林忠四郎
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				林 忠四郎(はやし ちゅうしろう、1920年7月25日 - )は、日本の宇宙物理学者。京都大学名誉教授。文化勲章受章者。
人物[編集]
京都府京都市出身。天文学と原子核物理学・素粒子物理学とをつなぐ学問である宇宙物理学の日本における先駆者。京都大学理学部物理学科・天体核物理学研究室の教授を27年にわたって務め、研究の一方で数多の優秀な理論物理学者や宇宙物理学者、天文学者を育てた。
原始星が主系列星に進化する際にHR図上を移動する経路である林トラック、HR図上で力学的に平衡状態にある星が存在できない領域である林の禁止領域等にその名を残している。
また、研究に没頭すると研究室から出てこなくなる教授であり、研究者の良心ともいえる人物でもある。しかしながら、教室の弟子の論文には、きちんと目を通し、自分自身で責任が取れない場合には査読をリジェクトしたという逸話も残っている。論文審査などにおいて、ご自身が納得されると、就職や進学にあたり推薦状を快く書いてくれたという優しい一面も持っている。特に研究論文には、独自性や独創性を求めた。これは、彼の師の湯川秀樹の影響かも知れない。
略歴[編集]
- 1942年9月:東京帝国大学理学部物理学科卒業。
 - 1945年:京都帝国大学理学部湯川秀樹研究室に入る。
 - 1946年:京大宇宙物理学教室の助手となる。
 - 1949年4月:浪速大学(現・大阪府立大学)工学部助教授に就任。
 - 1954年4月:理学博士号を京大より取得、京大理学部助教授に就任。
 - 1955年:天文─物理の合同研究会をきっかけとして宇宙物理学・天体物理学の研究に専念。
 - 1957年4月:京大教授。
 - 1977年4月:京大理学部長となる。
 - 1984年:退官し京大名誉教授となる。
 - 1987年12月:日本学士院会員となる。
 
業績[編集]
- 宇宙の元素の起源に関する「アルファ・ベータ・ガンマ・ハヤシの理論」を1950年に発表した(この理論に関してはジョージ・ガモフを参照)。
 - 恒星が主系列星となる前に、有効温度がほぼ一定のまま収縮する時期があることを明らかにした。これは2025年現在彼の名をとって林フェイズと呼ばれ、HR図上で林フェイズの段階にある原始星の進化経路は林トラックと呼ばれている。
 - 元素生成の計算に再挑戦し、武谷三男・畑中武夫・小尾信彌によるTHO理論に対抗した。
 - 弟子の杉本大一郎らと星の構造と進化を徹底的に研究した。
 - 太陽系形成理論において、恒星・惑星系の全形成過程を「京都モデル」にまとめた。これはのちに改良され、「標準モデル」と呼ばれている。
 - 「勇将の下に弱卒なし」の言葉通り、門下から多くの理論物理学者や宇宙物理学者、天文学者を輩出した。
 - その業績をたたえ、また林自身の寄付金を元に、1996年から日本天文学会に林忠四郎賞が創設され、毎年優れた業績をあげた天文学者を表彰している。
 
受賞・栄誉[編集]
- 1963年:仁科記念賞
 - 1966年:朝日賞
 - 1970年2月:英国王立天文学会エディントン・メダル
 - 1971年6月:恩賜賞・日本学士院賞
 - 1982年11月:文化功労者
 - 1986年11月:文化勲章
 - 1994年4月:勲一等瑞宝章
 - 1995年11月:京都賞
 - 2004年5月:太平洋天文学会ブルース賞
 
著作[編集]
林忠四郎の門下生一覧[編集]
- 天野恒雄
 - 伊沢瑞夫
 - 伊藤直紀
 - 伊藤謙哉
 - 伊本三夫
 - 池内了
 - 梅林豊治
 - 大原謙一
 - 大山嚢
 - 小嶌康史
 - 小玉英雄
 - 木口勝義
 - 坂下志郎
 - 佐々木節
 - 佐藤勝彦
 - 佐藤文隆
 - 杉本大一郎
 - 高原まり子
 - 高原文郎
 - 宝田克男
 - 津田博
 - 寺島由之助
 - 冨田憲二
 - 冨松彰
 - 中川義次
 - 中澤清
 - 中野武宣
 - 中村卓史
 - 成田真二
 - 前田恵一
 - 松田卓也
 - 観山正見
 - 原哲也
 - 蓬茨霊運
 - 百田弘
 - 村井忠之
 - 森川雅博