気圧の勢力が強まったため、晴天の日々が少なく、長梅雨・梅雨寒による低温が続いた。9月には猛暑に戻るも、関東地方を中心に豪雨災害に見舞われて、各地の道路が浸水状態となった。
- 1993年
- この年は記録的な冷夏により、「1993年米騒動」といわれる米不足になった。8月になっても梅雨前線が日本列島に停滞し、豪雨災害と関東地方以北では低温が顕著であった。1954年に次ぐ戦後2番目に平均気温の低い夏であり、南西諸島を除く地域で梅雨明けが特定されない異常な夏であった。特に低温だった7月と8月はオホーツク海高気圧の張り出しと前線による大雨と台風の影響を受け、平年を2度前後下回った。平成5年8月豪雨も参照。
- 2003年
- 10年ぶりの冷夏になったがその規模は1993年よりも小さかった。西日本から東北地方で梅雨明けが遅く、夏型は安定しなかった。米や夏野菜が不足した。年末にかけて野菜は例年の2倍を越える品も出るほど高騰したが、米は備蓄米などが効果を挙げて1993年ほどの影響は出なかった。特に7月の低温が顕著で北日本では平年を2.9℃、関東地方でも2.2℃下回るなど北海道から北部九州の広範囲で1 - 3℃平年を下回った。夏全体(6 - 8月)で見ても北日本で1.2℃、東日本では0.6℃、西日本では0.3℃平年を下回るなど北日本から西日本までの広い範囲で冷夏となった。全体的に雨も多く、この年から2日間開催となる予定だった全国高等学校野球選手権大会の準々決勝が従来通りの1日4試合開催となった(選抜高等学校野球大会も含め、3回戦までに3日以上順延すると1日4試合開催となる)。しかし、8月下旬から9月は平年よりも残暑が厳しかった。新潟市、静岡県浜松市、徳島市などでは9月としての最高気温を記録した。
- 2009年
- この年は、梅雨明けが遅く日照時間も短かったこと、近年では珍しく残暑が厳しくなかったこと、2004年から2008年まで5年連続で猛暑が続いたこと、翌年(2010年)は観測史上1位、翌々年(2011年)は同4位、2012年8月も同3位の暑夏になったことなどから、冷夏のイメージをもつ人が少なくない[1]。特に1994年以降は2003年を除いて猛暑に見舞われたことから、相対的に低く感じられたことも理由として挙げられる。「久しぶりの涼しい夏」「近年では珍しい穏やかな夏」などと呼ばれた。またこの年も、冷夏になりやすいとされるエルニーニョ現象が発生していた。しかし実際には、夏全体の気温は平年よりもやや低かったものの、冷夏の基準は達成していない。8月に限れば、北・東・西日本、全国平均でそれぞれ、平年を1.1℃、0.8℃、0.4℃、0.81℃下回ったので、冷夏であったといえる[2]。熱帯夜の日数も多くなく、盛夏としては比較的すごしやすかった。おでんなどの販売開始が前倒しになるなどの影響があった[3]。また、9月も北・東・西日本、全国平均でそれぞれ、平年を0.6℃、0.7℃、0.0℃、0.42℃下回り、8年ぶりの涼しい9月となった。
- その他
- 1947年、1949年、1956年(北・東日本)、1973年(九州南部・南西諸島のみ)、1974年、1978年(南西諸島のみ)、1979年(九州・沖縄県のみ)、1984年(沖縄県のみ)、1985年(九州・南西諸島のみ)、1986年(7月のみ、北・東日本)、1987年(九州・沖縄県のみ)、1989年(北日本のみ)、1995年(北陸・沖縄県のみ)、1996年(北日本のみ)、1997年(北海道・南西諸島のみ)、1998年(北日本のみ)、1999年(四国・九州・奄美のみ)、2000年(奄美のみ)、2001年(8月のみ、北・東日本)、2002年(北海道のみ)、2007年(7月のみ、九州・南西諸島除く)、2014年(西日本のみ)、2015年(西日本のみ)
備考
なお、2011年8月頃は北陸地方をはじめとする中部地方で多雨・多湿傾向があり冷夏のように見られたが、実際には冷夏ではなく、前述のように観測史上4位の猛暑年である。前年(同1位)よりも気温がやや下がったので冷夏のイメージがあったのだと考えられる。
冷夏の頻度の変化
1900年代から1910年代にかけては、全体的に夏の気温が著しく低く、毎年のように冷夏が続いていた。中でも1902年は気象庁の統計史上1位、1913年は同2位の記録的低温の夏であった。1993年までは2年以上連続で冷夏になることも多かったが、その後は激減し2003年を最後に全国的な冷夏はなくなった。地球温暖化が最も大きな要因として考えられるが、それだけでは全てを説明できず、他にもいくつかの要因が関連していると考えられている。