酒井忠悌
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酒井 忠悌(さかい ただやす)は、出羽庄内藩11代藩主・酒井忠篤の4男。鶴城書道会会長。致道博物館顧問。東北農家研究所相談役。山形県社会教育委員。
人物[編集]
1893年6月6日、出羽庄内藩11代藩主・酒井忠篤の4男として鶴岡市家中新町に生れる。 庄内藩9代藩主・酒井忠発の長男である酒井忠恕の未亡人瑛昌院に奉仕して桧物町邸に居住していたが、没後鷹匠町に移って、長い間酒井家の学問所文会堂で経書を講じた。早くから漢学を赤沢源也から、漢詩と書を黒崎研堂に学んでいて、昭和37年(1962)3月に、松平穆堂の後を継いで鶴城書道会会長となった。致道博物館顧問。東北農家研究所相談役。山形県社会教育委員などを歴任した。
年譜[編集]
- 1893年6月6日、出羽庄内藩11代藩主・酒井忠篤の4男として鶴岡市家中新町に生れる。
- 1913年、荘内中学校を卒業する。
- 1940年、荘内松柏会を設立し自邸をこれに解放する。
- 1962年3月、鶴城書道会会長となる。
- 1962年11月28日、死去する。享年69。
関連項目[編集]
出典・参考文献[編集]
- 「庄内人名辞典」