相原貞三尼
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相原 貞三尼(あいはら ていさんに、1793年 - 1865年)は、淘宮術の創始者・横山丸三の直弟子。免許皆伝を受けた6人のうちの1人。[1]
寛政5年(1793)生まれ[2]。日高氏に生まれた[2]。両国の割烹料理屋の娘だった[3]。
浅草蔵前で[3]札差「上総屋」を経営していた相原随岸に嫁いだ[2]。
天保6年(1835)、43歳のとき、天源淘宮学を称していた横山に入門[2]。
年月日不詳で、皆伝を許され、陽気庵貞讃と号す。のちに「(貞)三」と改めた。[2]
慶応元年(1865)4月14日没。享年73。法名「祥徳院殿讃日詠法尼」。[2]
付録[編集]
脚注[編集]
参考文献[編集]
- 大井 (1868) 大井正元三始氏「淘宮元祖先聖伝記并略年譜」天源淘宮術研究会『天源淘宮術秘訣』松成堂、1909・明治42(原著:慶応4・1868)、pp.4-44、NDLJP 2209062/10
- 藤田 (2019) 藤田英昭「幕末維新期の大奥と『淘宮術』」『論集大奥人物研究』東京堂出版、pp.345-371、ISBN 978-4490210200