押尾学
押尾 学(おしお まなぶ、1978年〈昭和53年〉5月6日 - )は、日本の俳優、歌手。元エイベックス・マネジメント、研音所属。フリーの時期もあった。愛称は「お塩先生」。
つい数年前は矢田亜希子とセックスしていたが、現在は刑務所でヤクザに掘られることを心配するまでに落ちぶれた。
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概要[編集]
東京都出身。元妻は女優の矢田亜希子。公称身長184cm、体重80kg。
“幼少期にアメリカで8年過ごしていた帰国子女のため英語が堪能”、“16歳から19歳まで日本の米軍キャンプでハードコアロックのライブ活動をやっていた”と自称するがその証明は未だ為されていない。一時期、活動の拠点をアメリカ合衆国に移していた。
奥菜恵と交際していた頃に押尾が撮影した、奥菜の上半身裸の写真が流出した
ドラマに多数出演する一方で、ロックバンド「リヴ (LIV)」のボーカル兼リーダーもつとめていた。所属事務所は研音だったが、フリー期間を経て、エイベックス・エンタテインメントに移籍していた。
2007年(平成19年)7月2日、矢田が所属事務所を通じて妊娠4ヶ月である事を発表、自身のブログでも、結婚後初の3ショットを掲載するとともに、父になる喜びを綴った。 ボディメーカーのイメージキャラクター就任記者会見で息子の名前を「りあむ」と名づけたことを発表。
音楽活動[編集]
LIVとしてインディーズに移行後も、オリコンインディーズチャートで1位を獲得(総合チャートでは54位)したことがある。
2006年(平成18年)初頭、渋谷O-WESTにてベスト盤『コレクシオン・デ・オロ』の購入者を招待したマスコミシャットアウトのシークレットライブを行った。ライブには親交のある俳優の金子賢やタレントのあびる優、山崎裕太らがゲスト出演し、俳優の伊藤英明は同グループの活動に際し、花束を贈っている。 LIVとしてミュージックステーション出演した時、自分たちのジャンルをハードコアだと宣言する。その直後のスペースシャワーTVで横山健から「あんなのはハードコアじゃないよ」とにべもなく切り捨てられた。更に横山はインタビュアーに「子供につけたい名前は何ですか?」と聞かれると「お塩」と顔モノマネをし盛大に批判していた。
ガンズ・アンド・ローゼズのファンであり、特にボーカリストのアクセル・ローズを「永遠のヒーロー」として尊敬している。少年時代に彼らのライブを見たことで「アクセルローズの全てに惚れ、その衝撃が音楽を目指すきっかけになった」と公式ブログに綴っていた。 2016年に再開した。1月21日のヤフーで明らかになった
人物[編集]
傲慢かつ不遜な言動で周囲と軋轢を生むことが多く、奇抜な発言は「押尾語録」と呼ばれている。また、事あるごとに舌打ちをする癖もある。これらの行動・態度により、芸能界では押尾を忌避したり嫌悪する者が多く、芸能人との交友関係がほとんどない。
「暴走族のヘッドをやってた」、「在日米軍基地で大暴れしたことがある」、「サッカーでヨーロッパ留学していた」などの発言などから、「虚言癖」と揶揄されることもあり、その発言の数々は2ちゃんねるをはじめとするインターネット上では「お塩先生語録」などと呼ばれ、注目を集めている。ただ、本人は「報道されている俺の語録は、98%が勝手に造られたもの」と否定しており、他人が創作した発言も多数存在する。
両腕、左胸、へその右側、背中、臀部にタトゥーを入れている。
小学生時代以来X JAPANのファンで、邦楽では一番好きなアーティストと公言している。ライブにも度々足を運び、1997年の解散ライブも見届けた。2008年3月28日にはバンド再結成後初のライブ「攻撃再開 2008 I.V.〜破滅に向かって〜」に来場し、同年5月4日には「hide memorial summit」にも来場している。
薬物事件と解雇、芸能界追放へ[編集]
2009年(平成21年)8月2日、借りていたマンションの同室でホステスとMDMAを服用してホステスが死亡した事件が発覚し(押尾学事件)、MDMA服用の容疑で逮捕された。
これを受けて、妻の矢田と8月7日に離婚。事件発表直前にエイベックスからマネジメント契約を解除されているが、関係者が本件を発覚前に知っていたのかは不明。 家宅捜索でドラッグが押収された。 同年10月から始まった東京地裁で、麻薬取締法違反(自己使用)について、11月2日の判決公判で懲役1年6月・執行猶予5年の有罪判決を言い渡された。その後、ホステスを死なせた保護責任者遺棄致死罪で逮捕、起訴された。翌2010年(平成22年)9月から始まった保護責任者遺棄致死罪の裁判員裁判では致死罪は認めなかったが保護責任者遺棄罪を認めて、懲役2年6月の実刑判決を言い渡された。押尾は判決を不服として東京高裁に即日控訴した。10月4日に保釈保証金1000万円を納付し保釈された。
2011年(平成23年)4月18日、東京高裁は一審判決を支持し、控訴を棄却した。押尾は判決を不服として最高裁に即日上告した。
2012年(平成24年)2月13日、最高裁第一小法廷(宮川光治裁判長)は上告を棄却する決定をした。これにより、懲役2年6月の一審実刑判決が確定する。近く、収監される見通し。
Nanami(25才)と獄中婚か[編集]
「彼女のショックは相当なものでした。浮気どころか逮捕までされちゃったんだから。でも、Nanamiちゃんは、日本中から非難されていた押尾さんを見て、“彼の寂しさや弱さをわかってあげられるのは自分だけ”だと思っちゃったんですよね…」(押尾被告の知人)
その後、押尾被告をめぐって家族と衝突したNanamiは、とうとう家を出て行ってしまう。連絡もまったく取れなくなり、なす術がなくなった両親は、必死でNanamiのスケジュールを調べた。そして昨年9月、都内で行われた『神戸コレクション』に娘が出演することを突き止めたという。
「両親はNanamiのマネジャーと一緒に楽屋で待ち伏せしたんです。ショーを終えた彼女はそこで、押尾さんと結婚を考えていることをはっきり伝えました。両親はなんとしても押尾さんから娘を奪還したい一心で、涙ながらに説得したんです。マネジャーさんや他のスタッフも“彼と一緒になるなら仕事ができなくなる。どっちをとるんだ!”と迫った。それでも彼女の決意は揺るがなかったそうです」(Nanamiの知人)
所属事務所は昨年末で退社し、仕事より押尾被告を選んだNanami。現在の彼女の住まいは、神奈川県内にあるファミリー向けマンションだった。大きなリビングのある3LDKの部屋だ。彼女はここで押尾被告の帰りを待つのだろうか。
収監(2012年3月29日)[編集]
3月29日、元俳優の押尾学受刑者が、保護責任者遺棄と麻薬取締法違反の罪により収監された。押尾は刑務所で最長3年6カ月余り、服役することになる。
収監前に押尾は「女性自身」(光文社)の取材に応え、一部マスコミに報道されたモデルのNanamiとの獄中結婚の記事について、
「なんでわざわざ刑務所の中で結婚しないといけないんですかね。普通は獄中に入る前にするでしょ。確かに彼女は友人だけれど、結婚とか恋愛とかそんな関係じゃありません。その記事で、その女性にどれだけ迷惑がかかっているか、わからないんでしょうかね」
と否定した。事実ではないことを書かれることは不本意だろうが、それでも「何をいまさら、きれいごとを言っているな」とあきれざるを得ない。
Nanamiさんに迷惑をかけたのは押尾自身だ。押尾は麻薬取締法違反で逮捕され、保釈後、田中香織さんへの保護責任者遺棄致死罪容疑で逮捕状が出た際に潜伏していたのが、横浜市内にあったNanamiさん名義のマンションだった。この時点でNanamiさんの存在は公になってしまい、彼女はマスコミに追われ、両親との関係も悪化。今は断絶状態だという。押尾が自身の立場をわきまえ、マンションに潜伏しなかったら、こんなことにはならなかったはず。そもそも、田中さんの事件も他人のマンションで起こしたことで、周囲にあれだけの迷惑をかけたのにもかかわらず、自覚に欠けているとしか思えない。その結果、押尾はNanamiさんの家族まで崩壊させてしまったのだ。
押尾は出所後についても
「芸能界には戻らないので、出所後は新しいことを始めたいと思います。24歳くらいから考えているビジネスがあるんです。その夢を実現するには、もっともっと勉強しないといけないし、お金だっている。時間はすごくかかるかもしれないけれども、刑務所を出たら、絶対にこれを成し遂げたいと思っています」
と語っているが、この発言はまたしても田中さんの遺族感情を逆なでした。
押尾は、田中さんの保護責任者遺棄罪で拘留中、「保釈されたら、田中さんの墓参りと、遺族への説明と謝罪をしたい」と語ったが、保釈後、「遺族が会ってくれない」と、平然とウソをついた。当然、墓参りもしていない。押尾が出所後、まずやるべきことは田中さんへの墓参りと遺族への謝罪。"夢を実現"とはあまりに身勝手すぎる。収監後に弁護士が発表した押尾のコメントでも、反省や謝罪の弁は一言もなかった。
そんな押尾に、遺族は裁判で明らかにならなった真相を民事訴訟で明らかにするために、損害賠償を求める訴訟を起こす。以前から計画はされていたが、押尾が有罪確定後、収監されてしまっては、事件の真相究明のための審議が法廷で十分行われることは厳しくなるため、ペンディングされていた。実際に収監されたことで、民事訴訟は出所後に行われる予定だ。押尾は、人一人の命が失われた事実からはそう簡単に逃げられないことを、刑務所の中でじっくりと思い知るべきだ。
獄中からの手紙…出所後に備え「職業訓練や通信教育も」(2013年5月)[編集]
懲役3年6カ月の実刑となり、2012年3月末に東京高等検察庁に出頭した押尾学(35)。5月6日、彼は刑務所の独房で35歳の誕生日を迎えた。
彼はいま、刑務所のなかでどのような生活を送っているのかーー。
収監1年を前に、獄中の彼に文書で取材を申し込んだ。そして文書を送ってから1か月半。A4版便箋4枚に綴られた、押尾からの手紙が返ってきた。
文書で送った質問に、彼は丁寧に回答を寄せた。ここでは刑務所の独房で綴られた『押尾の告白』の一部を公開する。
ーー刑務所での一日のスケジュールは?
「(午前)4時30分起床、5時工場で作業開始、18時過ぎに作業終了。その後入浴。18時50分ぐらいに部屋(に戻り)、20時55分まで一人の時間。一日の時間が長いけど、とても忙しいから一日が早く終わる感じがします」
消灯・就寝は午後9時という。孤独な夜は長いようだ。
ーー独房の様子は?
「部屋の居室面積は5.7平米。独房。ものすごく古い部屋。トイレが長方形の木のトイレでものすごく臭い。畳もボロボロで虫がいっぱい。洗面台の排水溝から大量の小バエが発生してきて汚い」
劣悪な環境は衛生面だけではない。彼がすごす独房には、もちろん冷暖房もない。
ーー刑務所での作業は?
「体力、気力が一番過酷と言われている炊場工場です」
炊場工場とは、収監されている受刑者の食事を作る土日も休みの無い工場だ。ほかの工場作業に先駆けて、午前5時から朝食作りが始まる。そんな厳しい作業を担当させられているという。
押尾が収監されている刑務所では、夕食後の約2時間が余暇とされている。
ーー余暇の過ごし方は?
「余暇時間は考え事をしたり、ノートにいろいろ書き込んだり、本を読んだり、テレビを見たりしています」
逮捕後、彼には11カ月に及ぶ拘置所での生活があった。このときも独房で、悲しみ、怒り、家族への思いをA4ノートに綴ってきた。「書くこと」は彼にとって日課となっているのだ。
ーー休日の過ごし方は?
「ノートにいろいろ書き込んでいます。あとはひたすら本を読んでいます。職業訓練や通信教育も始めたので、それらの勉強もしています」
《もう芸能界には戻らないので、出所後は、新しいことを始めたい》と収監前に明かしていた押尾。出所後に向けた勉強も始めているようだ。
かつて、彼の公式プロフィールには《身長184センチ 体重78キロ》と書かれていた。
ーー現在の体重、そして体調は?
「(体重)70.4キロ。栄養不足で爪は割れ、冬は霜焼け、たまに立ちくらみを起こしてしまいます。一日の作業時間に対してのカロリーが、まったく足りていない現状です」
彼に下された実刑は懲役3年6か月。まだ自由を奪われた日々は2年以上も続くことになる。
ーー出所したら、まずしたいことは?
「数年間、深い闇の中に沈み込んでしまったから、静かな所で光に当たりたい」
ーー出所後の人生計画は?
「しっかりと次の人生を生きていきます」
収監前は“夢”を語ることも多かった押尾。だが、いまは噛みしめるように、静かにそう綴るだけだった。
2009年8月の逮捕劇から、間もなく4年。彼は最後の質問に、こう答える。
ーー事件についてあらためて思うことはありますか?
「いろいろな人に思うことや言いたいことは、いっぱいあります。だけど今は何も言いません」
過酷な生活、尽きない苦悩……。これからも彼はそれを孤独に受け止め続けていくしかない。
発言集[編集]
事件前[編集]
- 「ウーマン・リブって、女はみんなリブを好きってこと?」
- 「リブなら人を救える気がした」
- 「Livの熱さなら、この寒さを乗り切れる」
- 「Liv 21は発毛専門」
- 「I live in Liv.」
- 「Livは俺だけのもんじゃない。かといって、お前らのもんでもない」
- 「Livの奴らといると、ここが俺の居場所なんだなって感じる」
- 「Livはまだ「生きていない」。生まれたばかりなんだ」
- 「電車の中で、Livの着メロがいたよ」
- 「Livは、爆音で聴けよ」
- 「LivとLoveは、紙一重」
- 「Believe Liv。 Believe 押尾。俺、ブリーフ」
- 「Livが解散するとしたら、『愛をめぐる方向性の違い』だろうな」
- 「ガンダムOOの主題歌(ガクト)不評だね。LIVがやったほうが良かったんじゃない?」
逮捕後[編集]
- 「警察署に入ったら婦警にサインねだられた」
- 「取り調べ?もちろん第一声は”It keeps silent.”」
- 「その辺の総務課の人間にメンチ切ったら失神した」
- 「指紋採取後の撮影でギャラもらった」
- 「取り調べでカツ丼は無粋。俺はROCKだから天丼だけ」
- 「配属されてたキャリアに国家1種の問題出してもらったら全問不正解だった」
- 「自弁?俺はいつでも婦警の差し入れで特上寿司だったよ」
- 「ちょっと力入れると壊れるから、手錠はかけられなかった」
- 「留置場のやつにメンチきったら次の日カツをくれた」
- 「布団はいつも署長が運んでくれてた」
- 「俺だけ運動の時間は無し」
- 「もちろん風呂も無し」
- 「朝の音楽はLIVにしてもらった」
- 「検察まで、護送車なんていやだっていったら、リヤカーで送迎になった」
- 「検察でも俺だけ個室トイレを自由に使える」
- 「よく見たら昔ボコった奴がいた。どうやら今は山口組直系の組長らしい」
- 「検察官が新米の男だったんで、検察調べの時は毎回ヤってた」
- 「三田署には俺の銅像が建っている」
著書[編集]
- 『A.I.G.H』光進社、2001年3月、ISBN 4877610588
関連項目[編集]
外部リンク[編集]
- LIV 押尾 学(2006年以降新情報なし)
- LIV-Myspace