1998 FIFAワールドカップ
1998 FIFAワールドカップは、1998年6月10日から7月12日にかけてフランスで開催された第16回目のFIFAワールドカップである。決勝戦は地元のフランス代表と前回優勝国のブラジル代表の顔合わせとなったが、フランス代表がジネディーヌ・ジダンの2得点などでブラジル代表を3-0と下し初優勝を果たした。大会最優秀選手はブラジル代表のロナウドが、得点王はクロアチア代表のダヴォール・シューケルが受賞した。
目次
予選[編集]
この大会より、本大会出場チームが24から32に拡大された。
出場国[編集]
出場選手は1998 FIFAワールドカップ参加チームを参照。
大陸連盟 | 出場 枠数 |
予選 | 組 予選順位 |
出場国・地域 | 出場回数 | 備考 | |
---|---|---|---|---|---|---|---|
UEFA | 1+14 | 開催国 | フランス | 3大会ぶり10回目 | |||
欧州予選 | 1組 | 1位 | デンマーク | 3大会ぶり2回目 | |||
2位 | テンプレート:CROf | 初出場 | ☆ | ||||
2組 | 1位 | イングランド | 2大会ぶり10回目 | ||||
2位 | イタリア | 10大会連続14回目 | ☆ | ||||
3組 | 1位 | テンプレート:NORf | 2大会連続3回目 | ||||
4組 | 1位 | テンプレート:AUTf | 2大会ぶり7回目 | ||||
2位 | テンプレート:SCOf | 2大会ぶり8回目 | |||||
5組 | 1位 | テンプレート:BULf | 2大会連続7回目 | ||||
6組 | 1位 | スペイン | 6大会連続10回目 | ||||
2位 | テンプレート:YUGFRf | 2大会ぶり9回目 | ☆ | ||||
7組 | 1位 | オランダ | 3大会連続7回目 | ||||
2位 | テンプレート:BELf | 5大会連続10回目 | ☆ | ||||
8組 | 1位 | テンプレート:ROUf | 3大会連続7回目 | ||||
9組 | 1位 | ドイツ | 12大会連続14回目[1] | ||||
CONMEBOL | 1+4 | 前回優勝国 | ブラジル | 16大会連続16回目 | |||
南米予選 | 1位 | アルゼンチン | 7大会連続12回目 | ||||
2位 | パラグアイ | 3大会ぶり5回目 | |||||
3位 | テンプレート:COLf | 3大会連続4回目 | |||||
4位 | チリ | 4大会ぶり7回目 | |||||
CONCACAF | 3 | 最終予選 | 1位 | メキシコ | 2大会連続11回目 | ||
2位 | アメリカ | 3大会連続6回目 | |||||
3位 | テンプレート:JAMf | 初出場 | |||||
CAF | 5 | 最終予選 | 1組 | 1位 | ナイジェリア | 2大会連続2回目 | |
2組 | 1位 | テンプレート:TUNf | 5大会ぶり2回目 | ||||
3組 | 1位 | 南アフリカ共和国 | 初出場 | ||||
4組 | 1位 | カメルーン | 3大会連続4回目 | ||||
5組 | 1位 | テンプレート:MARf | 2大会連続4回目 | ||||
AFC | 3.5 | 最終予選 | A組 | 1位 | テンプレート:KSAf | 2大会連続2回目 | |
2位 | テンプレート:IRNf | 5大会ぶり2回目 | ○ | ||||
B組 | 1位 | 韓国 | 4大会連続5回目 | ||||
2位 | 日本 | 初出場 | |||||
OFC | 0.5 | 地区予選 | 出場国無し |
- 備考欄の「☆」は欧州予選プレーオフ、「○」は大陸間プレーオフに勝利の上、出場が決定したチーム。
本大会[編集]
概要[編集]
参加国数が24から32に増えた最初の大会(本大会出場選手本登録は22人で、1998年6月2日夜が締め切りであった)。グループリーグがそれまでの4チームのA-Fの6グループからA-Hの8グループに増加し、各グループ上位2チーム、合計16チームがノックアウト方式の決勝トーナメントに進む。トーナメント1回戦は、各グループ1位は2位のチームと、グループの対戦はAグループはBグループと、他はCとD、EとF、GとHとなる。大会は、前回大会優勝のブラジル対スコットランド戦でブラジルの2対1の勝利で幕を開けた。
いわゆる「パリの悲劇」で、アメリカ大会に出場できなかったフランスが、1978年大会のアルゼンチン以来20年ぶり史上7カ国目の初優勝を遂げた。カントナを代表から外し、ジダンを中心に据えたエメ・ジャケ監督のチーム作りが成功。またユニフォームは代表初戴冠となるUEFA欧州選手権1984時代を模したものにして縁起を担いだ。グループリーグではブラン、デサイー、デシャンといったベテランがチームをまとめ、ジダンを中心に、若手の成長株のアンリやトレゼゲといったストライカーが得点を重ねる、理想的なサッカーを展開した。決勝トーナメントに入り、その世代交代の過渡期だったストライカーが力不足を露呈して得点力不足に苦しんだが、1回戦ではDFブランがゴールデンゴールを挙げ、準決勝ではそれまで代表戦でゴールのなかったDFテュラムが同点、そして逆転ゴールを挙げる活躍でそれをカバー。決勝戦においては下馬評ではブラジルが有利と言われていた。しかし、決勝当日の朝、泡を吹いて卒倒しているブラジルのエース、ロナウドが発見された。ブラジルはチーム全体がパニック状態に陥ることになる。発作が治まったロナウドは結局先発出場するのだが、怪物の抜け殻であり、エースを失ったブラジルは砂上の楼閣さながらだった、結果はフランスが3対0とフランスのサッカーを思う存分見せつけた試合と言える(決勝戦でもMFのジダンが2ゴール、同じくMFのプティが1ゴールと、ストライカー以外のプレーヤーが得点を挙げている)。
大会自体は、下馬評通りに、優勝候補と目されていたブラジル、フランス、オランダ等が順当に勝ち進んだ。バティストゥータ、シメオネを中心にしたアルゼンチンはベスト8まで進んだが、オランダ戦ではオルテガの退場もあり敗退。一方で、スペインのグループリーグ敗退や、クロアチアの躍進は観客に驚きを与えた。また、前述のアンリ、トレゼゲを含め、イングランド代表のベッカムやオーウェン、ブラジル代表のロナウド、イタリア代表のデル・ピエロ、スペイン代表のラウルといった初登場の若手が活躍した大会でもあった。
アジア勢は不振で、4カ国いずれもグループリーグで敗退した。前回アメリカ大会で初出場ながらベスト16に入り、旋風を起こしたサウジアラビアは1分2敗、韓国も1分2敗だった。イランはアメリカに2対1でワールドカップ初勝利を挙げるも、1勝2敗に終わりグループリーグで敗退した。日本はこの大会で初出場を果たしたが、3敗に終わった。
本大会前には、ロマーリオ、ガスコイン、カントナ、三浦知良らが代表に選ばれなかったことが話題となった。
チケット問題[編集]
日本代表が初出場するとあって、多くのサポーターが現地へ観戦に行くため、大手旅行代理店への観戦ツアーの申込は約35,000人となった。
しかし開幕となる6月10日直前になっても、日本戦観戦ツアーの申込分の一部のチケットが旅行代理店に到着しない事態が発生。フランス組織委員会(以下、CFOと記述)は当初、「5月中旬までには全てのチケットを発行する」としていたが、チケットの偽物が発見されたり、カメルーンサッカー協会とイギリスの業者(チケット問題発生時には、すでに倒産)によるチケットの横流し事件が発覚したため、CFOがチケットの発券をストップ。その為、公認代理店以外でチケットを注文した旅行会社にチケットが届かない事態となった(なお、チケットの不足は、イングランド、スコットランド、ブラジル、ドイツ、オランダの試合でも起きている)。
このため旅行会社ではチケットが手元に無いため、ツアーの実施、中止への対応を余儀なくされた。またツアー参加者は、出発の集合場所にて「チケットが届かない」旨の説明を受けたりしたため、参加者が突然の事態に泣き出す、説明に訪れた旅行会社社員に対し怒号が飛び交う等の事態になった(主な旅行会社の対応は、以下の通り)。
旅行会社 | 日本戦3戦申込枚数 | 実入手枚数 | 入手率 (%) |
対応 |
---|---|---|---|---|
ジェイワールドトラベル | 不明 | 不明 | 100 | 日本で唯一のオフィシャルエージェントの旅行会社であった為、参加者全員分のチケットが割り当てられた。 |
西鉄旅行 | 不明 | 不明 | 100 | JFAや国外のFIFA正規代理店からチケットを確保し、ツアー参加者数をチケットを確保できた分だけ募集したため、参加者全員分のチケットが割り当てられた。 |
JTB | 7,000 | 5,100 | 72 | 希望者にはツアーを予定通り決行。 試合を観戦出来なかったツアー参加者には、旅行代金を全額返還。 |
近畿日本ツーリスト | 5,583 | 384 | 6 | 原則ツアー中止。旅行代金全額+おわび金5万円を返還。 リスク覚悟の希望者には、別ツアーを用意。 |
京王観光 | 120 | 0 | 0 | ツアーを全面中止、旅行代金を全額返金。 |
日本旅行 | 5,500 | 200 | 3 | アルゼンチン戦のツアーは中止。他の2試合はツアーを決行。 旅行代金全額+おわび金5万円を返還。また観戦出来なかったツアー参加者には、代金の3割を返還。 後日11ヶ国・地域34ヶ所の現地法人の社員約500人を動員し、チケット200枚を入手。 |
東武トラベル | 200 | 0 | 0 | ツアーを全面中止、旅行代金を全額返金。 |
東急観光 (現:トップツアー) |
3,499 | 303 | 8 | 原則ツアーを全面中止、旅行代金を全額返金。 |
エイチ・アイ・エス | 500 | 不明 | 不明 | ツアーは予定通り実施。 |
名鉄観光サービス | 482 | 57 | 11 | ツアーを全面中止、旅行代金を全額返金。 |
マップ・インターナショナル | 不明 | 不明 | 不明 | 「チケット確保の目処がついた」として、ツアーを決行。 |
阪神電鉄旅行部 | 450 | 0 | 0 | ツアーを全面中止、旅行代金を全額返金。 |
日通旅行 | 4,257 | 100 | 2 | 希望者にはツアーを予定通り決行。 試合を観戦出来なかったツアー参加者には、旅行代金を全額返還。 |
この事件に対し、CFOは「販売は順当に進んだと認識している。残念だが、こちらとしては何も出来ない。」との見解を示した。これに対し日本旅行業協会がフランス政府に問題の調査を依頼、またCFOへ抗議文書を送った。これに対しまた後日チケットの注文を受けながら入場券を渡さなかったとして、ISLワールドワイド社の子会社「ISLフランス」の役員マルク・ルワゾンが身柄を拘束された。
尚、チケットは無くても現地まで行ったサポーターやチケットをより多く確保したい旅行会社等により、ダフ屋が横行しチケットの価格は高騰、1枚36万円で販売するダフ屋まで出現した。挙句の果てには、対アルゼンチン戦にて偽チケットが発見される事態も発生した。
このチケット問題に対し、アルゼンチン戦を開催するトゥールーズは、「日本人サポーターに、せめてスクリーンで試合を見て欲しい」と、市内のスポーツセンターと公園に試合を実況中継する巨大スクリーンを設置した。また座席も8,000席用意し、軽食や飲み物を無料配布した。尚、この巨大スクリーンの会場の一角を東急観光が占拠し、自社のツアー客以外を締め出すという事態を起こした。
日本政府も藤井孝男運輸大臣(当時)は、遺憾の意を表明。また運輸省は少しでもチケットを確保するよう、FIFAに要請した。
この一連の事件により、FIFAは不正を働いた疑いが強いとして、カメルーンとコロンビアのサッカー協会を調査。またFIFAのゼップ・ブラッター次期会長は主催者側の不備を認め、次大会以降のチケット販売は、大会開催国の組織委員会が扱うのではなく、FIFAの直接管理下で販売する方針となった。
結果[編集]
組み合わせ抽選[編集]
組み合わせ抽選は、1997年12月4日にマルセイユのスタッド・ヴェロドロームにて行われた。
まず、参加32チームを以下のように分けた。
- 開催国のフランス、前回優勝国のブラジル、およびシード国としてドイツ・イタリア・スペイン・アルゼンチン・ルーマニア・オランダの8か国を「ポット1」
- シード国は、ワールドカップの過去3大会の成績および、1995年~1997年のFIFAランキングをもって決定された。
- アフリカ5か国および、北中米カリブ海3カ国の8か国を「ポット2」
- シード以外のヨーロッパ9か国を「ポット3」
- シード以外の南米3か国および、アジア4か国の7か国を「ポット4」
これら各ポットから1か国ずつを1グループに割り当てる。ただしポット3は9か国あり、またヨーロッパの国が同一のグループに3チーム入るのを防ぐため、ポット3で最後に選ばれたチーム(この抽選ではノルウェー)は、ポット1でヨーロッパの国が選ばれなかったグループのいずれかに割り当てられる(この抽選では、ブラジルのいるグループAに割り当てられた)。そして、ポット4のチームはそれ以外の7グループに割り当てられる。
すべてフランス時刻(CET)
グループリーグ[編集]
グループ A[編集]
順 位 |
チーム | 勝 点 |
試 合 |
勝 利 |
引 分 |
敗 戦 |
得 点 |
失 点 |
点 差 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1 | ブラジル | 6 | 3 | 2 | 0 | 1 | 6 | 3 | +3 |
2 | テンプレート:NORf | 5 | 3 | 1 | 2 | 0 | 5 | 4 | +1 |
3 | テンプレート:MARf | 4 | 3 | 1 | 1 | 1 | 5 | 5 | 0 |
4 | テンプレート:SCOf | 1 | 3 | 0 | 1 | 2 | 2 | 6 | -4 |
グループ B[編集]
順 位 |
チーム | 勝 点 |
試 合 |
勝 利 |
引 分 |
敗 戦 |
得 点 |
失 点 |
点 差 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1 | イタリア | 7 | 3 | 2 | 1 | 0 | 7 | 3 | +4 |
2 | チリ | 3 | 3 | 0 | 3 | 0 | 4 | 4 | 0 |
3 | テンプレート:AUTf | 2 | 3 | 0 | 2 | 1 | 3 | 4 | -1 |
4 | カメルーン | 2 | 3 | 0 | 2 | 1 | 2 | 5 | -3 |
グループ C[編集]
順 位 |
チーム | 勝 点 |
試 合 |
勝 利 |
引 分 |
敗 戦 |
得 点 |
失 点 |
点 差 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1 | フランス | 9 | 3 | 3 | 0 | 0 | 9 | 1 | +8 |
2 | デンマーク | 4 | 3 | 1 | 1 | 1 | 3 | 3 | 0 |
3 | 南アフリカ共和国 | 2 | 3 | 0 | 2 | 1 | 3 | 6 | -3 |
4 | テンプレート:KSAf | 1 | 3 | 0 | 1 | 2 | 2 | 7 | -5 |
グループ D[編集]
順 位 |
チーム | 勝 点 |
試 合 |
勝 利 |
引 分 |
敗 戦 |
得 点 |
失 点 |
点 差 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1 | ナイジェリア | 6 | 3 | 2 | 0 | 1 | 5 | 5 | 0 |
2 | パラグアイ | 5 | 3 | 1 | 2 | 0 | 3 | 1 | +2 |
3 | スペイン | 4 | 3 | 1 | 1 | 1 | 8 | 4 | +4 |
4 | テンプレート:BULf | 1 | 3 | 0 | 1 | 2 | 1 | 7 | -6 |
グループ E[編集]
順 位 |
チーム | 勝 点 |
試 合 |
勝 利 |
引 分 |
敗 戦 |
得 点 |
失 点 |
点 差 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1 | オランダ | 5 | 3 | 1 | 2 | 0 | 7 | 2 | +5 |
2 | メキシコ | 5 | 3 | 1 | 2 | 0 | 7 | 5 | +2 |
3 | テンプレート:BELf | 3 | 3 | 0 | 3 | 0 | 3 | 3 | 0 |
4 | 韓国 | 1 | 3 | 0 | 1 | 2 | 2 | 9 | -7 |
グループ F[編集]
順 位 |
チーム | 勝 点 |
試 合 |
勝 利 |
引 分 |
敗 戦 |
得 点 |
失 点 |
点 差 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1 | ドイツ | 7 | 3 | 2 | 1 | 0 | 6 | 2 | +4 |
2 | テンプレート:YUGFRf | 7 | 3 | 2 | 1 | 0 | 4 | 2 | +2 |
3 | テンプレート:IRNf | 3 | 3 | 1 | 0 | 2 | 2 | 4 | -2 |
4 | アメリカ | 0 | 3 | 0 | 0 | 3 | 1 | 5 | -4 |
グループ G[編集]
順 位 |
チーム | 勝 点 |
試 合 |
勝 利 |
引 分 |
敗 戦 |
得 点 |
失 点 |
点 差 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1 | テンプレート:ROUf | 7 | 3 | 2 | 1 | 0 | 4 | 2 | +2 |
2 | イングランド | 6 | 3 | 2 | 0 | 1 | 5 | 2 | +3 |
3 | テンプレート:COLf | 3 | 3 | 1 | 0 | 2 | 1 | 3 | -2 |
4 | テンプレート:TUNf | 1 | 3 | 0 | 1 | 2 | 1 | 4 | -3 |
グループ H[編集]
順 位 |
チーム | 勝 点 |
試 合 |
勝 利 |
引 分 |
敗 戦 |
得 点 |
失 点 |
点 差 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1 | アルゼンチン | 9 | 3 | 3 | 0 | 0 | 7 | 0 | +7 |
2 | テンプレート:CROf | 6 | 3 | 2 | 0 | 1 | 4 | 2 | +2 |
3 | テンプレート:JAMf | 3 | 3 | 1 | 0 | 2 | 3 | 9 | -6 |
4 | 日本 | 0 | 3 | 0 | 0 | 3 | 1 | 4 | -3 |
決勝トーナメント[編集]
1回戦[編集]
準々決勝[編集]
準決勝[編集]
3位決定戦[編集]
決勝[編集]
優勝国[編集]
得点ランキング[編集]
順位 | 選手名 | 国籍 | 得点数 |
---|---|---|---|
1 | ダヴォール・シューケル | テンプレート:CROf | 6 |
2 | ガブリエル・バティストゥータ | アルゼンチン | 5 |
クリスティアン・ヴィエリ | イタリア | ||
4 | ロナウド | ブラジル | 4 |
ルイス・エルナンデス | メキシコ | ||
マルセロ・サラス | チリ | ||
7 | オリバー・ビアホフ | ドイツ | 3 |
デニス・ベルカンプ | オランダ | ||
ティエリ・アンリ | フランス | ||
リバウド | ブラジル | ||
ユルゲン・クリンスマン | ドイツ | ||
ベベット | ブラジル | ||
セザール・サンパイオ | ブラジル |
表彰[編集]
個人賞[編集]
賞 | 選手名 | 国籍 | 備考 |
---|---|---|---|
ゴールデンボール(大会MVP) | ロナウド | ブラジル | 準優勝 |
シルバーボール | ダヴォール・シューケル | テンプレート:CROf | 3位 |
ブロンズボール | リリアン・テュラム | フランス | 優勝 |
ゴールデンシューズ(得点王) | ダヴォール・シューケル | テンプレート:CROf | 6得点 |
ヤシン賞(最優秀GK) | ファビアン・バルテズ | フランス | 2失点 |
オールスターチーム[編集]
準決勝終了後、国際サッカー連盟の技術委員によりオールスターチームが選出された[2]。選出に際し事前に60選手が選ばれ、7月3日に技術部部長のイェルク・ネプファーをはじめとした技術委員により16選手が決定された[2]。選出に際しては正規の16選手のほか、控えの6選手を含む22選手が発表された[2]。
ポジション | 選手名 | 国籍 |
---|---|---|
GK | エトヴィン・ファン・デル・サール | オランダ |
MF | フアン・セバスティアン・ベロン | アルゼンチン |
オーガスティン・オコチャ | ナイジェリア | |
FW | ティエリ・アンリ | フランス |
マイケル・オーウェン | イングランド | |
クリスティアン・ヴィエリ | イタリア |
公式マスコット[編集]
公式テーマソング[編集]
- リッキー・マーティン 『The Cup of Life』
- JEAN MICHEL JARRE & TETSUYA "TK" KOMURO 『TOGETHER NOW』
- ユッスー・ンドゥール&アクセル・レッド 『勇者たちの庭』 - 公式アンセム
- 『ALLEZ! OLA! OLE! The Music Of The World Cup』 - 公式アルバム
オフィシャルスポンサー[編集]
1998 FIFAワールドカップオフィシャルパートナー
- アディダス(ドイツ:スポーツ用品メーカー)
- ブラウン(ドイツ:電機メーカー)
- ザ コカ・コーラ カンパニー(米国:飲料メーカー)
- キヤノン(日本:電機メーカー)
- ジレット(米国:剃刀メーカー)
- 日本ビクター(日本:電機メーカー)
- 富士フイルム(日本:写真メーカー)
- オペル(ドイツ:自動車メーカー)
- マスターカード(米国:クレジットカード会社)
- マクドナルド(米国:ファストフード飲食店)
- フィリップス(オランダ:電機メーカー)
- スニッカーズ(英国「マース社」の菓子ブランド)
脚注[編集]
- ↑ 西ドイツ時代を含む。
- ↑ 2.0 2.1 2.2 (1998年7月10日) FIFA Technical Study Group designates MasterCard All-Star Team FIFA.com 1998年7月10日 [ arch. ] 2014年11月22日
関連項目[編集]
- ジョホールバルの歓喜(1998 FIFAワールドカップアジア地区予選・第3代表決定戦 「日本対イラン」)
- メルボルンの悲劇(1998 FIFAワールドカップ予選・大陸間プレーオフ 「オーストラリア対イラン」)
- 1998 FIFAワールドカップ日本代表
外部リンク[編集]
- 1998 FIFA World Cup France - FIFA.com(英語)
- RSSSFによる記録
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