佐藤康光
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佐藤 康光(さとう やすみつ、1969年10月1日 - )は、将棋棋士。棋士番号182。京都府八幡市出身。國學院高等学校卒業。田中魁秀九段門下。 プロ将棋界を代表する強豪棋士の一人。タイトル獲得数は多く、すでに歴代十傑に入っている。 いわゆる「羽生世代」の一人。 特技はヴァイオリン演奏。
目次
戦績[編集]
- 1987年3月25日 プロデビュー。(四段)
- 五段時代の1990年、第31期王位戦で谷川浩司に挑戦。(=タイトル戦初登場) 惜しくも、3-4で退けられる。同年、第9回早指し新鋭戦の決勝で森内俊之を破り棋戦初優勝。これらの活躍により、1990年度将棋大賞の新人賞を受賞。
- 1991年、第10回早指し新鋭戦において決勝で森下卓を破って優勝。2連破を達成。
- 六段時代の1993年、第6期竜王戦で挑戦者となり七段昇段。待ち受ける相手は当時五冠王の羽生善治であった。結果、4-2で佐藤が竜王位を奪取し、初のタイトル獲得となった。羽生からタイトルを奪取したのは谷川浩司に続き2人目。
- 1994年第7期竜王戦は、逆に羽生の挑戦を受け2-4で失冠。羽生に史上初の六冠制覇を許してしまう。その翌年(第8期)は、また逆に佐藤が羽生に挑戦し3年連続の同一カードとなったが、奪取はならなかった。
- 1997年度A級順位戦において6勝3敗同士でのプレーオフで羽生善治を下し、第56期(1998年)名人戦の谷川浩司名人への挑戦権を得る。七番勝負を4-3で制して奪取。初の名人位獲得。
- 1999年、第57期名人戦では谷川浩司と2年連続の対決。またもやフルセットの戦いとなり、4-3で名人位を防衛。(翌年、丸山忠久に3-4で敗れ、失冠。)
- 2002年(2001年度)、第51期王将戦で羽生善治に挑戦。4-2で王将位を奪取。
- 2002年度、第73期棋聖戦で郷田真隆に挑戦、3-2で奪取に成功。初めて二冠(棋聖王将)となる。さらに王座戦で羽生に挑戦したが、惜しくも敗退。一気の三冠達成はならなかった。また、王将の防衛戦は、羽生を挑戦者に向かえ前年と同一カードとなったが、0-4で羽生に奪還される。
- 2003年、第74期棋聖戦で丸山忠久の挑戦を3-0で退け防衛。羽生七冠(当時)が棋聖位を失ってから、棋聖位保持者は7年連続で入れ替わっていたが、この防衛によって終止符が打たれた。同年、第11期銀河戦で中川大輔を下して優勝。タイトル戦以外の全棋士参加棋戦での初優勝を飾った。
- 2004年、第75期棋聖戦で森内俊之の挑戦を3-0で退け防衛。JT将棋日本シリーズでは、決勝で久保利明を下して初優勝。
- 2005年、第76期棋聖戦で羽生善治の挑戦を3-2で退け防衛。
- 2006年、第77期棋聖戦で鈴木大介の挑戦を3-0で退け防衛。これで5期目の在位となり、規定により永世棋聖の称号を得た。
- 同じく2006年度、JT将棋日本シリーズは決勝で郷田真隆を破り2度目の優勝。NHK杯も決勝で森内俊之を破り優勝(3度目の決勝進出にして初優勝)。
- 2006年度は、タイトル戦5連続挑戦の記録を作り、うち、森内俊之から棋王位を奪取。再び二冠(棋聖棋王)となる。この年度、将棋大賞の最優秀棋士賞を初受賞。
- 2007年、第78期棋聖戦で渡辺明竜王の挑戦を3-1で退けて防衛し、6連覇。
- 同じく2007年、竜王戦で渡辺竜王へ2年連続挑戦。
棋風[編集]
- 元来、居飛車党であるが、その後、振り飛車も積極的に採用するなど、将棋の幅を広げている。
- 「緻密流」と称され、「1秒間に1億と3手読む」と形容されるほどの深い読みに定評がある。もっともこの数字自体は現実的な数字ではなく、室岡克彦とヨーロッパ旅行中に「コンピュータは1億手読む」という話が出た時、室岡が「それなら彼は1億3手読む」と冗談半分に発言したことから付いたキャッチフレーズである。
- 攻めの棋風で、後手番の角換わりといった守勢になりやすい戦法でも、千日手を狙わず果敢な攻め合いを選ぶ。羽生善治の柔らかさに対比して剛直な指し手が多く、危険な変化でも踏み込む傾向がある。先崎学には「緻密ではなく野蛮」、河口俊彦には「自玉が危険にならないと力が出ず、混戦に滅法強い」と評されている。
- 2000年の第58期名人戦においては、挑戦者であった丸山忠久の得意戦法(丸山が先手の場合は角換わり戦法、丸山が後手の場合は横歩取り8五飛車戦法)を堂々と受けて名人位を防衛しようとした。(谷川浩司との名人戦でも、そのような傾向が見られた。)しかし、結果的に3勝4敗で丸山に名人位を奪われた。この敗戦が棋風改造のきっかけとなった。
- 若手時代は既存の定跡形を多く指していたが、2005年前後からは敢えて定跡にない作戦や、実戦例の少ない戦法を選ぶことが多くなっている。一般的にはそうした将棋は型に嵌らない「力戦」と呼ばれることが多いが、本人の談によれば、それらの作戦はすべて論理的に考えた帰結であるので、力戦と呼ばれることには抵抗感があるそうである。その天馬空を行くがごとき独創的な戦法を数多く指したことにより、最優秀棋士賞を受賞した2006年度に升田幸三賞も同時受賞した。(それゆえか、「天馬行空」は佐藤が色紙に揮毫する言葉の一つである。)
- 渡辺明に挑戦した2006年の第19期竜王戦の第6局で、渡辺の初手▲7六歩に対して2手目▽3二金と指し、渡辺を挑発した。(▽3二金は、相手が振り飛車の場合には適さない位置とされる。)結果は、挑発に乗って不慣れな振り飛車を採用した渡辺の負け。そして向かえた最終の第7局でも、振り駒で後手となった佐藤は再び2手目▽3二金。今度は矢倉になり、結果は渡辺が勝って防衛。佐藤は策士の一面を見せた。
エピソード・人物[編集]
- 将棋マガジン(日本将棋連盟)の1996年2月号の企画で、目隠し五面指し(目隠ししていない5人のアマチュアと同時に対局)に挑戦し、反則なしの五戦全勝で見事に成功した。それに加え、NHKのBS2で年に1回程度放映される将棋バラエティ番組でも、「脳内対局」(プロ同士の目隠し10秒将棋)で不敗を誇っており、佐藤が驚異的な頭脳の持ち主であることを実証している。
- 2004年度のNHK杯2回戦で女流棋士中井広恵に負けそうになった。結果は中井に疑問手がでて佐藤の逆転勝ちとなったが、本人も「僕が負けてもおかしくなかった。」とコメントを残している。司会(聞き手)の千葉涼子は途中で中井の勝ちを確信していた。
- 谷川浩司の挑戦を受けた1999年の第57期名人戦では、2-3の角番に追い込まれて向かえた第6局は2日目の深夜まで続く203手の大激闘となったが、佐藤の執念の勝利となった。これは、名人戦史上まれに見る名勝負として語り継がれている。(難解な詰みを谷川が逃した。) NHK衛星放送では、結果のダイジェストを放送予定だった時間枠が生放送と化した。終局後、明らかに疲労困ぱいした佐藤の表情がテレビ画面に映った。
- 2024年11月現在、「前竜王」の称号を最後に名乗った棋士である。(1994年に羽生から竜王位を奪われてからの1年間) なお、失冠後の1年間に名乗る称号の制度は、前竜王、前名人だけに特有のものである。
- 1981年の小学生名人戦で第3位。3回戦で村山聖と対戦して勝っている。
- 6級で関西奨励会に入ったが父親の転勤で関東に移籍した時、「名人候補を東京に取られた」と関西奨励会幹事が嘆いたエピソードがある。
- 奨励会時代、学校を頻繁に休んでいたことから「学校やすみつ君」と呼ばれていた。
- 奨励会二段の頃、島朗が主宰する伝説の研究会、いわゆる「島研」に、羽生善治や森内俊之とともに参加していた。
- 知的な面持ちで、趣味はヴァイオリン演奏。しかし、意外にも熱血漢でアツくなり易いという一面を持っており、対局で負けたときは涙を流して悔しがることもある。親友である先崎学の文章には、しばしばからかわれ役として登場し「もてみつ」君というニックネームをつけられている。そこから一部のファンの間では「モテ」と呼ばれる事もある。
- 夫人からは「みっくん」と呼ばれているらしい。初デートは歌舞伎座だった。
- 第51期王将戦では、おやつに大量のキウイフルーツを食べつづけ、羽生善治から王将を奪取したことから、2ちゃんねるなどで「キウイ」とも呼ばれた。インターネット上で話題になったことについて本人は「話題になったので意地になって食べ続けた」と語った。
- 対局中に非常によく咳き込むため、関係者のみならずファンからも大変心配されている。ただし、あの咳は体調が悪いためではなく、興奮性のものと思われる。あるいは、咳をするのは終盤で勝ちが見えたときであるという説もあり、対戦相手の棋士の中には、佐藤が咳をするとがっくりくる者もいるという。
昇段履歴[編集]
- 1982年12月 6級 =奨励会入会
- 1984年7月 初段
- 1987年3月25日 四段 =プロ入り (奨励会三段昇段後13勝1敗により)
- 1989年4月1日 五段(順位戦C級1組昇級)
- 1992年3月25日 六段(勝数規定)
- 1993年10月1日 七段(竜王挑戦)
- 1996年4月1日 八段(順位戦A級昇級)
- 1998年6月18日 九段(名人位獲得)
主な成績[編集]
(2007年4月1日現在)
獲得タイトル[編集]
(2007年6月29日現在)
- 竜王 1期(第6期)
- 名人 2期(第56期 - 57期)
- 棋聖 6期(第73期 - 78期) - 永世棋聖(大山康晴・中原誠・米長邦雄・羽生善治に次いで史上5人目)
- 棋王 1期(第32期)
- 王将 1期(第51期)
登場回数30回 獲得合計11期
一般棋戦の優勝歴[編集]
- 銀河戦 1回(第11期)
- NHK杯将棋トーナメント 1回(第56回)
- 日本シリーズ 2回(第25回、27回)
- 早指し新鋭戦 2回(第9回、10回)
- オールスター勝ち抜き戦(5勝以上) 1回(第19回)
優勝合計 7回
将棋大賞[編集]
- 第18回(1990年度) 新人賞
- 第20回(1992年度) 技能賞
- 第21回(1993年度) 最多勝利賞・最多対局賞・連勝賞・殊勲賞
- 第23回(1995年度) 技能賞
- 第25回(1997年度) 技能賞
- 第26回(1998年度) 殊勲賞
- 第29回(2001年度) 連勝賞・技能賞
- 第30回(2002年度) 敢闘賞
- 第32回(2004年度) 技能賞
- 第33回(2005年度) 敢闘賞
- 第34回(2006年度) 最優秀棋士賞・最多対局賞・最多勝利賞・升田幸三賞
記録(歴代1位のもの)[編集]
- 二段昇段 - 四段昇段最高勝率 .955(21勝1敗)
- タイトル戦5連続挑戦(2006年度 王位戦、王座戦、竜王戦、王将戦、棋王戦)
著書[編集]
- 佐藤康光の寄せの急所囲いの急所(1995年11月、日本放送出版協会、ISBN 4-14-016075-6)
- 康光流現代矢倉(全3巻、日本将棋連盟、ISBN 4-8197-0331-5ほか)
- 康光流四間飛車破り 居飛車穴熊vs藤井システム(1999年2月、日本将棋連盟、ISBN 4-8197-0348-X)
- 読みの技法(講師、1999年3月、河出書房新社、ISBN 4-309-72181-8)
- 佐藤康光の戦いの絶対感覚(2000年1月、河出書房新社、ISBN 4-309-72184-2)
- 最強居飛車穴熊マニュアル(2003年1月、日本将棋連盟、ISBN 4-8197-0369-2)
- 注釈 康光戦記(2004年8月、浅川書房、ISBN 4-86137-005-1)
- 5級からの詰将棋81(2007年4月、日本将棋連盟、ISBN 978-4-8179-0172-3)
- 佐藤康光の居飛車の手筋1(以下続刊、山海堂、ISBN 978-4-381-02275-2ほか)
関連イベント[編集]
その他表彰[編集]
- 2007年1月 京都府文化賞・奨励賞