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(つき)は、地球の周りを公転する唯一[1]の自然の衛星

概要[編集]

太陽系の中で地球に最も近い自然の天体であり、人類が到達したことのある唯一の地球外天体でもある(「アポロ計画」を参照)。

地球にとっては地球から見える天体の中で太陽の次に明るいが、自ら発光はせず太陽光を反射し白銀色に光る。

英語では Moon(ムーン) 、ラテン語では Luna(ルーナ) 、サンスクリット語では चंद्र(チャンドラ) と呼ばれる。古くは太陽に対して太陰ともいった。漢字の「月」は三日月の形状から変化したものである。日本語では「ツキ」というが、奈良時代以前は「ツク」という語形だったと推定されている。

また「月」は、広義には「ある惑星から見てその周りを回る衛星」を指す。例えば、「フォボスは火星の月である」などと表現する。

月は天球上の白道と呼ばれる通り道をほぼ4週間の周期で運行する。白道は19年周期で揺らいでいるが、黄道帯とよばれる黄道周辺 8 度の範囲におさまる。月はほぼ2週間ごとに黄道を横切る。

恒星が月に隠される現象を掩蔽、あるいは星食という。惑星や小惑星が隠されることもある。一等星や惑星の掩蔽はめったに起こらない。天球上での月の移動速度は毎時 0.5 °(月の視直径)程度であるから、掩蔽の継続時間は長くても1時間程度である。

地球上から月を観測すると、毎日形が変わって見え、約29.5日周期で同じ形に戻る。このため、原始的な暦法では、この周期を「月」という、天体名と同じ単位として扱った文明が多い。このような暦法を太陰暦という。日本語では暦を読むことを月を読む、ツキヨミ(ツクヨミ、月読)と言った。これは古代の暦が太陰暦であったため、月を読むとはすなわち暦を読むことであった。また、暦はカヨミ(日を読む)ことが転じた語彙という説が有力で、古代人にとって暦・月・太陽の関係は非常に密接なものであったと考えられる。太陰暦の詳細は、月 (暦)を参照のこと。

物理的特徴[編集]

月の性質[編集]

直径は地球の約0.2724倍 (1/3.7)。これは地球サイズの惑星をめぐる衛星としては非常に大きいものである。惑星と衛星の比率としては太陽系で最も大きい[2]。また月の直径 (3,474km) は、木星の衛星ガニメデ (5,262km)、土星の衛星タイタン (5,150km)、木星の衛星カリスト (4,806km)、イオ (3,642km) に次ぎ、衛星としては太陽系で5番目に大きく、太陽系の衛星の中でも巨大衛星として扱われている。月と太陽の見た目の大きさ(視直径)はほぼ等しく、約0.5度である。このため、他の惑星とは異なり、太陽が完全に月に覆い隠される皆既日食や、太陽のふちがわずかに隠されずに残る金環日食が起こる。月の視直径は、腕を伸ばして(約50cm)持つ五円玉の穴(直径5mm)の大きさとほぼ同じである。

月の形状はほぼ球形だが、わずかに西洋梨型をしている。月面の最高点は平均高度より+10.75km、最低点は-9.06kmで、共に裏側にある。質量はおよそ地球の0.0123倍 (1/81)。表面積(3793万km2)は地球の表面積の7.4%に相当し、アフリカ大陸とオーストラリア大陸を合わせた面積よりもわずかに小さい。地球中心から月の中心までの距離(平均)は、38万4,403km。

ファイル:Earth-Moon.jpg
月と地球のミニチュアモデル 月と地球の間の距離は38万4,400km、これに対し地球の直径は1万2,756km、月の直径は3,474km。
ファイル:Lunar libration with phase2.gif
月の秤動(ひょうどう)月は地球に対して27日周期で少しずつ違った面を見せている。この月の見かけ上の揺れのことを月の秤動(ひょうどう)という。これにより月面の59%が地上から観測可能である。この画像は27日分の月の映像を、時間を縮めて並べたもの。大きくなったり小さくなったりしているのは、月が地球の周りを公転するさいに地球との距離が近くなったり遠くなったりしているため。

月は、太陽系の惑星やほとんどの衛星と同じく、天の北極から見て反時計周りの方向に公転している。軌道は円に近い楕円形。軌道半径は38万4,400kmで、地球の赤道半径の約60.27倍である。

月の自転周期は27.32日で、地球の周りを回る公転周期と完全に同期している。つまり地球上から月の裏側を直接観測することは永久にできない。これはそれほど珍しい現象ではなく、火星の2衛星、木星のガリレオ衛星であるイオ、エウロパ、ガニメデ、カリスト、土星の最大の衛星タイタンなどにもみられる。ただし、一致してはいても月の自転軸が傾いていることと軌道離心率が0でないことから、地球から見た月は秤動と呼ばれるゆっくりとした振動運動を行なっており、月面の59%が地上から観測可能である。

月内部の構造はアポロ計画の際に設置された月震計で明らかになった。中心から700 - 800kmの部分は液体の性質を帯びており、液体と固体の境界付近などでマグニチュード1 - 2程度の深発月震が多発している。表面から60kmの部分が地球の地殻に相当し、長石の比率が高い。いわゆる地球型惑星と同様に岩石と金属からなり、深さによって成分が異なる(分化した)天体である[3][4]

月はほとんど大気を持たず、表面は真空であると言える。そのため、気象現象が発生しない。このことは月面着陸以前の望遠鏡の観測からも推定されていた。また現在は地質学的にも死んでおり、マントル対流も存在しないが、少なくとも25億年前までは火山活動があったことが確認されている。水(熱水)の存在も確認されていないため、鉱脈は存在しないと推定されている。ただしチタンなどの含有量は非常に多い。地球のような液体の金属核は存在しないと考えられており、磁場は地球の約1/10000ときわめて微弱である。

浅発月震と呼ばれる地下300km前後を震源とする地震は、マグニチュード3 - 4にもなるが発生原因の特定はできていない。

月の表面[編集]

月の表側(地球から観測される側)の北緯60度 - 南緯30度にわたる領域は光をあまり反射せず黒く見えることから、海と呼ばれている。海は月表面の35パーセントを占めるが、月の裏側には海はほとんど存在せず、高地と呼ばれる急峻な地形からなる。月の海は隕石の衝突の後、玄武岩質の溶岩が表面にしみでた結果クレーターが埋められたものとされている。冷えて固まった黒っぽい玄武岩で覆われているために光をあまり反射せず、影として暗く見えており、約20kmの厚みがある。表側にのみ海が存在するのは、そちら側に集中して熱を生み出す放射性物質が存在したためであるとか、また、地球からの重力の影響により、より強い重力の働く地球側でのみ溶岩が噴出したためとする説も存在するが、定説となるものはまだ存在しない。

海以外の部分は、小石が集まった角れき岩から構成されている。これは太陽系初期から残った微惑星の衝突によって生成したものである。月には大気や水がほとんど存在しないため、地球では流星となるような微小な隕石も燃え尽きることなく月面に衝突しており、またクレーターが水や風によって浸食を受けることもなく地殻運動もないためそれがそのまま残され、全体が数多くのクレーターによって覆われている。

宇宙線太陽風なども大気や磁場にさえぎられることなく月面に到達するため、月面の有人探査やあるいは将来の月面基地建設、月の植民に際しては、これらからの防護が問題となる。また、大気や水(海)などの熱を分散・吸収するものがないため、月の一日が長い(およそ29.5地球日。つまり約15日間昼が続き、その後夜が約15日間続く)ことと相まって表面温度は、赤道付近で最高およそ110℃、最低およそ-170℃となっており、温度の変化が大きい。なお、月の公転周期が約27.3日であるのに対して、昼夜が約29.5日となっているのは、月が公転する間地球も太陽の周りを公転しており、太陽から見るとその分余計に公転しなければならないためである。

月面は砂(レゴリス)によって覆われている。レゴリスは隕石などによって細かく砕かれた石が積もったものであり、月面のほぼ全体を数十cmから数十mの厚さで覆っている。より新しいクレーターなどの若い地形ほど層が浅い。非常に細かく、宇宙服や精密機械などに入り込みやすく問題を起こす。しかしその一方でレゴリスの約半分は酸素で構成されており、酸素の供給源や建築材料としても期待されている。また太陽風によって運ばれた水素やヘリウム3が吸着されており、その密度は低いもののそれらの供給源としても考えられている。ヘリウム3は核融合の原料となる。

両極付近のクレーター内には常に日陰となる場所があるため、氷が存在すると推測されている。

月の影響[編集]

月の重力は地球に影響を及ぼし、太陽とともに潮の満ち引きを起こしている(潮汐作用)。なお太陽は大きな質量を持つものの遠距離にあるため、地球に及ぼす潮汐力は月の約半分である。

月の潮汐作用により、主に海洋と海底との摩擦(海水同士、地殻同士の摩擦などもある)による熱損失から、地球の自転速度がおよそ10万年に1秒の割合で遅くなっている。また、重力による地殻の変形によって、地球-月系の角運動量は月に移動しており、これにより月と地球の距離は、年約3.8cmずつ離れつつある。この角運動量の移動は、地球の自転周期と月の公転周期が一致(約47日)するまで続くと考えられるが、そこに至るまでにはおよそ500億年を要する。

逆に言えば、かつては月は現在よりも地球の近くにあり、より強力な重力・潮汐力を及ぼしており、また地球(および月)はより早く回転していたと考えられる。サンゴの化石の調査によれば、そこに刻まれた日輪(年輪の日版)により、4億年程前には一年は400日程あったとされる。また今よりもずっと強い潮汐作用(距離の三乗に反比例する)が働いており、そうした潮汐力は生命の誕生や進化に影響を与えていたのではないかと考えられている。例えば最初海から出た生物は、意図的に陸上に上がったわけではなく、大きな潮汐作用によって引き起こされた引き潮で、陸地に取り残されたところから進化が始まったのではないか、など。

また、月は地球の地軸の傾きを安定させていると考えられ、もし月がなかった場合には地球の地軸の傾きは現在と比較して劇的に変化し、それに伴って激しい気候変動が発生することや、またそのため生物が現在のように発達できなかった可能性も指摘されている。

視覚的特徴[編集]

月の明るさは満月で-12.7、半月でも-10等前後に達し、夜間における最も明るい天然光源である。

地球上から月を観察すると、月の大きさが変わっているように見えることがある。空高くに位置する場合と地平線または水平線近くに位置する場合とは、明らかに大きさに変化があり、前者の場合は小さく見え、後者の場合は大きく見える。

この現象は人間の目の錯覚によるものと言われている。カメラとは異なり、人間の目は視界に入るすべての物体を鮮明に見るべく、常に焦点位置を調節し、脳で画像を合成している。このため月と近場の物体とが同時に視野に入った場合、合成画像では月が巨大化する。逆に空高くに位置する場合は、比較となる対象物が存在しないために、小さく(実質的な目視上のサイズとして)見えるのである。

前述の通り、月の視直径は、腕を伸ばして持つ五円玉の穴の大きさとほぼ同じである。空高くに位置する時の小さな姿は、五円玉の穴にその全てが収まってしまいそうに見える。地平線近くにある大きな月の場合は、五円玉の穴に入りそうもなく思えるが、実際は小さな月と同じように五円玉の穴に全てが収まってしまう。

なお、月の公転軌道は楕円形であり近地点約36万kmに対して遠地点約40万kmであるため、見かけの大きさは日によっては本当に変化する。また、実際には月が天頂付近にある時と地平付近にある時では、地平付近にある時の方が地球の分だけ月が遠くなるため、その大きさは僅かに小さくなる。

また、太陽光があたっていない、欠けた部分も肉眼でもうっすらと見えることがあるが、これは地球照(ちきゅうしょう、earthshine)と呼ばれるものであり、地球で反射した太陽光が月を照らすことによって生じるものである。月は大気や雲がなく岩石のみであり、満月が明るく見えるといっても、月のアルベド(太陽光を反射する割合)は7%程である。それに対して地球(満地球)は面積で約16倍、アルベドが20-30%(雲や氷雪が良く光を反射する)であり、地球の方がずっと強い光を放っている。肉眼での確認が容易な期間は、新月を挟む月齢27から2(三日月)前後の、月の輪郭が小さな時である。ただし新月の際には目印となるものがなく、発見が困難である。

月の出・月の入りの頃などに赤い月が観測されることがあるが、これは朝焼けや夕焼けと同様の原理で、月が地平近くにあることから月からの光が大気の中を長く通り赤以外の光が散乱してしまうことによる。月食によっても発生することがある。

月の起源[編集]

親子説(分裂説・出産説・娘説)
自転による遠心力で、地球の一部が飛び出して月になったとする説。
兄弟説(双子集積説・共成長説)
月と地球は同じガスの塊から、同時に作られたとする説。
他人説(捕獲説・配偶者説)
別の場所で発生した月と地球が偶然接近した際、月が地球の引力に捉えられたとする説。

以上3つの説が古くから唱えられてきたが、いずれも現在の月の力学的・物質的な特徴を矛盾なく説明することができない。兄弟説や他人説では、地球のマントルと月の石の化学組成が似ていることの必然性が説明ができなかったし、地球-月系の現在の全角運動量をもともと地球だけが持っていたとは考えにくかった。アポロ計画により採取された月の石の放射性年代測定により、月は約45億5000万年前に誕生し、また35億年前までは小天体の衝突が多発していたことが分かっている。それらを踏まえ、有力とされるようになったのが巨大衝突説である。

巨大衝突説(ジャイアント・インパクト説)
月は地球と他の天体との衝突によって飛散した物質でできたとする説。地球がほぼ現在の大きさになった頃、火星程の大きさの天体が斜めに地球へ衝突し、その衝撃で蒸発・飛散した両天体のマントル物質の一部が地球周回軌道上で集積して月が形成されたとする。形成に要した時間は、最近の研究で1ヶ月程度と考えられている。

この説を用いると、月の比重(3.34)が地球の大陸地殻を構成する花崗岩(比重1.7〜2.8)よりも大きく、海洋地殻を構成する玄武岩(比重2.9〜3.2)に近いこと、地球と比べて揮発性元素が欠乏していること、月のコアが小さいこと、月の石の酸素同位体比が地球とほとんど同一であること、月の質量が現在程度となること、月と地球の全角運動量が現在程度でも不思議はないことなどについて矛盾なく説明することができる。

ファイル:Galileo's sketches of the moon.png
ガリレオ・ガリレイのスケッチ 1610年

月理学の発展[編集]

月の研究は望遠鏡による観察と、月面図の作成という形で始まった。これを月理学と呼ぶ。最初の月面図を作成したのはイギリスのウィリアム・ギルバートだと考えられている。ギルバートは1603年に亡くなっており、観察自体は1600年ごろのものだと考えられている。月面図自体が出版されたのは1651年と遅かった。ギルバートの観察は裸眼によるものであり、月理学のさきがけと言える。最初に望遠鏡で月面を観測したのは、イギリスのトーマス・ハリオットであった。ハリオットの月面図は1609年7月に作成された。ガリレオ・ガリレイによる有名なスケッチは1610年に描かれ、1610年3月13日に出版された「星界の報告」で発表されている。先駆者の仕事と比較すると、特徴的な地形を精密に描いたこと、「山」の影の長さを計測し、「標高」を推定したことにおいて優れている。彼の計測により、月面の山が地球上の山よりも高いことが分かった。

月の探査[編集]

冷戦時代[編集]

冷戦の影響下で、有人探査にむけてアメリカ合衆国ソビエト連邦の間で熾烈な競争(宇宙開発競争、スペース・レース)が行われた。当初宇宙開発競争はソ連が先行しており、人類初の有人宇宙飛行は1961年4月12日、ソ連のボストーク1号に乗るユーリ・ガガーリンにより行われ、初めて地球周回軌道に入った。これに対抗してアメリカも宇宙開発を進めており、有人宇宙飛行計画としてマーキュリー計画が進められていた。

月に接近した最初の人工物体は、ソビエト連邦ルナ計画によって打ち上げられた無人探査機ルナ1号で、1959年1月に月近傍5,995 kmを通過した。ソビエト連邦は引き続き無人探査機ルナ2号で月面到達に成功した。ルナ2号は1959年9月13日に月面へ着陸・衝突している。月の裏側を初めて観測したのは1959年10月7日に裏側の写真を撮影したルナ3号。初めて軟着陸に成功したのはルナ9号で、1966年2月3日に着陸し月面からの写真を送信してきた。1966年3月31日に打ち上げられたルナ10号は初めて月の周回軌道に乗った。

しかし、人間を月に送ることに成功したのはアメリカである。アメリカは1959年3月3日に打ち上げられたパイオニア4号で初めて月の無人探査に成功し、1961年5月25日に行なわれた「アメリカは10年以内にアメリカ人を月に送り、無事地球に帰還させることを約束すべきだと信じます。」というケネディ大統領の声明もあって、ジェミニ計画を経てアポロ計画が行われることとなった。レインジャー計画(衝突)、サーベイヤー計画(軟着陸)、ルナ・オービター計画(周回)などにより有人機の着陸に適した場所が選ばれ、1969年7月20日アポロ11号が静かの海に着陸しニール・アームストロング船長が人類で初めて月面に降り立った。このアポロ計画は1972年アポロ17号まで続けられた。なお、アポロ13号は事故(液化酸素タンクの爆発)により、月面に着陸せずに、月の軌道を周回して不要になったロケットパーツを月に落下させて人工地震を起こさせただけで、地球に帰還した(帰還のミッションは非常に困難なものであった)。

しかしこのような探査には高度な技術と莫大な費用が必要であり、アメリカではアポロ20号まで予定されていたが予算の削減で17号で終わった。ソ連は1970年から1974年にかけて、ルナ16号20号24号で月の土壌を採取し地球へ持ち帰ることに成功、ルナ17号21号で無人月面車を送り込んだが、有人月面探査計画であるソユーズL3計画は1974年6月23日、正式に中止が決定した。

俗説として月面着陸は捏造であった、あるいは宇宙飛行士は月面で宇宙人に遭遇していたとする、アポロ計画陰謀論も存在するが、捏造の証拠とされるものは悉く反証されており、また日本の月探査衛星が月面に残るロケット噴射跡を確認したため、少なくとも月に到着したことは事実と確認されている。

アポロ計画以後[編集]

アポロ計画以後人類は月面を歩いていないが、各国による無人探査が行われている。2004年2月、アメリカ大統領ジョージ・W・ブッシュ2020年までに再び月に人類を送り込む計画を発表した。欧州宇宙機関 (ESA)、中国国家航天局 (CNSA)、日本の宇宙航空研究開発機構 (JAXA)、インド宇宙研究機関 (ISRO) にも月探査の計画がある。中国は月面探査に積極的な姿勢をとっており、特に月面でヘリウム同位体であるヘリウム3の発掘を行い地球でエネルギー資源として用いることを狙っていると言われる。

日本ではLUNAR-ASELENE(かぐや)の2つの計画があり、月探査計画LUNAR-Aではペネトレータと呼ばれる槍状の探査機器を月面に打ち込み、月の内部構造を探る計画だったが、2007年に計画中止が決まった。月探査周回衛星計画SELENEは月の起源と進化の解明のためのデータを取得することと、将来の月探査に向けての技術の取得を目的としている。2007年9月14日に打ち上げられ、2009年6月頃まで月を周回してデータを集める。

なお2006年には、それまで解析されずに放置されていたアポロ観測データが発掘された[5]。この観測データの解析の結果、従来の知見を覆すような結果が得られ始めている。このアポロ観測データと日本のかぐやなど、世界の月周回探査衛星による観測データを合わせた解析によって、より月の起源について理解が深まることが期待される。

また、より長期の計画として月面基地建設の構想もあり、NASAは2006年12月、月面基地の建設構想を発表した。この発表によれば、2020年までに建設を開始し2024年頃には長期滞在を可能とするとしている。またロシア連邦宇宙局は2007年8月、2025年までの有人月面着陸と、2028年 - 2032年の月面基地建設を柱とした長期計画を発表している。JAXAの長期計画にも有人の月面基地が含まれる。

1990年代以降の月探査機一覧[編集]

文化における月[編集]

西洋[編集]

古来より月は太陽と並んで神秘的な意味を付加されてきた。ヨーロッパ文化圏では太陽が金色・黄色で表現されるのに対し、月は銀色・白で表されることが多い。西洋では月が人間を狂気に引き込むと考えられ、英語で "lunatic"(ルナティック) とは気が狂っていることを表す。また満月の日に人狼は人から狼に変身し、魔女たちは黒ミサを開くと考えられていた。

神話においては、ギリシャ神話の月の女神は元々セレネであるが、後にアルテミスヘカテと同一視され、月が満ちて欠けるように3つの顔を持つ女神とされるようになった。ローマ神話ではルナがセレネと、ディアナがアルテミスと同一視されたので、ここでも月神は2つの顔を持つとされた。これらの神々は一般にあまり区別されない。ルナ Luna の名はロマンス語ではそのまま月を表す普通名詞となった。また、英語などではセレネから派生した selen-, seleno- という月を表す語根・接頭辞が存在する。元素周期表でテルル(地球)の真上に位置し、あとから発見されたセレンはこの語根から命名された。

東洋[編集]

東洋では月はの象徴となり、女性と連関すると考えられていた。故に月経と呼ばれ、『竹取物語』では竹から生まれた絶世の美女かぐや姫は、月の出身と明かし、月に帰っていった。他に、『今昔物語集』の天竺部に記されている「三獣、菩薩の道を修行し、兎が身を焼く語(こと)」という説話の結末で、帝釈天が火の中に飛び込んだウサギを月の中に移したとされており[6]、日本では月にはウサギが住んでいるという言い伝えがある。

中国の伝説では、月にはの木が生えているとされ、呉剛という男が切ろうとしているとも言われる。また、夫の羿を裏切った嫦娥の変じた蝦蟇(ヒキガエル)が住んでいるともいわれる。また、月の通り道にそって28の星座を作り、これを「28宿」と呼び、月は1日にこの星座を1つずつ訪ねて天空を旅していくと考えられていた。

なおタイには、月の町と呼ばれる県があり、その県章には月とウサギが描かれている。

イスラム社会[編集]

赤地に白い三日月と五芒星をあしらったトルコ共和国の国旗

トルコ共和国国旗

トルコ共和国、パキスタンモルディブマレーシアなどの国では国旗新月(一般的には三日月と認識されることが多い)が描かれている。これらの国ではムスリムが国民の圧倒的多数を占める、ないしイスラム教国教としているため、新月はイスラム教の意匠であると思われることが多いが誤解である(偶像崇拝の禁止が定められているため、月の崇拝も禁じられる)。コンスタンティノープルにおいては古くから新月がシンボルとして用いられており、オスマン帝国によってイスラム教共通の意匠として広めようと試みられた。今日、月を国旗に採用しているイスラム国家がそれほど多くはないのは、帝国の衰退とともに独立した諸国が、新月を採用しなかったためとされる。太陰暦であるイスラム暦との関連性を指摘する説もある。

また、赤十字社の十字がキリスト教を連想されるという理由でイスラム圏では赤新月が用いられ、名称も赤新月社としている。

パラオ[編集]

パラオの国旗

パラオの国旗

パラオの国旗は、明るい青の上に黄金色の満月を描いている。シンプルなデザインではあるが、パラオの人々にとっては特別な意味を含んでいる。黄金色の月は、パラオ人の機が熟し独立国となったことを表し、また月はパラオの人々にとって収穫や、自然の循環、年中行事に重要な役割を果たしている。

一説には日本による統治時代を評価し、日本国旗である日の丸を模したとも言われるが、パラオ政府の公式アナウンスはないため噂の範疇を出ない。

日本国内[編集]

神話[編集]

古事記』では黄泉の国から戻ったイザナギが禊を行った時に右目を洗った際に生まれたツクヨミ(月読の命)が月の神格であり、夜を治めるとされている。同時に左目から生まれたのがアマテラスで、太陽の女神である。

月見[編集]

主に秋、月を愛でる行事。代表的なものとして、中秋の名月・十五夜がある。なお中秋の名月は満月とは限らない。旧暦8月(グレゴリオ暦9月ごろ)は乾燥して月が鮮やかに見え、また月の昇る高さもほどよく、気候的にも快適なため観月に良い時節とされた。

詳しくは月見を参照。

季語としての月[編集]

俳句の世界で単に「月」と言った場合、それは秋の月。月は、に対して、季語である。「木の間よりもりくる月のかげ見れば心づくしの秋は来にけり」よみびと知らず(『古今和歌集』)、「月見れば千々にものこそかなしけれ我が身ひとつの秋にはあらねど」大江千里(同)など、秋の月を賞し、月に物思うこころは古くから歌に作られている。

例句

  • 秋もはやはらつく雨に月の形(なり) 芭蕉
  • 月天心貧しき町を通りけり 蕪村

傍題

  • 上弦
  • 下弦(かげん・げげん)
  • 弓張月(片割月・弦月・半月)
  • 月の舟
  • 月の弓
  • 上り月
  • 下り月(降り月・望くだり)
  • 有明(有明月)
  • 朝月(朝月夜(あさづくよ))

占星術[編集]

月は七曜九曜の1つで、10大天体の1つである。

西洋占星術では、巨蟹宮(かに)の支配星で、吉星である。感受性を示し、母親女性に当てはまる[7]

その他[編集]

月の模様[編集]

日本では、月の海をウサギが餅つきをしている姿に見立てることがある。古代中国でも月の模様をウサギの姿とする見方があり、月のことを玉兎(ぎょくと)と呼ぶ。月とウサギとの由来はインド仏教説話集ジャータカからとされる。西洋においては、月の模様をカニの姿や編み物をする老婦人とみたものがある。また、ネイティブアメリカン(インディアン)には、月の模様を女性の顔と見る慣習がある。

月を見ることに関する伝承[編集]

北欧において「妊娠した女性は月を見てはいけない」、あるいは「イヌイットの娘は月を見ると妊娠するから月を見ない」、アイスランドにおいて「子供が精神障害になるから妊婦が月に顔を向けてはいけない」など女性が月を見ることを禁忌とした伝承はいくつかある。

俗説[編集]

現代においても、月齢が、人間の生理的、精神的な事象(例えば出産や、自殺、殺人、交通事故の起こりやすさ等)に影響を及ぼしているという俗説、または都市伝説があるが、学術的には認められているものではない。

月齢と呼び名[編集]

和暦中国暦の太陰太陽暦では、月の約29.5日の周期を大月(30日間)と小月(29日間)で調整する。このため、毎年月ごとの日数が異なり、煩雑で記憶できない。そこで、毎年大小暦を作成し参照していた。なお、大小暦に絵を描いたものが、後に浮世絵になった。

1日は「朔日(ついたち、さくじつ)」と呼び、30日(または29日)は「晦日(みそか、つごもり)」と呼ぶ。「ついたち」とは「月立ち(つきたち)」、「つごもり」は「月隠り(つきこもり)」が音変化した語である。また、一年の終わり月の30日(または29日)は、「大晦日(おおみそか、おおつごもり)」である。

地球から見て、太陽と月が同じ方向にある瞬間を、中国圏では(さく)または新月と言う。太陰暦太陰太陽暦では、朔を含む日を月初(1日)とする。ユダヤ暦では月の1日をロシュ・ホデシュといい 、ローマ暦ではカレンダエ(Kalendae)という。ローマ暦の場合、月の1日は、必ずしも新月とは一致しない。なお、ローマ暦では、月の第13日または第15日をイードゥース(Īdūs)といい、その9日前の第5日または第7日をノーナエ(Nōnae)という。

朔からの経過時間を日の単位で表したものを月齢という。朔の瞬間を月齢0とするので、グレゴリオ暦採用以後、日本で用いられる旧暦の日付は、その日の深夜0時の月齢に1を足したものとなる。

月齢に応じて、月にはさまざまな呼び名(月名:げつめい)と月相(弦、望、晦、朔)がある。

徐々に月の出は遅くなるため、十五日の満月は日没ごろに昇ってくるのに対してなかなか月が出なくなり、いざよい(ためらう、なかなか進まないの意)、立待(立って待っていると出てくる)、居待(座って待っていると出てくる)、寝待(寝て待っていると出てくる)、更待(夜がふけてから出てくる、あるいはさらに待つと出てくる)と呼ばれる。かつては月明かりは重要な夜の光源であった。

また有明の月、とは明け方になってもまだ残っている月の総称である。

月齢 日付 呼び名
0 1 新月(さく)
1 2 二日月、既朔(きさく)
2 3 三日月(みかづき)
7.5 7 七日月、半月、上弦の月、弦月(げんげつ)、弓張り月
12 13 十三日月、十三夜月
13 14 十四日月、小望月(こもちづき)、幾望(きぼう)
14 15 十五日月、満月
15 16 十六夜(いざよい)、十六日月、既望(きぼう)
16 17 十七日月、立待月(たちまちづき)
17 18 十八日月、居待月(いまちづき)
18 19 十九日月、寝待月(ねまちづき)、臥待月(ふしまちづき)
19 20 二十日月、更待月(ふけまちづき)
22.5 23 二十三日月、半月、下弦の月、弦月(げんげつ)、弓張り月
25 26 二十六日月
27 28 二十七の月、晦(つごもり)

テンプレート:月名

なお、童謡の「お月さん幾つ、十三ななつ」は沖縄民謡の童謡「月ぬかいしゃ」に由来し、13日の月、つまり成熟前が美しいとの意とされ、月齢を年齢になぞらえている。

月面の地名[編集]

クレーター[編集]

も参照

山・山脈[編集]

月の山の一覧 も参照

海・大洋[編集]

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脚注[編集]

  1. クルースンなど、いくつかの地球近傍小惑星は地球の周りを周回しているように見える軌道をとっているが、これらは準衛星ないし同期軌道天体であり、地球の衛星ではない。
  2. かつては冥王星とその衛星カロンに次いで2番目だったが、冥王星が準惑星に分類変更されたことで、地球が1番となった
  3. 火星の衛星のフォボスダイモスは分化していない。こうした小惑星が衛星軌道に囚われるのが地球型惑星における衛星の標準的な例と考えられている要出典
  4. カロンも地球型惑星構造の衛星要出典とされるが、これは太陽系と他の恒星系が接近した際に、その外周にあった準惑星が冥王星の重力に引かれ、衛星軌道を周回するようになったものと考えられている要出典。地球と月はこのケースは考えにくい
  5. S Yasuyuki, T Satoshi, T Jun, H Ki-iti, H Axel (2007)."未解析だったアポロ熱流量観測データ". 日本惑星科学会誌、16 (2) [1] (PDF)
  6. 永積安明池上洵一訳注『今昔物語集』平凡社、ISBN:4582803830。
  7. 石川源晃『【実習】占星学入門』 ISBN 4-89203-153-4

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参考文献[編集]

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