「広島県」の版間の差分
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+ | == 概要 == | ||
+ | [[広島都市圏]]と[[備後都市圏]]を中心に[[工業]]([[自動車産業]])・[[商業]]が盛んである。[[県庁所在地]]の[[広島市]]は[[中国・四国地方]]最大の[[都市]]であり、[[政令指定都市]]に指定されている。一方で海・山の豊富な自然にも恵まれ、[[農業]]・[[漁業]]も盛んである。このため「'''日本国の縮図'''」とも呼ばれる。 | ||
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+ | 旧国制に倣い、大まかに広島市を中心とする県西部を「[[安芸国|安芸]]」、県東部で岡山県と隣接している福山市を中心とする県東部を「[[備後国|備後]]」と呼び、現在でも方言・文化的に大きな違いを見せる(方言については[[広島弁]]・[[備後弁]]を参照のこと)。ただし近年の広島県の施策では、有する都市機能と生活圏などから、[[広島都市圏|広島圏域]](県西部)、[[備後都市圏|備後圏域]](県東部)、備北圏域(県北東部)の3つにわける場合も多い。 | ||
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+ | [[第二次世界大戦]]において世界で初めて[[核兵器]]による攻撃を受けた広島市を抱えることから、国際的に知名度が高い。また[[厳島|安芸の宮島]]と[[原爆ドーム]]の2つのユネスコ[[世界文化遺産]]を有しており、日本国外からの観光客も多い。 | ||
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+ | == 地理 == | ||
+ | *[[日本]]、[[中国地方]] | ||
+ | [[瀬戸内海]]には大小合わせて約140の[[島]]を有す。 | ||
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+ | *'''隣接都道府県:''' 陸上では東から[[岡山県]] - [[鳥取県]] - [[島根県]] - [[山口県]]、海上で[[愛媛県]] - [[香川県]]と接している。(但し鳶小島、[[瓢箪島]](ひょうたん島)が愛媛県との県境を跨いでいる。) | ||
+ | *[[棚田]]の数では日本で群を抜いた1位である。 | ||
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+ | === 気候 === | ||
+ | 県内の[[豪雪地帯]]は[[日本海側気候]]、それ以外の地域は[[瀬戸内海式気候]]。備後地方を除くエリアでは隣接する[[岡山県]]に比べると全般に[[降水量]]は多い。 | ||
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+ | 広島県内が[[降水量]]が非常に多いとされる要因として、[[地形]]的に[[平野]]が殆んど無い以上に、山間部が多く山林が非常に多いために、[[水蒸気]]が[[蒸発]]して雨を降らせる[[雲]]が発生しやすいと指摘されている。 | ||
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+ | 気候は複雑で、冬は広島市など安芸地域においては北西の[[季節風]]の影響で曇りや雨・雪の日も少なくなく、山沿いを中心に時には積雪することもある。一方、備後地域の沿岸部では冬でも晴天日数が比較的多く、岡山県南部に似た天気傾向となる。降雪量は瀬戸内海沿岸では少ないが、広島県北部の[[中国山地]]の山沿いでは多くなり、多くの道路は[[路面凍結]]する。冬から春にかけて、[[中国大陸]]から流入する[[黄砂]]にしばしば見舞われる。また、夏は沿岸の都市部や内陸の盆地などで[[猛暑日]]になる日も少なくない。 | ||
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+ | 一方、内陸部では緯度の割には冬の冷え込みは厳しく、特に[[中国山地]]の山沿いは、[[北広島町]]の東八幡原(標高774m)で観測された-28.0度([[1977年]](昭和52年)2月19日)を筆頭に、[[庄原市]]の高野地区の-26.0度([[1977年]](昭和52年)2月19日)など-20度以下まで下がることもあるほどの厳寒地である。 | ||
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+ | === 自然公園 === | ||
+ | ;[[国立公園]] | ||
+ | :[[瀬戸内海国立公園]] | ||
+ | ;[[国定公園]] | ||
+ | :[[比婆道後帝釈国定公園]]、[[西中国山地国定公園]] | ||
+ | ;[[都道府県立自然公園|県立自然公園]] | ||
+ | :[[南原峡|南原峡県立自然公園]]、[[山野峡県立自然公園]]、[[三倉岳県立自然公園]]、[[竹林寺用倉山県立自然公園]]、[[仏通寺御調八幡宮県立自然公園]]、[[神之瀬峡県立自然公園]] | ||
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+ | == 歴史 == | ||
+ | === 県名の由来 === | ||
+ | 県名は県庁所在地である広島市に由来する。その広島の由来は、[[1589年]](天正17年)からの[[毛利輝元]]による広島築城の際に、[[1591年]](天正19年)命名されたものである。[[大江広元]](毛利氏の祖)以来、毛利氏は「元」の通字以外、「広」も諱に使用する字のひとつとしていた。毛利元就の時代には、完全に臣従したもの(吉川元春、天野元貞、出羽元祐など)には、「元」を一字書出として与えたが、そうでない国人衆(平賀広相、阿曽沼広秀など)には、明白に傘下に組み入れられたと示す「元」の字を避け、「広」の字を与えたとされる。この慣習は毛利輝元にも引き継がれ(吉川広家、山内広通、益田広兼など)、毛利氏(特に輝元)の与える「広」は重要な意味合いを持った。従って「広島」は、この「広」とこの地の豪族であり、普請奉行であった福島元長の「島」を合わせたとする説が有力である。また他に、デルタのため「広い島」からきたという説もある。 | ||
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+ | === 原始・古代 === | ||
+ | [[日本の旧石器時代|旧石器時代]]から人々が居住していたと考えられ、[[広島大学]]([[東広島市]])には約2万7千年前に遡る[[西ガガラ遺跡]]がある。[[倉橋島]]([[呉市]]倉橋町)の鹿島沖から[[ナウマンゾウ]]の化石などが引き上げられている。 | ||
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+ | [[甲立古墳]]や石槌山古墳群などの古墳もあり、 | ||
+ | [[飛鳥時代]]後期には[[備後国]]に寺町廃寺(三次市)などの寺院が建立された。 | ||
+ | * 6世紀頃は[[古墳時代]]後期にあたるが、[[大和政権]]は、地域の有力者を国造に任命し、[[国造制]]を開始した。並行して[[部民制]]も導入した。さらに、各地域へ屯倉の設置を拡大し、地域民衆の直接支配も介入し始めた。 | ||
+ | * [[741年]]: [[聖武天皇]]が諸国に[[国分寺]]、[[国分尼寺]]造営の詔を出し、[[備後]]国分寺を[[福山市]][[神辺町]]に、[[安芸国|安芸]]国分寺を[[東広島市]][[西条町 (広島県)|西条町]]に創建。 | ||
+ | * [[1164年]]: [[平清盛]]など平家一門が[[法華経]]28巻など33巻1具([[平家納経]])を[[厳島神社]]に奉納。 | ||
+ | * [[1174年]]: '''[[後白河上皇]]が[[平清盛]]らを伴い[[厳島神社]]に参拝'''。 | ||
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+ | === 中世 === | ||
+ | * [[1555年]]: '''[[毛利元就]]'''が[[陶晴賢]]を'''[[厳島]]'''で破る。 | ||
+ | * [[1587年]]: '''[[豊臣秀吉]]が[[厳島神社]]に参拝'''。 | ||
+ | * [[1589年]]: [[毛利輝元]]が'''[[広島城]]'''の築城開始。 | ||
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+ | === 近世 === | ||
+ | * [[1600年]]: [[関ヶ原の戦い]]で毛利輝元が敗れ[[長門国]]に移封となり、[[福島正則]]が広島城に入城し、備後・安芸二国を治める。 | ||
+ | * [[1619年]]: 福島正則が広島城の石垣を無許可で修築したため改易処分。代わって備後福山には[[水野勝成]]、安芸広島には[[浅野長晟]]が入城。 | ||
+ | * [[1698年]]: [[備後福山藩|福山藩]]5代藩主[[水野勝岑]]死去により、水野家無嗣除封。 | ||
+ | * [[1699年]]: [[松平忠雅|松平(奥平)忠雅]]福山に転封。 | ||
+ | * [[1710年]]: 松平(奥平)忠雅に代わり[[阿部正邦]]が福山に転封。 | ||
+ | * [[1716年]]: [[広島藩]]が定免制を採用。 | ||
+ | * [[1800年]]: [[頼山陽]]が広島藩を脱藩。 | ||
+ | * [[1843年]]: 福山藩藩主の[[阿部正弘]]が[[老中|老中首座]]に就任、[[日米和親条約]]を結ぶ。 | ||
+ | * [[1864年]]: 第1回[[長州征討|長州征伐]]のため、広島に幕兵が集結。 | ||
+ | * [[1865年]]: 第2回長州征伐の先鋒を広島藩が命じられる。 | ||
+ | '''江戸時代の藩'''については備後国の[[備後福山藩|福山藩]]、安芸国の[[広島藩]]、[[広島藩#広島新田藩|広島新田藩]]。また備後の家老浅野家の広島藩の支城[[三原城]]が置かれた。 | ||
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+ | === 近・現代 === | ||
+ | ==== 明治・大正 ==== | ||
+ | * [[1867年]]: 薩長芸3藩の討幕同盟が成立。 | ||
+ | * [[1871年]](明治4年) | ||
+ | ** 7月14日、[[廃藩置県]]の詔勅により広島県と福山県、中津県が設置される。 | ||
+ | ** [[8月4日]]、前藩主浅野長訓が上京を取りやめる。旧広島藩内一帯に民衆の騒動(芸備16群一揆)が展開する。 | ||
+ | * [[1875年]](明治8年): 2月、藤井勉三(山口県士族)が県令に任命された。 | ||
+ | * [[1876年]](明治9年) | ||
+ | ** [[4月18日]]:岡山県より旧備後国[[沼隈郡|沼隈]]、[[深津郡|深津]]、[[安那郡|安那]]、[[品治郡|品治]]、[[芦田郡|芦田]]、[[神石郡|神石]]の6郡を広島県に移管、現在の広島県域が確定した。 | ||
+ | ** 5月:福山支庁を設けた。備後6郡を所属させた。 | ||
+ | * [[1878年]](明治11年):4月、広島水主町(中区加古町)に新庁舎完成。 | ||
+ | * [[1880年]](明治13年):4月、県令藤井勉三病気で依願免官、千田貞昭が任命された。 | ||
+ | * [[1884年]](明治17年): 宇品港([[広島港]])の起工式が行われる。 | ||
+ | * [[1889年]](明治22年)[[4月1日]]: [[広島市]][[市制]]施行 | ||
+ | * [[1894年]](明治27年): [[日清戦争]]により[[大本営]]が設けられ、[[明治天皇]]が広島へ移る。 | ||
+ | * [[1898年]](明治31年):[[尾道市]]市制施行 | ||
+ | * [[1902年]](明治35年)[[10月1日]]: [[呉市]]市制施行 | ||
+ | * [[1916年]](大正5年)[[7月1日]]: [[福山市]]市制施行 | ||
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+ | ==== 昭和 ==== | ||
+ | * [[1936年]](昭和11年)[[11月15日]]: [[三原市]]市制施行 | ||
+ | * [[1938年]](昭和13年): [[サンフレッチェ広島]]のルーツとなる[[東洋工業サッカー部|東洋工業蹴球部]]結成。 | ||
+ | * [[1945年]](昭和20年)[[8月6日]]: 午前8時15分、[[広島市]]へ[[アメリカ合衆国|アメリカ]]により[[原子爆弾]]投下([[広島市への原子爆弾投下]]参照)。 | ||
+ | * 1945年[[8月8日]]: [[テニアン島]]より来襲した[[B-29_(航空機)|B-29]]・91機が福山市を空襲([[福山大空襲]])。[[福山城 (備後国)|福山城]]天守など、市街地の大半が焼失 | ||
+ | * [[1949年]](昭和24年): 国立[[広島大学]]設置。 | ||
+ | * [[1950年]](昭和25年): [[日本プロ野球|プロ野球]]球団・[[広島東洋カープ|広島カープ]]結成。 | ||
+ | * [[1953年]](昭和28年): [[因島市]]市制施行。 | ||
+ | * [[1954年]](昭和29年): [[松永市]]、[[府中市 (広島県)|府中市]]、[[三次市]]、[[大竹市]]、[[庄原市]]市制施行。 | ||
+ | * [[1955年]](昭和30年): [[広島平和記念資料館]]開館。第1回原水爆禁止世界大会開催。 | ||
+ | * [[1958年]](昭和33年): [[竹原市]]市制施行。 | ||
+ | * [[1966年]](昭和41年): 福山市と松永市が[[市町村合併|合併]]。 | ||
+ | * [[1968年]](昭和43年): 広島カープが東洋工業(現[[マツダ]])の支援を受け、[[広島東洋カープ]]となる。 | ||
+ | * [[1971年]](昭和46年): [[昭和天皇]]が初めて[[原爆死没者慰霊碑]]に参拝。[[佐藤栄作]]が歴代[[内閣総理大臣|首相]]として初めて平和祈念式典に参列。 | ||
+ | * [[1974年]](昭和49年): 東広島市市制施行。 | ||
+ | * [[1975年]](昭和50年): [[山陽新幹線]][[岡山駅|岡山]] - [[博多駅|博多]]間が開業。広島東洋カープが[[セントラル・リーグ|セ・リーグ]]初優勝。 | ||
+ | * [[1980年]](昭和55年): 広島市が全国で10番目の[[政令指定都市]]となる。 | ||
+ | * [[1988年]](昭和63年): [[廿日市市]]市制施行。 | ||
+ | |||
+ | ==== 平成 ==== | ||
+ | * 1989年: [[海と島の博覧会]]開催。 | ||
+ | * [[1992年]](平成4年): [[Jリーグ]]発足に伴い、マツダサッカークラブを母体としサンフレッチェ広島結成。 | ||
+ | * [[1994年]](平成6年): 広島[[アジア競技大会|アジア大会]]開催。サンフレッチェ広島ステージ優勝。 | ||
+ | * [[1996年]](平成8年): [[第51回国民体育大会|ひろしま国体]]開催。 [[12月5日]]、厳島神社と[[原爆ドーム]]が[[世界文化遺産]]に登録される。 | ||
+ | * [[1998年]](平成10年)[[4月1日]]: 福山市、[[中核市]]に昇格 | ||
+ | * [[1999年]](平成11年)[[6月29日]]: [[6.29豪雨災害]]が起こる。 | ||
+ | * [[2000年]](平成12年)[[11月1日]]: 呉市、[[特例市]]に昇格 | ||
+ | * [[2001年]](平成13年)[[3月24日]]: [[芸予地震]]が起こる。 | ||
+ | * [[2004年]](平成16年): [[安芸高田市]]、[[江田島市]]市制施行。 | ||
+ | * [[2006年]](平成18年): [[尾道市]]と[[因島市]]が[[市町村合併|合併]]。その他にも、[[豊平町 (広島県)|豊平町]]、[[千代田町 (広島県)|千代田町]]、[[大朝町]]、[[芸北町]](いずれも旧町名)が合併して[[北広島町]]となる等、同年に多くの[[平成の大合併]]が行われた。 | ||
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+ | === 越県合併の模索 === | ||
+ | ==== 岡山県笠岡市(旧茂平村) ==== | ||
+ | [[1963年]](昭和38年)([[昭和38年]])[[岡山県]][[笠岡市]]に編入されていた[[城見村]]の旧[[茂平村]]([[1889年]](明治22年)他2村と共に[[城見村]]設立)が[[岡山県]][[笠岡市]]より分離、広島県[[福山市]]への編入を模索した騒動。 | ||
+ | |||
+ | ===== 経緯 ===== | ||
+ | 旧[[茂平村]]地区は、当時より、地理的(地区が隣接する)、社会的(多くの住民の親戚等が[[福山市]]に居住および[[福山市]]出身の住民が多い)等により[[福山市]]との結びつきが強い地域であった。[[1963年]](昭和38年)[[岡山県]]の[[日生町]]福浦が強い住民運動により[[兵庫県]][[赤穂市]]に合併されたことに刺激をうけた住民が大規模な合併運動を開始(以前より幾度か合併案はあった。)。当時広島県議会議員[[中川弘]](のち[[福山市]]長に就任)賛同のもと、[[福山市]]議会議員数人の賛同も得た。また、[[城見村]]内で旧[[茂平村]]地区とと同じ境遇の旧[[用之江村]]地区も[[福山市]]との合併に賛同し共同で運動を始めた。その後、旧[[茂平村]]地区は旧[[用之江村]]地区と共同で[[福山市]]に合併嘆願書を提出した。 | ||
+ | |||
+ | [[福山市]]に合併嘆願書が提出されると、[[岡山県]]議会、[[笠岡市]]議会からの反対運動が起こる。また、翌年([[1964年]](昭和39年))[[岡山県]]知事に地元出身の[[加藤武徳]]が就任すると、[[知事]]も合併運動に反対し、騒動は終結。 | ||
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+ | ==== 愛媛県]越智郡上島諸島 ==== | ||
+ | [[平成の大合併]]の際、[[愛媛県]][[越智郡]][[上島諸島]]の[[弓削町 (愛媛県)|弓削町]]・[[生名村]]・[[岩城村]]・[[魚島村]]が[[愛媛県]]より分離し、広島県[[因島市]]との合併を模索。 | ||
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+ | ===== 経緯 ===== | ||
+ | * [[愛媛県]][[越智郡]]の[[上島諸島]]は、古来より広島県[[因島市]]を中心とした文化圏に含まれている。 | ||
+ | * 各島を結ぶ航路も[[因島]]を中心に運行されている。 | ||
+ | * [[因島市]]の[[日立造船]]因島工場を中心として多くの島民が[[因島市]]に勤務している。 | ||
+ | などの理由により、4町村が広島県[[因島市]]との越県合併を検討。 | ||
+ | 4島のうち最も広島県に近い[[生名村]]は昭和30年代にも、広島県への併合を模索したことがある。しかし、島だけでなく、大きな漁域を失うことを恐れた[[越智郡]]や[[今治市]]の漁師が大規模な海上デモ活動を行った。また[[愛媛県]]、[[越智郡]]も反対し決行されなかった経緯がある。[[生名村]]は、[[因島]]までの距離が300mと近い。また、村営の渡船が1日50往復近く運行されており、[[因島市]]のヘッドタウン的な立場であった。 | ||
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+ | [[2000年]](平成12年)[[5月]]5市町村の間で連携交流協議会を設置するも、両県市町村間での調整が難航。結局、[[愛媛県]]側4町村で[[上島町]]を設立。合併案は、事実上凍結された。 | ||
+ | |||
+ | なお、2012年現在、上島町は橋やフェリーなどで愛媛県に接続されておらず、車両で四国に上陸するためには一旦広島県側を経由しなければならない状態になっている。 | ||
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+ | == 行政 == | ||
+ | === 歴代知事 === | ||
+ | 公選知事([[1947年]](昭和22年) - )のみを示した。これ以前の官選知事については[[広島県知事一覧]]を参照のこと。 | ||
+ | * 初代:[[楠瀬常猪]]([[1947年]](昭和22年)[[4月16日]] - [[1950年]](昭和25年)[[11月29日]]、1期) | ||
+ | * 2代:[[大原博夫]]([[1951年]](昭和26年)[[1月24日]] - [[1962年]](昭和37年)[[4月13日]]、3期) | ||
+ | * 3代:[[永野嚴雄]]([[1962年]](昭和37年)[[5月29日]] - [[1973年]](昭和48年)[[11月10日]]、3期) | ||
+ | * 4代:[[宮沢弘|宮澤弘]]([[1973年]](昭和48年)[[12月16日]] - [[1981年]](昭和56年)[[10月29日]]、2期) | ||
+ | * 5代:[[竹下虎之助]]([[1981年]](昭和56年)[[11月29日]] - [[1993年]](平成5年)[[11月28日]]、3期) | ||
+ | * 6代:[[藤田雄山]]([[1993年]](平成5年)[[11月29日]] - [[2009年]](平成21年)11月28日、4期) | ||
+ | * 7代:[[湯崎英彦]]([[2009年]](平成21年)[[11月29日]] -、1期(現職)) | ||
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+ | === 県庁の変遷 === | ||
+ | [[広島県庁舎]]参照 | ||
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+ | === 財政 === | ||
+ | ==== 平成19年度 ==== | ||
+ | *[[財政力指数]] 0.59 | ||
+ | **Iグループ(財政力指数0.5以上、1.0未満)17自治体中9位 | ||
+ | |||
+ | ==== 平成18年度 ==== | ||
+ | *財政力指数 0.54 | ||
+ | **Iグループ(財政力指数0.5以上、1.0未満)16自治体中10位 | ||
+ | *標準財政規模 5309億円 | ||
+ | *一般会計歳入 9814億円 | ||
+ | *一般会計歳出 9767億円 | ||
+ | *経常収支比率 91.5% ( 都道府県平均 92.6% ) | ||
+ | *実質収支比率 0.5 | ||
+ | *実質公債費比率 15.6% ( 都道府県平均 14.7 ) | ||
+ | *人口一人当たり地方債現在高 64万2081円 (普通会計分のみ 都道府県平均 62万2416円 ) | ||
+ | *人口100,000人当たり職員数 1,083.17人 ( 都道府県平均 1,173.11人 ) | ||
+ | **平成17年度から平成21年度までの5年間で概ね1割、2,800人程度の削減を目標に人員削減に取り組んでいる | ||
+ | *人口一人当たり人件費・物件費等決算額 11万4872円 ( 都道府県平均 12万4759円 ) | ||
+ | **人件費抑制・内部管理経費の削減などにより、前年と比較して2,556円ほど削減している 今後も財政健全化の方向でいく | ||
+ | *[[ラスパイレス指数]] 100.2 ( 都道府県平均 99.6 ) | ||
+ | *平均職員給与(普通会計分) 給料451万3691円 職員手当 84万9782円 期末・勤勉手当 192万2761円 | ||
+ | **平均職員給与(年額) 728万6234円 | ||
+ | |||
+ | 地方債残高 | ||
+ | *1普通会計分の地方債現在高 1兆8411億円 | ||
+ | *2上記以外の特別会計分の地方債現在高 2854億円 | ||
+ | **その他に第3セクター等に対する債務保証等に係る債務残高がある (団体数 40 ) | ||
+ | 普通会計分と特別会計分の地方債合計 2兆1265億円 | ||
+ | |||
+ | ==== 平成17年度 ==== | ||
+ | *財政力指数 0.48 | ||
+ | **IIグループ(財政力指数0.4以上、0.5未満)8自治体中3位 | ||
+ | |||
+ | ==== 平成16年度 ==== | ||
+ | *財政力指数 0.46 | ||
+ | **IIグループ(財政力指数0.4以上、0.5未満)10自治体中7位 | ||
+ | |||
+ | === 国際交流 === | ||
+ | 広島県は[[1984年]](昭和59年)[[9月17日]]に[[中華人民共和国]][[四川省]]と、[[1997年]](平成9年)[[5月30日]]にアメリカ合衆国[[ハワイ州]]と友好提携を締結し、交流を行っている。また、[[大韓民国]]慶尚南道との交流も行われている。 | ||
+ | |||
+ | == 人口 == |
2012年3月24日 (土) 12:11時点における版
広島県(ひろしまけん)は日本の中国地方に位置する都道府県の一つ。瀬戸内海に面する。県庁所在地は広島市。
目次
概要
広島都市圏と備後都市圏を中心に工業(自動車産業)・商業が盛んである。県庁所在地の広島市は中国・四国地方最大の都市であり、政令指定都市に指定されている。一方で海・山の豊富な自然にも恵まれ、農業・漁業も盛んである。このため「日本国の縮図」とも呼ばれる。
旧国制に倣い、大まかに広島市を中心とする県西部を「安芸」、県東部で岡山県と隣接している福山市を中心とする県東部を「備後」と呼び、現在でも方言・文化的に大きな違いを見せる(方言については広島弁・備後弁を参照のこと)。ただし近年の広島県の施策では、有する都市機能と生活圏などから、広島圏域(県西部)、備後圏域(県東部)、備北圏域(県北東部)の3つにわける場合も多い。
第二次世界大戦において世界で初めて核兵器による攻撃を受けた広島市を抱えることから、国際的に知名度が高い。また安芸の宮島と原爆ドームの2つのユネスコ世界文化遺産を有しており、日本国外からの観光客も多い。
地理
- 隣接都道府県: 陸上では東から岡山県 - 鳥取県 - 島根県 - 山口県、海上で愛媛県 - 香川県と接している。(但し鳶小島、瓢箪島(ひょうたん島)が愛媛県との県境を跨いでいる。)
- 棚田の数では日本で群を抜いた1位である。
気候
県内の豪雪地帯は日本海側気候、それ以外の地域は瀬戸内海式気候。備後地方を除くエリアでは隣接する岡山県に比べると全般に降水量は多い。
広島県内が降水量が非常に多いとされる要因として、地形的に平野が殆んど無い以上に、山間部が多く山林が非常に多いために、水蒸気が蒸発して雨を降らせる雲が発生しやすいと指摘されている。
気候は複雑で、冬は広島市など安芸地域においては北西の季節風の影響で曇りや雨・雪の日も少なくなく、山沿いを中心に時には積雪することもある。一方、備後地域の沿岸部では冬でも晴天日数が比較的多く、岡山県南部に似た天気傾向となる。降雪量は瀬戸内海沿岸では少ないが、広島県北部の中国山地の山沿いでは多くなり、多くの道路は路面凍結する。冬から春にかけて、中国大陸から流入する黄砂にしばしば見舞われる。また、夏は沿岸の都市部や内陸の盆地などで猛暑日になる日も少なくない。
一方、内陸部では緯度の割には冬の冷え込みは厳しく、特に中国山地の山沿いは、北広島町の東八幡原(標高774m)で観測された-28.0度(1977年(昭和52年)2月19日)を筆頭に、庄原市の高野地区の-26.0度(1977年(昭和52年)2月19日)など-20度以下まで下がることもあるほどの厳寒地である。
自然公園
- 国立公園
- 瀬戸内海国立公園
- 国定公園
- 比婆道後帝釈国定公園、西中国山地国定公園
- 県立自然公園
- 南原峡県立自然公園、山野峡県立自然公園、三倉岳県立自然公園、竹林寺用倉山県立自然公園、仏通寺御調八幡宮県立自然公園、神之瀬峡県立自然公園
歴史
県名の由来
県名は県庁所在地である広島市に由来する。その広島の由来は、1589年(天正17年)からの毛利輝元による広島築城の際に、1591年(天正19年)命名されたものである。大江広元(毛利氏の祖)以来、毛利氏は「元」の通字以外、「広」も諱に使用する字のひとつとしていた。毛利元就の時代には、完全に臣従したもの(吉川元春、天野元貞、出羽元祐など)には、「元」を一字書出として与えたが、そうでない国人衆(平賀広相、阿曽沼広秀など)には、明白に傘下に組み入れられたと示す「元」の字を避け、「広」の字を与えたとされる。この慣習は毛利輝元にも引き継がれ(吉川広家、山内広通、益田広兼など)、毛利氏(特に輝元)の与える「広」は重要な意味合いを持った。従って「広島」は、この「広」とこの地の豪族であり、普請奉行であった福島元長の「島」を合わせたとする説が有力である。また他に、デルタのため「広い島」からきたという説もある。
原始・古代
旧石器時代から人々が居住していたと考えられ、広島大学(東広島市)には約2万7千年前に遡る西ガガラ遺跡がある。倉橋島(呉市倉橋町)の鹿島沖からナウマンゾウの化石などが引き上げられている。
甲立古墳や石槌山古墳群などの古墳もあり、 飛鳥時代後期には備後国に寺町廃寺(三次市)などの寺院が建立された。
- 6世紀頃は古墳時代後期にあたるが、大和政権は、地域の有力者を国造に任命し、国造制を開始した。並行して部民制も導入した。さらに、各地域へ屯倉の設置を拡大し、地域民衆の直接支配も介入し始めた。
- 741年: 聖武天皇が諸国に国分寺、国分尼寺造営の詔を出し、備後国分寺を福山市神辺町に、安芸国分寺を東広島市西条町に創建。
- 1164年: 平清盛など平家一門が法華経28巻など33巻1具(平家納経)を厳島神社に奉納。
- 1174年: 後白河上皇が平清盛らを伴い厳島神社に参拝。
中世
近世
- 1600年: 関ヶ原の戦いで毛利輝元が敗れ長門国に移封となり、福島正則が広島城に入城し、備後・安芸二国を治める。
- 1619年: 福島正則が広島城の石垣を無許可で修築したため改易処分。代わって備後福山には水野勝成、安芸広島には浅野長晟が入城。
- 1698年: 福山藩5代藩主水野勝岑死去により、水野家無嗣除封。
- 1699年: 松平(奥平)忠雅福山に転封。
- 1710年: 松平(奥平)忠雅に代わり阿部正邦が福山に転封。
- 1716年: 広島藩が定免制を採用。
- 1800年: 頼山陽が広島藩を脱藩。
- 1843年: 福山藩藩主の阿部正弘が老中首座に就任、日米和親条約を結ぶ。
- 1864年: 第1回長州征伐のため、広島に幕兵が集結。
- 1865年: 第2回長州征伐の先鋒を広島藩が命じられる。
江戸時代の藩については備後国の福山藩、安芸国の広島藩、広島新田藩。また備後の家老浅野家の広島藩の支城三原城が置かれた。
近・現代
明治・大正
- 1867年: 薩長芸3藩の討幕同盟が成立。
- 1871年(明治4年)
- 1875年(明治8年): 2月、藤井勉三(山口県士族)が県令に任命された。
- 1876年(明治9年)
- 1878年(明治11年):4月、広島水主町(中区加古町)に新庁舎完成。
- 1880年(明治13年):4月、県令藤井勉三病気で依願免官、千田貞昭が任命された。
- 1884年(明治17年): 宇品港(広島港)の起工式が行われる。
- 1889年(明治22年)4月1日: 広島市市制施行
- 1894年(明治27年): 日清戦争により大本営が設けられ、明治天皇が広島へ移る。
- 1898年(明治31年):尾道市市制施行
- 1902年(明治35年)10月1日: 呉市市制施行
- 1916年(大正5年)7月1日: 福山市市制施行
昭和
- 1936年(昭和11年)11月15日: 三原市市制施行
- 1938年(昭和13年): サンフレッチェ広島のルーツとなる東洋工業蹴球部結成。
- 1945年(昭和20年)8月6日: 午前8時15分、広島市へアメリカにより原子爆弾投下(広島市への原子爆弾投下参照)。
- 1945年8月8日: テニアン島より来襲したB-29・91機が福山市を空襲(福山大空襲)。福山城天守など、市街地の大半が焼失
- 1949年(昭和24年): 国立広島大学設置。
- 1950年(昭和25年): プロ野球球団・広島カープ結成。
- 1953年(昭和28年): 因島市市制施行。
- 1954年(昭和29年): 松永市、府中市、三次市、大竹市、庄原市市制施行。
- 1955年(昭和30年): 広島平和記念資料館開館。第1回原水爆禁止世界大会開催。
- 1958年(昭和33年): 竹原市市制施行。
- 1966年(昭和41年): 福山市と松永市が合併。
- 1968年(昭和43年): 広島カープが東洋工業(現マツダ)の支援を受け、広島東洋カープとなる。
- 1971年(昭和46年): 昭和天皇が初めて原爆死没者慰霊碑に参拝。佐藤栄作が歴代首相として初めて平和祈念式典に参列。
- 1974年(昭和49年): 東広島市市制施行。
- 1975年(昭和50年): 山陽新幹線岡山 - 博多間が開業。広島東洋カープがセ・リーグ初優勝。
- 1980年(昭和55年): 広島市が全国で10番目の政令指定都市となる。
- 1988年(昭和63年): 廿日市市市制施行。
平成
- 1989年: 海と島の博覧会開催。
- 1992年(平成4年): Jリーグ発足に伴い、マツダサッカークラブを母体としサンフレッチェ広島結成。
- 1994年(平成6年): 広島アジア大会開催。サンフレッチェ広島ステージ優勝。
- 1996年(平成8年): ひろしま国体開催。 12月5日、厳島神社と原爆ドームが世界文化遺産に登録される。
- 1998年(平成10年)4月1日: 福山市、中核市に昇格
- 1999年(平成11年)6月29日: 6.29豪雨災害が起こる。
- 2000年(平成12年)11月1日: 呉市、特例市に昇格
- 2001年(平成13年)3月24日: 芸予地震が起こる。
- 2004年(平成16年): 安芸高田市、江田島市市制施行。
- 2006年(平成18年): 尾道市と因島市が合併。その他にも、豊平町、千代田町、大朝町、芸北町(いずれも旧町名)が合併して北広島町となる等、同年に多くの平成の大合併が行われた。
越県合併の模索
岡山県笠岡市(旧茂平村)
1963年(昭和38年)(昭和38年)岡山県笠岡市に編入されていた城見村の旧茂平村(1889年(明治22年)他2村と共に城見村設立)が岡山県笠岡市より分離、広島県福山市への編入を模索した騒動。
経緯
旧茂平村地区は、当時より、地理的(地区が隣接する)、社会的(多くの住民の親戚等が福山市に居住および福山市出身の住民が多い)等により福山市との結びつきが強い地域であった。1963年(昭和38年)岡山県の日生町福浦が強い住民運動により兵庫県赤穂市に合併されたことに刺激をうけた住民が大規模な合併運動を開始(以前より幾度か合併案はあった。)。当時広島県議会議員中川弘(のち福山市長に就任)賛同のもと、福山市議会議員数人の賛同も得た。また、城見村内で旧茂平村地区とと同じ境遇の旧用之江村地区も福山市との合併に賛同し共同で運動を始めた。その後、旧茂平村地区は旧用之江村地区と共同で福山市に合併嘆願書を提出した。
福山市に合併嘆願書が提出されると、岡山県議会、笠岡市議会からの反対運動が起こる。また、翌年(1964年(昭和39年))岡山県知事に地元出身の加藤武徳が就任すると、知事も合併運動に反対し、騒動は終結。
愛媛県]越智郡上島諸島
平成の大合併の際、愛媛県越智郡上島諸島の弓削町・生名村・岩城村・魚島村が愛媛県より分離し、広島県因島市との合併を模索。
経緯
などの理由により、4町村が広島県因島市との越県合併を検討。 4島のうち最も広島県に近い生名村は昭和30年代にも、広島県への併合を模索したことがある。しかし、島だけでなく、大きな漁域を失うことを恐れた越智郡や今治市の漁師が大規模な海上デモ活動を行った。また愛媛県、越智郡も反対し決行されなかった経緯がある。生名村は、因島までの距離が300mと近い。また、村営の渡船が1日50往復近く運行されており、因島市のヘッドタウン的な立場であった。
2000年(平成12年)5月5市町村の間で連携交流協議会を設置するも、両県市町村間での調整が難航。結局、愛媛県側4町村で上島町を設立。合併案は、事実上凍結された。
なお、2012年現在、上島町は橋やフェリーなどで愛媛県に接続されておらず、車両で四国に上陸するためには一旦広島県側を経由しなければならない状態になっている。
行政
歴代知事
公選知事(1947年(昭和22年) - )のみを示した。これ以前の官選知事については広島県知事一覧を参照のこと。
- 初代:楠瀬常猪(1947年(昭和22年)4月16日 - 1950年(昭和25年)11月29日、1期)
- 2代:大原博夫(1951年(昭和26年)1月24日 - 1962年(昭和37年)4月13日、3期)
- 3代:永野嚴雄(1962年(昭和37年)5月29日 - 1973年(昭和48年)11月10日、3期)
- 4代:宮澤弘(1973年(昭和48年)12月16日 - 1981年(昭和56年)10月29日、2期)
- 5代:竹下虎之助(1981年(昭和56年)11月29日 - 1993年(平成5年)11月28日、3期)
- 6代:藤田雄山(1993年(平成5年)11月29日 - 2009年(平成21年)11月28日、4期)
- 7代:湯崎英彦(2009年(平成21年)11月29日 -、1期(現職))
県庁の変遷
広島県庁舎参照
財政
平成19年度
- 財政力指数 0.59
- Iグループ(財政力指数0.5以上、1.0未満)17自治体中9位
平成18年度
- 財政力指数 0.54
- Iグループ(財政力指数0.5以上、1.0未満)16自治体中10位
- 標準財政規模 5309億円
- 一般会計歳入 9814億円
- 一般会計歳出 9767億円
- 経常収支比率 91.5% ( 都道府県平均 92.6% )
- 実質収支比率 0.5
- 実質公債費比率 15.6% ( 都道府県平均 14.7 )
- 人口一人当たり地方債現在高 64万2081円 (普通会計分のみ 都道府県平均 62万2416円 )
- 人口100,000人当たり職員数 1,083.17人 ( 都道府県平均 1,173.11人 )
- 平成17年度から平成21年度までの5年間で概ね1割、2,800人程度の削減を目標に人員削減に取り組んでいる
- 人口一人当たり人件費・物件費等決算額 11万4872円 ( 都道府県平均 12万4759円 )
- 人件費抑制・内部管理経費の削減などにより、前年と比較して2,556円ほど削減している 今後も財政健全化の方向でいく
- ラスパイレス指数 100.2 ( 都道府県平均 99.6 )
- 平均職員給与(普通会計分) 給料451万3691円 職員手当 84万9782円 期末・勤勉手当 192万2761円
- 平均職員給与(年額) 728万6234円
地方債残高
- 1普通会計分の地方債現在高 1兆8411億円
- 2上記以外の特別会計分の地方債現在高 2854億円
- その他に第3セクター等に対する債務保証等に係る債務残高がある (団体数 40 )
普通会計分と特別会計分の地方債合計 2兆1265億円
平成17年度
- 財政力指数 0.48
- IIグループ(財政力指数0.4以上、0.5未満)8自治体中3位
平成16年度
- 財政力指数 0.46
- IIグループ(財政力指数0.4以上、0.5未満)10自治体中7位
国際交流
広島県は1984年(昭和59年)9月17日に中華人民共和国四川省と、1997年(平成9年)5月30日にアメリカ合衆国ハワイ州と友好提携を締結し、交流を行っている。また、大韓民国慶尚南道との交流も行われている。