モーニング娘。

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モーニング娘
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モーニング娘。(モーニングむすめ)は、日本の女性歌手グループ女性アイドルグループである。ほとんどの楽曲の作詞作曲およびプロデュースつんく♂が手掛けている。略称はモー娘。(モーむす)。芸能事務所アップフロントエージェンシー所属。ハロー!プロジェクトの一員。

1990年代末から2000年代前半にかけて日本を代表する程の爆発的な人気を誇っていたが、主要メンバーの卒業、脱退に加え、彼女らに匹敵する新メンバーの不足、アイドルそのものに対する人気の変化などに伴い、人気低下も指摘される。しかし、コンサートなどでは一定の動員数を記録するなど、依然、根強い人気を保っている。 2014年から名前に年号がつくようになった

メンバー

2012年9月14日現在

モーニング娘。
名前 よみがな 生年月日 加入年月日 イメージカラー 色種 特記事項
道重さゆみ みちしげ さゆみ 1989年07月13日 2003年1月19日 06期 ピンク
 
リーダー
田中れいな たなか れいな 1989年11月11日 スカイブルー
 
譜久村聖 ふくむら みずき 1996年10月30日 2011年1月2日 09期 ホットピンク
 
生田衣梨奈 いくた えりな 1997年7月7日 イエローグリーン
 
加入当初のイメージカラーは      パープルで、2012年秋のツアーから変更。[1]
鞘師里保 さやし りほ 1998年5月28日 レッド
 
鈴木香音 すずき かのん 1998年8月5日 グリーン
 
飯窪春菜 いいくぼ はるな 1994年11月7日 2011年9月29日 10期 ハニー色
 
加入当時のイメージカラーは      チョコレート色で、2012年秋のツアーから変更。[2]
石田亜佑美 いしだ あゆみ 1997年1月7日 ロイヤルブルー
 
佐藤優樹 さとう まさき 1999年05月7日 ミント
 
工藤遥 くどう はるか 1999年10月27日 オレンジ
 
小田さくら おだ さくら 1999年03月12日 2012年9月14日 11期 未定 未定

2008年3月時点のメンバー

モーニング娘。

  

卒業および脱退メンバー

モーニング娘。
モーニング娘。
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※これは、卒業・脱退した日付順で表示されている。

このグループでは、公式にグループから離れることを「卒業」または「脱退」という。この発表は公式サイトでの発表や記者会見などのマスメディアを通じて行い、コンサートでの最終公演日程などを前々からファンに知らせている。音楽グループにおいてしばしば喧嘩別れ的な場合に使用される「脱退」という表現に対し、「卒業」は明日につながるという前向きな意味合いの言葉である。

中澤裕子以降に卒業(脱退)したメンバーは、ソロまたはグループとしてそのままハロー!プロジェクトに在籍して芸能活動を継続しているが、紺野あさ美のみが学業専念による完全な脱退となっていた(現在は復帰し、活動を再開している。)。また、小川麻琴はハロー!プロジェクトに籍を残して海外留学を行っている。

卒業(脱退)の発表は、後藤真希以前は1~2か月程前の発表だったが、後藤と同時に卒業が発表された保田圭以降は緊急脱退となった矢口真里と藤本美貴を除いて卒業の半年~1年前になった。そして紺野あさ美・小川麻琴・吉澤ひとみは3~4か月前とそれまでの慣例よりは短くなった。また、これまで卒業の発表も卒業自体も同時に行ったのは卒業後にユニットを組んで活動することが予定されていた辻希美と加護亜依のみであるが、それ以外にも時期を別にして卒業する複数のメンバーの卒業が同時に発表されることがある(後藤真希と保田圭、飯田圭織と石川梨華、紺野あさ美と小川麻琴)。

「卒業」の発表とその後のコンサートにおける「卒業公演」は、「ASAYAN」などのテレビ番組において大々的に取り上げられ、その「サプライズ人事」的な要素とも相まって、娘。人気の浮揚、注目度のアップ、ひいてはメンバーの結束を強固にして来た。しかし、本来は「モーニング娘。は早く卒業することを目標とすべき枠である方が良い。」という自立的意味合いを持った「卒業」であるが、籍をハロー!プロジェクトに残し、モーニング娘。との共演も多く、完全な自立とは言えない状況から、一時芸能界を引退していた紺野と芸能活動休止中の小川を除き、中澤裕子以降の卒業はハロー!プロジェクト内での年中行事と化した「定期人事異動」的色彩が濃い。

名前 発表日 卒業年齢 加入期 ハロプロ(及び事務所)への在籍状況
卒業・脱退日 卒業興行の開催地
福田明日香 1999年1月17日 14歳 1期 ハロプロからも卒業
1999年4月18日 東京厚生年金会館
石黒彩 1999年12月5日 21歳 1期 ハロプロからも卒業
2000年1月7日 大阪厚生年金会館
市井紗耶香 2000年5月7日 16歳 2期 ハロプロからも卒業
2000年5月21日 日本武道館
中澤裕子 2001年3月7日 27歳 1期 ソロとしてハロプロに在籍
2001年4月15日 大阪城ホール
後藤真希 2002年7月31日 17歳 3期
  • ソロとしてハロプロに在籍
  • 2007年10月28日でハロプロからも卒業(事務所には在籍)
2002年9月23日 横浜アリーナ
保田圭 2002年7月31日 22歳 2期 ソロとしてハロプロに在籍
2003年5月5日 さいたまスーパーアリーナ
安倍なつみ 2003年7月27日 22歳 1期 ソロとしてハロプロに在籍
2004年1月25日 横浜アリーナ
辻希美 2004年1月3日 17歳 4期
  • ユニットとしてハロプロに在籍
  • 加護の契約解除に伴いソロに移行
  • 2007年5月より出産に伴い活動休止中
2004年8月1日 代々木第一体育館
加護亜依 2004年1月3日 16歳 4期
  • ユニットとしてハロプロに在籍
  • 2006年2月にに触法行為により活動休止
  • 2007年3月に再度触法行為で契約解除。芸能界から追放される。
2004年8月1日 代々木第一体育館
飯田圭織 2004年5月23日 23歳 1期
  • ソロとしてハロプロに在籍
  • 2007年9月より出産に伴い活動休止中
2005年1月30日 横浜アリーナ
矢口真里 2005年4月14日 22歳 2期 ソロとしてハロプロに在籍
2005年4月14日 なし※1
石川梨華 2004年5月23日 20歳 4期 ユニットとしてハロプロに在籍
2005年5月7日 日本武道館
紺野あさ美 2006年4月28日 19歳 5期
  • ハロプロからも卒業
  • その後、2007年7月15日からソロとしてハロプロに復帰・在籍
2006年7月23日 代々木第一体育館
小川麻琴 2006年4月28日 18歳 5期 ソロとしてハロプロに在籍(活動休止中
2006年8月27日 新宿コマ劇場
吉澤ひとみ 2007年1月2日 22歳 4期 ソロとしてハロプロに在籍
2007年5月6日 さいたまスーパーアリーナ
藤本美貴 2007年6月1日 22歳 6期 ソロとしてハロプロに在籍
2007年6月1日 なし※2
  • ※1 矢口真里のモーニング娘。メンバーとしての最後のステージは、2005年4月10日の大阪厚生年金会館公演だった。
  • ※2 藤本美貴のモーニング娘。メンバーとしての最後のステージは、2007年5月6日のさいたまスーパーアリーナ公演だった。

「卒業」と「脱退」の使い分け

モーニング娘。

「卒業」または「脱退」という表現について、初期にはほとんどの場合に「脱退」という表現を使用していたが(結成から中澤裕子卒業までのモーニング娘。の歴史が掲載されているASAYAN公式サイトなどでは現在でも「脱退」という表現で統一されている)、2001年以降、公式には「卒業」という表現が使用されており(「卒業メモリアル」グッズなど)、過去に遡って卒業という表現で統一されていることも多い(コンサートMCでの「卒業メンバー」呼称など)。これ以外にも、2005年4月14日の矢口真里の場合は、写真週刊誌「FRIDAY」において俳優小栗旬との交際が報道されたことを理由とし、公式サイトには「モーニング娘。を辞し、ソロ活動を行う」という表現がなされている(ただし、テレビ番組やスポーツ新聞などマスコミによっては「卒業」と扱われることもある。)。これにより、矢口自身も卒業とも脱退とも言わず「モーニング娘。を辞めた」といった表現をとっていることがある。また、藤本美貴もお笑い芸人庄司智春品川庄司)との交際が同じく「FRIDAY」にて報道されたことを理由に2007年6月1日付で脱退した。なお、「卒業」という表現自体は最初にグループを離れた福田明日香の時から本人によるファンへの呼び掛けのメッセージの中などで使用されており、1999年に出版された自伝「もうひとりの明日香」に収録された年表には「モーニング娘。を卒業、芸能界を引退」と表記されている。また、2007年9月に出版された公式本「モーニング娘。誕生10年記念本」に収録された年表では、矢口と藤本のみが「脱退」、その他のメンバーが「卒業」と使い分けられている。

メンバーの記載順序

公式本やコンサートのパンフレットなどの公式出版物や公式サイトなどではメンバーの名前を並べるとき通常は加入時期順で、加入時期の同じ者は生年月日順で記載している。マスコミ報道などでもこの順序が使用されることが多い。なお、リーダーやサブリーダーについては過去にこの順序を適用した場合に先頭や2番目にならない時期があったが、そのような場合には順番を変更してリーダーとサブリーダーがそれぞれ先頭や2番目になるように記載する場合もあった。また、卒業したメンバーの名前を並べるときにはこの順序が使用されている場合と卒業・脱退の時期が早い順番で並べられている場合とがある、また在籍期間などを比較するためのメンバーの変遷表などでは在籍しているかどうかに関係なく全員を上記の順序で並べられていることがある。

モーニング娘。さくら組モーニング娘。おとめ組といった派生ユニット内でメンバーの名前を並べるときも通常はこの順序である。

歴代リーダー

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歴代 名前 期間
初代 中澤裕子 結成~2001年4月15日
2代目 飯田圭織 2001年4月16日~2005年1月30日
3代目 矢口真里 2005年1月31日~4月14日
4代目 吉澤ひとみ 2005年4月15日~2007年5月6日
5代目 藤本美貴 2007年5月7日~6月1日
6代目 高橋愛 2007年6月2日~
  • 初代リーダーは、5万枚手売りを達成してメジャーデビューが決まってから決定した。当時、飯田が「リーダーをやりたい」と発言していたが、結局中澤に決定した。選ばれた理由は「最年長だから」。

歴代サブリーダー

モーニング娘。

2001年4月16日に飯田圭織が第2代リーダーに就任するに合わせて創設された。初代に保田圭が就任した。当時は保田圭が初代であるのかどうかについては明らかにはされていなかったが、2007年11月に行われたYahoo!ライブトークでは保田圭が「初代サブリーダーである。」とされている。

歴代 名前 期間
初代 保田圭 2001年4月16日~2003年5月5日
2代目 矢口真里 2003年5月6日※~2005年1月30日
3代目 吉澤ひとみ 2005年1月31日~4月14日
4代目 藤本美貴 2005年4月15日※~2007年5月6日
5代目 高橋愛 2007年5月7日~6月1日
6代目 新垣里沙 2007年6月2日~

※矢口真里と藤本美貴の就任日については、上表では前任者が退任した日の翌日を就任日としているが、保田圭・吉澤ひとみ・高橋愛については就任前に、また新垣里沙については就任と同時にサブリーダーに就任する旨の発表があったのに対して、矢口と藤本の場合は就任時点で発表されず、ある程度の期間が経過してからテレビ番組(矢口:「ハロー!モーニング。」2003年8月3日放送分、藤本:「音楽戦士 MUSIC FIGHTER」2005年7月15日放送分)でのトーク中に自らその時点でサブリーダーである旨が語られただけであるため、就任した日時が正確でない(空席の期間がある)可能性がある。

  • サブリーダーに関して創設された理由は公表されていない。当初はモーニング娘。誕生以来グループを率いて来た中澤裕子のグループ脱退に伴い、それを引き継ぐ飯田圭織への不安視が創設の背景にあると思われた。だが、2001年3月7日の中澤脱退発表時は飯田・安倍・保田・矢口による集団指導体制になるという発表もされていた。しかし、飯田のリーダー就任が中澤卒業直後の4月16日に記者会見にて発表されたこと、サブリーダーに初期メンバー安倍が就任しなかったことなどを踏まえると、後任人事選考にあたってメンバー内で最年長であった保田を処遇するための「名誉職」として創設されたとも考えられる。矢口以降は実質的に「サブリーダー=次期リーダー(候補)」となっている。
  • 保田就任以前(中澤リーダー時代)は、サブリーダーという役職は公表されていない。また、石黒彩在籍時は彼女が中澤に次ぐ年長者でポジション的にもNo.2と見なされることはあったが、サブリーダーであるとは明言されていなかった。

グループ編成

メンバー構成推移

モーニング娘。

このグループの最も大きな特徴は、他の女性アイドルグループに類を見ないメンバーが代わり続けるという点である。メンバー数が流動的で、5人(結成時)~16人(6期加入から保田卒業まで)と幅広い。また、年齢差も大きいのも特徴で、結成当時は約12歳差、4期加入時に約15歳差と最大で、最小は矢口脱退から7期加入前までの約5歳差である。ほとんどの期間(1999年4月~8月および2005年4月以外)に20代と中学生のメンバーが同時にいる。2008年1月1日時点の平均年齢は17.67歳である。

推移年表

モーニング娘。
日時 メンバー 増減 人数 平均年齢
1997年9月7日結成 【1期】中澤裕子石黒彩飯田圭織安倍なつみ福田明日香 - 5人 17.40
1998年5月3日 【2期】保田圭矢口真里市井紗耶香加入 +3 8人 16.75
1999年4月18日 福田明日香脱退 -1 7人 18.29
1999年8月22日 【3期】後藤真希加入 +1 8人 18.00
2000年1月7日 石黒彩脱退 -1 7人 18.14
2000年4月16日 【4期】石川梨華吉澤ひとみ辻希美加護亜依加入 +4 11人 16.55
2000年5月21日 市井紗耶香脱退 -1 10人 16.60
2001年4月15日 中澤裕子卒業 -1 9人 16.56
2001年8月26日 【5期】高橋愛紺野あさ美小川麻琴新垣里沙加入 +4 13人 15.77
2002年9月23日 後藤真希卒業 -1 12人 16.92
2003年1月19日 【6期】藤本美貴亀井絵里道重さゆみ田中れいな加入 +4 16人 16.56
2003年5月5日 保田圭卒業 -1 15人 16.47
2004年1月25日 安倍なつみ卒業 -1 14人 16.86
2004年8月1日 加護亜依・辻希美卒業 -2 12人 17.42
2005年1月30日 飯田圭織卒業 -1 11人 17.64
2005年4月14日 矢口真里がモーニング娘。を辞し、ソロ活動 -1 10人 17.40
2005年5月1日 【7期】久住小春加入 +1 11人 16.91
2005年5月7日 石川梨華卒業 -1 10人 16.70
2006年7月23日 紺野あさ美卒業 -1 9人 17.78
2006年8月27日 小川麻琴卒業 -1 8人 17.75
2006年12月10日 【8期】光井愛佳加入 +1 9人 17.78
2007年3月15日 【8期】(留学生)ジュンジュンリンリン加入 +2 11人 17.82
2007年5月6日 吉澤ひとみ卒業 -1 10人 17.50
2007年6月1日 藤本美貴がモーニング娘。を辞し、ソロ活動 -1 9人 17.00

モーニング娘。の結成日について

このグループの結成日については、公式資料やマスコミ報道などで異なった日付が書かれていることがある。これは「モーニング娘。の結成日」として解釈しうる日が複数あるためであると考えられる。「モーニング娘。の結成日」として解釈しうる日としては、

  • 1997年8月20日 - グループの結成について実際にメンバーに対する意思確認が行われた日
    「モーニング娘。5+3-1」(宝島社)ではこの時を「モーニング娘。誕生の瞬間」としている。
  • 1997年9月7日 - グループの結成が発表された日(8月20日収録分のASAYAN放送日)
    公式サイトや公式資料ではこの日をモーニング娘。の結成日としていることが多い。
  • 1997年9月8日 - プロデューサーのつんく♂が「モーニング娘」を発案した日(「。」はまだない)
  • 1997年9月14日 - モーニング娘。というグループ名が決定したことが公表された日(ASAYAN放送日)
  • 1997年11月3日 - 5万枚手売り初日(インディーズデビューの日)
  • 1997年11月30日 - 5万枚手売りを達成し、メジャーデビューが決まった日
    「モーニング娘。×つんく♂」(ソニー・マガジンズ)では、結成時のメンバーの在籍期間をこの日からにしている。
  • 1998年1月28日 - メジャーデビューの日

などがある。なお、つんく♂がモーニング娘。誕生10年記念隊に寄せたコメントでは、「モーニング娘。は1997年の9月8日に、お台場フジテレビのとある楽屋で、僕が命名したときに魂が入った」という記述と「2007年11月3日の10歳のお誕生日」(つまり結成日は1997年11月3日)という記述の両方がある。また、この他にCDの販売関係のサイトや資料やマスコミなどでは、インディーズデビューの日やメジャーデビューの日をモーニング娘。が始まった日としているものが多い。

追加メンバーの加入日について

モーニング娘。
モーニング娘。

追加メンバーの加入日についても、しばしば公式資料やマスコミ報道などで異なった日付が書かれていることがある。これも、結成日と同様に「加入日」と解釈しうる日が複数あるためである。

「加入日」として解釈しうる日としては、

  1. 加入が実際に決まった日
  2. 加入が本人に伝達された日
  3. 加入が公表された日(合格が発表された番組の放送日)
  4. 初合流したコンサートなどの日
  5. 初参加したCDの発売日

といった日がある。このうち1と2については公表されないことが多いため、通常は3以降のいずれかの日が加入日とされている。公式資料では加入が公表された日を加入日としていることが多い。加入が後になればなる程、合格発表から合流までの期間が長くなる傾向にある。これは、後になればなる程コンサートに出演した時に覚える必要のある曲が多くなるなどの事情があるためだと考えられる。また、合格発表からコンサートツアーに本格的に合流するまでの間に「お披露目」的に本格合流する以前のコンサート(1つ前のツアーの最終公演など)に挨拶だけあるいは1曲だけ参加することが行われることがある。さらに6期メンバー以降はその間にファンクラブの会員を対象にした握手会を行っている。このような状況のため、新メンバーが加入した日より後にリリースされたCDや写真集に新メンバーが参加していないと言うことがしばしば起きる。また、テレビ番組の収録も初参加CDの曲披露までは別行動になることが多い。中でも、2001年10月13日放送の「めちゃ²イケてるッ!」(フジテレビ系)内のコーナー「私立岡村女子高等学校。」の修学旅行企画では5期メンバーが参加しておらず、また2003年4月5日放送の同番組の期末テスト企画では6期メンバーが参加していないのも、初参加CDの曲披露のためのテレビ出演より前だったためだと思われる。

公表日 お披露目日 コンサート正式合流日 初参加CD発売日
2 1998年5月3日 1998年7月12日※1 1998年5月27日
3 1999年8月22日 1999年8月23日 1999年9月19日 1999年9月9日
4 2000年4月16日 2000年5月20日 2000年5月17日
5 2001年8月26日 2001年10月21日※2 2001年10月31日
6(藤本) 2003年1月7日 2003年5月5日 2003年5月31日※3 2003年7月30日
6(藤本以外) 2003年1月19日 2003年5月5日 2003年7月19日 2003年7月30日
7 2005年5月1日 2005年5月6日 2005年7月10日 2005年7月27日
8 2006年12月10日 2007年1月27日 2007年3月17日 2007年2月14日
8(留学生) 2007年3月15日 2007年5月6日 2007年7月15日 2007年7月25日

※1:モーニング娘。としての初コンサートの日であり、初期メンバーにとっても初めてのコンサートであるため、厳密には「この日から合流した」という表現はおかしいとも言える。
※2:紺野あさ美のみTV番組収録中の怪我(うたばん事故)のためこの日は挨拶のみ。曲に合流したのは2001年11月3日からである。
※3:ミュージカル「江戸っ娘。忠臣蔵」初日。通常のコンサートでの合流は他の6期メンバーと同じ2003年7月19日からである。

加入・脱退(卒業)を繰り返すグループ編成

「モーニング娘。は、加入と脱退(卒業)を繰り返しながら進化していくグループである。」と公式に表明されている。このメンバーチェンジを繰り返しながらグループを存続させていく方法は、メンバーが脱退しても解散しないグループとして、プエルトリコのアイドルグループメヌードを参考に、結成に深く関わったという音楽評論家の福田一郎(故人)が提案し、グループ編成されたということが公式に発表されている。しかし、1997年~1999年頃に出演していたテレビ番組内での状況、そして番組内でのつんく♂やメンバーの発言、コンサートのMCとの矛盾点もあり、1997年の結成当時から加入と脱退(卒業)を繰り返すシステムを考えていたかどうか、もしくはそのシステムが結成当時から確立していたかどうかは不明な点が多い。

  • 後につんくは♂「モーニング娘。はその年(1998年)の紅白に出て解散する予定だった。」と語っていること(「モーニング娘。×つんく♂」でのインタビューなど)。
  • メジャーデビューの条件だったCD5万枚手売りに失敗した時、メンバーの追加・脱退がないまま即解散の可能性があったこと(詳細は後述のモーニング娘。#歴史参照)。
  • グループ名の候補に第1期メンバーの属性から連想された名前が挙がっていたこと。メンバーの入れ替えを前提としているならばそのような名前は候補として挙がることはない(詳細は後述のモーニング娘。#グループ名の由来参照)。
  • 1997年~2000年のモーニング娘。のオーディションや活動をドキュメンタリー風に追っていたテレビ番組「ASAYAN」において、福田一郎が上記の提案を行ったシーンが放映されなかったこと(詳細は後述のモーニング娘。#歴史参照)。
  • メンバーが加入・脱退を一度だけのものと思っていた節の発言があり、事務所やスタッフから繰り返されるグループであるという説明を受けていない点(福田明日香脱退発表後に出演した1999年3月23日放送の「とくばん」〈TBS系〉で司会の石橋貴明からのメンバー補充を行うのかとの問いに、中澤裕子は「行わないのではないか」、安倍なつみは「増えないと思います」と答えていたこと。)。
  • このことが2003年11月の福田一郎の告別式(偲ぶ会)の会場にて発表され、発表が遅れたこと。

ただし、これらの件に関して、事務所の先輩でもある田中義剛が自身のブログにおいてKAN森高千里のブレイク秘話と一緒に当時のエピソードとして、所属事務所社長(当時)の山崎直樹の指示によって、メヌードを参考とし、グループを結成したという経緯が掲載されており、さらに「ASAYAN」はモーニング娘。のPR番組的位置付けでしかなかったため、所属事務所がすべての情報を同番組に提供していたかなどの疑問がある。また、同番組は過剰な演出が多いことで知られているため、これらの番組での発言も演出的なものに過ぎないという意見が多い。実際に当時放送された内容とメンバー達が実際に経験したことが異なることは、1999年に出版された同番組の公式本とされる「モーニング娘。5+3-1」の中で明らかにされている。さらに、福田一郎は音楽評論家であり物書きを本職としているため、タレントとは違いメディアへの露出も当然少なく、山崎ら事務所上層部の出演も一切なかったように同番組に出演していたのはプロジェクトに関わったすべての人間ではなく、関係者のほんの一部であることは間違いない。従って福田一郎が同番組に出演していなかったという理由だけで関係性を否定することはできない。さらに、メジャーデビューのわずか3か月後に2期として新メンバーを追加で加入させている事実を考えると、遅くともこの時点でメンバーの増加を考えたグループ編成であったのではと推測できる。また、この事実が発表された状況も、福田一郎の告別式(偲ぶ会)と厳正された場所であったことで信憑性が高いことや、故人の前で卒業&現役メンバー全員で「LOVEマシーン」を披露していること、中澤裕子が語った秘話など、福田一郎が本グループと深く関わりがあったことは間違いない。いずれにしても、予想外に脱退したメンバー(福田明日香・石黒彩・市井紗耶香)を補充する名目で同番組に出続けられた影響は大きい。追加メンバーオーディションを行うことで、『夢のオーディション・バラエティ』を標榜していた同番組への継続的な出演が可能になったことが番組内でのPRなど以後の活動に有利に働いたと言える。

宝塚歌劇団との比較考察

公式的な場でも関連性を指摘されているものとして、メンバーチェンジを繰り返しながら存続するグループという点で、宝塚歌劇団(以下、宝塚)との類似性が挙げられる。日本の芸能界においてメンバーチェンジを繰り返しながら優れたエンターテインメントを提供し、スターを輩出し続ける集団として宝塚は鉄壁の地位を誇っており、同じ女性の集団という共通点もあるためとされる。さらに2003年4月に放送された「エンタの神様」(日本テレビ系)の中でモーニング娘。と宝塚が一緒になって「Mr.Moonlight~愛のビッグバンド~」を歌うという夢の共演を行った際に、つんく♂や振付師である夏まゆみが曲作りや振り付けで宝塚を意識した部分があることを語っている。同番組ではモーニング娘。がしばしば行っている段差のあるステージでのパフォーマンスは、元々宝塚が大階段という形で行っていたものであるとも語られていた。また、グループに入って来る人間をその時期によって「期」と呼んで分けるやり方やグループを複数のさくら組おとめ組などの「組」に分けて活動させるやり方も宝塚と共通している。そして、宝塚の退団は多くのマスコミが取り上げるため、その様な部分も共通する。 また、2006年8月にモーニング娘。およびハロー!プロジェクトが宝塚と組み、手塚治虫原作「リボンの騎士」のミュージカル化をした際も、ミュージカルの構成を担当した宝塚の演出家木村信司が「モーニング娘。と宝塚は似た雰囲気を持っている」とコメントしている。

しかし、結成から「ザ☆ピ~ス!」(2001年)のヒットあたりまでは宝塚との類似性について語られることはなかった。下記に挙げるように「期」や「組」は2002年以降に見られる。

  • 1998年5月加入の第2期メンバーや1999年9月加入の後藤真希(第3期メンバー)は単に「新メンバー」または「追加メンバー」と呼ばれていただけであり、また2000年4月追加の第4期メンバーは「第3次追加メンバー」と呼ばれ、2001年8月追加の第5期メンバーも追加された当時は「新メンバー」と呼ばれていた「期」と呼ばれるのは2002年募集の第6期からであり、その時点から遡って1期~5期と呼ばれるようになった。
  • いくつかのグループ(ユニット)に分けての活動も、本体のメジャーデビューと同年のタンポポから始まり、後にプッチモニミニモニ。が続いた。それらは名前に「組」は付かなかった。
  • 2000年~2001年当時、安倍なつみはユニットには所属せず、矢口真里と加護亜依は2つのユニットを掛け持ちし、中澤裕子はソロでも活動させるなど、全員を均等にグループ分けしているものではなかった。
  • 均等にグループを分割して「組」と分けて活動すると発表したのは、2003年1月28日からである。

グループ名の由来

このグループは、『モーニングセットのように、お得感があり、楽しめるユニット』ということで命名された。

なお、その他の候補としては「87」(メンバー全員の歳を足して)、「都道府」(メンバーの出身地が東京「」・北海「」・京都「」であり、「」出身者がいなかったため)、「たこ焼きシスターズ」、「モーニングサービス」、「モーニング・ファイブ」などだった。なお、「モーニング(セット)」は「バイキング」から連想した物であり、「バイキング娘。」になっていた可能性も高い。しかし最終的には「モーニング娘」が採用された。

「モーニング娘。」の「。」について

  • 当初のつんく♂の命名では「。」が付いていなかった。しかし当時、「ASAYAN」では画面に表示されるテロップのほとんどすべてに「。」を付けていたため、ユニット名発表の際(1997年9月14日放送)にもステージ上の画面で「ユニット名はモーニング娘。」と表示されることになった。それに対して司会のナインティナイン岡村隆史が「僕質問なんですけど、モーニング娘のあと『。』付いてますやん。(中略)あれは『。』は付いてるんですか?」と問いかけたところ、相方の矢部浩之が「ちょっと待ってもらえます。(舞台袖を見ながら)あれ僕の意見でいいすか今、あっそうですか。(正面に向き直り)あの『。』は…要ります!」と言ったため「。」付が正式な表記になった。その後の感想で、漢字のグループ名を希望していた当時のメンバー福田明日香が「漢字も『まる』もついて、お得だな~」と発言した。
  • TBS系の番組「うたばん」で「。」について聞かれた時に、メンバーのほとんどは不要と答えた。しかし、中澤裕子の誕生日(26歳)を前に出演したフジテレビ系の番組「ハッピーバースデー!」(1999年6月13日放送)での安斎勝洋による姓名判断で「『。』が付いたことで画数が23画となり、理想的なグループ名となった。」と言われた後、肯定的な発言をしている。「。」のない22画ではグループが分裂すると言われているため、後に別の番組でリーダー(当時)の中澤裕子が「『。』は大事。」と語っている。
  • シンボルマークもダブルエム(二重にした小文字の「m」、山が1つ多い)に「。」が付いた形で、商標登録されている英語の正式名称も「Morning Musume。」と「。」が付いている。
  • モーニング娘。やハロー!プロジェクトに関連するグループ名、ユニット名、番組名などにも「。」が付いているものが数多くある(「カントリー娘。」「ココナッツ娘。」「ミニモニ。」「エコモニ。」「ハロー!モーニング。」「モー。たいへんでした」「エアモニ。」「モーニング刑事。」「江戸っ娘。忠臣蔵」など)。
  • 単語の中に句点を含む語としては初めてではないのだが、モーニング娘。が広くメディアに取り上げられるに伴って、日本語の乱れの例、ないしはそれを広めたきっかけとして取り上げられたことがある。

「モー娘。」という略表現について

  • メンバー自身(特に初期のメンバー)は、自分達のグループを「モーニング」または「むすめ」と呼ぶことが多い。また、メンバーに関わらず自らを「もーむす」と呼ぶことは台本などで強制されない限りまずない。ファンも同調し「もーむす」とは基本的に呼ばない。
  • 「モー娘。」という表記自体は最初ファンやマスコミが使い始めた呼び方であるものの、所属事務所によって商標登録されており、映画「ピンチランナー」のキャッチコピーで「モー娘。、走る!」として使われるなど、現在では事務所側も認めたものとなっている。
  • 「モー娘。」という表記が一般的に使われるようになった以後にファンになった者は、あまり抵抗なく「モー娘。」という表記を使うこともある。
  • モーニング娘。の熱狂的なファンのことを「モーヲタ」と呼ぶ。また、そのモーヲタは彼女らのことをモー娘。(モームス)ではなく娘。(むすめ)と呼ぶのが浸透している。逆に「モーニング娘。」のことについてあまりよく分からない人は「モーむすめ」と言う人もいる。
  • モーニング娘。、Morning Musume。およびモー娘。はいずれも株式会社アップフロントグループ登録商標(商標登録第4555529号・第4566621号・第4555530号)で、登録呼称は「モーニングムスメ」および「モームスメ」である。存続満了日は2012年(平成24年)である(ただし更新可能)。

歴史

誕生(1997年)

  • 1997年9月7日テレビ東京系のオーディション番組『ASAYAN』(2002年3月24日終了)内において4月から行われていた「シャ乱Qロックヴォーカリストオーディション」(優勝は平家みちよ)の最終選考で落選した中から中澤裕子・石黒彩・飯田圭織・安倍なつみ・福田明日香の5人が選抜され、結成された(放送収録は8月20日)。公式の結成経緯に対し、後につんく♂がオーディション時に合宿をする理由として「グループ活動に必要な協調性があるかどうかを見るため」と語っていることなどと合わせ考えると、ソロヴォーカリストを選ぶのに合宿をするのは不自然であるといった理由などから、最初から女性ヴォーカルグループを作るためにオーディションを開いたのではないかとする説もある。グループ名は、9月14日の放送分において「モーニング娘。」と決まった。
  • 結成後はインディーズで活動を開始した。しかし、メジャーデビューを目指すにはシングル『愛の種』を、制限期間5日間、さらに手売りで5万枚売り上げなければならない厳しい試練があるとして、全国でCDの手売り販売を行う「愛の種」発売キャンペーンを行わなければならなかった。そのキャンペーンが11月3日から大阪心斎橋HMVを皮切りに開始したが、ここでの売り上げ枚数は16,610枚と目標を大きく上回った(HMVでの1日1店舗における1タイトルの売り上げは世界記録)。その後も全国各地を巡り、同月30日ナゴヤ球場でのキャンペーンでは9,533枚を売り上げ、目標の5万枚をすべて完売させ、メジャーデビューを果たした。
  • 楽曲の権利関係については、「愛の種」および「モーニングコーヒー」については「アップフロント音楽出版」と共に「テレビ東京ミュージック」が共同権利者となっており、プロモーション関係などの様々な経費をおそらくは番組制作費の一環としてテレビ東京側が負担することと引き替えに本グループに関する権利の半分を譲渡したものであると見られる。これに対して2ndシングルの「サマーナイトタウン」以降の曲についてはアップフロント音楽出版のみが権利者となっている。
  • 雑誌サイゾーにおいて、 アップフロントグループの山崎直樹会長とされる人物が、「モーニング娘。は本当は10人でスタートさせたかった。しかし5人でも1ヶ月で500万円の経費がかかるので成功するかどうか分からない状況で10人でスタートするのは到底無理だった。人数を増やしてもやっていけそうな目処が立った時点でメンバーを増やすことにした。」と語ったインタビューが掲載された。この記事では「モーニング娘。の音楽的なことはつんく♂が決めているが、メンバーを増やすかどうかといったことはすべて私が決めていた。」と、当時の「ASAYAN」の演出や関係者の発言を全否定する発言も同時に行っており、一部で物議をかもした。
  • 最初の追加メンバー募集の発表時は、内容を知らされずに「重大発表がある」とだけ聞かされた初代リーダーの中澤裕子が、その重大発表の内容は「モーニング娘。の解散」だと思ったと後に語っており、当時の現場にはその様な雰囲気があったことを伺わせる(「モーニング娘。5+3-1」〈宝島社〉より)。当初は人数を倍の10人にすると発表されたが、結果は3人追加の8人となった(1998年~1999年に後述)。
  • ブレイクするとともに急激に状況は改善されていったものの、デビュー曲の時点では歌の衣装は1着しか用意されておらず、衣装の洗濯なども自分で行っていたし、穴が開いたら自分で繕っていた。また、歌の衣装以外はすべて自前の私服であり、家族や友人から借りた服でしばしばテレビに出ることもあった。また、「ASAYAN」などが密着取材をする時以外は基本的に現地集合・解散であり、マネージャーもいない状況で移動時やプライベートでの写真も撮られ放題の状況であった。

1998年~1999年

  • 1998年1月28日にメジャーデビューを果たす。デビュー曲の『モーニングコーヒー』はオリコンシングルチャート6位に入る。
  • 1998年4月6月に初主演テレビドラマ太陽娘と海」(テレビ東京、平家みちよと共演)が放送される。その間の5月に追加メンバーとして保田圭・矢口真里・市井紗耶香が加入し、同月27日に2ndシングル『サマーナイトタウン』が発売され、オリコンシングルチャート4位に入る。
  • 1998年7月に東京・渋谷公会堂(現・渋谷C.C.Lemonホール)で初のコンサートを行う。
  • 1998年夏に初主演映画「モーニング刑事。抱いてHOLD ON ME!」(平家みちよと共演)が上映される。
  • 1998年9月6日の新聞の番組表で、初めて「モー娘」という略称表記が登場する。
  • 続く3rdシングル『抱いてHOLD ON ME!』(同月9日発売)で初のオリコンシングルチャート1位を獲得した。またオリコンカラオケチャートでは8週連続1位を達成。この曲で同年の第40回輝く!日本レコード大賞最優秀新人賞を受賞、またNHK紅白歌合戦第49回で初出場を果たす。
  • 1998年10月に最初の「グループ内ユニット」である「タンポポ」の結成が発表され、翌11月18日に『ラストキッス』でデビューした。
  • 1999年3月から初の全国ツアーを行い、7都市・19公演で約4万人を動員した。
  • 1999年1月に福田が学業優先を理由に脱退を表明して、4月18日のコンサートを以て脱退した。その後しばらくは人気に陰りが見え、7月14日鈴木亜美(当時は鈴木あみ)がTM NETWORKのヒット曲をカバーした「BE TOGETHER」と同日発売としてASAYANで煽られた6thシングル『ふるさと』ではオリコンシングルチャート5位まで落ち込む。
  • しかし、9月には第3期メンバーの後藤真希加入後に発売した『LOVEマシーン』(同月9日発売)で再ブレイクし、ミリオンセラー(195万枚)となり、オリコンカラオケチャートでも当時の新記録である17週連続1位を達成した。18週目の1位を阻止したのがモーニング娘。のグループ内ユニットである「プッチモニ」の『ちょこっとLOVE』(11月25日発売)であった。その曲もミリオンを突破し、一気にスターダムにのし上がったのがこの時期だった。

2000年~2001年

  • 2000年に入ると、直後の1月26日に『恋のダンスサイト』が発売され、オリコンによると約123万枚の売り上げを記録した。その後、『ハッピーサマーウエディング』(5月17日発売)や『恋愛レボリューション21』(12月13日発売)も100万枚を超える大ヒットを記録した。
  • 石黒彩が2000年1月8日に卒業した後、4月には4期メンバーとして石川梨華・吉澤ひとみ・辻希美・加護亜依が加入し、さらに翌5月には市井紗耶香が卒業した。
  • この頃から中国ブレンド茶「飲茶楼」(2月JT)や「Dream Net」(4月、現・OCN)を始めCMに多く出演するようになる。また、本グループがメインで出演する単発特別番組も放送されるようになる。
  • 2000年3月29日に発売されたサードアルバム『3rd~LOVEパラダイス~』で本グループのアルバムでは初のミリオンを達成した。
  • 2000年4月には、『ハロー!モーニング。』(テレビ東京系、2007年4月8日より「ハロモニ@」に移行)と『フライデーナイトはお願い!モーニング』(日本テレビ系〈テレビ岩手制作〉、2001年9月終了)の放送がスタートした。この2つのレギュラーテレビ番組に出演してから「ASAYAN」も卒業となり、以降同番組では不定期でモーニング娘。の企画が放送された。
  • 2000年5月に東映系で初主演映画『モー娘。走る!ピンチランナー』が公開される。
  • 2001年1月に矢口真里をリーダーとして結成されたミニモニ。が早くも低年齢層に受け入れられ、一気にファン層を拡大した。
  • 2001年頃からメンバーそれぞれの個人活動が多くなるとともに、併せてメンバーのソロ写真集が発売されるようになる。
  • 2001年1月31日に発売された初ベストアルバムベスト! モーニング娘。1』がトリプルミリオンに迫る売り上げを記録した。
  • この頃、ほとんど毎週のように「うたばん」(TBS系)にゲスト出演し、個人の知名度が一気に向上する(2006年9月22日に放送された『とくばん』で発表された同番組へのゲスト出演回数は第1位)。
  • また、「めちゃ²イケてるッ!」(フジテレビ系)の中でも『私立岡村女子高等学校。』として各メンバーの個性にクローズアップした企画が何度か放送された。同番組では国民的アイドルグループと紹介され、これ以降マスコミ各社も国民的アイドルと形容するようになった。
  • 同グループとして初のゴールデンタイムでのレギュラーテレビ番組『モー。たいへんでした』(日本テレビ系)も始まる(2001年4月~2002年3月)。
  • 2001年4月16日に初代リーダーだった中澤裕子が卒業し、同時に後任のリーダーに飯田圭織が就任、飯田より年上だった保田圭はサブリーダーに就任した。また、同時期に石川梨華がカントリー娘。の助っ人として呼ばれ、「カントリー娘。に石川梨華(モーニング娘。)」として活動を開始した。
  • 2001年5月3日27日に初主演ミュージカル『LOVEセンチュリー~夢は見なけりゃ始まらない~』を東京・日生劇場で上演した。これには既に卒業していた中澤裕子も出演した。
  • 2001年8月には、人気芸能人の証と言われる24時間テレビ「愛は地球を救う」(日本テレビ系)のメインパーソナリティとなる。この年の企画やドラマ『最後の夏休み』(安倍なつみ主演)が好評で、翌2002年8月も2年連続でメインパーソナリティを務める。
  • 2001年8月26日にテレビ東京系で放送された『LOVEオーディション21』の結果、5期メンバーとして高橋愛・紺野あさ美・小川麻琴・新垣里沙が加入し、史上最多(当時)の13人体制となる。

2002年~2004年

  • 2002年に入ると、1月2日にスペシャルドラマ『モーニング娘。新春!LOVEストーリーズ』(TBS系)が放送され、5月24日6月23日にはミュージカル『モーニング・タウン』を上演した。
  • 2002年5月の長者番付では、当時在籍していた4期までのメンバーが公示された。辻希美と加護亜依は当時中学生だったので特に話題になった。翌2003年以降も公示された納税額は減少しているものの、何人かが公示された。ただし5期以降のメンバーは一度も公示されたことはない。
  • 2002年7月31日に後藤と保田の卒業発表やタンポポ・プッチモニ・ミニモニ。のメンバーチェンジ発表などを行ったが、それぞれのファンからは大反発を受けた。本グループおよび同卒業メンバーのファンサイト上ではこのハロプロ構造改変を「7・31」や「ハローマゲドン」と呼ばれていた(「この構造改変が必ずしも人気低下の原因ではない、ハロプロ自体は構造改変の後に全盛期を迎えている」という意見もある)。
  • なお、この後、メンバーの卒業発表は卒業期日よりかなり前に発表されることになる。特に2003年8月の安倍なつみの卒業決定から2005年5月の石川梨華の卒業までの間は常に「卒業時期がすでに決定しているメンバー」が在籍していた。
  • 黄緑への変更は2012年7月4日に発表された。
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