三国人
三国人(さんごくじん)は戦後における日本人による日本の旧外地の人々に対する呼称、または朝鮮から日本に移動してきた人々の戦後の自称、GHQによる朝鮮・台湾などの旧外地に対する呼称などの説がある。一般的には死語であるが、差別語であるという者がある。
語源について[編集]
いくつかの説があり、定説は確立していない。(差別語)
- 戦前・戦中に朝鮮、台湾などの外地から日本内地へ労働力として移住してきたもの、あるいは日本に徴用・官斡旋などでやってきた人々が戦後、敗戦国日本、戦勝国連合国と、立場が二分したときに日本と合併された朝鮮は自らが敗戦国のグループの一員となることを心情的に拒否し、「我々は第三のグループであり、第三国の人、すなわち三国人」と自ら名乗った。この時点では、なんら蔑称的な意味はなく、むしろ敗戦国民ではない、今から日本から独立した国を作る民族であるという誇りをこめた自称であったとする説。
- GHQが使用した「non-japanese(非日本人)」という言葉を日本の政治家・官僚が「第三国人」と訳し、それがGHQ側にも受け入れられたとされる説
- 1.と同様の理由によって日本に移住してきたもののGHQ指令による帰国作業、赤十字による北朝鮮への帰還事業(注)などで本国に帰ることなく日本に残った朝鮮人も経済活動をおこなう必要があった。それらの中で日本人と軋轢が生じることがあり、日本人から占領軍のアメリカ人と日本人以外の国の人間ということで、日本人から「三国人」と称されたとする説。
- GHQにより戦勝国でもなく、敗戦国でもない旧植民地はThird nations──第三国であると規定されたことによるという説。
ただし、GHQ内では朝鮮人・中国人・台湾人を当初 "non-japanese"(非日本人)と称していたという説(「転化」のリンク先を参照)があり、これが正しい場合には、3.および4.の根拠はかなり薄くなると考えるべきであろう。
- (注)帰還事業は日本と北朝鮮の赤十字社間の協定によって1959年から1984年にかけて行われた事業。日本在住の朝鮮人とその家族(日本人含む)の北朝鮮への「帰還」を支援することを目的とした。国家ではなく赤十字社が行ったのは、日本と北朝鮮の間には正式国交がないためである。
転化[編集]
「三国人」という呼称が否定的な印象(「不良外国人」「犯罪外国人」など)を持つように至ったのは、戦後の混乱期に朝鮮人・中国人・台湾人が多くの騒乱・衝突を引き起こした為であり、いわば自業自得である、とする説がある。ある程度の(所謂「三国人」が関係する)騒乱・衝突・事件が発生していたのは確かであるが、それだけが「三国人」という言葉に対する否定的イメージの生成の原因とは言い切れない。「『三国人』という名称を使用し始めたのは日本の政治家・官僚である」とする見方からは、そもそも「三国人」という言葉を使い始めた日本政府・官僚の側に、戦後の混乱の責任の一端を朝鮮人・中国人・台湾人に転化しようという意図があった、という指摘もある。
いずれにせよ、2000年4月の石原慎太郎都知事の発言以前には研究対象とされた例はほとんどないので、現在のところ定説は確立されていない。
この石原発言の後、一部雑誌などで人権団体や平和団体等からのクレーム防止と共により皮肉めいた響きを狙って「戦勝国民」という表現も見られるようになった。
近年の事例[編集]
もっとも有名なものは石原慎太郎都知事の、2000年4月9日、陸上自衛隊練馬駐屯地の創隊記念式典での演説で用いられたものである。石原は不法入国した三国人と述べ[1]、この発言は近年の日本での外国人犯罪への危惧から発せられた言葉、とされているが、この発言に対して特に在日コリアンや韓国が強く反発した。
石原都知事の発言は、2005年11月の人権問題討論国連総会第3委員会で「東京都知事の外国人差別的演説」として取り上げられ、国連人権委員会人種差別問題特別報告者ドゥドゥ・ディエンによって「日本の当局がよりはっきりした態度を打ち出すなど、人種差別と戦う政治的な意思が求められる」と指摘を受けた。もっとも、人種差別と民族差別を混同していると言う批判もある。「人権」や「差別」とはともすればその明確な定義なしに攻撃手段として使われることも多く、無批判な濫用は慎まれるべきである。
加えて、国連人権委員会及びドゥドゥ・ディエンの政治的中立性には疑問があるとする声も一部にある。この主張については日本の民族問題の「概要」を参照のこと。
脚注[編集]
- ↑ 「三国人」発言に関する知事見解について 都議会民主党 2000年4月19日付 閲覧