黒崎研堂
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黒崎研堂 | |
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時代 | 江戸時代から昭和時代 |
生誕 | 嘉永5年2月15日(1852年3月5日) |
死没 | 昭和3年(1928年)1月16日 |
改名 | |
別名 | 与八郎、馨、聚、敬治、子芳、東瀛 |
諡号 | |
神号 | |
戒名 | |
霊名 | |
墓所 | 山形県鶴岡市 |
官位 | |
幕府 | |
主君 | |
藩 | 庄内藩、農兵小隊長 |
氏族 | 左衛門尉酒井家分家、黒崎氏 |
父母 | 父:酒井了明 |
兄弟 | 酒井了恒、酒井調良、白井久井、黒崎研堂 |
妻 | |
子 | 黒崎幸吉 |
特記 事項 | |
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黒崎 研堂(くろさき けんどう)は、書家。庄内藩士。鶴岡町会議員、金融機関済急社社長。出羽国庄内(現・山形県鶴岡市)出身。
略歴[編集]
- 1852年(和暦??年) - 出羽国庄内(現・山形県鶴岡市)に、庄内藩家老・酒井了明の3男として生れる。
- 1868年(和暦??年) - 戊辰戦争に出陣する。庄内藩士・黒崎友信の養子となる。
- 1872年(和暦??年) - 鹿児島で練兵を学ぶ。
- 1872年(和暦??年) - 松ヶ岡開墾場の経営に参加する。
- 1886年(和暦??年) - 日下部鳴鶴に入門する。
- 金融機関済急社(現・荘内銀行)社長
- 1901年(和暦??年) - 鶴岡町会議員となる。
- 1928年(和暦??年) - 死去する。享年76
著書[編集]
- 1984年(和暦??年)5月 - 『庄内日誌. 第1巻』 編纂:山添直、久保威夫、田中正臣 出版:黒崎研堂庄内日誌刊行会
親族一族[編集]
- 祖父:酒井了安
- 伯父:酒井右京 - 庄内藩家老
- 父:酒井了明 - 庄内藩家老
- 養父:黒崎友信 - 庄内藩士
- 長兄:酒井了恒 - 大泉県参事
- 次兄:酒井調良 - 農場経営者
- 姉:白井久井 - 婦人運動家
- 長男:黒崎幸吉 - 聖書学者
- 甥:酒井駒太郎 - 園芸家
- 大甥:酒井駿次 - 園芸家
門下生[編集]
- 松平穆堂 - 鶴岡書道会主宰
- 吉田苞竹 - 東方書道会董事・審査員
- 三矢宮松 - 帝室林野局長官
- 重田鉄矢 - 庄内史料研究会主宰
- 仙場東太郎 - 大同書会理事・審査員
- 鳥海良邦 - 鶴岡町会議員、済急社監査役
- 松木正介 - 東北振興研修所講師
出典・参考文献[編集]
- 『庄内人名辞典』 編纂・出版:庄内人名辞典刊行会
- 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』