広島県

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広島県(ひろしまけん)は日本中国地方に位置する都道府県の一つ。瀬戸内海に面する。県庁所在地広島市

概要

広島都市圏備後都市圏を中心に工業自動車産業)・商業が盛んである。県庁所在地広島市中国・四国地方最大の都市であり、政令指定都市に指定されている。一方で海・山の豊富な自然にも恵まれ、農業漁業も盛んである。このため「日本国の縮図」とも呼ばれる。

旧国制に倣い、大まかに広島市を中心とする県西部を「安芸」、県東部で岡山県と隣接している福山市を中心とする県東部を「備後」と呼び、現在でも方言・文化的に大きな違いを見せる(方言については広島弁備後弁を参照のこと)。ただし近年の広島県の施策では、有する都市機能と生活圏などから、広島圏域(県西部)、備後圏域(県東部)、備北圏域(県北東部)の3つにわける場合も多い。

第二次世界大戦において世界で初めて核兵器による攻撃を受けた広島市を抱えることから、国際的に知名度が高い。また安芸の宮島原爆ドームの2つのユネスコ世界文化遺産を有しており、日本国外からの観光客も多い。

地理

瀬戸内海には大小合わせて約140のを有す。

気候

県内の豪雪地帯日本海側気候、それ以外の地域は瀬戸内海式気候。備後地方を除くエリアでは隣接する岡山県に比べると全般に降水量は多い。

広島県内が降水量が非常に多いとされる要因として、地形的に平野が殆んど無い以上に、山間部が多く山林が非常に多いために、水蒸気蒸発して雨を降らせるが発生しやすいと指摘されている。

気候は複雑で、冬は広島市など安芸地域においては北西の季節風の影響で曇りや雨・雪の日も少なくなく、山沿いを中心に時には積雪することもある。一方、備後地域の沿岸部では冬でも晴天日数が比較的多く、岡山県南部に似た天気傾向となる。降雪量は瀬戸内海沿岸では少ないが、広島県北部の中国山地の山沿いでは多くなり、多くの道路は路面凍結する。冬から春にかけて、中国大陸から流入する黄砂にしばしば見舞われる。また、夏は沿岸の都市部や内陸の盆地などで猛暑日になる日も少なくない。

一方、内陸部では緯度の割には冬の冷え込みは厳しく、特に中国山地の山沿いは、北広島町の東八幡原(標高774m)で観測された-28.0度(1977年(昭和52年)2月19日)を筆頭に、庄原市の高野地区の-26.0度(1977年(昭和52年)2月19日)など-20度以下まで下がることもあるほどの厳寒地である。

自然公園

国立公園
瀬戸内海国立公園
国定公園
比婆道後帝釈国定公園西中国山地国定公園
県立自然公園
南原峡県立自然公園山野峡県立自然公園三倉岳県立自然公園竹林寺用倉山県立自然公園仏通寺御調八幡宮県立自然公園神之瀬峡県立自然公園

歴史

県名の由来

県名は県庁所在地である広島市に由来する。その広島の由来は、1589年(天正17年)からの毛利輝元による広島築城の際に、1591年(天正19年)命名されたものである。大江広元(毛利氏の祖)以来、毛利氏は「元」の通字以外、「広」も諱に使用する字のひとつとしていた。毛利元就の時代には、完全に臣従したもの(吉川元春、天野元貞、出羽元祐など)には、「元」を一字書出として与えたが、そうでない国人衆(平賀広相、阿曽沼広秀など)には、明白に傘下に組み入れられたと示す「元」の字を避け、「広」の字を与えたとされる。この慣習は毛利輝元にも引き継がれ(吉川広家、山内広通、益田広兼など)、毛利氏(特に輝元)の与える「広」は重要な意味合いを持った。従って「広島」は、この「広」とこの地の豪族であり、普請奉行であった福島元長の「島」を合わせたとする説が有力である。また他に、デルタのため「広い島」からきたという説もある。

原始・古代

旧石器時代から人々が居住していたと考えられ、広島大学東広島市)には約2万7千年前に遡る西ガガラ遺跡がある。倉橋島呉市倉橋町)の鹿島沖からナウマンゾウの化石などが引き上げられている。

甲立古墳や石槌山古墳群などの古墳もあり、 飛鳥時代後期には備後国に寺町廃寺(三次市)などの寺院が建立された。

中世

近世

江戸時代の藩については備後国の福山藩、安芸国の広島藩広島新田藩。また備後の家老浅野家の広島藩の支城三原城が置かれた。

近・現代

明治・大正

昭和

平成

越県合併の模索

岡山県笠岡市(旧茂平村)

1963年(昭和38年)(昭和38年岡山県笠岡市に編入されていた城見村の旧茂平村1889年(明治22年)他2村と共に城見村設立)が岡山県笠岡市より分離、広島県福山市への編入を模索した騒動。

経緯

茂平村地区は、当時より、地理的(地区が隣接する)、社会的(多くの住民の親戚等が福山市に居住および福山市出身の住民が多い)等により福山市との結びつきが強い地域であった。1963年(昭和38年)岡山県日生町福浦が強い住民運動により兵庫県赤穂市に合併されたことに刺激をうけた住民が大規模な合併運動を開始(以前より幾度か合併案はあった。)。当時広島県議会議員中川弘(のち福山市長に就任)賛同のもと、福山市議会議員数人の賛同も得た。また、城見村内で旧茂平村地区とと同じ境遇の旧用之江村地区も福山市との合併に賛同し共同で運動を始めた。その後、旧茂平村地区は旧用之江村地区と共同で福山市に合併嘆願書を提出した。

福山市に合併嘆願書が提出されると、岡山県議会、笠岡市議会からの反対運動が起こる。また、翌年(1964年(昭和39年))岡山県知事に地元出身の加藤武徳が就任すると、知事も合併運動に反対し、騒動は終結。

愛媛県]越智郡上島諸島

平成の大合併の際、愛媛県越智郡上島諸島弓削町生名村岩城村魚島村愛媛県より分離し、広島県因島市との合併を模索。

経緯

などの理由により、4町村が広島県因島市との越県合併を検討。 4島のうち最も広島県に近い生名村は昭和30年代にも、広島県への併合を模索したことがある。しかし、島だけでなく、大きな漁域を失うことを恐れた越智郡今治市の漁師が大規模な海上デモ活動を行った。また愛媛県越智郡も反対し決行されなかった経緯がある。生名村は、因島までの距離が300mと近い。また、村営の渡船が1日50往復近く運行されており、因島市のヘッドタウン的な立場であった。

2000年(平成12年)5月5市町村の間で連携交流協議会を設置するも、両県市町村間での調整が難航。結局、愛媛県側4町村で上島町を設立。合併案は、事実上凍結された。

なお、2012年現在、上島町は橋やフェリーなどで愛媛県に接続されておらず、車両で四国に上陸するためには一旦広島県側を経由しなければならない状態になっている。

行政

歴代知事

公選知事(1947年(昭和22年) - )のみを示した。これ以前の官選知事については広島県知事一覧を参照のこと。

県庁の変遷

広島県庁舎参照

財政

平成19年度

  • 財政力指数 0.59
    • Iグループ(財政力指数0.5以上、1.0未満)17自治体中9位

平成18年度

  • 財政力指数 0.54
    • Iグループ(財政力指数0.5以上、1.0未満)16自治体中10位
  • 標準財政規模 5309億円
  • 一般会計歳入 9814億円
  • 一般会計歳出 9767億円
  • 経常収支比率 91.5% ( 都道府県平均 92.6% )
  • 実質収支比率 0.5
  • 実質公債費比率 15.6% ( 都道府県平均 14.7 )
  • 人口一人当たり地方債現在高 64万2081円 (普通会計分のみ 都道府県平均 62万2416円 )
  • 人口100,000人当たり職員数 1,083.17人 ( 都道府県平均 1,173.11人 )
    • 平成17年度から平成21年度までの5年間で概ね1割、2,800人程度の削減を目標に人員削減に取り組んでいる
  • 人口一人当たり人件費・物件費等決算額 11万4872円 ( 都道府県平均 12万4759円 )
    • 人件費抑制・内部管理経費の削減などにより、前年と比較して2,556円ほど削減している 今後も財政健全化の方向でいく
  • ラスパイレス指数 100.2 ( 都道府県平均 99.6 )
  • 平均職員給与(普通会計分) 給料451万3691円 職員手当 84万9782円 期末・勤勉手当 192万2761円
    • 平均職員給与(年額) 728万6234円

地方債残高

  • 1普通会計分の地方債現在高 1兆8411億円
  • 2上記以外の特別会計分の地方債現在高 2854億円
    • その他に第3セクター等に対する債務保証等に係る債務残高がある (団体数 40 )

普通会計分と特別会計分の地方債合計 2兆1265億円 

平成17年度

  • 財政力指数 0.48
    • IIグループ(財政力指数0.4以上、0.5未満)8自治体中3位

平成16年度

  • 財政力指数 0.46
    • IIグループ(財政力指数0.4以上、0.5未満)10自治体中7位

国際交流

広島県は1984年(昭和59年)9月17日中華人民共和国四川省と、1997年(平成9年)5月30日にアメリカ合衆国ハワイ州と友好提携を締結し、交流を行っている。また、大韓民国慶尚南道との交流も行われている。

人口