烏山線
烏山線(からすやません)は、栃木県塩谷郡高根沢町の宝積寺駅と栃木県那須烏山市の烏山駅を結ぶ東日本旅客鉄道(JR東日本)の鉄道路線(地方交通線)。
沿線に「宝積寺(ほうしゃくじ)」「大金(おおがね)」という縁起の良いとされる名前の駅があり、駅が8駅、車両が8両であることから、七福神をキャラクターとして、宝積寺駅をのぞく各駅と7両の車両に各尊を割り当てて各駅の看板や車両のイラストマークなどを整備している。残りの車両1両には全尊が描かれている。
2009年3月14日から、旅客営業規則の定める「東京近郊区間」に指定された[1]。ただし、当線区内の7駅ではIC乗車カード「Suica」の利用対象外となっている[2][3]。自動改札機設置駅は宇都宮線との接続駅である宝積寺駅を含めてない。
目次
路線データ[編集]
- 路線距離:20.4km[4]
- 軌間:1067mm[4]
- 駅数:8駅(起終点駅含む)
- 烏山線所属駅に限定した場合、東北本線所属の宝積寺駅[5]が除外され、7駅となる。
- 複線区間:なし(全線単線)[4]
- 電化区間:なし(全線非電化)[4]。ただし烏山駅構内は蓄電池駆動電車の充電用に電化。
- 閉塞方式
- 宝積寺駅 - 大金駅間:自動閉塞式(特殊)
- 大金駅 - 烏山駅間:特殊自動閉塞式(軌道回路検知式)
- 保安装置:ATS-P
- 最高速度:65km/h
- 運転指令所:宇都宮CTCセンター
全区間が東日本旅客鉄道大宮支社の管轄である[6]。
運行形態[編集]
2014年3月15日改正ダイヤでは、途中駅発着の区間列車の設定はなく、毎日14往復ある全列車が宝積寺駅 - 烏山駅全区間を運行する。うち毎日9往復(下り列車は16時台発をのぞく宇都宮駅発朝7時台から19時台発の全列車、上り列車は15時台発をのぞく烏山駅発朝5時台始発から17時台発の全列車)が宇都宮線(東北本線)宇都宮駅を始発・終着とする直通列車となっている[7]。また、同改正から宇都宮駅直通列車2往復と線内運転1往復が蓄電池駆動電車(EV-E301系「ACCUM」)で、他は気動車で運転されている。
大金駅 - 烏山駅間の閉塞の関係で、烏山駅では21時52分に上りの最終列車が出てから23時半過ぎに下りの最終列車が到着するまで1時間40分ほど列車が来ない。
戦後の高度経済成長期以来、一部列車をのぞいて宇都宮駅を始発・終着として運行されてきたが、国鉄末期の1986年、東北本線宇都宮駅 - 黒磯駅間の普通列車の増発に際し、宇都宮駅 - 宝積寺駅間をこれに統合したうえで、線内折り返しを主とする1日18往復へ増便する一方、宇都宮駅を始発・終着とする烏山線直通列車は下り2本にまで削減された[8]。1996年には、利用客の流動状況に鑑み、宇都宮駅始発・終着列車の本数を朝夕の通勤・通学時間帯を中心に5往復まで戻している[9]。2010年(平成22年)12月4日のダイヤ改正前の時点では、毎日18往復ある全列車が宝積寺駅 - 烏山駅全区間を走り、うち毎日5往復が宇都宮線(東北本線)宇都宮駅を始発・終着とする直通列車で、運転間隔は約1時間間隔、烏山線内では朝の一部をのぞく上下各16本の列車、宇都宮線区間では朝の上りと夕方の下りを除く下り4本、上り2本の列車でワンマン運転が実施されていた[10][11][12]。同ダイヤ改正で毎日1日16往復運転となり、うち毎日10往復が宇都宮駅直通となった[13][14]。
国鉄時代には宇都宮駅 - 烏山駅間に快速列車が運転された時期もあった[15][16]ほか、早朝上り烏山駅始発の1本は東北本線宇都宮駅以南に乗り入れ、小山駅で両毛線始発の快速「おおとね」に併結して上野駅まで直通していた[17]。また、「おおとね」との併結を黒磯駅始発の普通列車に譲った後も、石橋駅まで乗り入れて直ぐに折り返し烏山駅行きとなる運用が行われていた[18][19]。
過去に設定されていた快速列車[編集]
昭和30年代後半、宇都宮駅 - 烏山駅間には快速列車が毎日1往復だけ運行されていた時期があった。すでに当線に客車列車の設定はなく、全列車が宇都宮運転所所属の気動車で運行されるようになってしばらく経ってからのことである。
途中の停車駅は宝積寺駅・仁井田駅・大金駅で、上りは9時頃に烏山駅を出て宇都宮駅に9時40分頃到着、下りは17時過ぎに宇都宮駅を出て烏山駅に17時40分頃到着、というダイヤであった。当時の当線の運行本数は優等列車なしの12往復で、全列車が宇都宮駅 - 烏山駅間の運行であった。普通列車(11往復)の所要時間は50分程度で、快速列車(1往復)はそれより10分程度短かった。
朝の上り列車は線内での上下列車の行き違いはなく、下り列車は大金駅での上り列車との待ち合わせがあったものの、上下列車ともに途中駅での追い越しは無かった。この快速列車は5年間程度運行されたが、その後廃止され、以後、当線に定期の速達列車が設定されたことはない[15][16]。
使用車両[編集]
現行の使用車両[編集]
定期列車[編集]
- キハ40形1000番台気動車
- 当路線の主力車両。宇都宮運転所所属のキハ40形1000番台気動車で運行されている[12]。
- 当線に導入されたキハ40形は当初全車両が2000番台(10両、2011 - 2020)で、1979年6月から使用開始された[20]。各車両のイラストマークやサボには七福神が描かれている。2013年時点で関東地方の非電化JR線(当線、八高線の倉賀野駅 - 高麗川駅間、水郡線、久留里線の4線区)のうち、キハ40形を使用しているのは当線のみである。
- 2011年に開業88周年を迎えたことから、その記念事業として、1003号と1007号の2両を、かつて使用されていたキハ10形を模した朱色4号とクリーム4号の旧国鉄一般色に変更して運転している[21]。ただし、キハ40系は、優先して製造された北海道向け仕様が1977年初頭に落成しているが、翌1978年10月の「車両塗色および表記基準規定」の改正を間近に控えていたことから、全車が朱色5号1色の、通称「首都圏色」で登場しており、旧来の2色塗りは存在しなかった。
- 2013年に開業90周年を迎えたことから、その記念事業として、1004号と1005号の2両を、キハ40形導入当初塗色の旧国鉄首都圏色に変更して運転している[22]。
- EV-E301系電車
- E995系「NE Train スマート電池くん」を用いて開発が進められた蓄電池駆動電車システムを採用する電車。愛称は「ACCUM」(アキュム)[23]。2014年3月15日のダイヤ改正で2両編成1本が運行開始した。最終的には烏山線において運用される全車両をEV-E301系で統一する予定である[24]。
臨時列車[編集]
- キハ48系気動車「びゅうコースター風っこ」
- キハ48形を改造したトロッコ気動車。烏山線では2011年[25]・2012年の8月[26]、2013年の9月[27]に運転されている。2014年も8月[28]に運転される。
過去の使用車両[編集]
開業後しばらくの間は蒸気機関車による客貨混合列車で運行された。太平洋戦争終結後の1951年(昭和26年)、歯車式変速器のディーゼル気動車が一部便に投入され、その後1957年(昭和32年)に液体式の車両に置き換えられた[29]。
戦前はガソリンカー、戦中は3170形タンク式蒸気機関車が使われたと云われている。
定期列車[編集]
- キハ10形・キハ11形気動車 - 1957年に宇都宮運転所に10両が配置され、1979年まで使用された。
- キハ20系気動車 - キハ40形の配置直前に、向日町運転所と水戸機関区から各1両のキハ20形初期車が転入し、使用された。1両はキハ40形投入後も予備車として残存した。
臨時列車[編集]
- DE10形ディーゼル機関車
- DD51形ディーゼル機関車
- 12系客車 - 1979年7月22日のミステリー列車「銀河鉄道999号」では、DE10 100号機に牽引され、9両編成で入線している。
- キロ59系気動車「グラシア」
- キロ40系気動車「漫遊」
歴史[編集]
前史(常野鉄道と烏山人車鉄道)[編集]
現在の烏山線の路線敷設計画に至る以前の1894年(明治27年)、烏山町の島崎善平等は多雨期の鬼怒川をリスクと考え、これを渡る日本鉄道奥州線の長久保駅に接続するルートではなく、現在の水戸線川島駅に至る「常野鉄道」の開設を当時の栃木県知事佐藤暢に願い出た。これは実現せず、その後奥州線が東に移設され宝積寺駅が開業したため、烏山の小林初太郎と宝積寺の矢口縫太郎が中心となって「烏山人車鉄道会社」を設立し、烏山と宝積寺を結ぶ人車鉄道開設を求めることとなった。資金も集めて準備も進められたが、この計画も実現しなかった[30]。
烏宝軽便鉄道[編集]
1911年(明治44年)3月15日、烏山町の島崎善平らは「烏山宝積寺間軽便鉄道敷設請願書」を鉄道院総裁の後藤新平に提出、同年8月21日には「軽便鉄道敷設に付き請願」が鉄道院の新総裁となった原敬に提出されるなど、烏山と宝積寺を結ぶ軽便鉄道の敷設願いが再三日本国政府に提出された。この「軽便鉄道敷設に付き請願」は単に烏山と宝積寺を結ぶ支線としての計画ではなく常野を横断し常磐線と東北本線を結ぶ路線計画であったことから、衆議院議員の江原節らが議会で審議し遂に1912年(明治45年)2月28日、宝積寺駅から烏山に至る軽便鉄道が議会で可決された。地元では烏宝軽便鉄道の期成同盟会が立ち上げられたが、日露戦争以来の日本政府の資金不足から国の建設認可が下りず、第一次世界大戦にともなう景気亢進で国の手でようやく建設されることになり、1921年(大正10年)1月10日に工事を落札した坂本佐吉によって宝積寺 - 文狭間で建設工事が着手された。烏山側では依然として工事が始まらなかったため地元住民が再三懇願に上京しようとしていた矢先に鉄道省技師等が烏山を訪れ、ようやく工事が開始されることとなった。こうした紆余曲折を経て、1923年(大正12年)にようやく開通。地元では新聞、銀行、旅館などが烏宝線(うほうせん)と表示する時刻表を作り報道したが、鉄道省関係の資料では建設時から「烏山線」とされ、営業開始時の正式路線名も「烏山線」とされて現在に至っている[30][31]。開通日は鉄道省告示により1923年(大正12年)4月15日とされたが、実際には北白川宮成久王が薨去したため開通式は5月1日に変更された。開通式には各界の名士が参列したほか、地元住民も大勢が参加してたいへん賑わい、当日の烏山駅利用者は午後3時までに乗降者2千7百人を超えた[30]。
廃止の回避[編集]
JRの前身である日本国有鉄道が運営していた1968年(昭和43年)には「赤字83線」に選定され廃止対象とされた。その後、1970年(昭和45年)の日本国有鉄道諮問委員会報告書で報告された全国鉄路線各線の収支係数が公表され、烏山線の収支係数が近隣他路線との比較で日光線や両毛線、水戸線よりは悪く、水郡線や鹿島線、相模線、鶴見線より良い、また吾妻線や川越線、東金線とほぼ同等であることが判明し、烏山線は存続となり、以後は特定地方交通線にも選定されず現在に至っている。なお、同じく赤字83線に選定された県内他路線の真岡線と赤字83線には選定されなかった足尾線は、収支係数および損益状況上では相模線と同等か良好かつ鹿島線より遥かに良かったが、沿線に主要都市が無くまた県都と県内地域を結ぶ路線ではなかったことなど、存続するための路線評価が得られず第三セクター鉄道化されている[29][32][33][34][35]。
年表[編集]
- 1923年(大正12年)4月15日[30][36]:宝積寺駅 - 烏山駅間 (20.4km) が開業。これにともない、熟田(にいた)駅・大金駅・烏山駅が開業[37][30]。
- 1925年(大正14年)4月1日:熟田駅が仁井田駅に改称[37][30]。
- 1934年(昭和9年)8月15日:気動車運行開始(宝積寺-烏山間)[38]。下野花岡駅・鴻野山駅・小塙駅が開業[37]。
- この頃、宇都宮直通列車の運転が定着(同年12月1日改定の時刻表では上り10本中、7本が宇都宮行きとなった)[30]。
- 1941年(昭和16年)8月10日:下野花岡駅・鴻野山駅・小塙駅に停車する列車が、朝夕の通勤時間帯のみとなる[30]。
- 1954年(昭和29年)6月1日:滝駅が開業[37]。
- 1979年(昭和54年)
- 1984年(昭和59年)3月14日:宝積寺 - 仁井田間の貨物営業が廃止。
- 1987年(昭和62年)4月1日:国鉄分割民営化にともない、東日本旅客鉄道に承継。
- 1990年(平成2年)
- 1995年(平成7年)12月1日:乗り入れ先の宇都宮線(東北本線)宇都宮駅 - 宝積寺駅間でもワンマン運転を開始[12]。
- 2003年(平成15年):開業80周年記念としてキハ40形1両(キハ40 1004)の塗装を原色の朱色5号(首都圏色)に変更して運行(4月から11月まで)[39]。
- 2006年(平成18年)7月22日・23日:臨時快速列車「烏山山あげ祭り号」が、上野 - 烏山間を各日1往復運転される(翌年の同月28日・29日も運行)。
- 2010年(平成22年)12月24日:開業88周年記念としてキハ40形2両をクリーム4号と朱色4号によるツートンカラー(国鉄時代の「一般色」)に変更して運行(2両目は2011年4月から)[21]。
- 2011年(平成23年)3月11日:東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)により、16日始発まで全線で運転を中止[40][41]。
- 2012年(平成24年)5月26日:大金駅 - 烏山駅間のスタフ閉塞式が同日最終列車後に廃止され、特殊自動閉塞に移行。合わせて全線でATS-P運用開始。[42]
- 2013年(平成25年)8月1日:大金駅の運転取り扱い終了に伴い同駅を無人化、また烏山駅を業務委託駅に変更。
- 2014年(平成26年)3月15日:蓄電池駆動電車EV-E301系「ACCUM」が運行開始[43]。
駅一覧[編集]
電化状況 | 駅名 | 対応する 七福神 |
駅間営業キロ | 累計 営業キロ |
接続路線 | 線路 | 所在地 | |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
宝積寺 から |
宇都宮 から | |||||||
電化 | 宝積寺駅 | - | - | 0.0 | 11.7 | 東日本旅客鉄道:東北本線(宇都宮線:一部宇都宮まで直通) | ∨ | 塩谷郡 高根沢町 |
非電化 | 下野花岡駅 | 寿老人 | 3.9 | 3.9 | 15.6 | | | ||
仁井田駅 | 布袋尊 | 2.0 | 5.9 | 17.6 | | | |||
鴻野山駅 | 福禄寿 | 2.4 | 8.3 | 20.0 | | | 那須烏山市 | ||
大金駅 | 大黒天 | 4.4 | 12.7 | 24.4 | ◇ | |||
小塙駅 | 恵比寿 | 2.6 | 15.3 | 27.0 | | | |||
滝駅 | 弁才天 | 2.2 | 17.5 | 29.2 | | | |||
電化 | 烏山駅 | 毘沙門天 | 2.9 | 20.4 | 32.1 | | |
脚注[編集]
- ↑ Suicaをご利用いただけるエリアが広がります - 東日本旅客鉄道、2008年12月22日。
- ↑ http://www.jreast.co.jp/kippu/1103.html
- ↑ http://www.jreast.co.jp/suica/area/tokyo/index.html
- ↑ 4.0 4.1 4.2 4.3 国土交通省鉄道局監修『鉄道要覧』
- ↑ 『停車場変遷大事典 国鉄・JR編』JTB 1998年 ISBN 978-4533029806
- ↑ 東京エリアの各支社 - 東日本旅客鉄道
- ↑ 『JTB時刻表』2014年3月号 JTBパブリッシング
- ↑ 日本国有鉄道監修『時刻表』 1986年12月号 日本交通公社
- ↑ 『JTB時刻表』1996年3月号 JTB
- ↑ 『JTB時刻表』2010年3月号 JTBパブリッシング
- ↑ 『JR時刻表』2010年3月号 交通新聞社
- ↑ 12.0 12.1 12.2 12.3 『JR気動車客車編成表』2010 交通新聞社 ISBN 978-4-330-14710-9
- ↑ 『JTB時刻表』2010年12月号 JTBパブリッシング
- ↑ 『JR時刻表』2010年12月号 交通新聞社
- ↑ 15.0 15.1 日本国有鉄道監修『時刻表』1961年9月号 日本交通公社
- ↑ 16.0 16.1 日本国有鉄道監修『時刻表』1964年9月号 日本交通公社
- ↑ 日本国有鉄道監修『時刻表』1956年11月号 日本交通公社
- ↑ 日本国有鉄道監修『時刻表』1958年11月号 日本交通公社
- ↑ 日本国有鉄道監修『時刻表』1959年7月号 日本交通公社
- ↑ 20.0 20.1 20.2 20.3 池田光雅『鉄道総合年表1972-93』中央書院 1993年 p.61
- ↑ 21.0 21.1 烏山線に国鉄色塗装をイメージした車輌が登場 - 鉄道ホビダス ネコ・パブリッシング RMニュース 2010年11月12日 2010年12月20日
- ↑ 鉄道ダイヤ情報2013年10月号、通巻第377号(交通新聞社)
- ↑ 愛称は「ACCUM」 JR烏山線の蓄電池電車 - 朝日新聞、2013年11月30日
- ↑ 「スマート電池くん」を実用化し、烏山線に導入します。PDF - 東日本旅客鉄道プレスリリース、2012年11月6日
- ↑ 烏山線で“風っこ烏山”号運転 - 『鉄道ファン』交友社 railf.jp鉄道ニュース 2011年8月29日
- ↑ “風っこ烏山号”運転 - 『鉄道ファン』交友社 railf.jp鉄道ニュース 2012年8月26日
- ↑ 【JR東】〈烏山線90周年風っこ号〉運転 - RMニュース、2013年9月17日
- ↑ 夏の増発列車のお知らせPDF - 東日本旅客鉄道プレスリリース、2014年5月23日
- ↑ 29.0 29.1 福田行高、山田俊明 共著「ローカル線を探る 烏山線」『鉄道ピクトリアル』1972年2月号 通巻261号 電気車研究会
- ↑ 30.0 30.1 30.2 30.3 30.4 30.5 30.6 30.7 大町雅美著『郷愁の野州鉄道』随想社
- ↑ 『大正十一年度 鉄道省年報』『大正十二年度 鉄道省年報』『大正十二年度 鉄道省鉄道統計資料』『大正十三年三月末日現在 日本全国鉄道線路哩程』(いずれも国立国会図書館近代デジタルライブラリーより)によると建設時より「烏山線」となっているが、地元新聞などでは計画時からの「烏宝線」の名もしばらく使われた。
- ↑ 守屋八郎 著「赤字線問題 国有鉄道の場合」『鉄道ピクトリアル』1968年12月号 通巻218号 電気車研究会
- ↑ 福田行高・山田俊明 共著「ローカル線を探る 真岡線」『鉄道ピクトリアル』1971年11月号 通巻257号 電気車研究会
- ↑ 福田行高・山田俊明 共著「ローカル線を探る 足尾線」『鉄道ピクトリアル』1973年6月号 通巻279号 電気車研究会
- ↑ 「1971(昭和46)年度 国鉄線区別収支係数」『鉄道ピクトリアル』1972年11月号 通巻271号 電気車研究会
- ↑ 『大正十二年度 鉄道省年報』では4月1日となっているが、『大正十二年度 鉄道省鉄道統計資料』の「本年度中線路増減表」、後年の運輸省鉄道局監修『平成九年度 鉄道要覧』(電気車研究会)、国土交通省鉄道局監修『平成十八年度 鉄道要覧』(同)では4月15日となっている。なお、鉄道省告示 (1923年4月13日官報掲載)では4月15日開通とされ、開通式は5月1日に行われた。
- ↑ 37.0 37.1 37.2 37.3 37.4 今尾恵介『日本鉄道旅行地図帳 3号 関東1』新潮社 2008年 p.27
- ↑ 『鉄道省年報. 昭和9年度』(国立国会図書館近代デジタルライブラリー)
- ↑ 『鉄道ファン』2003年7月号 p.218「JR東日本大宮支社 烏山線開業80周年イベント」旧国鉄色(朱色)気動車の運転
- ↑ 今尾恵介『日本鉄道旅行地図帳 東日本大震災の記録』新潮社、2011年、p.7
- ↑ 東日本大震災 災害情報(第112報) 平成24年8月6日(月)10:00作成 - 国土交通省
- ↑ 『鉄道と電気技術』2013年7月号 p.30「烏山線自動閉そく化・ATS-P化工事の概要」
- ↑ 蓄電池電車 快走スタート - 読売新聞、2014年3月16日