浮世絵
浮世絵(うきよえ)は、江戸時代に成立した、人々の日常の生活や風物などを描いた絵。「浮世」という言葉は、もともと「現代風」を意味する言葉。
現在一般に浮世絵といえば、もっぱら多色刷りの木版画(錦絵)を想像する場合が多いが、肉筆画なども含まれる。 テンプレート:wakumigi
目次
歴史[編集]
もともと、浮世絵とは浮世を書いた絵、風俗画として登場した。
浮世絵師には狩野派、土佐派出身の絵師が数多く見られる。 これは当時、狩野派から破門された絵師が数多く転向したためであり、そのため室町時代から桃山時代の風俗画の影響が見受けられる。
初期[編集]
明暦の大火ごろから宝暦の頃までをさす。初期の浮世絵は肉筆画と木版の単色刷り(墨摺絵)が主である。
17世紀半ば以降、木版画の原図を描く者を版下絵師といい、その中で絵本や浮世草子に挿絵を描いた菱川師宣が登場する。また、代表作として有名な『見返り美人図』は肉筆画である。
西鶴の『好色一代男』(1682年刊)には、12本骨の扇子に浮世絵が描かれていたとあり、これが浮世絵という言葉の確認出来る最古の文献である。
鳥居清信の時代になると墨摺絵に筆で着色したものが現れる。これらは主に赤い顔料を使い着色され、丹を使ったものを丹絵、紅を使ったものを紅絵と呼んだ。さらに紅絵に色を二、三色加えたものを紅摺絵と呼ぶ。 余談だが、この当時から鳥居派は歌舞伎と強く結びつき、現代でも歌舞伎の看板を手がけている。
中期[編集]
1765年(明和2年)に江戸の俳人を中心に絵暦が流行し、絵暦交換会が開かれるようになった。その需要に伴い鈴木春信らが多色刷りによる東錦絵を発明したことで、浮世絵文化は本格的開花期を迎えた。多色刷りが可能になった背景には、重ね刷りの際の目印となるよう「見当」が工夫されたこと、複数回の刷りに耐えられる丈夫で高品質な紙が普及したことが挙げられる。越前奉書紙、伊予柾紙、西野内紙などの楮を原料とした紙が用いられた。また、経済の発展により下絵師、彫師、刷師と複雑な工程の分業体制を整えることができた点も重要である。
(?)鈴木春信の死後、人形的な絵柄から写実的なものへと変化していった。
安永期、北尾重政は写実的な美人画で人気を博した。役者絵にも写実さが加わり勝川春章によってブロマイド的な似顔絵が描かれた。
さらに喜多川歌麿が登場し、繊細で上品で優雅なタッチで、美人画の大首絵を数多く手がけた。
寛政2年、改印制度ができ、出版物に様々な規制がされた。
寛政7年、禁令のため財産を没収された版元蔦屋重三郎が起死回生を狙い、東洲斎写楽が売り出される。独特の誇張された役者絵によって話題を呼ぶが、特徴を誇張しすぎ、人気が振るわなかったことと、歌川豊国『役者舞台姿絵』の絶大な人気に敗退した。
その後歌川豊国の弟子たちからなる浮世絵絵師最大派閥である歌川派が形成されていった。
後期[編集]
文化4年から安政5年ごろまで。 喜多川歌麿の死後、美人画の主流は渓斎英泉が描くような官能的な色っぽい美人に移っていく。
勝川春章の門人、葛飾北斎は旅行ブームに伴い『富嶽三十六景』を手がけ、それが元で歌川広重 によって『東海道五十三次』が刊行された。この二人によって浮世絵における名所絵(風景画)が発達した。
役者絵では歌川国貞が師匠歌川豊国の流れを受け継いで、力強い役者絵を手がけた。
また、草双紙で伝奇ブームに伴い、歌川国芳などによって武者絵が描かれるようになる。 歌川国芳の『水滸伝』シリーズは当時人気を博し、水滸伝ブームがおこる。
嘉永6年刊行の『江戸寿那古細見記』に「豊国にがほ(似顔絵)、国芳むしや(武者絵)、広重めいしよ(名所絵)」と書かれた。
終期[編集]
安政6年から明治45年ごろを指す。
黒船から、異人文化に興味を持った人々によって、横浜絵が流行する。
明治維新によって混乱した国内で歌舞伎や見世物でグロテスクなものが登場し歌川国芳の門人月岡芳年と落合芳幾によって『英名二十八衆句』がかかれた。これは無残絵と呼ばれる種類のものであり、血みどろで残酷な場面をかいた。
また、河鍋暁斎のような狩野派の画家から浮世絵を描くものも登場する。
小林清親は光線画と呼ばれる輪郭線を使わない新しい風景画を手がけた。
歌川芳藤は子供のための玩具絵と呼ばれる、今で言う紙でできた付録のようなものを浮世絵で手がけ、その工夫がうけて玩具絵専用絵師として活躍した。「おもちゃ芳藤」とまで呼ばれた。
次第に、浮世絵は写真などの技術によって次第に衰退していく。浮世絵師は写真に対抗し、工夫したが多くのものが失敗し、転向を余儀なくされた。
そんな中、月岡芳年は繊細で西洋風の絵柄で錦絵新聞や数多くの歴史画、風俗画をてがけ、「最後の浮世絵師」と呼ばれるようになる。また、弟子には積極的に浮世絵以外の絵を学ばせたため、鏑木清方のように多くの門流が挿絵画家や、日本画家として大成し、浮世絵の伝統は他のジャンルへと受け継がれていった。
また浮世絵の木版多色刷り技法を活かした作品を多数残した画家に川瀬巴水らがいる。
特徴[編集]
浮世絵は、版画であるために、多く刷り上げることができ、草双紙や絵巻物、また瓦版(新聞)の挿絵の役割も果たした。絵暦と呼ばれるカレンダーの制作も行われ、絵の中に数字を隠すなど様々な工夫を凝らしたものが作られた。
はっきりした図柄と大胆な構図、影の表現を持たないこと等が表現上の特徴である。遠近法も取り入れられた。北斎の『釣の名人』のように、遠景の人物を逆に大きく描く確信犯的に遠近をずらされたものもある。
大衆文化の一部であり、手に取って眺め愛玩された。現代の美術展等のように額に入れて遠目に眺めるものではなかった。 玩具絵のように切り抜いて遊ぶものもある。
海外からの影響[編集]
ジャポニズムに影響を与える一方で、浮世絵には海外からの影響もある。ドイツに起源を持つ人工顔料ベロ藍(「ベロ」はベルリンより)は、鮮やかな発色を持ち、葛飾北斎らによって使われた。西洋の遠近法や陰影の技法も取り入れられている。
海外への影響[編集]
1865年フランスの画家ブラックモンが陶器の包み紙であった『北斎漫画』を友人らに見せて回ったことで印象派に大きな影響を与えた。
ゴッホが『タンギー爺さん』という作品の背景に浮世絵を描いたり、広重の絵を油絵で模写したり、マネの『笛を吹く少年』が浮世絵の影響を受けていることは有名である。
さらに、ジャポニズムの影響と日本美術を取り扱っていたビングによってアール・ヌーヴォーには浮世絵のように平面的な意匠がみられる。
ドビュッシーが北斎の『神奈川沖波裏』に触発されて『交響詩“海”』を作曲するなど(書斎に飾ってあることが分かる写真がある)、影響はクラシック音楽にも及んだ。
制作法[編集]
浮世絵を描く人を浮世絵師、または絵師(画工)と呼んだ。浮世絵師が描いたデザインを木版に彫るのが彫師(彫工)、彩色して紙に摺るのが摺師(摺工)である。共同作業の作品だが、絵師の名だけが残される風習がある。ここに製作者、つまり注文主を加えた四者が最低でも必要になる。
多色刷りの際に色がずれないように紙の位置を示す「見当」がつけられる。これは1744年に出版物の問屋の主人・上村吉右衛門が考案したとする説と、1765年に金六という摺師によって行われたとする説がある。現代でも使われる「見当違い」「見当外れ」という言葉はここから来ている。
この節を書こうとした人は途中で寝てしまいました。後は適当に頑張って下さい。 |
題材[編集]
風景、歌舞伎役者や相撲とりまたは遊女の似顔絵などが描かれた。戯画的な要素をもった現代の漫画にあたるものも多い。中国画や大和絵の題材になる伝統的な主題を浮世絵風に転化することもあった。また、色事を主題にした春画も、ほとんどの著名な絵師が描いている。春画はセットで販売されることが多かった。販売価格が高かったために製作費を多くかけることができ、技術的にも高度なものが作られた。現実の性風俗を茶化した要素があり必ずしも扇情的ではないなど、単純にポルノとして把握することはできないと指摘される。
浮世絵の種類[編集]
- 美人画
- 若い女性を描いたもの。当時人気のあった看板娘や、遊女などが描かれた。
- 役者絵
- 歌舞伎役者などの人気役者を描いたもの。ブロマイド的なものや、広告チラシの役割を持つものもある。
- 戯画
- 面白おかしく描いた絵。鳥羽絵を含む。こっけいな場面や、擬人化したものが登場する。風刺画的な要素もあるが、あくまでも娯楽性が強い。
- 鳥羽絵
- 手足の長い人物を描く戯画。鳥羽僧正から名前が来ている。初期の漫画をこのように呼ぶこともある。
- 漫画
- 絵手本。万の物を描いた画。現代の漫画とは違う。
- 春画
- 性行為の場面や、性的なものを描くもの。性玩具のカタログや、性器の擬人化などがある。田舎では錦絵といえばこれを指すほどの主流。嫁入り道具にもなる。
- 名所絵
- 当時自由に旅行できなかった民衆が、憧れの名所を知るためのもの。風景画旅行のパンフレット的な役割も持つ。
- 武者絵
- 伝説や伝奇、歴史に登場する武者が描かれる。伝奇ブームの後特に流行った。政府によって信長以降の武者はかけない。
- 歴史画
- 歴史の名場面を描く。維新後天皇家の正当性を高めるために歴代の天皇を描いたものなどがある。
- 玩具絵
- 双六やメンコに貼り付けたり、人気の浮世絵のミニチュア版、紙の着せ替え人形、尽くし絵と呼ばれる、たくさん妖怪や、武者などを集めたものなどもある。子供の遊び道具として様々な趣向をこれされた。
- 見立絵
- 古典作品のパロディ。
- 相撲絵
- 相撲を描いた絵。当時いた見世物力士のブロマイドなどもある。
- 張交絵
- 一枚の紙に色んな絵をいれたもの。
- 死絵
- 有名人が死んだ時に出る絵。有名絵師のものもある。
- 子供絵
- 子供の遊ぶ様子を描いた絵。
- 長崎絵
- 長崎で見られる異国の文化を描いた絵。
- 横浜絵
- 横浜を舞台にした異国情緒あふれる絵。
- 鯰絵
- 安政の大地震後に登場した絵。鯰が地震を起こすという俗信から来ている。
- 疱瘡絵
- 天然痘を防ぐための護符。
- 団扇絵
- 団扇に張られる絵。
代表的な浮世絵師[編集]
関連項目[編集]
外部リンク[編集]
- 謎の絵師・写楽
- 錦絵の風刺画1842-1905 ウィーン大学東アジア研究所のデーターベース
- 浮世絵の制作工程 (財)アダチ伝統木版画技術保存財団のHP