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'''小森 まなみ'''(こもり まなみ、[[10月16日]] - )は、[[日本]]の[[ラジオ番組]]の[[パーソナリティ]]・[[歌手]]・[[声優]]である。
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'''小森 まなみ'''(こもり まなみ、[[1959年10月16日]] - )は、[[日本]]の[[ラジオ番組]]の[[パーソナリティ]]・[[歌手]]・[[声優]]である。
  
 
血液型・B型。天秤座。
 
血液型・B型。天秤座。
  
作家として'''小森眞奈美'''・絵本作家として'''こもりまなみ'''としても活動している。[[日本児童文芸家協会]]会員。[[NPO法人]][[メディカルメイクアップアソシエーション]]認定員。[[日本大学]][[芸術学部]]放送学科卒業。[[タワーズ]](ラジオ活動時)/[[ボイス&ハート]](声優・歌手活動時)所属。[[メディカルウィッグ]]専門会社アンジェリック代表。
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エッセイでは小森眞奈美'''・絵本では'''こもりまなみ'''として活動している。[[日本児童文芸家協会]]会員。[[NPO法人]][[メディカルメイクアップアソシエーション]]認定員。[[日本大学]][[芸術学部]]放送学科卒業。ラジオ活動の際は[[タワーズ]]声優・歌手活動の際は[[ボイス&ハート]]と、2つに分かれて所属、活動している。[[メディカルウィッグ]]専門会社アンジェリック代表。
  
 
== 人物紹介 ==
 
== 人物紹介 ==
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2007年現在『[[mamiのRADIかるコミュニケーション]]』は23年、『[[小森まなみのPop'n!パジャマ|小森まなみのPop'n!パジャマEYE]]』は13年続いている長寿番組。
 
2007年現在『[[mamiのRADIかるコミュニケーション]]』は23年、『[[小森まなみのPop'n!パジャマ|小森まなみのPop'n!パジャマEYE]]』は13年続いている長寿番組。
  
番組や著作物を通じて「'''夢+努力=現実'''」を提唱。これは「[[夢の方程式]]」とも呼ばれ、小森が特に強調する[[モットー]]である。
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「夢の方程式」というものをラジオ活動初期からもっている。夢の方程式とは、「夢+努力=現実」 最初に「夢」があり「努力」することで「現実(結果)」という意味。
  
毎年元旦に年賀状全員プレゼントを行っている。ラジオ番組や雑誌での案内に従い申し込むと送られる(ただし[[2002年]]については[[炭疽菌]]事件の影響で実施が見送られた)。
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毎年元旦に年賀状全員サービスを行っている。ラジオ番組、雑誌、公式ホームページに案内が記される。([[2002年]][[炭疽菌]]事件の影響で断念)。
  
ファンとは、buddy(仲間、相棒、親友の意)またはfamily(家族)といった関係で居たいという考えから、ファンクラブは作られない。
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ファンとは、buddy(仲間、相棒、親友の意)という関係でいたい考えと、目立つことを嫌う為、ファンクラブは作られない。
 
ファンは「buddy」と、いつでも本音で語り合える関係でありたいようだが、自らファンに注意や警告が出来ない弱い面がある。
 
ファンは「buddy」と、いつでも本音で語り合える関係でありたいようだが、自らファンに注意や警告が出来ない弱い面がある。
リスナー同士の交流を深める目的でリスナー主催による集いが行われることがある(もちろん本人は来ないが、番組で告知され、イベントの場所に限り、時々本人が集いに潜入することもある)。
 
  
[[日本テレビ音楽学院]]で歌唱を学んだ高校1年には、音楽ユニット「[[バーズ (音楽ユニット)|バーズ]]」のメンバーに選抜され、[[全国高校サッカー選手権]]イメージソング「[[ふり向くな君は美しい]]」をリリース。学校では[[フォークソング]]部に所属。DJになって以後も友人たちと『[[Nausicäa]]』というバンドを結成したこともあるなど、あらゆる場面で音楽に接しており、この事が歌手・作詞活動に結びついているといえよう。
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[[日本テレビ音楽学院]]で歌唱を学んだ高校1年には、音楽ユニット「[[バーズ (音楽ユニット)|バーズ]]」のメンバーに選抜され、[[全国高校サッカー選手権]]イメージソング「[[ふり向くな君は美しい]]」をリリース。学校では[[フォークソング]]部に所属。
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[[Nausicäa]]』というバンドを結成したこともあり、各地でライブが行われた。
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厳格な家庭に育ち、幼少期にタイで生活をしていた。感受性強く涙腺が弱い。番組中時々、いじめや病気についてのハガキを読んでるうちに泣き出し、コメントを述べているうちに放送終了時間を忘れ、尻切れ番組になったことがある。
  
厳格な家庭に育ち、幼少期にタイで生活をしていた。性格は[[天然ボケ]]な部分があるものの、基本的に努力家で優しい。また感受性が豊かで涙腺が弱く、ハガキに感動して番組中でも涙ぐんたり、本気で励まし続け放送終了時間を忘れ、尻切れ番組になったこともある。ラジオを聴いて育った漫画家やタレントからの人望は厚いようだ。
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医師であった父の影響で、医師としてではないが言葉を通して人の心を癒す「心のお医者さん」を目指している。
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父の遺志を受け継ぎ、[[2006年]]抗がん剤の副作用に苦しむ人のためにメディカルウィッグ(医療用かつら)を通信販売専門会社「アンジェリック」を設立。代表に就任した。
  
医師であった父の影響からか、会話や言葉を通じて人々の心を癒す「'''心のお医者さん'''」を目標としている。また、亡き父の遺志を受け継ぎ、[[2006年]]から抗がん剤の副作用に苦しむ人のためにメディカルウィッグ(医療用[[かつら (装身具)|かつら]])を扱う会社「アンジェリック」を設立し代表に就任。同年1月より公式サイトを立ち上げた。
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== エピソード ==
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* 1980年代後半の『[[ラジオパラダイス]]』人気パーソナリティ投票で、長期に渡り女性部門1位となった。伝説のDJとして男性部門1位の小堀勝啓(中部日本放送|CBCアナウンサー)との誌上対談が実現。小堀勝啓の番組に生出演した。
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**RADIコミ内でRADIコミ年齢による「年ネタ」や年に一度小森の誕生日が近くなると「年ネタ解禁!ホットケー記念日」が行われていた。
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番組が10周年を迎えたのを機に「番組○周年」の企画に変わった。
  
== エピソード ==
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* マルベル堂から出したブロマイドが、小森の顔を知らなかったリスナー多数が購入したため、売り上げが4位にランクイン。マスコミが注目し、女子大生DJブームがおこる。しかし、大手プロダクションより「権威が落ちる」とクレームがついたためランキング廃止となり売り上げランキングより小森の名前は除外されることになった。
* 1980年代後半の『[[ラジオパラダイス]]』人気パーソナリティ投票では、女性部門1位を長きにわたり獲得。伝説のDJとして男性部門1位の[[小堀勝啓]]([[中部日本放送|CBC]]アナウンサー)との誌上対談が実現。また、[[小堀勝啓]]の番組に生出演した。
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*DJランキング1位の表彰式には『[[FOCUS]]』も取材にきて、DJでは初めてフォーカスされる。しかし本人はこのブームがお気に召さないらしく「アイドル扱いされるのはいや」「ラジオを聴いて欲しい」「目立ちたくない」と、番組を降り、海外にひとり旅をしたこともある。成田空港には心配したリスナーたちが、大勢待っていた。『わがままお嬢様』と評されたことがあった。
*1985年、[[静岡放送|静岡放送(SBS)ラジオ]]で当時人気だった生番組「[[フリーステーション1.2.0]]」(月曜~金曜、この件は金曜日について)に飛び入りゲスト出演したことがあった。これは当時土曜夕方からの生放送番組「[[JanJanサタデー]]」([[静岡第一テレビ]])出演のため、土曜日は日帰りで来静していた小森まなみが、「[[フリーステーション1.2.0]]」への飛び入り出演をするため、当時金曜夕方に放送されていたラジオたんぱ(現:日経ラジオ社)の生番組終了後に新幹線で来静、そのままSBSラジオに向かい、その日のレギュラーパーソナリティだったSBSの[[國本良博]]アナウンサーとおよそ1時間の生放送に参加したというものである。時折國本アナが下ネタを発し、それに対する小森のリアクションがしばらく話題となった。
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* GOROや写楽 (雑誌)などでグラビアアイドルとして取り上げられたことは本人にとっては消したい過去。[[西村朋紘]]との番組『MAMI☆OMO Radio Caravan』の公開録音にて、小森のグラビアが掲載された雑誌[[GORO]]を持ってきたリスナーが暴走してステージ上に上がり、小森がビキニで寝そべる写真のページを広げ小森を追い掛けまわして泣かせてしまった(オンエアではうまく編集されていた)。その[[リスナー]]は、握手会にもしっかりと参加していた。
* 実際の年齢が“冗談としか思えない”と評される程若々しい容姿を保っている。
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**イベント帰りの名古屋駅の新幹線ホームにて、補導員に家出少女と間違えられ補導されそうになったことがある。
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*赤い魚とネギ類全般が苦手。大切にしていたキンギョを猫に食べられていた場面に遭遇し、これが[[トラウマ]]になったた。リスナーが知らずに「キンギョの子供が生まれました!」と投稿して来た時、途中までしか読めず投げ出し、ミンキー・ヤスに残りを読んでもらった事がある。(なお、その週には金魚の姿焼きというペンネームのリスナーもハガキを読まれた。)また「赤いから」[[キンギョ]]が嫌い、とRADIコミで発言した事もあり翌々週の放送で「黒い[[出目金]]は大丈夫なんですか?」と番組冒頭の独り言で突っこまれると「その類は全部ダメ!」と言っていた。更にタイトルコールの後「鯛も海で泳いでいるのはダメです。」と発言。ミンキー・ヤス曰く「謎は深まるばかり」とのことである。ネギ類に関しては福岡にイベントで行った時[[長浜ラーメン]]を食べに行った時「ネギ抜き」でお願いしますと注文して店主に不審がられた。  
**[[漫画家]]で友人の[[佐藤まり子]]や[[井潤千代美]]らと温泉旅行に行ったときは仲居さんが気を使って子供用浴衣を持ってきた。
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* 基本的に年齢の事を公言する事はない。[[井上喜久子]]と同様のパターンで「永遠の18歳」と言われる([[声優#近時の声優の立場など]]も参照)。
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**RADIコミ内でRADIコミ年齢による「年ネタ」や年に一度小森の誕生日が近くなると「年ネタ解禁!ホットケー記念日」が行われていたが、番組が10周年を迎えたのを機に番組の第1回放送日1984年10月13日に因んだ「番組○周年」の企画に変わった。
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**古くから交友があり、小森本人も何度もゲスト出演した事がある[[日高のり子]]の[[はいぱぁナイト]]及び[[ハイヤングKYOTO (第二期)|日高のり子のアロマチックナイト]]においては、小森のおおよその年齢を知っている事を前提としたネタがリスナーから多数送られていた(例:小森本人が番組中でビスコとマミーが好物と語った途端「それが若さを保つ秘訣」と言うネタや、それを応用して先に挙げた補導ネタを元にした「マミ若返り食事法~私が補導される理由~」と言う本が出るらしい、と言う「嘘ネタ」など。
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* マルベル堂から「卒業記念に一枚写真をとらない?」と言われ出したブロマイドが、小森の顔を知らなかったリスナーが購入したため、売り上げが4位にランクイン。マスコミが注目し、女子大生DJブームがおこる。しかし、大手プロダクションより「権威が落ちる」とクレームがついたためランキング廃止となり売り上げランキングより小森の名前は除外されることになる。ブロマイドの写真はカントリーガールのジャケットにも使用された。
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*DJランキング1位の表彰式には『[[FOCUS]]』も取材にきて、DJでは初めてフォーカスされる。しかし本人はこのブームがお気に召さないらしく「アイドル扱いされるのはいや」「ラジオを聴いて欲しい」「目立ちたくない」と、番組を降り、海外にひとり旅をしたこともある。成田空港には心配したリスナーたちが、大勢待っていた。一部に『わがままお嬢様』と評される。
+
* 後述の雑誌[[GORO]]や[[写楽 (雑誌)|写楽]]などで[[グラビア]]アイドルとして取り上げられたことは本人にとっては消したい過去らしく、[[西村朋紘]]との番組『MAMI☆OMO Radio Caravan』の公開録音にて、小森のグラビアが掲載された雑誌[[GORO]]を持ってきたリスナーが暴走してステージ上に上がり、小森がビキニで寝そべる写真のページを広げ小森を追い掛けまわして泣かせてしまった(オンエアではうまく編集されていた)。その[[リスナー]]は、握手会にもしっかりと参加していた。
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* [[おはようスタジオ]]([[テレビ東京]])にレギュラー出演していた頃、ゲストに来ていたチェッカーズにノースリーブの服の脇から乳首を見られたらしい。なお、この事をラジオにて話す時「[[チェッカーズ]]にアソコみられたの!」と言って余計ドツボに嵌っていった。[[ミンキー・ヤス]]曰く「この頃の小森の[[おっぱい]]は[[元気]]がよかった」。
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*[[キンギョ]]と[[ネギ]]類全般([[タマネギ]]・[[長ネギ]])と人の入った[[着ぐるみ]]が苦手。大切にしていたキンギョを猫に食べられていた場面に遭遇し、これが[[トラウマ]]になったとの事。リスナーが知らずに「キンギョの子供が生まれました!」と投稿して来た時、途中までしか読めず投げ出し、ミンキー・ヤスに残りを読んでもらった事がある。(なお、その週には金魚の姿焼きというペンネームのリスナーもハガキを読まれた。)また「赤いから」[[キンギョ]]が嫌い、とRADIコミで発言した事もあり翌々週の放送で「黒い[[出目金]]は大丈夫なんですか?」と番組冒頭の独り言で突っこまれると「その類は全部ダメ!」と言っていた。更にタイトルコールの後「鯛も海で泳いでいるのはダメです。」と発言。ミンキー・ヤス曰く「謎は深まるばかり」とのことである。ネギ類に関しては福岡にイベントで行った時[[長浜ラーメン]]を食べに行った時「ネギ抜き」でお願いしますと注文して店主に不審がられた。  
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* 健康診断があるのを忘れて、[[アラレちゃん]]がプリントされたパンツをはいていった事がある。
 
* 健康診断があるのを忘れて、[[アラレちゃん]]がプリントされたパンツをはいていった事がある。
* アルバム「BIRTH」のポスタージャケット撮影イメージは、「湖岸にたたずむ[[佐野量子]]ちゃん」
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* ビデオ「Believe」のジャケットイメージ(パジャマを着ている方)は、あくまで本人曰く[[渡辺美里]]
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* RADIコミ最初のイベントが、スポーツバレー東海のプールにて行われた時「プールでやるからね。水着でね」とボス是枝から言われ「上はビキニ、下は腰ミノ」という姿で現れた。
* RADIコミ最初のイベントが、スポーツバレー東海のプールにて行われた時「プールでやるからね。水着でね」とボス是枝から言われ「上はビキニ、下は腰ミノ」という姿で現れる。
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*ヤロメロJr. 出発進行!のパーソナリティに選ばれたキッカケは、ラジオたんぱの別のオーディションの際書類と一緒に提出した写真が、ビキニの写真だったのが目に止まったため。(本人曰く「それしかなかった」との事)。  
 
*ヤロメロJr. 出発進行!のパーソナリティに選ばれたキッカケは、ラジオたんぱの別のオーディションの際書類と一緒に提出した写真が、ビキニの写真だったのが目に止まったため。(本人曰く「それしかなかった」との事)。  
* 野球に関しては全くの無知で、[[日経ラジオ社|ラジオたんぱ]]の番組で「ボールの握りで、ある食器で挟んだように見えることからこの名前がついたボールは?」という問題に対して「サラダボール」と答えた(正解は[[フォークボール]])。また、劇場版「[[バツ&テリー]]」アフレコで球場のウグイス嬢役の時に、野球用語が全然わからない為、収録はかなり苦労したと言われる。
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* 野球に関しては全くの無知で、[[日経ラジオ社|ラジオたんぱ]]の番組で「ボールの握りで、ある食器で挟んだように見えることからこの名前がついたボールは?」という問題に対して「サラダボール」と答えた(正解は[[フォークボール]])。また、劇場版「[[バツ&テリー]]」アフレコで球場のウグイス嬢役の時に、野球用語が全然わからない為、収録はかなり苦労したそうだ。
  
* 地名・名前の読み間違いや創作が多々ある。代表的なのものとして地名では「[[北海道]][[北九州市]]」「さっぽいどー([[札幌]]+北海道)」「[[山口県]]しものけ市([[下関]])」など。[[リスナー]]の[[ペンネーム]]「若年寄恵比寿(わかどしよりえびす)」を、「じゃくねんよりえびす」と読んでしまい翌々週リスナーの指摘より間違いに気がつく。なお、若年寄恵比寿はハガキ職人であり他の番組で採用されたときは「わかどしよりえびす」と正しくペンネームを紹介されるが、小森の番組では「じゃくねんよりえびす」で押し通されてしまった。
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* 地名・名前の読み間違いが多々ある。代表的なのものとして地名では北海道を「さっぽいどー([[札幌]]+北海道)」「[[山口県]]しものけ市([[下関]])」など。[[リスナー]]の[[ペンネーム]]「若年寄恵比寿(わかどしよりえびす)」を、「じゃくねんよりえびす」と読んでしまい翌々週リスナーの指摘より間違いに気がつく。なお、若年寄恵比寿はハガキ職人であり他の番組で採用されたときは「わかどしよりえびす」と正しくペンネームを紹介されるが、小森の番組では「じゃくねんよりえびす」で押し通されてしまった。
 
* RADIコミ開始当初流行った牛乳早飲みを、何年後かのクリスマスに再度挑戦した時、牛乳を吹き出しスタジオの床を汚してしまった。
 
* RADIコミ開始当初流行った牛乳早飲みを、何年後かのクリスマスに再度挑戦した時、牛乳を吹き出しスタジオの床を汚してしまった。
* RADIコミの独り言において「すね毛の枝毛発見」という葉書を読み「見た~い」と言った為に翌々週、実際にリスナーが葉書に貼りつけて送ってきた。
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* 握手会で受験生が小森まなみと握手をすると、受験に失敗するという[[ジンクス]]がある。但し、左手で握手すると大丈夫らしい。中にはあえてジンクスを破ろうと、右手で握手し後日「合格しました!」と報告する強者リスナーもいる。近年では[[小森まなみ]]の年賀状が『[[落ちないお守り]]』として受験生に大人気。きっかけは「コモリの笑い話にはオチがないから」とリスナー間の逸話。
* 握手会で受験生が小森まなみと握手をすると、受験に失敗するという[[ジンクス]]がある。但し、左手で握手すると大丈夫らしい。中にはあえてジンクスを破ろうと、右手で握手し後日「合格しました!」と報告する強者リスナーもいる。近年では[[小森まなみ]]の年賀状が『[[落ちないお守り]]』として受験生に大人気。きっかけは「コモリの笑い話にはオチがないから」とリスナー間の逸話から。
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*[[1994年]]、担当するRADIコミの10周年記念イベントを、名古屋レインボーホールで開催。約7000人のファンを動員。*[[1997年]]頃から『[[アニラジ]]』ブームがおこり、アニメ・ラジオ・イベントの最前線にクローズアップされる。しかし上記のように本人は『ブーム』にあおられることを、極めて好まないために「これから[[マリモ]]になります」と[[1999年]]にイベントで宣言。これがいわゆる『[[マリモ宣言]]』。
*[[1994年]]、担当するRADIコミの10周年記念イベントを、名古屋レインボーホールで開催し7,000人を超えるリスナーを動員。ラジオのみのイベントでは異例の動員数で大成功を収める。
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*[[1997年]]頃から『[[アニラジ]]』ブームがおこり、アニメ・ラジオ・イベントの最前線にクローズアップされる。しかし上記のように本人は『ブーム』にあおられることを、極めて好まないために「これから[[マリモ]]になります」と[[1999年]]にイベントで宣言。これがいわゆる『[[マリモ宣言]]』。
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== 略歴 ==
 
== 略歴 ==
* [[1979年]] - 日大芸術学部在籍中、[[ニッポン放送]]で声のアルバイトをしていたのをきっかけに、同局の番組『[[せんだみつおの足かけ二日大進撃!!]]』の一コーナーにスカウトされる。
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* [[1979年]] - 日大芸術学部在籍中、[[ニッポン放送]]で声のアルバイトをしていたのをきっかけに、同局の番組『[[せんだみつおの足かけ二日大進撃!!]]』の一コーナーにスカウトされた。
 
* [[1980年]][[4月4日]]~ - [[ラジオたんぱ]]『[[ヤロメロジュニア出発進行]]』金曜日を担当。これがパーソナリティとしての本格デビューとなる。<br/>以後、たんぱでは[[1987年]]3月の『[[はしゃいで○○大放送]]』終了まで番組を担当。[[大橋照子]]/[[斉藤洋美]]と共に「たんぱ三人娘」と呼ばれ一大ブームとなる。DJ人気投票では[[ブロンズマイク賞]]を受賞。
 
* [[1980年]][[4月4日]]~ - [[ラジオたんぱ]]『[[ヤロメロジュニア出発進行]]』金曜日を担当。これがパーソナリティとしての本格デビューとなる。<br/>以後、たんぱでは[[1987年]]3月の『[[はしゃいで○○大放送]]』終了まで番組を担当。[[大橋照子]]/[[斉藤洋美]]と共に「たんぱ三人娘」と呼ばれ一大ブームとなる。DJ人気投票では[[ブロンズマイク賞]]を受賞。
* [[1982年]]4月 - [[静岡第一テレビ]]で放送された、生放送の若者向け情報番組「[[JanJanサタデー]]」にレギュラー出演。本格的なテレビレギュラー司会はこれが初めて。[[チェッカーズ]]・[[X JAPAN]]などと友好を持つ。この司会は[[ラサール石井]]とともに[[1989年]]9月まで継続。
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* [[1982年]]4月 - [[静岡第一テレビ]]で放送された、生放送の若者向け情報番組「[[JanJanサタデー]]」にレギュラー出演。本格的なテレビレギュラー司会はこれが初めて。この司会は[[ラサール石井]]とともに[[1989年]]9月まで継続。
* [[1983年]][[4月29日]] - 初の著書『ハートいっぱい抱きしめて』出版。また、同年の[[12月1日]]。[[ソニー・ミュージックエンタテインメント|CBSソニー]]より[[秋元康]]プロデュースでシングル『翼をつけて Love Song』と四枚組シングル『You』を発売。レコードデビューを果たす。レコード関係者によるファンクラブもでき、2万人を超えたが、「ファンとアイドルの関係みたいで、ラジオのポリシーからはずれる」と1年で解散を宣言。
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* [[1983年]][[4月29日]] - 初の著書『ハートいっぱい抱きしめて』出版。また、同年の[[12月1日]]。[[ソニー・ミュージックエンタテインメント|CBSソニー]]より[[秋元康]]プロデュースでシングル『翼をつけて Love Song』と四枚組シングル『You』を発売。レコードデビューを果たす。レコード関係者によるファンクラブもでき、2万人を超えたが、「ファンとアイドルの関係みたいで、ポリシーからはずれる」と1年で解散を宣言。
* [[1984年]][[10月13日]] - ライフワークとなる番組『[[mamiのRADIかるコミュニケーション]]』(通称RADIコミ)開始。この番組を通じて、ほぼ現在の話法が確立される。
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* [[1984年]][[10月13日]] - ラジオ『[[mamiのRADIかるコミュニケーション]]』(通称RADIコミ)(ラディコミ)を開始。
* [[1986年]][[5月5日]] - [[キングレコード]]より初の[[レコード|LP]]『HERTZ』を発売。カセット・LDも同時発売は珍しかった。以後、小森まなみ名義での音盤は全て、キングレコードより発売される事になる。
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* [[1986年]][[5月5日]] - [[キングレコード]]より初の[[レコード|LP]]『HERTZ』を発売。カセット・LDも同時発売。
* [[1986年]] - [[ラジオ]]情報誌「[[ラジオパラダイス]]」DJ人気投票で年間ランキング1位となる。以後1989年7月から1990年5月まで11回連続1位、さらに年間ランキング1位に4回輝く。
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* [[1986年]] - [[ラジオ]]情報誌「[[ラジオパラダイス]]」DJ人気投票で年間ランキング1位となる。以後1989年7月から1990年5月まで11回連続1位、さらに年間ランキング1位に4回輝いた。
 
*[[タカラ]]『[[リカちゃん]]』イメージキャラクターに選ばれる。リカちゃんとテレビCM出演。イメージアルバム『[[永遠の少女たちへ]]』リリース。
 
*[[タカラ]]『[[リカちゃん]]』イメージキャラクターに選ばれる。リカちゃんとテレビCM出演。イメージアルバム『[[永遠の少女たちへ]]』リリース。
 
*[[ロッテ]]『[[キウイ]]フルーツバブアップ』CM出演。全国のラジオリスナーから「動くまみちゃんを初めて見た」と大反響。
 
*[[ロッテ]]『[[キウイ]]フルーツバブアップ』CM出演。全国のラジオリスナーから「動くまみちゃんを初めて見た」と大反響。
 
*[[TBS]]『[[アップルシティ500]]』、[[テレビ東京]]『[[おはようスタジオ]]』レギュラー司会。
 
*[[TBS]]『[[アップルシティ500]]』、[[テレビ東京]]『[[おはようスタジオ]]』レギュラー司会。
* [[1989年]] - [[南町奉行所]]代表取締役社長 山崎理{やまさき おさむ)と結婚。これを期に山崎氏が手掛ける作品には、声優として出演することが多々ある。
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* [[1989年]] - 結婚入籍。
 
* [[1990年]]-テレビ東京『新・[[桃太郎伝説]]』はじめてのアニメヒロイン・[[かぐや姫]]役。主題歌とエンディングテーマも「小森まなみとピーチボーイズ」で発売。
 
* [[1990年]]-テレビ東京『新・[[桃太郎伝説]]』はじめてのアニメヒロイン・[[かぐや姫]]役。主題歌とエンディングテーマも「小森まなみとピーチボーイズ」で発売。
 
*[[1990年]]- 男児を出産。出産後、体調が回復することなく[[1991年]]まで産休。。『新・[[桃太郎伝説]]』[[かぐや姫]]役をやむなく降板。
 
*[[1990年]]- 男児を出産。出産後、体調が回復することなく[[1991年]]まで産休。。『新・[[桃太郎伝説]]』[[かぐや姫]]役をやむなく降板。
 
* [[1991年]] - 復帰第一弾シングルTVアニメ『[[魔法のプリンセスミンキーモモ#第二作(海モモ)|魔法のプリンセスミンキーモモ(新)]]』主題歌のレコーディングで作詞の[[岡崎律子]]と出会い意気投合。
 
* [[1991年]] - 復帰第一弾シングルTVアニメ『[[魔法のプリンセスミンキーモモ#第二作(海モモ)|魔法のプリンセスミンキーモモ(新)]]』主題歌のレコーディングで作詞の[[岡崎律子]]と出会い意気投合。
* [[1996年]]11月 - たんぱ時代の友人[[高橋直純]]と[[AsR]]を結成。[[2001年]]まで活動を行う。
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* [[1996年]]11月 - たんぱ時代の友人[[高橋直純]]と[[AsR]]を結成。[[2001年]]までラジオイベントなどで活動を行う。
* [[1997年]]11月18日 - 父親、永眠。[[Shibuya O-East|渋谷ON AIR EAST]]で行われた初のライブで観客に父の死を初めて公表する。また番組に本人が出演できず、ミンキーヤス・高橋直純・内藤寛らがピンチヒッターを務める。
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* [[1997年]]11月18日 - 父親、永眠。[[Shibuya O-East|渋谷ON AIR EAST]]で行われた初のライブで観客に父の死を初めて公表。番組に本人が出演できず、ミンキーヤス・高橋直純・内藤寛がピンチヒッターを務めた。
* [[2003年]] - [[名古屋城#名古屋城夏まつり|名古屋城夏まつり]]で行われた『mamiのRADIかるコミュニケーション』のイベントで、以前は乗れなかった[[自転車]]に乗って登場した。さらに、この日のために[[握力]]を鍛え、番組内で左手の握力が8Kgしかないと言っていたが、計測の結果、右22Kg+左18Kg=40Kgと成果が出ている。「夢+努力=現実」を自ら実証した。
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* [[2003年]] - [[名古屋城#名古屋城夏まつり|名古屋城夏まつり]]で行われた『mamiのRADIかるコミュニケーション』のイベントで、以前は乗れなかった[[自転車]]に乗って登場した。さらに、この日のために[[握力]]を鍛え、番組内で左手の握力が8Kgしかないと言っていたが、計測の結果、右22Kg+左18Kg=40Kgと成果が出ている。
* [[2003年]] - 東京の有明「有明パークビル」にできた、ウェディングチャペルのプロデュースと企画をした。また、捨ててしまう種を砂漠緑化に役立てる「緑のたまごプロジェクト」を、同年の[[名古屋城#名古屋城夏まつり|名古屋城夏まつり]]より開始した。種の募集は、公開録音の会場に種を入れる箱を設けたり、番組宛てに送るなどで継続していた。
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* [[2003年]] - 東京の有明「有明パークビル」にできた、ウェディングチャペルのプロデュースと企画をした。
* [[2005年]][[8月7日]] - [[2005年日本国際博覧会|愛・地球博]]で行われ、会場のEXPOホールに定員である3,000人の観客が動員された、[[東海ラジオ]]のアニラジ5番組の合同イベント「東海ラジオスペシャル We Love The Earth」に参加。イベントでは「緑のたまごプロジェクト」の取り組みと、自身が震災後のタイを旅したメッセージ映像を紹介した後、イベントのために作詞した「アイノホシ~We Love The Earth」などのライブを行った。後に「緑のたまごプロジェクト」は、外来種生物禁止法により中止となった。
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果物などの、捨ててしまう種を砂漠緑化に役立てる「緑のたまごプロジェクト」を同年の[[名古屋城#名古屋城夏まつり|名古屋城夏まつり]]より開始した。種の募集は、公開録音の会場に種を入れる箱を設けたり、番組宛てに送るなどで継続していた。
* [[2006年]][[6月1日]] - 声優や歌手のマネージメントを、[[アニプレックス]]のマネージメント部門「[[VOICE&HEART]]」に移籍。
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* [[2006年]][[8月20日]] - [[名古屋城]]開府400年『名古屋城宵まつり・夢のチカラ+GP』!!開催。ラジオで「このようなイベントは最後」というの発言があり、リスナーが動揺。
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* [[2006年]][[10月14日]] - [[原宿]] Blue Jay Wayにて、小森まなみの初の朗読&[[アコースティック]]ライブ『きんもくせいナイト~Premium First Flight』開催。チケットが約1時間で完売されたことから、本公演前に追加公演が行われるという事態が起きた。
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'''小森 まなみ'''(こもり まなみ、[[1959年10月16日]] - )は、[[日本]]の[[ラジオ番組]][[ラジオパーソナリティ|パーソナリティ]]・[[歌手]]・[[声優]]・[[随筆家|エッセイスト]]である。
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血液型・B型。天秤座。
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作家として'''小森眞奈美'''・絵本作家として'''こもりまなみ'''としても活動している。[[日本児童文芸家協会]]会員。[[NPO法人]][[メディカルメイクアップアソシエーション]]認定員。[[日本大学]][[芸術学部]]放送学科卒業。[[タワーズ]](ラジオ活動時)/[[ボイス&ハート]](声優・歌手活動時)所属。[[メディカルウィッグ]]専門会社アンジェリック代表。
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== 人物紹介 ==
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[[東京都]][[渋谷区]]生まれ。父は[[内科]][[学者]]で、世界的な[[胃癌]]治療の第一人者だった[[小黒八七郎]]。
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曽祖父は[[儒学者]]、祖父は医師という家系に生まれる。
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ラジオ番組において、レコードを廻しながら一人で放送をおこなう「[[ディスクジョッキー]]」ならぬ、トークに重点を置いた''トークジョッキー''という概念を提唱し、自ら実践した。現在も歌手・作家・声優・メイクセラピストなど多くの活動のなか、パーソナリティとしての活動に重点を置いている。
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ラジオ番組では「心と心のキャッチボール」を大切にし、幅広い年齢層のリスナーから'''マミ姉'''と呼ばれ親しまれている。
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[[1980年代]]後半~2001年のラジオ情報誌DJ人気投票では、1位、2位と常に上位にランクイン。人気・実力ともに長きに渡ってリスナーの支持を得ている。
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2007年現在『[[mamiのRADIかるコミュニケーション]]』は23年、『[[小森まなみのPop'n!パジャマ|小森まなみのPop'n!パジャマEYE]]』は13年続いている。
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番組や著作物を通じて「'''夢+努力=現実'''」を提唱。これは「[[夢の方程式]]」とも呼ばれ、小森が特に強調する[[モットー]]である。
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毎年元旦に年賀状全員プレゼントを行っている。ラジオ番組や雑誌での案内に従い申し込むと送られる(ただし[[2002年]]については[[炭疽菌]]事件の影響で実施が見送られた)。
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ファンとは、buddy(仲間、相棒、親友の意)またはfamily(家族)といった関係で居たいという考えから、ファンクラブは作られない。
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ファンは「buddy」と、いつでも本音で語り合える関係でありたいようだが、自らファンに注意や警告が出来ない弱い面がある。
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リスナー同士の交流を深める目的でリスナー主催による集いが行われることがある(もちろん本人は来ないが、番組で告知され、イベントの場所に限り、時々本人が集いに潜入することもある)。
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[[日本テレビ音楽学院]]で歌唱を学んだ高校1年には、音楽ユニット「[[バーズ (音楽ユニット)|バーズ]]」のメンバーに選抜され、[[全国高校サッカー選手権]]イメージソング「[[ふり向くな君は美しい]]」をリリース。学校では[[フォークソング]]部に所属。DJになって以後も友人たちと『[[Nausicaa]]』というバンドを結成したこともあるなど、あらゆる場面で音楽に接しており、この事が歌手・作詞活動に結びついているといえよう。
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厳格な家庭に育ち、幼少期にタイで生活をしていた。性格は[[天然ボケ]]な部分があるものの、基本的に努力家で優しい。また感受性が豊かで涙腺が弱く、ハガキに感動して番組中でも涙ぐんたり、本気で励まし続け放送終了時間を忘れ、尻切れ番組になったこともある。ラジオを聴いて育った漫画家やタレントからの人望は厚いようだ。
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医師であった父の影響からか、会話や言葉を通じて人々の心を癒す「'''心のお医者さん'''」を目標としている。また、亡き父の遺志を受け継ぎ、[[2006年]]から抗がん剤の副作用に苦しむ人のためにメディカルウィッグ(医療用[[かつら (装身具)|かつら]])を扱う会社「アンジェリック」自らの保険を解約した資金などで設立し代表に就任。同年1月より公式サイトを立ち上げた。(保険解約のことは番組で放送された事実)
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== エピソード ==
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* 1980年代後半の『[[ラジオパラダイス]]』人気パーソナリティ投票では、女性部門1位を長きにわたり獲得。伝説のDJとして男性部門1位の[[小堀勝啓]]([[中部日本放送|CBC]]アナウンサー)との誌上対談が実現。また、[[小堀勝啓]]の番組に生出演した。
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*1985年、[[静岡放送|静岡放送(SBS)ラジオ]]で当時人気だった生番組「[[フリーステーション1.2.0]]」(月曜~金曜、この件は金曜日について)に飛び入りゲスト出演したことがあった。これは当時土曜夕方からの生放送番組「[[JanJanサタデー]]」([[静岡第一テレビ]])出演のため、土曜日は日帰りで来静していた小森まなみが、「[[フリーステーション1.2.0]]」への飛び入り出演をするため、当時金曜夕方に放送されていたラジオたんぱ(現:日経ラジオ社)の生番組終了後に新幹線で来静、そのままSBSラジオに向かい、その日のレギュラーパーソナリティだったSBSの[[國本良博]]アナウンサーとおよそ1時間の生放送に参加したというものである。時折國本アナが下ネタを発し、それに対する小森のリアクションがしばらく話題となった。
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* 実際の年齢が“冗談としか思えない”と評される程若々しい容姿を保っている。
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**イベント帰りの名古屋駅の新幹線ホームにて、補導員に家出少女と間違えられ補導されそうになったことがある。
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**[[漫画家]]で友人の[[佐藤まり子]]や[[井潤千代美]]らと温泉旅行に行ったときは仲居さんが気を使って子供用浴衣を持ってきた。
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* 基本的に年齢の事を公言する事はない。[[井上喜久子]]と同様のパターンで「永遠の18歳」と言われる([[声優#近時の声優の立場など]]も参照)。
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**RADIコミ内でRADIコミ年齢による「年ネタ」や年に一度小森の誕生日が近くなると「年ネタ解禁!ホットケー記念日」が行われていたが、番組が10周年を迎えたのを機に番組の第1回放送日1984年10月13日に因んだ「番組○周年」の企画に変わった。
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**古くから交友があり、小森本人も何度もゲスト出演した事がある[[日高のり子]]の[[はいぱぁナイト]]及び[[ハイヤングKYOTO (第二期)|日高のり子のアロマチックナイト]]においては、小森のおおよその年齢を知っている事を前提としたネタがリスナーから多数送られていた(例:小森本人が番組中でビスコとマミーが好物と語った途端「それが若さを保つ秘訣」と言うネタや、それを応用して先に挙げた補導ネタを元にした「マミ若返り食事法~私が補導される理由~」と言う本が出るらしい、と言う「嘘ネタ」など。
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* マルベル堂から「卒業記念に一枚写真をとらない?」と言われ出したブロマイドが、小森の顔を知らなかったリスナーが購入したため、売り上げが4位にランクイン。マスコミが注目し、女子大生DJブームがおこる。しかし、大手プロダクションより「権威が落ちる」とクレームがついたためランキング廃止となり売り上げランキングより小森の名前は除外されることになる。ブロマイドの写真はカントリーガールのジャケットにも使用された。
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*DJランキング1位の表彰式には『[[FOCUS]]』も取材にきて、DJでは初めてフォーカスされる。しかし本人はこのブームがお気に召さないらしく「アイドル扱いされるのはいや」「ラジオを聴いて欲しい」「目立ちたくない」と、番組を降り、海外にひとり旅をしたこともある。成田空港には心配したリスナーたちが、大勢待っていた。一部に『わがままお嬢様』と評される。
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* 後述の雑誌[[GORO]]や[[写楽 (雑誌)|写楽]]などで[[グラビア]]アイドルとして取り上げられたことは本人にとっては消したい過去らしく、[[西村朋紘]]との番組『MAMI☆OMO Radio Caravan』の公開録音にて、小森のグラビアが掲載された雑誌[[GORO]]を持ってきたリスナーが暴走してステージ上に上がり、小森がビキニで寝そべる写真のページを広げ小森を追い掛けまわして泣かせてしまった(オンエアではうまく編集されていた)。その[[リスナー]]は、握手会にもしっかりと参加していた。
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* [[おはようスタジオ]]([[テレビ東京]])にレギュラー出演していた頃、ゲストに来ていたチェッカーズにノースリーブの服の脇から乳首を見られたらしい。なお、この事をラジオにて話す時「[[チェッカーズ]]にアソコみられたの!」と言って余計ドツボに嵌っていった。[[ミンキー・ヤス]]曰く「この頃の小森の[[おっぱい]]は[[元気]]がよかった」。
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*[[キンギョ]]と[[ネギ]]類全般([[タマネギ]]・[[長ネギ]])と人の入った[[着ぐるみ]]が苦手。大切にしていたキンギョを猫に食べられていた場面に遭遇し、これが[[トラウマ]]になったとの事。リスナーが知らずに「キンギョの子供が生まれました!」と投稿して来た時、途中までしか読めず投げ出し、ミンキー・ヤスに残りを読んでもらった事がある。(なお、その週には金魚の姿焼きというペンネームのリスナーもハガキを読まれた。)また「赤いから」[[キンギョ]]が嫌い、とRADIコミで発言した事もあり翌々週の放送で「黒い[[出目金]]は大丈夫なんですか?」と番組冒頭の独り言で突っこまれると「その類は全部ダメ!」と言っていた。更にタイトルコールの後「鯛も海で泳いでいるのはダメです。」と発言。ミンキー・ヤス曰く「謎は深まるばかり」とのことである。ネギ類に関しては福岡にイベントで行った時[[長浜ラーメン]]を食べに行った時「ネギ抜き」でお願いしますと注文して店主に不審がられた。
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* 健康診断があるのを忘れて、[[アラレちゃん]]がプリントされたパンツをはいていった事がある。
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* アルバム「BIRTH」のポスタージャケット撮影イメージは、「湖岸にたたずむ[[佐野量子]]ちゃん」
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* ビデオ「Believe」のジャケットイメージ(パジャマを着ている方)は、あくまで本人曰く[[渡辺美里]]
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* RADIコミ最初のイベントが、スポーツバレー東海のプールにて行われた時「プールでやるからね。水着でね」とボス是枝から言われ「上はビキニ、下は腰ミノ」という姿で現れる。
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*ヤロメロJr. 出発進行!のパーソナリティに選ばれたキッカケは、ラジオたんぱの別のオーディションの際書類と一緒に提出した写真が、ビキニの写真だったのが目に止まったため。(本人曰く「それしかなかった」との事)。
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* 野球に関しては全くの無知で、[[日経ラジオ社|ラジオたんぱ]]の番組で「ボールの握りで、ある食器で挟んだように見えることからこの名前がついたボールは?」という問題に対して「サラダボール」と答えた(正解は[[フォークボール]])。また、劇場版「[[バツ&テリー]]」アフレコで球場のウグイス嬢役の時に、野球用語が全然わからない為、収録はかなり苦労したと言われる。
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* 地名・名前の読み間違いや創作が多々ある。代表的なのものとして地名では「[[北海道]][[北九州市]]」「さっぽいどー([[札幌]]+北海道)」「[[山口県]]しものけ市([[下関]])」など。[[リスナー]]の[[ペンネーム]]「若年寄恵比寿(わかどしよりえびす)」を、「じゃくねんよりえびす」と読んでしまい翌々週リスナーの指摘より間違いに気がつく。なお、若年寄恵比寿はハガキ職人であり他の番組で採用されたときは「わかどしよりえびす」と正しくペンネームを紹介されるが、小森の番組では「じゃくねんよりえびす」で押し通されてしまった。
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* RADIコミ開始当初流行った牛乳早飲みを、何年後かのクリスマスに再度挑戦した時、牛乳を吹き出しスタジオの床を汚してしまった。
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* RADIコミの独り言において「すね毛の枝毛発見」という葉書を読み「見た~い」と言った為に翌々週、実際にリスナーが葉書に貼りつけて送ってきた。
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* 握手会で受験生が小森まなみと握手をすると、受験に失敗するという[[ジンクス]]がある。但し、左手で握手すると大丈夫らしい。中にはあえてジンクスを破ろうと、右手で握手し後日「合格しました!」と報告する強者リスナーもいる。近年では[[小森まなみ]]の年賀状が『[[落ちないお守り]]』として受験生に大人気。きっかけは「コモリの笑い話にはオチがないから」とリスナー間の逸話から。
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*[[1994年]]、担当するRADIコミの10周年記念イベントを、名古屋レインボーホールで開催し7,000人を超えるリスナーを動員。ラジオのみのイベントでは異例の動員数で大成功を収める。
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*[[1997年]]頃から『[[アニラジ]]』ブームがおこり、アニメ・ラジオ・イベントの最前線にクローズアップされる。しかし上記のように本人は『ブーム』にあおられることを、極めて好まないために「これから[[マリモ]]になります」と[[1999年]]にイベントで宣言。これがいわゆる『[[マリモ宣言]]』。ちなみにマリモは成長する植物のこと。
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== 略歴 ==
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* [[1979年]] - 日大芸術学部在籍中、[[ニッポン放送]]で声のアルバイトをしていたのをきっかけに、同局の番組『[[せんだみつおの足かけ二日大進撃!!]]』の一コーナーにスカウトされる。
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* [[1980年]][[4月4日]]~ - [[ラジオたんぱ]]『[[ヤロメロジュニア出発進行]]』金曜日を担当。これがパーソナリティとしての本格デビューとなる。<br/>以後、たんぱでは[[1987年]]3月の『[[はしゃいで○○大放送]]』終了まで番組を担当。[[大橋照子]]/[[斉藤洋美]]と共に「たんぱ三人娘」と呼ばれ一大ブームとなる。DJ人気投票では[[ブロンズマイク賞]]を受賞。
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* [[1982年]]4月 - [[静岡第一テレビ]]で放送された、生放送の若者向け情報番組「[[JanJanサタデー]]」にレギュラー出演。本格的なテレビレギュラー司会はこれが初めて。[[チェッカーズ]]・[[X JAPAN]]などと友好を持つ。この司会は[[ラサール石井]]とともに[[1989年]]9月まで継続。
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* [[1983年]][[4月29日]] - 初の著書『ハートいっぱい抱きしめて』出版。また、同年の[[12月1日]]。[[ソニー・ミュージックエンタテインメント|CBSソニー]]より[[秋元康]]プロデュースでシングル『翼をつけて Love Song』と四枚組シングル『You』を発売。レコードデビューを果たす。レコード関係者によるファンクラブもでき、2万人を超えたが、「ファンとアイドルの関係みたいで、ラジオのポリシーからはずれる」と1年で解散を宣言。
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* [[1984年]][[10月13日]] - ライフワークとなる番組『[[mamiのRADIかるコミュニケーション]]』(通称RADIコミ/ラディコミ 是枝氏はラジコミではなく、ラディコミと強調している)開始。この番組を通じて、ほぼ現在の話法が確立される。
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* [[1986年]][[5月5日]] - [[キングレコード]]より初の[[レコード|LP]]『HERTZ』を発売。カセット・LDも同時発売は珍しかった。以後、小森まなみ名義での音盤は全て、キングレコードより発売される事になる。
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* [[1986年]] - [[ラジオ]]情報誌「[[ラジオパラダイス]]」DJ人気投票で年間ランキング1位となる。以後1989年7月から1990年5月まで11回連続1位、さらに年間ランキング1位に4回輝く。
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*[[タカラ]]『[[リカちゃん]]』イメージキャラクターに選ばれる。リカちゃんとテレビCM出演。イメージアルバム『[[永遠の少女たちへ]]』リリース。
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*[[ロッテ]]『[[キウイ]]フルーツバブアップ』CM出演。全国のラジオリスナーから「動くまみちゃんを初めて見た」と大反響。
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*[[TBS]]『[[アップルシティ500]]』、[[テレビ東京]]『[[おはようスタジオ]]』レギュラー司会。
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* [[1990年]]-テレビ東京『新・[[桃太郎伝説]]』はじめてのアニメヒロイン・[[かぐや姫]]役。主題歌とエンディングテーマも「小森まなみとピーチボーイズ」で発売。
+
* [[1989年]] - 結婚。Congratulations!
+
*[[1990年]]- 男児を出産。出産後、体調が回復することなく[[1991年]]まで産休。
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* [[1991年]] - 復帰第一弾シングルTVアニメ『[[魔法のプリンセスミンキーモモ#第二作(海モモ)|魔法のプリンセスミンキーモモ(新)]]』主題歌のレコーディングで作詞の[[岡崎律子]]と出会い意気投合。
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* [[1996年]]11月 - たんぱ時代の友人[[高橋直純]]と[[AsR]]を結成。[[2001年]]まで活動を行う。
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* [[1997年]]11月18日 - 父親、永眠。[[Shibuya O-East|渋谷ON AIR EAST]]で行われた初のライブで観客に父の死を初めて公表する。また番組に本人が出演できず、ミンキーヤス・高橋直純・内藤寛らがピンチヒッターを務める。
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* [[2003年]] - [[名古屋城#名古屋城夏まつり|名古屋城夏まつり]]で行われた『mamiのRADIかるコミュニケーション』のイベントで、以前は乗れなかった[[自転車]]に乗って登場した。さらに、この日のために[[握力]]を鍛え、番組内で左手の握力が8Kgしかないと言っていたが、計測の結果、右22Kg+左18Kg=40Kgと成果が出ている。「夢+努力=現実」を自ら実証した。
+
* [[2003年]] - 東京の有明「有明パークビル」にできた、ウェディングチャペルのプロデュースと企画をした。また、捨ててしまう種を砂漠緑化に役立てる「緑のたまごプロジェクト」を、同年の[[名古屋城#名古屋城夏まつり|名古屋城夏まつり]]より開始した。種の募集は、公開録音の会場に種を入れる箱を設けたり、番組宛てに送るなどで継続していた。
+
 
* [[2005年]][[8月7日]] - [[2005年日本国際博覧会|愛・地球博]]で行われ、会場のEXPOホールに定員である3,000人の観客が動員された、[[東海ラジオ]]のアニラジ5番組の合同イベント「東海ラジオスペシャル We Love The Earth」に参加。イベントでは「緑のたまごプロジェクト」の取り組みと、自身が震災後のタイを旅したメッセージ映像を紹介した後、イベントのために作詞した「アイノホシ~We Love The Earth」などのライブを行った。後に「緑のたまごプロジェクト」は、外来種生物禁止法により中止となった。
 
* [[2005年]][[8月7日]] - [[2005年日本国際博覧会|愛・地球博]]で行われ、会場のEXPOホールに定員である3,000人の観客が動員された、[[東海ラジオ]]のアニラジ5番組の合同イベント「東海ラジオスペシャル We Love The Earth」に参加。イベントでは「緑のたまごプロジェクト」の取り組みと、自身が震災後のタイを旅したメッセージ映像を紹介した後、イベントのために作詞した「アイノホシ~We Love The Earth」などのライブを行った。後に「緑のたまごプロジェクト」は、外来種生物禁止法により中止となった。
* [[2006年]][[6月1日]] - 声優や歌手のマネージメントを、[[アニプレックス]]のマネージメント部門「[[VOICE&HEART]]」に移籍。
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* [[2006年]][[6月1日]] - 声優と歌手の活動を、[[アニプレックス]]のマネージメント部門「[[VOICE&HEART]]」に移籍。
* [[2006年]][[8月20日]] - [[名古屋城]]開府400年『名古屋城宵まつり・夢のチカラ+GP』!!開催。ラジオで「このような形のイベントは第二期として最後」という主旨の発言があり、リスナーは動揺。その後「フリフリの衣裳は卒業して、第三期コモリとしては念願だった“言葉の朗読会”の活動をしたり、後輩を育てたい」と話す。自身の中だけで「第何期」などと区切りをつけていた為、多くのリスナーはこのような説明がなされるまで、困惑した。
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* [[2006年]][[8月20日]] - [[名古屋城]]開府400年『名古屋城宵まつり・夢のチカラ+GP』!!開催。
 
* [[2006年]][[10月14日]] - [[原宿]] Blue Jay Wayにて、小森まなみの初の朗読&[[アコースティック]]ライブ『きんもくせいナイト~Premium First Flight』開催。チケットが約1時間で完売されたことから、本公演前に追加公演が行われるという事態が起きた。
 
* [[2006年]][[10月14日]] - [[原宿]] Blue Jay Wayにて、小森まなみの初の朗読&[[アコースティック]]ライブ『きんもくせいナイト~Premium First Flight』開催。チケットが約1時間で完売されたことから、本公演前に追加公演が行われるという事態が起きた。
*第三期として初の名古屋城イベントは『エコロジー』をテーマに2007年8月19日に開催
 
  
 
== 音楽 ==
 
== 音楽 ==
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* [http://www008.upp.so-net.ne.jp/jibungei/ 社団法人日本児童文芸家協会]
 
* [http://www008.upp.so-net.ne.jp/jibungei/ 社団法人日本児童文芸家協会]
 
* [http://www5a.biglobe.ne.jp/~stc/ann-tuzi-2.html 辻仁成のオールナイトニッポン]
 
* [http://www5a.biglobe.ne.jp/~stc/ann-tuzi-2.html 辻仁成のオールナイトニッポン]
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ウィキペディアを参照しています。

2007年8月12日 (日) 01:56時点における版

小森 まなみ(こもり まなみ、1959年10月16日 - )は、日本ラジオ番組パーソナリティ歌手声優である。

血液型・B型。天秤座。

エッセイでは小森眞奈美・絵本ではこもりまなみとして活動している。日本児童文芸家協会会員。NPO法人メディカルメイクアップアソシエーション認定員。日本大学芸術学部放送学科卒業。ラジオ活動の際はタワーズ声優・歌手活動の際はボイス&ハートと、2つに分かれて所属、活動している。メディカルウィッグ専門会社アンジェリック代表。

人物紹介

東京都渋谷区生まれ。父は内科学者で、世界的な胃癌治療の第一人者だった小黒八七郎

トークに重点を置いたトークジョッキーという「TJ」として活動している。

1980年代後半~2001年のラジオ情報誌DJ人気投票では、1位、2位と上位にランクイン。 2007年現在『mamiのRADIかるコミュニケーション』は23年、『小森まなみのPop'n!パジャマEYE』は13年続いている長寿番組。

「夢の方程式」というものをラジオ活動初期からもっている。夢の方程式とは、「夢+努力=現実」 最初に「夢」があり「努力」することで「現実(結果)」という意味。

毎年元旦に年賀状全員サービスを行っている。ラジオ番組、雑誌、公式ホームページに案内が記される。(2002年炭疽菌事件の影響で断念)。

ファンとは、buddy(仲間、相棒、親友の意)という関係でいたい考えと、目立つことを嫌う為、ファンクラブは作られない。 ファンは「buddy」と、いつでも本音で語り合える関係でありたいようだが、自らファンに注意や警告が出来ない弱い面がある。

日本テレビ音楽学院で歌唱を学んだ高校1年には、音楽ユニット「バーズ」のメンバーに選抜され、全国高校サッカー選手権イメージソング「ふり向くな君は美しい」をリリース。学校ではフォークソング部に所属。 『Nausicäa』というバンドを結成したこともあり、各地でライブが行われた。 厳格な家庭に育ち、幼少期にタイで生活をしていた。感受性強く涙腺が弱い。番組中時々、いじめや病気についてのハガキを読んでるうちに泣き出し、コメントを述べているうちに放送終了時間を忘れ、尻切れ番組になったことがある。

医師であった父の影響で、医師としてではないが言葉を通して人の心を癒す「心のお医者さん」を目指している。 父の遺志を受け継ぎ、2006年抗がん剤の副作用に苦しむ人のためにメディカルウィッグ(医療用かつら)を通信販売専門会社「アンジェリック」を設立。代表に就任した。

エピソード

  • 1980年代後半の『ラジオパラダイス』人気パーソナリティ投票で、長期に渡り女性部門1位となった。伝説のDJとして男性部門1位の小堀勝啓(中部日本放送|CBCアナウンサー)との誌上対談が実現。小堀勝啓の番組に生出演した。
    • RADIコミ内でRADIコミ年齢による「年ネタ」や年に一度小森の誕生日が近くなると「年ネタ解禁!ホットケー記念日」が行われていた。

番組が10周年を迎えたのを機に「番組○周年」の企画に変わった。

  • マルベル堂から出したブロマイドが、小森の顔を知らなかったリスナー多数が購入したため、売り上げが4位にランクイン。マスコミが注目し、女子大生DJブームがおこる。しかし、大手プロダクションより「権威が落ちる」とクレームがついたためランキング廃止となり売り上げランキングより小森の名前は除外されることになった。
  • DJランキング1位の表彰式には『FOCUS』も取材にきて、DJでは初めてフォーカスされる。しかし本人はこのブームがお気に召さないらしく「アイドル扱いされるのはいや」「ラジオを聴いて欲しい」「目立ちたくない」と、番組を降り、海外にひとり旅をしたこともある。成田空港には心配したリスナーたちが、大勢待っていた。『わがままお嬢様』と評されたことがあった。
  • GOROや写楽 (雑誌)などでグラビアアイドルとして取り上げられたことは本人にとっては消したい過去。西村朋紘との番組『MAMI☆OMO Radio Caravan』の公開録音にて、小森のグラビアが掲載された雑誌GOROを持ってきたリスナーが暴走してステージ上に上がり、小森がビキニで寝そべる写真のページを広げ小森を追い掛けまわして泣かせてしまった(オンエアではうまく編集されていた)。そのリスナーは、握手会にもしっかりと参加していた。
  • 赤い魚とネギ類全般が苦手。大切にしていたキンギョを猫に食べられていた場面に遭遇し、これがトラウマになったた。リスナーが知らずに「キンギョの子供が生まれました!」と投稿して来た時、途中までしか読めず投げ出し、ミンキー・ヤスに残りを読んでもらった事がある。(なお、その週には金魚の姿焼きというペンネームのリスナーもハガキを読まれた。)また「赤いから」キンギョが嫌い、とRADIコミで発言した事もあり翌々週の放送で「黒い出目金は大丈夫なんですか?」と番組冒頭の独り言で突っこまれると「その類は全部ダメ!」と言っていた。更にタイトルコールの後「鯛も海で泳いでいるのはダメです。」と発言。ミンキー・ヤス曰く「謎は深まるばかり」とのことである。ネギ類に関しては福岡にイベントで行った時長浜ラーメンを食べに行った時「ネギ抜き」でお願いしますと注文して店主に不審がられた。
  • 健康診断があるのを忘れて、アラレちゃんがプリントされたパンツをはいていった事がある。
  • RADIコミ最初のイベントが、スポーツバレー東海のプールにて行われた時「プールでやるからね。水着でね」とボス是枝から言われ「上はビキニ、下は腰ミノ」という姿で現れた。
  • ヤロメロJr. 出発進行!のパーソナリティに選ばれたキッカケは、ラジオたんぱの別のオーディションの際書類と一緒に提出した写真が、ビキニの写真だったのが目に止まったため。(本人曰く「それしかなかった」との事)。
  • 野球に関しては全くの無知で、ラジオたんぱの番組で「ボールの握りで、ある食器で挟んだように見えることからこの名前がついたボールは?」という問題に対して「サラダボール」と答えた(正解はフォークボール)。また、劇場版「バツ&テリー」アフレコで球場のウグイス嬢役の時に、野球用語が全然わからない為、収録はかなり苦労したそうだ。
  • 地名・名前の読み間違いが多々ある。代表的なのものとして地名では北海道を「さっぽいどー(札幌+北海道)」「山口県しものけ市(下関)」など。リスナーペンネーム「若年寄恵比寿(わかどしよりえびす)」を、「じゃくねんよりえびす」と読んでしまい翌々週リスナーの指摘より間違いに気がつく。なお、若年寄恵比寿はハガキ職人であり他の番組で採用されたときは「わかどしよりえびす」と正しくペンネームを紹介されるが、小森の番組では「じゃくねんよりえびす」で押し通されてしまった。
  • RADIコミ開始当初流行った牛乳早飲みを、何年後かのクリスマスに再度挑戦した時、牛乳を吹き出しスタジオの床を汚してしまった。
  • 握手会で受験生が小森まなみと握手をすると、受験に失敗するというジンクスがある。但し、左手で握手すると大丈夫らしい。中にはあえてジンクスを破ろうと、右手で握手し後日「合格しました!」と報告する強者リスナーもいる。近年では小森まなみの年賀状が『落ちないお守り』として受験生に大人気。きっかけは「コモリの笑い話にはオチがないから」とリスナー間の逸話。
  • 1994年、担当するRADIコミの10周年記念イベントを、名古屋レインボーホールで開催。約7000人のファンを動員。*1997年頃から『アニラジ』ブームがおこり、アニメ・ラジオ・イベントの最前線にクローズアップされる。しかし上記のように本人は『ブーム』にあおられることを、極めて好まないために「これからマリモになります」と1999年にイベントで宣言。これがいわゆる『マリモ宣言』。



略歴

果物などの、捨ててしまう種を砂漠緑化に役立てる「緑のたまごプロジェクト」を同年の名古屋城夏まつりより開始した。種の募集は、公開録音の会場に種を入れる箱を設けたり、番組宛てに送るなどで継続していた。

  • 2005年8月7日 - 愛・地球博で行われ、会場のEXPOホールに定員である3,000人の観客が動員された、東海ラジオのアニラジ5番組の合同イベント「東海ラジオスペシャル We Love The Earth」に参加。イベントでは「緑のたまごプロジェクト」の取り組みと、自身が震災後のタイを旅したメッセージ映像を紹介した後、イベントのために作詞した「アイノホシ~We Love The Earth」などのライブを行った。後に「緑のたまごプロジェクト」は、外来種生物禁止法により中止となった。
  • 2006年6月1日 - 声優と歌手の活動を、アニプレックスのマネージメント部門「VOICE&HEART」に移籍。
  • 2006年8月20日 - 名古屋城開府400年『名古屋城宵まつり・夢のチカラ+GP』!!開催。
  • 2006年10月14日 - 原宿 Blue Jay Wayにて、小森まなみの初の朗読&アコースティックライブ『きんもくせいナイト~Premium First Flight』開催。チケットが約1時間で完売されたことから、本公演前に追加公演が行われるという事態が起きた。

音楽

特記しない限り発売元はキングレコードスターチャイルド(~2005年7月)/インデックスミュージック(2005年7月~))。

シングル

アルバム

  1. HERTZ」(K20A-746、1986年5月5日/KICS-307、1993年4月30日(CD再版))
  2. HERTZ II ~ハートのKey Station~」(K28A-807、1987年8月21日/KICS-308、1993年4月30日(CD再版))
  3. HERTZ III ~DJ BEAT~」(256R-3、1989年5月5日/KICS-309、1993年4月30日(CD再版))
  4. PRINCESS COLLECTION」(KICS-208、1992年4月22日
  5. ALICE」(KICS-306、1993年4月30日
  6. Noël~君がそばにいれば~」(KICS-359、1993年11月26日
  7. Birth」(KICS-464、1994年12月16日
  8. Courage~クゥ・ラージュ~」(KICS-565、1996年8月7日
  9. Tiny Angel」(KICS-643、1997年10月3日
  10. Presage」(KICS-706、1998年11月27日
  11. Be Station」(KICS-747、1999年10月16日
  12. Citrus Monsoon」(KICS-884、2001年7月25日
  13. ユ・メ・ノ・チ・カ・ラ」(KICA-647、2004年7月22日
  14. Ride on Wave」(NECA-30138、2005年7月21日

音源未収録楽曲

  • 「ときめきが目を覚ましている/空の青さに」
    プレイステーション用ゲーム『海腹川背・旬』主題歌

DVD

ビデオ・LD

代表曲

  • HERTZ~電波の天使たち~
  • 夢みるハート
  • 君に逢えてボクはボクになる
  • Fight!~最後の天使~
  • YELLを君に!
  • I Love You
  • 君がそばにいれば
  • きゅんきゅんのパワー

その他

  • 小森まなみのおやすみポエム
    ラジオ大阪1314 V-STATION」携帯サイト「声優V-STATION」3分ラジオで2003年6月19日~2004年1月5日に公開された金子みすゞの詩を朗読するプログラム。後にCD化された。

出演

ラジオ

現在放送中

1994年~「Pop'n!パジャマ」
1996年~「~EX(EXtra)」
1999年~「~RV(ReVolution)」(AsR RadioRevolutionと統合)
2001年~「~EYE」

過去

ラジオたんぱ
AM/FM
※「内藤寛のZig Zagアンテ~ナ」「TV GAME RADIONS R」内コーナー

テレビ

声優

書籍

エッセイ

自叙伝

絵本

  • 「だいじなだいじなたからもの」(こもりまなみ、主婦の友社、2001年11月発行)ISBN 4-07-231863-9

雑誌

その他

  • 小森の友人である井潤千代美による「ハートのKey station」という漫画が「mimi」(講談社刊)で連載されていた(KCmimi全2巻)。小森をモデルにした、ラジオ業界を舞台にした作品。初版2万部が即日完売した。
    • 最後の一線を越えた彼氏が登場したため「モデルは誰だ?」と小森の番組に問い合わせが殺到、井潤の「ンなのいねーよ!」の一言で一蹴された。
    • 1巻目は小森のたんぱ時代の江ノ島でのボツ葉書供養までを踏み台にしたストーリーだったが2巻目はオリジナルストーリーである。
  • 20周年記念に週に一度FAXで発行していた「RADIコミ新聞」を1冊に収めた本を出版し、予約を受け付けたが発行元と出版元が違い著作権問題が発生した為、発売中止となった。

講演

  • 『ことばの力~楽しい朗読会~』(2004年2月21日/12:30-14:00/東海高校)

関連項目

外部リンク


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