米澤嘉博

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米澤 嘉博よねざわ よしひろ米沢 嘉博とも)、1953年3月21日 - 2006年10月1日)は、日本熊本県熊本市出身の漫画評論家、コミックマーケット準備会の第2代代表。有限会社コミケット取締役社長、日本マンガ学会理事、手塚治虫文化賞選考委員、日本オタク大賞審査員なども務めた。愛称は米やん

略歴[編集]

明治大学工学部在学中から漫画批評集団「迷宮」に参加。迷宮の同人として、1975年からのコミックマーケット開催に加わり、1980年(C14)から2006年夏(C70)までコミックマーケット準備会代表を務めた。準備会が独立した組織になったのは、米澤が代表になってからだという。また、準備会自体は任意団体なので、1985年外部取引などのために株式会社コミケット(後に有限会社特例有限会社)を設立し、米澤が社長を兼務した。この間にコミックマーケットは飛躍的に発展、規模はサークル数にして百倍になった。また、毎回発行されるカタログ、サークル参加者への呼びかけである「コミケットアピール」、1994年から始めた広報誌『COMIKET PRESS』では、必ず米澤の挨拶が冒頭に来るしきたりであった。

2006年2月になって、定期検診に影があると診断を受けたが、精密検査を受けたのは5月末になってからだった。7月に肺癌の告知を受けたが、身内などごく少数以外にはこの事実は伏せられた。その8月のコミックマーケット70には入院先の病院から参加し、周囲にはギックリ腰と説明していた。その後病状が悪化、健康上の問題を理由に9月30日に準備会代表の退任を発表した。後任は共同代表制を取り、安田かほる筆谷芳行市川孝一の3人。翌日の10月1日午前4時40分、東京都渋谷区の病院で肺癌のため逝去。享年53。通夜・葬儀は東京都港区善福寺で米澤家とコミックマーケット準備会及び有限会社コミケットの合同葬で執り行われた。

2006年12月29日から31日に渡って開催された「コミックマーケット71」では、カタログ等での事前告知を行なった上で、最終日の終了アナウンスの直前、31日の15時59分に米澤元代表への黙祷が呼びかけられ、黙祷が捧げられた。

主な著書に『戦後少女マンガ史』『戦後SFマンガ史』『戦後ギャグマンガ史』からなる戦後マンガ史三部作などがある。一つの時代一つのジャンルだけでなく、漫画の全体を把握していた「百科事典のような」人であったという。

『藤子不二雄論 FとAの方程式』で第26回日本児童文学学会賞受賞。

趣味は釣り古本収集。好物はタバココーヒーコーラ。肺癌の告知を受けても、入院してからでさえタバコを止めようとはしなかったという。Dr.モローの漫画など、コミックマーケットのカタログや『COMIKET PRESS』では常にタバコをくゆらせた姿で描かれた。漫画のキャラクターデザインは吾妻ひでおである。家事は料理は自分で作るが、後片付けはしなかった(「クリエイター(創作家)だから」ということらしい)。

逆に大嫌いなのがニンジン。22年間米澤家ではニンジンを買ったことがなく、たまたま買って来たのを見るとすぐさま捨ててしまった。また、外食でニンジンが入っていると、どんな高級店であっても「この店は、下品だ!!」と非難したという。

別の筆名[編集]

別ペンネームとして阿島俊を用いることもある。主な著書、編書は「漫画同人誌エトセトラ」、「マンガ&アニメ同人誌ハンドブック」等。また、唐澤俊一宅八郎によると、かつて『噂の眞相』「メディア裏最前線」の漫画欄を担当していた山崎京次の正体であるとの噂があるという(宅はこの説を実話としている)。

主な著書・編著[編集]

参考文献[編集]

  • コミックマーケット準備会『コミックマーケット30'sファイル』 コミックマーケット準備会、2005年3月、自費出版。商業出版された版は発行コミケット、発売青林工藝舎、2005年7月、2100円、391ページ、ISBN 4-88379-192-0
  • 』2006年12月号 米澤英子「夫・米澤嘉博の死とコミケの今後」、唐沢俊一・岡田斗司夫「新世紀オタク清談 第26回 追悼 米澤嘉博」
  • 『COMIKET PRESS 25』 コミックマーケット準備会、2006年12月、自費出版

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

先代:
原田央男
コミックマーケット準備会代表
第2代:1980年 - 2006年
次代:
安田かほる筆谷芳行市川孝一


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